三年A組の教室内に、輝男をはじめとする生徒たちと理華の姿がある。
仕切りで分けられた教室内の前半分にいる輝男たちは、カウンター台として置かれた長テーブルと向き合うようにして横並びに配置された三つの机と、その前方に配置された前後向き合っている一対の机四つを見る。
「レイアウトの変更は、これでバッチリね」
模擬カフェの店内レイアウトを眺めながら、理華が満足そうにつぶやく。
「先生、レイアウトを変えましたけど、何か意味でもあるんですか?」
傍にいた女子生徒がたずねると、
「別に……。ただ、昨日そのままの状態だと、ただ何となく味気無いだけだから」
理華はあっけらかんとした調子で返答する。
理華の返答に、輝男や他の生徒たちは、肩透かしでも食らったかのような顔を見せる。
すると理華は、輝男たちの方をまっすぐ見つめる。
「客席と直に向き合う形を取った以上、カウンター当番の役割と責任は重大だから。
しっかり頼むわよ」
そう言いながら、輝男の両肩を左右の手でつかむ。
「……というわけだから、天江君、頑張ってね」
にこやかにほほ笑みつつも、有無を言わせぬ調子で輝男に言う。
「お、俺がですか?」
いきなり大事な役割を任せられて、輝男は驚き、戸惑う。
「先生、天江にやらせるくらいなら、俺だってちゃんとやれますよ」
「そうっすよ。カウンター当番くらい、俺でも…」
小中ともう一人の男子生徒が、異議を挟みながらカウンター当番を申し出ると、
「悪いけど、あななたちじゃ役不足だから。
どうせ店頭に立たせるなら、イケメンか美少女がいいに決まってるじゃない」
理華は、ため息交じりに小中たちの申し出をあっさり却下する。
呆気なくはね付けられた小中と男子生徒に、その場にいたクラスメートたちの間からドッと笑い声が上がる。
数分後、生徒たちは模擬店内で開店準備を進めている。
輝男もまた、カウンターで開店を迎える支度を進めている。
(何だか、去年、カフェでバイトしてた時を思い出すな)
支度を進めながら、内心、そうつぶやいていると、
「天江君」
横から輝男に呼びかける声が聞こえてきた。
輝男が振り向くと、エプロン姿の桜月と葵が、並びながら輝男と向き合っている。
「もしかしたら、休憩時間を除いて、ずっとここで立ちっぱなしになるけど、大丈夫なの?」
「そんなこと、別に大したことじゃ無いさ。
それより、今日は昨日以上にいっぱい稼いでおかないと」
「そうね。隣のB組もかなり稼いだと聞いてるから。
別に競争して勝とうと言うつもりはないけど、やるからにはそれ相応の成果を出さないと」
葵と輝男がそう言葉を交わすと、
「ねぇ、天江君、ちょっといいかな?」
葵の横にいる桜月が、輝男に呼びかける。
「どうしたんだ? 日向」
「今回の文化祭のこと、最上さんや小春ちゃんは知ってるかしら?」
桜月がそう問いかけると、輝男は一瞬、言葉を失うも、すぐに口を動かす。
「いや、あの二人には、文化祭のことは何も言ってないから。
静流さんも今、大学受験を控えて猛勉強の最中だし……
小春は来れば絶対、騒ぎを起こすから、あえて黙っているんだが……」
輝男が桜月に対してそう返答すると、
「確かに彼女たちに来てもらうと、色々と迷惑になるから」
葵はすぐに吐き捨てるような言葉をかける。
「黒山、君も結構、ストレートに言うなぁ……」
小春や静流を疎ましく思う気持ちを隠さない葵に、輝男は呆れながらため息を付く。
しかし、葵は輝男に構わず、そのまま話を続ける。
「でも、彼女たちのことだから、こっちが黙ってても勝手にやって来ることも十分にあり得るから……
警戒するに越したことはないわ」
「もう、黒山さんったら、そこまで小春ちゃんたちを邪険に扱わなくても……」
「それに、天江君がカウンター当番でずっと店頭に立つとなれば、他にも悪い虫がたくさん寄って来るかもしれないわ」
苦言を呈する桜月を無視して、鋭い口調で葵が警戒の念を言い続けると、
「考え過ぎだよ。
俺だって、誰それ構わず押し切られるような根性無しじゃないから」
輝男は呆れ果てた面持ちで、ため息交じりに反論する。
