照り付ける太陽が街外れの墓地を見下ろす。
墓地の真ん中に、一つの墓石が建てられている。
強く磨かれた表面には、塵一つついていない。
墓石には次の一文が縦書きに刻まれている。
“天江家 代々之墓”――
墓標の下には、花々が詰め込まれた花束が添えられ、ろうそくと線香が火を灯している。
未だ蒸し暑さが漂う快晴の空の下、輝男と真純、そして、瑠奈は、真剣な面持ちでまぶたを閉じ、墓標に向かって合掌する。
輝男は黙々と合掌すると、
(母さん、どうして、俺を置いて死んじゃったんだ……?)
恐らく、墓の下に眠っているであろう実母に対して、思いを馳せている。
幼くして母と死別した寂しさを、この時ばかりは誰はばかることなくさらけ出そうとする。
やがて、真純と瑠奈はうっすらとまぶたを開いた。
しかし、輝男は依然として、まぶたを閉ざしたまま、真剣な面持ちで合掌を続ける。
「おにいちゃ…」
瑠奈がそっと呼びかけようとするも、真純によってすぐに制止される。
「そのまま、そっとしておきなさい」
静かに優しく語り掛ける真純に、瑠奈は黙ってうなずく。
真純も瑠奈も、実母を心から悼む輝男の気持ちをハッキリと認めているのだ。
二人が静かに見守る中、輝男はなおも実母の眠る墓に手を合わせる。
三十分ほど経った頃、輝男たちの乗る軽自動車が墓地を後にする。
「この後は、瑠奈の実家の墓参りなんだね」
「えぇ、その後、スーパーへ買い物に行くけど、ちょっと手伝ってくれるかしら?」
「いいよ、喜んで」
後部座席に座る輝男と、運転席でハンドルを握る真純がそう言葉を交わす。
すると、
「ねぇ、ところでパパって、いつ帰って来るの?」
同じく、後部座席に座る瑠奈がひょこッと顔を出しながら、真純にたずねる。
真純は、真正面を見据えて車を走らせながら、口を開く。
「お父さん、夕方には帰って来るって言ってたわ。
どうしても墓参りには間に合わないから、構わず、三人で行きなさいって……」
「そうなんだ……」
瑠奈は義母の返答に相槌を打つと、横にいる輝男の方を振り向く。
すると、瑠奈の目に、重く、厳しい輝男の表情が映った。
さっきまでは平素の表情を見せていたのに、今や人が変わったかのような顔を見せている。
父親のことが話題に入った時に表情が変わったのだろう。
輝男の表情の変化に、瑠奈もつられて表情を曇らせる。
(お義兄ちゃん、もしかして、パパのことが……)
曇り切った表情の奥で、義兄に対する憂慮をつぶやく。
重く、厳しい表情を見せたまま唇を固く閉ざす輝男に、どうしても言葉をかけることができない。
しかし、輝男たちの乗る車は、義兄妹の微妙な心の揺れに構わず順調に道を進める。
◇ ◇ ◇
快晴の空が薄暗くなり、暑さも少しは和らいでいく。
薄暗い空がタワーマンションを見下ろす中、輝男は一人、自室で黙々と勉強をしている。
夏休みの課題か何かに取り組んでいるのだろう。
すると、
『お帰りなさ―――い』
ドアの向こうから真純の声が聞こえて来る。
間も無くして、
『家の方は問題無かったか?』
聞き慣れない男の声が聞こえて来る。
『えぇ、何事も問題ないし、輝男さんも瑠奈も二人とも元気でやってますよ』
男の声に応える真純の声が続けて聞こえて来る。
しかし、輝男は微動だにしないまま、黙々と勉強を続けている。
勉強に集中してて聞こえていなかったかもしれないし、あるいは、聞こえていたのだが、努めて聞こえないふりをしていたのかもしれない。
一時間ほど経った頃――
輝男は真純たちと一緒にリビングにいた。
瑠奈と並んで腰を下ろす輝男の目の前に、豪勢なメニューが並んでいる。
