※この作品はR-18です。

天江輝男の日常   作:原野イアン

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最大の試練・その結末…(1) ●

 快晴の空が東大・本郷キャンバスの敷地を見下ろす。

 東大・本郷キャンバスの正門前に、一組の若い男女が立っている。

 二人とも、緊張の面持ちで東大正門と向き合う。

 

 「ここが東大・本郷キャンバス……

 もしかしたら、俺たちが今後、四年間、毎日、通うことになるかもしれない……」

 

 「この正門をくぐるのも、今日限りにならないことを祈りましょう」

 

 東大正門をまっすぐ見据えながら、輝男と千早が言う。

 揃って深く深呼吸すると、意を決したような面持ちで東大正門をくぐる。

 東大正門をくぐってそのまままっすぐ進むと、大きな塔を備えた一際大きな建物が目につく。

 “安田講堂”とも呼ばれる大講堂だ。

 大講堂の入口手前に、大勢の人だかりができている。

 輝男と千早が大講堂の手前に差し掛かると、人だかりから悲喜こもごもの声が次々と上がる。

 

 「やった……やったぁ―――!」

 

 「え――!? 嘘――!?」

 

 大講堂の手前に掲げられた臨時の掲示板を見て、ある者は歓喜し、またある者は悲嘆の声を上げる。

 掲示板には無数の番号を載せた大きな用紙がいくつも貼られている。

 用紙の見出しには、

 

 東京大学入学試験 xx学部合格者一覧――

 

 と、大書で記されている。

 用紙には、各志望学部ごとの入試合格者が受験番号で表記されているのだ。

 輝男と千早は人混みをかき分けて、入試合格者の一覧表を見る。

 

 「天江君はどこなの?」

 

 「俺は経済学部。君は?」

 

 「私は法学部だけど……」

 

 輝男と千早はそう言い合いながら、学部ごとの合格者一覧を凝視する。

 手中にある受験カードと目の前の表を交互に見る。

 輝男の手中にあるカードには、“UT-E20200962”と彼の受験番号が記されている。

 一方千早が持つ受験カードには、

 

 UT-L20201919

 

 と、彼女の受験番号が記されている。

 一方、掲示板の端では、やはり、一組の若い男女が、食い入るように入試合格者の一覧表を見ている。

 

 「え――と、俺の番号、俺の番号……」

 

 小中は気もそぞろと言った様子で、手に持っている受験カードと目の前の合格者一覧を交互に見る。

 小中が見ている表は、東大工学部の合格者一覧である。

 そして、小中の手中にあるカードには、

 

 UT-En20202914――

 

 と、彼の受験番号が記されている。

 小中の横にいる長身の女性――姉の香菜子は、気が気でないと言った様子で、緊張と不安、そして興奮が入り交じっている弟を横目で見る。

 ふと、向こうの方に目を向くと、千早と一緒に合格者一覧を食い入るように見ている輝男の姿を認める。

 

 (天江君……あの子もやっぱり、東大を受けたんだ……)

 

 向こうにいる輝男の方を振り向いたまま、内心、感慨深げにつぶやいていると、

 

 「あった――! あった―――!!」

 

 横から張り裂けんばかりの歓声がとどろいてきた。

 香菜子は驚きながら横を振り向く。

 

 「もう、どうしちゃったの?」

 

 「やったよ、姉ちゃん! 俺、受かったよ!」

 

 呆れながら言ってくる姉に、小中は興奮しきった様子で歓喜の彷徨を上げた。

 香菜子は、信じられないと言わんばかりの表情を見せると、弟の手にある受験カードの番号と、目の前の表を見る。

 香菜子の視線の先には、他の受験番号に混じって、

 

 UT-En20202914――

 

 弟・高大の受験番号がしっかりと記されていた。

 途端、香菜子は弟を力一杯に抱き締める。

 

 「やった……やったじゃん、タカ……!

