桜月の自室で、輝男と桜月は向き合っている。
輝男は、桜月が使っている勉強机の椅子を動かして、その上に腰を下ろしている。
輝男の視線の先には、ベッドの上から体を起こす桜月の姿がある。
パジャマの上にはんてんを着ると、熱っぽくも沈痛な面持ちを見せる。
輝男の方を振り向かず、重くうな垂れると、ゆっくりと口を開く。
「昨日の朝、目を覚ますと、何だか体がだるく、熱っぽくなって……
朝ご飯を一口、食うのさえ億劫で……
しかも、昨日は日曜だったものだったから、急患センターにまで行って診察してもらったの……
そうしたら、かなり熱はあるけど、風邪だって言われて……
でも、とりあえず、二、三日は絶対安静が必要だと言われて、ずっと寝ていたわ……
私、昨日のパーティーには必ず、行くつもりだったけど、全然、具合が良くならなくて……
パーティーが始まった時刻になっても、何も口にできないくらいに熱と具合がひどくて……」
そこまで言うと、桜月は悔しそうに顔を歪めながら、言葉を詰まらせた。
パジャマとはんてんを重ね着してもわかるくらいに身を震わせている。
悲痛の極みに身を震わせる桜月を、輝男は黙って見つめる。
愛しい人を襲った非運を我が事として受け止めるかのように、重々しい表情を見せる。
すると、桜月は身を震わせながら、目元に涙をにじませていく。
「私……本当に、昨日のパーティーを楽しみにしていたの……
大好きな人と一緒に過ごすクリスマスの夜をどんなに楽しみにしていたか……
でも、風邪のせいで、せっかくの楽しみを自ら台無しにしてしまうなんて……
私……自分自身の情けなさに腹が立って……悲しいやら悔しいやら……
せっかく、輝男君が見舞いに来てくれたのに……
あなたの顔を見るのも正直、つら過ぎて……
輝男君の顔を見ると、パーティーに行けなかった悔しさを思い返して、胸が張り裂けそうになるの……」
病のせいで一人だけクリスマスパーティーに行けなかった悲しさ、悔しさに、声を震わせながら悲痛の念をつぶやく。
その声は徐々に涙声へと変わっていく。
事実、悲哀に歪む桜月の目元からは、涙がポロポロとこぼれて来る。
パーティーに行けなかった苦しみに泣き崩れる桜月を見て、輝男は沈痛な面持ちを黙らせる。
輝男と他の少女たちが楽しいひと時を過ごす中、病気のせいとはいえ、一人だけ疎外された苦痛を隠しきれない桜月を見て、かける言葉が中々、出て来ない。
しかし、今は、泣き続ける自分の顔を両手で覆う桜月を黙って見つめ、彼女がある程度、泣き止むのを待つだけである。
数分経った後、桜月のすすり泣きはある程度、収まってきた。
顔を覆っていた左右の手を下げると、目元ににじむ涙を指で拭い取ろうとする。
桜月の顔は、依然として悲哀に表情を曇らせ、高熱に赤らんでいる。
涙の乾かぬ桜月の顔を見つめていると、
「桜月……」
輝男は神妙な面持ちを見せながら桜月に呼びかける。
輝男の今の呼びかけに、桜月はようやく彼の方を向く。
桜月とまっすぐ顔を向き合わせると、輝男はすぐに話しかける。
「確かに、今回は残念なことになって、とても悔しい思いをしたけど……
来年でもその後でも、俺と一緒にクリスマスを過ごす機会ならいくらでもあるじゃないか」
何とか希望を持たせ、励まそうとする輝男に、桜月は黙って耳を傾ける。
「俺と一緒にクリスマスを過ごせなかった悔しさをずっと抱えるよりも……
俺や他の皆に、早くまた元気な姿を見せる方が、君にとってもっと大事なことじゃないのか?
俺はパーティーの時もその後も、ただ一人、来られなかった君のことをずっと心配していたんだ。
一体、どうしているんだろうか?
早く、君のところに顔を出すべきではないだろうか?
