しかし、AJK団の逆襲は密かに進行していた。暁年や唯子に魔の手がじわじわと迫るなか、暁年の務めるN国有数の総合商社内部にもその悪の根が・・・
---------登場人物---------
秋月 暁人:主人公
秋月 唯子:暁人の母
秋月 暁年:暁人の父(M商事・開発部・課長←オリジナル設定)
三好 満司:主人公の遠縁(暁年の母方の従祖母の孫娘の夫)
三好 聖満:満司の子
三好 良枝:満司の元妻
山本 洋子:謎の娼婦 (「廃神社の巫女https://novel18.syosetu.com/n0812ge/」からのゲストキャラ)
山本 洋魔子:山本洋子の別人格(ダークサイド)(オリジナルキャラ)
藤原 綾乃:暁人の片思いの人(実は両想い) (オリジナルキャラ)
鈴木一之介:鈴木貫太郎探偵事務所・所長・探偵 (オリジナルキャラ)
及川:鈴木貫太郎探偵事務所・探偵、一之介の部下 (オリジナルキャラ)
パタンジャリ・プールナーナンダ:ヨーガ修行僧 (オリジナルキャラ)
ヨハンネス・ルオト・ニルソン:環境保護団体「ブルーアース」N国支部リーダー(オリジナルキャラ)
金井由美:**市児童養護施設・非常勤職員、三好満司のマゾ奴隷11号(オリジナルキャラ)
金井真美:M商事・企画開発本部長付秘書(オリジナルキャラ)
大河原:M商事・企画開発本部長 兼 開発部・部長 (オリジナルキャラ)
金本:M商事・企画部・部長 (オリジナルキャラ)
張本:M商事・企画部・課長補佐 (オリジナルキャラ)
木下:M商事/金田興産JV・**市ショッピングモール建設現場・所長 (オリジナルキャラ)
来栖:M商事/金田興産JV・**市ショッピングモール建設現場・監督 (オリジナルキャラ)
林:M商事・専務(オリジナルキャラ)
川住:M商事・副社長(オリジナルキャラ)
中上:M商事・社長(オリジナルキャラ)
三坂重吾:M商事・会長(オリジナルキャラ)
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完徹(完全徹夜)をしたのは何年ぶりだろうか。暁年は翌日の午前8時43分に「楡の木のあるショッピングモール」構想の企画書を何とか仕上げていた。現在のショッピングモール構想をベースに、今まで秋月が提案してきた自然保護やSDGsを意識した他の企画から多くの文章と資料を拝借して、何とか最低限の企画書を書き上げていた。睡眠不足にぶっ倒れそうになりながら、スマホの画面を再度見る。昨夜は深夜過ぎ位から気になって何度も見返していた。だが、唯子からの返事は何もなかった。
(そう言えば、一之介所長からの連絡もないな・・・?)
嫌な予感がよぎる。それを、頭を振って振り払う。
(彼に任せていれば大丈夫だろう)
とりあえず大河原本部長の秘書に、取次の電話を入れる。
「2時間後に会うそうです。その前に企画書のコピーを至急私に送っていただけますか?事前に目を通されたいそうです。ええ、私は秘書の金井真美と言います。メールアドレスは・・・・」
暁年はきっちり2時間後に大河原本部長の部屋に姿を現し、秘書の金井真美に取次ぎをお願いする。
「随分遅いじゃないか?朝一番との約束だったぞ」
「えっ?」
若干の違和感を感じながらも、急いで目を通す大河原本部長の理解を助けるため、ページ進行に合わせて補足説明を加えていく。
「昨日洩らしていたのはこれの事だね?」
「そうです。この楡の木は地元住民にずいぶん愛されていたようです。環境保護団体の追及をかわす目的もありますが、幸い残ったこの一角を残すことによって、自然を残したままのショッピングモール構想が十分に提案できます」
「君の試算ではどれくらいの増額になる?」
「逆です・・・多分1億円近くの減額になります。デザイナーおよび建築会社との協議になりますので、多少増減する見込みはありますが、クライアントを納得させるための十分なメリットも示せます」
そう言って顔を上げた大河原の顔には、畏敬すら感じられる表情が浮かんでいる。到底一人の人間が一晩で仕上げられるような内容ではなかった。
「何で君はこの楡の木にそこまでこだわるんだね?」
「それが分からんのですよ・・・あえて言うとこの町を守るためです」
「はぁ?」
