---------登場人物---------
秋月 暁人:主人公
秋月 唯子:暁人の母
秋月 暁年:暁人の父(M商事・開発部・課長←オリジナル設定)
三好 満司:主人公の遠縁(暁年の母方の従祖母の孫娘の夫)
三好 聖満:満司の子
三好 良枝:満司の元妻
藤原 綾乃:暁人の片思いの人(実は両想い) (オリジナルキャラ)
鈴木一之介:鈴木貫太郎探偵事務所・所長・探偵 (オリジナルキャラ)
及川:鈴木貫太郎探偵事務所・探偵、一之介の部下 (オリジナルキャラ)
パタンジャリ・プールナーナンダ:ヨーガ修行僧 (オリジナルキャラ)
--------------------------
「よし・・・電話するぞ。果し状を送りつけてやる」
満司に指定された電話番号を一之介がダイヤルするのを、プールナーナンダ以外がかたずをのんで見守っている。
「あっ・・・三好さんですか?はい、鈴木貫太郎探偵事務所の鈴木一之介です。それではこの前ご要望のありました件に関しまして、こちら側のクライアントの回答をお伝えします。これから申しますのは私の言葉ではありませんので、一言一句、間違わないようお伝えいたします。耳の穴をかっぽじってよく聞いてくださいませ。
【おい満司!あっー?盗人猛々しいとはおめえの事だよ、このくそ野郎!・・・人の女を寝取っておいて違約金とか下らねえ事ぐずぐずいってんじゃねえ。お前の処のSMショーでの公開セックス勝負で決着をつけようぜ!お前が勝てば唯子はお前のものだ。だがな、俺が勝てば今後一切唯子には近づくな!汚ねえショーとの契約も無料で白紙撤回だ!いいか、徹底的に叩き潰してやるからそう思え!次回のショー・・・5月22日の回だ。郵送で果し状も送り付けた。逃げ隠れするんじゃねえぜ・・・】
以上です。あっ・・・少し「江〇っ子」弁になっているのは私の生まれのせいで・・」
そう言った一之介は思わず受話器から耳を遠ざけている。
「〇×◇><〇!×></◇★〈§!!Θ★!〇×◇★!!!」
満司の怒鳴り声が受話器を通して事務所内に響き渡る。
「ひゃっー怒った怒った!奴さん・・返り打ちだとかなんだとか・・・怒鳴り散らしてるぜ!」
受話器を押さえながら、小気味よさそうに一之介さんが一同を見渡してサムズアップしている。やはり・・・あまりカッコよくない・・・。
「どうやら、一之介所長の推理通りこちらの挑発に乗ってきたようだね」
暁年がこれから始まる一大決戦に、身もすくむ思いでそう感想を述べる。
「浮気調査ばっかりしてきたので、幸せのお手伝いができるなんて何だかとても嬉しいです!」
及川がそう言うと、一同からやっと緊張がほぐれていく。一之介が事務的な内容を満司に説明している間も、満司の怒鳴り声が混じっているのがわかった。やがて最終的な取り決めの相談が始まったようだ、一之介がメモを取りながら、確認作業をして果し合いの電話は終了した。
-------------
「じゃあ早速特訓しましょう!プールナーナンダさん。特訓をお願いします」
暁年と唯子が早速、用意を始めようとすると一之介がそれを制する。
「奴も暁年さんを返り打ちにするために行動を起こすはずだ。こちらも行動は極力迅速に、早いほうが良い。半歩づつ先回りしていく。そのためには皆さんに協力してもらいたいことが山ほどある」
一同が見守っている中、一之介が今回の果し合いまでの準備確認を行う。
「今回の行動はSMショーで満司を打ち負かすだけでは成功にはならない。三好家の更正が主目的だからだ。題して「三好家再生作戦」(Miyoshi family Regeneration Operation)、略してMROだ」
それを聞いて暁人が急に眼を輝きだす。
