※この作品はR-18です。

続・続・月下香の檻 楡の木の下で   作:シン之助

2 / 8
秋月唯子の夫・暁年に工事現場への居座りを決意させた老人は物理学者にして宗教家であるプールナーナンダであった。彼はヨーガをもとに波動エネルギーを探る異端の求道者であった。暁年に命を救われたことを知ったプールナーナンダは、暁人に唯子を救う方法を教え始める・・・。だが、三好満司の秋月家への復讐はまだ終わっていなかった・・・。


第29話 波動

---------登場人物---------

秋月 暁人:主人公

秋月 唯子:暁人の母

秋月 暁年:暁人の父(M商事・開発部・課長←オリジナル設定)

三好 満司:主人公の遠縁(暁年の母方の従祖母の孫娘の夫)

三好 聖満:満司の子

三好 良枝:満司の元妻

藤原 綾乃:暁人の片思いの人(実は両想い) (オリジナルキャラ)

パタンジャリ・プールナーナンダ:ヨーガ修行僧 (オリジナルキャラ)

--------------------------

 全てが終わり、私のすべての「気力」が収束するまで一体何分経ったことだろう。気が付くと私はぜーぜーと肩で息をしながら、その場にたたずんでいた。老人の胸に、鳥の巣と卵が暖められている。

 

「こ・・・これは一体?」

 

 先ほどまで身体を痙攣させていた唯子は、今はすやすやと安らかな寝息を立てている。

 

「さっきも言ったように女性の身体は、宇宙に直接つながっておる。特に子宮は生命の誕生をつかさどるために、宇宙のエネルギーの流れをもろに受ける部分じゃ。使い方を誤るとこのようになる。まあ大丈夫じゃろう。逝く直前にわしの方で「喝」を入れて遮断流を作っておいた」

「正直驚きました・・・あんな唯子を見るのは初めてです」

 

「其方は最後のコントロールは奥方に任せておったな?」

「はい。私は感じ取るだけで、あなたの様にエネルギーを自在にコントロールすることが出来ません」

 

「どんなに修行しても、感じ取るだけで10年はかかると言われておる。其方はたった数分でそれをマスターしてしまった。こちらの方が驚いたよ。コントロールすることが出来るのは世界で数人とおらんだろう。其方が奥方に渡してしまうまで、ほとんどわしがコントロールしていたからの」

「じゃあ何でやらせようとしたのです?」

 

 どう考えても筋が通らない。この老人は何を考えているのだ?出会ったばかりの私に一体何をさせようとしているのだろう・・・・。

 

「20年前、わしはそなた達に命を助けてもらった」

「えっ?」

 

「恥ずかしい話だが奥方の魂を見るまで、気が付かなんだ」

「唯子とも会っている?」

 

「あの時・・・奥方は其方に車を下ろされて健気に耐えておった女子(おなご)じゃろ・・・唯子さん・・・そう・・・確かにあの時もそう言っておったの」

 

 私達にとっては忘れもせぬ出来事・・・それではあの時の瀕死の老人がこの老人だったのか?すでに20年も経過しているというのに・・・目の前の人物はあの時よりも若返ってさえ見える・・・。

 

「それではあの時のご老人が、あなただったのですか?」

「左様・・・「断食行」をしておった。中々その境地になれなくてな・・・。108日目の事だった。かといって今のようにエネルギーの流れを宇宙から得ることもままならず、栄養失調で危うく野垂れ死ぬところだった」

 

 108日間だと?・・・普通ならとっくに死んでいる・・・。

 

「だから、其方の事は感謝してもしきれんかった。ずっと、感謝の念をそなたに向けて20年間送り続けておった。どうやらそれが作用しておる様じゃの・・・」

 

 そう言った老人の目は私の内面まで見通すように細められ、私では見えない何かを見ているようだった。

 

「だからお父さんって・・・正義の人になっちゃったのね!」

 

 すやすやと寝息を立てていた唯子が、突然目を覚ましてそう言った。はっきりとした寝言を言ったのかと思う程、唐突な寝起きだった。

 

「あっ・・唯子・・目を覚ましたか?」

「ええっ・・・お恥ずかしいところを・・・」

 

