※この作品はR-18です。

天江輝男の日常   作:原野イアン

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 作者は東大入試を受けたことも無ければ、東大駒場キャンバスに行って、構内を見て回ったこともありません(死)。
 ですので、駒場キャンバスの構内や東大入試の日程、受験番号等が実際のものと著しく異なることをご了承下さい(汗)。
 更に言いますと、数話後にやる東大合格発表のシーンも実際のものと異なるかもしれないことを前もってお伝えいたします(更に汗)


最大の試練(3) ●

 漆黒の夜空がタワーマンションを見下ろす。

 マンション内の天江家のリビングで、パジャマ姿の瑠奈が浮かない顔でため息を付いている。

 

 「どうしたの? 瑠奈ったら、そんな顔をして。

 お義兄さんがやっと大学に受かったというのに」

 

 テーブルを挟んだ向かい側から真純が声をかけると、

 

 「大学に受かったといっても、滑り止めなんでしょ?

 肝心の東大入試はあと一週間も先なんだから」

 

 瑠奈は浮かない顔を見せながら言い返す。

 

 「例え、滑り止めでも、大学に受かったことは変わり無いじゃない。

 瑠奈は、輝男さんが御学堂大学に受かったことが嬉しくないの?」

 

 「もちろん嬉しいわよ。

 でも、お義兄ちゃんや桜月さんにとっては、御学堂大学は、あくまで万一の場合の保険みたいなものだし……

 お義兄ちゃんと桜月さんには、本命の大学に是非とも受かってもらいたいから」

 

 「正直、義母さんも同感だわ。でも、事が望み通りに上手く行くとは限らないし。

 特に国公立大学の受験となるとなおさら……」

 

 「もし、お義兄ちゃんが仮に東大に落ちちゃったりしたら……

 否が応にも御学堂大学の方へ進まなければいけないじゃない。

 最初の一年はまだいいけど、その後となると、色々と大変なことになるから。

 あと一年したら、絶対、アイツも…」

 

 不満げに表情を険しくさせ、頬を膨らませながら瑠奈が言うと、

 

 「瑠奈……あなた、まだ、小春さんのことを鬱陶しく思ってるの?」

 

 真純は柔和な笑みを見せながらも、瑠奈をたしなめるように苦言を呈する。

 

 「小春さんはあなたが思っているような忌々しい人なんかじゃないって、何度も言ってるでしょ」

 

 「だって……桜月さんなら全然OKだけど、アイツだけは……」

 

 小春をフォローする義母の柔らかな声に、瑠奈はなおも承服しがたい思いをさらけ出す。

 

 「別に、輝男さんが小春さん一人のものになったわけじゃないわ。

 そもそも、輝男さんも今はまだ、東大受験のための勉強を続けているんだから。

 お付き合いしている人たちの誰を選ぶかなんて、今は頭の片隅にも留めていないはずよ。

 恐らくは、東大か御学堂…どこの大学に進もうと、桜月さんや小春さんたちとの関係はこれまでと変わらずに続けていくはずだから……」

 

 真純の今の言葉に、瑠奈は憮然とした顔を見せつつも言葉を詰まらせる。

 言い返そうにも言い返す言葉がすぐに出て来ないようだ。

 

 「そんなことより、期末はもうすぐなんでしょ?

 いつまでもこんなところでのんびりしてないで、少しは勉強しなさい」

 

 なおも柔らかな笑みを絶やさずに真純がたしなめると、

 

 「はぁい」

 

 瑠奈は不承不承ながらも応諾し、席を立つ。

 自室へと向かう瑠奈の後ろ姿を、真純は愛しそうに見つめる。

 

 

 同じ頃、輝男は自室で誰かと電話をしている最中であった。

 机の上には、テキストや参考書、ノートが広げられたままである。

 

 『もう、どうして、御学堂大学を受けたことを言ってくれなかったの?

