二年A組の教室内で、三人の男子生徒が、机を合わせながら弁当を食べている。
辺りでは、他の生徒たちが同じように弁当を食べたり、仲間内で雑談を交わしたりしている。
教室内に掛かっている時計は、十二時五十五分を指している。
「今週、ずっと進路相談やってるけど、結構キツイよな―――」
「どうせ、理華先生とマンツーマンやるなら、もっとリラックスしたものでなきゃ……」
「……って言うか、もっとエッチなものでなきゃ……の間違いだろ?」
「小中、お前、ちゃんとわかってんじゃん」
河原と殿田、そして、小中高大――輝男のクラスメート三人は、そう言葉を交わすとドッと笑い出す。
笑いが収まると、殿田は真向かいで弁当を食べている小中に話しかける。
「ところで、お前は大学、どこに行くつもりだ?」
殿田がたずねると、小中はフフンと誇らしげに胸を張る。
「もちろん、東大に決まってんじゃん!」
わずかな揺るぎも無い調子で、自信満々に自らの希望を言う小中。
途端、真向かいの河原、殿田は一斉に噴き出した。
「お前、いくら何でも冗談が過ぎるぜ」
「いくら、毎回、テストで学年上位の成績を収めてるからと言って……
お前が東大に入るよりも、地球が滅ぶ方が先に来ちまうぞ」
河原と殿田が思いっきり呆れながら言い返すと、
「何だよ! お前ら、揃いも揃ってバカにしやがって!
俺だって、ちゃんと頑張れば、余裕で東大に入れるんだからな!」
小中はムッと表情を険しくさせ、クラスメート二人に怒りの声を返す。
しかし、河原と殿田は、今の小中の反発をハイハイと軽くあしらう。
すると、河原が、すぐ傍の席で昼食の弁当を食べている輝男の方を向く。
「おい、天江」
河原が呼びかけると、輝男は箸を持つ手を止め、小中たちの方を振り向く。
「お前、どこの大学に行くつもりだ?」
「まだ、考え中だよ」
引き続き、志望大学をたずねて来る河原に、素っ気ない返答をする。
「天江、もしかして、東大、狙ってるわけじゃないよな?」
小中が輝男にそうたずねると、
「さぁな……。俺だって、ちゃんと身の程はわかってるさ。
自分に見合ってる上に、将来に役立つところだったら、東大であろうがなかろうが関係ないよ」
曖昧な返答で、自らの進学希望先をぼやけようとする。
小中たちは、これ以上、深入りしようとせず、再び、三人で雑談に興じながら昼食を取る。
輝男もまた、何もなかったかのように昼食を再開する。
校舎屋上に、二人の男女生徒がいる。
網格子のフェンスに手をかけながら、向こうに見える広々とした光景を眺める。
フェンスの彼方には、学校校舎がある丘陵下の住宅街が小さく見える。
その住宅街のあちこちには、桜の木が点在して、花びらを散らしている。
「つい、この前まで寒かったのが嘘みたい……」
フェンスから手を放し、逆に背もたれしながら、桜月がつぶやく。
桜月の横では、フェンスに手をかけたままの輝男が、向こうに見える住宅街と桜の樹々を眺めている。
「もう、春なんだな……」
そうつぶやく輝男の表情は、辺りを覆う温かな空気に煽られて穏やかになっている。
「私たち、来月には三年生になるけど……クラス、一緒になれるかしら?」
桜月が雲一つない青空を見上げながら心配そうにつぶやくと、
「一緒になってもなれなくても、俺と君は今まで通りだから」
輝男は桜月と同じくフェンスに背もたれしながら、彼女に言葉を返す。
しばらくした後、二人は、屋上の壁際に背もたれしながら、横並びに腰を下ろしている。
「ところで、私、今日の放課後、先生と進路相談なんだけど……」
「進路相談か……。君はもう、行くところは決めてあるのか?」
「うん。まぁ、一応……。ただ、先生の反応が気になって……」
桜月はそう言うと、横にいる輝男の方を振り向く。
「天江君は?」
「俺も一応、今日、進路相談を受けることになってんだけど……」
桜月からの問いかけに、輝男はどこか曖昧な返答をする。
桜月は、輝男の今の返答に、これ以上、深く突っ込もうとしない。
すると、校舎の方からチャイムの音が小さく聞こえて来た。
昼休みの終わりを告げるチャイムの音を耳にすると、輝男と桜月は共に腰を上げて屋上を後にする。
◇ ◇ ◇
星々が遠くきらめく夜空が、タワーマンションを見下ろす。
マンション七階のとあるリビングで、輝男は制服姿のまま腰を下ろしている。
テーブルを挟んだ真向かいには、白のワイシャツに黒のひざ丈スカートといういで立ちの理華が座っている。
恐らく、学校で着ていたのとそのままの衣装で、輝男と向き合っている。
「理華さん……わざわざ、自宅で進路相談なんかしなくても……」
「何、言ってるの?
