——小町ちゃんが先輩のことを大好きなのはわかる。なんとなく。
——なんとなく、ですか。
——うん。小町ちゃんが先輩を好きになった理由は予想できるの。わたしだって先輩のこと襲っちゃうくらい大好きなんだし。
——……でも、小町ちゃんの気持ちを理解はしてあげられない。ごめんね。
——わかるのに、理解はしてくれない……ですか?
——同情って言えばいいのかな。わたしが小町ちゃんの気持ちを理解しちゃったら、『小町ちゃんの想いこそが先輩に届くべきなんだ』って思って、たぶんわたしは先輩から離れてしまう。
——だからわたしは、小町ちゃんの気持ちをそもそも考えない。
——お兄ちゃんのことを好きな小町が間違ってるって、言わないんですね。
——そんなの言える訳ないよ。先輩のことを好きになっちゃったわたしが、小町ちゃんの気持ちを間違ってるなんて。
——……そう、ですか。
——それにさ。わたしと小町ちゃんの気持ち。どっちが間違ってるのか比べるなら、
——小町ちゃんは事故で失いかけた「お兄ちゃん」という存在の大切さに気づいて、絶対に失いたくないと思った。それが家族愛から恋愛になったものでも、事実で真実なんだから、間違っている筈がない。
——でもわたしは。……先輩の大切なものを奪った張本人で、しかも先輩に対する気持ち自体が間違ってるわたしの方が消えてしまうべき。自分でもそう思うよ。
——それでも、お兄ちゃんのことが好き……。
——うん。
——……それじゃあ、事故がなかったら。
——?
——いろはさんは、お兄ちゃんのことを好きにはならなかったんですか?
——わかんないよ。
——事故が無かったら。わたしは先輩じゃない誰かを好きになって、それで彼女になったり、失恋とかしてたのかもしれない。
——その方が幸せな生き方って思ってるのかもしれない。
——でも、今みたいに何がなんでもその人の恋人になろうなんてしなかったんじゃないかな。
——わたしも、変わったから。
——それなら小町は、お兄ちゃんのどこに恋をしたんでしょうか。
——どういうこと?
——お兄ちゃんが目覚めたら告白しようって決めてたんです。
——でも、喋ってるお兄ちゃんの顔を見たら急に気持ちが萎んじゃって。……小町に勇気が無いだけ、なのかもですけど。
——小町はお兄ちゃんのことが好きなんです。でも、その先に進みたいのか、失恋で片付けてしまっていいのか。それがわからないんです。
——小町は、小町の気持ちをちゃんとしたい。小町はお兄ちゃんのどこを好きになったのか。それをはっきり言えるようになりたい。
——もしも、お兄ちゃんが
——かっこいい人の寝顔にときめくのは普通じゃない? わたしだって先輩の寝顔を1×回はオカズにしてオナニーしたし。
——……なんで小町より気持ち悪い事してるのこの人……?
——んっん。……先輩が目覚めるまではずっとドキドキしっぱなしで、先輩が起きた途端に気持ちが落ち着いた、か。
——それってさ。
——きっと、心配してただけじゃないかなぁ。
——小町ちゃんは自分じゃ気づかなかったけど、不安に押しつぶされそうになっていた。
——恋心が萎んだんじゃない。先輩が目を覚まして、安心したんだよ。
——そう、なんですかね。
——断言はできないよ。今のは、わたしが「小町ちゃんはそうだったらいいな」って思っただけだし。
——……。
——本当に好きで、いてもたってもいられなくて、いざ告白しようとしても、足がすくんで一歩踏み出せない。
——断られるのが怖くないのに、結局その人に告白ができなかったって友達、わたしは知ってるから。
——……。
——何でか教えてあげようか?
——なん、で……理由があるん、ですか?
——うん。聞く?
——はい。
——その人が恋をした相手はね、小町ちゃんと同じ、自分の兄弟だったんだよ。
——小町と同じ……?
——血が近いからとか、そんな当たり前の理由じゃない。……その人は、関係が壊れることを恐れた。兄弟という関係が壊れるのを。
——告白してしまえば、今までの兄弟姉妹じゃいられなくなるから……?
