輝男と小春の春休み初日(1) ●
快晴の春空が、輝男たちの住むタワーマンションを見下ろす。
輝男の自室の窓からは、風に乗って舞う桜の花びらが見える。
しかし輝男は、窓の外ではなく、机上に目を向けている。
机上には、参考書とノート、そして、“東京大学入学試験問題集”と記された本が開かれたままだ。
輝男は、そのいずれにも目を向けず、ノートにペンを走らせることもしない。
輝男が実際に目を向けているのは、参考書の上に重ねられた雑誌のページである。
ページには、清楚な白のロングワンピースを着た同年代くらいの少女を写したグラビアが収められている。
長い黒髪に、色白の素肌、特徴的なクッキリとした目――
服を着ていてもわかる、細く引き締まった肢体――
そして、服の下から自己主張する大きな左右のふくらみ――
更にページをめくると、同じ少女が草むらの上で寝そべるグラビアが、見開きで載ってある。
輝男は、ページ内のグラビアと、手にしているスマートフォンのディスプレイを交互に見る。
ディスプレイには、幼い頃の輝男と一緒に笑顔で写真に収まる一人の幼い少女の姿が写っている。
黒いセミロングをし、クッキリとした目をした画像内の幼い少女と、グラビアの中の少女を何度も交互に見る。
途端、輝男の頭の中で、二人の少女の顔が合致していく。
(確かに似ている……。“いずちゃん”と泉梓……
まるで同一人物じゃないかと思うくらいに、似過ぎている……)
ディスプレイ内の画像に収められている幼なじみの少女と、雑誌のグラビアに収まっている泉梓(いずみ・あずさ)を交互に見ながら、内心、驚きの声を上げる。
グラビア内の泉梓は輝男と同じ十七歳くらい、片や画像内の幼い少女は七、八歳くらい。
体型だって、均整が取れ、細く引き締まった体付きをしている泉梓に対して、幼い少女は歳相応の小柄な体をしている。
年齢、体型で大きな開きはあるものの、顔だけ見ると、グラビア内の梓は画像の中の幼い少女が大きく成長した姿のように見える。
また、別の見方をすれば、画像の中の幼なじみの少女は、梓の幼少期のようにも見える。
視界に映る二人の少女の顔を見て、何とも言えない気分に陥っていると、
『輝男さん、入りますよ』
後ろの方から、ノックの音と共に呼びかける声が聞こえて来た。
輝男はすぐにハッと我に返ると、雑誌とスマートフォンをしまい、再びシャープペンを取る。
間も無くして、ドアが外から開かれ、真純が部屋に入って来る。
真純は、コーヒーを注がれたカップを盆に載せて、輝男のすぐ傍まで歩み寄る。
机上の端にコーヒーカップを置くと、問題集、参考書に目を通しながら、ペンを走らせる輝男の姿を認める。
真剣そのものといった輝男の表情を見ると、
「お勉強するのは結構ですけど、余り、無理しないでね」
柔和な笑みを浮かべながら言葉をかける。
「うん。ありがとう、義母さん」
輝男は言葉を返すと、カップを手に持ち、コーヒーを飲む。
コーヒーを飲みながらも勉強を続ける輝男を見て、真純は静かに去ろうとする。
真純が部屋を出た後も、輝男はそのまま、問題集、参考書に目を通し、ノートにペンを走らせる。
自ら“いずちゃん”と呼んだ幼なじみの少女と泉梓が心に引っかかるも、今は勉強に神経を集中させる。
リビングのテーブルに、まろやかなホワイトソースのかかったスパゲッティとコーンポタージュスープを盛った皿が三人分、並べられている。
輝男と制服姿の瑠奈、そして、真純は、テーブル越しに向き合いながら食事をしている。
リビングに掛かっている時計は十二時半を指している。
学校から帰ったばかりの瑠奈も加わって、義母子三人での昼食を取っている。
「部活も大変だろうと思うけど、春休みだからと言って、勉強を怠ったりしちゃダメですからね」
「もう、ママったら、お昼ご飯が不味くなるようなことを言わないでよ」
瑠奈は不機嫌に言葉を返すと、横で昼食を食べている輝男の方を振り向く。
「お義兄ちゃん、バイトは休みなの?」
「いや、バイトは終わりになったよ。
神楽さんがまたお店の手伝いをするようになったから、俺はクビだって……」
輝男は瑠奈に素っ気なく言い返すと、そのまま昼食を続ける。
