明朝学園高校の正門を、制服姿の輝男が通り抜けていく。
正門を抜けて敷地内に入った途端、輝男はその場に立ち止まり、目の前にあるものを見る。
輝男の視線の先には、二台の大型バスが横並びに停まってある。
生徒玄関手前に停車している二台のバスを横目に見ながら、生徒玄関へと歩を進める。
(どうやら、本当らしいな……)
内心、そうつぶやくと、生徒玄関に入り、持っていたデイバッグから内履きを取り出す。
三学期を終えた翌々日にあたるこの日、輝男は学校の校舎内に足を踏み入れた。
本来であれば、今日、学校に来る用事など無いはずである。
しかし、輝男はそのまま、教室のある第一棟へと向かう。
手前の階段を上ろうとした輝男だったが、すぐに足を止めてしまう。
階段のすぐ手前に置かれたパイプ椅子の腰かけ部分に、
“映画撮影中につき、関係者以外は利用するべからず”
と、注意事項を手書きで記した札が置かれていた。
輝男は手前の階段を離れると、奥にあるもう一つの階段へと歩を進める。
奥の階段に差し掛かると、幸いと言うべきか、立ち入り禁止を告げる札等が置かれていない。
輝男はそのまま階段を上り、上階へと向かう。
二階に差し掛かると、自分と同じ制服姿の男女がごった返しているのに気付いた。
人ごみをかき分け、前へと進もうとする。
ようやくにして最前列に達すると、
「おい、早く、位置について!」
「何、もたもたしてんだ、バカ野郎!」
「照明、そこじゃねぇだろ!」
「一カメ、もうちょっと前に行け!」
一番向こうの教室の方から、怒号し、張り上がる声が絶えず響く。
輝男が見つめる先には、何人もの男たちがあわただしく教室を出たり入ったりしている。
彼らは皆、ライトやカメラ、その他機材を担ぎながら、せわしなく動き回っている。
「何だか、すごいピリピリしてるわね」
横から、臆するかのような少女のつぶやきが聞こえて来る。
輝男が振り返ると、自分と同じように教室を出入りする男たちを見ている桜月の姿を認めた。
「どうやら、映画の撮影スタッフらしいな」
桜月の方を振り向きながら声をかける輝男。
横から呼びかける声に、桜月はようやく輝男の方を振り向く。
「天江君、いつの間に」
「昨日の夜、君が電話をよこしてくれたおかげだよ」
「まさか、天江君が本当に来るなんて思わなかったわ」
「俺も、映画ロケの撮影なんて、中々、お目にかかる機会が無いからね」
輝男と桜月がそう言葉を交わすと、周りを取り巻く制服姿の男女――明朝学園高校の生徒たちが、一斉に歓声を上げ、どよめき出した。
「おい、泉梓だぜ!」
男子生徒の一人が、驚きながら声を上げる。
彼と輝男、そして桜月たちは、白のセーラー服にグレーのプリーツスカート、そして、紺のソックスといういで立ちをした一人の少女を注視する。
歳にして輝男たちと同い年くらい――
長い黒髪に、色白の素肌、特徴的なクッキリとした目――
服を着ていてもわかる、細く引き締まった肢体――
そして、服の下から自己主張する大きな左右のふくらみ――
同じ衣装を着た同世代くらいの男女数名に混じりながら教室へと向かう件の少女を、輝男は凝視する。
(間違い無い。泉梓だ……!)