 正直、信じらんない……! でも、よく頑張ったよ……!」

 

 弟を抱き締めながら、涙声で祝福の声をかける。

 愚弟ではあっても、やはり悲願の東大合格がかなったことが、とても嬉しくて仕方がないのだ。

 

 「い、いてぇよ、姉ちゃん……! でも、ありがとう……!」

 

 ありったけの力を振り絞っての抱擁に苦痛を覚えながらも、声を潤ませて感謝の一言を返す小中。

 一方、小中姉弟がいる場所の向こうでは、

 

 「あ……あった……」

 

 千早が、その場に呆然と立ち尽くしながら、目の前にある合格者一覧表を見ている。

 “東京大学入学試験 法学部合格者一覧”と見出しで表記されている表の中に、一つの受験番号がしっかりと表記されている。

 

 UT-L20201919――

 

 千早は信じられないと言わんばかりの表情で、手中にあるカードの番号を見る。

 

 UT-L20201919――

 

 自分の受験カードの番号と目の前の表に記されている番号が合致しているのを認めると、千早の目元が涙で潤んできた。

 

 「やった……私……受かった……!」

 

 なおも呆然と立ち尽くしながらも、声を詰まらせるかのように、合格の喜びを発する。

 すると、脱兎の如く飛び出し、すぐ近くで合格者一覧を見ている輝男に勢い良く抱きつく。

 

 「お、おい、稲田!」

 

 突然抱きつく千早に、輝男は思わず驚きの声を上げる。

 声をかける輝男に、千早はしがみつきながら顔を埋めると、

 

 「天江君……私の番号…あった……私、東大に受かったのよ……!」

 

 興奮と歓喜に身を震わせながら、自身の東大合格を涙交じりに告げる。

 千早の今の報告を聞くと、輝男は信じられないと言わんばかりに驚く。

 

 「ホ、ホントか……!?」

 

 またもお驚く輝男を引っ張って、千早は法学部の合格者一覧表の前に連れて行く。

 自分が持っているカードの受験番号を輝男に見せ、目の前の合格者一覧を続けて見せる。

 

 「ホントだ……!」

 

 動かしがたい事実を目の当たりにして、驚嘆の余り呆然とする輝男。

 しかし、すぐに、喜色満面の面持ちで千早と向き合い、両手で固く握手を交わす。

 

 「よかったな、千早! やっと夢が叶って!」

 

 「天江君が……ずっと、私を見守ってくれたおかげよ……」

 

 「何、言ってんだ! 君の今までの頑張りが実を結んだんだよ!」

 

 「嬉しい……そう言ってもらえて……」

 

 喜びの余り声を張り上げる輝男と、感激の余り、涙で声を詰まらせる千早が言葉を交わす。

 千早の宿願を称え、笑みを絶やさない輝男の前で、千早は嬉し涙を伴った笑みを見せる。

 そのまましばらく向き合うと、千早は泣き止んだ。

 

 「そう言えば、天江君は……?」

 

 涙を拭い切るなり、輝男に向かって肝心のことをたずねる。

 すると、輝男は一転して、落胆したかのように表情を曇らせる。

 そして、千早を伴って、経済学部の合格者一覧の前に立つ。

 カードに記された受験番号を千早と見ながら、目の前の一覧表を凝視する。

 

 UT-E20200959――

 

 UT-E20200966――

 

 UT-E20200977――

 

 輝男と千早の目の前にある合格者一覧表には、輝男の受験番号――UT-E20200962――はどこにも記されてなかった。

 千早は目の前の一覧表を見ると、愕然とした面持ちで立ち尽くす。

 最愛の男のまさかの受験不合格を目の当たりにして、どうしたらいいかわからないといった様子を見せる。

 恐る恐る横を振り向くと、輝男が若干、うつむきながら、重い表情で深くため息を付く。

 隠しようも無い輝男の落胆に、自身の東大合格の喜びも呆気なく消え去りかける。

 

 「あ、天江…」

 