「春休み、何かバイトでもしようかと思ったんだが……
中々、見つからないのなら、その分、勉強に打ち込まなければいけないけど」
食事をしながらもそう言葉を続ける輝男。
すると、輝男のジーンズのポケットから、振動音が小さく鳴り響いた。
輝男はポケットからスマートフォンを取り出すと、すぐに電話に出る。
昼食を進める手を止め、誰かと電話をする。
「……あぁ、わかった。今、お昼食べてるから、それが終わったら……。じゃあ」
そう言うと、輝男はスマートフォンの通話アイコンをタップして、電話を切った。
スマートフォンをしまうと、真純の方をまっすぐに見つめる。
「義母さん、悪いけど、お昼食べたら、友達のところに行って来るから」
「そう、気を付けてね」
用件を告げる義息に、真純はすんなりと応諾の返事を言う。
輝男と真純、そして瑠奈は、そのまま昼食を続け、最後まで完食していく。
◇ ◇ ◇
カフェ・ホーリーのカウンター席に、輝男は腰を下ろしている。
その横には、一人の少女が、美味しそうに飲み物を飲んでいる。
「あ――美味しい! 輝ちゃんと一緒に飲むコーラはとっても最高だわ」
グラスに並々と注がれたコーラを飲みながら、小春が嬉しそうに言う。
「そうか? ……って言うか、随分と大げさな……」
横で腰を下ろす輝男は、カップに注がれたコーヒーを飲みながら、素っ気なく言い返す。
「どうかしら? しばらくやってなかったから、出来が悪くなったんじゃないかと思って……」
カウンターを挟んで真向かいに立つエプロン姿の神楽が、やや心配げに言葉をかける。
「そんなことないですよ。十分、美味しいですよ」
輝男は神楽とまっすぐ向き合いながら、彼女に言葉を返す。
輝男の今の言葉に、神楽は安心したかのように柔らかな笑みを見せる。
すると、横から伸ばされた指が、輝男の腕を強くひねっていった。
腕から生じる痛みに、輝男はすぐに横を振り向く。
「何するんだよ!」
「もう、輝ちゃんったら、アタシだってちゃんといるんだからね!」
険しい表情で呼びかける輝男に、小春はムッと不機嫌な表情を見せながら言い返す。
神楽との会話に夢中になっている輝男に、ついつい嫉妬心でもわき上がったのだろう。
輝男は再び、正面へと向き直すと、飲みかけのコーヒーを飲み干そうとする。
小春は輝男の方を向きながら、彼に向かって口を開く。
「ねぇ、輝ちゃん、もしかして、アタシと一緒にいるのは嫌なの?
何だか、アタシと一緒なのに、余り嬉しくないみたいだし……」
「そんなつもりじゃないさ。
ただ、春休みになった途端、わざわざ俺に会いに行くのは想定内だというだけで……
お前と会うのが嫌なら、今、こうして一緒にいたりなんかしないよ」
不安げに言って来る小春に、輝男は平素の調子で言い返す。
そのまま飲みかけのコーラを飲み干すと、再び、自分の方から口を開く。
「ねぇ、輝ちゃん、東京に移り住む気は無い?」
正面を見据えながら、輝男にたずねようとする。
「今だったら、御学堂大附属高の転入試験に間に合うから」
小春がそう言葉を続けようとすると、
「ダメだな。俺、今、東京に移り住む気なんて全然、無いし……
第一、御学堂大附属に転入しなければならない正当な理由なんて無いから」
輝男は素っ気無く、拒絶の返答を言い放つ。
「え――そんなぁ……
輝ちゃんだったら、転入試験、余裕で受かるはずなのに……。それに…」
「俺が御学堂大附属に移ったら、毎日、いつでもイチャイチャベタベタできるから……なんだろ?」
残念がるかのように表情を曇らせる小春に、輝男は呆れ顔で冷淡な言葉を吐く。
そして、すぐに小春の方を振り向くと、
「正直な話、俺に会いにわざわざ遠出するのが面倒くさくなった。違うか?」
努めて感情を抑えながら、小春の秘めた思惑を探り、言い当てるかのような言葉を続ける。
輝男の今の言葉に、小春はギクッと言葉を詰まらせ、戸惑いと恥じらいの入り混じった顔を見せる。
顔を赤らめ、何も言い返せない小春を見ると、輝男は自ずと神妙な面持ちを見せる。
「小春……俺は別に、お前のことが嫌いになったわけじゃないが……
お前は、俺と一生、ずっとイチャイチャベタベタすることしか考えていないのか?