寝ても覚めて、ずっとそのことが頭から離れられなくて……
だから俺は、一日でも早く君の病気が治ることを願って、今日、ここにやって来たんだ」
輝男の今の言葉に、桜月は感極まったかのような面持ちを見せながら言葉を詰まらせる。
言葉を返す代わりに、身を震わすことで、自らの気持ちを示そうとする。
やがて、熱に浮かされたままの桜月の目元に、またも涙がにじみ出る。
しかし、その表情は、悲哀に歪むどころか、感極まったかのような嬉しさに満ちている。
「ありがとう……輝男君……そこまで私のことを心配してくれて……」
桜月は涙に声を詰まらせながらも、心からの感謝の気持ちを言って来る。
依然として高熱のせいで真っ赤になっているが、涙交じりの笑顔を輝男に見せる。
心からの謝意を見せる桜月に、輝男の方は照れているかのように顔を赤らめる。
恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、桜月をまっすぐに見つめる。
「当然じゃないか。だって、君は俺にとって…」
そう桜月に言葉を返そうとした刹那、横からわざとらしい咳払いが聞こえて来た。
別の何者かがすぐ傍にいるのに気付くと、輝男も桜月も、一瞬、恥じらいに顔を紅潮させる。
いい雰囲気に水を差された輝男は、すぐに横の方を振り向く。
振り向いた先には、ムッと厳しい表情で両腕を組んでいる私服姿の葵が立っていた。
「天江君、あなた、重病人相手に何をイチャついているの?」
葵は輝男をじろっとにらみ付けながら、鋭く問い詰めてくる。
輝男は気分を害する代わりに、突然、姿を見せた葵に、驚きと戸惑いの混ざった顔を見せる。
「ど、どうして、君がここに?」
「どうしてって……日向さんのお見舞いに決まってるじゃない」
葵が舌鋒鋭く輝男に言い返すと、彼女の後ろにいたもう一人の少女が顔を出してくる。
「桜月さん、体の具合は大丈夫ですか?」
「な、七海ちゃんまで……!」
同級生である葵だけでなく、可愛い後輩である七海までいることに、桜月はベッドの上で驚く。
葵、そして、七海がお見舞いでこの部屋にやって来たのを認めると、輝男は表情を和らげる。
「君たちまで来てくれるなんて、嬉しい限りだよ」
「天江君、私たちは当然のことをしたまでだから」
「私も葵さんも、昨日の夜から桜月さんのことをずっと心配してたんです」
「あなたに早く、元気になってもらわないと、私も百川さんも、それに先生たちもずっと心苦しい思いをするだけだから」
「ありがとう……。皆、私のことをそんなに心配してくれて……」
葵と七海が言葉をかけて来ると、桜月はまたも感極まったかのような面持ちを見せて言葉を返す。
身を震わせ、こぼれそうな涙を拭う桜月を認めると、
「とにかく、今は寝ていて下さい」
七海はすぐに桜月の前に歩み寄り、彼女を寝かそうとする。
七海にうながされ、桜月は再び寝床に伏す。
その横では、輝男と葵が向き合って何やら話をしている。
「後は私と百川さんに任せて、あなたは早く行って。バイトがあるんでしょ?」
「あ、あぁ……じゃあ、頼むよ」
葵にそう言葉を返すと、輝男はそのまま部屋を出ようとする。
すると、
「輝男君、今日はありがとう」
後ろから、桜月が嬉しそうな声で感謝の意を伝えて来る。
輝男が後ろを振り返ると、寝床に伏したまま、柔らかな笑顔を見せる桜月の姿を認めた。
「あぁ……。君こそ、早く元気になってね」
笑顔を見せながら言う輝男に、桜月は笑みを浮かべながらうなずく。
日向家の玄関から輝男が出て来る。
そのまま家を出ようとすると、すぐ目の前に一人の少女がいるのに気付いた。
彼女は、輝男と入れ違いで日向家に入ろうとしたところである。
「こ、小春! どうして!? もう、帰ったんじゃなかったのか!?」
輝男は驚きながら、目の前にいる小春に声をかける。
小春は、元から持っていた自分用のバッグと黒い大きめの買い物袋を手にしている。
「輝ちゃんも、意外と気が利かないんだから。
お見舞いに行くのなら、見舞いの品の一つや二つ、持っていってもいいのに。
輝ちゃんが手ぶらで行くもんだから、お義母様に頼まれて、アタシがわざわざ持ってきてあげたのよ」
「そ、そうか……悪かったな……」
輝男が気まずそうに言葉を返すと、小春はそのまま日向家に入ろうとする。
玄関のドアを開け、中に足を踏み入れようとすると、
