由司兄(姉)弟(義理)は退廃すぎる 作:羊(ひつじ)コロン
■弟に開発されてしまった兄(姉)と頭おかしい(誉め言葉)な弟が狂った宴に参加しつつもいちゃいちゃするだけの話だよ!ダンジョン探索などアンダーグラウンド系非日常っぽいところもあるね!
ちなみに書いている人は身長差・体格差に萌えすぎてつらいので、そんなんばっかですわ。
2022.01.23
義務教育までに習う歴史や世界史のどの教科書曰く、世界は一度、死んだらしい。夢物語――つまり、創作世界に多々ある別世界からの侵攻により。侵攻というよりかは、ダンジョンの出現といった方がよいだろう。
首都・東京の郊外――緑溢れる自然が多く残る町に突如として現れた巨大な塔は、同時に様々な現象を伴って、世界を死に追いやった。たとえば電気系統の障害を起こし、たとえばダンジョン産の魔物の氾濫を起こした。たとえば汚れていた水や空気の正常化を行い、たとえば破壊されていたオゾン層を修復した。電気系統の障害と魔物の氾濫のふたつだけであっても、日常生活を送ることは難しいだろう。直そうにも直したそばから電気系統は狂い、世に放たれた魔物たち――狼の形をしており、大きさ、色、模様が様々だったようだ――は人々に牙を向いて、蹂躙したりとやりたい放題だったようだ。銃や重火器などの武器が効かないのは初期段階で判明した中でも警察も自衛隊も頑張ったようだが、攻撃という最大の防御が失われれば選択肢がないようなものだろう。もう死と隣り合わせだ。阿鼻叫喚や地獄絵図だ。
混乱や混迷、崩壊は瞬く間に首都圏から地方に波及し、日本近海から世界各国へと広がったらしい。それでも、生き残りたちが後の世を紡ぎ、こうして新たな世界が築かれた。
世界の大規模崩壊は、いまからほんの五十年前の話である。
いまも数多いところに色濃く影響を見せている旧世界からでも、実は平穏無事に年を重ねてきた者たちがいることも解っている。そういう安寧組や先の戦火に傷ついた過去を乗り越えて前を向く者たちを含め、いまの世を生きる者たちは、そんなダンジョンの恩恵により、基本的にひとりにひとつの能力を授けられている。大人も子供も関係なく、花や小鳥・蔦をあしらった細工がとても美しい銀色の腕輪型情報端末――デバイスとともに。ゲーム的・創作的に言えば、スキルと冒険者カードやら冒険者バングルだろうか。紛失の際の再発行には、お高い値段を払わなければならないのもそうだろう。
だがしかし素直に喜ぶなかれ――。なぜなら、能力に関しては最大の落とし穴があったのだから。能力の発現年齢や力加減には当たり前のように個人差があるし、ひとりにひとつといっても、他人と同じ能力を持っている場合もあったりするので、唯一無二――固有の力というわけではないようだ。特別にはなれないが、一般には違いないということだろう。いまの時代、異能力に関する法整備がきちんとされているし、日々の生活において腕輪型デバイス頼りになっているのには理由がある。進化した携帯端末たるスマートフォンの能力を有していたからに他ならない。なにより、昔ならパソコンやゲーム端末、専用ゴーグルあるいは専用ヘッドセットの用意といった事前準備が必要だったネットワークに広がる電子世界――VR世界にもこれひとつで行けるのだから楽である。VRMMOなどのゲームがさらに盛り上がりを見せていたりするのは、自然の流れであろう。そしてなんといっても、不思議なダンジョン産だからなのか、合わさって、金属は金属でも物質からして違うものらしいからなのかは解らないが、デバイスによって金属アレルギーが出たという報告はされていないという。