すると傍から、わざとらしい咳払いが聞こえてきた。
輝男たちが正面を向くと、カウンター席越しに、理華が両腕を組みながら仁王立ちしているのが見えた。
「他の皆は一生懸命、支度をしているのに、何、自分たちだけ呑気に雑談なんかしてるの?」
厳しい表情を見せながら、とがめるような調子で理華が言葉をかけると、
「あ、いや……。今日の接客の段取りとか打ち合わせをしてたんですよ!」
輝男は一瞬、言葉を詰まらせた後、しどろもどろに偽りの弁明をする。
理華は輝男の今の弁明を聞くと、一転、不敵な笑みを輝男と桜月、葵に見せる。
「あら、そうなの……
てっきり、文化祭が終わったら、皆とは別に後夜祭でもしようかと話してたかと思ったわ。
皆の目を盗んで、三人でホテルで夜通し……なんてね」
からかい半分に邪推めいた言葉をかける理華に、輝男、桜月、葵は顔を赤らめながら言葉を詰まらせる。
「せ、先生!」
「冗談よ、冗談。
ほら、もうすぐ始まるから、三人とも、今日は一生懸命、頑張って」
理華はからかうように笑みをこぼしつつも、輝男たちに励ましの言葉をかけるのを忘れない。
輝男はカウンターに立って開店の時を待ち、桜月と葵も所定の位置に着く。
◇ ◇ ◇
模擬店が開いて、一時間ほど経った頃――
カウンターに立つ輝男は、客相手の会計を滞りなく進める。
店内は、客席が三分の二程、埋まっている。
客足の流れも停滞は認められず、桜月や葵たちによる接客も問題ないように見受けられる。
(今のところは大丈夫……か)
店内の様子を見ながら、内心、安堵の吐息を漏らす輝男。
すると、店の出入り口となっている教室正面ドアが開いた。
ドアの向こうから、新たな客が一人、入って来る。
「いらっしゃいませ」
輝男とその場にいたA組の生徒たちが声をかける。
新たな入店客は、無表情のまま黙々とカウンター席に向かう。
濃紺のパーカーと白のロングパンツに包まれたスマートな肢体――
黒のショートヘアを伴った鋭くクールな美貌――
ボーイッシュとも中性的ともいえる美貌を見せながら、輝男の真ん前に腰を下ろす。
「いらっしゃいませ。ご注文…」
注文を聞こうとした途端、輝男は目の前に座った客を見て、思わず驚く。
「い、稲田……! どうして……!?」
信じられないと言わんばかりに、目の前にいる稲田千早に向かって驚きの声を上げる。
しかし、千早はクールな形相を崩さず、
「アップルティー、一つ」
輝男を見つめながら、淡々と注文する。
間も無くして、アップルティーを注いだ紙コップが、千早の前に置かれた。
千早は紙コップを手にすると、チビチビと口にする。
「どうしたんだ? 今、予備校で講義を受けてるはずなのに」
「昨日、今日と文化祭をやるって言うから、来たの」
「あぁ……この前、文化祭があるから昨日、今日と予備校に行けないって言ったからな。
でも、どうして、予備校をサボってまで、俺のところの文化祭に来たんだ?
君がそこまでする必要なんてないはずなのに」
輝男が言い返すと、千早は顔色一つ変えずに唇を閉ざし、輝男をまっすぐ見据える。
一方、カウンターから離れた客席では、
「ご注文の品です。ごゆっくりどうぞ」
桜月が、コーラを注いだ紙コップとショコラパイを載せた紙の皿をトレイから取り出し、客に手渡す。
ふと、カウンターの方を振り向くと、輝男をまっすぐ見つめる千早の姿を認めた。
(誰なの? あの娘、さっきからずっと輝男君を……)
向こうから千早を見つめながら首を傾げていると、
「すみませ――ん、注文、いいですか?」
別の席から注文を求める声が聞こえてきた。
桜月は急ぎ、注文してきた客の方へ向かう。
すると、またも出入り口のドアが開いた。
輝男は、カウンターから新たに入って来た客の方を振り向き、挨拶をする。
しかしすぐに、新たな入店客を見て、驚く。
「静流さん……!」
思わず驚きの声を上げる輝男を尻目に、ベージュのワンピースをまとう静流が、千早の右隣の席に着く。
「ご注文は?」
「ミルクティーをいだたきたいですわ」
柔和な笑みを浮かべながら、輝男に向かって注文する静流。
「俺、何も言って無いのに、どうして来たんだ?
