明朝学園高校の校舎内では、生徒たちがいつもと変わらず、今日一日の始まりを迎えようとする。
しかし、三年A組の教室内では、戸惑いに満ちた重い空気が輝男を中心に覆っている。
輝男が手にしているスマートフォンには、自分が送ったとされるメッセージがクラスのLINEモニターに表示されている。
戸惑い、驚愕する輝男の前で、桜月もまた戸惑いに満ちた表情を見せる。
「じゃあ、他の誰かが天江君に成りすまして、嘘のメッセージをクラスのLINEに送ったって言うの?」
「そうとしか考えられない。
そもそも、俺、芸能界に入ろうなんて、これっぽちも思ってないから」
「まさか、この前の文化祭の時の……」
桜月はそう言いながら、先日の文化祭の一幕を思い出す。
一日目に、学校にやって来た芸能事務所のスタッフが、輝男をスカウトしようとしたこと――
輝男が呆気無く拒んだことで片が付いたはずのことが、桜月の中で再び頭をもたげ、心に重くのしかかろうとする。
心配するかのような桜月の重い表情に、輝男は沈痛な面持ちで口をつぐんでしまう。
恐らく輝男も、この前の文化祭のことを思い出したに違いない。
すると、
「うちのクラスのLINEにメッセージを送れるのは、クラスの生徒と担任だけだわ。
よそのクラスはおろか、学外の者があなたの名を騙ってメッセージを送り付けることなど……」
葵が厳しい表情で輝男をにらみながら疑念を言ってくる。
葵の今の言葉に、輝男は表情を厳しくさせる。
「誰の仕業かわからんが、俺を陥れようとしている誰かの悪質ないたずらであることは間違いない。
いずれにせよ、俺は芸能界に入る気なんて頭から無いから」
わずかでも揺るがない調子で、率直な思いを伝える輝男。
彼の今の言葉に、桜月も葵も神妙な面持ちで耳を傾ける。
輝男の言ったことが本当であると認めたのだろう。
それでも、輝男の名を騙って嘘のメッセージを送った犯人がわからないことを心に引っかけている。
それは、二人と一緒に人だかりを作っていた他のクラスメートたちも同様である。
そこへ、小中が一歩、前に出て、輝男と間近に向き合う。
「天江、本当に芸能界には入らないんだな?」
「何度も言ってるじゃないか」
「それならそれでいいんだが……
お前、顔も頭もいいし、スタイルだって悪くないから、芸能界にスカウトされてもおかしくないと思って……」
「随分と買い被ってくれるな」
「お前が芸能界には絶対、入らないと言うのならそれでいいが……
もし、入る気があったら、徹底的に殴り倒していたぜ」
「どうして、お前が?」
「だって、芸能界に入ったら、毎日、可愛いアイドルや美人女優と仕事でいくらでも顔を合わせられるじゃないか。
その気になれば、美人の芸能人相手に何度でもスキャンダルなんかやらかして……!」
的外れな懸念に声を上げる小中に、輝男は唖然としてしまう。
「もし、芸能界に入って、万一、“いずみん”とちょっとでも噂になろうものなら……
さすがの俺でも、死ぬほどボコりまくらないと気が済まなくなるからな!」
「お前……そっちの方を心配するなんて……」
「まったく、バカ、ここに極まれりだわ……」
小中の今の言葉に、輝男と葵はそろって呆れ果てる。
今の彼らのやり取りに、桜月や他のクラスメートたちはドッと笑い声を上げる。
彼らを襲った予期せぬ事態と懸念は、容易に振り払えたかのように見えた。
しかし、笑いを取り戻したクラスメートたちの中で、輝男は一人、言い知れぬ不安を内心に抱える。
<わざわざ遠くまで足を運ばせたことを、決して無駄にさせないで……>
昨夜、自分へのスカウトを一旦、諦めた深山深雪(みやま・みゆき)の去り際の言葉が、輝男の脳裏に響く。
<その人、目的のためなら手段を選ばない、かなりしたたかな人だから……
その人に目をつけられたら、いくら輝ちゃんでも……>
<大丈夫さ。俺はそう簡単にくたばりはしないから>
<でも、深山深雪は簡単に引き下がる人じゃないわ。
何だか、すごい嫌な予感してならないの>
深雪が去った後、泉と電話越しで離した時のことを続けて思い出すと、
(まさか……!?)
