「瑠奈、ちゃんと、花は用意してあるんだろうな?」
「ちゃんとあるわよ、ほら」
天江家のリビングで、輝男と瑠奈が会話を交わす。
瑠奈は、菊をはじめとする花々がギッシリ詰まった花束を抱えている。
「ろうそくやお線香はどうなの?」
「ちゃんと準備してあるよ」
真純からの問いかけに、輝男はすぐに返答する。
輝男たちは既に外出の支度を整えている。
どうやら、家族三人でどこかに出かけるようだ。
「それじゃあ、行こうか」
と、輝男が言った途端、向こうの方から呼び鈴の音が聞こえて来た。
「あら? 誰かしら?」
真純が言うと、輝男はやや不機嫌そうな顔を見せる。
「…ったく、誰だよ、こんな大事な時に……」
輝男はリビングを出ながら、ブツブツと愚痴をこぼす。
玄関に着いた輝男は、そのままドアを開ける。
「はぁい、どなた…」
と、ドアの向こうにいる来訪者に声をかけようとした刹那、何者かが真正面から輝男に抱き付いて来た。
「だ、誰だ……って、おい!」
突然、抱き付いて来た者に目を向けると、輝男は思わず驚きの声を上げた。
「て――るちゃん! 久しぶり――!」
「こ、小春!!」
抱き付きながら嬉しそうに声を上げる小春に、輝男は驚きをあらわにする。
しかし、すぐに小春を引き離すと、そのまま彼女と向かい合う。
「どうしたんだよ、急に!?」
「どうしたのかって……輝ちゃんと遊びをしに来たに決まってんじゃん」
困惑しきった顔でたずねる輝男に、小春はあっけらかんとした調子で返答する。
嬉しそうな顔を崩さない小春に、輝男は呆れ顔でため息を付く。
「あのなぁ……悪いけど、今日、俺はどうしても外せない大事な用事があるんだ。
だから、君と遊んでるわけにはいかないんだ」
呆れ顔で断りの言葉をかける輝男に、小春はムッと頬を膨らませる。
「いいじゃん。どうせ、大した用事でもない癖に」
小春が一言、そう言うと、突然、輝男は鬼の形相を見せた。
「大した用事でもないだと!?」
鋭いまなざしで小春をにらみながら、怒りに満ちた声を上げる。
輝男のまさかの剣幕に、小春は一転、ビクッと驚きながら萎縮した。
「ど、どうしちゃったの……? 輝ちゃん、何だかメッチャ怖いんだけど……」
輝男の怒りを前に、小春は戸惑いに満ちた表情で言葉を返す。
輝男は厳しい表情で小春をにらみながら、口を動かす。
「今日は……母さんの七回忌なんだ……」
搾るような声で用事を告げる輝男に、小春は愕然としながら言葉を失う。
◇ ◇ ◇
公道を疾走する軽自動車の助手席で、輝男はボンヤリと窓の外を眺めている。
通り過ぎる街並みが車窓越しに見えるが、輝男の目にはまったく入っていない。
何か物思いに耽っているかのように、ボンヤリとしたまま静止している。
その後ろでは、
「どうして、アンタまで付いて来るの? いても邪魔なだけなのに」
「ふざけたこと言うんじゃないよ。
せっかく、久しぶりに輝ちゃんのところへやって来たのに、何しないですぐ帰るわけにはいかないでしょ?
アタシだって、お墓参りに付き合うくらいの心はちゃんとあるわよ」
後部座席で横並びに座る瑠奈と小春が、鋭く言い合っていた。
後ろから聞こえる喧騒にも、輝男はまったく微動だにしない。
憂いにも似た重い表情で静止し続ける輝男に、横でハンドルを握る真純はわずかでも振り向こうとしない。
輝男たちを乗せた車は、そのまま郊外へと走り続ける。
静寂に包まれた郊外の墓地。
その一角で、輝男と真純は、墓前に手を合わせている。
直に墓石と向き合う輝男と真純の横で、瑠奈と小春も手を合わせている。
“天江家 代々之墓”と記された墓標の下に、ろうそく、線香に挟まれながら、花束が添えられている。
まぶたを閉じ、神妙な面持ちで合掌を続ける輝男。
そのままの状態でしばらく静止していると、
(俺、本当に、一年の内でこの日が一番、大嫌いなんだ……
大好きだった母さんが死んだ時の光景……
忘れようにも、死んでも忘れることが絶対にできない……
病魔にむしばまれ、避けようが無かったとはいえ……
俺は今でも、母さんが死んだことを受け入れることができない……
もう、この墓の中で骨と灰だけになっているなんて……考えたくもない……!)