君も大学受験のための勉強で忙しいはずなのに」
「たまには息抜きでもしないと身も心も持ちませんわ。
そうしたら、たまたま、輝男さんのところで文化祭をやってらっしゃることを知りまして」
「たまたま……か」
柔和な笑みを絶やさない静流に、輝男はため息交じりにつぶやく。
ふと、静流の横にいる千早の方に目を向ける。
千早は、面白く無さそうに憮然とした顔をうつむかせたまま、黙り込んでいる。
対照的な態度を見せる二人の美少女に、輝男はつい困惑した表情を見せる。
そこへ、仕切りの向こうから、ミルクティーを注いだ紙コップをトレイに載せて、葵が姿を現した。
輝男の横に着くと、静流に向かって無言で紙コップを差し出す。
厳しい表情を見せ、静流をにらむかのように鋭いまなざしを向ける。
「おい、何だよ、今の態度。お客さんに失礼だろ」
「思ってた通りの事態になったじゃない。この様子だと、“彼女”も絶対来るわよ」
「だからと言って、追い返すわけにいかないだろ。
もしものことがあっても、俺の方で何とかするから、君は余計なマネをしないでくれ」
静流を前にして小声で話し合う輝男と葵。
葵としては、最悪の予感が的中し、悪い流れができてしまったことに対して、不快感を隠せずにいる。
しかしすぐに、葵はカウンターから離れていく。
ミルクティーを飲んでいた静流は、葵がいなくなると、輝男の方をまっすぐに見つめる。
「ところで、輝男さんも大学受験のための勉強をやってらっしゃるかと思いますが……
かなり大変な思いをしていらっしゃいませんか?」
「確かに、キツイと言えばキツイけど、何とか頑張ってるよ」
「もし、輝男さんの方でよろしければ、私の方で輝男さんの疲れを癒して差し上げますわ」
「ちょっと……そんなところで、こんなことを言わないでくれよ」
静流の今の申し出に、輝男は思わず、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
恥じらう輝男を前にして、静流はなおも話しかける。
「実を言いますと、私も受験勉強で色々と疲れが溜まってまして……
輝男さんが私を癒して下さったら、私もこれからも頑張ることができますから……」
そう言葉をかけながら、頬をほんのりと赤らめる。
静流の表情と彼女の言葉に、輝男は顔を赤らめながら言葉を失う。
静流が言わんとしていることが、否が応にも理解してしまったからだ。
何も言い返せずにいる輝男を見ると、静流はなおも言葉を続ける。
「お互いのためにも……近い機会に」
まっすぐに見つめ、笑みを浮かべながら言って来る静流を一瞥すると、横にいる千早の方を見る。
視線の先には、深くうつむいたまま、空になった紙コップを握り潰している千早の姿がある。
表情を見せまいとするかのように顔を伏せる千早に、輝男は気まずい表情を見せる。
しばらくすると、またも出入り口のドアが開いた。
ドアの方を振り向いた瞬間、輝男は驚愕の余り、言葉を失う。
輝男の視線の先には、黒の薄手のジャンパーに同色のデニムミニスカート、プリントされたTシャツといういで立ちをした小麦色の肌の少女が、カウンターの方へとつかつかと歩み寄って来るのが見えた。
少女は、千早の左隣の空席に着くと、カウンター越しに輝男と向き合う。
「やぁ、来ちゃった」
「お前まで……!」
屈託の無い笑顔を浮かべる小春に、輝男はため息交じりに言葉を詰まらせる。
(小春ちゃんまで……!)