平素の表情を必死に装う奥で、確信めいたつぶやきを発する。
◇ ◇ ◇
「明日、明後日は週末で休みになりますが……
皆もわかってると思うと、気を抜いて変な事故やトラブルを起こさないように」
教室内で、教卓を前にして理華が挨拶をする。
時計の針は三時半を指している。
今日一日の授業を終え、生徒たちが次々と教室を出て行く。
輝男もまた、カバンに教科書やノートをしまい、下校の支度を進める。
すると、
「天江君」
正面から、輝男に呼びかける声が聞こえてきた。
輝男が正面の方を向くと、理華が神妙な面持ちを輝男に見せている。
「天江君、悪いけど、後で生徒指導室に来て。あなたに大事な話があるから」
真剣な調子で用件を言うと、理華は教室から出て行く。
輝男は下校の支度を進める手を止め、半ば不安そうな面持ちを見せる。
(どうして、生徒指導室に呼ばれるんだ……?)
心当たりは無いものの、言い知れぬ不安が輝男の中で募っていく。
十分ほど、経った後、輝男は生徒指導室で腰を下ろしている。
緊張を隠せない輝男を、理華と石上が机越しに見つめる。
二人とも厳しい表情で輝男をまっすぐ見つめる。
「天江、お前をわざわざ呼んだのは他でも無い……」
厳しい表情で石上が話を切り出すと、
「午後の授業が行われている最中に、校長先生の方にあなたのお義母(かあ)さんから電話が来たの」
真剣な表情を見せながら、理華が話を言い出した。
「義母(はは)が……?」
輝男が信じられないと言ったような顔を見せると、
「あなた、昨日、芸能事務所からスカウトされ、芸能界の仕事をやるそうじゃない」
真剣な表情を崩さずに、理華が事実と違うことを言ってき来た。
理華の今の言葉に、驚きの余り、言葉を失う。
驚く輝男を見ると、石上はすぐに話しかける。
「我が校は生徒の芸能活動など厳禁している。
そのために、お前のお義母(かあ)さんが、お前を休学、ないし、停学してもらうよう、校長に電話したと言うのだ」
「そんな……! うちの義母(はは)がそんなことを……!」
「だから、事の真偽を確かめるために、あなたをここに呼んで事情を聴いているの」
理華の今の言葉に、輝男は表情を厳しくさせる。
「僕は芸能界に入ることも、芸能活動を行なうことも、端から考えてません。
もちろん、義母(はは)がそのことを校長先生に言ったりはしません」
「まさか、他の誰かが、お前のお義母(かあ)さんを騙って、嘘の電話をしたというのか?」
「はい」
厳しい表情を崩さずにたずねる石上に、輝男もわずかでも揺るがない厳然とした態度を見せる。
「じゃあ、天江君は芸能活動をやることは絶対に無いと言うのね?」
「もちろんです」
重ねてたずねる理華に、輝男はキッパリと返答する。
しかし、理華も石上も厳しい表情を見せながら輝男と向き合う。
「お前が芸能界に入るつもりも無く……
校長宛ての電話もデタラメだったとしても……
火の無い所に煙は立たぬと言うからな……
何の事情も無しに、そんなふざけた戯れ事が起こるはずが無い……!」
「それに、昨日の深夜に、誰かがあなたを騙って、クラスのLINEに嘘のメッセージを送ってるし……
天江君、本当のところを正直に話して……」
石上に続き、理華が真剣みを増しながら輝男をまっすぐ見つめ、切に呼びかける。
自分をまっすぐとらえたまま離さない二人の真剣なまなざしに、輝男は一瞬、言葉を詰まらせる。
しかし、わずかな沈黙の後に口を開く。
「実は昨日の夜、とある芸能事務所の社長が、僕をスカウトするために、わざわざ僕の自宅に来たんです」
神妙な面持ちで昨日の出来事を言い始める輝男に、理華と石上は黙って耳を傾ける。
「その前に、先日の文化祭で、その芸能事務所のスタッフが僕をスカウトしようとしたんですが……
僕はすぐに断りました。
だから、今度は社長がわざわざ出向いて、僕を芸能界に入れさせようとしたんです。
もちろん、その時もちゃんと断りました」