これらは情報収集機関――通称・パンドラにより発表・開示されている情報である。パンドラの後に続くように冒険者組合が出来たのはもはや常識であり、新たなフリーランスとして一般にも認められてきたパンドラ勤務や冒険者組合勤務、冒険者は最近の人気職業であった。創作が現実になったぞ! なんだこれスゴい! 勢に特に持て囃されているらしい。ちなみに、情報収集機関はダンジョンが現れて四ヶ月ほど経った頃――まだまだ混乱が酷かった時ともいえるが――にひとりの男によって立ち上がったものだと言われているのだが、男という情報以外はいまだに謎に包まれている。のちの冒険者組合の設立にしても、この男が携わっているようだ。美声の持ち主だとか背が高いという噂は聞いたことがあったりするが、真実かどうかは知りようもないので解らないままだ。混沌を収拾させた手腕だけが独り歩き状態なのだった。
オレこと
「今日は女か」
肩を滑り流れ落ちた黒い髪にそう理解して、ふぁあぁっと大きなあくびをすると、部屋のドアが開いた。そこに立つ人物――背の高い男に自然と目を遣ると、「おはようございます」と返される。柔らかな笑みとともに。
「ああ、うん。おはよう」
「今日は女性なんですね」
「いつ変わるのか解らないのは困るよなあ」
ははと乾いた笑いを出すと、男は――弟は「男性でも女性でもかわいらしさは変わらないですよ」とさらりと言い放つ。それはもうさらりと。男でも女でも中身はオレなので、かわいいのかどうなのかがいまいち解らないが、この男が神秘さを有していることはよく解っている。全体の作りが人並み外れているのだから。一目であっても理解することが出来るぐらいには。
薄い灰色の髪は無造作にうなじを隠す長さまで伸びているが、艶は失われていないようだし、見ようによっては銀色に見えなくもない。異国の血は瞳にも出ており、薄闇の夜空のような薄青の目を黒の細フレームの伊達眼鏡で覆っている。そもそもが美貌と呼ぶに相応しい顔の作りだし、それだけでももう勝ち組だろうと思うのに、この男にはまだまだ勝ち組の要素が盛りだくさんだった。生成り色の生地の前面に王冠を頭に載せたドヤ顔の雪うさぎがデカデカとショッキングピンク色で描かれたデザインのクソダサトレーナーにチノパンというラフな格好だというのにどこか神がかっているし、頭もよい上に背も高いし、なにより均整のとれた躯つきが羨ましい限りだし、身長差も体格差もあるし、右耳の辺縁部の軟骨を覆い隠すように飾られた白銀――色合いを見るにプラチナだろうか――のイヤーカフは似合っているしで、義理の弟はどうしてこう劣等感を刺激してくるのか。ここまで飛び抜けていると、嫉妬のしの字も湧かないぐらいだ。ファッションセンスだけだな、勝てるのは。
高校までは徒歩圏内であったので徒歩であり、大学入学時から駅まではその日の気分によって徒歩か自転車となっていたりしていたが、ふたりとも移動距離は変わらない。だというのに、一年ほど経っても筋力が増えた気がしないのはなぜだろうか。ジムに通わないのが悪いのか? と考えながら右の二の腕を摘まんでいると、クロゼットから今日の一品を取り出したらしい弟に服一式を手渡された。ついでに、水の球体を出されると同時に、表面で軽く撫でるかのように顔を洗われ、口の中も綺麗にされる。異能の使い方が間違った方向にいっているような気がしなくもないのだが、楽な方楽な方に流されるのが人間長く生きるための知恵のひとつであろう。怠惰にされてすみません。
「姉さんに伝言です。朝食のあとに母さん父さんから大事な話があるそうですよ」
「伝言サンキューな。着替えるからちょっと待ってろ」
「解りました」
絡みつく視線から逃れるように背中を向けてばばっと寝間着を脱ぐと、パンツをささっと履き替え、ブラもさっと
「うわっ!?」
「痕が薄くなっていますね」
「オレは困らないけどな!?」
「私が困ります」
ペロリと肩を舐められると、ひぇぇっと情けない声が漏れる。と同時にぴくりと躯が跳ねたのは、条件反射に違いない。いきなりはやめてくれないか。そう言ってもやめてくれないことは解っているのだが、言わずにはいられないのだ。こういうことを心の準備なしにされるのは、ただただ恥ずかしいのだから。たとえ何度もされていたとしても。
「朝食はわかめと油揚げの味噌汁にだし巻き玉子、ほうれん草のおひたしにごはんのようですね」
