※この作品はR-18です。

天江輝男の日常   作:原野イアン

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最大の試練(2) ●

 都心の中心部にある広大な敷地を、レンガで積まれた塀と門が取り囲んでいる。

 塀の内側、敷地の真ん中には、格式ある荘厳な建物がいくつも併設されている。

 この建物群こそ、百年以上もの歴史と伝統を誇る日本屈指の名門大学・御学堂大学の学舎である。

 それらの学舎群の中でもひと際大きく目に付く大講堂内の大講義室。

 最大、百人収容可能なこの大講義室の真ん中で、輝男は腰を下ろしている。

 目の前の卓上には、シャープペンシルや消しゴム、そして、自身の受験番号が記されている受験カードが置かれている。

 容易に声をかけることもはばかれるような緊迫しきった面持ちを見せながら、緊張の余り、固く制止している。

 そこへ、大学職員と思しき背広の男たちが、着席している若者たちに向けて、一人ずつ、問題用紙と解答用紙を配布する。

 輝男の目の前にも、入学試験の問題用紙、解答用紙が配布される。

 輝男は固く制止したまま、目の前に置かれた用紙を黙って見下ろす。

 緊迫しきっているせいか、かすかな呼吸音さえ聞こえてこない。

 配布が終わり、男たちが受験生たちの座る席から離れる。

 やがて、一分ほど経った後、

 

 「始め」

 

 正面にある教卓の前に立つ背広の男が、試験開始を告げる。

 すると、輝男をはじめとする受験生たちは、一斉に問題用紙を開き、シャープペンシルを手にした。

 重苦しい、張り詰めた空気の中、御学堂大学の入学試験は始まった。

 

 御学堂大学の入学試験は学部によって様々だが、輝男が今回、志望した経済学部では、二日間をかけて五教科の筆記試験と面接試験を行なう。

 一日目に三教科の筆記試験を終えた後、続く二日目は、午前中に二教科の筆記試験を行なった。

 

 

 御学堂大学内にあるとある小講義室で、輝男は他の受験生四名と一緒に、横並びに腰を下ろしている。

 筆記試験の時と同じく、緊迫した真剣な面持ちで、正面にあるものをまっすぐ見据える。

 視線の先、二、三メートル離れたところには、机を挟んで着席する四、五十代くらいの背広の男たちが三名、着席している。

 真ん中に座る薄毛の男が、厳然とした面持ちで輝男に目を向ける。

 

 「天江…輝男君……。君は何故、経済学部を志望したのかね?」

 

 男が輝男に向かって志望理由をたずねると、

 

 「経済こそが社会の根底を成すものと認識しております。

 将来は、経済分野において人々や社会のために役立つ人材になろうと考えておりまして、そのために必要な知識と学問を学ぶために、今回、御学堂大学経済学部を志望いたしました」

 

 輝男は真剣な表情を崩さず、流れるような調子で自らの志望理由を説明した。

 すると、向かって右側に座るメガネをかけた男が口を開く。

 

 「経済学部なら、この東京都内、それも都心部にある大学ならほとんど存在している。

 その中で、当大学を選んだのは、どういった理由によるものかね?」

 

 「戦後の混乱期、当大学の存続のため、経済学部の新設、拡充に力を注いだことが、当大学を志望する上での大きな要因となりました。

 旧華族をはじめとする各種各層の人々に門戸を開き、学部生の育成を通してたゆまぬ自己革新に努め、どの大学にも負けず、経済方面で数多の逸材を輩出したことを受けて、及ばずながら、自分もその列に加わらんという思いから、今回、御学堂大学経済学部を志望しました」

 

 輝男は、メガネの男からの問いかけを受け、真向かいの男たちをまっすぐ見据えながら話した。

 男たちの目には、わずかでも揺るがない輝男の真剣な表情が否応なく映る。

 こうして、二日目午後の面接試験は滞りなく進んでいく。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 面接試験から三時間後、御学堂大学のすぐ近くにある駅から電車が出発した。