「まさか……校長宛ての嘘の電話も、クラスのLINEへの嘘のメッセージも、その芸能事務所の仕業だと言うのか?」
「確証は無いですが、昨日来た芸能事務所の社長の自分勝手で執拗な態度を見ると、その可能性は否定できません」
「しかし……芸能事務所が、そこまでして目を付けた者を執拗に狙うとは……
彼らがしたと思しき所業のどれ一つとっても、十分に犯罪行為に値する」
石上が輝男の今の話に、愕然としながら深く嘆息すると、
「石上先生……こんなこと、言いたくないですが……
本物の悪党は、我々の想像や常識を優に凌ぐ悪事や所業を何の苦も無くやってのけますから……
天江君に目を付け、彼を自分たちの掌中に収めるためなら、それくらいのこと、造作も無いかもしれません」
横にいる理華は、苦虫を噛み潰したような顔で、絞るような声を上げる。
偽のメッセージ、嘘の電話で輝男を悩ませようとする相手への底知れぬ怒りと不快感を隠そうとしない。
理華の今の言葉に、石上は同意を示すかのように言葉を失う。
依然として厳しい表情を見せながら、向かい合って座っている輝男をまっすぐ見つめる。
「我々としても、大事な生徒がそのような危険な状況に追い込まれているのを見過ごすわけにはいかん。
お前を守るために、できるだけの措置はしてやろう」
「ありがとうございます。でも、これは僕自身の問題です。
僕のことで、先生方を煩わせるわけには…」
「何、言ってるの?
大事な教え子、可愛い生徒のためなら、どんな危険だって惜しまないわ」
「その気持ちだけで結構です。
僕にまつわる問題は、僕自身の手で解決しなければ意味がありません。
さもないと、あの社長やその下にいる連中は、決して僕のことを諦めませんから」
せっかくの心遣いを丁重にはね付ける輝男の脳裏に、文化祭の際にスカウトしようとした事務所スタッフ、そして、昨晩、自分と対峙した深山深雪の姿が克明に浮かび上がる。
「だから、この問題は僕に任せて下さい」
念を押すように自らに請け負う言葉をかけると、
「天江、お前の力だけで解決できる問題だと思っているのか!?」
石上は、更に表情を険しくさせながら、大事な生徒を憂う余り、声を荒げてしまう。
「天江君、君の気持ちはわかるけど……
むざむざと危険にさらすようなマネを許すわけにはいかないわ。
それでなくとも、半年もしない内に大事な大学入試を控えているのに」
「わかってます……。でも、やらせて下さい……!」
厳しい表情で苦言を呈する担任に、輝男は頭を下げながら痛切に懇願する。
わずかでも揺るがない輝男の決意を前に、理華と石上は厳しい表情で口を閉ざし、言うべき言葉を詰まらせる……
他に誰もいない孤独と静寂の中、輝男は生徒玄関手前の壁際に背もたれしている。
右手には一枚の名刺が握られている。
手中にある名刺には、深山深雪の名前と、携帯の電話番号、メールアドレスが並んで表示されている。
名刺に記された電話番号を見ると、左手にあるスマートフォンで電話をかける。
四、五回ほど呼び出し音が鳴ると、
『もしもし……』
冷たく呼びかける女性の声が聞こえて来た。
電話相手の声を聞くと、輝男は厳しい表情で口を開く。
「天江輝男です。昨晩はわざわざ、僕の家に足を運んで来てくれて、恐縮する次第です」
トーンを抑えながら、電話の向こうにいる深山深雪に向かって挨拶する。
『ところで、何の用事があって、わざわざ電話して来たの?』
「昨晩の件で、一度、あなたとお会いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
輝男は厳しい表情を見せながら電話越しに申し出る。
輝男の今の申し出に、電話の向こうから数秒ほど、沈黙の静寂が聞こえて来る。
やがて、
『いいわ。迎えの車をそちらに回すから』
冷淡な調子で応諾の返事を告げる声が、輝男の耳に流れる。
「ありがとうございます」
