※この作品はR-18です。

天江輝男の日常   作:原野イアン

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今回の話は、京都・修学旅行編と同様、架空の建物と実在の名所が混在することをご了承の上、ご覧下さい。


温泉旅行であの娘と…(1) ●

 晴れ渡る空の下、電車が滞りなく疾走する。

 車窓から広がって見える自然あふれる光景を、瑠奈は食い入るように見つめる。

 

 「瑠奈、今からはしゃいでいると、着いた頃にはヘトヘトになってるぞ」

 

 真向かいの席に着いている輝男が、窓の外を眺め続ける瑠奈に向かって呆れる。

 

 「もう、ほっといてよ。こっちはワクワクしてるんだから」

 

 窓の外を見ながら言い返す義妹に、輝男は呆れながらため息を付く。

 

 「……ったく、まだまだ子供だな……

 たかが一泊二日の温泉旅行でここまではしゃぐなんて……」

 

 自分に背を向ける瑠奈に向かって、輝男が呆れながらつぶやくと、

 

 「でも、こうして箱根に行けるなんて、輝男さんのおかげだわ」

 

 瑠奈の横で腰を下ろす真純が、柔和な笑みを浮かべながら言葉をかける。

 

 「いや、静流さんが旅館の宿泊券をくれたおかげだよ」

 

 「そうね。もし、静流さんにお会いしたら、ちゃんとお礼を言わなくちゃね」

 

 真純と輝男はそう言葉を交わすと、着ていた上着のポケットから一枚のチケットを取り出す。

 チケットの表には、

 

 箱根湯本・もがみ屋 一泊二日・特別招待券――

 

 という見出しが大書されている。

 恐らく、静流がくれたであろう旅館の宿泊券を手にしながら、輝男はジッとチケットを見つめている。

 

 (まさか、大富とも付き合ってることへのせめてものお詫びじゃないよな……?)

 

 手にある宿泊券を見つめながら、何かに思いを馳せるかのような面持ちで内心、つぶやく。

 輝男の脳裏には、春休みの終わり頃、静流と会った時の光景が克明に浮かぶ。

 その間にも、電車は目的地を目指して軽やかな疾走を続ける。

 

 

 三十分ほど経った頃、箱根湯本駅に電車が到着した。

 車内から、輝男と真純、瑠奈が、旅行バッグを手に降り立つ。

 改札口を抜けて駅の正面ホームに入ると、一人の少女がこちらに近付いて来るのが見えた。

 

 「静流さん」

 

 輝男は、こちらに歩み寄る少女を認めるなり、彼女の方へ歩み寄る。

 白のロングワンピースにベージュの薄いパーカーといういで立ちの静流は、輝男と至近距離で向き合うと、柔和な笑みを彼に見せる。

 

 「輝男さん、ようこそいらして下さいました」

 

 「ご厚意に甘えて、皆と一緒にお邪魔しに来たよ」

 

 静流と輝男が挨拶代わりに言葉を交わすと、

 

 「静流さん、今回は私たち、家族一同、心から感謝しております」

 

 真純は、今回の温泉旅行のお膳立てをしてくれた静流に対して、笑みを浮かべながら礼を言う。

 静流は、輝男と真純、そして、瑠奈をまっすぐに見ると、

 

 「皆様、今回は心行くまで楽しんでいらして下さい」

 

 柔和な笑みを浮かべながら一礼を返す。

 

 

 駅のすぐ近くにかかるあじさい橋を、瑠奈と静流に挟まれるようにして、輝男と真純が歩いている。

 

 「いい景色だね」

 

 橋の周囲を取り巻く鬱蒼とした木々に、瑠奈は思わず感嘆する。

 

 「気持ちをリフレッシュさせるにはうってつけだよ」

 

 輝男は歩を進めながら、辺りを取り巻く自然豊かな光景を見渡す。

 

 「このあじさい橋を抜けたら、箱根湯本・もがみ屋に着きますから」

 

 輝男の横にいる静流が、先導でもするかのように言葉をかける。

 すると、

 

 「輝男さん…」

 

 静流と共に輝男を左右から挟んでいる真純が、そっと彼の耳元にささやきかける。

 