朝食の説明はいいとして、その最中に首筋や肩や背中を舐めたり、ちゅっちゅっと軽く肌を吸ったり唇を落とすのはなんとかならないのか。逃げようにもがっしりと腰を掴まれているし、体格差のお蔭ですっぽりと収まってしまっているので逃げられない。「んっ」「やぁ……っ」と艶かしい声が出るのも恥ずかしいんだよ。口を押さえても出るものは出るんだよな。なにせオレは、弟の手によって開発されたんだから。
「あっ、朝からっ、盛るなよぉっ」
「姉さんが私を煽るのが悪いんですよ?」
躯を捩って胸板にぐいぐい腕を伸ばしつつも睨むことも忘れていないが、大した効果はないようであり、愉快げに瞳を細められるだけだ。涙目が悪いのか。そうなのか。くそ。と、敵わない苛立ちをぶつぶつと吐いていると、顎に手を添えられて唇を塞がれてしまう。すぐに唇は離されたのだが、顔がさらに熱くなるのに時間はかからない。
真っ赤な顔を見られまいと素早く顔を逸らすのだが、軽く折り曲げた指先――爪がある方で熱を帯びる頬を何度か撫でられたのち、左耳に顔を寄せられる。またぴくりと躯が跳ねると、ふっと笑った気配がした。遅いと怪しまれるので、ここまでにしておきましょうか。そう囁いてオレから離れていき、ドアの向こうに消えていく。最初からそうしてくれると助かったんだけどもな!
柔らかな笑みを浮かべた顔はそれだけで心臓に悪いというのに、朝からそういうことなんて羞恥しか湧かないし、心臓にさらなる負荷がかかるだけだ。それを解っていても触れてくるんだから、意地悪すぎるぞ。
へたり込んだオレがブラウスシャツの上にパーカー、スラックスといういつものスタイルに着替え終わったのは、十分ほど経ってからである。
◆◆◆
オレと弟はそれぞれ母と父の連れ子であり、同い年の義理の兄弟になるのだが、性転換の能力が発現した日――いまから三年前になる高一の夏、つまりは十六歳の時に食われてしまいました。なんの面白味もない、そこら辺にいても埋没するであろう黒目黒髪低身長凡人男なのはよーく自覚していたから、そんな人間に対して欲情する者がいたのには驚いた。たとえ性別が変わろうとも、中身が中身なら魅力なんてこれっぽっちもないわけだしなと最速で結論を出していたので、抵抗なんてあまり出来ずに簡単にいただかれてしまったのだ。
――いや、より正確に言えば、行為の前に痛いほどに抱きしめられて「ずっと愛していました」なんて囁かれてしまえば、混乱するしかないだろう。は? え? なに? なんて言った? 誰が誰を愛してるって? となっていたところで手を出されたわけである。行為の最中は与えられる快感に酷く溺れていただけだったのだが、その後に確認すればするほど、オレは目の前の男から深すぎる愛情を向けられているようだと理解した。それこそ、身の丈に合わないほどの愛情を。お前は本当にオレでいいのかと何度も念を押したが、「誰よりも姉さんでなければ嫌です」「他の人間に興味はないです」と返ってくるばかりなのだから呆れてしまいましたよ。
強すぎる思いをそのままぶつけるかのように、その後も両親の目を盗んでは、弟の部屋に引き摺り、横抱き・小脇に抱えられ、果ては肩に担がれて連れ込まれてしまうし、リビングのソファーやテーブル、玄関先を含めた玄関、風呂場であんなことやこんなことをしていたりする。……いやまあね、していたりというよりかは、されていたりが一番正しいけどね……。
弟――
オレの意思はどこかにいっているのが気に入らないが、主に押し倒されても退けない力のなさに起因しているのだからやるせない。いくら義理であっても兄弟だという罪悪感もあるし、兄弟で肌を重ねるという背徳・禁忌行為に躯が昂ってしまうという悪循環な背景もあるのだが。それらを断ち切るためのお断りは実力行使が待っている。即ち――お仕置きが目に見えているので、そのままというわけだ。