「ある学者から言われました。あの楡の木がこの町を守っていると。具体的にどんな意味だか分かりません。ただ、それが正しいと直感しています。あの木が放つオーラのようなものを・・・確かに感じるんです。あの木はこの町に必要です。環境保護団体のブルーアースもそれに気が付いています。だから、あれを残すと社を代表して発表した時点で、彼らも抗議行動をやめるはずです」
「フム・・・」
大河原が熟考するように顎に手を当てはじめる。
「宜しい・・・この企画書を今日の夕方に開催される予定の重役会議に緊急動議としてかけよう。この企画が通れば、君の査問委員会は間違いなく無くなるだろう」
そう言って秘書を呼ぼうとした大河原の手が止まる。暁年がその場で崩れ落ちるように気を失ったからだ。急いで駆け寄ると、グーグーと言った低い鼾(いびき)が聞こえ始める。
「何だ・・・寝落ちか」
本当に困った奴だ・・・。理由を「直感」で済ませやがった。だが・・・こんな奴がやはり面白い。昔はこんな奴が多かった。商社マンとは、元々こんな奴がやる仕事じゃなかったのか?俺たちはガチガチの銀行マンじゃないんだ。夢や直感を失った商社マンは、ただの政府の犬だ。国家権力に阿(おもね)る政商に成り下がり、死の商人の片棒を担ぐだけになってしまう。
「金井君・・・秋月君をそのソファーにでも寝せておいてくれ。大丈夫、彼は有休をとっている身だ。夕方、重役会議が始まる前までには起こしてやれ。彼の説明が必要になるかもしれない。そうだな・・・毛布でも掛けておいてくれ。商社マンにはそれで十分だ」
大河原は秘書にそう告げると、企画書を手に会長の三坂重吾の部屋に向かっていた。
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「これがたった一晩で書かれた企画書だと?」
あきれ果てた顔で専務の林が、企画部長の金本を非難の目で睨みつける。
「これでは大河原の任命責任どころか、秋月の査問委員会すら開けんぞ!」
そう言って極秘裏に入手した暁年が書いた企画書を床にたたきつける。
「賢姫様にはもう報告してしまったのだぞ・・・あの楡の木を切り倒すと・・・」
恐怖の表情がじわじわと林の顔に現れ始める。狼狽える林に向かって、金本が窘(たしな)めるように言い添える。
「気を付けてください・・・あのお方のお名前を会社の中で軽々しく言うものではありません」
その穏やかか物言いとは裏腹に、金本の目は恐ろしいほど座っている。林はその底知れぬ闇の表情に思わず怖気を震ってしまう。
「ご安心ください。No.12の策略で2時間ほど時間を稼がせてもらいました。会議まであと4時間弱、その間に何とかします」
その金本の表情が一瞬でもとのにこやかな表情に戻っている。だが林は、その目が一つも笑っていないことに気が付く。
「何とかしますだと?重役会議まであと4時間もないのだぞ・・・どうするするつもりだ?」
「簡単な事ですよ。この企画書を少しばかり書き換えれば良いのですよ。楡の木ではなくて、あれを設置すると書き直せばいい・・・この楡の木のスペース・・・例の装置を設置するのとちょうど同じくらいのスペースに収まりますよ」
「何だと?」
「秋月がどれほど優秀か知らないですけどね、うちには30人もの直属の部下がいるんですよ。そいつらの仕事を半日止めて、ここだけ書き直させています。例の装置の資料はもう揃っていますから・・・あの装置が入れば経済効果は1億なんてもんじゃない。桁が違いますよ。あの装置の宣伝にも丁度いいんじゃないですか?それをあと20名増員すれば、これから3時間もあれば完成できますよ」
ニヤリと口の端が醜くまくれ上がり、卑劣な表情が金本の顔に浮かび上がっている。
「企画部50名の作業をもう半日も止めるつもりか・・・丸々1日分の企画部の仕事がストップするのだぞ。どれだけ通常業務に支障が出るか・・・取引先を失う事になりかねないぞ」
怯え切った林が煮え切らない態度でそう答える。その言葉を聞いた途端、金本の表情が一変し、能面のような無表情に変わり始める。
「おい・・・勘違いするなよ・・・お互い殺されたくないよな」
まるでやくざのようなドスの利いた声で恫喝され、林は声すら上げられない。