電話の向こうからの応諾に、輝男は厳しい表情を見せながら感謝の一言を返す。
◇ ◇ ◇
暗くなった空が、青春中央駅の正面入口を見下ろす。
入口手前の壁際で、輝男は背もたれしながら、誰かと電話をしている。
「うん……だから、今日、週末で明日、明後日休みだから……
今日は、友達の家で泊まり込みで勉強会することになって……」
輝男が電話越しに用件を伝えると、
『そう……。それならいいけど……
それなら、向こうに迷惑をかけないようにね』
電話の向こうから心配そうに呼びかける声が聞こえてくる。
「わかったよ。わがまま言って、ごめん、義母さん」
申し訳無さそうな表情で、義母に向かって電話越しに詫びの言葉をかける輝男。
間も無くして通話を終えると、スマートフォンを制服のブレザーのポケットにしまう。
すると、輝男の目の前に、グレーの背広を着た二人の男が歩み寄って来た。
淡々とした形相で輝男をにらむと、後ろの方へと顎を引く。
彼らが示す先には、横付けに停車されているグレーの乗用車がある。
輝男は、半ば緊張したかのように表情を厳しくさせると、男たちに先導されて車の後部座席に座る。
背広の男の一人が輝男の横に寄り添い、もう一人が車のハンドルを握る。
ものの一分も経たない内に、輝男を乗せた車は、駅の手前を発つ。
駅前を出発したグレーの乗用車は、その後、一時間ほどバイパスを疾走した後、都心部に着いた。
都心部に着いたグレーの乗用車は、六本木に入ると、一軒の大型複合ビルの敷地内に入った。
様々な施設やオフィス、居住マンションを兼ね備えた四十階建てのビルの地下駐車場に、車が停車する。
輝男は男たちに左右から伴われながら、地下駐車場奥のエレベーターに入り、上の階へと上って行く。
ビルの三十五階でエレベーターが止まると、男たちに伴われた輝男が出て来た。
廊下の奥に突き当たると、正面に一枚のドアが見えた。
男の一人がドアの横にある呼び鈴を押す。
『どうぞ。入りなさい』
呼び鈴に備え付けられているインターフォンから、冷淡な女性の声が入室をうながす。
男がドアを開けると、輝男もまたドアの向こうへ入って行く。
数歩、歩いた後、大きなプライベートルームに足を踏み込んだ。
そこは、リビングとベッドルームが一体化し、テーブルやデスク、大きめのソファーや液晶テレビが備え付けられている。
部屋の端にはダイニングキッチンが備わっている。
輝男は、すぐ目の前のテーブルの席に、一人の女性が腰を下ろしているのを認めた。
歳にして三十代前半くらい――
艶やかな黒のセミロングを備えたクールな美貌――
白のブラウスに黒のひざ丈スカート、細く引き締まった左右の美脚を覆う黒のストッキング――
昨晩、自宅リビングで対峙した深山深雪とまったく同じ姿の女性が、今、輝男の目の前にいる。
否、深山深雪本人である。
深雪は、目の前に輝男がいるのを認めると、スッと席を立った。
「もういいわ、下がって」
輝男の左右にいる背広の男たちを一瞥すると、冷淡に退去を命じる。
男たちは深雪の命令を受け、すぐに部屋を出る。
二人きりとなった部屋の真ん中で、輝男は厳しい表情を深雪に見せる。
一方の深雪は、冷たくも不敵な笑みを輝男に見せる。
大きな獲物を仕留めたような達成感を隠そうとしない。
「ようやく、観念したようね。天江輝男君」
冷たくほほ笑みながら、嬉しそうに言葉をかける深雪。
深雪の今の言葉に、輝男は厳しい表情で唇を固く閉ざす。
「早速、本題に入るけど…」
と、深雪が言葉を続けようとすると、制服のブレザーの胸ポケットから一枚の名刺を取り出した。
深雪は、輝男の手中にある名刺に自分の名前があるのを認める。
すると、輝男は深雪の目の前で、彼女の名刺を跡形も無くビリビリに千切っていく。
礼を失する今の行為に、深雪は一瞬、表情を苦くさせる。
「何のマネかしら?」
「深山社長、これが俺の意思です」