 九両編成の車両の真ん中で、輝男は疲れ果てたかのような形相で腰を下ろす。

 疲労困憊といった形相で、ボンヤリと車両の天井を見上げる。

 

 (御学堂大学でこの調子なら、東大入試となると無事に終われるかどうか……)

 

 疲弊の念と少なからぬ不安を心の中でつぶやく輝男。

 彼の脳裏には、二日間にかけて行われた筆記試験とその後の面接試験の模様が、克明に浮かび上がる。

 既に輝男の頭の中では、入試問題の一つ一つとそれに対する解答はすっぽり抜けてしまっている。

 さっきまでの面接試験と併せて、未だかつてないくらいに神経をすり減らしてしまったようだ。

 そのまま呆然としていると、輝男の向かって左側の空白の席に、何者かが腰を下ろしてきた。

 

 「輝男さん」

 

 左の方から、そっとささやくような声が流れて来る。

 ささやくような呼び声にハッと我に返ると、すぐに声が聞こえて来た方を振り向く。

 振り向いた先には、柔和な笑みを浮かべながらこちらを見つめる一人の少女が座っていた。

 艶やかな黒のセミロングと気品あふれる美貌が、輝男の目に焼き付く。

 

 「し、静流さん……!」

 

 目の前にいる静流を認め、驚きの声を上げる輝男。

 思わず驚く輝男に、静流はクスッと笑みを浮かべる。

 

 「輝男さん、随分とお疲れのようですけど、やはり試験は大変でしたか?」

 

 「ま、まぁね……って言うか、君も?」

 

 「えぇ。私も御学堂大学の入学試験を終えまして、今、帰るところですの」

 

 「君も御学堂大学を受けてたんだね?」

 

 「私にとっては、一番の本命でしたから。

 文化祭にお邪魔した後は、輝男さんに会いに行くのをずっと我慢して勉強して参りましたので」

 

 「君も君で、結構、大変な思いで受験勉強してたんだな」

 

 「どうしても、御学堂大学に入りたかったものですから。

 そのためなら、多少のプレッシャーや心痛など、いくらでも耐えて見せますわ」

 

 横並びの状態で腰を下ろし、共に向き合いながら会話を交わす輝男と静流。

 輝男は、大きな達成感すら感じさせる静流の安堵の表情を横から見ると、

 

 (ホテルグループの令嬢だけど、自分の意思で選んだことのために、ずっと苦労したんだろうな。

 それに、アイツのためにも……)

 

 内心、感慨深げにつぶやく。

 輝男の脳裏には、去年の正月明け、家出した豪と政略結婚を嫌って家を飛び出した静流と邂逅した時の光景が克明に浮かぶ。

 そして、その後の静流、豪との交流の記憶が、輝男の脳裏から離れずにいる。

 自分の将来のため、愛する者のために辛苦を惜しまなかった静流の気持ちを心ひそかに汲もうとする。

 すると、

 

 「あれ? 天江君、それに最上さん」

 

 横から呼びかけてくる声に、輝男はハッとなった。

 すぐに正面を向き直すと、またも驚きの表情を見せる。

 

 「ひ、日向! どうして……?」

 

 驚く輝男の目の前には、何故か桜月が立っていた。

 桜月は驚く輝男に笑みを見せると、

 

 「今、入学試験を終えて帰るところだったの」

 

 今、この場にいる理由を説明した。

 

 「入学試験って…もしかして…」

 

 「御学堂大学ですの?」

 

 輝男の問いかけをさえぎるかのように、静流が桜月にたずねる。

 桜月はすぐに首肯して、二人からの問いかけに応じる。

 信じられないと言わんばかりに驚く輝男に構わず、向かって右側の空白の席に腰を下ろす。

 輝男は桜月と静流に左右から挟まれた状態で腰を下ろす形となった。

 そしてすぐに、半ば戸惑ったような顔で桜月の方を振り向く。

 

 「どうして、御学堂大学を受けたんだ?」

 