輝男は、小中から見せられた画像、そして、昨日、勉強の合間に見たグラビア内の少女を思い出しながら、目の前を通り過ぎる泉梓を見る。
画像、グラビアの中の少女と、目の前の泉梓は、輝男の中ですぐに一致した。
驚きを隠せぬ輝男の傍で、
「いずみ―――ん!!」
「サイン頂戴!」
「応援してるよぉ―――!!」
彼女のファンと思しき何人かの男子生徒が、泉梓に向かって歓声を上げる。
しかし、梓は冷たく憮然とした表情を見せながら、輝男たちの方を振り返らず、そのまま教室へと入って行く。
「これから撮影が始まるらしいぞ」
「あそこって、確か、三年A組の教室だよね?」
「何とか近付けられないかなぁ」
輝男と桜月を取り巻く生徒たちは、目の前を通り過ぎた梓とすぐ近くで行なわれる映画の撮影のことでざわめき立つ。
一方、輝男の横に立つ桜月は、表情を曇らせながらため息を付く。
「さっきの泉梓……物凄い、感じ悪かったわ……」
「何で?」
「せっかくファンの子がエールを送っているのに、とても嫌そうな顔をして……
せめて、笑みを浮かべながら振り向くぐらいはしても良さそうなのに……」
「仕事で疲れてるか、たまたま虫の居所が悪かったのだろう……」
「悪いけど、私はそう思えないわ……
急に売れっ子になってテレビや映画に出ずっぱりになって、思いっきり天狗になっているのよ……」
桜月は輝男と言葉を交わしながら、表情を曇らせ、不快感を隠そうとしない。
輝男は桜月の今の言葉を聞くと、ヤレヤレとため息を付く。
すると、輝男たちの方へ、ジャンパーを着た三人の男たちがつかつかと近付いて来た。
彼らは皆、ガラの悪そうな風貌をし、汚物でも見るような目つきで、輝男たちを鋭くにらみ付ける。
「おい、このクソガキども! いつまでこんなところでうろついてるんだ、コラァッ!」
「ここは関係者以外、立ち入り禁止だって言ってんだろうが、おいッ!!」
男たちは声を荒げて、輝男たちに退去をうながそうとする。
すると、一人の男子生徒が、輝男と桜月をかき分けながら、男たちの前に歩み寄って来た。
「僕たちはこの学校の生徒でありますし、“いずみん”…じゃなかった、泉梓ちゃんの大ファンなんです!」
小中高大がいつになく真剣な面持ちで男たちに向かってそう訴える。
「僕たちは、梓ちゃんの名演技を直に見たくて、わざわざ足を運びに…」
と、小中が言葉を続けようとした刹那、男たちの一人が、小中の頭髪を引っ張り上げ、彼を険しくにらみ付ける。
「おい!
ふざけたことをグダグダ言ってると、ドラム缶でコンクリ詰めにして海の底に沈めるぞ、おらぁっ!」
男は小中をにらみ付けながら、腹の底から刺々しく怒号を上げる。
すると、輝男がすかさず小中と男の間に割って入り、小中を男の手から引き離す。
「確かに、僕たちの態度に問題があったのは認めますが、そこまで脅しをかける必要なんて無いじゃないんですか!?
僕たちは、素晴らしい映画の撮影をこの目で見たくて、足を運んだわけであって……
決して、あなた方の邪魔をするために来たわけじゃないんです!」
厳しい表情でジャンパー姿の男たちと向き合いながら、小中を庇い、行き過ぎた脅しをとがめようとする輝男。
すると、別の男が、輝男の胸倉を勢いよくつかんだ。
「ふざけんな、この虫けらがぁっ!
どこの馬の骨かわかんねぇガキの分際で、俺たち大人に偉そうに説教ぶりやがって!」
男は輝男の胸倉をつかみながら、汚物でも見るような険しい形相で声を張り上げ、鋭くにらみ付ける。
事態を鎮静化させるどころか、却って状況が悪化してしまったことに、桜月や他の生徒たちは困惑し、言葉を詰まらせてしまう。
すると、
「おい、貴様ら、何、遊んでいやがるんだ!」
輝男たちを脅し付けている男たちの背後から、図太い声が聞こえてきた。
輝男の胸倉をつかんでいた男は、すぐに手を放し、他の男二人と一緒に後ろを振り返る。
男たちが振り返ると、目出し帽にサングラス、腹の突き出た大柄の体をした髭面の男が、台本と思しきものを丸めたものを手にしながら歩み寄って来た。
髭面の男は、ジャンパーの男たちの前に立つと、丸めた台本で男たちの頬を力一杯に叩き、彼らの脛を力一杯に蹴る。
「撮影が始まるって言うのに、助監督のてめぇらがこんなところで遊んでるとは、どういう了見をしてんだ、おらぁっ!!」
重低音の声を張り上げながら、助監督であるジャンパーの男たちに向かって怒号する。
「す、すみません。あのクソガキどもが、撮影現場から出て行かないものですから……」
男の一人は、さっきまでの威勢が嘘のように、ひどく萎縮しきった様子でしどろもどろに弁明を試みる。
すると、
「ガキども簡単に追っ払えないで、よく助監督なんてやれるな!