「AJK団の階級では俺の方が上だ。分かっているよな?良いか・・・この作業変更を専務権限で認めるんだよ。死にたくなかったらな!」
能面の様に無表情なその顔からは何の感情も感じ取ることが出来ない。金本はまるで悪魔のように凄味がまし、林は思わず竦み上がっている自分に気が付く。
「分かった・・・認めよう・・・だが・・・必ず間に合わせろ・・・」
専務の威厳をかろうじて保った林は、そう言い返すのがやっとだった。その答えを満足そうに聞きながら、金本はもとのニヤニヤとした気持ちの悪い笑顔を浮かび上がらせている。
「ああっ・・・これであの目の上のたん瘤を2個取り除けるぜ。そうしたら、社長の中上にカン・ヨンウ心療内科を紹介しろ。この会社を一気にAJK団の配下にするんだよ。その時はお前が社長だ・・・ケヘへッ・・・ハイル!サタン」
「ハイル サタン!」
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こうして重役会議が開始された。
「それでは第89期15回重役会議を開始します」
議長役の川住副社長がそう宣言する。本館中央大会議室は、N国経済を常にリードしてきたM商事らしい重厚なつくりで、この商社の会議室の中では最も権威のある重役専用の会議室であった。
「通常議題に入る前に「**市ショッピングモール」の計画変更に関する緊急動議が上がっています。本会議ではまずそちらを優先議題にいたします」
そう言われて立ち上がろうとした大河原は、意外な一言を議長から受ける。
「それでは1件目・・林専務お願いいたします」
「な・・・何だと?1件目??」
驚いて会長の三坂重吾を振り返る。どうやら三坂も聞かされていなかったようだ。その表情には驚明らかな戸惑いが浮かんでいる。ざわつく会議場にシレっとした顔を浮かべた林が、プロジェクターに投影された色鮮やかなプレゼン資料を使って、淡々と説明を始める。
「それではこれから資料の方もお配りします」
そう言うが早いか、社長直属秘書が追加資料を各重役に配り始める。その資料にざっと目を通した大河原の顔が凍り付く。
(秋月の資料の丸写しだ・・・)
だが、その資料の出来は、急場に作成した暁年の資料よりもはるかに見栄えが良く、図や写真が随所にちりばめられ、見やすく、分かりやすい資料になっていた。人海戦術を用いた金本の資料が、形の上で秋月の資料を圧倒している。
「更地化を進めている都市部郊外の「**市ショッピングモール」でございますが、提案資料のように、現在、心無い我社社員によって引き起こされた環境保護団体による座り込みによって工事が中断に追い込まれています。わずかに残った楡の木周辺の植物を「自然」と称して、反対運動を続けているのです」
目線が入っているもののプロジェクターに映し出された「心無い我社社員」は秋月その人だと誰の目にも明らかだった。
「そこで、本提案ではこの楡の木周辺の「自然」から環境保護団体の注意を引き離し、さらに我が社の環境対策を十分にアピールできる「超高効率ソーラーシステム」の設置を中心に据えた新たな「**市ショッピングモール」の計画変更案を提案します」
秋月の資料と異なっている点・・・それは「楡の木」の部分がそのまま「高効率ソーラーシステム」に置き換わっていることだけだった。
「この「超高効率ソーラーシステム」は従来の「ソーラーシステム」の発電効率が20%前後であったところを、理論上はほぼ100%に高めた画期的な発明です。I国のベンチャー企業「リリス・ジェネシス・カンパニー」が発明し、それを商業化したアメリカ合衆国の大手電機メーカー「トーマス・エレクトロニック社」が独占販売するものです。それを企画部の金本部長の活躍によって、我が国における独占販売契約を今朝ほど締結しました。本提案はそのお披露目・宣伝を兼ねてこの場所に設置することを提案するものです」
一同からざわめきが起こった。「超高効率ソーラーシステム」の理論上の発明は20年近く前にされているものの、その実用化が難航し、多くの企業で実用化に向けた開発競争が行われていたのだ。もちろん、どの商社もその独占販売権を喉から手が出るほど欲している。
「凄いじゃないか林君。環境負荷を全く与えないソーラー発電であれば、環境保護団体も何の文句も言えまい。まさに一石二鳥の名案だ。その変更による損失はどの程度かね?」