 「今回の温泉旅行、思う存分に楽しみなさい。この旅行が終わったら…」

 

 「野暮なことは言わなくていいよ」

 

 輝男は神妙な面持ちを見せながら、義母の言葉を中途でさえぎる。

 義母が何を言おうとしているのか、否が応にも理解したからだ。

 

 「この美しい自然と温泉を満喫するのも大いに結構だけど……

 この機会に、自分の人生をジックリ考えるのも悪くはないわよ」

 

 「うん……」

 

 うながすように言葉をかける真純に、輝男は言葉少なく応諾する。

 わずかの間の義母と義息のやり取りに、瑠奈と静流はまったく気付かない。

 一同がそのまま歩を進めると、七階建て、四十メートルはあろう大きな建物が見えて来た。

 和風で簡素なたたずまいをしたその建物が見えると、瑠奈ははやり立ったかのように駆けて行く。

 

 「あ――あそこ、あそこ――!」

 

 瑠奈は一人、歓声を上げながら、向こうに見える建物へと一目散に駆けて行く。

 

 「おい、何、慌ててんだよ、瑠奈!」

 

 またもはしゃぐ義妹に、輝男は恥ずかしそうな面持ちで声を上げる。

 しかし、瑠奈は構わず、前方に見える建物――箱根湯本・もがみ屋へと駆けて行く。

 

 「お義兄ちゃん、早くしないと、置いてっちゃうわよ」

 

 一瞬、輝男の方を振り返って言葉をかけると、そのままもがみ屋へと突き進む。

 

 「…ったく、そんなにはしゃいで慌てても、旅館が逃げるわけでもないのに」

 

 小さくなっていく義妹の後ろ姿に、輝男は呆れ顔でため息を付く。

 そんな輝男の横では、真純と静流がクスッと笑みをこぼす。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 箱根湯本・もがみ屋の六階の宿泊室に、輝男と真純、瑠奈の姿がある。

 建物の外観と同様、和風で簡素なたたずまいをした部屋で、輝男はカバンを置き、フゥーッとひと息を付く。

 その傍では、瑠奈が窓の外に広がる光景を眺めている。

 遠くに見える深緑と間近に広がる温泉街が、絶妙なバランスを取って見える。

 

 「ホントにいいところね……。一泊二日と言わず、ずっといたいくらいだわ」

 

 「何を言ってるの? たまに行くからこそ、大いに意味があるんだから」

 

 感嘆する瑠奈の横で、義母が笑みを浮かべつつもたしなめる。

 和やかなやり取りをする義母娘の後ろ姿を、輝男は自ずとほほ笑ましげに見つめる。

 

 

 ニ十分ほど経った後、一階のホールに天江家の三人が下りて来た。

 フロントの傍にあるテーブル席に向かうと、静流が一人、腰を下ろしているのが見えた。

 輝男たちはすぐに、静流のもとへ歩み寄る。

 

 「待たせちゃったかな?」

 

 「いいえ、そんなことありませんわ。

 それより、輝男さんたちの方はもうよろしいのですか?」

 

 「俺たちならもう大丈夫だよ」

 

 「そうですか。では…」

 

 輝男と一言、二言、言葉を交わしていると、静流はふと、前方にいる何かに気付き、目を向ける。

 静流が目を向ける先には、一組の母娘がいた。

 輝男や静流と同世代くらいの娘と四十代くらいの母親が、旅館の入口へと歩を進める。

 母も娘も、否が応にも目を引くくらいの気の強そうな端整な美貌をしている。

 母親は薄手の白いコートにブラウンのロングスカートといういで立ちをし、小麦色の素肌が目に付く娘は、デニムのジャケットとミニスカートというアクティブないで立ちをしている。

 

 「温泉旅行といっても、お風呂に入る以外はつまんないとこ、歩くだけじゃん。

 カラオケボックスも無ければゲーセンも無いし」

 

 「何を言ってるの? たまには、美しい自然の中で心穏やかに過ごすのも悪くないわ。

 それに、こうして温泉旅行に行ける機会なんて、この先、一生、あるかどうかもわからないのよ」

 