てめぇら、一生、日銭稼げるか稼げないかの底辺をうろつくだけだぞ、おい!」
髭面の男――すなわち映画監督が、更に怒号を張り上げ、助監督たちを叱責する。
「す、すみません!」
助監督たちは、監督に向かって一斉に頭を下げ、詫びの声を上げる。
「わかったら、さっさとガキども追い出して、撮影に撮りかかれ!
でないと、てめぇらを今すぐ、ドラム缶でコンクリ詰めだからな!」
監督は腹の底から脅しの声を上げると、一人、撮影現場である教室へと向かう。
彼らのやり取りを見ていた生徒たちは、萎縮し、怖気付いたかのような顔を見せながら、一人、また一人と去って行く。
まるで、本物のヤクザか暴力団を凌ぐかのような映画監督、助監督たちの態度を見て、これ以上、関わると危険であると判断したのだろう。
反発や不快感が無いと言うと嘘になるが、それ以上に、身の危険に対する不安の方が、生徒たちの心で大きな比重を占めているのだ。
「輝男君、私たちも行きましょう」
「あぁ……」
不安げに言葉をかける桜月に、輝男は憮然とした面持ちで返事をする。
横柄極まりない態度で同級生に危害を加えた助監督たちに謝らせなかったことが、大きなしこりとなっているようだ。
その場を去ろうとする輝男と桜月は、
「ハァ――……“いずみん”のサインをもらう絶好のチャンスだったのに……」
傍でガックリと肩を落とし、ため息を付く小中の姿を認める。
残念な気持ちを吐露する小中に、輝男は泉梓のことを思い出す。
しかしすぐに、桜月と一緒にその場を去って行く。
輝男たちが出て行ってしばらくした後、映画撮影が始まった。
今回の映画は、アイドルにして女優でもある泉梓の初主演映画である。
その内容は、百万人に一人の確率でかかる不治の難病のために余命わずかとなった梓演じる主人公が、迫り来る死の恐怖に苦悩し、葛藤しながらも、残りわずかの人生、青春を精一杯に生きようと奮闘するヒューマンドラマとなっている。
◇ ◇ ◇
映画の撮影が進んでいる同じ頃――
第一棟一階にある保健室前の窓際で、輝男と桜月は壁に身をもたれていた。
輝男は手にしているスマートフォンをジッと見下ろしている。
輝男が見つめる先には、幼い頃の自分と一緒に写真に写る同い年くらいの少女の姿があった。
黒いセミロングに特徴的なクッキリした目――
幼くあどけない顔をほほ笑ませている写真の中の少女を、懐かしそうに見つめ続ける。
すると、横にいた桜月が、ディスプレイ内の画像にある少女の顔を見つめる。
「この娘が、輝男君の幼なじみの娘なのね」
「あぁ……」
一言、言葉を返すと、輝男はスマートフォンをスラックスのポケットの中にしまう。
桜月は輝男の方を振り向くと、
「その幼なじみの娘って、どんな娘だったの……?」
彼をまっすぐに見つめながら、肝心の問いをかける。
輝男は桜月の方を振り向かず、正面を見据えたまま口を開く。
その表情は、遠い彼方に思いを馳せるかのようである。
「海原泉……彼女は、俺が物心ついた頃からずっと一緒だった同い年の娘なんだ……」
しみじみとした調子で、画像の中の幼なじみ――海原泉(うなばら・いずみ)のことを話し出す。
「元々、俺と彼女は家が隣同士であった上に、母さんと彼女のお母さんが学生時代からの一番の親友同士だったんだ。
その縁で、俺も彼女も、自然と仲よく付き合ってたんだ……