 さっきママが教えてくれなかったら、輝ちゃんが御学堂大学に受かったことを知らないままだったんだから』

 

 「悪い。受験勉強に集中し過ぎてて、お前に一々、言ってる暇がなかったよ」

 

 『輝ちゃんったら、それくらいのこと、面倒くさがる必要もないのに』

 

 電話の向こうから呆れたかのように言ってくる少女の声に、輝男はため息を付く。

 

 

 同じ空の下、大富家二階の部屋で、パジャマ姿の小春がベッドの上に寝転がりながら、スマートフォンで誰かと電話をしている。

 

 『ところで、そっちの様子はどうなんだ?

 豪のヤツも御学堂大学に受かったんだろ?

 親父さん、とても喜んだんじゃないか?』

 

 電話の向こうから若い男――すなわち、輝男の声がたずねると、

 

 「全然。パパったら兄貴に“御学堂大学なんか受かって当然だ”みたいなこと言って。

 ……ホントはとても嬉しいくせに、兄貴のこととなると素直になれなんだから」

 

 呆れ顔でため息を付きながら、今しがた起きたことを電話相手に報告する。

 

 

 自室で電話をしている輝男は、電話相手――小春の今の言葉に苦笑いを浮かべる。

 すると、

 

 『そんなことより、御学堂大学に受かったんだったら、輝ちゃんも大学受験は無事終了ね』

 

 電話の向こうから、小春の嬉々とした声がかかってくる。

 小春の今の言葉に、輝男は呆れた表情を見せる。

 

 「何、言ってんだ? まだ、肝心の東大が残ってるんだ。

 この一週間、マジで東大受験に集中しないと……」

 

 『うん。確かに、東大が一番の大本命だけど……

 もし、万一のことがあったとしても、御学堂大学に行くことは間違いないんでしょ?

 そうなったとしても、あと一年は絶対、待ってね。

 あと一年したら、アタシも御学堂…』

 

 「小春……」

 

 輝男は表情を厳しくさせると、電話越しに言って来る小春の言葉を中途でさえぎる。

 輝男の異変を認めてか、小春はベッドの上でしゃがみ込み、スマートフォンを手にしたまま表情を曇らせる。

 すると、

 

 『俺は、お前とイチャイチャしたくて御学堂大学を受けたんじゃないんだ……!』

 

 努めて感情を抑えつつも、電話の向こうから苦言を言う輝男の声が小春の耳に流れた。

 途端、小春は気まずそうに沈痛な表情を浮かべて、言葉を詰まらせる。

 一方、輝男は厳しい表情を見せたまま、スマートフォンを手にして小春と電話を続けている。

 

 「言っちゃ悪いが、御学堂大学はあくまで滑り止めなんだ。

 それでも、ちゃんと四年間通うことを想定して出願し、試験に臨み、無事に受かった。

 お前も御学堂大学を受けて、そこに入るつもりだろうが、俺はお前に関係なく御学堂大学を受けたんだ。

 自分自身の将来のために必要なことを勉強し、なおかつ、自分の性分に合った修学環境を考えた末に、御学堂大学を選んだんだ。

 東大が一番の本命であることに変わりはないが、東大を受けるのと同じくらいの気持ちで、俺は御学堂大学を受けた」

 

 いつになく真剣な表情を見せながら、電話の向こうの小春に向かって、今回の御学堂大学受験に際しての思いを言い連ねる。

 小春は自ずと神妙な面持ちを見せながら、スマートフォンの向こうから聞こえる輝男の真剣な声に黙って耳を傾ける。

 

 『前にも言ったかもしれないが……

 俺にベタベタすることだけが、お前の人生のすべてじゃないだろ?