「MRO・・・なんだかカッコいい。一之介さん・・・なんだかカッコいいですよ!」
一之介が少し照れながら、作戦行動を指示し始める。この際、彼の破天荒な行動力が頼みの綱だった。プールナーナンダ以外、興奮した面持ちで彼の指示を待っている。
「暁年さんと唯子さんは、私と一緒に聖満君の確保だ。彼は中学に登校していない。それどころか彼はほとんど小学校にも行っていない。俺たちが調査したところ小学生の時から満司に連れだされ、まともな義務教育を受けてきていない。おそらく今は満司のマンションかSMショーの準備に駆り出されている。そこから彼の預けられているはずの施設に連れ戻す。だがここもあまり信用できねえ。養育能力がない満司にすぐ預け、責任を回避してしまうからだ。まともな心療内科医のカウンセラーにつけて彼を更正させないと、彼は大変なモンスターになってしまう。出来れば、良枝さんが正気を取り戻し、彼を育てるようになるのが一番いいのだが・・・」
それを聞いていた暁年と唯子が一之介に向き直る。
「もしよろしければ私たち夫婦で彼を引き取ってもいい。許可が下りるまでは時間はかかるかもしれないが里親になってもいい。二人で昨晩そう話していました」
それを聞いて、暁人が複雑な表情を浮かべる。だが、一之介がきっぱりとその可能性を否定する。
「それは難しいでしょうね・・・。実の子供がいる夫婦には里親になることを中々許されません。「はとこ」の子供と言うのでは弱すぎます。せいぜい一時的に預かることぐらいしか・・・・」
あまり関心なさそうに聞いていたプールナーナンダが不思議そうに尋ねる。
「その子の母親・・・良枝殿を正気に戻せばいいのではないか?」
「そんなことが出来れば苦労し・・・!!・・・出来るのですか?」
驚いた一之介は思わずプールナーナンダに詰め寄る。それを正面に見据え、プールナーナンダが大きく頷く。
「暁人からだいたいの話は聞いておる。良枝殿は暁人を追い詰めながらも意識的に逃がしておる。救う事は充分可能じゃ」
一之介の目が大きく見開かれる。
「良枝さんの更正にどれほどかかりますか?」
「良枝殿に施された呪いの大きさによるがの。暁人に聞いた状況から言って、数時間から数日もあればすべて消し去れるじゃろ。その後は当人の問題じゃ」
「そ・・・そんなに早く?」
「ヨーガは4,500年前から・・・」
「それだったらMROも大幅に計画変更だ」
プールナーナンダの説明も聞かず、一之介がすたすたと室内を歩き回り、作戦変更を指示し始める。
「プールナーナンダ博士と暁人君は、三好良枝さんに会って彼女の精神をもとに蘇らせてください。彼女が心を取り戻し、聖満との母子関係を正常に受け入れるようにしてほしい。暁年さんと唯子さんは私と一緒に、当初予定通り、満司から聖満を取り戻しましょう。ただし、お二人には聖満の児童養護施設に寄ってもらって聖満の里親申請を申し出てもらいます。許可はまずおりないと思いますが、時間稼ぎになる。その間、満司に会わせるようなことはさすがの施設もできなくなる。可否がはっきりとする頃には、良枝さんとの間も修復できるまでに戻っているでしょう・・・つまり」
「ミッション・コンプリート」
暁人がホッとしながらそう言い添えた。
「あの・・・私は・・・MROに私も協力したい・・・」
綾乃がそう言いながら一堂を見渡す。
「君は満司の差し金とはいえ聖満にレイプされそうになっている。直接かかわるべきではない。むしろ暁人との恋愛を成就する姿を彼に見せてほしい。本当の愛のすばらしさを彼に見せる事こそ、君の役目なのかもしれない」
暁年が唯子と手を握りながらそう説明する。それを聞いて、綾乃の顔が真っ赤になっていく。
「暁人・・・宝物をしっかりつかんでおけよ」
一之介が冷やかすように言う。
