輝男と静流は校舎第二棟三階の階段手前で向き合っている。
二人ともキチンと制服に着替え直し、さっきまでセックスしていたことなど微塵も感じさせない。
「輝男さん、今日はありがごうございます」
嬉しそうに笑みを浮かべる静流に、輝男は何故か気まずい表情を赤らめる。
「俺、君にあんなことをしてしまって……」
口ごもりながら詫びの言葉をかける輝男。
彼の脳裏には、さっきまで静流と激しいセックスに耽り、挙句の果てに膣内射精までしたことが克明に浮かび上がっている。
お見合い相手とはいえ、容赦なく淫欲を叩き付けたことに対して、今更ながらに罪悪感をにじませる。
しかし、静流は気分を害するどころか、柔和な笑みを絶やさずにいる。
「気になさらないで下さい。
元はと言えば、私がわがままを言ってお願いしたのがいけなかったんですから」
自分に責任を求めるかのような言葉を言うと、輝男の頬にそっとキスをする。
静流の今のキスに、輝男は顔を赤らめて呆然とする。
すると、制服のブレザーのポケットから振動音が鳴り響く。
輝男は振動音を耳にするや、ハッと我に返る。
すぐにポケットからスマートフォンを取り出し、電話に出ると、
『天江、お前、何、やってんだ!? もう、休憩、終わってるぞ!』
電話の向こうから叱り付ける男の声が聞こえて来る。
電話越しでの叱責に、輝男はまたも気まずそうな顔を見せる。
「ごめん、俺、すぐに店の方に戻るから」
輝男は静流に向かってそう言うと、一人、渡り廊下を駆けて、第一棟の方へと戻って行く。
急ぎ、模擬店のある教室へ戻って行く輝男の後ろ姿を、静流はほほ笑みながら見つめている。
◇ ◇ ◇
輝男はクラスの模擬カフェで接客を行なっている。
ついさっきまで静流と男子トイレの個室でセックスしていたが、そんなことは微塵も感じさせない。
一時間ほど経った頃、模擬カフェに一人の女性が入って来た。
「いらっしゃいませ……って、先生」
客だと思って挨拶するが、すぐに彼女が真白であることに気付いた。
空席に腰を下ろした真白に輝男が歩み寄る。
「先生、ご注文は?」
輝男がそうたずねると、真白は不敵な笑みを浮かべて輝男を見つめる。
「注文は、天江君、あなたよ」
不敵な笑みで言って来る真白に、輝男は思わず唖然とする。
「せ、先生、何、言ってんですか?」
真白の今の言葉が理解できないと言わんばかりに、困りきったような顔を見せる。
すると、真白はすぐに腰を上げ、輝男とまっすぐに向き合う。
さっきまでの不敵な笑みとは一転して、深刻そうな重い表情を見せる。
「ちょっと悪いけど、付き合ってもらえるかしら?」
「どうしたんですか?」
重々しいトーンで言って来る真白に、輝男は不安げにたずねる。
今の真白の表情に、何やら不穏な予感を感じたのだ。
「実は……ちょっとした問題が持ち上がっちゃってね……」
今の真白の言葉に、輝男は不安げな表情を驚かせる。
数分後――
輝男は生徒指導室で一人の不審な男を見ていた。
否、輝男だけではない。
男の正面に見える理華と男性教諭――生徒指導担当――、輝男の横にいる真白、そして、輝男と真白の向かいに立つ葵と男子生徒――恐らく生徒会役員の一人――が、男を取り囲んでいる。
一方の男はと言うと、中肉中背の体格を黒と赤のジャンパーに青のジーンズで覆い、目深にかぶったキャップと黒のサングラス、そしてマスクで顔を隠している。
縮こまる様に立ち尽くす男を、輝男たちは怪訝な面持ちで見つめている。
「先生、コイツは?」
輝男が横にいる真白にヒソヒソとたずねる。
すると、
「その帽子とメガネを外せ」
険しい表情で眉をひそめる男性教諭が男に向かって言う。
男は恐る恐るキャップとサングラス、そしてマスクを外す。
男が顔を明かした瞬間、輝男は驚きに満ちた表情で男を見る。
「お前……東!」
