カフェ・ホーリーのカウンターに輝男が立っている。
すると、
「すみません、これから休憩に入ります」
同じくカウンターに立つマスターの真理に向かって、そう言葉をかける。
真理から応諾を受けて、輝男はカウンターの奥に消える。
事務所兼休憩室の小部屋で、輝男は一人、椅子にもたれながらゆったりとしている。
すると、着ている上着の胸ポケットから振動音が鳴り出す。
胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、すぐに電話に出る。
「もしもし」
『あ――輝ちゃん、アタシ』
「何だ、小春か」
『何だはないでしょ? せっかく電話したのに』
電話の向こうから聞こえて来る小春の声に、輝男はため息を付く。
「お前、一体、何の用なんだ?」
『輝ちゃん、今、何している?』
「バイトだよ。それがどうかしたか?」
『バイトが終わったら、輝ちゃん家に行っていいかな?』
「どうして?」
輝男が電話の向こうの小春に訝しげにたずねる。
『実はうちのパパ、今日、仕事の都合でこっちに来てんだけど、ついでに輝ちゃんの家に行きたいって言ってるの』
「どうして、お前の親父さんが俺の家に?」
輝男は驚きと不安の入り混じった顔で、電話の向こうの小春にまたもたずねる。
『パパ、どうしても輝ちゃんに会いたいって言ってきかないんだよ。
どうやら、アタシと輝ちゃんの関係、パパにバレちゃったみたい』
電話の向こうから半ば戸惑い気味に言って来る小春に、驚きに満ちた顔を見せる輝男。
今の小春の言葉に、ただならぬ予感を覚えたのだ。
あの小春――更に言えば、大富 豪――の父親に、自分に会いたがっている……
普段から強気で、強引でさえあるあの兄妹の父親とはいかなる人物か?
名前も顔もわからぬ存在ではあるが、何故か一抹の不安を覚えずにいられなかった。
少なくとも、事が平穏無事にはいかないことだけはわかっているようだ。
◇ ◇ ◇
天江家の玄関ドアが開き、
「ただいま」
輝男が帰宅を告げながら玄関に足を踏み入れる。
すると、瑠奈が輝男の前に歩み寄る。
「もう、どこに行ってたの!?」
「それより、小春の親父さんは?」
「リビングでしびれを切らしてるわよ」
困惑しきった顔で瑠奈が言うと、輝男はそのままリビングへと向かう。
リビングのドアが外側から開かれ、輝男が中へと入って行く。
リビングでは、真純がテーブル越しに一組の男女と何やら話をしている。
真純の真向かいには、小春ともう一人、見たことがない背広の男が並んで座っていた。
歳にして四十代後半くらい――
黒と白が混ざり合った、短く刈り上げた頭髪――
小麦色の素肌に覆われた、角ばった厳つい容貌――
グレーの背広に包まれた、大柄で恰幅の良い体型――
小春の横に座る男を一瞥するなり、輝男は緊張した面持ちを見せる。
(もしかして、この人が……?)
厳格な容姿を視界にとらえると、内心、確信めいたつぶやきを発する。
すると、
「あら? 輝男さん、お帰りなさい」
真純が後ろを振り返り、帰宅してきた義息に挨拶する。
「た、ただいま」
輝男がややぎこちなく帰宅した旨を告げると、真純は再び正面の方を向き直す。
「お待たせ致しました。
ようやく、うちの義息(むすこ)がバイト先から帰って参りまして……」
テーブル越しに向き合う背広の男に向かって、真純が言葉をかける。
真純の横に輝男が着くと、
「お、お邪魔してます……」
小春は緊張しきった面持ちで腰を上げ、深々と一礼し、挨拶する。
いつもとはまったく違う恐縮しきった態度に、輝男は思わず唖然とする。
すると、
「君が、天江輝男君……だね?」
小春の横に座っている背広の男が、輝男を鋭く見据えながら呼びかける。
男の鋭いまなざしと呼びかけに、輝男は思わず恐縮してしまう。
「あ、はい……そうですが……。ところで、あなたは……?」
輝男が緊張しながらも言葉を返すと、
「私はこういう者だ」
男は背広の胸ポケットから一枚の名刺を取り出し、輝男の前に差し出す。
輝男が名刺を受け取ると、
BRラウンヅ株式会社 代表取締役社長 大富豪太郎――