「僕も少しずつプールナーナンダさんにヨーガを習っていこうと思います。色々なことを学んで・・・」
そう言った途端、その真の意味に思い至って暁人も顔を真っ赤にしてしまう。今にも沸騰しそうになっている若いカップルをニヤニヤと一同が見つめる。一人だけプールナーナンダは一同の反応を不思議そうに見ながら、
「また一人、弟子が出来そうじゃの」
そう言うだけだった。
------------------------
「あれが本当に、暁パパの親戚なの?」
結局ついてきてしまった綾乃が、良枝の異常な格好と全身の刺青を見て、驚いたように暁人に尋ねる。
「ねえ・・・土曜日とは言っても君はピアノの特訓があるんじゃないの?」
少しあきれ顔でそう言う暁人を尻目に、綾乃の目は良枝に釘付けになっている。
「ううむ・・・酷い淫紋を施されておるな。じゃが、奇跡的に魂は失っておらん。前の唯子さんよりはいい状態じゃ」
その言葉を聞いて暁人が凍り付く。
(母さん・・・良枝さんよりも酷い状態だったのか・・・・)
何人もの牝奴隷を調教してきた満司はその悪辣の度合いを深め、より狡猾になっている。父さん大丈夫なんだろうか・・・暁人がそう考えている間にも、ベビーカーを引いていた良枝は、みすぼらしいアパートに入っていってしまう。
「では僕が声を掛けます。後は師匠・・・お願いします。僕はひたすらあの人が怖いです」
「うむ」
意を決して暁人がアパートの呼び鈴を押す。
「ピンポン」
25回目のコールで、良枝がドアチェーンをつけたままでドアを半開きにする。
「あああっ・・・煩いわね。今日は出張ホストを頼んでいないわよ・・・聖満が起きちゃうでしょうが・・・・」
そう言いながら、暁人の顔を見た途端にその顔が淫らに輝く。
「まあこの間の・・・さあ入って、入って・・・あなたの精を・・・私に・・・」
ドアチェーンが外され、暁人が中に招き入れられる。
「何よ・・あなた達・・・ねえ、何この女?」
いきなり、何人もの人間に押し込まれ、驚いた好江が怒声を上げる。ショーツも履いていないスリップ一枚の下着姿はこの前と変わらない。
「暁人は私のものなの!」
良枝の露骨な格好に驚きながら、綾乃がはっきりとそう言い切っている。
「何を言っているの・・・この子の精は私が頂くのよ!」
いがみ合う二人の女性を尻目に、プールナーナンダは良枝の部屋の中を見渡す。
「うぅーむ・・・予想以上じゃな」
SM機器が所狭しと並べられ、真っ赤なラシャ布に覆われたその部屋内は、暁人が見た時と全く変りがなかった。良枝の中では、聖満と心中を図った時から、すべての時間は止まったままなのだ。
「良枝殿・・・そろそろ自分を許しても良いのではないかな?」
急に自分の名前を呼ばれた良枝が、驚いてプールナーナンダに振り返る。
「喝!邪淫退散!!」
その良枝に向かってプールナーナンダが一喝を浴びせる。驚いたように怯む良枝に向かって、プールナーナンダは右手をかざしながら、チャクラを唱え始める。
『チャクラ_ダッシュ1 ムーラーダーラ・チャクラ 会陰「根本の座」』
暁人の目にはその手の先から、淡い光が放たれ良枝の胸に吸収されて行っているように見える。良枝はその身を強張らせながら、驚きにその目を見開いて微動だにしない。手をかざしている位置の刺青が、抵抗するように赤黒く輝き始める。だが
「喝!邪淫退散!!」
プールナーナンダが再びそう一喝した途端、赤黒く輝いていた淫紋の暗黒の光が薄れ始める。暁人は驚きのあまり、その光景から目が離せない。驚きと感動に包まれた綾乃の手が暁人の手に添えられ、ぎゅっと握られる。
(良枝さん・・・正気を取り戻して)
綾乃の声が聞こえたような気がした。
(良枝さん、戻って!)