 愚痴をこぼす娘に対して、母親はたしなめるようにして言葉を返す。

 娘は、思ったより娯楽が少ないことが不満でしょうがない様子だ。

 しかし、次の瞬間、輝男と静流たちの方を振り向く。

 輝男の姿を認めるなり、娘は咄嗟に輝男の方へ駆け寄る。

 

 「ちょっと、嘘!? どうして、輝ちゃんがここにいるの!?」

 

 「小春、お前も来てたのか!?」

 

 小春と輝男は、顔を合わせるなり、互いに驚きの声を上げる。

 まさかの邂逅に一瞬、驚いた後、小春は顔をほころばせる。

 

 「なぁんだ! 輝ちゃんも来てたんなら来てたですぐに連絡してよ!

 アタシ、ママと二人きりで、メッチャ退屈してたんだから!」

 

 嬉しそうに声を上げると、小春はすかさず輝男の腕にギュッと抱き付く。

 小春の動きに、輝男は困惑しきった形相を赤らめながら立ち尽くす。

 その横では、静流がショックでも受けたかのような顔を見せ、瑠奈がムッと不機嫌な顔を見せる。

 

 「まったく、この娘はこんなところでみっともない……」

 

 輝男に抱き付いたまま離れようとしない小春を見て、母・小夜子は呆れ顔でため息を付く。

 そこへ、真純が静かに歩み寄る。

 

 「大富さん、いつぞやはどうも……」

 

 真純がにこやかに挨拶をすると、

 

 「いえいえ。輝男さんもお元気そうで何よりです」

 

 小夜子は、笑みを見せながら真純に言葉を返すと、輝男の方に目を向ける。

 自分の娘をはじめ、三人の美少女に囲まれている輝男をほほ笑ましげに見つめている。

 

 「話には聞いてましたが、本当に色んな娘たちに慕われているようで……」

 

 「義母(ははおや)である私も、あの子のどこにそれだけの魅力と言うか人柄があるのか、時折、わかりかねるところがあります」

 

 「いいじゃないですか。

 あなたの義息(むすこ)さんには、本人すら知らない、人を強く惹き付ける“何か”があるんですわ。

 そうでなければ、あの小春が、人一倍、気立てのよい娘に変わることなんてあり得なかったのですから」

 

 真純と小夜子は、輝男たちを傍から見つめながら、感慨深げに言葉を交わす。

 二人は、視線の先にある輝男と彼を取り巻く光景を、好ましく受け止めているようだ。

 

 「私、この後、娘と二人で温泉街を一通り歩いて行こうと思ったのですが……

 小春は輝男さんに任せた方がいいみたいですね」

 

 「せっかくですから、一緒に付き合ってもよろしいでしょうか?」

 

 「えぇ。こちらこそ大歓迎ですわ」

 

 真純と小夜子が続けて言葉を交わしている間に、輝男は小春に引っ張られながらもがみ屋の正面入口から出て行く。

 その後を、瑠奈と静流がすかさず追う。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 須雲川沿いの通りを、輝男たちはゆっくりと歩いている。

 向かって左側に小春がギュッと腕に絡み付き、右側では静流がこっそりと輝男と手を握り合っている。

 その横では、まるでつま弾かれたかのように、瑠奈は半ば不機嫌な顔を見せる。

 年頃の美少女三人に囲まれながら箱根湯本の通りを歩き、輝男は喜悦よりも羞恥の念を強める。

 何気なさを装いつつも辺りを行き交う人々の視線が、ことさら痛く感じる。

 

 「ねぇ、輝ちゃん…」

 

 期待に胸を弾ませるように小春が呼びかけると、

 

 「言っとくけど、俺は温泉を満喫するために来たわけであって……

 エッチするためだけに来たわけじゃないんだからな」

 

 輝男はすぐに、冷たく突き放すかのような口調で言い返す。

 輝男の返事に、小春は思わずムッと表情を険しくさせる。

 

 「もう、輝ちゃんったら無粋なんだから」

 

 不機嫌に言葉を返すと、瑠奈、静流の方に目を向ける。

 

 「わかってると思うけど、抜け駆け厳禁だからね」

 

 小春が不要な苦言を呈すると、

 