学校でやるより、ここでやった方が、十分、時間を取って相談できるじゃない」
理華はキッパリとした口調で輝男の戸惑いをはね付ける。
理華の今の言葉に、輝男は思わず深く嘆息する。
(理華さんのことだ……。絶対、進路相談だけで終わらせるはずがない……)
戸惑い、嘆息する形相の奥で、今、相対する担任の本性を見抜くかのような言葉を吐く。
すると、
「天江君、そんな嫌そうな顔をしてないで、もっと真剣になりなさい。
それと、今は、“理華さん”じゃなくて“先生”と呼びなさい」
戸惑いを隠せない輝男の顔を認めた理華が、すかさず苦言を呈する。
「は、はい。すみません、先生」
理華の今の苦言に、輝男はすぐに詫びの言葉をかける。
輝男の詫びの言葉を聞くと、理華は真剣な表情で輝男をまっすぐに見る。
「じゃあ、これから進路相談に入るけど……
天江君、あなた、もう、受験する大学は決めてあるの?」
「はい」
輝男は理華からの問いかけに即答すると、持っているカバンから三冊のパンフレットを出した。
それぞれの表紙には、いずれも“受験生の皆様へ”という一文が添えられている。
そして、その下には、
東京大学――
御学堂大学――
関東国立大学――
と、各々、大学名が大きく表記されている。
今、輝男が取り出したのは、三大学の受験ガイドである。
輝男は東大の受験パンフレットを理華に手渡す。
理華はパンフレットを一通り見ると、輝男をまっすぐに見る。
「天江君、東大を受けようとしてるの?」
「はい」
輝男の返答を聞くと表情を厳しくさせる。
「それは、あなたの意志なの?」
厳しい表情で鋭く見据えながら、輝男に念を押すようにたずねる。
理華の表情と今の問いかけに、輝男は真剣な表情を見せる。
「……実は、父から強く勧められまして……」
「お父様が?」
「父は東大を優秀な成績で卒業してまして……
息子である僕にも、必ず東大を受験し、受かり、入学して、絶対に卒業しろと強く言ってきてるんです。
もし、東大を受験して受からなければ……
東大に入る気が無いのなら……
学校に通っても意味が無いから、今すぐ学校をやめろとまで言うんです。
父に言わせれば、東大生、東大卒以外は小学校、中学もロクに行ってない社会のゴミと同じだって……」
沈痛な調子で言って来る輝男に、理華は厳しい表情を崩さない。
かつて自分が言われたことを、そのまま担任に言おうとする。
理華は黙って輝男の表情を見つめ続ける。
理華の目には、輝男の表情はわずかでも揺るぎないように見える。
冗談半分ではなく、真剣な気持ちでもって、東大受験を強要する父親のことを言っているようだ。
理華は、手渡された東大の受験パンフレットをテーブルの上に置くと、おもむろに口を開く。
「悪いけど……今のあなたの学力では、東大はかなり厳しいわ」
厳しく見つめながら、愛しい教え子に向かって言い聞かせようとする。
理華の今の言葉に、輝男は真剣な表情を苦くさせる。
想定してなかったと言うと嘘になるが、実際に言われるとわずかでも心を痛めずにいられない。
心痛を隠せない輝男に構わず、理華は話を続ける。
「あなたは確かに、毎回の定期考査では、学年では上から十番以内の成績をいつも収めている。
うちの学校も、他の学校と比べても偏差値や学力レベルは高い方に位置する。
……それでも、あなたが東大に入れるかと聞かれたら、ほぼ絶望的としか言いようがないわ。
あなたの学力では、東大に入れるのはまったく不可能と言うわけでもないけど……
もし、本気で東大受験に臨むというのなら、今まで以上に必死に努力し、勉強を積み重ねないと、まずは無理だわ」
如何ともしがたい現実を言い連ねながら、真正面に向き合う輝男の反応を見る。
目の前の輝男は、厳しい表情を苦くさせながらも、自分の方をまっすぐに見つめたまま離そうとしない。
理華が話し終えると、一呼吸、間を置いた後、輝男が重く閉ざした口元を開く。
「今のままでは絶望的なのは、自分も承知しています。
……でも、もし、挑戦できるとしたら、是非とも挑戦したいんです。
父が東大に入れたのなら、僕も東大受験に臨み……
可能なら、是非とも入ってみたいんです……!」
わずかでも揺るがない真剣な面持ちを見せながら、担任に向かって自分の気持ちを言って来る。
輝男の今の言葉に、理華は厳しい表情を見せながら、唇を固く閉ざす。
(輝男君……誰かから強制されたわけでもなく、自分の意思で言ってるんだわ……
例え、無理だとわかっていても、東大を出た父親に負けたくない気持ちが、彼にあんなことを……
……輝男君をここまでも追い込むお父さんって、一体、どんな人なの……?)