暁人も強く念じていた。その時、
「喝破!」
プールナーナンダがそう一喝していた。良枝の股間にあった淫紋が消し飛ぶように全て消えている。そして少しづつ、翳す手が頭頂に向かって移動し始める。
「喝破!邪淫退散!!」
『チャクラ_ダッシュ2 スワーディシュターナ・チャクラ 丹田「自らの住処」』
『チャクラ_ダッシュ3 マニプーラ・チャクラ 臍「宝珠の都市」』
『チャクラ_ダッシュ4 アナーハタ・チャクラ 胸「神秘の音」』
『チャクラ_ダッシュ5 ヴィシュッダ・チャクラ 喉「清浄なる輪」』
『チャクラ_ダッシュ6 アージュニャー・チャクラ 額「教令、教勅」』
『チャクラ_ダッシュ7 サハスラーラ 頭頂「次元の超越」』
すさまじい気が、良枝の部屋の中を奔流となって渦巻き、邪悪なものを波動エネルギーが押し流していく・・・・。
どのくらいの時間がたったのだろう。暁人と綾乃は気が付くと、固く互いに手をにぎりながら、その場にしゃがみ込んでいた。目の前にはハラハラと涙を流している良枝の姿があった。その身体には、一つの淫紋も残っていなかった。呆然と立ち尽くす良枝の足元に、何個もの乳首ピアスと、満司との結婚指輪が転がっていた。
「わ・・私・・今までいったい・・・」
良枝の目に理性の光が回復し始めていた。
---------------------------
鈴木一之介に案内されながら、暁年と唯子は三好満司の借りているマンションの前に立っていた。満司が借りているマンションは共同エントランスがなく、難なく部屋の前まで行くことが出来た。
「ピンポン」
呼び鈴を押しているのは唯子だ。暁年と一之介はドアフォンやドア・スコープから見えない範囲で隠れている。だが、呼び鈴を何回か押しても何の反応もない。
「聖満君も出かけているのかな?」
暁年がそう言ってドアに向かうのを、一之介が制する。
「監視カメラでこのマンションの出入りを確認しています」
そう言いながら、向かい側のビルの雨どいに仕掛けられた隠しカメラを指で示す。
「満司はあの電話の後どこかに出て行きました。多分、SMクラブで打ち合わせするのでしょう。聖満が出て行った形跡はありません」
1
0回程度、呼び鈴を押したところで中から人の動く気配が感じられる。聖満がドア・スコープを覗いているようだ。
「ガチャリ」
無言でドアが開いた瞬間、一之介が懐から黒い手帳をちらつかせ、強引に中に入り込んでしまう。
「三好聖満君だね?」
この時になって初めて、暁年は一之介が刑事のようなよれよれのトレンチコートを着ている理由に気が付く。警察とは確かに言っていない。だが、聖満のような中学生相手には効果は絶大だった。ダッ・・・とドアから逃げ出そうとするのを一之介は慣れた手つきで押しとどめると、その場に抑え込んでしまう。
「君は、児童養護施設に帰らなければならない。すぐに用意をしたまえ。施設に届けるので一緒に来ていただこう」
聖満は抑え込まれても声も上げずに、恨みがましい目を唯子に向けているだけだった。唯子はその視線に堪えられず、後ろめたさに思わず目を伏せ、視線を荒れ放題の室内に向けてしまう。そして・・・そのあまりの汚さに思わず顔を顰(しか)めてしまう。カップ麺やコンビニ弁当の空き容器が床一面に転がり、足の踏み場もない。窓はすべてカーテンかブラインドが降ろされて、昼間だというのに薄暗い。ゲーム画面を映し出しているテレビモニターの前だけに画面の光が当たり、その周りに食い散らかされたスナック菓子が盛大に転がっている。台所からは生ごみの臭いが立ち込め、洗われていない食器がうずたかくシンクに積まれている。カサコソと言うゴキブリが這う音が今にも聞こえてきそうだった。