 「万一の保険…みたいなものかな……。本命が落ちた場合のことを考えて。

 天江君だってそのつもりなんでしょ?」

 

 サラッと言葉を返す桜月に、輝男は一瞬、戸惑いながら口をつぐむ。

 しかし、すぐに表情を落ち着かせ、口を動かす。

 

 「日向、君の本命は確か関東国大なんだろ?」

 

 「うん」

 

 「ぶっちゃけた話、御学堂大学も関東国大も学力レベルではほぼ互角。

 御学堂大を万一のための滑り止め扱いにするには、かなり無理があると思うな」

 

 「でも、天江君だって、東大も御学堂大も余裕で入れるところじゃないでしょ」

 

 桜月がそう言うと、輝男はまたも口をつぐむ。

 痛いところを突かれたかのように気まずい表情を見せてしまう。

 すると、

 

 「日向さん、関東国大の入試はまだこれからですけど、是非、頑張って合格して下さいな」

 

 静流が桜月の方を振り向きながら、これ以上は無いくらいの柔和な笑みで励ましの言葉をかける。

 

 「あ、ありがとう、最上さん。わざわざそんなことを言ってくれて」

 

 桜月は、静流の今の励ましに、少々、ぎこちないながらも言葉を返す。

 二人の間に挟まれる輝男は、

 

 (静流さんったら、下心見え見えじゃないか)

 

 静流の柔和な笑みと励ましの奥に潜むものを見抜いたかのように、呆れ果てた思いをつぶやく。

 

 

 それから十数分後――

 

 席に座り続ける輝男は、憂いを隠せない面持ちで天井を見上げる。

 

 (御学堂大学の入試は終わったけど、一番の難関がまだ残ってるんだよな……

 そもそも、さっきの入試自体、手応えがあったかどうか微妙だったし……)

 

 東大入試を控えている上に、さっきまでの御学堂大入試の手応えに、一人、不安を募らせる。

 そんな輝男の左右では、桜月と静流が両脇から身を寄せながら眠っている。

 輝男と同じく御学堂大学の入試を終えた二人は、緊張からの解放と心身の疲労のせいで眠気に襲われ、そのまま眠ったのだろう。

 未だ不安と苦悩が消えない輝男は、自分にピッタリと寄り添って眠っている美少女二人の無防備な寝顔と静かな寝息、そして、密着する香りとぬくもりにまったく意識が向けずにいる。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 明朝学園高校内の廊下で、生徒たちがいつもと変わらぬ様子で雑談に興じている。

 教室内では、仲間内で弁当を食べたり、雑談を交わす姿があちこちで見受けられる。

 一方、体育館では、生徒たちが賑やかな歓声を上げながら遊んでいる。

 生徒たちが思い思いに昼休みを過ごす中、保健室内では、理華と真白が並んで腰を下ろしている。

 

 「今日はせっかくのバレンタイン・デーなのに、天江君たちは受験、受験でそれどころじゃない…って感じね」

 

 カップに注がれたコーヒーを口にしながら、真白がため息交じりに言うと、

 

 「仕方がないでしょ。今が一番、大変な時期なんだから」

 

 同じくコーヒーを飲みながら、理華が重い表情で言い返す。

 可愛い教え子を取り巻く状況に憂慮を隠せずにいると、

 

 「あの……先輩は大丈夫でしょうか……?」

 

 真向かいで腰を下ろす七海が、不安に満ちた面持ちで理華と真白にたずねる。

 七海の今の問いかけに、理華は飲みかけのコーヒーを飲み干す。

 

 「卒業の方なら問題ないわ。

 このまま行けば、天江君たちは、来月には無事、この学校を巣立っていけるから」

 

 「そう…ですか……」

 

 理華の返答に、七海は更に表情を暗くさせる。

 最愛の先輩の大学受験が未だ先が見通せない上に、もうすぐ学校を卒業し、去って行くことに悲嘆を隠そうとしない。

 すると、七海の横に座っている大柄で平凡な容姿をした男子生徒が口を開く。

 

