ホロにがあまあまチョコレート 作:ナルキケーネ(ハーメルン支店)
今日は二月一四日。バレンタインデーということで、学校全体が浮足立っているような……嗅ぎ慣れた空気に、若干のふわふわ感とピリピリ感が入り混じっている気がした。
女の子たちは姦しくお話をしながら、先生に見つからないように、スポーツバッグを大事そうに抱えてどこかへ向かう。バレンタインデーは好きな相手にチョコレートを渡す日だ……相手は既に決めているのだろう。
その一方で……男たちはウキウキ、ソワソワとしながら教室や昇降口で未練がましく待機している。「あ~、そろそろ帰らないとな~!」とわざとらしく声を張りながら、チョコを貰うことを完全下校時間まで諦めなさそうなヤツもいた。
ただ、自分にとってバレンタインデーというものは……そういう周囲の浮ついた空気を傍観する――〝それだけ〟だった。普通の平日となんら変わりはないのだ。
家族以外に、異性からチョコレートなんて貰ったことがない。去年も〝慈悲〟ぐらいしか貰ってなかったし、朝、ちょっと期待しながら下駄箱や引き出しの中を調べても何も無かった……今日も普通に平日として終わることだろう。
……そうだ。雰囲気だけでも味わうために、帰りに駄菓子の四角いチョコレートでも買って帰ろうか。
去年に初めて食べた、あの牛柄模様のチョコレート……値段は安いらしいのだが、自分にとっては、心に刻まれるぐらいに美味しかったのだ。
思い出に残る印象深い甘さを辿ろうとして、バッグを肩に提げた時だった。
「あ――よかった、まだ居た。お~い、ちょっと!」
クラスの中に残っていた男たちがピクっと肩を跳ねさせた。わざとらしい咳払いがあちこちから聞こえてくる……が、その熱い視線を集める美少女は、脇目もふらず、こちらに向かってズカズカと歩いてきた。
「よっ。朝ぶりだけど、元気かにゃ~?」
声を掛けてきたのは、自分の幼馴染である女の子――夏色まつりだった。
アイドル事務所に所属していそうなもっちりほっぺの顔立ちに、少しだけ幼さが残る身体つき。元気に揺れるサイドポニーが特徴的な……ひかえめに言っても美少女だ。
ブレザータイプの制服がよく似合うし……折ってお尻スレスレまで短くしたスカートから覗く脚は、光を孕むほどの魅惑に満ちていた。
「ん~? どしたどした、まつりがそんなに可愛いか~?」
肘でうりうりと脇腹を小突かれ、温かいくすぐったさを心臓の近くで感じた。じゃれつく子猫のような、邪気のないスキンシップがまつりの優しさを伝えてくる。
「ひとりだと寂しいっしょ? まつりが一緒に登校してあげっから!」と言ってくれてから、本当に……入学以来、毎朝自分に付き合ってくれるような聖人だ。
他にもいろいろと気遣ってくれたり、休日に遊びに誘ってくれたり。周囲から「付き合ってるんだろ?」と茶化されても、「いやいや。まつりは面食いなんで~」と適当に返して、自分の傍に居続けてくれている。
そんな優しい彼女が、こんな日に声を掛けてきた。もしかしたら……と期待していたが、どうやらまつりには、こちらへの用事がないらしい。
「あのさ、ちょっと付き合ってくれんか? まつりの親友が『キミに話がある』って言うからさ」
そう言ったまつりに連れ出されたのは……少子化で余った、人通りが少ない場所の空き教室だった。
扉にもカギが掛かっていないほどに、机と椅子以外に何も無い――だからこそ、夕焼けが差し込む室内に〝煌めく魅力〟が際立って見えた。