別の客席の後片付けをしていた桜月は、小春の来訪に驚きを隠せずにいる。
仕切りの隅から店内の様子を見ていた葵も、小春までやって来たことに頭を抱える。
「注文は?」
「コーラとアップルパイ」
ぞんざいに注文をたずねる輝男に、小春は返答する。
輝男はその後、別の客相手の会計を次々に済ませると、再びカウンターに立つ。
店内は客足の流れが途切れず、満席となっている。
しかし、輝男の視線と意識は、間近のカウンター席に集中している。
千早を挟むようにして、小春と静流が輝男と顔を合わせている。
静流は注文の品を飲み終えたが、腰を上げる気配をまったく見せない。
一方の小春は、注文の品を美味しそうに口にしている。
二人に挟まれている千早は、重くうな垂れたまま微動だにしない。
ただならぬ気配を目の当たりにして、輝男はまたも気まずそうな顔を見せる。
すると、
「もう、どうしちゃったの? そんな嫌そうな顔をして」
傍から呼びかける声が、輝男の耳に流れた。
輝男はハッと我に返り、声が聞こえてきた方を振り向く。
すぐに小春と目を合わせると、
「まさか、アタシが来たことが嫌だ…ってわけじゃないよね?」
小春がやや苦い顔を見せながら輝男にたずねる。
「ちょっと考え事をしただけだ。君には何の関係もない」
輝男がそう答えると、小春はすぐに表情をほころばせる。
「もう、輝ちゃんったら。
楽しい文化祭なんだから、余計な悩み事なんて今は忘れなさいよ」
「あぁ……。でも、時期が時期だから……」
輝男がそう言い返すと、小春が勢い良く顔を突き出して来る。
「それより、文化祭が終わった後、何か予定とかある?」
迫り出しながら用件をたずねる小春に、輝男はたまらず一歩、後退する。
「何をするつもりなんだ?」
「決まってんじゃん。文化祭の打ち上げでエッチするんだから」
満席の店内で、誰はばかることなくとんでもないことを平然と言って来る小春。
小春の今の言葉に、輝男は一瞬、愕然と言葉を失う。
しかし、すぐに厳しい表情を小春に見せる。
「ダメだ。文化祭が終わる頃には、空も暗くなってるんだぞ。
それなのに、終わったらエッチだなんて……
親父さんやおふくろさんに死ぬほど絞られるぞ」
「大丈夫だよ。パパとママは、アタシの方で上手く対処するから。
それに、アタシ、夏休みの終わり以来、輝ちゃんとはご無沙汰なんだから」
「あのなぁ……。少しは場所をわきまえろ。
他の皆もいる傍でそんなことを言えば、すぐに他の連中にも知れ渡るんだぞ。
そうなったら、俺もお前も無事じゃいられないのに……!」
思いっきり水を差す輝男の苦言に、小春は不機嫌な表情で頬を膨らませる。
すると、
「小春さん、あいにくですけど、輝男さんはもう、私との予約を取ってありますので。
どうせなら、次の機会にして下さいな」
静流が柔和な笑みで小春の方を振り向きながら、彼女に言葉をかける。
静流の今の言葉に、小春は苛立ちを増しながら静流と対峙する。
「何よ! このアタシを差し置いて、抜け駆けなんてしやがって……!」
「そんなに輝男さんと事に及びたければ……
輝男さんが無事に大学を合格してからにして下さいませんか?」
「アンタだって、大学受験を控えてるくせに!
なのに、アタシの輝ちゃん、分ぶん捕って、無理矢理ヤりまくるわけ!?」
「お互い、大学受験を控えているからこそ…」
「やめろ、二人とも。皆が見てるじゃないか」
自分を挟んで激しく言い合う小春と静流に向かって、輝男は制止の声を上げる。
二人は、輝男の今の呼びかけと彼の厳しい表情に、すぐに口をつぐんでしまう。
すると、小春と静流の間で腰を下ろしていた千早が、ドカッと席を立った。
突然の千早の行動に、輝男、そして、小春と静流は驚く。
驚く輝男たちを尻目に、千早は顔をうつむかせたまま、パーカーのポケットから百円玉二枚をカウンターテーブルに叩き付ける。
「お代……」
重くうつむいたまま一言、そう言うと、千早は足早に店内から去って行く。
「い、稲田!」
去り行く千早の後ろ姿に、輝男は愕然とした表情を見せながら呼びかける。
しかし、千早は振り返らず、そのまま三年A組の教室から出て行く。
すると、輝男はすぐにカウンターを離れ、仕切りの向こうへと消えて行く。
一分もしなかった今の事態に、小春と静流は、取り残されたかのように呆然とする。
仕切りの向こうにある支度、仕込みスペースに、輝男が足早に入って来る。
突然、入って来た輝男に、その場にいたクラスメートたちは驚く。
しかし、輝男は構わず、着ていたエプロンを脱ぐと、
「小中、すまんが、代わりにカウンターに立ってくれ!」
早口で声を上げながら、メニューの仕込みをしている小中に言う。
「どうしたんだよ? 急に」
「急に腹痛が起きて、これから保健室に行くから」
「冗談だろ? よりによってこんなタイミングで」
「とにかく、早く行かないとヤバいんだよ!」
輝男は、驚く小中に言葉を返すと、彼の返事を待たずに部屋を出て行く。
急に現れ、そのまま出て行ってしまった輝男に、小中とその場にいた他のクラスメートたちは唖然としてしまう。
退去理由がまったくの偽りであることを知らないまま……
◇ ◇ ◇
輝男は渡り廊下を抜けて校舎第二棟に入る。
すると、手前の階段に、私服姿の者が一人、しゃがみながら座っているのが見えた。
スマートな肢体を覆う濃紺のパーカーと白のロングパンツ――
目の前の者は重く顔を伏せたまま静止している。
どんな表情をしているか、どんな心境にあるのか?