そんな情熱的すぎる男に手を引かれるまま脱いだ寝巻きと下着一式を洗濯かごに入れたあと、リビングに顔を出せば朝食の時間である。ここまでべったり一緒の行動だと怪しまれそうなものだが、母さんに「仲良いのねえ」とほんわかと言われただけで、他になにかを言われたことがない。実は爛れた関係などもう知っていたあとであり、朝食後の話がそういうことなのかなんなのか解らないいま、もやもやを胸に抱えながら黙々と箸を進めていた。兄弟で肌を重ねる行為はドン引かれるだろうことは解っているのだから。
合わせ味噌の味噌汁を啜りながら対面に座る秋匡――匡くんを見ると、にこにこ顔のままだ。いつも思うが、なぜそこまで機嫌がよいのか謎である。まあね、好きな人と一緒にいられるのは嬉しいという気持ちは解らないでもないが、いつでもにこにこは無理なんだよなあ。オレには出来ません。ついでに言えば、オレは右利きで、匡くんは両利きだ。曰く、食事時は左を使っているが、書くことやデバイスの操作は気分によって変えているらしい。食事時左は、オレが隣に並ぶことを想定してのことのようだ。なんで隣に並ぶこと前提なのかね。思考回路は大丈夫か? いや、大丈夫だったならしっかりと理性がものを言って、兄に手は出さないだろうな、うん。
だし巻き玉子を飲み込んだ後、最後に残った味噌汁、お茶の順に喉に流し込んで、「ごちそうさま」と空になった食器を纏めてシンクに運ぶ。オレが食べ終わる少し前に完食していた匡くんが後をついてくるが、痛いほどに熱い視線をびしびしと感じる。短時間であっても背中から全身にぶっ刺さるように感じるのは、それだけ視線が強すぎるということだ。
「言っておくけどな、オレを眺めてもなにも出ないからな」
「ぴょこぴょこ動く姿がかわいらしいなと思いまして」
「ぴょこぴょこ動いてないし、かわいくもない!」
上から物が見えている分、ぴょこぴょこ動いているように見えるだけだから! そう声を上げると、シンクの縁に手をやってオレを挟みつつ、「姉さんはいつでも愛らしいですよ」と囁いてくる。
「~~~~っ」
よすぎる声で囁くな! そう叫びそうになった唇が塞がれるのはなぜか。正解は「大きな声を出すと気づかれますよ?」だ。
「誰の所為か考えてくれない?」
「その内に考えましょう」
やっぱりコイツには勝てそうにもないなあと脱力感に襲われたあと、なんとあっさりと解放される。いつもはもう少しねちっこいというのに、こうもあっさりだと怪しすぎるんですが。後から大変なのはオレの方なので、愉しげにくすくす笑う匡くんを見上げてみる。本当、十センチ以上はあるこの身長差はどうにかならないものか。睨んでやっても、威嚇にもなってないようだしなあ……。
くすくす笑ったままの匡くんに怪しいところは見えない。ということは、ただ気まぐれに解放しただけなんだろうな。オレではこういう時になにを考えているのか到底解らないから、これ以上の探りは時間の無駄でしかないわけだ。はー、なんでそう勝手気ままなんでしょうかね。振り回される身にもなってくれないかな、本当に。けっと投げやりに吐き捨てると同時に、離れ様にぽんぽんと頭を撫でられてしまうのだが、そういうことがさりげなく出来るのがイケメンの性だろうか。いや、イケメンの性がどういうものなのかは知らないけども。
匡くんの後に続いて席に戻ると、爆弾が落とされた。聞き間違えでなければ、我が家が多額の負債を被るかもしれないということであるが、なにがどうなっているのやら。てっきり爛れた関係を問い質されるのかと思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。安心感を覚えてしまったあとで、いや待て、これはこれで大変じゃないかと考え直したあとである。
「え、ごめん。もう一回言ってくれない?」
「ツケが溜まりすぎているのよ」
「度を越した宵越しの金を持たない主義はやめていただけないでしょうか?」
いまさら言ってもなにもかも遅いけどな。