 「小中先輩も人が変わったかのようにピリピリしてますし……

 物凄い成績のいい先輩でも、東大入試となると全然余裕が持てないのだな…と思い知らされて……」

 

 七海の横にいる宇藤大樹が、クイズ研究会の先輩でもある小中の近況を端的に伝え、憂う気持ちを言う。

 

 「小中君、普段は軽率なお調子者で、その上、可愛い女の子には目が無いスケベだけど……

 やる時はやる……って言うか、ここぞという時や本気で追いつめられた時には、他の誰よりも真剣になるから」

 

 理華が神妙な面持ちを見せながら、可愛い教え子の一人である小中のことを言うと、

 

 「あなたたちにとっては、まだまだ先かもしれないけど……

 先輩たちを見て、大学入試とはいかなるものか……そのことをちゃんと肝に銘じておきなさい」

 

 横にいる真白は、真向かいにいる七海と宇藤をまっすぐ見据えながら念を押すように言う。

 

 「はい」

 

 宇藤と声を揃えて応諾の返事をする七海だが、やはり憂いを振り払うことができずにいる。

 

 

 生徒たちが次々と階段を下りていく。

 教室内では、まだ残っている生徒たちが、カバンに教科書やノート等をしまい、帰り支度をしている。

 教室内の時計は三時半を指している。

 今日一日の授業を終え、ほとんどの生徒たちが下校の途に着こうとする。

 輝男もまた、他の生徒に混じって一階へ下りると、そのまま生徒玄関に向かう。

 すると、

 

 「あ、天江先輩!」

 

 横から、緊張しながら声を張り上げて呼びかける声が聞こえてきた。

 輝男が横を振り向くと、七海が急ぎ足で駆け寄ってきた。

 輝男の目に、緊張とときめきが混ざった形相を赤らめる七海のあどけない美貌が映る。

 

 「百川、どうしたんだ?」

 

 輝男がたずねると、七海が両手に持っていた小箱を輝男に押し付けた。

 包装紙とリボンでラッピングされた小箱を輝男が手にすると、

 

 「せ、先輩……受け取って下さい……」

 

 表情を見せまいと深く顔をうつむかせながら、しどろもどろに七海が呼びかける。

 そして、輝男を残し、その場から逃げるように去る。

 輝男は、遠のく七海の後ろ姿に首を傾げつつも、すぐに小箱をカバンの中にしまう。

 間も無くして、何も無かったかのように生徒玄関に入ると、靴を履き替え、そのまま下校していく。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 輝男が七海から小箱を受け取ってからおよそ五時間後――

 

 「ただいま」

 

 天江家玄関ドアが外から開かれ、向こうから帰宅を告げる声が聞こえてきた。

 制服姿の輝男が、カバンを手にしながら家の中に入って行く。

 学校を出た後、その足で予備校に向かい、そのまま最後まで講義を受けて来たのだ。

 輝男がすぐにリビングに入ると、エプロン姿の真純が、輝男の前に歩み寄って来た。

 真純の手には一枚の封筒が握られている。

 

 「輝男さん、これ……」

 

 真純はそう言いながら、輝男に封筒を手渡す。

 輝男が封筒を受け取ると、キッチンに向かい、一人分のメニューを載せた盆を両手に持ち、再びリビングへと向かう。

 輝男は、義母から受け取った封筒の表面を見る。

 表面には、手書きで自分の住所と氏名が記されている。

 そして、裏面を見ると、東京大学の名称と住所が記されていた。

 

 (ま、まさか……!?)