驚愕の表情でにらむ先には、吊り上がった目に平々凡々とした容姿をした同年代くらいの少年がいた。
少年――すなわち、東大一郎は、ジャンパーの胸ポケットにしまっていたメガネをかけ直す。
かつて、自分を盗撮で脅し、不登校に追いやった同級生の姿に、葵は表情を強張らせたまま、唇をキッと結ぶ。
「お前、どうしてここに……!?」
輝男が厳しい表情で問い詰めようとすると、
「文化祭のどさくさにまぎれて、また盗撮を働こうとしたのよ。
そうでしょ、東君?」
険しい表情を見せる理華が輝男に返答し、そのまま東に確認しようとする。
理華の今の問いかけに、東は苦々しい顔で閉口する。
輝男たちに取り囲まれ、逃げ場の無い状況であるにも関わらず、沈黙を貫こうとする。
結局は無意味でしかない行為を貫こうとする東に、輝男たちは険しさを募らせる。
「お前、盗撮のせいで無期限の停学処分を受けたばかりなのに、どうして……!?」
男子生徒が苛立ったような口調で、東を問い詰めようとする。
しかし、東は重くうな垂れたまま、何も言おうとしない。
何とか逃げおおせようとする東の態度に、理華と男性教諭は呆れながらため息を付く。
「実は、文化祭が始まってから不審な男が校内をうろついているという知らせがあってな……
我々の方でずっと探していたんだが、ついさっき、やっと捕まえた…というわけだ」
男性教諭が事の次第を説明すると、横にいた理華がスマートフォンと小型のデジタルビデオカメラを両手に持った。
「東君、これを使って、ずっと校内のあちこちで盗撮をしてたのよ」
理華はそう言うと、輝男にデジタルビデオカメラ、そして、葵にスマートフォンを手渡した。
葵が手にしているスマートフォンには、文化祭に足を運んだ女性たちを盗撮したものが映し出されている。
そこに映し出されたのは、他校の女子生徒やそれ以外の女性たちだが、いずれも容姿端麗で胸の大きい者ばかりである。
一方、輝男が手にしているカメラのモニターには、廊下や階段で撮ったパンチラ動画が映し出されている。
モニター内の盗撮動画を見ていた輝男は、驚愕の余り、表情を強張らせる。
モニターには、三人組の中学生くらいの女子生徒たちが階段を下りていく姿が盗み撮りされている。
(瑠奈……!)
輝男はモニター内の盗撮動画に映る瑠奈、純、七瀬の姿に驚愕する。
次の瞬間、モニター内には、瑠奈たちの制服のスカートから見えるパンチラがハッキリと映った。
大事なところを覆う部分が、白、水色、ピンク…と、色とりどりに映っている。
輝男は横にいた真白にカメラを押し付けると、
「貴様ぁっ!!」
萎縮したように立ち尽くす東の胸倉をつかみ、腹の底から怒りの声を上げた。
突然に怒りを爆発させる輝男に、その場にいた一同は思わず驚く。
「お前、あれだけ皆に迷惑をかけて、女子たちを散々、辱めておきながら、まだこの期に及んで、こんな悪ふざけをするのか!?」
今まで見せたことの無いような鬼の形相で、東にありったけの怒りをぶつける。
葵が散々に傷付けられたことを思い返し、今また、可愛い義妹とその友人たちが知らぬ間に辱められたことに、胸が張り裂けんばかりの怒りを覚えずにいられなかった。
と、次の瞬間、東の頬に固く握り締められた拳が当たる。
殴られた拍子に、東がその場で転倒する。
突然の暴力に恐れおののき、ガタガタ震える東の目の前で、輝男は鬼の形相を見せたまま、拳を固く握り締める。
東は拳を固く握り締めて怒りに仁王立ちする輝男をチラッと見ると、
「な、何の……マネだ……? こ、校内での暴力行為は校則違反……退学に相当するぞ……」
恐怖におののきながらも、自分がしでかした所業を棚に上げて輝男の暴力行為をとがめようとする。
東の今の言葉に、輝男は更に怒りを募らせる。
「ふざけるな! 俺だって、お前なんかのために、こんなバカげたことなんかしたくない!