 唯子は恥ずかし気に目を伏せてそう言ったが、満足そうな顔には明らかな安らぎが浮かんでいた。私は改めて女性の身体の神秘に感動せざるを得なかった。唯子は私と手をつなぎ、目を見つめあっただけで絶頂していた。それはこの老人にとっても新鮮な驚きだったのかもしれない。

 

「ここで其方(そなた)と再会したのも、偶然ではないかもしれんの」

 

 そう言ったその老人の目は、険しさから優しい目に変わっていた。ポタポタと雨だれがテントの生地を叩く音がする以外何も聞こえない。都会のど真ん中だというのに、ここには喧噪すら届かない。時々楡の木が雨風にそよぐ音が気持ちよく伝わってくる。

 

「申し遅れた・・・我が名はパタンジャリ・プールナーナンダ、物理学者にして宗教家、現在はヨーガと禅、神道との融合を試みておる修行僧じゃ」

 

 そう言って深々と頭を下げていた。そして、頭を上げると、巣を胸に抱きながら再び座禅を組み始めていた。

 

「先ほど、其方たちが言い澱んだこと・・・そろそろ事情を聞かせてもらおうかな?パートナー間の性交渉がうまくいっていない女子(おなご)に、チャクラを用いるとあのような暴走をさせることがある。女子(おなご)のほうがそちらに力を持って行ってしまう。其方ら・・・セックスの方で上手くいっておらんな」

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

 

 図星だった。それこそがいま私たちに横たわっている最大の問題だったのだ。心と身体と魂の問題。本能と理性、肉欲と純愛の狭間で、私たちは苦悩し、何の問題の解決も得ていない。満司と言う男に付け入られ、いいように弄ばれている。

 

「恥ずかしがることはない。理性と本能の狭間での苦悩こそ人間の本質じゃ。我々は他の生物の命を奪わなければ生きて行けない。セックスをしなければ次世代を生み出せない。ヨーガにおけるセックスは崇高かつ根源的な活動として活発に研究されておる。4500年間に亘って。ヒンドゥーにおけるリンガとヨーニの統一、セックスを通じて宇宙の最高真理を認識しようとする宗派もある。ヨーガを極めればお主らに性の手ほどきをするくらいは朝飯前じゃ」

 

「唯子・・・良いかな?」

「ええっ・・・この人が私たちの、縁結びの神様だったなんて・・・是非聞いてもらいましょう。いえ・・・彼には聞く権利があるわ」

 

 そして私たちは、満司との一連の出来事をこの不思議な老人・プールナーナンダに話していた。

 

-----------------

 1時間以上にわたって、私たちは包み隠さずプールナーナンダに全てを話していた。

 

「まず・・・怒りに任せて奥方のピアスを打ち砕いてしまったが良かったかの?」

「これは、満司が私に理性を取り戻すのを封じるため。屈辱を与えるために無理やりつけたものです。でも恥ずかしい事に私は・・・これを受け入れてしまっていました。ですから自分から外す事が来ませんでした。歓迎こそすれ後悔はありません」

 

 唯子が決然とそう言っていた。

 

「ふむ・・・股間に取り付けられているものも、そうかの?」

「股間?」

 

 私は初めて聞いたことに、驚きと懐疑をもって唯子を見つめていた。きっと不信感を匂わせてしまったかもしれない。

 

「・・・・・」

「プールナーナンダさんにはすべてお見通しなんですね」

 

 唯子があきらめた顔でそう言っていた。

 

「其方は気が付かなんだか?」

 

 私にそう聞くプールナーナンダさんの目は私を試すように眇められていた。私は、先ほどのイメージを反芻していた。

 

「真っ黒なイメージとして見えました。しかし、それが何を意味するかまでは・・・」

「真っ黒か・・・左様・・それは乳首に取り付けられているような生易しい代物ではない」

 

 そう言うプールナーナンダさんの目は再び激しい怒りに燃えている。

 

「満司は「クリキャップ」と言っていました」

「ただのアダルト製品ではないな。呪術がこめられているからの。多分、西洋悪魔じゃな。強力な魔が介入しておる」

(西洋悪魔・・・サタンの事か?)