 「よく言うわよ。自分が一番、抜け駆けしまくるくせに」

 

 瑠奈はすかさず反論する。

 瑠奈の横では、静流が小春の今の言葉に苦笑いを浮かべる。

 すると輝男は、小春の方を振り向きながら口を開く。

 

 「そう言えば、親父さんと豪はどうしたんだ?」

 

 「パパは仕事関係で出張に行ってて、兄貴は今、予備校で勉強中」

 

 「予備校?」

 

 「うん。今の成績では大学に受かるのは絶望的だからって……

 三年に進級すると、すぐ、パパが無理矢理、兄貴を予備校に入れちゃってね」

 

 「そうか……。アイツも結構、大変な思いをしてんだな……」

 

 小春の説明を聞くと、輝男は感慨深げにため息を付く。

 自分も大学受験で色々と悩んでいるが、豪が更に苦労していることを知って、まるで我が事のように痛く感じ入っている。

 すると、

 

 「そんなこと言って、どうせ今頃、予備校サボって、ナンパしたり、遊びほうけたりしてるんでしょ?」

 

 瑠奈が呆れながら、平然と言葉を返す。

 夏休みの海水浴や冬休みの時のスキーのことを思い返すと、さも当然であるかのように、豪が不真面目な行為に出ているものと決め付けているようだ。

 

 「おい、瑠奈、いくら何でも…」

 

 と、義兄が苦言を呈しようとすると、

 

 「豪さんはそこまで精魂が腐り切ってませんわ!」

 

 静流が、いつになく厳しい表情で、叱り付けるように瑠奈に言葉を返す。

 輝男や小春より先に、豪を庇い、彼をけなそうとした瑠奈に叱責しようとした静流だったが、すぐにハッと我に返り、羞恥に顔を真っ赤にする。

 

 「ヤダ、もう、どうしちゃったのよ、アンタ」

 

 紅潮したまま立ち尽くす静流を見て、小春は半ば呆れながら首を傾げる。

 小春の今の呼びかけに、静流は何も言い返さないまま、急ぎ足で前進する。

 輝男と同じくらいに豪を思う気持ちがつい暴発してしまった静流を、輝男はため息を付きながらも愛しそうに見つめる。

 そして、ふと小春の方を見ると、

 

 (小春のヤツ、もしかして、静流さんとアイツのことをまったく知らないのか?)

 

 静流の態度を訝しむ小春に、内心、そう独白する。

 しかしすぐに、輝男と小春、そして瑠奈も、静流の後を追うようにして、歩を進める。

 

 

 三十分ほど経った頃、輝男たちはとある滝の前に立っていた。

 

 「ここが箱根湯本屈指のパワースポット、玉簾の瀧ね!」

 

 すだれのように澄んだ水が流れる滝を見ながら、瑠奈が感嘆の声を上げる。

 

 「パワースポットとか関係なしに、ホントに綺麗なところだよ」

 

 「見ているだけでも涼しい気分でいられますわ」

 

 玉簾の瀧を眺めながら、輝男と静流は感嘆する。

 その横では、小春が、左右の手のひらを内側に向けて振るジェスチャーを繰り返している。

 

 「アンタ、何、やってるの?」

 

 瑠奈が呆れながらたずねると、

 

 「何って、マイナスイオンをこっちに引き寄せようとしてるに決まってんじゃない」

 

 小春は手のひらを振り続けながら返答する。

 小春の返答に、輝男はつい苦笑いを浮かべる。

 

 「わざわざ、そんなことをしなくても、涼しい空気はこっちに流れてくるから」

 

 苦笑混じりに返答する輝男は、滝の方から流れて来る涼しい空気を存分に吸っていた。

 

 「こんだけ涼しくて気持ちいいと、水浴びでもしたい気分だよ。

 あ――あ、こんなことなら、水着でも持ってくればよかった」

 

 「バッカじゃないの? この瀧は人が足を踏み入れていいところじゃないんだから」

 

 「このありのままの景色を眺め、涼しい空気を体いっぱいに浴びるだけでも、十二分に身も心も癒されますわ」

 

 賑やかに言葉を交わす少女たちの傍で、輝男は無言で滝を見つめる。

 自ずと神妙な表情を浮かべ、まるではるか遠くを見据えるようなまなざしを見せる。

 

 (俺、まるで当たり前のように小学校、中学、高校に行って……

 これから大学に入ろうとしている……

 でも、どうして、学校に行こうとしているんだろうか……?)