母さん曰く、親族に宵越しの金を持たない野郎がいて、ソイツがツケを溜めに溜めたようだ。しかもそういう店で。自分の給料を好きに使うのはいいけれども、足りない分をツケにするなよ。そして金がないなら行くな。父さん曰く、同じような人間がいて、これまたツケを溜めに溜めたらしい。こちらはダンジョンに潜るための武器と防具、数々の薬品の代金のようだ。
ダンジョンのお宝で一攫千金も夢ではないようだが、ダンジョン探索だって楽ではない。なにせ、なにがあるのか解らない――要は、なんでもありなのがダンジョンだ。新人冒険者は講習がつきものであり、そこでいろいろ習うにせよ、自分自身の命がかかっているというのが一番前提にある。いいものをというのは解るが、いきなりよいものを使いこなせるわけもないだろう。鍛練は大事です。鍛練もせずにおっさんはどうする気なんだか。
両親の親はどちらも亡くなっているようだが、兄弟や親戚はいる。けれども、その人たちには小さな子がいたり、子育ての真っ最中だったり、生活が逼迫していたりと返せない理由があったり、連絡が取れない人もいるようなので、今回家に話がきたらしい。合わせると一千万ちょいになる計算のようだ。というよりもだな、家にだって家の事情があるのだから、店も溜めに溜める前に知らせろよ。アホなのか。
「私たちも一昨日に知らせられてね……。分割でいけることになったんだけど、まずは百万返すことになったのよ」
「あ、うん。それは大変だ。返済はいつまで?」
「明後日」
即座に返ってきた言葉に対して、嘘だろマジか時間がなさすぎぃ! という心からの叫びが「にゃー!!?」という変な声に変換されてしまったが、オレは猫ではない。どうやら人間慌てすぎると言語がおかしくなるようだ。だから頭を撫でてくるな。顎を撫でてもなにも出ないから! というか、ちょっと変な声が出そうだからやめて!
湧き上がった羞恥ごと匡くんの手を「もうっ」とべちりと叩き落とすと、「そうだ! 本人たちはどこだよ!?」といまさら気がついた事柄が口からするりと滑り落ちた。目を逸らしたふたりは言いにくそうに、それでも「ダンジョンに籠ってます」と口を開く。なるほど。どうやらそういう用途で武器やらを用意したようだ。
「あー……、逃げたのか。逃げやがったのか。恨むぞおっさんたちよお……」
「そのね、ほら、風俗店は解らないけど、他のお店は私たちも利用するかもしれないじゃない? ねっ?」
「今回だけなんだよな?」
「もちろん! これ以上の尻拭いはしないとちゃんと確約してあるのよ。パンドラの人に立ち会ってもらって書面にも残してもらっているから、問題はないわ」
「なら大丈夫か」
第三者が入っているのなら言った言わないの争いにはならないし、毎回毎回尻拭いという最悪の出来事にもならない可能性が高いだろう。ならまだ我慢が出来る。でも明後日までに百万かあ……。貯金はあっても、それは学費とか光熱費や食費を含めた生活費、医療費、臨時なことに備えての蓄えなわけだし、ましてや気軽に出せる金額ではない。しかし、時間がないぞ問題がある。どうにかしようにも、時間ばかりはどうにもならない。
「コロシアムはどうですか?」
「は? コロシアム?」
「――これです。ネットワークの海原でなにか当てはないかと探っていたところで、偶然見つけたんですよ」
匡くんのデバイスから浮かぶ半透明の立体表示画面――ホログラムモニターと言うべきか、メニューウィンドウと言うべきか悩むが――には白背景に黒文字で『挑戦者求む。勝てば千金』と書かれている。たった数文字、それだけしか書かれていないので怪しさ満載だが、貯金を死守する術をいまから探すのは、それこそ時間がもったいないであろう。
「コンタクトを取るのと、躯を張るのは私に任せてください」
「なに言ってんだよ! オレだってやれるだけのことはやるっての!」
「姉さんに危ないことはさせたくないので、却下です」
「なんでだよ! オレだって危険なことはさせたくないってば!」