 

 私たちが何かとんでもない陰謀の一端にかかわっていることは薄々感づいていた。だがそれが何かまでは分からなかった。悪魔っていったい?・・・

 

「陰核を失うことなくそれを外せるのは、それを取り付けた者以外いない。もしくはそれを取り付けた者に打ち勝ったものだけじゃ」

 

 プールナーナンダの目が私に注がれる。私が打ち勝たなければ、唯子への呪い・・・いつでも発情し続ける淫らな肉欲から一生逃れられない、という事なのか。

 

「でも、不思議なんです。暁人に胸を叩かれてから・・あの子に、魂を揺さぶられた時から、これに悩まされることがなくなりました。今では全く意識できないほどになっています」

 

 唯子は自分の中で何とか折り合いをつけようとしているようだった。だが、プールナーナンダはそんな妥協を許さない。

 

「うむ・・・さもありなん。お主の息子の魂の煌めきに怯えていたからじゃよ。今はわしに心底怯えておる。だが、多分、満司がそれに触れた途端、そ奴は息を吹き返してしまう。いや、唯子殿・・・其方が満司の支配下になったと判断した途端、其方にかかった暗示が再起動してしまうじゃろう。多分、その時はあっという間に元に戻ってしまう。多分次は其方の息子でもどうすることもできないじゃろう。耐性を持ち、より狡猾になって復活するからじゃ」

「どうにかならないのですか?個人の意思を捻じ曲げて暗示を作動させるなど・・・プールナーナンダさんの力をもってしてもダメなのですか?」

 

「さよう・・・私が出来ることは波動の力を正しい方向に導くことだけだ。魔に打ち勝つ・・・それが出来るのは最も「強い愛」を持ったもの・・・其方ただ一人。其方が満司に打ち勝たない限り、奥方を本当の幸せに導くことはできんじゃろう」

 

 だがそう言ったプールナーナンダの表情は余裕に満ちていた。

 

「だが出来ることもある。満司に打ち勝つようなセックスを授けよう。一年もすれば円満な性生活に戻れるじゃろう。命の恩人には、そのくらいのことはしなければな・・・」

 

 プールナーナンダがそう言い終わらないうちに、暁人と綾乃の明るい声が遠くから聞こえはじめる。青春真っただ中の何の恐れも知らない屈託のない声が響き始める。

 

「ただいま~」

「今戻りました」

 

 二人の溌溂とした声がテントの外から聞こえてくる。

 

「おかえりなさい」

 

 それを唯子がまるで本当の家にいるように返事をしている。その声は1年前に家にいたときと何も変わっていない。

 

「あれっ・・・このお方は?」

 

 目の前に変わった老人が立っているのを見て、驚きよりも好奇心が隠せない二人は、目を輝かせながら私にそう聞いていた。

 

「この方はパタンジャリ・プールナーナンダさん。インドからいらした物理学者で宗教家の方だ。」

「こちらが私の息子・暁人です。そして彼女は、うちの近所に住んでいる・・・ええと、暁人の・・・こいび・・・友人の藤原綾乃さん」

 

 暁年がしどろもどろにそう言うのを、唯子が苦笑いしながら聞いている。それでもこのテントの中に老人が居る違和感を隠せないのも明らかだった。二人に向かって唯子が言い添える。

 

「私たちの結婚のきっかけになった方なの」

「あっ・・・この前お父さんが言っていた、車に乗せた老人って・・」

「そうそう・・・ここでまた偶然出会ったの・・・」

 

 寝袋や着替えや食料を抱えて佇む暁人たちを見たプールナーナンダも、目も見開いて驚きの声を上げる。

 

「ほぅ・・・これはこれは・・・美しい魂の持ち主だ。唯子殿に勝るとも劣らん!暁年の周りには魂が美しい御仁が多いな。類は友を呼ぶ・・・魂の共振が起こっておるのかもしれんな。いい傾向だ・・・」

 

 プールナーナンダはそう言いながら、暁人と綾乃の前に手を翳しながら、半眼に目を閉じ気の統一を始める。

 