受け入れがたい事実に対する悲痛の念を、胸の内で叫ぶ。
素敵な義母、可愛い義妹に囲まれているとはいえ、実の母を幼くして亡くした空白、心の傷は容易に消えるものでは無い。
もしかしたら、一生、消えることはかなわないのかもしれない。
しかし、数分後、輝男はゆっくりとまぶたを開いた。
輝男が合掌を終えると、
「もう、いいかしら?」
既に合掌を終えている真純が、そっと言葉をかけて来る。
輝男は幾分、落ち着いた表情で真純の方を振り向くと、無言でうなずいた。
そのまま墓前を去ろうとした刹那、
「待って」
傍から、輝男たちを呼び止める声が聞こえて来た。
輝男たちは、声が聞こえてきた方を振り返る。
振り返った先には、小春が柄にもなく重い表情を輝男たちに見せた。
「悪いけど、もうちょっと付き合わせて」
「どうして?」
小春からのまさかの申し出に、輝男は訝しげにたずねる。
「アタシ、どうしても輝ちゃんのお母さんにご挨拶したいの」
小春の今の言葉に、輝男と瑠奈は思わず驚く。
二人の傍に立つ真純は、それが当然であるかのようにすぐにうなずき、応諾の意を示す。
真純からの応諾を得ると、小春はすぐに輝男の生母が眠る墓標の前に立つ。
神妙な面持ちを見せながら手を合わせると、
「輝男さんのお母さん、初めまして。私、大富小春と申します」
チャラチャラした風貌に似つかわしくないかのように、丁寧な口調で挨拶をする。
「私、輝男さんとは、今年の夏休みの頃から、お付き合いをさせていただいております。
本来であれば自分とは相いれない存在であるはずの私を、輝男さんは優しく受け入れ、今に至るまで大いに仲良くさせていただいております。
輝男さんがあのように優しく、包容力のある素敵な人柄でいられるのは、あなたが立派に育てて下さったからこそであると、私は強く確信している次第です」
普段の小春からは想像もつかないような、整然とした言葉、言い回しの羅列、丁寧な言葉遣いに、輝男と瑠奈はその場で思わず驚嘆する。
「願わくば、輝男さんをこの世に産んで下さったあなたと直にお会いしたかったのですが……
既に、この墓の中に眠っているとあっては、一番の望みがかなわず、口惜しいことこの上ないです。
……ですが、どうか、今まで通り、遠く天国から輝男さんを優しく見守って下さることを強く望みます。
あなたの息子さんは、私や他の人たちにとって、これ以上は無い素敵な、かけがえのない人なのですから……」
既にこの世にいない輝男の生母に向かって、小春は墓石を通して沈痛な思いを訴える。
今までに無い真剣な態度を見せる小春に、輝男は知らず知らずの内に感銘を受けてしまう。
感極まったかのような態度を見せる輝男の横で、小春はなおも輝男の生母の墓標と向き続ける。
「私と輝男さんは、それぞれ十五、十七と、まだまだ未熟な身であります。
ですが、いずれ将来において、私たち二人は、笑顔の絶えない温かく、幸せな家庭を築くものと強く確信しております。
そのために、私は日々の努力をたゆまず続けておりますし……
輝男さんも、将来のために、一日一日を一生懸命に頑張って過ごしております……
私たち二人が自分たちの夢と未来を現実のものにできるよう、今後も私たちを見守って下さい。
私も輝男さんも、あなたのことを決して忘れず、こうしてあなたのもとに何度でも参ることを、この場を借りて固くお約束いたします……」
そのまま自らの願望を、流れるような口調で墓前に言う小春。
小春の今の言葉に、輝男と瑠奈は一転して、驚きの顔を見せる。
「コ、コイツ……どさくさに紛れて、何、変なことを言ってんのよ……!」
瑠奈は驚きと怒りの混ざった顔を赤らめながら、小声で抗議めいた声を上げる。
自分と結婚し、家庭を築いてみせるという小春の今の言葉に、輝男はさっきまでの感銘を取り払って、半ば呆れたかのような顔を見せる。
すぐ傍に亡き生母が眠っているのを忘れて、呆れ顔でため息を付く。
◇ ◇ ◇
天江家のリビングで、瑠奈はムッと頬を膨らませる。
テーブルには、二人分のメニューが並んでいるが、瑠奈は、自分の分にはまったく手を付けない。
「もう、お義兄ちゃんもお昼ご飯くらい、付き合ってもいいのに」
本来いるはずの義兄がこの場にいないことに、瑠奈は不機嫌を隠そうとしない。
メニューに手を付けず愚痴をこぼす瑠奈に、義母はクスッと笑みをこぼす。
「いいじゃないの。せっかく、小春さんがわざわざ来て下さったのだから……」
真純がやんわりと言葉を返すと、
「…にしても、何なの、アイツ!