上記の一文が克明に記されていた。
輝男は、受け取った名刺と小春の横に座っている大富豪太郎(おおとみ・ごうたろう)を交互に見る。
「BRラウンヅって、確か、首都圏で不動産事業を展開している大手企業の……」
「君、うちの会社のことをご存知かね?」
「え、えぇ……」
「そう……。私は、BRラウンヅの社長にして、こちらにいる大富小春の父親だ」
豪太郎は輝男と二、三、言葉を交わすと、横で縮こまっている小春に目を向ける。
落ち着き払った表情を見せる真純の横で、輝男はなおも緊張した面持ちで豪太郎と向き合う。
真向かいの豪太郎は、落ち着いた様子で腰を下ろしながら、輝男、真純と向き合う。
しかし、輝男は、ただ腰を下ろしているだけでも容易ならざる厳格な雰囲気を漂わす豪太郎に、内心、冷や汗を垂らさずにいられない。
そして、豪太郎と小春の父娘を交互に見る。
快活で気が強過ぎるくらいの小春と、常に厳格でい続ける豪太郎を見て、内心、妙に納得した気分になる。
小麦色の素肌に、気の強そうな容貌…と、肉親ならではの共通点がいくつも認められる。
そんな輝男の心境に構わず、豪太郎は話を切り出す。
「今回、仕事の関係でこちらに来た折、君が近くに住んでいるということで、迷惑を承知の上で、君の家に足を運んだ次第である」
「まさか……僕にわざわざ会うために、小春さんと一緒にご足労をしたとでも……?」
輝男がなおも緊張しながら言葉を返すと、豪太郎は輝男を鋭く見据える。
まっすぐに射貫くかのような鋭いまなざしに、輝男もつられて厳しい表情を見せる。
わずかの間の沈黙と対峙に、小春は不安そうに表情を曇らせ、真純は落ち着き払った表情を保つ。
間も無くして、固く閉ざされた豪太郎の唇が開く。
「実は、前々から、娘のことでどうしても君に会いたくてね……」
厳格な面持ちを崩さず、輝男に向かって話しかける。
豪太郎の今の言葉に、輝男は再び緊張の度合いを増す。
圧倒されまいと必死になる輝男を、小春は心配そうに黙って見つめる。
そんな小春に、父・豪太郎は目を向ける。
「うちの娘……小春は、見ての通りの美人で勉強もよくできる……
……が、少々、不品行なのが玉にきずだ……
しかし、去年の夏休みを境に、小春の身に少しずつ変化が起きたのだ」
「変化……と、言いますと?」
輝男が一言、そうたずねると、豪太郎は一瞬、深くうなずく。
「悪い輩との付き合いがめっきり減ったばかりではない
以前は、あんなに面倒くさがっていた部屋の掃除、整理整頓を自分でやるようになり……
しまいには、誰から頼まれたわけでもないのに、母親に代わって自分から進んでご飯を作ったりするようになった。
それも、一度や二度のことでは無い。
事あるごとに、自分から料理を作り、回数を重ねるにつれて味も美味しくなってきている」
愛娘の“変化”を言い連ねる父・豪太郎に、真純は嬉しそうに表情をほころばせ、輝男は思わず驚嘆する。
(まさか……!? あの小春がそんなことを……!?)
進んで手料理を作る小春など想像だにしていなかった輝男は、豪太郎の今の言葉に驚きを禁じ得ずにいた。
しかし、横にいる真純は、
「さすがですわ……。私も小春さんの美味しい手料理を食べてみたいです」
まるで当然のことの言わんばかりに、感心しきったかのような言葉を返す。
驚く輝男と感心する真純を前にして、豪太郎は再び、話を切り出す。
「正直、私も、小春があそこまで変わるとはまったく想像だにできなかった。
何故、そうなったのか、私にもまったく心当たりがなくて……
娘の方でも、中々、理由を言ってくれなくて……
しかし、しばらくした後、去年の夏休みに知り合った男の影響で、小春が変わり始めたことを突き止めたのだ」
豪太郎がそこまで言うと、輝男はギクッと驚きながら緊張した顔を見せる。
明らかに自分のことを言っていることに気づいたからだ。
緊張してはいるが、それでも、豪太郎、小春の父娘とまっすぐに向き合う。
「親である私でも如何ともしがたかった不品行を取り払わせ、望ましい方向に素行を改めさせてくれた天江輝男とはいかなる男か……?