「だが・・・強力な善は同時に魔をも呼び寄せる。可哀そうに・・・つい最近、傷つけられそうになったね。変な癖が残っておる・・・だが安心せい。悪魔の針は埋め込まれておらん。陰核を失うことなくそれを外せるのは、取り付けた者以外いない。もしくはそれを取り付けた者に打ち勝ったものだけじゃ」

 

 そう言いながら、綾乃の前に立ったプールナーナンダは綾乃の喉の前で掲げた手を止め、一心に唱え始める。

 

「チャクラ_ダッシュ5 ヴィシュッダ・チャクラ「清浄なる輪」」

 

 老人に手かざしされた綾乃は、訳も分からず、少しおびえた表情でその様子を見ているほかない。やがて喉にほんわりと暖かな感覚が広がる。そして「すぅっ・・」と言う感覚と共に洗い清められるような清涼感が喉から口の中に広がっていく。

 

「これでよし。さてお前さんじゃが・・・」

 

 暁人の前に立ち、手をかざした老人の表情がふと緩む。

 

「ふっ・・・自分で塞いでしまったの・・・さすが暁年の息子だ。だが念には念を入れておこう」

 

 そして、綾乃と同じように驚いた表情を浮かべる暁人を尻目に、暁人の股間の前に手を掲げ、

 

「チャクラ_ダッシュ2 スワーディシュターナ・チャクラ「自らの住処」」

 

 暁人には何か感じられたような気がしたが、ほとんど何も変化が起きないようだった。ただ、清々しい感覚が、股間からではなく胸の奥から沸き起こる感覚がする。

 

「これで良し・・・・」

 

 そう言って手を下ろすと、再び腰を下ろし、雛を温めながら座禅を組み始める。暁人と綾乃は思わず顔を見合わせていた。父親と母親の顔を交互に見てきょとんとしている。だが、なぜか心地よい暖かさに溢れていることに気が付く。辺りは真っ暗で4月の寒い雨が降り仕切っているというのに、テントが張られているこの楡の木の下のこの空間の何と温かい事だろう。心地が良い感覚に溢れている。

 そして、この厳めしい顔をした老人が鳥の巣を抱えながら、小まめに卵を温めている風景はとてもユーモラスであり、若い二人にとっては新鮮であった。その後、プールナーナンダはゆっくりとした口調で、N国に訪れた後の様々な体験を語り始めた。物理の知識を交えた難しい話は時に難解であったが、その語り口は宗教者らしく軽快で、驚くべき広範囲な知識や造詣の深さは傾注するに十二分な内容であった。そして2人は、 この訳の分からない老人にいつの間にか魅了されていった。

 5人はあっという間に打ち解け、寝袋に潜り込みながらランタンを囲んで車座に座り、夜遅くまで語り明かした。二人の将来の夢・・・暁年の大学受験・・・綾乃のピアノの訓練の事・・・そして何よりこの老人の語る不思議で、超常的な内容に皆興味津々で、引き込まれるように聞き入っていた。気が付くと雨も止み、東の空が白々と明け始めていた。

 

「そろそろ寝ないと・・・」

 

 暁年がそう言った時、唯子が暁年の方にもたれ掛かるように寝息を立て始めていた。暁人も綾乃に肩を預けながら、ともに支えあう様に寝入っている。

 

「いい家族を持ったな。二度と手放すなよ」

 

 寝ることのないプールナーナンダが、暁年にそう声をかける。大きく頷いた暁年も寝に落ちる直前だったようだ。唯子と支えあう様に体を固定すると目を閉じる。

 

「同時に、お前の周りには魔も多い・・・潰されぬようにな」

 

 寝息を立て始めた暁年にその声は届いたのだろうか・・・さすがのプールナーナンダにも分からなかった。

 

----------------

 こうして3日3晩は夢の様に過ぎて行った。大都会に思わず出現した原始のオアシスに、秋月一家は久々の「家族」を満喫していた。暁人と綾乃は、このテントから高校へ通っていった。プールナーナンダは全く睡眠をとらなかったが、4人が熟睡する朝方を除き、4人は代わる代わる雛に餌をやり、卵を温めた。