「ひでえ、有様だな」
「子供を育てるような環境じゃない」
室内にはSM用品やアダルトグッズ、ポルノ雑誌、DVDが散乱し、鴨居や天井には滑車やロープが勝手に増築されている。
(3か月前に私に使われていた機材がそのまま・・・)
唯子にとってはおなじみの部屋・・・たった数か月前まで暮らしていたその部屋は、すっかり変わってゴミの山となっていたが、転がっている淫具類は唯子も使ったことのあるものばかりだった。数か月前までの癖で、思わず室内を片付けようとした途端、一之介が注意を促す。
「ここに来た形跡を残さないよう・・・何も手をつけないように。このまま、聖満君を児童養護施設に連れて行きます」
引き立てられるように室外に連れ出さされる聖満を唯子は痛ましい思いで見つめていた。そしてこれ以上、悍ましい思い出が残る室内に目を向ける気も起きなかった。だが、ツンというこの親子独特の「オスの匂い」をゴミ臭の中に嗅ぎ分けた途端・・・唯子の肉體に変化が起きていた。
「・・・・・!」
そのフェロモンに気が付いた瞬間から、肉體の内が熱くなり始める。クリキャップが一瞬ピクッン・・と反応し、思わず肉體を震わせてしまっていた。しかしそれは一瞬の事で、幸い暁年にも一之介にも気が付かずつかれずに済んだ。しかし、唯子の身体がびくっと震えたのを聖満は見逃さなかった。ニヤリといやらしい笑いを一瞬浮かべると、能面のような表情に戻っていった。
聖満は、児童養護施設に着くまで、一之介のミニクーパーの中で何一つ話さなかった。つまらなそうに唯一携帯して来たゲーム機を操りながら、時々車窓の景色を眺めるだけだった。児童養護施設に着くと、厄介事が一人分増えただけ・・・と言う顔の職員に迎えられた。かたち上は、見失っていた養護児童を施設に戻してもらった事へのお礼と、陳謝を受けたが実父の下にいることは重々承知していたようだ。
(せっかく実の父親の元に居るのに面倒なことをしやがって・・・)
言下にそう言っていそうな表情が、疲れ果てた顔に浮かんでいた。
----------
児童養護施設での手続きは遅々として進まなかった。疲れ果てた顔の中年男性職員は日々の雑務に追われ、新たに発生した事案を明らかに歓迎していない様子だった。面倒くさげに型通りの説明をマニュアル通りに始める。
(これがこの子がおかれていた今迄の状況・・・)
「相談室」と書かれたガラス張りの小部屋に連れてこられた夫婦と探偵は、聖満が今まで暮らしていた施設が、愛情の欠片も無い場所であることを改めて痛感していた。ガラス窓から見える「遊戯室」と書かれた部屋で、聖満はつまらなそうに携帯ゲームに没頭している。幼児から18歳まで、似たような境遇の児童が集い、プライバシーのない狭い部屋でそれぞれの人生を生きていた。聖満と同じような年恰好の児童は少なく、勉強は「スタディールーム」と書かれたたった3脚ばかり用意された勉強机で共同で行うのだという。現在はそれすら誰も使っていない。満司が強引に聖満を連れ出した、というよりは聖満自身で仕方なく満司の元に逃げ出した、という方が真相に近いのかもしれない。
「プルルルルッ」
その時、一之介の携帯が鳴った。
「脅迫文章が届いた?・・・・例の家族か・・・分かった。AJK団がらみだな・・」
そう言って、申し訳なさそうに暁年と唯子を振り返る。切羽詰まった様子はその顔から十二分に伺える。AJK団と聞いて暁年は、一之介を求めている人々が自分達以外にもまだ沢山いることに思い至った。
「行ってください。私たちは大丈夫です」
「ええ・・・その家族を救ってあげてください」
二人の夫婦は深々とお辞儀をしながら、一之介に心からのお礼を述べる。
「・・・私が行くまで脅迫状を触らせるな。秋月家の鍵は?・・・宜しい」