中上社長が目を輝かせながら、林に具体的な数字を問い始める。
「いえ、我々スタッフによる試算ですと損失は出ません。むしろ約1億円の経費節減になります。その上、この超高効率ソーラーシステムをショッピングモールの屋根に全て設置すると、数十億円の増益が見込めます。宣伝効果などを踏まえるとその効果は計り知れません」
おおっ・・というどよめきが再び会議室全体に広がっていく。会議場が静かになるまで数分を要するほどだった。川住副社長は、会場が再び静かになるのを待って、第2案である開発部からの提案を取り上げる。
「それでは2件目・・大河原本部長お願いいたします」
各重役に秋月の署名入りの資料が配布される。
「何だこりゃ?」
「丸パクリじゃねえか」
反・三坂派と見られる重役たちが失笑を浴びせる。先ほどの林が配った資料に比べ、見栄えが悪く、計算も大雑把なものが多かった。いや・・・そう見えてしまっていた。林が配った資料に比べてみると各数字の根拠が乏しく、予想精度は一桁以上悪い・・・と思えてしまう。単独でこの資料を見れば、だれも問題など考えつかなかったはずだ。やたら甘い安物の菓子を食べた後、あまさ控えめの本物を味わった時と同じ・・・全く甘さを感じない・・・そんな資料に見えてしまっていた。
「酷え内容だな・・・」
これ見よがしに林専務が独り言ちる。印象操作が目に見えている。だが効果的だった。大河原の必死の説明は空回りを続け、惨憺たる結果になっていった。
「この二つの内容は、ソーラーと楡の木の部分を除いて酷似しているようだが・・・・」
中立派の川住副社長が、林と大河原を見比べながらそう尋ねる。
「資料の出来を見れば、オリジナルがどちらかは明白ですよ」
「それに作成者が・・・秋月君でしょ?・・・目的は環境保護の方じゃないですか?」
無責任な意見が飛び交いはじめる。どう考えても状況的に暁年が徹底的に不利であった。会議自体は三坂派と反三坂派に分かれ膠着状態に陥っていた。
「それでは両作成者を参考人として呼ぼう。金本部長と秋月課長を呼びたまえ」
会長の三坂が、大河原に心配げな視線を向けながらそう言っていた。
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秋月暁年がふと目を覚ますと、すでに15時を回っていた。あたりを見渡すと、大河原本部長の部屋の中にまだ居ることに気が付く。ソファーで死んだように寝ていたようだ。
(すると・・・あの時寝落ちしてしまったんだ・・・)
急いで室内を見渡し、15時23分であることを確認する。
(良かった・・・まだ重役会議は始まっていない。何か質問があれば呼び出されるはずだ。スーツを持ってくればよかったかな・・・)
そう思いつつも、部長の計らいで重要な会議前にぐっすりと眠ることが出来、徹夜明けの疲労は感じられない。
「あら・・・お目覚めですね」
そう言って、大河原本部長の秘書がコーヒーを出してくれた。整いすぎた冷たい顔立ちの秘書だった。だがよく気が付くようだ。
「有難う・・・ええと金井真美さん・・・」
つい最近、大河原部長付の秘書が変わり、名前をよく覚えていなかった。秘書のネームプレートを確認しながら、秋月はお礼を言いながら一口すする。
「あれ・・大河原部長はキリマンジェロが好きじゃなかったかな?なんだか酸味も苦みも足りないね・・・でもいい香りだ」
頭をよりハッキリしておきたい。専務の林はともかく、金本は相当の切れ者だ。何かの際にはきっと呼び出されるだろう。一気にコーヒーを飲み干しシャキッとしようとした。だが、その途端、再び眠気に襲われ始める。
「おや?」
徹夜が相当応えているようだ。
(もう若くないな~)
そう思いながら、とりあえずこの部屋を辞去しようと立ち上がりかける。だが、腰が抜けたように立ち上がれない。
「あれ?れ?・・・」
そう感じた途端、床が暁年の目の前に迫ってきていた。目が重くなり開けていられなくなる。そして意識を失うように眠り始める。
重役室の深い毛並みの絨毯の上に倒れた暁年を見下ろしながら、金井真美は冷ややかな冷笑を浮かべている。スマホを取り出し電話を始める。