理華は内心、東大受験に臨む輝男の真剣な気持ちを認めると同時に、未だ一度も顔を合わせていない輝男の父親に思いを馳せる。
間も無くして、固く閉ざした唇を開く。
「あなたが本気なのはわかったわ。
……でも、あなたとて、東大一校に絞っているわけじゃ無いでしょ?
万一のことを考えて、他にもいくつかの志望先を考えているわけだし。
でなければ、浪人の憂き目に遭って、みじめな思いを強いられるだけだから」
「えぇ……わかってます」
輝男はそう言い返すと、二冊のパンフレットを理華の前に差し出す。
「東大以外の志望校として、関東国大と御学堂大学を考えているんですが…」
輝男が東大以外の志望先について言おうとすると、
「ダメ! 御学堂大学だけは絶対にダメ!!」
突然、理華は顔を真っ赤にして声を張り上げ、輝男の言葉を中途でさえぎる。
予期せぬ理華の咆哮に、輝男は驚き、唖然としてしまう。
「ど、どうして、御学堂大学はダメなんですか?」
唖然とし、戸惑いながら、輝男がたずねようとすると、
「それは…」
理華は顔を真っ赤にしたまま言葉を詰まらせる。
途端、理華の脳裏にある少女の姿が浮かび上がる。
(御学堂大学に入るとなると、“あの娘”も絶対に入るに決まってるわ……!)
紅潮した顔を苦くさせながら、内心、そうつぶやく理華。
理華の脳裏には、小春の姿が克明に浮かび上がる。
小春が御学堂大学附属高校に通っており、学年でも上位の成績を収めていることを、理華は十分に知っている。
万一の事態がすぐに頭をよぎるも、それを口に出すことがどうしてもできない。
言葉を詰まらせる担任を見ると、
「じゃあ、関東国大はどうですか?
東大以外の志望校として考えてはいるんですが」
さり気ない態度を装いながら、別の方へ話題を向けようとする。
輝男の今の言葉を聞くと、理華はすぐに表情を落ち着かせる。
そして、目の前に置かれた関東国大――関東国立大学の受験パンフレットを拾い上げ、目を通す。
「東大ほどではないけど、関東国大も難関校に間違いないわ。
ただ、いずれを選んでも、あなたが今まで以上に一生懸命、勉強に励まなければ、どの大学に受かることもかなわないわ」
「わかってます」
厳しい表情を見せながら言う理華に、輝男は真剣な表情で応じる。
「取り敢えず、今の時分で言えることは……
東大にせよ関東国大にせよ、いずれを志望することも決して無謀ではないけど……
必死になって勉強に取り組み、真剣に受験対策を取らなければ、状況はかなり厳しい……
…と、言ったところかしら……」
そこまで言うと、理華はようやく表情を和らげ、笑みを見せる。
「でも、天江君なら、きっと頑張ってやれるだろうから……一層、勉強に励みなさい」
柔らかな口調で励ましの言葉をかける理華に、輝男も表情を和らげる。
「ありがとうございます」
輝男は理華に向かって感謝の言葉をかけ、深々と一礼する。
すると、
(御学堂大学だけはダメって……理華さん、小春のことを……)
心の奥で、理華が声を上げて御学堂大学受験に反対した理由について思いを馳せる。
可愛い教え子を奪われかねない懸念に駆られた衝動を、輝男は容易に理解し、内心、嘆息する。
しかし理華は、輝男の内心の嘆息など知る由もなく、そのまま彼とまっすぐに向き合う。
「天江君、もう時間も遅いから、うちで食べてらっしゃい」
「え? でも……」
突然の申し出に、輝男は戸惑いの声を漏らす。
リビングに掛かっている時計の針は、七時を指している。
夕食をご馳走してあげる担任からの心遣いに、申し訳ない気持ちをさらけ出す。
しかし、理華は輝男のためらいを前にして、一歩も引く気配を見せない。
「お家の方には既に連絡し、了解を得てもらってるから」
抜かりなく言って来る理華に、輝男は観念したかのようにため息を付く。
テーブルに二人分のメニューが並んでいる。
輝男と理華は、テーブル越しに向き合いながら、箸を進める。
「どう? 美味しいかしら?」
「とても美味しいですよ」
「お家のご飯と比べて、どっちが美味しいかしら?」
「どっちも美味しいですよ。いずれも甲乙つけがたいです」
美味しそうに夕食のメニューを食べながら、言葉を交わす。
「先生……僕のために、ごちそうを用意してくれてますけど……
“イシテツ”…じゃなかった、石上先生にも、手作りのご飯を食べさせてますか?」
ごく自然に言葉をかけて来る輝男に、理華はおかずを口にしたまま顔を思いっきり赤らめる。
恥じらいに紅潮すると、思わずその場でむせてしまう。
「僕だけじゃなくて、石上先生にもごちそうをさせてあげないと……
でないと、不公平な気がして……」
「輝男君、大人をからかうものじゃありません」
言葉を続ける輝男に、理華はムッと顔をしかめながら苦言を言う。
それでも、頬の赤みを抑えることはできずにいる。
二人はそのまま、夕食を進めていく。
テーブルの上に並べられたメニューが無くなりかけた頃、輝男は再び言葉をかける。
「ところで、石上先生とはどうしてますか?」
肝心のことをたずねる輝男に、理華は今度は含み笑いを浮かべる。
「あなたが気にかけることは何も無いわ」
理華が顔色一つ変えずに曖昧な返答を言うと、
「その様子だと、今のところは上手くいってるみたいですね」
輝男はすかさず言葉を返す。
「さぁ、どうかしら……?