 

 玉簾の瀧を眺めながら、何故か、自分の人生についてついつい思いを馳せようとする。

 すると、

 

 <輝ちゃんは何で、学校に行って、勉強をしているの?

 将来のため、生きるために勉強してるんでしょ?

 まさか、何となく学校に行って、勉強してるわけじゃないよね>

 

 春休みの時、約五年ぶりに再会した幼なじみ・海原泉が言った言葉が、輝男の脳裏に響く。

 

 (確かに、俺は将来のために色々と勉強している。

 でも、将来、俺はどんな人間になろうと言うのか……?)

 

 幼なじみが言ってくれた言葉を思い出すと、自らの将来に思いを馳せる。

 しかし、輝男の脳裏には、将来の自分を描いた明白なビジョンが思い浮かばない。

 まだ、輝男の中では、社会に出た後、具体的にどんな仕事に就くかといった考えが出て来ない。

 間も無くして、輝男の脳裏に、一人の人物の姿が巨大な壁のように浮かび上がった。

 

 人並みの感情を排し、傲然とした面持ちを崩そうとしない父・輝人――

 

 (間違えても、親父みたいにはなりたくない……!

 当たり前のように東大を出て、世界屈指の一流多国籍企業に勤め、順当にキャリアを積んでも……

 家族を含めて誰ともまともな絆を結ぼうとせず……

 他人を虫けら以下の存在として見下し、平然とさげすむ以外に何の取り柄も無く……

 歳を重ねるたびに人の心を簡単にポイ捨てしまうような親父みたいには……!)

 

 エリート選良意識に凝り固まり、身近な家族すらまともに顧みようとしない父親のことを思い返し、彼に対する反発を募らせる輝男。

 未だ、自分の将来は漠然としているが、少なくとも、己の利益と保身以外の何物にも存在価値を見い出そうとしない特権エリートにだけはなりたくないという意識を、神妙な面持ちの内側で募らせている。

 そのままの状態でジッと滝を眺め続けていると、

 

 「…ちゃん……お義兄ちゃん……お義兄ちゃん……」

 

 心配そうに呼びかける声が、輝男の耳に届いた。

 途端、輝男はハッと我に返り、横の方を振り向く。

 

 「どうしちゃったの? さっきからずっと深刻そうな顔をしていてさ」

 

 輝男が振り向くなり、小春が訝しげにたずねる。

 

 「あ、いや……ちょっと考え事をしてたら、つい……」

 

 必死に笑顔を取り繕いながら言い返そうとする輝男に、

 

 「何、考えてたの?」

 

 小春はすかさず問い返す。

 

 「大学受験のことを色々とね……」

 

 輝男は実際とは違う返答を言って言葉を濁す。

 

 「もう、こんな時くらい、受験のことなんか忘れなさいよ」

 

 輝男の返答に、小春はため息交じりに呆れる。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 滞りなく快走する電車の車窓から、箱根湯本温泉街のみならず、遠く相模湾がハッキリと見える。

 車窓に広がる絶景を、向かい合って座っている二人の女性が、窓際から眺めている。

 

 「話には聞いていましたが、思っていたよりも素晴らしい眺めですね」

 

 「天気がいいのが幸いしたんでしょう」

 

 車窓の向こうに広がって見える温泉街、相模湾を眺めながら、真純と小夜子が感嘆とする。

 今、二人が乗っているのは箱根登山電車である。

 電車は今、上大平台信号場に差し掛かったところである。

 その後、急カーブに差し掛かりながらも、真純と小夜子はそのまま電車に乗り続ける。

 

 「私、箱根に来るのは、主人との新婚旅行以来ですの」

 

 「まぁ、それはうらやましいですわ」

 

 「天江さんは?」

 

 「恥ずかしい限りですが、今回、初めてですわ」

 

 「ならば、思う存分、満喫して下さいませ」

 