私はそのことがどうしても知りたくて、今、こうして、君と顔を合わせている……」
厳しい表情でにらみながら、輝男に向けて言葉をかける豪太郎。
すると、真純が柔らかな笑みを見せながら、豪太郎に言葉をかける。
「大富さん、うちの義息(むすこ)と実際にお会いになって、どういう印象をお持ちになりましたか?」
真純からの今の問いかけに、豪太郎は顔色一つ変えず、一瞬、黙り込む。
間も無くして、緊張してはいるが神妙な面持ちを見せる輝男を見つめながら口を開く。
「見た目はいかにも真面目そうだが……それと同じくらいに、大変、腰が据わっている。
他の者なら、すぐに怖気付いて目をそらしてしまうが……
今、目の前にいる彼は、ずっと、私と小春をまっすぐに見ていた……
若干、緊張してはいるが、恐怖におののき、圧倒されるようなマネは一切、見せない……
心にやましさは何も無く、私を相手に決して臆しないことを見せ付けてやまない……
本当の意味での強さというものが見受けられるようだ。
私はこれまで、小春の友人や同級生らと何人も会ったが……
ヤツらなど、全員が束になっても、君一人にはかなうまい。
うちの愚息も含めてな……」
「大富さん、あなたからの今の称賛、余りにも過分に思われます……」
自分を称賛してくれるかのような言葉を言い連ねる豪太郎に、輝男は神妙な面持ちを崩さず、謙遜気味に言葉を返す。
豪太郎は輝男の今の言葉を聞くと、傍にあるカップを手に取り、飲みかけのコーヒーをグイッと飲み干す。
コーヒーを飲み干し、空になったカップをテーブルの上に戻すと、再び輝男と向き合う。
「小春は、君と出会い、何度も交流を重ねながら、自らをよい方向へと変えていく。
君自身は、うちの娘……小春のことをどう思っておるのかね?」
厳格な面持ちを崩すこと無く、鋭く見据えながら、肝心の問いをかける。
輝男はわずかでも揺るがない形相を豪太郎に見せると、すぐに口を開く。
「去年の夏休み、初めて、小春さんと会った時……
余りの不品行ぶりに、正直、いい印象を持てませんでした。
でも、その時、僕は彼女に言いました。
その不品行を改めてくれたら、君のことを好きになるかも……と。
その後も、僕と小春さんは何度も顔を合わせ、交流を重ねました。
交流を重ねる内に、小春さんは、派手派手しい見た目そのままの人ではなく、人並み、あるいは、それ以上に思いやりのある人なんだということを、事あるごとに感じました」
小春と初めて出会ってから今に至るまでの出来事の数々を思い出しながら、豪太郎に言い聞かせようとする。
文化祭に遊びに来た時、自ら進んで演劇のお姫様役を買って出たこと――
実母の七回忌の折、自分たちと一緒に墓参りをし、墓前で挨拶さえしたこと――
クリスマスの日、風邪で寝込んだ桜月のお見舞いに来てくれたこと――
少しずつではあるが、優しい一面を見せてくれるようになった小春を思い出す輝男だが、実際は、輝男が思っている以上に、小春は確実な変化を遂げていたのだ。
輝男の今の言葉を聞くと、豪太郎は輝男をまっすぐに見据えながら口を開く。
「小春は君のおかげで、顔が良くて勉強もできるだけでなく、人並み以上に気立てのいい娘になってきている……
君は、今後、小春とはどういう関係を持ちたいのかね?」
豪太郎からの今の問いに、輝男はグッと真剣に表情を切り替え、豪太郎と目を合わせる。
「僕も小春さんも、今後、お互い、どういう人生を歩むことになるか、まったく予想だにできません。
もしかしたら、何かのきっかけで一生、仲良く一緒にいられるかもしれませんし……
あるいは、お互い、別々の人生を歩むことになるのかもしれません……
……でも、今は、小春さんとは仲良く付き合っていきたいです……」
わずかでも揺るがない真剣な表情を見せながら、豪太郎、そして、彼の横にいる小春に言い聞かせようとする。
小春は輝男の今の言葉に、神妙な面持ちを見せる。
今、この瞬間だけでなく、今後の将来にも思いを巡らすかのような輝男の言葉を黙って聞き入る。
豪太郎は厳格な面持ちを崩さず、輝男の今の言葉を黙って聞き入る。
わずかな沈黙の後、輝男を鋭く見据えながら口を開く。
「輝男君……君にはまだわからんだろうが……
相手がどんなに立派な人柄の持ち主であろうと……
年頃の娘を持つ父親としては、可愛い娘に男ができると、心中、穏やかではいられんものなのだよ……」
おごそかな口調で、娘を持つ父親としての心情を言い聞かせようとする。
輝男は唇を固く閉ざし、豪太郎をまっすぐに見据えながら、彼の今の言葉に黙って耳を傾ける。