俺と一緒にいること以外は、将来や今後の人生については何も考えていないのか?」
わずかでも揺るがない真剣な調子で、小春にそう言い聞かせようとする。
「お前を見ていると、どうしてもそんなことを考えずにいられないんだ……
俺はこれから大学受験に本腰を入れなければならないし……
お前だって、今年や来年には、自分の将来について真剣に考えなければいけなくなってしまう……
一度きりの人生を無駄にしたくないためにも、自分はどうあるべきか……?
最近、ふと、そんなことを考えずにいられなくて……」
輝男がそう言葉を続けると、小春はゆっくりと顔を上げる。
彼女の表情からは、恥じらいと戸惑いの念は消え失せている。
目の前の輝男に負けないくらいに、真剣な面持ちと鋭いまなざしを見せる。
「輝ちゃんはわかんないだろうけど……
アタシだって、向こうにいる時は、ちゃんと将来のことはあれこれ考えてるよ……
でも、将来のことを考え、そのために色々と取り組もうとすれば……
考えられないくらいにプレッシャーに押しつぶされそうで……
そんなの嫌だから、こうして輝ちゃんに会いに来ているじゃない。
大好きな輝ちゃんと一緒にいることで、少しでも心の重荷を取り払い、自分自身を癒そうとしているんだから」
真剣な表情で輝男をまっすぐに見つめながら、愛する男に向かって言い聞かせる。
輝男は、目の前の小春の表情と彼女の口調から、今、自分に言い聞かせようとすることに嘘偽りがないことを否が応にも認める。
神妙な面持ちを崩さぬまま、輝男が何も言い返さないのを見ると、
「……輝ちゃんはどうなの?」
小春は輝男をまっすぐ見つめたまま、彼にそう問いかける。
一呼吸、間を置いた後、輝男はゆっくりと口を開く。
「……君とまったく同じだよ……」
小春をまっすぐ見つめながら、言葉少なく返答する。
すると、小春は再び、輝男に笑顔を見せる。
「もう、輝ちゃんったら、小難しいことを色々と言い並べてるけど……
結局は、アタシと思いっきりイチャつきたいんじゃない!
少しは素直になりなよ!」
嬉しそうに声を弾ませて言うと、輝男の肩を力一杯に叩く。
小春の今の行為に、輝男はヤレヤレと困惑した顔を見せる。
すると、二人の目の前に、二杯のカップが差し出された。
二杯のカップには、いずれもホットストレートティーが注がれている。
「天江君、小春さん……皆、一度は、そう言うことを経験するものよ。
誰でも、否が応に人生の岐路に差し掛かり、壁に突き当たってしまう……
要は、それを乗り越えることができるか、押し潰されて後ずさりするかのどちらかを選ぶか……ということだから」
カウンター越しにカップを差し出しながら、神楽が輝男と小春に言い聞かせようとする。
「今の天江君を見ていると、去年の私を思い出してしまうわ……
受験とその後の将来で深く悩み、自分を見失いかけた自分自身をね……」
「神楽さん……」
「でも、今は何とか乗り越えられたんだから、天江君たちだってきっと……」
神楽は、輝男と小春に向かってそう言葉をかけると、
「私が何度もプレッシャーに押しつぶされそうになった時、いつも天江君が癒してくれたから……
それが無かったら、今の私はどうなってたかわからなかったわ」
輝男をまっすぐに見つめ、柔らかな笑みを浮かべて言葉を続ける。
途端、輝男は頬を赤らめながら表情を苦くさせ、言葉を詰まらせる。
輝男の脳裏には、神楽と幾度も繰り広げたセックスが否応無しに浮かび上がる。
今、神楽がかけた言葉が意味することを、輝男は嫌でも理解せざるを得なかった。