 居たたまれないといった様子で、千早が恐る恐る声をかけようとすると、

 

 「……やっぱり、東大受験は無謀だったか……」

 

 輝男は無情な受験結果を改めて見ながら、落胆しきった表情を見せる。

 諦めにも似た思いをため息交じりにつぶやくと、

 

 「そんなことねぇよ」

 

 横から励ますかのような声が輝男の耳に届いた。

 声が聞こえてきた方を振り向くと、小中が輝男の真ん前に歩み寄った。

 

 「例え、わずかな可能性でも、絶対に東大に受かるんだという思いで頑張ったんだろ?

 残念な結果に終わったけど、それは決してお前だけのことじゃないから」

 

 いつになく神妙な面持ちを見せながら、輝男に励ましの言葉をかける小中。

 

 「受かったヤツも落ちたヤツも、皆、お前と同じように最後のギリギリまで必死に頑張って勉強してきたんだ。

 例え、今回、ダメだったとしても、次、またチャレンジすれば、きっと受かるから。

 とにかく、お前が東大合格を目指して頑張ったことは、俺も他の連中もちゃんとわかってるさ。

 ……まぁ、俺は無事に受かったけどね」

 

 最後、余計な一言を交えながらも、惜しくも合格を逃した友人への励ましを言い続ける。

 すると、背後から振り下ろされた握り拳が、小中の頭を軽く叩く。

 背後からの痛撃を認めると、小中はすぐに後ろを振り返る。

 

 「何、すんだよ!」

 

 「……ったく、この愚弟(バカ)は……

 東大に受かったと思ったら、すぐ調子に乗っちゃって……」

 

 抗議めいた声を上げる小中に、姉・香菜子は呆れ顔でため息交じりの言葉を返す。

 すると、

 

 「小中、すまん……

 まさか、お前に励ましの言葉をかけられるなんて……」

 

 輝男は小中の方をまっすぐに見つめながら、感嘆の念をかける。

 輝男の感謝の言葉に、小中はやや恥ずかしそうな表情を見せる。

 

 「俺は受かったけど、お前が落ちたのを見てたら、何故かほっとけなくて……

 ここは一つ、励ましの言葉でもかけてやらないと可哀想かと思ってさ」

 

 「あなた、結構、優しいのね」

 

 「いや、そんなに褒めてもらうほどのことでもないよ」

 

 小中なりの思いやりに感嘆する千早に、当の小中が恥ずかしそうに言い返す。

 二人のやり取りを、輝男と香菜子はほほ笑ましげに見つめる。

 すると、

 

 「う、嘘だ……嘘だ――――――!!」

 

 向こうの方から、辺り一帯に響き渡るくらいの悲痛な咆哮から聞こえてきた。

 輝男たちは、叫び声が聞こえてきた方を振り向く。

 彼らの視線の先には、合格者一覧表を載せた掲示板にすがり付く一人の若者の姿があった。

 端整な容姿を悲痛に歪ませるその姿に、輝男と千早は思わず驚く。

 

 「鬼頭……!」

 

 「鬼頭君……どうして……!?」

 

 輝男と千早は共に驚きの声を上げると、すぐに掲示板にすがり付く鬼頭良真の方へ向かう。

 取り残されたかのようにその場に立ち尽くす小中と香菜子も、理由もわからないまま輝男と千早の後を追う。

 輝男と千早は、すぐに鬼頭の目の前に着いた。

 二人の見つめる先には、辺りをはばかることなく膝を屈し、悲痛の極みにあるかのような面持ちで重くうな垂れる鬼頭の姿があった。

 無様なくらいに悲痛な姿を見せ付ける鬼頭に、輝男と千早は愕然としたまま言葉を失う。

 しかし、すぐに、鬼頭の手にある受験カードの番号を見る。

 

 UT-I20200114――

 

 鬼頭の受験番号を見ると、目の前にある合格者一覧表を見る。

 目の前にあるのは、東京大学国際学部の合格者一覧表であるが、

 