 お前だって、立派な大学に入って、そこで一人前の社会人となるための勉強をし……

 行く行くはその大学を出て、立派な社会人として世の中のためにちゃんと役立つ人材となる。

 お前にはそれだけの資質が十分にあるし、親父さんやおふくろさん、それに豪もそのことを強く望んでいる。

 いい加減、そのことを少しは自覚してくれ』

 

 電話の向こうから切々と言って来る最愛の男の言葉に、小春はなおも言葉を詰まらせる。

 自室で電話を続ける輝男の耳に、重苦しい沈黙がスマートフォンの向こうから流れて来る。

 わずかの間、沈黙が続いた後、

 

 『……ホントに、輝ちゃんって呆れるほど真面目なんだから……』

 

 電話越しに、淡々としつつもため息交じりに言ってくる小春の声が聞こえて来た。

 輝男がそのまま黙って耳を傾けると、

 

 『でも、それが輝ちゃんらしくて、とってもいいよ。

 そんなこと言われたら、余計、惚れちゃうじゃない』

 

 間を置かずに、嬉しそうに言って来る小春の声が聞こえてくる。

 今の小春の言葉に、輝男はクスッと笑みをこぼす。

 

 『輝ちゃん、東大の入試も絶対に頑張ってよ』

 

 「あぁ。小春も、遠くから俺のことを応援して見守っていてくれ」

 

 笑みを浮かべながら電話越しに言葉を返すと、向こうの方から通話を切る音が聞こえた。

 不通音を耳にすると、輝男はスマートフォンをしまった。

 そして、何も無かったかのように勉強を再開する。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 肌寒い冬の空気が、快晴の空が見下ろす都心を覆う。

 朝陽が見下ろす中、都心の公道を一台のマイクロバスが疾走する。

 車内では、私服姿の若者たちが緊張した面持ちで腰を下ろしている。

 満席の車内で、ある者は眠るようにジッと静止し、またある者は何度も参考書やテキストを黙読する。

 真ん中の席では、輝男と千早が並んで腰を下ろしている。

 二人もまた、緊張しきった面持ちで何度もテキストを黙読している。

 やがて、輝男たちの乗るバスの前方に、広大な敷地にそびえ立つ近代的で巨大感あふれるたたずまいをした建築物群が見えて来た。

 正門を思しき場所の手前で、バスが横付けに停車する。

 車内から若者たちが次々と降りていく。

 輝男と千早も、彼らに混じってバスを降り、そのまま正門を通っていく。

 これから輝男たちが入って行くのは、東京大学駒場キャンパスの敷地内である。

 さっきまで輝男たちが乗っていたのは、GTT・青春校が東大入試に臨む受講生たちのためにチャーターしたマイクロバスである。

 朝の早い時間帯に、青春市にあるGTT・青春校から、東京都・目黒区にある東大駒場キャンバスへ向けて出発したのだ。

 しかし輝男たちには、夢にまで見た東大キャンバスに足を踏み入れることに驚嘆する余裕などない。

 今日、明日の二日間に渡って、東大の文科一類の一般選抜入試を、この駒場キャンバスで受けるのだ。

 輝男は敷地内に入ると、千早たちと別れて、正門から入ってすぐ左側に見える建物へと入って行った。

 そこは、900番教室とも呼ばれている駒場キャンバスの講堂である。

 講堂内の大講義室に入ると、前から二列目の席に腰を下ろす。

 カバンから筆記用具を出すと、着ていたジャンパーの胸ポケットから一枚のカードを取り出す。

 カードには、輝男の氏名と東京大学の名称が上下に併記されており、その真ん中には、

 

 UT-E20200962――

 

 と、英数字が表示されている。

 恐らく輝男の受験番号だろう。

 着席し、受験票を取り出したものの、すぐに試験が始まるわけではない。

 他の受験生と同じように、これから始まる受験科目の関連テキストにギリギリまで目を通す。

 やがて、乾いた足音と共に、背広姿の男たちが部屋に入って来た。

 輝男と他の受験生は、すぐに、受験票と筆記用具以外の物をすべてカバンにしまう。

 余計なものが片付けられ、緊張しきった静寂が室内を包むと、男たちは受験生たちの席に向かって、問題用紙と解答用紙を配布する。

 閉じられたままの二つの用紙が輝男の目の前にも配布される。

 しかし輝男は、無言で見下ろすものの一指も触れようとしない。

 他の受験生も、緊張しきった面持ちで用紙に触れず、時が来るまでジッと静止し続ける。

 受験生全員への配布の完了を確認すると、

 

 「始め」

 