そして、具合はどうなっているのか?
容易に伺い知れない態度を見せながら、微動だにしない。
輝男は静かに歩み寄り、神妙な面持ちを見せると、
「千早……」
目の前でしゃがみながら座っている者に向かって、静かに呼びかける。
すると、目の前の者は勢いよく腰を上げると、そのまま輝男に向かって力強く平手打ちをした。
力強く引っぱたく動きに、輝男は思わず唖然とし、言葉を失う。
すると、
「近寄らないで! このケダモノ!!」
目の前に立つ千早が、鬼の形相に涙をにじませながら、腹の底から怒りの声を上げる。
今まで見せたことがないような激しい怒りを目の当たりにして、輝男は愕然としたまま、何も言い返せずにいる。
すると千早は、目元にたまった涙をこぼしながら重くうな垂れる。
「私……天江君を信じてたのに……
あなたになら、身も心も許せると信じていたのに……
私の他にも……いっぱい、手を付けていたなんて……」
さっきの小春と静流の言い争いを思い出し、裏切られた思いを悲痛に訴える。
かつて、一番の親友に裏切られ、陥れられ、周りの者たちから惨たらしく辱められた傷を背負い、誰とも仲良くなることを頑なに拒み続けていた千早。
そんな千早の心を溶かし、愛欲を心身共に刻ませた輝男が、自分の他にも何人もの少女と同じように関係を持っていたことを、当然ながら受け入れられずにいる。
「あなたは……私の傷を癒そうと懸命になってるけど……
……でも、本当は、私のことなんか、自分の欲望を満たすためだけの単なるコマの一つでしかなかったの……?」
重くうな垂れながら、痛切な調子で問いただそうとする千早。
その身はかすかに震え、つぶやく声も涙交じりになっている。
千早の今の問いかけに、輝男はすぐに言葉を返せずにいる。
しかし、わずかな沈黙の後、輝男はゆっくりと口を動かす。
「彼女たちと関係を持っているのは否定しない……
……だが、それは、君が思ってるような関係なんかじゃない」
神妙な面持ちを見せながら、真剣みを帯びた口調で千早に言い聞かせようとする。
依然として重くうな垂れ、身を震わせる千早に構わず、輝男は話を続ける。
「俺にとって、静流さんや小春は単なる欲望のはけ口なんかじゃない。
同じ人間として、深い絆で結ばれている者同士だ。
上手く言えないけど、恋人のようにも見えるし、友達のようにも見える。
少なくとも、こっちの勝手な都合でいつでも切り捨てられる程度の都合のいい存在なんかじゃない。
……千早、君も同じだ」
輝男がそこまで言うと、千早はゆっくりと顔を上げた。
怒りの表情に変わって、悲哀と戸惑いの入り混じった美貌を涙で濡らせている。
「そんな……そんなこと……」
覚束ない調子で戸惑いの念を返す千早。
真剣な調子で愛欲を交えた絆を言い聞かせようとする輝男に、なおも承服しがたい思いを返そうとする。
すると、
「天江君の言うことは本当よ」
向こうの方から、優しく呼びかける声が千早の耳に届いた。
千早、そして、輝男は、こちらの方へ歩み寄って来た桜月と葵の姿を認める。
「どうして、君たちまで……?」
「あなたが勝手に店を飛び出したから、探していたに決まってるじゃない」
葵が呆れながら、輝男からの問いかけに答える。
その横では、桜月が、千早とまっすぐ向き合いながら話しかける。
「あなたとしては、すぐに受け入れられない話かもしれないけど……
天江君は、自分と仲良くなった女の子とは、誰一人、分け隔てなく責任を持って付き合うことができる人なのよ」
柔らかな表情を見せ、落ち着いた調子で千早に言い聞かせる。