一緒にお墓参りに付き合ったかと思ったら、最後の最後であんなふざけたことを言って……!」
瑠奈はすかさず、憤りに満ちた声をぶつけて来る。
瑠奈の脳裏には、さっきの墓参りの際、小春が輝男の生母の墓前で言葉をかけた時の光景が克明に浮かび上がっている。
「いずれ将来は幸せな家庭を築きます……って、あんなの冗談でも受け入れられないわよ!」
小春が墓前で言った言葉を思い出し、憤りを更に募らせる。
瑠奈にとっては、最愛の義兄に対する小春の結婚願望など、どうあっても許容できないものでしかない。
真純は義娘の怒りを目の当たりにして、柔和な形相を崩そうとしない。
「小春さんのあの時の言葉……決して、冗談では無かったわ……
小春さん、真面目に輝男さんの人柄を褒めて、“あの人”に対する感謝の気持ちもちゃんと言ってくれたのよ。
自分が今、愛している人だけでなく、その人を産み、今はこの世にいない人に対しても、心からの感謝と敬意を言ってくれる……
小春さんは、瑠奈が思っているようなただ単にガラが悪いだけの人じゃないのよ……
見た目はあんな感じだけど、心の奥底には他人(ひと)のことを思う思いやりがちゃんとあるんだから」
まるで小春のことを完全に見抜いたかのように、柔らかな口調で言葉を言い連ねる真純。
小春の真の人柄を認め、そのことをキチンと言い聞かせようとする義母に、瑠奈は何も言い返せずにいる。
未だに不承不承ではあるが、さりとて、義母の今の言葉を対して、反発をあらわにすることができない。
瑠奈が何も言い返さないのを見ると、真純は瑠奈にニコッと笑顔を見せる。
「さぁ、小春さんのことはそれくらいにして……お昼ご飯を食べましょう」
「はぁい……」
瑠奈は渋々ながら同意の返事をすると、真純と一緒に昼食を食べ始める。
◇ ◇ ◇
快晴の昼空が街の裏通りを見下ろす。
その一角にあるホテル・ラブベストの一室に、輝男と小春がいる。
輝男はベッドの淵で腰を下ろすと、手にしているスマートフォンを操作する。
間も無くして、スマートフォンのディスプレイには、一枚の写真が表示された。
桜が舞う中、とある小学校の校門で並んで立つ一組の母子――
幼くも整った容姿をし、キチンとした礼服をまとう六、七歳くらいの男児――
そして、淡いピンクの礼服をまとい、優しい笑みを浮かべるセミロングの女性――
端整な美貌を持つその女性は、歳にして三十前後くらいである。
輝男の横に座る小春は、のぞき込むようにしてスマートフォン内の写真を凝視する。
小春の目は、男児の横に立つ女性を注視している。
「この人が輝ちゃんのお母さんなのね?」
「あぁ……」
小春からの問いかけに、輝男は言葉少なく返答する。
「輝ちゃんのお母さんって、どんな人だったの?」
またも小春が問いかけると、輝男は神妙な面持ちを見せながらうつむいた。
彼の目は、ディスプレイに表示されている写真の中の女性――すなわち、自分の生母をしっかりととらえている。
「時に優しく、時に厳しい人だった……
子供だからと言って決して甘やかしたりはせず、俺がちょっとでもダメなことをやると、すぐに叱り付けて……
仕事でずっと家を空けている親父の分まで、俺のことをしっかりと面倒見てくれて……
事あるごとによく言ってくれたんだ……
他人を決して傷付けてはいけない……
他人の不幸や悲しみを決して笑ってはいけない……
困ってる人や傷付き、苦しんでいる人がいたら、必ず手を差し伸べ、助けること……
人を傷付け、苦しめて笑う者がいたら、ちゃんと怒って正すこと……
そして、決して他人に対して驕らず、壁を築かず、皆と仲良くすること……
俺がこの世の中でちゃんと生きていけるために必要なことを、母さんは亡くなる間際まで何度でも教え、俺に言い聞かせてくれた……
あの時のことは、亡くなって六年も経った今でも、しっかりと俺の記憶の中にあるんだ……」
今は亡き生母の写真――自分の小学校入学式の時のもの――を見つめながら、彼女のことをしみじみと語っていく。