 

 受け取った封筒を手にしながら、内心、驚愕の声を上げる。

 東京大学から送られて来たものと思しき封筒を手にしたまま、驚愕の余り、その場に立ち尽くす。

 すぐ近くのテーブルの上には、真純の手で自分の分の夕食が用意されているが、そのことに気付く余裕も無い。

 

 

 一時間ほど経った後、輝男は自室で腰を下ろしていた。

 すぐ目の前の机上には、さっき義母から手渡された封筒が置かれている。

 輝男は封筒を手にして封を切る。

 すぐに封筒の中身を取り出すと、一枚の用紙がすぐに認められた。

 輝男の手にある用紙には、

 

 ――今回、第一段階選抜に合格し、一般選抜第二段階に進んだ旨を報告いたします。

 一般選抜第二段階の開催日は…――

 

 と、入試の案内が記されていた。

 そして、封筒の中には、もう一つ、カードのようなものが入って来た。

 カードを手にすると、自分の氏名と数字、そして、東京大学の名称が併記されていた。

 手中にあるカードを凝視すると、

 

 (これが、俺の東大受験票……!)

 

 驚きを隠せないといった様子で独白する。

 輝男は、先日の大学入学共通テストを経て、東大入試の本試験となる一般選抜へ進むことができたのだ。

 東大に受かったわけではないが、重要なステップを無事に踏み越え、驚きと興奮に冷静さを失いかけている。

 しかし、数分経った後、落ち着きを取り戻したかのような表情を見せ、東大から送られて来た案内の用紙と受験票を机上に置く。

 すると、ハッと何かを思い出したかのような顔を見せた。

 傍に置いてあるカバンの中身をあさり、中から包装紙とリボンでラッピングされた小箱を取り出す。

 今日の下校時、七海から受け取った小箱だ。

 リボンをほどき、包装紙をはがし、小箱の中身を空ける。

 すると、手のひら程度の大きさをしたハート型のチョコレートが姿を現した。

 そして、チョコの表面には、

 

 祈 東大合格――

 

 と、ホワイトチョコで作られた文字が添えられていた。

 チョコレートを手にした途端、輝男はまたも、何かを思い出したかのような顔を見せる。

 

 「そうか……。今日はバレンタイン……」

 

 ようやく、今日がバレンタイン・デーであることを思い出した輝男。

 大学受験のための勉強、そして、卒業をかけた日々の授業に集中し、没頭する余り、バレンタイン・デーのことをすっかり忘れていたのだ。

 大学受験真っただ中である輝男としては、無理も無い話だが……

 改めて、可愛い後輩が贈ってくれたバレンタインチョコを向き合うと、

 

 「ありがとう、七海ちゃん。俺のために、わざわざ手作りのチョコを作ってくれて……」

 

 感慨深げな表情の奥で、可愛い後輩に対する感謝の念をつぶやく。

 そして、そのまま、愛おしむかのように七海の手作りチョコと向き合う。

 勉強に取り掛かる様子も見せず、チョコを食べることすら惜しむかのようだ。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 寒風と曇天に彩られた空の下、都心にあるとある駅の正面入口から輝男と桜月が出て来た。

 

 「黒山さん、大丈夫かな? 今日、早稲田の入学試験があるけど……」

 

 輝男の横で歩を進めながら、桜月が憂いを帯びた面持ちでつぶやく。

 桜月の憂いを耳にすると、輝男は落ち着いた表情を見せながら口を開く。

 

 「信じるしかない……

 黒山だって、今日まで早稲田に入るための勉強を必死に続けてきたんだ」

 

 「私だって、葵さんが無事に早稲田の入試に受かることを信じたいわ……

 でも……」

 

 「例え、わずか1%でも、最後まで諦めず、希望を持ち続ければ、必ず望みはかなう……

 この前、君が俺に言ってくれたばかりじゃないか」

 

 憂いを振り払うかのように言葉をかけてくれる輝男に、桜月はなおも表情を重くさせながら、力無く首肯する。

 そのまま歩を進めながら、二人は会話を続ける。

 

 「ちょっと聞いていいかな……?」

 

 恐る恐るといった調子で、桜月が話を切り出す。

 輝男を恐れているというより、気遣うかのような態度を見せる。

 

 「輝男君って、東大の入試はどうなったの?」

 

 「無事に本試験に進むことができたよ」

 