「金本部長ですか?ええ・・・何の疑いもなく例のコーヒーを飲み干しました。ええ・・・頂いた薬をたっぷりと入れておきました。あと6時間は目を覚ましません。ええっ・・・私は会議終了まで退社しないように大河原に指示されていますが・・・はい、今すぐ退社するのですね。査定は響きませんよね?まあ、大河原が辞める間の有給と特別ボーナス・・・素敵ですわ・・・」
真美はそう言いながらロッカーから少し派手目の私服を取り出すと、窮屈なスーツを脱ぎ捨てていく。露出が高めのその私服は胸元が大きく開き、肉體に張り付いたようなタイトミニのスカートは極端に短かった。透き通るように真っ白なその胸元には大企業の秘書には似つかない卑猥な刺青が、姉と同様な位置にくっきりと彫りこまれていた。
「Manji’s Slave No.12」
真美は自分の足元に転がった秋月を嘲りながら、今晩繰り広げられるだろう満司の調教に思いを馳せ、股間をきつく閉じ合わせていた。
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会社内の内線電話も、秋月個人のスマホにも秋月は出ようとしなかった。秘書の金井真美とも連絡が取れず、結局、重役会議での参考人質問は金本部長の独演会となっていた。
「秋月君はどこにも居ないようだね」
「パクリが露見するのを恐れて出て来られないのだろう」
こうして緊急動議の「**市ショッピングモール」の計画変更案は、企画部が挙げていた「超高効率ソーラーシステム」の設置を中心に据えた新たな「**市ショッピングモール」の計画変更案が採用されてしまっていた。
大河原が自室に戻ると、すでに秘書の姿はなく、真っ暗な部屋に秋月の寝息が聞こえていた。
「やれやれ・・・」
起こそうかどうか迷ったが、昏々と眠る暁年は声をかけても全く起きる気配がなかった。
「悔しいが君はまず間違いなく左遷かクビだ。査問委員会も予定通り行われる。私もこれで出世街道から外れることになるな・・・」
寂し気に大河原がそう言いながら、床に転がっている暁年の背中に毛布を掛けてあげていた。家族のメールアドレスが分からなかったため、電話を一本入れることにした。誰もいないのか、留守番電話に切り替わった。
「秋月さんのお宅ですか?私は企画開発部の大河原と申します。暁年さんは今夜も会社に泊ることになります。よく寝ていらっしゃいますので、私からお知らせいたしました。それでは」
よくできた奥さんだと聞いている。きっとうまく対処することだろう。そう願いつつ、間もなく追い出される本部長室を懐かしそうに振り返りながら、そっと後にしていた。
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翌朝、本部長室で目覚めた暁年は自分がとんでもない失態を演じたことに思い至った。急いで自分のスマホを見てみると、何十件もの着信遍歴が並び、一晩の失踪にかなり多くの人々に迷惑をかけていたようだ。とりあえず自宅に電話を入れてみる。
「あっ・・・父さん・・・どうしたの昨夜は?えっ?徹夜して寝過ごした?・・・大河原さんって人が伝言に入れていた通りだ・・・えっ・・偉い人なの?上司の人だって・・・とりあえずお父さんが無事で良かった・・・」
暁人はそう言いながら大河原本部長のメッセージを再生して聞かせてくれる。私が犯した失態を責めもせず、よく気の付く人だ。だが、周囲のざわめきは消えない。
「それより大変なんだ・・・お母さんが帰ってこないんだよ!一昨日から・・・」
「一昨日だって・・・それじゃあ父さんがあの養護施設でお母さんと別れてからか?」
「そう・・・その後、一之介さんが迎えに行ったんだけど・・・メモ書きを残してどこかに行った後だったんだ・・・でもこのメモ書き・・・母さんの字じゃない」
「何だって?」
「いま、こっちで一之介さんと共に対策会議をしている。父さんはどうなの?」
「そうだな・・・」
そう言いかけた時、大河原本部長が出社して来たようだ。本部長室の鍵が作動し、中に入ってくる音がする。
「後でかけ直す・・・とりあえず一之介所長の指示に従え、心配するな・・・きっと何か考えがあっての事だろう」
そう言ったものの、嫌な予感は増すばかりだった。満司の影を強く感じていた。
(唯子・・・大丈夫か?)