まるで神聖そのものが鎮座しているかのようだった。机にお尻を乗せて足をパタパタとさせていたのは……真っ白な髪と、毛先が黒い耳と尻尾が印象的な――これまた、目を見張るほどの美少女きつねだった。
「フブキ、連れてきたよ」
「ひぎゃあっ!? ほ、ホントに来てくれたの……!?」
机からぴょいんっと飛び降り、スカートを叩いて身だしなみを整える。声も見た目も、挙動の一つひとつすらも可愛らしいという反則的な魅力を持っていた。
今まで経験がなかった可愛さとの邂逅に衝撃を受け、思わず見惚れてしまう。対面するフブキは、もじもじと指を組んで動かない。
そんな気まずい沈黙を、まつりの面倒くさそうな咳払いが流してくれた。まつりはこういう、サッパリした面倒見の良さでいつも自分を助けてくれていた。
「この子はまつりの親友で……フブキっていうの。はじめまして、だよね?」
「し、白上です! 対戦にょろしくお願いします!」
「決闘するつもりか? 無意味に甘噛みしてるし……そもそも自己紹介になっとらんし」
「あっ……はい……し、白上フブキです……。あの……あなたと同じ学年で、まつりちゃんのクラスメイトです……すみません……」
フブキは、しゅーん、と恥ずかしそうに耳をしおらせた。尻尾がゆらゆらと忙しなく揺れているあたり、相当に緊張しているように見えた。
「この子、昔っから人見知りでさ。まつりとキミが一緒に居るときとか、絶対に入ってこようとしないんだ」
「ひ、人同士の話に入り込むとかホントに無理すぎるのでっ……! あっ、やっ……べつに、あなたがキライとかそういうんじゃなくってですねっ……!」
あたふた、わちゃわちゃと身振り手振りで動揺を示すフブキ。それとは対照的に、まつりは額に手をやって「大丈夫か……?」と苦悩していた。
「で? この子を呼び出した用事はなんだっけ?」
「あ、あのですね……そのぉ……。ずっと前から、あなたのこと……カッコいいな、って……思ってましてぇ……! あのぉ……そのぉ……」
目を伏せて、もじもじと身体を揺らすフブキ。顔や声だけではない……仕草や性格、まとう甘ったるい恋色の香りなど、学園のアイドルと称されてもおかしくないぐらいの可愛らしさを放っていた。
ただ、その愛らしい恥ずかしがりな気持ちが邪魔をして、一向に話が進まない。やきもきしたまつりが「ほら、ちゃんと言わんと伝わらんから!」と肘で無理矢理に膠着状態を突き崩す。
「……す、好きです……! 白上と、その……つ、付き合って、くれまひぇんか……?」
顔を真っ赤にして、目をぐるぐると回して。甘噛みしながら、背中に隠していたプレゼントをずいっと差し出した。
正直に言って……とても嬉しかった。信じられないぐらいの、夢見心地と多幸感が胸いっぱいに広がっていく。
こんなにも可愛い美少女に『好き』と言われて、ハートマークがたくさん描かれた箱状の贈り物――おそらく、バレンタインデーのチョコレートなのだろう――を贈ってもらえるなんて、自分の人生で一番のハイライトを浴びた瞬間なのだろう。
――しかし。その光が強ければ強いほど、生まれてしまう後ろめたい影も大きくなっていく。
こちらの返答を待っていたフブキが、唇を震わせながら、恐るおそる目を開いた。
「……ど、どうでしょうか……? やっぱり、白上なんかじゃダメですか……?」
白上フブキは、『なんか』と称していい存在ではない。
その事実は間違えないように――フブキをすごく可愛いと思うことも、告白をしてくれたことも、チョコレートを用意してくれたことも……全て「嬉しかった」と伝えて、それでも、首を横に振るしかなかった。