一緒におままごとしたり、かくれんぼや鬼ごっこして遊んだり……」
輝男はそう語りながら、幼なじみとの懐かしく楽しい日々を思い出す。
遠い過去に思いを馳せる輝男を、桜月は横から黙って見つめる。
自ずと神妙な面持ちを見せる桜月に構わず、輝男は話を続ける。
「俺と彼女は、当然ながら幼稚園、小学校も一緒だったんだ。
彼女はとても明るく素直で、俺だけでなく、他の男子や女子たちとも仲よく付き合うことができて……
あんないい娘、他に探しても見つからないくらいだったよ。
それに、俺の母さんが死んだ後、仕事で全然、構ってくれない親父に代わって、お母さんと一緒に俺の面倒も見てくれて……
あの時は、彼女にどれだけ助けられたか、感謝しても感謝しきれないくらいだったよ……」
そう話を続ける輝男の脳裏に、幼なじみである泉と一緒に過ごした日々が次々とよみがえる。
幼稚園で一緒に歌を歌った時のこと――
小学校の教室で、隣同士に席を並べながら一緒に授業を受けた時のこと――
手をつないで、一緒に学校から帰る時のこと――
そして、母親を亡くした後、泉と彼女の母親と一緒に夕食を食べた時のこと――
忘れろと言われても絶対に忘れることのできない思い出の数々が、輝男の脳裏に浮かんでは消えて行く。
懐かしさと愛しさ、そして寂しさが混ざり合った輝男の表情を、桜月はまっすぐに見つめる。
わずかの間、沈黙が続いた後、桜月がゆっくりと口を開く。
「……で、その泉ちゃんはどうなったの……?」
桜月がそうたずねると、輝男は正面を見据えたまま沈痛な面持ちを見せる。
「……いなくなった……
本当に……突然、急にいなくなってしまったんだ……」
輝男が淡々と述懐すると、桜月は驚きの余り、言葉を失ってしまう。
驚く桜月に構わず、輝男は重い調子で話を続ける。
「母さんが死んでから一年余り、俺は海原泉と彼女のお母さんの世話になってたけど……
一年経ったある日、二人とも急にいなくなり……
小学校の方にも、事後報告みたいな形で、泉がよその学校に転校したということを聞かされたんだ……」
「泉ちゃん、どこに転校していったのかわからないの?」
「あぁ……。よその学校に行ったとしか聞かされてなくて……」
輝男は沈痛な調子で語ると、やり切れないといったような重い表情を見せながら唇を固く結ぶ。
ずっと一緒で仲よしだった幼なじみの娘が、自分の何の断りもなく急にいなくなったのだ。
わけがわからない苦しみと裏切られたような心痛が、輝男の中で容赦なくぶり返される。
輝男は努めて感情を抑えつつも、わずかな沈黙の後、述懐を再開する。
「……後で知ったことなんだが……
彼女の両親が離婚したせいで、彼女、母親と一緒にどこか別のところに移ったらしいんだ……
しかも、その離婚の原因が、彼女の父親が愛人関係にあった女を妊娠させたためだと言うんだ……
愛人を妊娠させたお詫びにその女と結婚し、それと入れ替わるようにして自分の妻と離婚し、娘である泉共々、家から追い出したんだ……!」
そこまで言うと、苦い顔でグッと歯を食いしばり、握り拳をわなわなと震わせる。
桜月は、輝男が悲憤にさいなまれているのを認めて、沈痛な表情で言葉を失う。
ずっと仲良しだった幼なじみの娘を襲った理不尽な仕打ちに、胸が張り裂けそうな怒りをわき上がらせる輝男に、どう言葉をかけていいかわからないといった様子である。