でも、貴様のようなクズ野郎には、言葉だけでは不十分だ!
退学どころか……本当の刑罰を受けてもなお余りあるぞ!」
やり切れないと言わんばかりに怒りの声を張り上げる輝男。
もちろん、彼とて同じ学校の同級生相手に暴力など振るいたくない。
しかし、当の相手は、いくら言葉で注意しても決して反省しようとせず、性懲りも無く悪事を繰り返して逃げおおせようと企む卑怯者である。
例え、輝男でなくとも怒りをぶつけずにはいられない。
「天江君、もうその辺でやめなさい」
「天江、お前の気持ちはよくわかるが、今のは行き過ぎだ。
事が事ゆえ、今の件は不問に伏すが、次は決して暴力など振るうな」
理華と男性教諭が厳しい表情で輝男に制止をうながす。
二人の言葉に、輝男は不承不承ながらも引き下がる。
「……しかし、現に盗撮トラブルが起きた以上、事が公けになったら厄介だわ……」
今まで事の成り行きを黙って見ていた真白が、困惑しきった形相でため息を付く。
「文化祭で盗撮が行われたとなれば、このまま文化祭を続けるのは難しいわね」
理華が沈痛な面持ちでため息を付くと、
「文化祭での盗撮トラブルが生徒たちや外部に知れ渡れば、動揺が起きるのは避けられん。
最悪、今回の文化祭は中止せざるを得んかもしれんな……」
男性教諭が沈痛な面持ちで最悪の事態を示唆する。
もちろん、彼とて、自分が今、言ったことが受け入れがたいものであるのはわかっている。
しかし、最もあってはならないトラブルが起きた今、これを放置してうやむやにすることなど、立場上、許されるものではない。
教諭たちの話を聞いていた男子生徒が、汚物でも見るような険しい目付きで東をにらむ。
「お前……皆がどれだけ、今回の文化祭を楽しみにしていたのか、わかってるのか!?
それを、お前一人の悪ふざけのせいでぶち壊しにするなんて!」
東の耳に男子生徒の怒りの声が叩き付けられる。。
多くの生徒たちが楽しみにしていた文化祭が、他者の身勝手な悪ふざけのために潰されようとしているのだ。
男子生徒の真っ当な怒りを真横からぶつけられて、東はわなわなと口元を震わせる。
「……だ、だって……皆して……俺をよってたかっていじめて……のけ者にさせたんだ……
なのに、自分たちだけ文化祭で浮かれるなんて……不平等じゃないか……」
声を震わせながら自分勝手な不平不満を言ってのける。
東の今の言葉に、輝男たちは表情を強張らせながら言葉を失う。
やはり、東は、自らが犯した卑劣な所業に対して何ら反省することを知らない。
理華は、萎縮しきったかのようにうつむく東をまっすぐににらみながら、口を開く。
「停学処分を受け、自分だけのけ者にして文化祭が行われた腹いせで、また盗撮をやらかした…と言うのね……?」
厳しい表情を崩さずに東の思惑を確かめようとする理華。
理華の今の問いかけに、東はうつむきながら口元を動かす。
「……そ、それに……上手くいけば……今回の盗撮をネタに……また、復学できるんじゃないかと……」
しどろもどろに自らの狙いを言ってのける東に、輝男たちは思わず唖然とする。
あまりにもよこしまで卑劣な企みが通用できると信じ込んでいた東に、彼らは呆れる気力さえ失せてしまう。
「お前……そんなことが、俺たちや先生たちに通用するとでも思ってるのか……?」
男子生徒が呆れ果てた調子で言葉をかけると、
「だって、皆や先生たちだって、パンチラとか着替えの盗撮画像とか見たくてたまらないじゃないか!