 車窓から見える自然豊かな光景を眺めながら、真純と小夜子は言葉を交わす。

 しかし、小涌谷駅に差し掛かると、小夜子は何故か、物憂げな顔で深くため息を付く。

 小夜子の異変を認めた真純は、心配そうに表情を曇らせる。

 

 「どうなさったのですか?」

 

 「いいえ、別に……。ただ、ちょっと思うことがありまして……」

 

 「それは一体……」

 

 「娘のことで……」

 

 「小春さんですか……?」

 

 真純と顔を向き合わせながら言葉を交わすと、小夜子は物憂げな顔で車窓の方を振り向く。

 

 「あの娘……輝男さんと付き合ったおかげで不品行が収まり……

 元々、勉強ができていたことに加えて、家事や日頃の生活態度もきちんとできるようになったんですが……

 何故か、そこから先へ進もうとしないと言うか……

 今の状態で満足しきっているみたいなんです……」

 

 窓の外をボンヤリと眺めながら、愛娘に関する気がかりを言う小夜子。

 傍で向き合う真純は、落ち着いた面持ちで小夜子の話を黙って聞き入る。

 

 「私も主人も強く確信しているのですが……

 小春はただ気立てがいいだけの娘で終わる娘ではないんです。

 更なる高みを目指し、いくらでも精進を重ねるだけの資質が十分に備わっているんです。

 なのに、肝心のあの娘は、そのことをまったく自覚せず、ただ普通に日々を費やすことに何の疑問も持たず、ごく当たり前のこととして認識しておりまして……

 高校を出て、大学に入り……その後、どうするつもりなのか……?

 主人も私も気が気でならないんです……」

 

 可愛い愛娘の将来に対する憂慮を言い連ねる小夜子。

 せっかくの旅行、安息のひと時に自ら水を差す格好となったが、年頃の娘を持つ身での親心がこのタイミングで思わず頭をもたげて来たのだ。

 真純は、小夜子の今の憂慮に耳を傾けると、別段、気分を害する様子を見せない。

 さっきと変わらぬ落ち着いた態度で小夜子と向き合う。

 

 「大富さん……」

 

 ゆっくりと呼びかける真純の声に、小夜子は真純の方を振り向く。

 

 「小春さんはまだ十六、高校二年生の身ですよ……

 将来のことを深く考えていないのも、致し方ないかもしれません……

 ……ですが、余り深く心配なさらない方がいいのではありませんか?」

 

 そこまで言うと、真純は柔らかな笑みを小夜子に見せる。

 

 「その時が来れば、誰からもうながされることも強いられることもなく、自らの意思で然るべき道を選びますわ。

 あなたとご主人……素晴らしいご両親から生まれた小春さんですもの。

 きっと、立派な社会人として十二分に活躍する満ち足りた人生を送るはずですわ。

 ですから、もう少し長い目で娘さんを見守り……

 小春さんを信じてあげて下さい……」

 

 親心に訴えかけるように優しく言い聞かせる真純に、小夜子は自ずと表情を和らげる。

 

 「確かに……私としたことが考え過ぎだったかもしれませんわね……

 私とあの人の娘ですもの。

 あなたの言う通り、もう少し長い目で見守り、信じてあげないと」

 

 憂慮を取り払う小夜子を見て、真純は安堵の表情を見せる。

 そんな二人を乗せた登山電車は、彫刻の森美術館の脇を軽やかに通り抜ける。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 輝男は、半ば呆れたような面持ちで前方にあるものを見据える。

 輝男の視線の先には、神前で深々とお参りする瑠奈、小春、静流の姿がある。

 今、瑠奈たちが参拝しているのは、玉簾の瀧の近くにある玉簾神社である。

 

 (確かに、ここは良縁スポットとして有名だけど……

 瑠奈たち、一体、何をお祈りしてんだ……?)