 正面の教卓に立つ男の一人が、試験開始を告げる。

 途端、輝男と他の受験生たちは、一斉に問題用紙と解答用紙を開き、試験に臨む。

 輝男は、これ以上は無い真剣な面持ちで問題用紙に目を通しながら、間を置いて解答用紙に記入する。

 時折、問題用紙に書き込みをしながらも、何とか解答用紙の解答欄を懸命に埋めようとする。

 本番の受験問題とにらみ合う息詰まるような攻防が、この後、一時間半ほど続いた。

 試験開始から一時間半経った頃、

 

 「やめ」

 

 正面の教卓に立つ背広の男の一人が、試験終了を告げる。

 輝男は、シャープペンシルを走らせる手の動きを止め、疲れたような顔で静止する。

 不安げに表情を重くさせ、額からは冷や汗をにじませる。

 そのまま、輝男の目の前から解答用紙が回収され、試験を監督する背広の男たちの手中に渡る。

 このようなことが、今日一日だけでも、昼の休憩を挟んで三回も行なわれた。

 三番目の教科試験も、緊迫と静寂の中で粛々と進む。

 立て続けの緊張とプレッシャーを強いられながらも、輝男は滞ることなく解答用紙への記入を進める。

 しかし、真剣さと被圧迫感が混ざり合った輝男の形相からは、必死に試験に臨みながらも余裕が持てない状況が否が応にも認められる。

 それは、同じ大講義室で同じ入試に臨む他の受験生も大差無い。

 やがて、

 

 「やめ」

 

 試験終了を告げる淡々とした呼び声が、重苦しい静寂に包まれた大講義室に響く。

 解答用紙が回収される中、輝男はただ深くため息を付くばかりだ。

 

 

 講堂から、輝男が他の受験生に混じって出て来る。

 輝男の重々しい表情からは、不安の色しか認められない。

 講堂を出て、正門までの道を歩いていると、

 

 「天江君」

 

 傍から呼びかける声が、輝男の耳に流れて来た。

 呼びかけを認めると、声が聞こえて来た方を振り向く。

 振り向いた先には、神妙な面持ちをした千早が、輝男の方へ歩み寄って来た。

 

 「どうだった? 今日の日程は?」

 

 「わからん。問題を追うのに精一杯で、手応えがあったかどうか確信が持てない」

 

 問いかけて来る千早に、輝男は露骨に自信の無い調子で言い返す。

 そのまままっすぐ進み、正門の手前に差し掛かろうとすると、

 

 「おい、君たちも来ていたのか?」

 

 後ろから、あからさまにさげすむかのような冷淡な呼びかけが、輝男と千早の耳に流れて来た。

 輝男と千早が後ろを振り返ると、端整だが冷やかな顔をした若者が、二人のすぐ目の前に歩み寄った。

 

 「鬼頭、お前はどうだったんだ?」

 

 輝男が目の前に立つ鬼頭良真に向かってたずねると、

 

 「俺のことはいい。それより、どうして君たちが東大入試を受けに来たんだ?」

 

 鬼頭は冷淡な面持ちで輝男と千早をにらみながら、棘のこもった問いかけをする。

 

 「どうせ落ちることがわかってて東大を受けるなど、愚の骨頂以外の何物でもない」

 

 「そんなこと、お前だって俺たちと大差無いだろ!」

 

 自分たちの頑張りを頭から否定する鬼頭の冷淡、かつ侮蔑的な言葉に、輝男はすぐに食って掛かる。

 怒りを隠さない輝男を前にして、鬼頭は氷よりも冷やかな形相でにらみ付ける。

 

 「俺は君たちとは大いに違う……

 君たちは、東大を受験すること自体、身の程知らずでおこがましいが……

 俺は東大に受かるべく勉強を重ね、然るべき結果を得ることを保証されている。

 受けようと受けまいと、君たちの結果は初めからわかり切っている」

 