「小春」
輝男が後ろから小春を呼び止めた。
小春がすぐに振り返ると、
「くれぐれも、桜月をいじめるなよ」
神妙な面持ちで小春にそう呼びかける。
輝男の今の呼びかけに、小春は屈託の無い笑顔を見せて、
「わかってるって」
率直な口調で輝男にそう言い返す。
そのまま家の中に入って行く小春の後ろ姿を、輝男はため息を交えながらも黙って見つめる。
彼の表情からは、憂いではなく、愛しさ、嬉しさがハッキリと認められる。
小春が家に入って行った頃、七海は桜月の自室で体温計を手にしていた。
「38度5分……やっぱり、まだまだ熱があるんですね」
「氷枕の方も、大分、ぬるくなったんじゃないの?」
「ううん……。さっき、家を出る時、お母さんが取り替えてくれたから」
深々と寝床に入ってる桜月と、真向かいで心配そうに見つめる葵、七海が言葉を交わす。
「とにかく、風邪薬と氷枕だけだと不十分かもしれない。
とりあえず、玉子酒でも作って元気をつけないと」
「じゃあ、私も手伝います」
「ありがとう、黒山さん、七海ちゃん。そこまで気を遣ってくれて」
桜月がベッドの上から感謝の言葉を二人にかける。
すると、部屋のドアが外から開かれた。
桜月たち三人がドアの方を振り向くと、小春が部屋の中に入って来た。
「こ、小春ちゃん! どうして……!?」
小春の予期せぬ来訪に、桜月が驚きの声を上げる。
葵と七海もまた、小春のまさかの来訪に驚きを隠せない。
しかし、小春は構わず、桜月のすぐ傍まで歩み寄る。
「もう……輝ちゃんが言ってくれなかったら、ずっと気付かずじまいだったんだから」
小春が桜月に向かってため息交じりに言葉をかけると、
「あなた、一体、何をしに来たの!?」
葵は小春を鋭くにらみながらたずねる。
昨晩のパーティーでの刺々しいやり取りを引きずっているのか、小春に対して嫌悪と敵意に似た感情をさらけ出す。
「何って、お見舞いしに来たに決まってんじゃん!
まさか、アタシがわざわざいじめるためだけに来たとでも思ってんの!?」
小春は葵を鋭くにらみ返しながら、鼻であしらうかのように鋭く言い返す。
しかし、すぐに桜月の方を向き直すと、彼女に向かって話しかける。
「早く、アンタが元気になってくれないと、輝ちゃん、ずっとアンタのことばかり心配してしまうんだから……
パーティーの時も、その後、アタシとヤりまくってた時も、頭の中、アンタのことでいっぱいだったんだよ!」
桜月のことを心配するかのような言葉をかけつつも、昨晩の“戦果”をサラッと言ってのける。
何気なく“戦果”を自慢する小春に、葵は表情を苦くさせ、七海は悲哀と悔しさが混じった顔を見せる。
そして、桜月は弱々しい苦笑いで小春に応じる。
「輝ちゃんもそうだけど……アタシだって気が気でないんだから……
病気のせいで、一緒にいたくても一緒にいられない悔しさ……
そのことを考えると、何故だか胸が痛くてしょうがないし……
もし、アタシが今のアンタと同じ状況に置かれたら、もう死んだ方がマシだって思うから……」
目の前の桜月だけをまっすぐに見つめながら、沈痛な面持ちで言葉をかける小春。
気が強く、ライバル、敵と認めた相手には、誰であろうと噛みつき、一見、他人のことなど端から配慮しない雰囲気を見せてはいるが、今、この状況においては、輝男を巡る一番のライバルである桜月に対して、人並み以上の思いやりを示そうとする。
嘘偽りのない真摯な調子で言ってくる小春に、桜月は弱々しい笑顔を赤らめる。
「小春ちゃん……
今年の夏休みに、初めて、あなたと出会った時、私の印象はとても最悪だった……
泊まってたホテルの浴場であなたを引っぱたいて、その後も、かなりケンカしちゃったけど……
……でも、本当のあなたは、そんな派手派手しい見た目とは違って、他人(ひと)に対してちゃんと思いやりを持てる、真面目で優しい人だったのね……」
感謝と申し訳無さが入り混じったような言葉を、桜月は小春に向かってかける。
桜月の脳裏には、夏休みに海水浴に行った時、自分を差し置いて浴場で輝男とセックスした小春を引っ叩き、彼女と激しく衝突した時の記憶が、克明によみがえっている。
今にして思えば恥ずかしいだけの過去を振り返りつつも、内に秘めたものを見抜いて話しかける桜月に、小春はついつい恥ずかしそうに顔を赤くする。