 

 参拝中の瑠奈たちを見ながら、輝男は首を傾げてしまう。

 すると、

 

 「輝ちゃん……輝ちゃん……」

 

 後ろから、輝男の呼びかける声が聞こえてきた。

 後ろからの呼び声にハッと気づくと、すぐに後ろを振り返る。

 振り返った途端、輝男は信じられないと言わんばかりに、驚きに満ちた表情を見せる。

 輝男の目の前には、暖色系のカジュアルな衣装を着た同い年くらいの少女が立っていた。

 

 特徴的なクッキリとした目――

 

 後ろに束ねた艶やかで長い黒髪――

 

 そして、服の下から自己主張する大きな左右のふくらみ――

 

 「い……いずちゃん……!?」

 

 輝男が驚きを隠せないまま、目の前の少女に向かって呼びかけると、

 

 「輝ちゃん、久しぶり」

 

 輝男と向き合う泉 梓――あるいは海原 泉――は、笑みを浮かべながら輝男に言葉を返す。

 

 「奇遇ね。まさか、ここで輝ちゃんと会えるなんて」

 

 驚きの余り言葉を詰まらせる輝男に向かって、ごく自然に再会の喜びを言って来る泉。

 努めて平素の表情を見せてはいるが、かつて体を重ねた幼なじみと偶然、再会した喜びを隠そうとしない。

 間も無くして、輝男はハッと我に返り、改めて泉と向き合う。

 

 「いずちゃんこそ、どうしてここに?」

 

 「テレビのロケ……。ぶっちゃけて言うと、番宣でのバラエティー出演だけどね」

 

 「そうか、仕事で来てるのか……。相変わらず、忙しいんだな」

 

 「休憩…って言うか、収録の準備で時間が空いちゃったから、その辺、ぶらついてたけど……

 まさか、輝ちゃんと会えるとは思わなかったわ。

 旅行か何か?」

 

 「うん、一泊二日の温泉旅行だけど」

 

 「いいなぁ……。私もゆっくり温泉に浸かりたいわ……」

 

 ため息交じりに言うと、泉は輝男に背を向けた。

 恐らく、向こうにいる番組共演者やスタッフのところへ戻るためだろう。

 しかし、二、三歩、前を進んだところで、後ろにいる輝男の方を振り返った。

 

 「悪いけど、これから収録始まるから。じゃあね」

 

 笑みを浮かべつつも、申し訳無さそうに言うと、泉は輝男の前を去って行った。

 去り行く泉の後ろ姿をボゥッと見ていると、

 

 「…ちゃん……輝ちゃん……輝ちゃん!」

 

 すぐ傍から、鋭く呼びかける声が聞こえて来た。

 輝男は一瞬、驚いた後、声が聞こえてきた方を振り向く。

 振り向いた先には、お参りを済ませた瑠奈、小春、静流が立っていた。

 

 「さっきのあの娘、一体、何なの?」

 

 小春がじろっと輝男をにらみ付けながら問い詰めようとする。

 偶然、出会った泉のことを言っているのは間違い無い。

 至近距離からにらんで来る小春に、輝男は思わずたじろぐと、

 

 「昔の知り合いだよ。彼女もたまたまここに遊びに来てたから」

 

 真実と嘘をない交ぜにした返答を言い返す。

 

 「昔の知り合いにしては随分、仲良さそうに見えたけど」

 

 「そんなのお前の思い過ごしだよ」

 

 なおもしつこく食い下がろうとする小春を、輝男は軽くあしらおうとする。

 輝男たちはそのまま、玉簾の瀧、玉簾神社のある天成園を後にする。

 

 (いずちゃんのことは黙っておかないと……

 小春に知られたら、色々と面倒なことになるからな……)

 

 すぐ傍から寄り添う小春に目を向けながら、輝男は内心、嘆息する。

 今しがた出会い、言葉を交わしたのが、かつての幼なじみにして現役人気アイドルでもある泉だということを、輝男は自らの内心に押し止めようとする。

 大切な思い出を胸に留めたいと言う気持ちと、事がバレた場合の不安が、輝男に幼なじみとの再会を秘させようとする。

 しかし、瑠奈、小春、静流は、そんな輝男の内心など知る由もなく、箱根湯本の名所巡りを続ける。




 温泉、そして、エロ&セックスを期待した方々、まことに申し訳ありませんが、次の回からとなります。
 あと、今回、“いずちゃん”こと泉梓=海原泉を再登場させましたが、彼女が今回の温泉旅行編にどこまで絡むかは、正直、未知数です(死)。
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