「私も最初は、天江君の特異な性質をすぐには受け入れられなかったけど……
でも、ずっと付き合ってる内に、彼には、他の人とは違う優しさみたいなものを感じられるようになったわ。
女の子なら誰それ構わず優しくするわけじゃないけど……
自分が深く関係を持った娘は、きちんと責任をもって仲良く付き合い、日々、絆を深めていく。
天江君は、あなたも私たちと同じように、深い絆を結ぶに十分、値する人として認め、こうして向き合っているの。
でなければ、あなたがさっき、お店を飛び出した時、そのまま知らんぷりしてたから」
桜月がそこまで言うと、若干、刺々しさが残っていた千早の形相は、徐々に和らいでいく。
「どんな事情を抱えていたか、まだわからないけど……
色んなことがあった末に、あなたもこうして、天江君と仲良くしていこうとしているのね……
私も昔、色々とつらいこと、苦しいことがあったけど……
天江君のおかげで救われて、今、こうして、彼と仲良くしているわ……
あなただって、このまま天江君と仲良くしていれば、彼がどんな人か十分にわかるはず」
桜月の横にいる葵が、神妙な面持ちを見せながら、千早に言葉をかける。
直感的にかつての自分と重ね合わせながら、千早に向かって、自分と同じように輝男と関係を結ぶことの意味を言い聞かせようとする。
葵の話を聞いていた千早は、遠目にもわかるくらいに穏やかな表情を見せる。
輝男は、千早の表情の変化を見ると、桜月と葵に目を向ける。
「すまん……。わざわざ、君たちの手を煩わせてしまって……」
輝男が気まずい表情で詫びの言葉をかけると、
「気にしないで。私たちもこの人とは仲良くなれそうな気がしたから」
「同じ同級生として、いかなる紛糾も見過ごすことはできないわ」
桜月と葵は、別段、気を悪くする様子を見せず、輝男に言葉を返す。
二人の返事を聞くと、輝男は改めて千早の方を向く。
「天江君……」
千早は覚束なげに呼びかけるも、正直、どうしたらいいかわからないと言ったような戸惑いの表情を見せる。
そんな千早に、輝男は柔らかな笑みを見せる。
「もし、そのまま帰るなら、それでも構わないけど……
でも、もう少し付き合いたいなら、いつでも歓迎するよ。
俺はもちろん、日向や黒山、それに先生やうちのクラスの連中も」
輝男が優しく呼びかけると、千早は戸惑った表情のまま、言葉を失い、立ち尽くす。
しかしすぐに、輝男に向かってゆっくりと口を開く。
「もう少し……付き合って…いいかしら……?」
覚束なげな表情を見せながら、ポツリポツリと呼びかける。
戸惑いとすがり付くような期待が、今の千早から容易に見て取れる。
千早の今の申し出に、輝男は手を差し伸ばす。
輝男が手を差し伸ばすと、千早は輝男に向かってゆっくりと手を差し伸ばす。
互いの手が握り合うと、輝男は千早に笑みを見せる。
千早が柔らかく、温かい手の感触を認めると、桜月と葵も優しく笑みを浮かべる。
輝男たちの笑顔に、千早もまた笑顔で応じる。
やがて輝男は、桜月と葵、そして千早を連れ立って校舎第一棟へと戻っていく。
彼らは皆、心からの笑顔を絶やさずにいる。
一方、同じ頃、三年A組の教室では……
「俺、小中高大って言うんだ。
もし、よかったら、俺と携帯番号とメアド、交換してくれないかな?」
「あいにくですが、私、既に好きな方がいらっしゃいますので……
そのようなふしだらな申し出はお受けできませんわ」
「てめぇ、いい加減にしないで、ガチで蹴り殺すよ」
カウンターに立っている小中が、真向かいの席に座っている静流と小春に冷たくあしらわれていた。