——そう、ひらたく言えばそういうこと。……その人は、告白が失敗に終わった時に関係が壊れる事を恐れた。そうまでして伝えるべき想いなのかなって。
——……、
——そして、最後にもうひとつ。わたしが譲れない理由があるの。
——先輩には、2人以上を愛する余裕は無い。先輩のことが好きなわたし達が、先輩に向ける愛と同じものを、お互いに向けられないように。
——選ばれるのは、小町か、いろはさんだけ……。
——わたしも先輩1人だけを愛したい。だから、先輩の隣だけは譲れない。
——…………。
——ねえ小町ちゃん。
——…………はい。
——勝負しない? 先輩の隣を賭けて。
☆
「——で、その結果お前がここにいるわけか」
熱で思考がぼやけているとはいえ、聞けば聞くほど奇妙な話だった。
「小町の好きな人は一色」宣言はただの言い間違いで、その実、小町は俺に恋心を抱いていたのだとか。
「それとこれとは別ですよー。小町ちゃんは今別の勝負の罰ゲームで飲み物買いに行ってます。もちろん先輩の分も」
だが小町は、一色のしかけた勝負を受けなかった。
一色が小町に持ちかけたのは、俺をかけた、俺に恋をするものとしての勝負。
一色との対話によって俺への気持ちが恋心でないと気づいた小町は、あっさりと引き下がったのだ。
「でもわたしとしては意外でした。てっきり小町ちゃんは、先輩を守る為にわたしの誘いを受けると思っていたので」
「……お前に勝つ為じゃなくて俺を守る為、か」
「おや。トキメキました?」
「んな訳あるか。兄妹だぞ」
詭弁だ。というか、暴論だろう。
小町が俺を守る為、とこいつは言ったが、前提条件がそもそも間違っている。
今の一色の言葉は、小町がまだ俺の事を異性として見ている前提のもの。
一色自身の働きかけによってその前提が崩れた今となっては、その言葉もただの当てずっぽうでしかない。
わざとか。
「最初から引く気なんか無いくせに、小町に納得させて引き下がらせた。それこそ、お前が言った『自分よりこの人の方が相応しいんだ』って思わせる事で。……計算ずくだな」
誰かの代替役で済むような、スリルと承認欲求に溢れる柔らかな人生。
そんなものを一色は求めてはいない。
「わたし。先輩と一緒にいる為なら、何だってしますから」
その言葉には狂気が孕んでいる筈なのに、どこか安心してしまうのは、その笑みに慣れてしまったからなのか。
「……犯罪やったら別れるからな」
「……強制わいせつって犯罪行為じゃないですか?」
…………。
脳裏に蘇る、一色とのキス……——。
「あれは……無しだ」
あれを通報したら逆に俺が捕まってしまう。
小町にも勝って俺にも容赦ないって、こいつ無敵だろ……。
「あはは。それじゃあ先輩。目覚めのキス、します?」
「…………」
「なんでそこで心底嫌な顔が出来るんですか」
心底嫌だからである。
それに、小町の問題が解消されたところで、目の前にいるこいつとの関係が解決することにはならないからだ。むしろ悪化したまであるし。
「……昨日の敵は今日の友、って言うがな」
目覚めた俺の手に握られていた紙切れ。
メモ用紙らしき1枚には、手書きの文字でこう書かれていた。
『小町ちょっとドクペとルートビアを探してくるから、2人でごゆっくり!』
「…………」
明らかに面会時間内に戻る気がない、小町の書き残し。それを読んで俺はこう思った。
なんで一色(敵)側に付くのん?
せめて「お付き合いは許しません!」のスタンスでいてくれよ。あとその二択やめろ。
「ああもう……」
「兄想いの良い妹さんじゃないですか。わたしも
「小町と義兄弟の盃でも交わしたのかお前は」
いつの間にポジション取りしてんだこいつ。
小さく響いていた頭痛が、今になってひどくなったような気がした。
気晴らしになりはしないか、と窓の外を眺めてみれば、空はオレンジ色から紫色に染まりかけている。
小町が病室にやってきた時には既に夕方だったんだから、もう本格的に夜なのだろう。
『面会終了のお時間です——』
その後割とすぐに、面会終了のアナウンスが聞こえた。
「それじゃあ先輩。今日は失礼しますね」
荷物をまとめ、一色が立ち上がる。
「おう。それじゃあまたな」
病室の入り口に立って、ドアに手をかける一色。そこで彼女はこちらを振り返った。
「……いまさらですけど、恋人になってくれるとは思ってませんでした。ありがとうございます」
————。
俺に向かって頭を下げる一色の姿に、俺の頭が数秒、凍りついた。
「ん……ああ」
彼女が頭を上げると同時に返事をする……が、これではあまりにお粗末だ。
……俺は、駆け引きの上で断れば確実に負けると踏んだから、合理的に判断しただけだ。恋人になる事に何の覚悟も持っちゃいない。
……こいつの中身を知れば、嬉しい筈がないんだ。
だから、こうやって言葉を飾りつける。
「……綺麗で可愛い彼女と無条件で付き合えるんだぞ、断る訳がない」
今俺、どんな顔をしてるんだろうか。多分、顰めっ面でこんな悪質な科白を吐いてるんだろうな。
……。
と、思っていたんだけど。
俺の心理は、ふと目にした彼女への興味に奪われてしまった。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
あれ?