 恐る恐るたずねる桜月に、輝男は落ち着いたまま返答する。

 輝男の今の返答に、桜月は若干、表情を落ち着かせる。

 

 「桜月、君は?」

 

 「私も来週、関東国大の入試を受けることになったわ」

 

 「そうか……。お互い、もうひと踏ん張りだな」

 

 そう言葉を交わすと、二人の目の前に煉瓦造りの塀と門が見えた。

 御学堂大学の正門前に着くと、桜月はすかさず、横にいる輝男の手をギュッと握り締める。

 いつになく強い握力に、輝男は横にいる桜月の方を振り向く。

 振り向いた先には、緊張の余り、顔をうつむかせる桜月の姿が見える。

 

 (例え、滑り止めとはいえ、結果を見るのが怖いんだ……)

 

 努めて感情を抑えつつも、その奥で、桜月の沈痛な気持ちを察するかのようなつぶやきを発する。

 輝男は何も言い返さず、正面を向き直すと、ゆっくりと御学堂大学の正門をくぐる。

 輝男に引きずられるかのように、桜月も輝男と手をつないだまま、一緒に歩を進める。

 やがて、先日の入試会場となった大講堂に差し掛かると、正面入口手前に臨時の掲示板が設置されているのが見えた。

 輝男と桜月が掲示板の前に着くと、

 

 「やった――! やったわ―――!」

 

 「嘘だろ――!? 俺の番号が無いなんて!!」

 

 「ど、どこ? どこ!? あたしの受験番号、どこ!?」

 

 結果に歓喜し、落胆する受験生たちの姿があちこちに見られた。

 輝男と桜月は、掲示板に貼られている無数の数字を眺める。

 無数にある数字の上には、

 

 御学堂大学 一般選抜入学試験合格者一覧――

 

 と、大書で記された見出しが認められる。

 輝男と桜月は、すぐにポケットからカードを取り出す。

 輝男は、自分の手中にあるカードの英数字――GUE-20200194と掲示板内の一覧を交互に見る。

 一方、桜月も、手にしているカードの英数字と掲示板を交互に見ながら、掲示板内にある無数の数字を目で追う。

 桜月が手にしているカード――御学堂大学の入試受験票には、

 

 GUE-20200674――

 

 と、桜月の受験番号が記されている。

 すると、輝男と桜月は掲示板内にある数字を凝視する。

 

 GUE-20200194――

 

 GUE-20200674――

 

 「あ、ある……俺の番号……!」

 

 「う、嘘……嘘でしょ……!?」

 

 二人は共に驚愕の表情を見せながら、自身の受験番号が合格者一覧の中にあるのを認めて言葉を詰まらせる。

 途端、桜月はひと目をはばかること無く、輝男に力強く抱き付く。

 言葉にならない、奇声のような歓声を上げながら、歓喜の咆哮を上げる。

 

 「やった……! 私……やったよ―――……!」

 

 感極まったかのように涙交じりの声を上げて自身の合格を喜ぶ桜月。

 すると輝男は、自分に抱き付く桜月を力一杯に抱き締める。

 

 「お、俺……俺……まさか、本当に受かっちゃうなんて……!」

 

 興奮の余り、声を震わせながら、合格の喜びと驚きを桜月に伝える輝男。

 やがて桜月は、輝男に抱き付いたまま、歓喜のすすり泣きを上げてしまう。

 万一のための滑り止めとはいえ、無事に大学入試を受けた喜びを隠せない桜月を、輝男はそのまま抱き締め続ける。

 輝男もまた、万一のための滑り止めとはいえ、無事に大学に受かった喜びを大げさなくらいにあらわにする。

 すると、

 

 「輝男さん、日向さん」

 

 輝男と桜月の耳に、澄んだような声が呼びかけてくるのが聞こえた。

 輝男は桜月への抱擁を解き、呼び声が聞こえてきた方を振り向く。

 振り向いた先には、封筒を抱えながら輝男、桜月と向き合う静流の姿があった。

 静流は、嬉しそうな満面の笑みで輝男と桜月を見つめる。

 