 暁人のシャワーは護衛を兼ねて綾乃の家を使わせてもらった。満司が合鍵を持っている秋月家はやはり危険だった。綾乃の父親も暁人を気に入っている。暁年の会社での事情を説明すると二つ返事でシャワーの使用を認めてくれていた。暁年と唯子は工事現場近くのスーパー銭湯を使った。二人はプールナーナンダをスーパー銭湯に誘ったが、世俗にまみれることを嫌い、暁年や唯子の誘いを断固として断っていた。

 プールナーナンダは、暁人と綾乃が高校に向かうと、宣言通りに二人に性の具体的な指導を始めていた。そこにはセックス・テクニックの指示は何もなかった。互いの感覚を共有し、共感するだけの訓練が繰り返された。暁年は、唯子に流れ込む波動エネルギーを感じイメージすることは出来ても、プールナーナンダの力を借りずに、その流れをコントロールすることはできなかった。逆に唯子は、暁年がイメージしたことを受け取り、波動を体内に還元していくことは可能なようだったが、コントロールは一切利かなかった。二人の共感は不完全でハーモナイズ(波動調和)させるどころか、シンクロ(同調)させることすらままならなかった。その度に唯子は極度の頭痛や吐き気、腹痛を感じるか、突然のエクスタシーに身をのけぞらせるほかなかった。

 

「原因は明らかだがな・・・満司によって、奥方の身体が捻じ曲げられすぎておるからじゃ・・・そしてその悪魔の針・・・こ奴が曲者じゃて」

「そのときは・・・私・・・この針を取り除くためならクリトリスを失っても構いません。クリトリスが無くても、私は十分感じることがもう出来ます」

 

 プールナーナンダはその言葉を聞いて、深いため息をつく。世界の歴史の中では、女性の陰核を切り落とす習慣があった国、地域、宗派があったことを彼は知っている。とんでもない誤解の歴史・・・そして女性だけが取らされる誤った責任・・・。

 

「なに慌てることはない・・・少しづつ・・・心と身体が癒え・・・満司に対抗するときが来れば、一遍に解決することじゃ。あと1年も見ればいいじゃろう」

「・・・・・・・・」

 

その言葉を聞いて暁年は、唯子を手放し、失った日々を後悔せずにはおれなかった。

 

(そう・・・満司と共に唯子が過ごした時間と同じ・・・。多分偶然ではない。これは因果応報なのかもしれない)

 

 暁年は唯子に刻まれた満司の影を痛感せざるを得なかった。

 

(すまない唯子・・)

 

「さあ、ボケっとするでない暁年!・・・気合を入れろ!」

「喝!」

 

「喝破!邪淫退散!チャクラ_ダッシュ1 根本の座!」

 

 暁人が再び気合を入れ、唯子に向かう。

 

------------------

 楡の木のほとりで、暁年と唯子は夕日が落ちていくのを二人で見つめていた。

 

「綺麗ね・・・」

 

 唯子がぽつりとつぶやいた。5月にしては珍しく、きれいな夕日が都心のビルの谷間に隠れようとしている。唯子の顔には疲労がにじみ出ていたが、充実した時間に満足しているようでもあった。昼の間を使って、暁年と唯子はプールナーナンダの指導を受け続けていたが、2日経っても波動のコントロールは一向に実現できなかった。だが、二人の特訓は夕日が落ちるまで、暁人と綾乃が返ってくるまでと決めていた。

 

「ああっ・・・とても綺麗だね」

 

 暁年の手が唯子の手をとり、強く握りしめていた。

 

(今度は決して離さない)

 

 唯子の手がそれを握り返し、暁年に振り向く。そして何かを逡巡している様子をみせる。

 

「あの・・・・」

 

 そう言いかけて、唯子は言葉を濁してしまう。暁年にその逡巡の理由は分からなかったが、チャクラのイメージに理解できない唯子の「迷い」を感じていた。

 

(コントロールの不調とかかわりがあるのだろうか?)