 UT-I20200113――

 

 UT-I20200129――

 

 鬼頭の受験番号は、合格者一覧表の中にはまったく無かった。

 輝男と千早はすぐに、鬼頭が入試に落ちたことを認めた。

 落胆の余り、くずおれる鬼頭を目の当たりにして、言うべき言葉が出ずにいる。

 何とも言えない表情で鬼頭を見続ける輝男の横から、小中が顔を覗かせる。

 

 「コイツは?」

 

 「俺や稲田と同じ予備校に通ってた鬼頭良真。

 聖清学院高校に通ってて、東大現役合格を目指していたんだ」

 

 鬼頭のことをたずねて来る小中に、輝男は小声で返答した。

 小中、そして、姉・香菜子も、受験に落ちた余り、誰はばかることなく泣き崩れる鬼頭に思わず、言葉を詰まらせる。

 すると、

 

 「おいおい、そこの負け犬ども。受験に落ちたんならさっさと失せな」

 

 輝男たち、そして、鬼頭の耳に、露骨に嘲笑する軽薄な声が流れて来た。

 輝男たちが正面を向くと、二人の若者がニヤニヤ笑いながらこちらに近付いて来た。

 

 「お、お前ら……!」

 

 二人の若者を見た途端、輝男は嫌悪感をあらわにして、苦い表情で歯を食いしばる。

 千早もまた、不快感に表情を険しくさせて、目の前の若者たちをにらむ。

 輝男と千早が今、対峙しているのは、長い茶髪をした若者とメガネをかけた小太りの若者。

 かつて、夏休みの予備校合同合宿で千早に絡み、彼女の古傷を突いた高校の元同級生たちである。

 

 「お前ら、皆、入試に落ちたんだろ?

 用が無いなら、さっさといなくなれって言ってんだよ」

 

 「お前らのような負け犬の粗大ゴミがいつまでもうろついていると、きれいな空気が濁ってムカつくんだよ」

 

 茶髪の若者とメガネの若者は、輝男と千早、そして鬼頭に向かってヘラヘラ笑いながら、さげすみの言葉を容赦無くぶつける。

 

 「おい、お前ら! 一体、何様の分際でそんな偉そうなことを言ってやがんだ!」

 

 たまらず、小中が怒りをあらわにして食って掛かろうとする。

 すると、二人の若者は、各々、抱えている封筒を輝男たちに見せ付ける。

 B4サイズの大きな封筒の表面には、東京大学のロゴと共に、

 

 東京大学入学関係諸書類在中――

 

 東大合格者のみが受け取れる封筒の見出しが、大書で記されている。

 

 「お前ら……まさか、東大に受かったと言うのか……!?」

 

 「じょ、冗談だろ!? お前らのような遊びほうけてばっかりのろくでなし連中が……!」

 

 目の前に突き付けられた封筒を見て、輝男と小中が信じられないと言わんばかりに驚愕の声を上げる。

 驚愕する輝男と小中を見ると、二人の若者は、勝ち誇ったかのように、軽薄だが傲然とした笑みで輝男たちをにらむ。

 

 「俺らは、お前らと違って、大した苦労も無しに東大に受かることができるんだよ」

 

 茶髪の若者がケラケラ笑いながら言うと、

 

 「俺たちは、お前らや他の連中とは、何から何まで全部が違うんだよ。

 東大に入りたいと言えばすぐに入れるし、何か望みを言えばどんなことでもかなうからな」

 

 メガネをかけた小太りの若者が、ニヤニヤ笑いながら吐き捨てるような口調で言葉を引き継ぐ。

 

 「ま、お前らにとっては狭き門でも、俺たちにとっては慣れ親しむ庭みたいなもんだからな。

 東大なんて」

 

 軽薄な嘲笑を交えながら小太りの若者が言葉を続けると、

 