二人の真向かいには、テーブルを挟んで、真純ともう一人、見慣れぬ一人の男が腰を下ろしている。
歳にして四十代後半――
短く刈り込んだ黒の頭髪に、歳相応の端整な容姿――
白のワイシャツとグレーのスラックスに覆われた均整の取れた体格――
「うん、美味しい! 今日の夕飯、いつにも増して美味しいわ!」
瑠奈は舌鼓を打ちながら、嬉々とした声を上げる。
「まぁ、瑠奈ったら、おだてても何も出ないわよ」
真純は自ら作った料理を口にしながら、瑠奈に向かって苦笑混じりに言葉を返す。
すると、瑠奈は横にいる輝男の方を振り向く。
「ねぇ、お義兄ちゃん、今日の夕飯、今まで一番美味しいよね」
嬉しそうな顔で義兄に言葉をかける瑠奈だったが、
「あぁ……」
輝男は瑠奈の方を振り向かずに、素っ気無い顔で返事をする。
半ば、つむくようにしてメニューに視線を集中しながら、黙々と食事をしている。
むしろ、真正面にいる男と目を合わせたくない様子だ。
一方、真純の横にいる男も、素っ気ない顔をしながら黙々と食事を進める。
余り、嬉しそうな顔を見せない男に、瑠奈は思わず表情を曇らせる。
「もう、パパったら……
久しぶりに帰って来るものだから、ママがせっかく、腕によりをかけて作ってくれたのに……」
美味しそうな顔を見せない男――すなわち、義父に当たる天江輝人(あまえ・てるひと)に向かって、瑠奈は不満げに言葉をかける。
しかし、輝人は義娘の不満を黙殺して、そのまま食事を進める。
「瑠奈、お父さん、ずっと仕事で忙しくて疲れていらっしゃるのですから、余り、辛く当たっちゃダメですよ」
真純は努めて笑みを浮かべながら、やんわりと瑠奈にたしなめる。
その間にも、輝男と実父・輝人は、黙々と食事を進める。
久しぶりの対面のはずなのに、共に目線を合わせることは無い。
重苦しい空気がリビングを覆う。
瑠奈は自ずと表情が曇り、箸の進み具合も鈍くなっている。
しかし、真純だけはまるで何も無かったかのように、平素の表情で食事を進める。
三十分ほど経った後、テーブルに並べられたメニューはほとんど空になった。
「あー、美味しかった。ごちそうさま」
夕飯を食べ終えた瑠奈が、満喫したかのように声を上げる。
すると、
「輝男」
それまで黙々と声を出さなかった輝人が、真向かいにいる輝男に向かって声をかけた。
父の今の声に、輝男はようやく顔を上げる。
どこか晴れない面持ちで、父とまっすぐに向き合う。
「後でお前に大事な話がある」
輝人は神妙な面持ちを見せながら、息子に向かって言う。
父の今の言葉に、輝男は表情を厳しくさせながら黙る。
瑠奈は今の父子のやりとりと義兄の厳しい顔に、思わず戸惑いの色を見せる。
◇ ◇ ◇
「あぁ、サッパリした」
淡いピンクの薄いパジャマを着た瑠奈が、独り言を漏らしながら廊下を歩く。
火照りの収まらない肌具合から見て、風呂から上がったばかりなのだろう。
そのままリビングの手前に差し掛かると、
『お、お見合い!?』
閉ざされたドアの向こうから、驚きの声が高々と聞こえて来た。
ドアの向こうから聞こえて来る驚愕の声に、瑠奈は驚きの顔を見せる。
ドアの向こう――すなわち、リビングでは、輝男が、真純、そして輝人とテーブル越しに向き合っている。
輝男は驚きと困惑の入り混じった形相で両親を見る。
「お見合いって……そんなの冗談だろ!?」
「冗談ではない。本当の話だ」
驚愕し、信じられないと言わんばかりの輝男に、父・輝人は淡々と言い返す。
「明後日、お前はベスト・グループ会長の令嬢とお見合いをせねばならんのだ」