 

「今度の事で、最大の被害者は暁人だと・・・洋魔子の別人格の洋子さんに指摘された。洋子さんは魔洋子と違い、いや二重人格だからこそ、信頼できる分析をする人だ。君は何度も暁人や綾乃ちゃんに謝っているのに、私が暁人に謝罪したのは洋子さんに指摘されてからだった。意識すらしていなかった。私はそんな自分勝手な男なのだ」

「いえ・・・そんな・・・あなたは立派だわ・・・それで私はいつも甘えてしまうの・・・」

 

「私が気付かない何かを、君は気が付いているのだろ?さっき君の中のイメージで分からないことがあった」

「・・・・・・・・」

 

「もうこの事で隠し事はやめよう。そう暁人に何度も指摘された。あいつも少しづつ大人になって行っている。話してくれないか?」

 

 何度か逡巡したのち、唯子が重い口を開いた。

 

「今度の事の被害者の中に、一人だけ救われていない人がいるの。あなたや私以外で・・・」

 

 そう言って、暁年をじっと見つめる。

 

「君はもしかして・・・聖満の事を言っているのか?」

 

 唯子は一瞬ためらったのち深く頷く。

 

「そう・・・聖満君・・・私は彼の母親であり女になってしまった。彼に爛れたセックスを教えてしまったのは私なの。もちろん満司の指金よ。でも、やったのは私。彼のセックス観を・・・いえ人間観を、おかしくしてしまったのは私なの。エディプスコンプレックスを正しく乗り越えさせなければ・・・」

「しかし、性行為をした時点で彼は大人として扱わなければならない。彼は自分の行為の責任を自分自身で償っていかなければ・・・」

 

「まだ中学1年生なのよ?彼を更正させ、善導していかなければいけない年だわ」

「暁人の前で・・・それを言えるか?」

 

「言える訳がないじゃない!・・・だから・・・だから・・・帰れなかったのよ」

 

 暁年は愕然として唯子を見つめている。

 

(そういう事だったのか・・・!)

 

 暁年は改めて満司と言う男の恐ろしさを思い知る。彼はそこまで計算して、唯子に聖満をあてがい、何重もの檻に入れていたのか・・・。そしてその檻は、今現在も唯子に重くのしかかっているのだ。

 

(なんという事だ・・・)

 

 暁年は愕然として自分の不明を恥じていた。満司と言う男の狡猾さに、そして自分がそんな事すら見抜けず、ただただ唯子を見放してしまっていたことを・・・。能天気に満司さえ打ち負かせば、唯子の愛を取り戻せるなどと本気で考えていた自分があまりにも情けなかった。こんな事すら気づかず、チャクラをコントロールするなど・・・波動エネルギーを制御するなど・・ちゃんちゃらおかしなことだった・・・。

 

「・・・・・・・・」

 

 暁年は返す言葉が見つけられないまま、黙って俯くほかはなかった。

 

-----------------------------

「秋さん応援団はここかい?」

 

 夕日が落ち、最後の晩になると、楡の木の下の秋月家のテントの周りにいくつかのテントが張られ始められていた。張本の執拗な監視にもかかわらず、臨時休業をこれ幸いに、仲の良かった作業員が三々五々と集まり始めていた。「応援団」と称したテントが最後の3日目の晩には楡の木の周りに数十組も張られている始末だった。

 

「テントの中なら、監視カメラも何もないや」

「赤信号、みんなで渡れば・・・ってね」

 

 中のいい作業員連中が、楡の木の後方から現場に入り込み、勝手連を決め込んでテントを張っていく。孫請け曾孫請けの代理店に至っては、堂々と社名入りのテントを張り出す連中まで現れていた。

 

「実はここに在った神社はうちで氏子をやっていたところなんですよ」

「楡の木を残したいですよね」

 

 いつの間にか、楡の木の事まで皆に知れ渡っている。

 

(暁人のやつだな・・・)

 

 暁人がちょくちょくスマホを使ってSNSに写真を上げていることには気が付いていた。どちらにせよ、雛がかえってプールナーナンダさんがこの場から離れた時点で上層部に直訴しなければ間に合わないだろう・・・。

 

---------------

 そして、その日の朝がやってきた。卵は、今や数十人に膨れ上がった「秋さん応援団」全員で代わる代わる温めるようになっていた。老若男女、みなで関わりを求め、その時を迎えていた。その時・・・雛が卵の殻を割り、その嘴をのぞかせた時・・・卵を抱いていたのは偶然にも唯子だった。