口ではダメだ、卑怯だとか言っても、本当はとっても喜ぶくせに!」
東は輝男や男性教諭、男子生徒に目を向けながら、居直りの反論を試みる。
自らが抱き、恐らく、他の男たちも抱いているであろう浅ましい淫欲に訴えようとする。
東の今の居直りに、輝男はまたも怒りに表情を険しくさせる。
「東……やはり、お前は……!」
怒りの余り、固く握り締めた拳と声を震わせながら東のもとにつかつかと歩み寄ろうとする。
しかし、次の瞬間、
「天江君、やめて!」
鋭い口調で制止をうながす声が、真向かいから叩き付けられた。
真向かいからの鋭い声に、輝男は足を止めた。
彼の視線の先には、厳しい表情で輝男を鋭く見据える葵の姿があった。
「会長、どうして……?」
輝男は険しい表情を崩さぬまま、自分を制止しようとする葵にたずねる。
頑なに自らの非を認めようとしない東への怒りを、葵が引き止めたのだ。
理解できないと言わんばかりに、葵に食って掛かろうとする。
しかし、葵は輝男に言い返す代わりに、理華と男性教諭の方を振り向く。
真剣みを帯びた表情で、二人に向かって口を開く。
「……どうか、文化祭をそのまま続行させてもらえないでしょうか……?」
葵は厳しい口調で理華と男性教諭にそう訴える。
気まずそうに目線を下げる東を一瞥すると、再び理華と男性教諭に真剣な表情を見せる。
「確かに、東君がまたも盗撮行為を働いたのは、否定しようのない事実ですし……
そのことが、噂話程度でも他の生徒たちに知られれば、動揺が起きるのは避けられません……
ですが、そのために、生徒たちが皆、一生懸命頑張って心待ちにした文化祭がつぶされることだけは、私としてはどうしても受け入れられません。
生徒会長として、一生徒として、今回の文化祭は何とか最後までやり通していきたいんです」
「気持ちはわかるが、今回の東の件はどうあっても隠し切れるものではない。
東への処分は避けられないにしても、そのまま文化祭を続行させるのはかなり厳しいぞ」
「……もし、東君の件で、今回の文化祭の続行に支障を来たす事態が生じるようであれば……
この私が一切の責任を取ります……!」
懸念を言って来る男性教諭に、葵はわずかでも揺るぎない口調で言い返す。
葵の厳然とした表情と今の言葉に、男性教諭、そして、輝男たちは何も言い返せない。
すると、
「黒山さん……あなた、責任を取るって言うけど……
いくら生徒会長とはいえ、そんな言葉を軽々しく言わないで……!
実際に責任を取らなければならないにしても、それはあなたが言うほど簡単なことじゃないのよ!」
理華が厳しい表情を見せながら葵に反論する。
事態の深刻さを強く認識している理華としては、葵の今の言葉が軽率なものに思えたのだろう。
叱責にも似た今の反論に、葵は一歩も引かぬ姿勢を見せる。
「もし、私が今回の事態に見て見ぬフリをして、先生方に一切を任せるようなことがあれば……
私が生徒会長を務めることも、生徒会が存在することも何の意味も無くなります」
「確かに、そうかもしれないけど……」
「先生、黒山会長を信じて下さい」
理華の言葉をさえぎり、葵の背中を後押しするかのように、輝男が口を挟む。
葵と並ぶようにして、真向かいにいる理華と男性教諭に、真剣な表情を見せる。