「ベスト・グループって……?」
「首都圏を中心にホテル事業を展開しているベスト・グループ。
そこの会長の一人娘とお見合いをするんだ」
戸惑いを隠せない輝男に向かって、輝人は平然とした調子で用件を告げる。
そこへ、輝人の横にいる真純が、重く閉ざした口を開いた。
「この前、皆で一緒に泊まったホテル・シーサイドベスト。
あのホテルを経営なさってる方のお嬢さんと今度、お会いするのよ」
真純が落ち着き払った口調で言って来ると、
「まさか……あのホテルに宿泊できたのも……父さんの差し金だとでも言うのか!?」
輝男は愕然とした面持ちで父をにらみながら、声を上げる。
お世辞にも穏やかとは言えない息子の今の言葉に、父は別段、気分を害する様子を見せない。
むしろ、平然とした面持ちを見せることで、軽くあしらおうとさえする。
「父さんとベスト・グループの最上会長は、以前、仕事で一緒になった時からずっと懇意の関係になってな……
その縁で、今回、お見合いを…という話になったんだ……」
輝人はそう言うと、目の前にあるグラスを手に取って、アイスコーヒーを半分ほど飲む。
グラスを再び、テーブルの上に置くと、息子をまっすぐに見据えながら話を再開する。
「お前は、まだ、お見合いだなんて早過ぎると思うかもしれん。
だが、今の内から生涯の伴侶を決め、一生分の絆を結ぶことは決して悪い話では無い。
前にも言ったかもしれんが、お前は、この天江家で百年ぶりに生まれた男の子だ。
百年以上、ずっと女の子しか生まれず、その上、少子の家系でもあるこの家に、お前のような男の子が生まれたことは、この上ない僥倖と言ってもいい。
その上、お前は勉強もスポーツも優秀と聞いている。
ならば、なおのこと、これ以上は無い素晴らしい伴侶を今の時分から得ることは、絶対に避けられんことなのだ。
実を言うと、今回の件は、最上会長の方から話をいただいたのだが、お前のことを話すと、先方も喜んで快諾して下さった」
輝人は、輝男に向かって諄々と言い聞かせるように話を進める。
しかし、輝男は依然として承服しがたいと言わんばかりに、重い表情を見せる。
「いくら、もっともらしい言い方をしても、俺と向こうのお嬢さんが無理矢理、見合いをさせられることに変わりはないじゃないか。
俺も向こうのお嬢さんも、先は長いんだから、他にもいい人を見つける機会だっていくらでもあるんだ」
輝男は精一杯の反論を試みようとするが、
「会長令嬢とお見合いをしろ。もはや、いかなるキャンセルも受け付けられん」
輝人は平然とした調子で、息子の抗議をはね付ける。
すると、真純が輝男をまっすぐに見つめながら、重く閉ざした口を開く。
「まだ、その令嬢の方と結婚なさると決まったわけじゃ無いから……
とにかく、会うだけお会いしなさい……」
柔らかな笑顔を見せながら、なだめるような調子で義息に言葉をかける。
「……わかったよ、父さん、義母さん……」
輝男は憮然とした顔を見せつつも、了解の一言を言う。
(義母さんは会うだけ会えと言ってるけど……
今の父さんの話だと、余程のことがない限り、俺とそのお嬢さんの結婚は避けられらないみたいじゃないか……)
憮然とした表情の奥で、憤懣やるせない思いを吐く。
曲がりなりにも平穏に過ぎていった人生に暗雲が垂れ込むような思いが、輝男の心をさいなむ。
一方、閉ざされたリビングドアの外側では、瑠奈がドアに背もたれしながらへたり込んでいる。
驚愕した面持ちで身を固くし、言葉を失っている。
(う、嘘……!? お義兄ちゃんがお見合い……!?)