どのくらい、時間が経ったか……
保健室前の窓際にもたれたままの輝男は、悲憤に険しくなっていた表情をようやく和らげる。
とりあえずは怒りを収めた輝男に、横にいる桜月はそっと声をかける。
「……それで、その泉ちゃんとはそれっきりなの……?」
「あぁ……。まったく音沙汰が無いんだ……
今、どこで何をしているのか、全然、わからなくて……」
淡々とした輝男の返答を聞くと、
「大丈夫よ……
その幼なじみの娘、この同じ空の下で、きっと元気に過ごしているわ」
桜月は励ますかのように言葉を返す。
「そうだな……。きっと元気でやってるさ……」
輝男はそう言うと、スラックスのポケットからスマートフォンを取り出す。
スマートフォンを操作し、ディスプレイに幼い頃の自分と泉を写した写真の画像を表示する。
「……でも、できることなら、もう一度、彼女に会いたいよ……」
ディスプレイ内の画像を見つめながら、しみじみとつぶやく。
忘れがたい思い出をよみがえらせ、仲良しだった幼なじみに思いを馳せる輝男を、桜月は傍から黙って見つめる。
ずっと一緒で仲よしだった幼なじみを懐かしむ輝男の気持ちに対する共感と愛しさが、今の桜月の表情から容易に見受けられる。
すると、
「お―――い、天江―――」
向こうの方から、輝男に呼びかける声が聞こえて来た。
輝男たちが振り向くと、一人の男子生徒が歩み寄って来た。
「小中、どうしたんだ?」
目の前で向き合う小中に、輝男は訝しげにたずねる。
小中はやや恥ずかしそうに顔を赤らめると、輝男に黒のサインペンと一冊のノートを押し付ける。
「頼むよ、俺の代わりに“いずみん”のサインをもらってきてくれよ」
両手を合わせて、やや恥ずかしそうに用件を告げる小中に、輝男は唖然とする。
「サインもらうくらい、自分でやれよ」
呆れ顔でため息を付きながら、輝男が拒絶にも似た返事を言うと、
「自分でやるとなると、恥ずかしさと緊張で絶対、失敗するから……
お前だったら、絶対、上手くやれそうな気がするから」
小中は調子のいい言葉を返す。
そして、
「じゃあ、天江、頼んだぞ―――」
サインペンとノートを輝男に押し付けたまま、一人、その場を去って行った。
「お、おい、小中! ……ったく、しょうがないヤツだな……」
逃げるように去るクラスメートを見て、輝男は呆れ顔でため息を付く。
そんな二人のやり取りに、桜月はこっそりと苦笑いを浮かべる。
◇ ◇ ◇
輝男は一人、校舎の第二棟に歩を進める。
手には、小中から押し付けられたノートとサインペンがある。
階段に差し掛かると、
“ここから先、映画出演者と撮影スタッフの控室となっており、関係者以外の立ち入りを禁ずる”
と、手書きで記された立札が、階段手前に置かれたパイプ椅子の腰かけの上にあった。
しかし、輝男は構わず階段を上っていく。
二階に差し掛かると、制服姿の男女や撮影スタッフと思しき男たちが、ぞろぞろと向こうへ行く姿が見えた。
一旦、撮影をやめて休憩にでも入ろうと言うのだろう。
輝男は、彼らを避けるようにして静かに上の階へと歩を進める。
第二棟三階に着いた輝男は、階段手前の壁際にもたれながら途方に暮れていた。
(どうやって、泉梓からサインをもらえばいいのか……?)