「もし、会長の力だけでは不十分であるのなら、僕たち生徒会の面々がいくらでも力を貸します。
僕や他の皆も、黒山会長とまったく同じ気持ちです。
僕も皆も楽しみにしているこの文化祭を、絶対に潰したくないんです!」
真剣な表情を崩さずに、切実な調子で強く訴える輝男。
輝男の今の訴えに、理華は真剣な表情を見せながら口を閉ざす。
葵、そして、真白は、真剣な表情を見せ続ける輝男を、傍でジッと見つめ続ける。
わずかの間、沈黙が続いた後、男性教諭が口を開いた。
「……もし、君たちがちゃんと責任を取ってくれると言うのなら……
文化祭が予定通りに終わるまでは、今回の東の件は絶対に伏せておくように。
それに、今後もそれに準ずるようなトラブルが起こらぬよう、細心の注意を払って、事に当たれ」
男性教諭は輝男たちを厳しく見据えながら、輝男の訴えを容認するかのような言葉をかける。
男性教諭の今の言葉に、輝男はようやく、緊張から解き放たれたかのように表情をほころばす。
「ありがとうございます!」
輝男は理華と男性教諭に向かって、深々と頭を下げながら感謝の言葉をかける。
理華と真白、そして葵は、そんな輝男を黙って見つめる……
◇ ◇ ◇
薄暗くなった空が校舎を見下ろす。
賑わいの収まった廊下を生徒たちがそぞろと歩いていく。
ほとんどの生徒が階下へと下りて、そのまま生徒玄関へと向かう。
一日目の文化祭を終えて、ある者は満喫し、またある者は疲れたような顔を見せる。
「ハァ……全然、売れなかったわ……」
四、五冊ほどの単行本を抱えながら、落胆しきった重い表情でため息をつく女子生徒が一人。
百川七海は両手に単行本を抱えながら、トボトボと階段を下りる。
悲嘆に暮れる彼女の表情と今の言葉から察するに、どうやら、自ら出品した品――恐らく、今、両手に抱えている数冊の単行本――が今日の文化祭で売れずじまいだったのだろう。
「七海、ドンマイ。
今日はたまたまダメだっただけで、明日はちゃんと全部、売れるよ」
「……そうだといいけど……」
横にいる友人と思しき女子生徒の励ましに、七海は力無く応じる。
ちなみに、七海が今、抱えている単行本には、
――王子様と俺
――憎いほど愛しい
――Mr.Princess
といったタイトルが記されている。
そして、全冊の表紙には、二人の美男子が絡み合う姿が描かれている。
トボトボと階段を下り、一階に着いた七海は、そのまま生徒玄関へと向かう。
しかし、すぐ向かいの壁際で、二人の男女生徒が何やら話をしているのにまったく気付いていない。
自分が最もよく知る先輩二人の存在を……
「あの時、あなたが後押ししてくれなかったら、さすがの私もダメだったかも……」
「俺も、あんなクズ野郎一人のために、せっかくの文化祭が台無しになることだけは避けたかったから……」
輝男と葵は、横並びで壁に背もたれながら話をしている。
文化祭のどさくさにまぎれて学校に侵入し、またも盗撮を働いたかつての同級生――東大一郎のこと、そして、東による盗撮のせいで文化祭が潰されかけたことを話しているのだ。
「それより、あの時、俺が東のヤツをもう一度、ぶん殴ろうとした時、どうして止めたんだ?