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「おう!やっと目覚めたか?どうだ、大事な会議すっぽかして寝込んだ感想は?」
そう大河原に声をかけられて、暁年は改めて本部長室にある高級そうな掛け時計を見やる。すでに朝の9時を回っていた。会社のしかも本部長室で一晩中寝ていたなどと・・・・暁年は大河原に詫びを入れながら、気まずそうに朝の挨拶を返す。鋭い叱責が飛ぶかと思っていたが、大河原の目は穏やかで、表情は柔和なままだった。
(企画・・・通ったのか?)
そう思い始めた途端、大河原が深々と頭を下げた。
「すまん・・・例の企画・・・まるまる金本のやつらに盗まれた」
そう言って林専務が配布していた資料を渡された。形式や表面上の作り込みは全く違うが、内容はほぼ暁年の企画書の丸パクリだった。
「我が社の重役はこの企画のオリジナルがどちらか見抜けないほど衰えているのですか?」
「残念ながら皆がみんな君のように優秀じゃないんだ・・・」
その言葉には、単に反・三坂派に対する批判だけでなく、このM商事の最近の凋落ぶりに対する失望が混じっていた。業界トップを誇っていたM商事は今や第3位に甘んじようとしていた。学歴ばかりで何もできないイエスマンがそろい、暁年のような跳ねっ返りの商社マンは今や絶滅危惧種と化していた。
「そう言えば気になっていたことがあるんです。あの企画書は朝一・・・9時前には出していたのに、金井さんが2時間ほど経ってから部屋に来るようにと・・・そんな指示を出しました?」
「いや・・・知らん。そうか・・・林専務や金本君が持っていた資料は我が秘書が出所か・・・それですべて説明が付く。企画部の連中の話では、君の一晩分の仕事を50名で丸1日かけてやらなければならなかったそうだ。それにしても君はあの資料を本当に朝一で仕上げていたのか・・・やっぱり凄いな」
「それでは昨日、本部長の秘書・金井真美が出したコーヒーに中にも・・・」
「何の話だね?」
「いえ・・・私の不注意でした。彼女はまだ新人で、気心が知れている訳ではなかった。彼女に対しては今後・・・・」
「昨夜から連絡が全く取れない。昨日は早退し、今朝も出社していない。今までは無断欠席はおろか、遅刻や早退は一回もなかった。多分、法外な謝礼を手にして、私たちが失脚するまでは会社にも来ないだろう。もちろん民事的にも刑事的にも告発は可能だ。守秘義務違反や不正競争防止法(企業スパイ行為)、それにどうやら君に対する薬物の濫用もあったようだな。証拠は幾らでも出てくるだろう。だが、どちらも間に合わん。我々は良くて左遷か、最悪の場合、刑事告発されてクビだ。君が守ろうとしていた楡の木も・・・」
そう言った大河原の表情は無念に溢れていた。
「それに、彼らの卑怯なやり方やイメージ操作が巧みだっただけじゃない。君の普段の突拍子もない行動を、この会社自体が受け入れられない程、この会社は凋落してしまっているという事だ」
「いやな状況になりましたね」
「老兵はただ去るのみなのかもしれない」
絶対的な絶望・・・暗い闇が、悪魔の策略が・・・二人の有能な商社マンを苛み、打ち負かそうとしていた。
【大人のためにその7:次世代を残す事とは、互いに信頼し、共有し、次のステップに進もうとすること】
【大人のためにその8:愛は戦いである】
その時、暁年の脳裏に暁人の言っていた言葉が浮き上がる。「愛」とはなんだ?