「……っ……!!」
「はぁっ!? いやいや、キミさぁ……フブキをフるとか、そんなんありえないでしょ……!?」
目をうるうるとさせて悲しむフブキ。そんな彼女を守るように、まつりが食ってかかってきた。
「っていうか、なに……? フブキのこと可愛いって思ってるのに、どうして『付き合えない』って答えになるの……!?」
彼女は彼女らしく、親友を思う激情を隠さず……胸倉を掴んで不届き者の身体を揺さぶってきた。フブキの困惑と悲哀に満ちた瞳と合わせて、こちらの心を強く痛ませる。
「フブキはね、一ヶ月も前から練習して、準備して……キミのために、一生懸命チョコを作ったんだよ……!? なんでその気持ちを汲んであげないんだよ……!!」
「ま、まつりちゃん……! 私のことはいいから……もう、やめてあげて……! すごく、苦しそうだよ……!」
「……っ……! ご、ごめん……キミも突然のことで、戸惑ってるよね……」
まつりの深すぎる親愛から解放されて、乱れた衣服を整えても……心にずしりと乗っかった、鉛のような重たさは消えてくれなかった。
こちらの苦心を悟ってくれたのか、まつりは申し訳なさそうにしていたが……フブキのためにも、納得のいく説明を求めてきた。
「……もしかして、好きな人がいるとか……そういう話……?」
まつりにズバリと言い当てられ、ごまかすこともできなかった。心苦しいところだが、素直に首肯する。
恋人ではないが……「ずっと好きだった女の子がいるから、フブキさんとはどうしても付き合えない」と白状したのだった。
「そ、そっかぁ……。それなら、本命チョコなんて受け取れないよね……あは、はは…………くすん……」
「……あ、あのさ……言っちゃあなんだけどさ……その好きな子って、こんな美少女より魅力ある子なの……? 彼女じゃないなら、こっそりフブキに乗り換えてみんか……? 誰にも言わんしさ……絶対に損はしないと思うよー……?」
まつりはおずおずと、親友のためにあの手この手を使い続けた。それでもというべきか……『それだけ友達思いの美少女が比較対象だから』、自分の答えを変えることができない生き地獄を味わっていた。
「はー、童貞くっさ……あ、いや、なんていうか……身持ちが固い男の子だなぁ……」
「まつりちゃん、その反応は普通に失礼だよ……? 好きな子にまっすぐだなんて、素敵なことだもの」
「いやぁ、わかるわかる。『きょうび珍しいよな~』って言いたかっただけだし、うん」
ひらひらと手を振って、まつりは嘲笑が浮かんだ頬をサッと隠した。それをごまかすように、まつりは不思議そうに首を傾げる。
「っていうかさ。その子、めっちゃ一途に好かれてるうえに、このフブキに勝つなんてすごいよね……その子、どんな人なの? どんなにかわいいの? クラスどこ?」
まつりの質問は非常に答えづらいものだったが……フブキの真摯な瞳に貫かれて、テキトウなことが言える空気ではなかった。
観念して……その童貞くさい、バカにされた好意を向けている相手を指差した。
「え? すぐそこに居んの?」
まつりは、指が差された方向――自分の後ろを見て、誰も居ないことを確認する。
もう一度前を見て、好意が向いている先をもう一度確認して……首を傾げてサイドテールを揺らし……キョトン、とどんぐりのような目を見開いた。
…………そういうところがかわいいのだと、自覚していないのだろうか?