 「おらおら、お前ら、皆、落ちたんなら、さっさとここから出て行きな。

 粗大ゴミがいつまでもこんなところにいると、きれいな東大がゴミまみれになっちまうからな」

 

 茶髪の若者は、ニヤニヤ笑いながら輝男たちに向けて手払いのポーズを取る。

 しかしすぐに、自分たちの方から輝男たちの前を去って行く。

 辺りに響くくらいのバカでかい嘲笑を上げて……

 夏休みの予備校合宿の時と同じくらい……あるいは、それ以上に下劣極まりない態度を平然と見せ付ける二人の若者に、輝男と千早は、怒りに表情を険しくさせ、言葉を詰まらせる。

 輝男の右手は、人知れず、力一杯に固く握り締められ、わなわなと震えが止まらない。

 自分はもちろん、千早、更には鬼頭まで容赦なく侮蔑され、嘲笑されたことに怒りを隠そうとしない。

 しかし、怒りを隠し切れないのは輝男だけではない。

 

 「何なんだ、アイツら……!

 あんなに心底ムカつくガチクズどもは初めて見たぜ!」

 

 小中は、輝男たちを平然と嘲笑した茶髪の若者、小太りの若者と対峙し、これ以上は無い怒りを抑え切れずにいる。

 大した理由もなしに友人を平然と嘲笑されれば、小中でなくとも憤激するのは避けようもない。

 

 「アイツら……もしかして、例の東大不正入試の……」

 

 小中の横に立つ香菜子が、不快感に表情を険しくさせながらつぶやく。

 途端、小中は姉の方をすぐに振り向く。

 

 「まさか……!?

 あれだけ新聞やテレビ、雑誌、ネットで散々、取り上げられてぶっ叩かれているのに……!」

 

 小中が信じられないと言わんばかりに、姉に向かって驚愕の声を上げると、

 

 「そんなことでなくなるくらいなら、初めから不正入学なんて無いわよ」

 

 香菜子はやり切れないと言わんばかりに、ため息交じりの言葉を返す。

 落胆と諦め、そして、憤りの混じった香菜子の言葉に、弟や輝男、千早は黙って耳を傾ける。

 

 「それこそ、東大そのものがなくならない限り、不正入学なんてこれからいくらでも起きるわ」

 

 香菜子は呆れ果てた調子で言葉を続けると、沈痛な面持ちを輝男たちに見せる。

 一呼吸、間を置いた後、沈痛な表情はそのままに、弟と千早に目を向ける。

 

 「高大、それに稲田さん……

 あなたたちは無事に東大に受かったけど……

 これからはさっきのような連中とも、否応なしに顔を突き合わさなきゃいけなくなるのよ」

 

 自分たちを憂うかのような香菜子の呼びかけに、小中も千早も黙って聞き入る。

 自ずと神妙な面持ちを見せる二人に、香菜子はなおも話を続ける。

 

 「私も、不正なやり方で東大に入ったと思しき連中と顔を合わせたけど……

 皆、さっきのような二人組とまったく大差無かったわ。

 そいつらのせいで嫌な思いをし、煮え湯を飲まされたのも一度や二度限りではなかった」

 

 思い出したくもない思い出を振り返る香菜子に、弟と千早、そして、輝男は神妙な面持ちを見せる。

 

 「高大、稲田さん……東大での学生生活は楽しいことばかりじゃない。

 つらいこと、苦しいこと、嫌なこともいっぱいあるかもしれない。

 でも、それで挫けて、東大を中退…なんてことだけは絶対にやめて。

 必死の思いで今まで勉強してきたことは、どんなことがあっても絶対に無駄にしないで。

 あなたたちに限って、簡単に挫折することなんてないと信じているから。

 そもそも、もし、簡単に挫折するくらいなら、あなたたちもすぐに東大入試に落ちてたから」

 

 香菜子は弟と千早にそう言い聞かせると、すぐに輝男の方に目を向く。

 