自分への愛?恋人への愛?妻への愛?会社への愛?国家への愛?社会への愛、人類への愛、生物への愛?地球への愛?宇宙への愛?・・・「強い愛」・・・
(そうだよな・・・暁人・・・ここで挫けたら・・・強くないよな)
思わず口元が引き締まっていく。
「秋月君・・・何をぶつぶつと言っているんだね?」
「いえ・・・実は妻とそっくりの女性に会いましてね・・・竹箆で・・随分と喝を入れてもらったんですよ?」
「しっぺい?・・・あの「竹箆返し」の竹箆かね?」
「そうです。SMの女王様をしているらしいです・・・それに今は、謎のインド人の弟子として、喝を入れてもらっています」
「あははっ・・例の波動エネルギーの老人か・・・」
落ち込んでいた大河原は、暁年の思わぬ話に釣り込まれていく。SMの女王様?謎のインド人?暁年はここ数週間の異常な体験を、他人に話しながら反芻していった。
「ええ・・・でも実はですね・・・最初は息子から喝を入れてもらったんです。それが始まりだったんですよ」
「へぇ?・・・暁人君だっけ?良い子になったかい?」
「お陰様で・・・すくすくと育っていますよ。」
「・・・・・」
そして一つの事に思い当たる。
「そうですね・・・一連の事がなかったら・・・暁人に喝を入れてもらっていなかったら、僕はここで会社を辞めたと思うんです」
「今は違うとでも?」
「・・・・・」
そう。今は全く違う・・・唯子・・・良いよな?このまま突き進んで・・・君をずぶ濡れにして・・・突き進んで・・・また・・・待っててくれるよな・・・
暁年の目の前に人差し指を口の前で立てた唯子がほほ笑んでいる。
【グチは言わない。決して挫けない。約束だったでしょ!】
「シー」そう言いながら辛い事や、挫けそうなときにする唯子の仕草が・・・そう、いつもの仕草が・・・目の前に浮かぶ。
【あなた・・・暁年さん・・・お願いだから行って。大河原本部長さんを助けてあげて、あの楡の木を守って、そしてこの町を救って!】
決然とそう言う唯子に見送られて俺はここに居る。そうだ・・・・。まだやれる。楡の木はまだ残っている。まだできると・・・魂が叫んでいる。何よりも俺には唯子がついている!
「もう少し・・・悪あがきをさせてください。楡の木が残っているのであればまだ打つ手はあります。いえ・・あるような気がします」
「状況は最悪だぞ。君は何の権限もないクビ間近の人間だ。私も失脚寸前。その上、居座っている連中は金本がさし向けた違法代行屋の連中だ。孤立無援だぞ」
「いえ・・・私には素晴らしい人々がいます。息子が、家内が、謎のインド人が、捜査権のない私立探偵が、現場であの工事を支えてくれている人々が、それだけで十分です」
「家に帰らなくていいのか?まるまる2日間帰っていないだろう」
「家内には言ってあります。私は早速、楡の木のところに行ってきます」
「分かった。心置きなく戦ってこい。こっちは君が査問委員会に出るまで、君の身分と課長としての行動の自由を保証しておく。頑張れ!」
大河原の頼もし気な激励を受け、暁年はもう一人協力者がいたことに思い至る。
「よし!町を救うぞ!」
そう口に出して言ってしまっていた。それを聞いて大河原が真面目に頷いている。
「よし!救え!商社マンは「経世済民」・・・「世の中を治め、人民を救う」これが本命だ」
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