君がヤツを庇う理由も必然性もまったく無いなのに……
むしろ、君こそが、真っ先にヤツをぶん殴らなければいけないはずなのに……」
「彼を庇うというより、あなたが彼のために余計な迷惑を被ってもらいたくないから。
それに、彼の態度を見る限りでは、どんなことがあろうと、彼が自分の過ちを反省し、己の非を認めることは絶対にあり得ないとわかったから。
死んでも自分の罪を認めず、被害者に形ばかりの謝罪さえしない者のために、あなたには無意味な暴力を振るってもらいたくないの……」
「残念だけど、君の言うことはもっともだよ……」
そこまで言うと、輝男はやり切れないといった様子で、深くため息を付く。
下劣極まりない精魂をした者がごく身近に、しかも、同じ学校の同級生にして学年随一の優等生として存在していたことに、憤然とした気持ちを抱かずにはいられない。
同じ学校に通い、共に勉学に励む者でもこうも違うものかと愕然としてしまいそうになる。
輝男と葵は、そのまましばらくの間、唇を閉ざしてしまう。
二人とも、互いの方を振り向かず、無言のままうつろに正面を見据えている。
何分間か沈黙が続いた後、重く閉ざされた葵の唇が開く。
「……私も……この文化祭、とても楽しみにしていたの……」
葵は正面を見据えたまま、しみじみとした調子で話を切り出した。
すると、輝男はようやく、真横で背もたれしている葵の方を振り向く。
輝男の目には、いつになく神妙な面持ちを見せる葵の横顔が映る。
「皆、私のことを、“鬼の級長”だとか“鬼の生徒会長”だとか言ってて、多分、文化祭など心底ではどうでもいいと思っているのかもしれない……
でも、私も、皆と同じように文化祭を心から楽しみたいの……
授業に明け暮れるいつもの日々では味わえないような楽しいひと時を過ごせる喜び……
ほんの少しでも楽しいひと時を過ごせるだけで、またすぐに元気を取り戻すことができる……
だから私は、一年に一度のこのお祭りを心待ちにしていたの……」
輝男と二人きりの空間にいるせいか、普段では中々、見せないような心からの素直な言葉が、葵の口元から流れ出る。
輝男は葵の今の言葉を聞くと、再び正面を見据えながら口を開く。
「君があの時、一切の責任を取ると言ったのは……
生徒会長としての義務とかじゃなくて、心底、文化祭を楽しむ素直な気持ちから出たものだったのか……」
輝男はしみじみとした調子で、葵にそう言い返す。
すると、今度は葵の方が輝男を振り向いた。
輝男はすぐに、真横を振り向き葵とまっすぐに向き合う。
厳しくも端整な美貌、クッキリと吊り上がった目、わずかな淀みも無い瞳が、輝男の目にハッキリと映る。
「天江君……今回の文化祭、絶対に、最後までやり遂げましょう……」
「あぁ……」
決然とした葵の言葉に、輝男は一言、応諾の言葉を返す。
互いをまっすぐに見つめ合いながら、輝男と葵の手は、互いを強く握り締め合っている。
そこへ、何者かの足音が静かに近づいて来る。
間も無くして、
「天江君……」
すぐ傍から、そっと輝男の名を呼ぶ声が聞こえて来た。
輝男が振り向くと、そこには、真白が不敵な笑みを見せながら立っていた。
音も立てずに姿を現した生徒会顧問にして保健教諭に、輝男と葵は思わず顔を赤らめる。
「せ、先生……! 違うんです、これは……」
輝男は葵と何やら密会していると思われたのか、半ば狼狽しながら弁明を試みようとする。
真白は、輝男と葵を見るとクスッと笑みをこぼす。
「天江君、黒山さん、何も慌てる必要なんか無いわよ」
真白はそう言うと、手中にあったものを輝男に手渡した。
輝男は真白から受け取ったものを見下ろす。
輝男の手のひらには、手書きで“保健室”と記されたキーホルダーをぶら下げた一個の鍵がある。
「私、これから帰るから、用が済んだらその鍵を事務室に返してね」
「用が済んだら……? ……って、先生!?」
輝男は一瞬、首を傾げた後、顔を真っ赤にしながら真白に言葉を返す。
今の真白の言葉が意味するところを、図らずも理解してしまったようだ。
紅潮しながらも戸惑いを隠せない輝男を置いて、真白は一人、その場を去る。
輝男は保健室の鍵を手にしたまま、葵共々、その場に取り残されたかのように立ち尽くす。
(まったく、真白さんったら、何のつもりだよ……!?)
顔を赤くしたまま、心の中で困惑の念をつぶやく。
しかし、すぐにすぐ傍にいる葵の方を振り向く。
振り向いた先には、鋭さを帯びた端整な美貌はそのままに、頬を赤らめながらこちらをまっすぐに見つめる葵の姿がある。
「天江君……」
自分をまっすぐに見つめながらそっと呼びかける葵を、輝男は黙って見つめる……