 冷淡ではあるが、人を人と思わない傲慢さを誰はばかることなく見せ付ける鬼頭。

 軽蔑しきったような言葉を吐き捨てるように言い放つと、輝男と千早を置いて、一足先に、正門を抜けようとする。

 鬼頭の後ろ姿を見ると、輝男は険しい表情を浮かべ、握り拳を力一杯に震わせる。

 すると、横から伸ばされた手が、輝男の握り拳に添えられた。

 怒りに震える握り拳をつかむ手の感触を認めると、輝男はすぐに横を振り向く。

 振り向くと同時に、千早が輝男を見つめながら無言で首を横に振る。

 

 「ほっときなさい。今は彼に構っている暇なんて無いから」

 

 厳しい表情を見せながら輝男をたしなめる千早。

 同じ予備校に通う受講生にして、同じく東大を受験する鬼頭からの侮蔑を真正面から受け、輝男は怒りと不快感を抑えられずにいた。

 しかし、そんな輝男の怒りを、千早は何とか鎮めようとする。

 千早もまた、今の鬼頭の言い様に著しく気分を害している。

 それでも今は、鬼頭に対する感情を心の奥底に押し込めようとする。

 そして、自分と同じように東大入試を半分終えたに過ぎない輝男を、何とかたしなめ、なだめようとする。

 輝男は、千早の今の呼びかけと彼女の気持ちを知ってか、不承不承ながらも感情の暴発を抑えようとする。

 間も無くして、他の受験生たちから一足遅れて、駒場キャンパスの正門を出る。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 入学試験一日目を終えた輝男は、残る翌日の二日目に向けて、最後の追い込みを寝る間も惜しんで行なった。

 そして、翌朝、昨日と同じ駒場キャンパスの同じ講堂の大講義室で、残るすべての教科試験の始まりを迎えた。

 緊迫感と真剣さの混ざった形相で問題用紙を目で追い、シャープペンシルを走らせる。

 解答用紙の解答欄を何とか埋め、時折、深く悩んだ様子で筆を止めながらも、時間ギリギリまで試験問題とにらみ合う。

 そんな状況が当日だけで一、二度、繰り返された後、

 

 「やめ」

 

 試験終了を告げる呼び声が、重苦しい静寂に包まれた大講義室に響く。

 解答用紙が回収されると、輝男はたまらず、前のめりの状態で机上に伏す。

 力尽き、疲れ果てたかのように顔を伏せ、大きくため息を付く。

 表情を見ることはできないが、“すべて”が終わったことに対して、著しい疲弊と消耗をさらけ出してしまう。

 

 後は結果を待つのみ……

 

 そんなことを考える余裕も、今の輝男にはないようだ……

 

 

 薄暗くなった空が、青春中央駅前付近を見下ろす。

 駅南口にあるGTT・青春校の手前で、マイクロバスが横付けで停車されている。

 車内から、若者たちが次々と降りて来る。

 東大入試を終えた受講生たちである。

 彼らに混じって、輝男と千早もバスから降りていく。

 十分ほど経った頃、輝男と千早は駅構内の大通路に差し掛かった。

 そのまま通路を並んで歩く。

 

 「なぁ、千早……」

 

 輝男は重い表情で正面を見据えながら、横にいる千早に向かって呼びかける。

 

 「君にずっと聞かずにいたが……君は今回、東大一択で受験に臨んだのか?」

 

 千早の方を振り向かず、心配するかのように輝男がたずねると、

 

 「う、うん……。ま、まぁね……」

 

 千早は若干、顔をうつむかせながら、半ば覚束ない調子で言い返す。

 千早の今の返答に、輝男は憂いを帯びた形相を崩さずにいる。

 

 「こんなこと、君に言うのも気が引けるが……もし、君に万一のことがあったら……」

 

 沈痛さを増しながら、横にいる千早に向かって深い憂慮を言いかける。

 昨日、今日と立て続けに受けた東大入試の手応えから、輝男は言い様のない不安を千早にぶつけてしまう。

 横にいる千早のことを考えると、そういうことを言うこと自体、彼女の今までの頑張りを全否定してしまうかのようで心苦しく思われる。

 わずかの間、重苦しい沈黙が続くと、

 