 「天江君も今回は残念なことになったけど……

 ここで絶望しないで、次を目指して頑張れば……次こそはきっと……」

 

 励ましの言葉をかけると、輝男に向かって笑みを見せる。

 

 「あ、ありがとうございます」

 

 香菜子の笑みに、輝男も笑みを見せて、感謝の言葉を返す。

 実は既に滑り止めで別の大学に受かっているが、今のこの状況に押されて、言えずじまいになっている。

 

 「香菜子さん、あなたの今の励ましの言葉、今後、四年間の東大での学生生活の支えとします」

 

 千早が香菜子とまっすぐ向き合いながら彼女の励ましに応えると、

 

 「姉さん……今の姉さん……今までで一番、カッコよくて立派だったよ」

 

 小中は、姉を前にして妙にかしこまり、半ば恥ずかしそうに称賛の言葉をかける。

 

 「タカァ……! お姉様はいつも素敵で立派…の間違いでしょ!?」

 

 弟の今の称賛に、香菜子は左右の握り拳で弟の両側部をグリグリさせながら突っ込む。

 

 「い、いてぇ……! やめろよ、このクソ姉貴!」

 

 思わず悪態を付く小中に、輝男と千早は思わずドッと笑い出す。

 入試不合格と千早の元同級生たちの嘲笑、侮蔑で曇り切った心も、香菜子と小中のおかげで幾分、和らいでいった。

 やがて笑いを収めると、輝男は何かに気付いたかのように辺りを見渡す。

 間も無くして、重い足取りで遠のく一人の若者の後ろ姿を見る。

 

 (鬼頭……)

 

 輝男は、目の前で遠のく後ろ姿が鬼頭良真であることを認めた。

 千早や小中、香菜子が気付かぬまま、一人、去り行く鬼頭の姿に憂いにも似た気持ちを覗かせる。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 東大・本郷キャンバスから歩いて一キロほどのところにあるカフェに、輝男たちの姿があった。

 窓際の席で、輝男と千早、小中姉弟がテーブル越しに向き合っている。

 彼らは、注文したコーヒーやジュースを飲みながら話を弾ませる。

 

 「なぁんだ。天江君、ちゃんと他の大学に受かってんじゃん。心配して損したわ」

 

 香菜子は安堵の表情を嬉々として見せながら、真向かいに座る輝男に向かって言う。

 

 「ホント、お前って、結構、抜け目ないと言うかしたたかなところがあるよな。

 もし、お前が東大一択だったら、大学浪人の憂き目にあってるお前を好きなだけ眺められたのに」

 

 既に別の大学に受かっている輝男に、小中は性質(タチ)の悪い冗談を言ってのける。

 途端、横から振り下ろされた握り拳が、小中の頭を力一杯に殴った。

 

 「いい加減にしなさい、この愚弟(バカ)が!

 東大に受かったからといっていい気になり過ぎよ!

 そもそも、アンタが東大に受かったこと自体、一生分の運を使い果たしたようなものなんだから!」

 

 冗談を言った弟を力一杯に殴りながら、怒りと恥ずかしさの入り混じった形相で苦言を言う香菜子。

 

 「何だよ……今まで死ぬ思いで頑張った可愛い弟に、その仕打ちはないだろ」

 

 「うぬぼれるんじゃないの!

 アンタよりも恥知らずの愚弟なんて、この世のどこにもいないわ!」

 

 愚痴をこぼす弟と唇を尖らせて言い返す姉のやり取りに、輝男と千早は笑みをこぼす。

 輝男たちの笑いが収まると、香菜子は再び輝男と向き合う。

 

 「でも、御学堂大学も、学力レベルでは東大に勝るとも劣らないんでしょ?

