(22)女心
『これはどーも、ご無沙汰しておりやす。』
恒彦の邸宅に、亀四郎が久しぶりに訪れた。
厳密に言えば、顔を出してきたと言う方が正しいかも知れない。
『何がご無沙汰だ。毎日、物陰に隠れて、俺達の様子を見ていた癖に。』
恒彦が口元片方吊り上げ苦笑いして見せると…
『
佳奈が、空になった椀に手を伸ばしてきた。
『うん。』
恒彦が軽く頷き、椀を差し出すと、佳奈はそうする事が嬉しくてたまらぬと言うように、椀に飯を盛り出した。
『いやはや、知らぬ間に、すっかり家族が板についてきやしたなー。』
亀四郎が、二人のやりとりを見て、大仰に目を見張って見せると。
『カメさん、恩に切るぜ。』
恒彦は、亀四郎の視線を逸らせつつ、ぶっきらぼうに言って見せた。
『はて、何の事でござんす?』
『佳奈を仕込んでくれた事よ。ついでに、簪まで買ってめかし込ませてくれてよ。おかげで、殺風景だった俺の屋敷も花ができたってもんだ。』
『なーに…昔亡くした娘を思い出しただけの事でござんすよ。』
『何だ、カメさんにお嬢がいたのけー。』
『遠い昔の話でござんす。』
亀四郎が言いながら、いつの間にか縁側に腰掛け、煙草を蒸し始めると、佳奈はさりげなく側に行き、煙草盆と茶を差し出した。
恒彦は、佳奈の卒のない動きを見て、改めて亀四郎の仕込みに舌をまく。
『でも、良いもんでござんしょう。こうやって、家に女の家族が一人いるもんって…だから、前から言ってるでござんしょう、早く嫁を貰えってね。』
『カメさん!』
『まあ、それももう言うめえ。こうして、佳奈ちゃんって立派な嫁さんができたからにはね。』
『おいおい、嫁さんって…』
『何言ってるでござんすか。こうして見れば、どう見たって、年増男に幼妻でござんすよ。』
亀四郎がそう言うと、佳奈は忽ち耳たぶまで顔を赤くして、肩を窄めた。
そして、ゆったりと朝餉の時は過ぎ、日は更に高く登り出した。
改めて見れば、庭先の梅はほのかに蕾をつけ、何処からとなくやってきた目白が数羽戯れている。
『夢…で、ござんすか…』
『そうだ。最近、同じ夢ばかり見る。』
佳奈が膳を下げ、洗い物を始めると、恒彦は、寝ても覚めても悩まし続ける夢の話をして聞かせた。
『成る程ねー。佳奈ちゃんを手篭めにする夢ねー。』
『厳密に言えばそうじゃねえ。最初は佳奈と二人で楽しく戯れてるんだ。だけど…』
『戯れているうちに、自分が何してるかわからなくなり…気づけば泣き噦るあの子をお頭が…』
『いや、それもちょっと違ってる。自分が何してるかわからなくなってるのはその通りなのだが…何と言うのか…あの子は何でか笑ってやがる。いや、勝ち誇っていると言った方が良い。』
恒彦はそう言うと、右手を額にあてて、憔悴しきったように俯いて見せた。
『成る程ね。で、お頭はいってえ、どうしてえんです?あの子の事を…』
『どうするって…』
『知っておりやすぜ、毎晩、お頭があの子の
『だから、それは…』
『あの子の
一層、あの子を本当に抱いてみたら、如何でござんすか?』
『おいおい、カメさん。本当に抱くって、あの子はまだ…』
『まだ十歳の子に、あそこまでしておいて、今更でござんすよ。
むしろ、白黒はっきりしてやんねーと、あの子が可哀想でござんす。
あの子は、本気でござんすからね。』
『本気って、お前…あの子は…』
『十歳でも、五歳でも、女は女でござんす。いつだって、本気でござんす。
そうそう、あのお膳、誰が選んで買ったと思いやす?』
『そりゃあ、カメさんが…』
『まあ、金出してやったのはあっしでござんすけどね。でも、市場を何刻も歩き回って、選びに選んだのは、あの子でござんすよ。』
亀四郎に言われ、恒彦は成る程と思った。
通りで、飯事道具のような可愛い膳な筈であった。
『あれだけじゃ、ござんせん。あの子、本当にあっしのしごきに耐えに耐え抜きましたからね、健気な程に…だから、完璧にできるようになった時、あっしは何でも欲しいものを買ってやると言ったんですよ。
でも、あの子、何を欲しがったと思いやすか?