すると、
「さぁ、難しい話はそれくらいにして、お茶でも飲んで。今回だけのサービスだから」
神楽は、自らが差し出したホットストレートティーを指し示しながら、輝男と小春に言う。
「ありがとう、いただきま――す」
小春は感謝の返事を言うと、すぐにホットストレートティーを飲む。
輝男もまた、小春の横でホットストレートティーを飲む。
やがて、輝男は、神楽が差し出したお茶を飲み干すと、
「先輩、ありがとうございます。先輩のおかげで少しは気持ちが楽になりました」
神楽に向かって表情を和らげ、感謝の言葉をかける。
輝男の今の言葉に、神楽は柔らかな笑みで応じる。
「天江君、もし、またプレッシャーで押し潰されそうになったら、いつでも来なさい。
今度は私は、天江君を癒してあげるから……」
「せ、先輩、こんなところでそんなことを言わないで下さいよ……」
思わず恥じらいと戸惑いをあらわにする輝男に、神楽はクスッと笑みをこぼす。
「天江君、受験、頑張ってね」
「はい」
輝男は表情を落ち着かせて、神楽の励ましの言葉に応じる。
すると、横から伸ばされた腕が、輝男の腕をグイッと引っ張る。
「輝ちゃん、もう用は済んだんだから、さぁ、行くよ」
小春は輝男の腕にしっかりと絡むと、彼をそのまま引っ張ろうとする。
「お、おい、待てよ! まだ、会計を済ませてないぞ!」
気持ちを急かす小春に、輝男は声を上げて制止しようとする。
そんな二人に、神楽はまたクスッと笑みをこぼす。
◇ ◇ ◇
カフェ・ホーリーを出た輝男と小春は、駅近くの大型ショッピングビルに向かった。
ビル内のゲームセンターでゲームやプリクラを楽しんだ後、ビル近くのカラオケボックスでカラオケに興じた。
もっとも、実際には、小春の熱唱による独り舞台の感が強かったが……
カラオケボックスを出た輝男と小春を、薄暗くなった空が見下ろす。
夕刻に差し掛かった時刻、輝男と小春は並んで道を歩く。
「どう、輝ちゃん。少しは勉強疲れが取れた」
「あぁ、おかげさまでな」
一言、二言、言葉を交わすと、そのまま歩を進める。
「こうして、君と二人きりで楽しいひと時を過ごすのも悪くないな……
親父さんや兄貴にもよろしくと言っておいてくれ」
輝男がそう言うと、小春は輝男を引っ張りながら、横道へと歩を進める。
「お、おい、どうしたんだ? そのまま帰るんじゃないのか?」
予期せぬ行動に出た小春に、輝男は戸惑いながら言葉をかける。
しかし、小春は構わず、裏通りへと前進を続ける。
「輝ちゃんったら、気が利かないんだから……
アタシがカフェやゲーセン、カラオケだけで満足するわけ無いでしょ?」
「何、言ってんだ? 他に何の用事があるって言うんだ?
そろそろ帰らないと、うちの人、心配しちゃうだろ」
不満足な言葉を吐く小春に、輝男は戸惑いの声を上げる。
しかし小春は、輝男の腕を引っ張ったまま離そうとしない。
間も無くして、小春の足が止まった。
二人の目の前には、三階建ての建物がそびえ立っている。
建物の正面入り口には、“Hotel LoveBest”と記されたプレートが備え付けられている。
「結局、それか……」
輝男は、ホテル・ラブベストの前に立ち尽くすと、呆れ顔でため息を付く。
「春休み初日に付き合ってくれたお礼に、アタシがおごってあげるから」
小春はそう言うと、輝男を引っ張りながらホテルの中へと入って行く。
輝男はヤレヤレと困惑した顔を見せながらも、小春共々、ラブホテルの中へと消えて行く……