「……まつり? え? マジでッ???」
「がーん!! まつりちゃんに裏切られたぁ……!!」
「裏切りではないやろ!? いや、えーっ……よりにもよって、その感じかぁ……!?」
まつりは複雑な表情を浮かべて、ネイルで彩った指で頭をガリガリと掻いていた。
窓が開いていない黄昏色の教室に、冷たく気まずい風が舞い込んだ。そよめきは木枯らしのように殺伐としており……浮足立った甘酸っぱい空気の校内とは、明らかに隔離された不穏を運んでくる。
漫画でしか見ないような三角関係と沈黙……それを割ったのは、この場をセッティングしたまつりだった。
「……ごめん! 好きって言ってもらってるのに、悪いんだけど……まつり、キミとは……その、付き合うつもりとか……ないんだよね、うん……」
まつりは頬を掻いて、視線を逸らせ……淡々と事実を告げた。
告白もしていないのに断られてしまった……とはいえ、こんなショックは毎日のように味わってきた。
まつりはクールなアイドル風の顔立ちをした男性が好きで、自分の顔は「好みじゃないし」と公言していることは知っていた。だからこそ、自分にとっては高嶺の花だと理解していた……この好意をひた隠しにすることしかできなかっただけなのだ。
「良い友達だし……フブキと同じぐらい大切な〝親友〟って言える唯一の男の子だけど……なんつーか……まあ、アレよ……」
言葉を選びまくっているまつりは、チラリと目をやって――「ふえーん……」と悲しむフブキの潤んだ瞳と、行き場を失った手作りチョコレートを見て、つらそうに下唇を噛んだ。
その感情的で生々しい表情は……いつもハツラツとしていた少女が、自分に初めて見せたものだった。苦悩と親愛が強く滲んでいる強張った顔は、見た者がいつまでも忘れられないような……そんな、言葉にしがたい魅力を乗せていた。
腕を組んで……首をチクタクと、サイドポニーを競走馬の尻尾のように揺らして、まつりが悩んだ。
それから、永遠に感じる居たたまれない時間が過ぎて――。
「……とりあえず、エッチするか!」
――これまでの全てを破壊するような、破天荒なアイデアが舞い狂った。
「ま、まつりちゃん……!? 急に何を言いだすんだい……!? とうとう本格的に狂っちゃったの!?」
「『今までは予備軍だった』みたいな言い方やめれ。わりと真面目に、実益を取る発想だと思うんだけどな」
「いやいやいやいや、そんな……えっちというのは、付き合ってから三ヶ月は置かないと……!」
「フブキも、いちいち古臭いんだよ……そんなだから、これまでアタックもできなくてフラれたんだろ?」
「ぐはぁっ……!! ま、まつりちゃん……ひどぉい……!!」
小動物のように悲しみを露わにするフブキに鼻を鳴らして、まつりはピッと人差し指を立てた。
「ええか? 今、この場所には敗者しかおらんのよ。このままだと誰の想いも成就しない……だから、この三角関係を終わらせれば万々歳ってコトでしょ?」
「終わらせるって……どうやって……?」
「そりゃあ、〝さよなら〟と〝よろしく〟……ふたつのエッチでしょ!」
目をまんまるにしたフブキが、カクンと首を横向けた。正直に言うと、あんぐりとしてしまう気持ちは痛いほどに理解できた。
「簡単に言うとぉ……まず先に、まつりとこの子で思い出作りのために、お別れエッチをするじゃん? それで、未練を吹っ切って……フブキとエッチして付き合うって流れよ! 完璧すぎるだろ!!」
「穴だらけだよっ!? まつりちゃん、さすがにそれはナイんじゃないかな……!?」
「たしかに、口とおま×こと尻が二人分あるし……六個か……穴だらけやな……」
「ぶふっ!? くくっ……そんなこと誰も言ってないしっ……っていうか穴のカウント幅が広いよっ……あははっ……!」
フブキの笑いどころがわからず、自分だけ置いていかれてしまった……が、とりあえず、とんでもないことが始まろうとしていることには気付けた。
気まずい空気がどこかに吹き去ってしまった空き教室で、まつりがまとめるように咳払いをする。
「このダブルエッチは……キミとフブキ幸せになるための……試練というか、乗り越えないといけない〝壁〟だと思わないといかんな。脈ナシの恋から目覚めて……前を向かないと!」
ガッツポーズを作って見せたまつりは、どこかヤケになっているような気もした。
しかし、「脈ナシの恋から目覚めないといけない」は自分の未練がましい心に強く響いた。まつりの言うことも一理あるし……せっかく寄せてくれたフブキの好意をそのまま見捨てるのも忍びない。
「……ど、どうしますか……? 私は、あなたと結ばれるためなら……その、なんでもするつもりですが……。あなたは……あんまり仲良くない子とエッチ……イヤじゃないです……?」
意外と強気で、既に腹をくくっているらしいフブキは……おずおずと、上目遣いでこちらの反応をうかがってきた。
その女の子らしさを煮詰めた魅力にアてられて……つい、そのぶっ飛んだアイデアにOKを出してしまった。