 

「可愛い・・・」

 

 その言葉が出てくるまでかなり長い時間を要した。2個の卵はまるで計ったように同時に卵の殻が割れ、力強く殻を割って雛が飛び出てきていた。皆かたずをのんでその瞬間を迎え、一斉に拍手が沸き起こっていた。

 輝く朝日が祝福するように二羽の雛に惜しみのない光を投げかけていた。

 ピヨピヨと早くも泣き始めた雛を見やりながら、唯子は生命の誕生に立ち会った感動をかみしめていた。

だが、雛の巣を抱いていた綾乃が思いがけない事実に気づく。

 

「まあ・・・随分と小さい・・・」

 

 3日の差でこんなに雛の大きさが違ってしまうものだろうか。

 

「それに先に生まれた雛と模様が違うみたい」

 

 周りにいた作業員の妻が訝(いぶか)し気にそう言い始めた。生まれ出た雛の特徴なのだろうか?それとも・・・?意外な雛の特徴に、テントに押し掛けた皆の目が説明を求めてプールナーナンダに向かう。

 

「托卵じゃよ」

「たくらん?・・・」

 

「さよう・・・先に生まれ出たそちらの大きな雛はカッコウの雛じゃ。残留思念となって見守っているホオジロの番(つがい)たちの子は今生まれたその小さな2羽だけじゃ」

 

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

 

「だから・・・死んでも死にきれなかったのね・・・自分たちの子供を・・・見届けたかったのね・・・」

「先に生まれたカッコウの雛は、ホオジロの卵を巣外に落とすという。だから死に切れんじゃったのだろう」

 

「だからあなたが守ってあげていたのですね」

「そうじゃ・・・お前達にも言えることだがの・・・」

 

 そう言ったプールナーナンダは暁年と唯子を交互に見比べていた。唯子の目の前には、まだ薄っすらとホオジロの番(つがい)が目に入っていた。しかし、雛の誕生とともに、その光が次第に薄れ始める。

 

「やっと成仏できる瞬間が来たの・・・」

 

 プールナーナンダが雛の残留思念にそっと手を当てる。その手の先で、パッと喜ぶように光り輝くと、舞い散りながら消えて行った。

 

「ホオジロの番(つがい)は分け隔てなく雛を育ておる・・・種族や、他人の子でも関係がないんじゃ」

 

 その目が、暁年を射抜くように見つめている。

 

「「強い愛」・・・・」

 

 暁年の脳裏に洋子の言葉と共に、再び結婚誓約書の言葉が繰り返される。

 

 全ての人々と手をつなぎ、平和を求め

 全ての生き物と絆を結び、これを慈しみ

 豊かさを求め、豊かさに奢らず

 幸せを求め、幸せに奢らず

 『絶えることのない、人間の命を生み育てることを誓います』

 

「唯子・・・申し訳ない・・・」

 

 暁年が打たれたように、その場にひれ伏し、唯子の前に頭を下げている。唯子は訳も分からず恐縮し、その頭を上げさせようとさらに頭を下げ始める。

 

「私は聖満の事を憎んでいた。彼を助け、育て、人間にすることを拒否してしまっていた。君は少なくとも彼に愛情を注いでいた。それを私はまたしても嫉妬によって勘違いしてしまっていた・・・・彼を救おう」

 

「あなたがそう言ってくれるのを、私ずっと待っていたの・・・。どうすれば良いか分からないけど・・・彼はこのままでは、満司のような人間になってしまうわ」

 

 手を取り合う二人を見て、手を叩いて雛の誕生を祝福していた人々が、不思議そうに見つめ直す。朝日を浴びて輝く二人の周りが、暖かで優し気なオーラで満たされていくのを何となく感じていたからだ。

プールナーナンダの目には、ホオジロの番(つがい)が二人の周りを飛び回り、そのまま二人の中に吸収されていくのがはっきりと見えた。

 

「あやつら、また一つ宇宙との繋がりを深めたの・・・」




本作品はPixiv(会員登録が必要)においても公開しております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=15796686
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。