「そんなの……輝ちゃんのせいよ……
輝ちゃんと出会ってなかったら……アタシもこうはならなかったわよ……」
小春が思いっきり照れて顔を背けると、
「私だって同じよ。
輝男君と出会って、付き合ってなかったら……今の私は大分、違ってたかも……」
桜月は弱々しい笑みを小春に向けながら言葉を返す。
二人のやり取りを見ていた葵と七海は、いつの間にか神妙な面持ちを見せている。
特に葵は、今しがた小春に向けた刺々しさを今だけは引き下げている。
葵と七海が見つめる中、小春は買い物袋から何かを取り出す。
「とにかく、早く、アンタに元気になってもらいたいから、とびっきり効果抜群な薬を用意してやったんだから」
小春はそう言うと、袋の中から一リットルサイズのガラス瓶を桜月の前に見せ付けた。
ガラス瓶のラベルには、
“精力無限増大!! 中国原産 万年神帝”
と、仰々しい字面で品物の名前が記されている。
小春が持って来てくれた濃厚な特大精力剤に、桜月はもちろん、葵も七海も唖然としてしまう。
◇ ◇ ◇
薄暗くなった空が、とあるタワーマンションを見下ろす。
マンション一階にあるカフェ・ホーリーで、輝男がカウンターに立っている。
輝男は、カップを載せたソーサーを目の前の客に差し出す。
客はそれを受け取ると、カップに注がれたカフェラテを美味しそうに飲む。
「美味しい……体が芯まで温まりますわ」
静流は嬉しそうな笑みを浮かべながら輝男に言う。
「喜んでいただけて何よりだよ」
「本当に、毎日、来ていても絶対に飽きませんわ」
静流はそう言うと、そのままカフェラテを飲み干そうとする。
他にも二、三人、客がいるが、一人、また一人と会計を済ませて店を出た後も、静流はカウンター席に腰を下ろし続ける。
静流の他に客は誰もいないという状況下、輝男は桜月に向かって口を開く。
「昨日の夜は、パーティー会場を用意してくれてありがとう。
おかげで、楽しいひと時を過ごすことができたよ」
「そう言ってもらえると、私もとても嬉しいです」
「……ただ、君の望みをかなえてあげられなかったけどね……」
気まずそうに言いながら、頬をほんのりと赤らめる輝男。
すると、
「いいわね、輝男さん。皆さんと一緒にクリスマスパーティーをなさったんですってね?」
傍にいた真理が、柔らかな笑みを浮かべながら言葉をかける。
「はい……。でも、神楽さんをのけ者にしちゃって……」
輝男は気まずそうに言葉を返しながら、マスターの娘――すなわち、神楽に思いを馳せる。
輝男の今の言葉に、真理はいささかなりとも気分を害する様子を見せない。
「気にしないでいいのよ。あの娘は、今が一番、大事な時期なんだから。
あの娘も、輝男さんの今の気持ちはちゃんとわかってくれているわ」
気まずい気持ちを振り払うかのような優しい言葉をかける真理。
大学受験のただ中にある娘、そして、その娘のことを気にかけてくれる娘の後輩。
両方の気持ちを受け止めるかのような言葉を、輝男にかけているのだ。
すると、
「あの……輝男さん……」
静流が輝男の方をまっすぐに見つめながら、そっと言葉をかけて来た。
静流は、着ていたコートのポケットから一枚の封筒を取り出した。
手にした封筒を、そのまま輝男の前に差し出す。
輝男は封筒を受け取ると、中身を確認する。
封筒の中には、チケットらしきものが五枚も入っていた。
「これは?」
「うちのベスト・グループが経営しているスキーリゾートの一泊二日の宿泊券ですの。
もし、よろしかったら、輝男さんの方でお使い下さい」
「え? そう、ありがとう。喜んで使わせてもらうよ」
感謝の笑みを浮かべながら輝男が言うと、静流は何故か、スキーリゾートの宿泊チケットが入った封筒を輝男の手から取り返す。
まさかの静流の行為に、輝男は戸惑いの表情を見せる。
「な、何するんだよ? 静流さん」
戸惑いながら言って来る輝男を、静流はまっすぐに見つめる。
すがり付くようなまなざしを認めると、輝男は言葉を詰まらせる。
「もちろん、このチケットは輝男さんにあげます……
……ですが、その代わり……私のわがままを聞いていただけますか……?」
すがり付くかのようなまなざしを震わせながら、輝男に懇願する静流。
静流の今の懇願に、輝男は依然として言葉を詰まらせる。
より暗くなっていく空から、白い粉雪がチラチラと降り始めて来た……