調理道具、裁縫箱に道具一式、洗濯道具に、さりげなく部屋を模様替えする為の置物飾り物…
何一つ、自分の為のものは欲しがらず、お頭を喜ばせる為に使うものばかりでござんしたよ。
それで、あっしが最後に選んで買ってやったのが、あの簪でござんす。それも、最初は遠慮してね…
でも、佳奈ちゃんが可愛くなるのを、お頭は一番お喜びになると話てやったら、漸く喜んで受け取ってくれたんでござんすよ。』
成る程…
あの子は、そう言う子なのか…
恒彦は、また一つ、佳奈の事で知らなかった事を知らされた気がした。
いや…
何でも知り尽くした気になっていたけど…
結局、佳奈の事で知っている事と言えば、
そう言えば…
この前、一緒に市場に出かけた時も、見つけてくるものと言えば…
『おいおい、これは男物の着物だぞ。おまえ、本当にこんなの着たいのか?』
『ううん。』
『それじゃあ、これ…』
『
『俺か?』
『はい。』
そう言って、羽織に手拭い、鉢巻、帽子…
何処から見つけてくるのかわからないものを恒彦に身に付けさせては、うっとりするような眼差しを向けて、喜んでいた。
一体、何を買いに出かけたのかわからぬと思いながら…
漸く最後に欲しがったのは、庭の木に吊るす巣箱であった。
何でも、雛鳥をこの目で見てみたいとの事であったが…
何て事はない…
冬の庭木を見て、寒そうに震えている小鳥がいたから、お家を作ってあげたい…
それが本当の理由であった。
『まあ…あの子をどうされるかは、お頭がお決めになればようござんしょう。お頭を家族に選んだのはあの子、あの子を引き取るとお決めになられたのはお頭…
他人の出る幕はござんせん。
ただね…
このまま一緒にお暮らしになられるのでござんしたら、女心を知る事にござんすよ。』
『女…心…』
『そう…五歳だろうと、十歳だろうと、百歳だろうと、女は女でござんす。その女と一つ屋根の下でお暮らしになるってのでしたら…女心をわかってやる事にござんす。
できねえって仰るんでしたら、今からでも遅くはありやせん。
おめえの事は遊びだったと仰り、冷たく突き放して、何処か遠くへおやりになられた方がようござんしょう。』
『佳奈を手離せと…』
『最初はお互い傷つくでござんしょうが、長い目で見て、その方が良いと言う事もござんすよ。』
恒彦は、何も答えず、ムッツリ黙りこみ、また右手で額を抑え俯いた。
『できねえ…で、ござんしょうね。佳奈ちゃんもそうでござんしょうが、お頭も、もう、あの子なしでは生きられねえで、ござんしょうから…でしたら、佳奈ちゃんを十歳の子供ではなく、女として、見ておやんなせえ。』
亀四郎はそう言うと、徐に立ち上がった。
『何だ、カメさん。もう帰るのけえ?昼餉は一緒に食おうと思っていたのに…』
『初々しい幼妻持ち、これ以上見せつけられるなあ、今のあっしにゃ、きつぅござんすよ。昔を思い出しやすからねぇ。
あ…そうだ…』
と、玄関口に向かいかけた亀四郎は、不意に恒彦に背を向けたまま、何かを思い出したように立ち止まった。
『お頭が、娘達の解放を条件に解き放ってやった鷹爪衆の船頭一味ですがね…やはり、身内で処断されやしたよ。』
『そうか。差し詰め、首でも刎ねられたか…』
『いいえ、磔でござんす。身内は全員河原者送り…
でもって…
船頭の末娘…静ちゃんと言いやすがね…赤兎にされやしたよ。』
『何だと!』
『奴が処断されるのは当然として…罪もねえ奴の幼い娘がそんな目に遭わされるのは避けてえとのお頭の差配だったんでしょうがね…
あの阿片の密売と
『
『厳密には…
『フッ…
『それも、更に後ろには占領軍の機密砦が絡んでるとくれば…』
『例の、大筒を使わず飛ばせる爆弾…か?』
『よく、ご存知で…』
『そんなもん…本当にあるのけぇ?』
『さあ…
が…少なくとも、そんな噂のある連中と、
そんな重大な事を左右する商売にヘタを打ったとなりゃー…みなまで言わずともわかるでござんしょう。』
恒彦はまた、右手で額を抑え俯き、黙り込んだ。
『それでも、あの時に保護した娘達さえ救われればまだしもでござんしたけどね…』
『あの子達がどうした?』
『短い間に玩具にされまくり、半分は御祭神が破壊されて子を産めねぇ
せっかく御祭神の傷は治せても、気が触れてしまった子も少なくなく…
もっと悲惨なのは、元々、親の手で売られた子達…』
『また、売られてしまったと…』
『仕方ねぇこって…その子達の家の貧しさの後ろには、
お頭が、たまたま佳奈ちゃんを目に留め、得られたお二人の幸せの影には、そんな悲惨な話があるんでござんすよ。
ですからねぇ…』
亀四郎は、そこでほんの少し顔を後ろに向け…
『佳奈ちゃんとの幸せ、大事にするこってすぜ。』
そう言うと、何処か重い足取りでその場を去って行った。