反応が一切無い。
意識の空白とも呼べるほんの短い期間、一色のすべての動作が途中で止まっていた。
呼吸、瞬き、身体の揺れ、四肢の動き、指の震えなど。全てがまっしろだ。
「……おーい……?」
なんか、一色が言葉を失っている。
驚き過ぎた人は表情を作ることを忘れる訳だが、今の一色はまさにそれだ。
「——はっ?」
彼女の目の前で何回か手を振ると、ようやく彼女は正気を取り戻した。
「……は、ぁ……」
一体どうしたのか。みるみるうちに顔を赤くして、頬に両手を掴むように当てて、一色はぼそっと呟いた。
「……やば。わたしの先輩まじで超かっこいい」
…………何を言ったのか全然わからん。
「は?」
「いえ、何でもないです。……また明日来ますね、先輩」
そう言って、彼女はほんの少し首を傾げて笑った。
……その笑顔は笑顔でありつつも哀しみを感じさせたものや、背筋が凍りそうなくらいにおぞましかった笑みとは違い、本当にどこか嬉しそうで。
……。
ああそうだ。『明るい』笑顔だった。
「あ、ああ。……またな」
不覚にもその笑顔にドキッとしつつ、俺は挨拶を返す。
その返事に一色はまたにこっ、と笑みを返して、病室のドアを閉めた。
…………。
「……はぁ」
気を抜いて、いや抜けて、起こしていたベッドを倒す。
……また一色が夢に出るかもしれん。だって今日ほぼ一色の事しか考えてないし。
きゅるる、と腹が鳴った。
「……ん」
けど時間が時間だし、もう少ししたら夕食の時間だからと、小町が置いていったらしい菓子に手を伸ばすのをやめる。
行く先を失った左手が、自然と頬を撫でる。——と。
「いや…………」
一瞬。
……いや気のせい、だと思う。いやさっき熱が上がった感触したし、今だってガンガン頭痛いし。
でも、念のためにもう一度。……っ?
「……いやいやまさかそんな」
念には念を押してさらにその上から押し潰し、ハンドサイズの鏡を手に取る。
もちろん、今の俺自身の状況を確認する為だ。いや認めたくないだけだろとかそういうことではなくて。
どうせあれでしょ?「熱あるー」って思ったら6度前半しかなくて保健室追い出されるやつ。
ていうか脳内でこれだけ元気なんだからどうせぬぼっとした顔でもしてんだろ誰がぬぼっとした人だよっしゃばっちこい。
「……いや、まじか」
比企谷八幡という存在を一括りにするなら「自分に可愛い女の子を信じない」だが、俺は今、自分自身の感情すらも信用できなくなっていた。
…………頬が熱い。
風邪ではなく、ここまで顔が紅潮する理由はただひとつ。
「…………」
多分、これは気のせいだ。
生理現象と言っても過言ではない、よくあるレベルの勘違い。
純然たる事実と過度な期待と限度を超えた妄想が見せる幻の類だ。
…………。
…………。
…………。
…………。
エアコンの風がほんと役に立たない。
本気になってどうすんだばーか。
これからこういうことは沢山ある筈なんだから、鍛えるつもりでやり過ごさないと。
「……あ、そうか」
気を紛らわそうとして、明日も一色が来るのかとか考えていると、気づいた。というか、思い出した。
明日は俺の誕生日。
これにて第1章、小町編終了であります。
本当はもっとみっちり描きたかった(小町とのエロ描写も考えた)んですけど、八幡と絡ませるには時間的、物理的、道理的、心理的とほぼ全ての状況における余裕が無いもので、結果として自己解決に近い形で収まってもらいました。
次回から新章突入! 新しいキャラが登場します。いろはすの恋がたきー。