取り敢えずは、ご想像にお任せる……と言ったところね」
またも曖昧な言葉を返すと、理華は夕食を食べ終えようと箸を進ませる。
輝男もこれ以上は追及せず、夕食を食べ終えようとする。
内心、理華と石上の関係に思いを馳せつつも、おくびに出すまいとする。
少なくとも、憂慮を抱かねばならない要素は、今の理華からはまったく認められない。
テーブルの上に並べられた夕食のメニューは、すっかり片付いている。
夕食を終え、後片付けも済んだリビングで、輝男と理華が向き合っている。
「先生、ごちそうさまでした。夕食、とても美味しかったです」
輝男はにこやかな表情で言葉をかける。
「じゃあ、僕、この辺で失礼します」
そう言って輝男がリビングを出ようとすると、
「待って」
後ろから制止を呼びかける声が聞こえてきた。
輝男が後ろを振り返ると、理華が両腕を組みながらため息を付く。
「輝男君、夕飯をごちそうになって、まさか、そのまま帰るわけじゃないわよね……」
まっすぐに見据えながら言って来る理華に、輝男は一瞬、苦い顔を見せる。
「まさか……って言うか、やっぱり……」
何かを察し、困惑したかのように輝男。
彼と向き合う理華は、ほんのりと頬を赤らめながら笑みを見せる。
「こうして、先生の家にお邪魔しに来たのが何を意味するか……
輝男君、わからないはずが無いでしょ?」
笑みを絶やさずに迫りながら、理華が言葉をかける。
「でも、それは……
学校が終わったら、先生の家で特別に進路相談をするから来なさいって……
先生自身が言ったことじゃ…」
困惑した調子で言い返そうとする輝男だが、すぐに理華のキスが彼の抗議をさえぎった。
柔らかな唇の感触に、輝男は顔を赤らめ、驚きの表情を見せる。
間も無くして、理華はキスをやめ、改めて輝男と向き合う。
はにかみながら顔を赤らめる輝男に、理華は赤ら顔をほほ笑ませる。
「輝男君、期末考査が終わり、進級が確定した後も、引き続き勉強に励んでいるだろうけど……
一生懸命、受験勉強に取り組むのも大いに結構だけど……
朝から晩まで寝る間も惜しんで勉強漬けだと、正直、体がもたないわ。
合間合間で溜まったものを吐き出さないと、容易にできる勉強もまったくできなくなるわよ」
艶を帯びた声で、勉強の合間のリラックスを勧めるかのような言葉が、理華の口から漏れる。
輝男は、理華の今の言葉に顔を赤らめ、言葉を詰まらせながら耳を傾ける。
決して理解できないことではないが、すんなりと受け入れられない気持ちを隠そうとしない。
「そんなこと言って……結局は、僕とエッチしたいだけじゃないですか……」
呆れ顔で輝男がため息を付くと、理華はまたも唇を重ねて来た。
反論をさえぎるかのようなキスに、輝男は顔を赤くしたまま身を固くする。
一瞬のキスの後、妖艶さを増した理華の笑みが、輝男を鋭くとらえる。
「輝男君……もう、私とはエッチしたくないわけ?」
「別にそんなつもりじゃないですよ……理華さん……」
言葉を交わす輝男と理華は、既に担任と教え子ではなく、愛欲を求め、淫欲に耽ろうとするオスとメスに我が身を切り替えている。