すると、
「……だが、今は、君は十分、信頼するに値する男だと認めて間違いあるまい」
厳しい表情はそのままに、輝男を許容するかのような言葉を続けて言う。
豪太郎の今の言葉に、輝男は思わず驚き、小春は安堵の表情を見せる。
「小春も君も、今後はどういう人生を歩むことになるかわからん。
……が、今は、仲良く交流を続けてくれたまえ。
普通、娘が男と付き合えば、悪い方に娘が変わってしまうものだが……
小春と君の関係に限って言えば、世の定説とはまったく真逆の方に進んでいる。
このまま関係を続ければ、もしかしたら、うちの娘は、他の誰にも負けない立派な人間性と知性、そして、美貌を兼ね合わせた稀有な人物になれるのかもしれん。
例え、そこまでいかなくても、小春はこれ以上は無い多幸感を得て、充実とした、意義のある人生の一幕を経験するかもしれん。
そのためにも、今後も娘と仲良くしてくれたまえ」
年頃の娘を持つ父親としては、極めて稀かもしれないが、愛娘の交際相手に向かって、強い信頼の念を言い聞かせ、愛娘を託すかのような言葉を迷わずかけてくれる。
豪太郎はそのまま、輝男に向かって深々と一礼する。
「わ、わかりました……って言うか……
まさか、あなたがそこまで言って下さるなんて……」
輝男は今の豪太郎の言葉を聞くと、恥ずかしいやら申し訳ないやらといった面持ちを見せ、半ば困惑気味に言い返す。
自分のことを認めてくれたのは嬉しいが、やはり、過分に思われる言葉をかけられて、ついつい恐縮してしまう。
そんな二人のやり取りを、真純はクスッと笑みをこぼしながら見つめる。
そして、豪太郎の横にいる小春は嬉しそうに顔をほころばせる。
正直、最愛の男と父の対面に大きな不安を募らせていたが、その不安も杞憂で終わったことが嬉しくてしょうがなかったのだ。
間も無くして、豪太郎は改めて輝男と向き合うも、何故か、深く、ため息を付く。
「どうなさったのですか?」
嘆息する豪太郎に、真純が訝しげにたずねる。
「しかし、君を見るにつれて、うちの息子の愚かさが際立ってきて仕方が無い」
あからさまに嘆息する豪太郎を見て、輝男はふと、脳裏に豪の姿を浮かばせる。
しかし、そのことはおくびにも出さず、黙って豪太郎と向き合う。
豪太郎を見ると、豪太郎と豪の顔が輝男の中で合致していく。
共に角ばった顔立ちをしており、気の強そうな容姿を見せている。
豪が四十代後半くらいになると、豪太郎みたいになるのではないか?
内心、納得したかのように感嘆としながら、豪太郎と向き合い続ける。
「うちの愚息は、君や小春と違って、ろくに勉強もしなければ、いつも遊びほうけて、親の顔に泥を塗ることだけに一生懸命になっておる……
先日も、バカげた家出をして、君や小春ばかりかベスト・グループの最上会長の令嬢にもトンだ迷惑をかけて……」
豪太郎は苦い顔を見せながら、息子である豪に対する心痛を言い連ねる。
父としては、今の輝男の堂々とした態度を見た後で、愚行を繰り返す息子の姿を思い返し、情けなさと憤りを覚えずにいられない。
すると、
「でも、あの時、豪君が一肌脱いだおかげで、静流さんは一番の窮地を救われたんです。
どうか、彼を許してあげて下さい」
輝男はすかさず、豪を弁護する言葉を当の父親にかける。
強いられた政略結婚から逃げ出した静流を救おうと意気込む豪の姿を思い返し、あの時の彼の熱意を父親に訴えようとする。
しかし、豪太郎は、輝男の今の言葉にまたも表情を厳しくさせる。
「あんな愚息などどうでもいい。
それよりも、君と小春の関係の方が、私にとってははるかに大事なことだ。
父親として、わざわざ君に会いに来たことを無駄にさせんでくれたまえ」
自分の息子を突き放したばかりか、愛娘の交際相手に強く念を押すかのような言葉をかける。
鋭く見据えながら言って来る豪太郎に、
「は、はい……」
輝男は半ば恐縮しながら、一言、そう言葉を返す。
(大富のヤツ、当分は許してもらえそうにないな……)
豪太郎の今の言葉を聞くと、輝男は内心、深く嘆息し、父親からの失望を真正面から受けている豪に対して、憐みすら覚えてしまう。
◇ ◇ ◇
輝男はリビングのソファーに深々ともたれながら、大きくため息を付く。
顔に疲労の色をにじませ、額に冷や汗を垂らしている。
極度の緊張から解き放たれたかのように呆然とする輝男に、瑠奈がゆっくりと歩み寄る。
「もう、あのオジサンったら、あっさりお義兄ちゃんとアイツの付き合い許しちゃって……
“うちの娘と付き合うことは絶対に許さん、二度と顔を見せるな!”