小春は、最愛の亡き生母のことを述懐する輝男に、黙って耳を傾ける。
輝男が語り終えると、わずかの間、重い静寂が室内を覆った。
やがて、固く閉ざされた小春の口がゆっくりと開いた。
「本当に……素敵な人だったのね……」
小春は横にいる輝男の方を振り向かず、正面を見据えたまましみじみと言って来る。
感銘を受けたかのような面持ちを見せる小春を、輝男は横からチラッと見る。
「今の輝ちゃんがいるのも、お母さんあってのことだから……
でなければ、輝ちゃん、今とはまったく違った人になってたかもしれないし……
アタシも、輝ちゃんのこと、好きでも何でもなくなってたかもしれない……
……本当に、マジで会いたかったよ……
輝ちゃんを産んで、死ぬまでちゃんと育ててくれた本当のお母さんに……」
そこまで言うと、小春は重く、沈痛な面持ちを見せてしまう。
愛する男の生母に会えずじまいとなったことに対する悔悟の念――
最愛の生母を亡くした寂しさを未だ引きずる男に対する痛ましいまでの共感――
普段の言動では中々、伺い知れない人並み以上の優しさを、この時ばかりは否応なしに発露する。
輝男は、横から小春の沈痛な顔を黙って見つめていると、
「ありがとう、小春……
君のその優しさ……俺も随分と救われた気がするよ……
それに、母さんも天国から君のことを感謝してくれているよ……」
表情を和らげながら、感謝の言葉を小春にかける。
輝男の今の言葉を聞くと、小春はすぐに顔を上げ、いつも見せるような元気な笑顔を見せる。
「輝ちゃん……やっと、ホントのアタシをわかってくれたのね!」
そう言いながら、勢いよく輝男に抱き付く。
小春に抱き付かれた拍子に、輝男はそのまま、ベッドの上に押し倒される。
抱き付いたまま離れない小春に、輝男は思わず顔を赤らめる。
すると、小春は体を起こし、真上から輝男を見つめる。
「輝ちゃん、せっかくだからエッチしよ!」
「お、おい、いきなりそれか……!」
声を弾ませながら言って来る小春に、輝男は顔を赤くしながら、呆れるように言い返す。
「今日は色々と心がモヤモヤしてるみたいだから……
思いっきりエッチしまくって、嫌なこと、つらいこと、全部、忘れちゃおうよ!」
「し、しかし……今日は……」
淫行をせがむ小春に、輝男は困惑した表情でためらいの念を口走る。
しかし、小春は、輝男のためらいを前にして一歩も引く気配を見せない。
「何よ、もう。ここまで来て、嫌だとは言わせないよ。
そもそも、こんなラブホまで足を運んで、ただお喋りして終わりにするつもり?」
小春の今の言葉に、輝男は思わず表情を苦くさせて、言葉を詰まらせる。
「このところずっと、トイレやらどこか適当な場所で手短に済ませちゃってたから……
だから、ラブホの中で思いっきりエッチしまくるの、すごい楽しみにしてたんだ!」
何も言い返せない輝男に向かって、小春は楽しそうに言葉を続ける。
そして、
「もしかしたら、天国にいるお母さんに可愛い孫を見せられるかもしれないじゃん……」
頬をほんのりと赤らめながら、ただならぬ言葉を冗談半分に言い続ける。
小春の今の言葉に、輝男は顔を赤らめながら驚愕する。
「こ、小春!」
「ヤダ、もう、輝ちゃんったら! そんなの冗談に決まってんじゃん!
アタシだって、まだ輝ちゃんとの赤ちゃんを孕むわけにはいかないから」
小春は、笑いながら言葉を返すと、そのまま体を起こす。
さすがの小春も、まだ高一の身で、最愛の男が相手とはいえ赤子を宿すなどという愚挙は端から受け入れる気は無いみたいだ。
小春に続いて、輝男もまた体を起こす。
小春の今の言葉に、呆れ顔でため息を付く。
そのまま互いにまっすぐ向き合うと、
「……でも、エッチの方はマジだからね……
ちゃんと最後までヤってくれるまで、絶対に離さないから……」
小春は不敵な笑みを浮かべながら、輝男に強く念を押す。
小春の不敵な笑みと今の言葉に、輝男は神妙な面持ちを見せる。
「……あぁ、わかってるさ……」
言葉少なく、応諾の意を小春に告げる。