 よく受かったわね?」

 

 「あそこの大学に受かったのも、正直、奇跡みたいなものですから」

 

 「奇跡だけで受かるものじゃないわ。

 天江君の日々の頑張りあってのことだから」

 

 謙遜気味に言う輝男に、横にいる千早が言葉を返す。

 輝男は飲みかけのコーラを飲み干すと、一呼吸、間を置いた後、口を開く。

 

 「小中と稲田は、来月、四月から東大に通い、黒山は早稲田に入るけど……

 俺と日向は、四月から御学堂大学で大学生活を始めるから」

 

 「え? でも、日向は関東国大を受けたんじゃなかったのかよ?」

 

 輝男の今の言葉に、小中がすぐに首を傾げる。

 すると、輝男は残念そうに笑みを曇らせる。

 

 「昨日、日向から電話が来て……彼女、関東国大の入試に落ちちゃったんだ」

 

 「そうか……。関東国大もぶっちゃけ狭き門だったとはいえ、残念だったな」

 

 輝男の説明に、小中は残念そうにため息を付く。

 

 「でも、日向さんも御学堂大学に受かってるんだから、それだけでもよしとしなきゃ」

 

 香菜子がそう言うと、輝男はまた元気な笑みを見せて、小中と向き合う。

 

 「小中……。お前や日向、黒山、それに稲田……

 それぞれ大学は違えど、四月からもまた、東京で色々と顔を合わせることができるから」

 

 「お前と顔を合わせるのも、今月で最後だとばかり思ってたけど……」

 

 「タカ、今後も天江君たちとちゃんと仲良くしなさいよ」

 

 「へ――い、へい」

 

 友人同士の会話に首を挟む姉に、弟はぞんざいな返事を返す。

 途端、その場にいた一同は、ドッと笑い声を上げる。

 喜びと悲しみが交差した東大入試合格発表の後、輝男たちは笑い声の絶えない和やかな雰囲気の中にいた。

 

 

 三十分ほど経った頃、輝男と千早、小中は、カフェを出て車道沿いの歩道を歩いていた。

 千早を真ん中にして、輝男と小中はその両脇を並んで歩く。

 

 「お前、お姉さんと一緒じゃなかったのか?」

 

 「俺はまだ実家だし、姉貴は向こうで一人暮らしだよ」

 

 「でも、今度、東大に入るとなると、親元離れるのは避けられないだろ?

 もし、そうなったら…」

 

 「そうなったとしても、姉貴と二人暮らしだけは御免被るぜ」

 

 「どうして? あんな素敵なお姉さんなのに」

 

 輝男と小中の会話に千早が割って入ると、

 

 「もし、あの姉貴と二人暮らしなんてことになったら、死ぬほどこき使われるのが目に見えてるから」

 

 小中はウンザリしたかのような表情で千早に言い返す。

 輝男と千早は、小中の今の愚痴につい苦笑してしまう。

 すると、小中は輝男の方を振り向き、話を切り出す。

 

 「お前だって、親元離れて御学堂大学に通わなきゃいけないだろ?

 引っ越す当てでもあるのか?」

 

 「今のところ、お勧めの物件が一つあるけど、まだ考え中だよ」

 

 「早く決めないと、希望のところ全部埋まって、ろくなところしか残らないぜ。

 ……俺も似たようなものだけど……」

 

 小中と輝男の会話を、真ん中にいる千早は交互に振り向きながら聞き入る。

 しかし、間も無くして正面を向くと、目の前にある光景を見て、思わず驚愕の表情を見せる。

 

 「あ、天江君……!」

 

 すぐに輝男の着ているジャンパーの袖を引っ張り、彼に呼びかける千早。

 輝男が気付くと、千早はすぐに正面の方を指差す。

 指差した先には、高さ十メートルはある歩道橋がある。

 その歩道橋の真ん中で、一人の若者が塀を乗り越え、外側に立った。

 輝男は目の前の若者の姿を見ると、

 

 「き、鬼頭!」

 

 塀の外側に立っているのが鬼頭良真であることを認め、驚愕の声を上げる

 鬼頭は、遠目にもわかるくらいに思い詰めた形相で、今、正に身投げしようとしている。

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