 「静流さん……」

 

 静流に呼びかける輝男の横で、桜月は涙の乾かない顔を静流に見せる。

 しかしすぐに、静流の手中にある封筒を認める。

 

 「最上さん、その封筒、もしかして……?」

 

 「えぇ……。私も無事に受かりましたわ」

 

 桜月からの問いかけに、静流は心からの笑顔で自身の入試合格を告げる。

 

 「おめでとう、最上さん」

 

 「静流さんも、今までの努力がやっと実を結び、報われたんだね」

 

 「えぇ……。お二人も無事に受かって、私も一安心ですわ」

 

 桜月、輝男、そして静流は、互いに向き合いながら、祝福し、健闘を称え、歓喜と安堵の念を言い合う。

 そのまま輝男たちが喜びにわき立っていると、

 

 「天江!!」

 

 背後から、声を張り上げて呼びかける声が聞こえて来た。

 輝男は、桜月や静流と一緒に歓喜するのを鎮め、後ろを振り返る。

 振り返った先には、何故か、表情を強張らせながら大富 豪が突っ立っているのが見えた。

 豪は表情を強張らせたまま、輝男の真ん前に歩み寄る。

 ただならぬ気配を漂わす豪に、桜月と静流の中から、入試合格の歓喜が吹っ飛んでしまう。

 二人が戸惑いながら傍観する中、豪は至近距離から輝男をにらむ。

 

 「天江……お前、まさか、合格したのか……!?」

 

 「あ、あぁ……そうだが……」

 

 絞るような声でたずねる豪に、輝男は半ば動揺しつつも事実を告げる。

 すると、豪は力一杯に輝男の胸倉をつかんだ。

 表情を強張らせ、歯を食いしばりながらにらみ付け、胸倉をつかむ豪に、輝男は驚きの余り言葉を詰まらせる。

 桜月と静流も、豪のまさかの行為に驚愕してしまう。

 このまま行けば、すぐにでも輝男を殴り倒しかねない殺気を漂わせているかのようだ。

 しかし次の瞬間、豪はありったけの力で輝男を強く抱き締めた。

 

 「俺……俺も受かったよ―――……!」

 

 わなわなと身を震わせ、力強く輝男を抱き締めながら、涙交じりの咆哮で自身の合格を告げる。

 

 「お、お前……本当か!?」

 

 限界ギリギリの腕力にとらわれながらも、輝男が驚きとも喜びとも取れる声を上げると、

 

 「ご……豪さん!!」

 

 勢い余って駆け寄って来た静流が、ギュッと豪に抱き付いてきた。

 豪は静流の動きを認めると、輝男への抱擁を解き、静流と向き合う。

 一瞬、顔を合わせると、静流は涙をあふれさせながら、真正面から豪に抱き付く。

 

 「豪さん……よかった……よかったですわ……!」

 

 豪の胸に顔をうずめながら、涙声で歓喜の念を叫ぶ静流。

 豪は静流を強く抱き締め、彼女の歓喜に応える。

 

 「静流、お前も……!?」

 

 「はい……。豪さんがずっと支えて下さったおかげですわ……!」

 

 「俺だって……お前が支えてくれなかったら、不合格になってたところだったんだぜ……!」

 

 豪と静流は互いに抱き締め合いながら、歓喜の余り声を震わせる。

 共に困難を共有し、支え合った末の結果を、輝男と桜月は感慨深げに見つめている。

 

 「最上さんも大富君も、本当にお互いに支え合って頑張ってきたのね……」

 

 「俺たちもそうだけど、静流さんも大富も本当に受かってよかったよ」

 

 二人は笑みを浮かべながら、入試合格の喜びを分かち合う静流と豪を愛しそうに見つめる。

 一方の輝男と桜月も、例え滑り止めとはいえトップクラスの名門大学に無事、受かった喜びを噛みしめていた……

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