同じ気持ちなのにどうして解らないのか。どうして自分だけ危ない橋を渡ろうとするのか。一緒に渡ろうとするのに、どこにいけないことがあるのか。湧き上がる苛立ちをぶつけるようにキッと睨むと、ひょいと抱えあげられ、匡くんの膝の上に下ろされる。慣れてしまった向かい合わせという格好に『やっぱり綺麗な顔だなあ』とか『あ、眼鏡越しでも睫毛が長いのが解るわあ』になるのではなく、親の前でなにをする気なのかという戸惑いが瞬時に生まれてひぇぇっと小さくなっていると、ぎゅうぎゅうに抱きしめてきた。
「その気持ちだけで十分すぎますよ。姉さんが怪我を負うところは見たくないんです。私のわがままだと思ってもらっても構いません。どうかお願いですから、私に任せてくださいませんか?」
そこまで言われてしまえば折れるしかない。というよりかは、折れる以外の選択肢がない。しかし、不満は残ったままなので渋面を作って「解った」と頷いた。「オレも匡くんが怪我を負う姿は見たくないからな。きちんと覚えておくように」と言うのを忘れずに。
「無傷での勝利を約束します」
「ならいい。危なくなったら棄権しろよ?」
「はい。コンタクトは早めにしておくので、大学の帰りに様子を見に行きましょう」
「えぇ……、今日の今日でいけるのかそれは?」
「時間がありませんからね。なんとかいくようにするので、心配しないでください」
まあ、匡くんが言うなら大丈夫かな? と、今度は安心感を覚えながら「解った」と頷く。「任されました」と頬を擦り寄せてくる勢いのままに唇を塞がれそうになったので、「ストップ!」と慌てて口を押さえた。でなければ、そのまま唇が啄まれていただろう。
「む?」
「むじゃない。なにさらっとキスしようとしてるんだよ。親の前だよ、解ってるのか?」
こそこそ小声で注意すると、それがなにか問題でも? と言いたげな視線をぶつけられる。なんでそこで不思議そうな声ではなく、不満たらたらの声になるんだ。それにな、なにか問題でも? じゃないんだよ。親の前でそういうことはダメだっての。隠してきた意味がないだろうが。
本当に解ってるのかコイツはと半ば呆れていると、ぬるりとした感触があった。――口を塞いだ手のひらに。
「ぶぁっ!? 手のひら舐めた!!?」
「姉さんの手のひらはおいしいですね」
「おいしくないから!」
ああああー! なにするんだ! にこにこ笑いやがってよお! と舐められた手のひらを慌ててティッシュで拭くと、「もっと食べたいです」と言いやがった。テーブルにティッシュ箱が置いてあったことはよかったが、よくない案件に乗り上げかけている。これは不味いと、「食べさせない!」と断固拒否の姿勢は崩さずに、てりゃてりゃと何度も肘鉄を食らわしてやった。途中でやんわりと腕を掴まれたのだが、ちゃんと労力には見合っている。
「痛いですよ」
「大して痛くもないくせに、なに言ってんだ」
なんとか意識をずらし終わったところで、「オレは準備してくるから、匡くんも準備しろよ?」と、膝から降りて自室へと向かうことにした。どちらも二コマ目からだが、準備はしておくに限る。
リビングのドアを閉める時、匡くんがこちらを向きながら喉で笑ったような気がしたのだが、気のせいだと思いたい。気のせいでなかったなら、『喧嘩売ってんのか、お前』となるがいいんだな?
まあ、喧嘩になったところで、負けるのはオレの方なんですけどね!
……とは言っていても、言い合いから殴りあいの喧嘩に発展したことは一度もないんだよなあ。殴りあいになる前に、『言って解らないようなら、躯に解らせた方が早いですね』で押し倒してくるんだもんなあ。愉快げに目を細めながらな。自分で言うのもなんだが、オレの躯に解らせるのなんて一回でも十分すぎるほどなのに、朝まで哭かされるのはどういうことなんだ。
あれ? 殴りあいのが数倍もマシじゃないのかこれ……。
衝撃的な事実に愕然となったが、悔し涙は流してませんよ。流していないったら流していない。あとで文句のひとつでも言ってやろうかと思っただけだから!
本当のことだから!
本当ですかね、それと愉快そうに小さく笑う匡くんを幻視したのは、オレの焦りが生んだものなのかなんなのか、誰か教えてくれないか。