冷淡にたずねる深雪に、輝男は絞るような声で言い返す。
努めて感情を抑えつつも、不快感や嫌悪、そして、怒りを隠そうとしない。
「何度でも言うが、俺は芸能界に入り、芸能人として活躍する意思など微塵も無い。
なのに、あなたは俺にしつこく芸能界入りを勧め、そのためならえげつない手段も平気で使う……!」
「何のことかしら?」
「俺の名を騙ってクラスのLINEに嘘のメッセージを送ったことも……
俺の義母(はは)を偽って、学校に俺を停学、休学にするよう電話をよこしたのも……
すべて、あなたの仕業でしょ?」
「確たる証拠も無いのに、この私を悪質な犯罪者の類みたいに言うなんて……」
「そんな汚いマネをするのは、あなたやその仲間以外に誰がいると言うんだ?」
必死に感情を押し殺しながら追及する輝男に、深雪は冷たい沈黙で応じる。
厳然とした面持ちで輝男をにらむも、輝男は気圧されるどころか、一層の敵意を募らせる。
「俺はあなたやあなたの部下に、何度も芸能界へのスカウトを断った。
普通なら、そこで諦めるはずなのに、逆に俺を自分たちの手中に収めようとしつこく罠を仕掛けている。
何故、そこまで俺にこだわるんだ?」
険しい表情で深雪をにらみながら、肝心の疑問を吐き捨てるように言い放つ。
「昔、同じアイドル、女優として競い合い、張り合うライバルだった俺の義母(はは)への当てつけか?
春休みに、俺の幼なじみの件で、あなたの上役をぶん殴ったことへの報復か?
それとも……!」
自分を執拗に狙う深雪の動機を探るように、疑問を言い連ね、ぶつけようとする輝男。
一歩も引かぬ態度で対峙して来る輝男を、深雪は冷たくにらみ続ける。
一分ほど――体感的にはその倍以上、沈黙が続いた後、深雪がゆっくりと口を開く。
「君が泉梓の件で郷沢社長を殴ったことは、すぐに私や他の連中も知るところとなったわ。
本来であれば、君のような名も無い子供など、郷沢社長の命令一下、すぐにでも消されていたわ。
でも、その端整なルックスに似合わず、名だたる権力者を殴ることも厭わない度胸を備えた君を、そのまま消すのは忍びない。
それに、もし芸能界に入り、モデル、もしくは役者とて活躍するのであれば、十年選手どころか、二十年、三十年…いや、五十年は余裕持って活躍できるほどの素晴らしい素材になれるかもしれない。
そう見込んで、私は、君を芸能界にスカウトしようとしているのよ」
クールな表情を崩さずに、輝男に向かって返答の言葉を淡々と言い連ねる深雪。
彼女の今の言葉に、輝男は感嘆するどころか、呆れたような面持ちで深くため息を付く。
「俺のことを随分と買い被ってくれているが……
見込み違いがひど過ぎて話にならない……
華やかな芸能界とやらに首を突っ込んで二、三年程度で使い捨ての消耗品になるくらいなら……
学校や予備校、家で机にかじり付きながら勉強してた方が余程マシだ」
「単なる消耗品程度の存在のために、私たちが君相手に労力を惜しまないとでも思っているの?」
「あなたの……いや、あなたの上にいるあの忌々しい老いぼれのブタの考えることなど、俺には容易にわかる!
俺の義母(はは)を心身共に汚し、辱め、死ぬほどこき使っておきながら気まぐれ半分で切り捨て……
今、大いにスポットライトを浴びている俺の幼なじみも、あと一、二年したら、使用期限の切れたオモチャとして簡単にポイ捨てする……!」
徐々に怒りに募らせ、義母を襲ったかつての非運とこれから幼なじみを襲うであろう惨たらしい未来を言い連ねる輝男。
深雪は、真正面からの怒りを前にしても、冷たく厳しい美貌をわずかでも崩そうとしない。
「佐倉春花も泉梓も、所詮はその程度の消耗品でしかない。
でも、天江君、君だけは彼女たちとは違う。
あなたは、この芸能界で活躍し、一人前のスターとなり得る資質を大いに秘めている。
ただ、その資質にまったく気付いていないだけ」
「そんなことはどうでもいい!