内心、驚愕の声を上げる瑠奈。
リビングでの輝男たちの会話を盗み聞きしたのは間違い無い。
◇ ◇ ◇
輝男は自室のベッドの上で、一人、仰向けに寝転がっている。
グレーのノースリーブシャツに、同色のパジャマズボンといういで立ちで、浮かない顔を見せる。
(まさか……よりによってお見合いをさせられる羽目になるなんて……)
輝男は天井をボンヤリと見上げながら深くため息を付く。
父親が持ち込んで来たお見合い話に乗り気でないのは明白だ。
すると、ドアの向こうからノックをする音が聞こえて来た。
『お義兄ちゃん、入っていい?』
ドアの向こうから少女の声が聞こえて来る。
「あぁ、いいよ」
ぶっきらぼうに応諾の返事をすると、輝男は体を起こした。
すぐにドアが開き、瑠奈が部屋の中に入って来た。
輝男がベッドの淵に腰を下ろすと、瑠奈はすぐに、輝男の横に座る。
「お義兄ちゃん、パパが帰って来てから、随分とご機嫌斜めじゃない」
「そうか?」
「お義兄ちゃんにとっては、たった一人の血のつながった肉親なのに、赤の他人以上によそよそしいよ」
「別に……。ただ、一年の内のほんの数日しか顔を会わせていないというのもあるけど……」
「それだけじゃないと思うな……」
正面を見据えながら、憂いを帯びた調子で言う瑠奈に、輝男はようやく、彼女の方を振り向く。
「お義兄ちゃん……パパのこと、かなり嫌ってるんじゃないかな……?
それも、相当、強く、憎しみかわだかまりを抱えて……
でなきゃ、実の肉親なのにあんなに嫌がった態度を見せないよ」
正面見据えながらポツリとつぶやく瑠奈。
憂慮と悲哀に満ちた表情が、輝男の目に否応無しに焼き付かれる。
義妹が自分のことで心を痛めているのを、輝男はすぐに理解し、一瞬、気まずい顔を見せる。
「お前が心配することなんか何もないよ」
何とか瑠奈の憂慮を払い除けようと、安堵をうながす言葉をかける。
父親に対するわだかまりが依然として尾を引いているのは、否定のしようがない。
そのことは、輝男の中では容易に消せる問題ではない。
しかし、そのことで他者――それも、自分にとって愛しい人の一人――を不要に心配させ、心を傷付けさせるのは、輝男の本意ではない。
できれば、自分が今、胸の内に抱えている思いを、目の前の相手にぶつけたいところだ。
しかし、それも、結局は自分勝手な鬱憤の発散でしかないことを、輝男は嫌でも思い知っている。
鬱屈とした思いを爆発させる代わりに、今、傍にいる人を何とか安堵させようとする。
「それより、そんな暗い顔をしないで、いつもの元気な顔を見せてくれ。
俺のことでお前が暗い気持ちになる必要なんか…」
輝男はなおも言葉を続けるが、突然、瑠奈がギュッと抱き付いて来た。
いきなり抱き付く瑠奈に、輝男は顔を赤らめ、戸惑いの色を見せる。
「やめろ、瑠奈! 一体、どうしたんだ!?」
戸惑いながらもたずねる輝男に、瑠奈は顔をうずめる。
「お義兄ちゃん……瑠奈に慰めさせて……」
顔をうずめながら言って来る瑠奈に、輝男は思わず唖然となる。
「お、お前、何を言ってるんだ!?」
輝男が戸惑いながら言葉を返すと、瑠奈はようやく顔を上げた。
頬を赤らめ、乞うようなまなざしを震わせながら、輝男をまっすぐに見つめる。
「瑠奈を抱いて……嫌なこと、全部、思いっきり忘れて……」
ささやくように言葉をかける瑠奈に、輝男は顔を赤らめながら言葉を失う……