小中から押し付けられたノートとペンを見下ろしながら思案に暮れる。
輝男の脳裏には、撮影現場に入る際の泉 梓の冷たく憮然とした顔と、自分たちを横柄に追い返そうとした撮影スタッフの姿が克明に浮かび上がる。
容易に…と言うか、絶対に近付くことのできない刺々しい雰囲気に、輝男は思わず気落ちをしてしまう。
しかし、このまま立ち止まっても埒が明かないと見たのか、何とか歩を進める。
歩み出した輝男だが、何故か三階の奥へと歩を進めている。
幸いと言うべきか、この辺りは控室として利用されていないために、誰の邪魔もなくシンと静まり返っている。
奥へと差し掛かると、輝男はその場で足を止めてしまう。
壁にさえぎられた向こうの方から、たばこの煙らしきものがかすかに浮かんで来たのだ。
(誰だ? ここは禁煙なのに……)
まさかの喫煙を目撃した輝男は、煙が浮かぶ先へと急ぎ足で歩む。
そして、すぐに三階奥の階段手前に差し掛かるが、途端、目の前にある光景に驚き、立ち尽くす。
彼が見つめる先には、階段に腰を下ろしながら、不機嫌な顔でタバコを吸う白のセーラー服を着た少女の姿があった。
歳にして輝男たちと同い年くらい――
長い黒髪に、色白の素肌、特徴的なクッキリとした目――
服を着ていてもわかる、細く引き締まった肢体――
そして、服の下から自己主張する大きな左右のふくらみ――
彼女の足元には、台本が無造作に置かれている。
輝男は、目の前でタバコを吸う少女を見ると、驚きながら口元を震わせる。
「泉梓……さん……?」
信じられないと言わんばかりに声を震わせながら呼びかける輝男。
映画初主演の座をつかんだ人気アイドル、若手美人女優が、一人、ふて腐ったかのようにタバコを吸っている姿を見て、驚きを禁じ得ずにいる。
すると、泉梓は、くわえていたタバコを口から離し、フゥー…と口から煙を吐く。
ふと、不意に横を振り向くと、ようやく自分を見つめながら驚いている輝男の姿を認めた。
梓は驚きながら腰を上げると、輝男を鋭くにらむ。
「アンタ、一体、何でここにいるの!? ここは関係者以外、立ち入り禁止よ!」
梓は輝男をにらみながら声を荒げる。
明らかに自分を威嚇して来るかのような梓に、輝男は臆するどころか、厳しい表情を見せる。
「そんなことより、どうして、ここでタバコなんて吸ってるんだ?
ここは喫煙禁止のはずだぞ! それに、君はまだ十七のはず……!」
サインをもらうのを頼まれたことを忘れて、喫煙禁止の場での未成年喫煙を咎める。
当然の態度を取る輝男に、梓は上履きでタバコの火をもみ消しながら、ギロッとにらみ続ける。
「アンタ……まさか、このことを週刊誌にでもチクるつもり?」
「俺はそんな卑しいことなんかしないよ。
ただ、その代わりに、サインをお願いしたいんだけど……」
そう言うと、小中から押し付けられたノートとサインペンを梓に差し出す。
「……ったく、サインが欲しいなら欲しいってすぐに言えばいいのに、余計なことを言って……」
梓は愚痴をこぼしながらノートとサインペンをひったくると、ノートの表紙にサインをする。
「すみませんが、“小中君へ”と書き添えて下さい」
輝男の申し出に、梓は何の反応も示さない。
間も無くして、梓はノートとサインペンを輝男に返した。
ノートには、彼女のサインと共に、“小中くんへ”の一文が書き添えられてある。
「どうもありがとうございます」
「用が済んだなら、さっさと出て行ってよね」
礼を言う輝男に、梓は横柄な口調で退去をうながす。
しかし、輝男は出て行くどころか、梓とまっすぐに向き合う。
梓の目に、神妙な面持ちでまっすぐに見つめる輝男の姿が映る。
「何なの? アンタ、もう用は無いはずでしょ?」
怪訝な調子で梓が言葉をかけると、
「つかぬことお伺いいたしますが……
泉梓さん……あなた、もしかして、海原泉さんじゃないですか……?」
輝男は神妙な面持ちを崩さずに、梓にそうたずねる。
輝男からのまさかの問いかけに、梓は驚き、一瞬、唖然とする。