二人のお礼に恐縮しながら、一之介はテキパキとその他の指示を探偵事務所の職員に出すとスマホを切った。
「いいですか・・・あの満司という男は相当悪辣なサイコパスです。くれぐれも油断をしないでください。お宅の錠の付け替えはすべて完了したそうです。及川がお宅に残って、鍵を直接手渡しします」
そう言い残すと、駆け出す様に施設を後にしていた。
聖満の一時預かりは比較的スムーズに許可が下りそうだった。なにより暁年が遠縁に当たることや、一流商社に勤めている事、父親である満司が犯罪歴のある「要注意人物」であることや、母親の精神疾患など、条件は幾らでも揃っていた。
(手っ取り早く厄介払いができる)
中年の職員がそう考えていることも明白だった。とんとん拍子に話は進むかに見えたが、一之介の言う通り、里親となると話は別であった。山のように積まれた申請書類を見せられ、暁年も、唯子も、うんざりと顔を見合わせていた。
「今日はこの書類の説明だけで終わりそうですな」
すでに17時を回っていた。日勤のその職員は早く帰宅したい素振りを隠そうともしなかった。何度も時計を振り返り、やる気がなさそうに一通りの説明を加えていく。
その時、今度は暁年のスマホが鳴動し始めた。ちょうど里親申請の説明がひと段落したところだった。マナーモードにしていたが、さすがに何度も鳴動するスマホに対応せざるを得なかった。
「今忙しいのだが・・・」
そう言った暁年の表情が曇り始める。相槌を入れながら、その顔は次第に暗くなっていく。
「とりあえず今は動けない。あとで連絡を入れます」
そう言うとむっつりとスマホを切っていた。
「あなた・・・何がおありになったの・・・今の会社からでしょ?」
「ああっ・・・だが、何でもない・・・」
そう言ったものの、その表情は暗いままだ。勘の良い唯子はその表情が何を物語っているのか察しがついてしまう。
「あなた・・・私たちに一番足りなかったもの・・・暁人が言っていた事を思い出して。これからは、隠し事は無しよ。本当のことを言ってちょうだい」
そう言って、帰りたそうな仕草をしている職員を尻目に、暁年を部屋の外に連れ出す。唯子は強く暁年を見つめながら手を取り、ぎゅっと握りしめる。
「レッスン7【次世代を残す事とは、信頼し、共有し、次のステップに進もうとすること】だったわね?・・・暁年さん」
逡巡の表情を浮かべていた暁年は、その言葉を聞いて諦めたように話し始める。
「一連の事に対する、私の査問委員会が開かれる。一課長に対するものとしては異例のことだ。多分、座り込みの事だと思う・・・実質的な懲罰委員会となるだろう」
それを聞いた唯子の目が大きく見開かれる。
「あなたはそんな事にはならないと・・・」
「そう・・・一課長に対するものとしては異例のことだ。現場の事には口を出さないのがうち社風だから・・・。」
じゃあ何で・・・そう聞きたいのを何とかこらえる。
「行かなくていいの?・・・」
「居座りを初めた3日前に1週間の有休を申請している」
そう言ったものの・・・唯子は騙せない。じっと暁年の目を見つめて、手を放そうとはしない。
「今の電話は大河原本部長の秘書からだ。「すぐに出社しろ」との命令だ」
視線に耐えかねて暁年が全てを話し始める。
「多分、ターゲットは私じゃない・・・大河原本部長だ。反・会長派の林専務が金本部長と組んで、会長派の大河原本部長の追い落としを狙っている。大河原本部長の任命責任を追及するために殊更に私の失態を騒いでいるようだ」