……ぐらい言ってもいいのに」
輝男の傍で、不機嫌な顔を見せながら愚痴をこぼす瑠奈。
最愛の義兄と厄介なライバルが破局するどころか、逆に、ライバルの父親からお墨付きをもらったことが、正直、瑠奈には面白くないのだ。
「まぁ、瑠奈ったら、変なことを言うんじゃありません」
向こうのキッチンで夕食を作っていた真純が、後ろを振り返りながら瑠奈に言う。
輝男と小春の関係に釘を刺そうとする瑠奈に、苦言を言わずにはいられないのだ。
義母からの苦言に、瑠奈はムッと頬を膨らませる。
すると、輝男はソファーにもたれたまま、またも深くため息を付く。
「しかし、さっきは本当に大変だったよ……
あの親父さんに圧倒されまいと必死になったけど……
あそこまで神経をすり減らしたのは初めてだったよ……」
さっきまでの小春の父親との対面を思い出しながら、疲弊の念をつぶやく。
緊張しつつも、真剣な面持ちで大富 豪太郎と真正面から向き合っていたが、内心は極度のプレッシャーで神経が押し潰されそうになっていたのだ。
窮地は脱したものの、疲れ切っている輝男の表情からは、安堵の様子はまったく認められない。
すると、ジーンズのポケットから振動音が鳴り出した。
ポケットからスマートフォンを取り出すと、すぐに電話に出る。
「……え? ……何だって!? ……あぁ、わかったよ」
電話の向こうにいる相手に、ため息交じりに言葉をかける。
通話を切ってスマートフォンをしまうと、ソファーから腰を上げる。
「どうしたの? お義兄ちゃん」
傍にいる瑠奈がたずねると、
「義母さん、悪いけど、友達から急に呼ばれたから行って来るよ」
輝男は夕食の支度をしている真純に向かって、申し訳無さそうに用件を言う。
「あら、そうなの……。気を付けて行ってらっしゃい」
真純は夕食の支度をしている手を止め、振り返り様に義息に言葉をかける。
「え――? 夕飯はどうするの?」
「向こうで食べてくるよ、じゃあ」
輝男は瑠奈にそう言い返すと、一人、リビングを出て行く。
◇ ◇ ◇
中心街の歩道を、輝男と小春が並んで歩いている。
「……しかし、君も悪い娘だな……
てっきり、親父さんと一緒に帰ったのだとばかり思ってたのに……」
横にいる小春に向かって、呆れ果てながら言葉をかける。
「心配しないで。
パパには、前々から、友達と一緒にご飯を食べて、カラオケに行く予定があったから…って言っておいたから」
いささかのためらいも無い笑みを浮かべながら、小春が言葉を返す。
あの厳格な父親相手に嘘も同然のことを言ってのけた小春に、輝男は呆れ顔で嘆息する。
あの対面から一、二時間もかかっていないのに、今、こうして小春と二人きりでいることに戸惑いを隠せないでいる。
(こんなことがあの親父さんにバレたら、俺、マジで命が無いかも……)
ついさっきまで対峙していた豪太郎の厳格な姿を思い返しながら、内心、不安の念を吐く。
嘘をついての密会が何を意味するか、輝男はすぐに理解してしまう。
募る一方の輝男の苦悩など露知らず、小春は輝男の片手をギュッと握る。
柔らかな人肌の温もりを感じると、輝男はつい小春の方を振り向く。
「パパ、ホントに輝ちゃんのことを感心してたんだから……
アタシだけじゃなくて、豪兄のことも気にかけてくれて……
今どきの若い男で、あそこまで思いやりのある者はそうそういないって……」
小春はうつむきながらささやくように言葉をかける。
はにかみながら頬を赤らめる小春の姿が、輝男の目に否応なく映る。
感嘆したかのような面持ちで小春を見ていると、突然、小春が顔を上げた。
表情をすぐに切り替え、いつも見せるような快活な笑顔を輝男に見せる。
「もう、そんなことより、せっかくの機会なんだから、思いっきり楽しもうよ!
パパのお墨付きをもらった記念にね!」
小春はそう言いながら、輝男の腕をグイッと引っ張る。
父親からの容認を得た嬉しさを隠そうしない小春に、
「おい、小春、嬉しがるのはいいけど、あんまり時間は取れないぞ」
輝男は戸惑いながら言葉を返す。
「わかってるって。さぁ、早く、早く」
小春は輝男の腕を引っ張りながら、はしゃぐようにして言う。
輝男と小春は、そのまま二人きりのひと時を過ごそうとする……