 「天江君が心配することなんてないから。

 正直、今回の入試は、手応えがあったかどうかとても怪しかったわ。

 でも後は、人智を尽くして天命を待つ……と言ったところかしら。

 あやふやな確証にすがり付くのも見苦しいけど、今の私にできることはそれしかない。

 もし、万一のことがあっても、私の方で何とかするわ」

 

 徐々に表情を落ち着かせながら、千早が輝男に言葉を返す。

 輝男が自分のことを深く気にかけていることをすぐに認め、彼を少しでも安堵させると同時に、自分自身の率直な気持ちを言い連ねる。

 

 「少なくとも、天江君と関係を持ったせいで東大入試に落ちた……

 …なんてことは絶対に無いから、それだけは間違いなく受け止めて」

 

 そう言葉を続けると、千早はようやく輝男の方を振り向く。

 千早の動きに気付いたかのように、輝男もまたすぐに千早の方を振り向く。

 互いに向き合うと、千早の和やかな笑みが、輝男の目にしっかりと焼き付かれる。

 千早の心からの笑顔を認め、不安と心痛に重くなっていた輝男の表情は徐々に和らいでいく。

 

 「ありがとう……。君にそんなことを言ってもらうと、嬉しい半面、とても申し訳ない」

 

 言葉を返す輝男に、千早はクスッと笑みをこぼす。

 すると、

 

 「天江君、稲田さん」

 

 向こうの方から、輝男と千早に呼びかける声が聞こえて来た。

 呼びかけが聞こえて来た方を向くと、カバンを抱えた一人の少女が、輝男と千早をまっすぐ見つめていた。

 遠くに見える駅改札口を背にして立つ少女を認めると、

 

 「葵……」

 

 「黒山さん……」

 

 輝男と千早は、目の前で向き合う葵に呼びかける。

 葵はそのまま、輝男と千早のすぐ目の前に歩み寄ると、

 

 「二人とも、もしかして東大の入試を終えたところなの?」

 

 肝心の問いを二人に向かって言う。

 

 「あぁ、今、帰って来たところだったんだ。

 …で、黒山、君はどうして、ここに?」

 

 「今日、早稲田の合格発表があって、今、帰って来たところなの」

 

 「そうか。今日、早稲田の合格発表だったんだね?」

 

 輝男は葵とそう言葉を交わすと、心配そうな表情を彼女に見せる。

 

 「ところで結果は?」

 

 万一のことを考え、心配げに葵にたずねる輝男。

 輝男の今の問いかけに、葵は言葉を詰まらせたまま、その場に黙って立ち尽くす。

 努めて感情を抑えながら沈黙し、突っ立つ葵に、輝男と千早はつい不安げな表情を見せる。

 万一のことが輝男と千早の脳裏に浮かび、そこから離れずにいる。

 わずかの間、沈黙が続いた後、葵は勢い良く輝男に向かって突き当たり、そのまま彼に力強く抱き付いた。

 

 「あ、葵……!」

 

 駅構内のど真ん中でのまさかの抱擁に、輝男はたまらず戸惑いの声を上げる。

 我が身を締め付ける限界ギリギリの腕力にまで気が向く余裕は、今の彼にはない。

 一方の葵は、力一杯に輝男を抱き締め、彼の肩に顔をうずめると、

 

 「受かった……私、早稲田に受かったわ……!」

 

 我が身と声を震わせながら、感極まったかのように自身の大学合格を告げる。

 

 「ホ、ホントか……!?」

 

 「おめでとう! 良かったわね、黒山さん!」

 

 葵の今の言葉に、輝男は信じられないと言わんばかりに驚き、千早は我が事のように歓喜の声を上げる。

 そして、辺りを大勢の人々が行き交っているのを忘れて、輝男が葵を抱き締め返し、千早が二人を包むようにして抱擁する。

 心から深い絆で結んだ同い年、同級生美少女の喜ばしい成果に、輝男と千早は、誰はばかることなく歓喜をあらわにする。

 つい、さっきまで東大入試で重い気分にさいなまれていたことなど、輝男と千早の中からきれいさっぱり取り払われている。

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