暁年は思わぬ事態に、自分の見通しの甘さを痛感していた。自分ひとりなら何とでもなるが、今まで自由にさせてくれていた大河原本部長に迷惑がかかるのは計算外だった。出来れば残った4日間の有休を使って「楡の木を残したショッピングモール」と題した変更計画案を立案し、休み明け早々に大河原本部長に直訴する予定だった。雛を温めながら過ごした3日間で行った試算では、工事の遅れによる損失を入れても1億以上の建設費節約が可能であった。現場所長の木下と現場監督の来栖には変更計画による工事の遅れを詫びたが、節約効果が1億円以上だと知った途端、賛成を表明していた。しつこい環境保護団体の追及に辟易としていた二人は、暁年の変更案を歓迎こそすれ、反対する理由は一つもなかった。
(ここで、私が辞めさせられ、この計画が潰されたら・・・全てはダメになる)
楡の木が伐採され、プールナーナンダの不吉な予言が現実になるかもしれない。
「あなた・・・行って!私は大丈夫だから・・・」
「いや・・・里親の手続きだ。二人そろってやらねば意味がない」
「もう・・・私は子供じゃないわ。このぐらいの事は私一人で出来るわよ」
そう言って明るく微笑む唯子は確かに以前の唯子に戻っていた。しかし、満司と言う男を舐めるのは軽率だ。彼と直接対決をして打ち負かすまで、なるべく一緒に行動していたかった。もしここで会社に行ってしまえば、2~3日は缶詰めになる。下手をすると、満司との勝負までほとんど家に帰れなくなる。
「君との絆が唯一の武器だ・・・今この件にかかわってしまえば何日も帰ってこれなくなる。そんな事では満司に勝てる訳がない・・・」
「大丈夫よ。あなたは絶対に満司に勝てるわ」
そう言って、頼もし気に暁年を見上げる。
「もう君を手放したくないんだ。満司に君を預けてしまった、あの時の記憶がいまでも私を苛むんだ。満司のやつに・・・」
そう言った暁年の唇の前に、唯子は人差し指を立てて塞いでしまう。
「シー」
そして可愛く微笑みながら、その人差し指を戻すと自分の唇にも当てる。
「グチは言わない。決して挫けない。約束だったでしょ!」
20年前、プールナーナンダを病院に送り、置き去りにされずぶ濡れになった唯子にひたすら謝り続けた時、唯子は同じ仕草をしていた。「シー」そう言いながらすべてを水に流し、二人で前に進もうと言ってくれた・・・。それからは、辛い事や、挫けそうなときに、唯子は必ずこの仕草をした。暁年の愚痴を、世迷言を、弱音を、すべて吹き飛ばそうとするように・・・一心に願いながらそうしてくれていた。よく考えると、ここ数年、唯子がこの仕草をすることは無くなっていた。
「あなた・・・暁年さん・・・お願いだから行って。大河原本部長さんを助けてあげて、あの楡の木を守って、そしてこの町を救って!」
決然とそう言う唯子を、暁年はしみじみと見つめていた。
「本当に君と言う奴は・・・」
暁年は思わずぎゅっと唯子を抱きしめていた。そんな二人の様子を、ゲーム機から顔を上げた聖満が、不思議そうに見ている。あきれ顔の職員に向かって暁年が声をかける。
「急用ができました。これからの手続きは家内が行います。私はこれで失礼します」
そう言い残すと、後ろ髪引かれる思いで、暁年は児童養護施設を後にした。
「奥さん・・・旦那さんの急用って何です?」
相談室に戻った唯子に、職員は非難がましくそう聞いてきた。その顔には、色濃い疲れと諦めしか残っていなかった。
「この町を救いに行くところですわ」
「はぁ?」
聖満は、養護施設から出て行く暁年をぼっーと見送っていた。ゲーム機をつまらなそうに脇に置いて・・・。
本作品はPixiv(会員登録が必要)においても掲載しております。
https://www.pixiv.net/novel/series/8506983
(Pixivは予約投稿機能が有料のため不定期で遅れてアップしています)