それより、俺の大事な義母さんといずちゃんをけなすことだけは絶対に許さん!」
「君は高校三年、大学受験を控えている身だけど……
どうせ、どこの大学にも入れないのに無駄に受験勉強で苦労するより、芸能界で存分に活躍した方が君のためにもなるわ」
輝男の怒りの声を無視するかのように、なおも執拗に芸能界入りを勧める言葉をかける深雪。
と、次の瞬間、深雪の頬を力強い平手が襲った。
鬼の形相で歯を食いしばりながら、輝男が深雪目がけて力一杯に平手打ちを食らわせたのだ。
思わぬ相手からの突然の平手打ちに、深雪は一瞬、よろめき、驚きの表情を見せる。
すぐに体勢を立て直すと、鬼の形相で鋭くにらみ付けながら、力一杯に拳を握り締める輝男の姿を目の前に認める。
「あなたがそこまで精魂腐ったゲスだったなんて……!
なおさら、芸能界に入りたくなくなったじゃないか……!
高所から頭を抑え付け、心身共に汚し、辱め、その上、死ぬほどこき使った者を虫けら以下も同然にさげすみ、けなしまくって……!
そのくせ、自分は一番の能無しであるくせに、莫大な利益を独り占めして平然と安逸をむさぼる……!
そんなヤツが玉座にふんぞり返ってのさばっている世界なんか、死んでも足を踏み入れるものか!
そんなことするくらいなら、そんな忌まわしいゴミまみれの世界なんか、跡形も無く破壊し尽くしてやる!」
溜まりに溜まった不快感、嫌悪感、憤りを、腹の底からの怒りの叫びとして、芸能事務所の女社長である深雪に容赦なくぶつける輝男。
これ以上は無い憤怒を目の当たりにして、深雪は思わず、愕然とした面持ちで言葉を失う。
一方の輝男は、大好きな義母の非運と幼なじみの悲痛を嘲笑されることに、激しい怒りを覚えずにはいられないのだ。
愕然と言葉を失う深雪を前にして、輝男もまた、凄まじい憤怒を爆発させたせいで言葉を失っている。
どのくらい、時間が経ったのだろう……
長く続いた沈黙の後、深雪は冷やかながらも表情を落ち着かせる。
力強い平手打ちで腫れた頬はそのままに、厳しい表情を見せ続ける輝男と改めて対峙する。
「天江君……君、今、自分がどんな状況にあるのかわかってるの?
君は自ら、敵の手中に落ちたも同然なのよ。
ちょっとやそっとの悪あがきでは抜け出せないくらいに……」
深雪が冷たくにらみながら淡々と脅しめいた言葉をかけると、
「俺をどうしようと言うんですか?
無理矢理にでも屈服させ、言いなり放題の人形にでも仕立て上げるつもりですか?
それとも、どうせ思い通りにならないなら殺すとでも……!?」
輝男は、いささかも臆することなく、絞るような声で言葉を返す。
「こんなこと言いたくないけど……
私は、目的のためなら手段なんか選ばないわ……
君が私の言うことに素直に従わないなら……
君だけじゃなく、君のお義母(かあ)さんも友達も無事じゃいられないわ」
「そんなハッタリが俺に通用するとでも思ってるのか!?
あなたがそんなことをするのなら、先に俺があなたを……」
「君こそ、私相手にふざけたハッタリなんか言って……!」
「あなたやあの忌々しい老いぼれのブタに屈して消耗品以下の奴隷の成り下がるくらいなら……
俺は、あなたを道連れにして地獄に落ちることも惜しまない……!」
深雪も輝男も努めて感情を押し殺しながら、互いに一歩も引かぬまま激しく言い合う。
己の意思を貫かんとする輝男と、自らの目的に固執する深雪。
相容れず、譲り合うことも無い二人の対峙が、マンションの一室で延々と続く……