美少年ハーレムを作りたい!! ~モブおじだけど転生したらチート勇者でした。なので盗賊になって好き勝手に生きることにしました~ 作:とけそうだら
薄暗く、冷たい空気が淀む地下の一室。
湿った石壁を伝う冷気が、肌を粟立たせる。
粗末な木製の椅子に腰を下ろしていたのは、報告通りの男だった。
伸び放題の無精ひげに覆われた顔は、確かに人相が悪い。
しかし、その奥には、どこか達観したような、あるいは諦めにも似た苦笑いが浮かんでいる。
シャルロットの姿を捉えた瞬間、その瞳の奥に、挑発的な光がちらつく。
まるで、全てを見透かしているかのような、底知れない何かを秘めているようにも見えた。
(これが……勇者を名乗る男……?)
シャルロットは、警戒しながらも、男の顔をじっと見つめた。
その視線を受け、男はニヤリと口角を上げる。
「おうおうおう、今度は随分とべっぴんのお出ましじゃねえか。こりゃあ、退屈しのぎにはなりそうだ」
酒のためか顔を赤らめた男の軽薄な口調に、付き添っていた兵士の一人が眉を顰め、声を荒げる。
「貴様! この方が誰だか分かっているのか! 畏れ多くも、この方はオレレアヌ王国の柱石、レステンクール家のご令嬢にして、第一騎士団を率いるシャルロット・レステンクール様だぞ!」
男は、兵士の剣幕を気にも留めず、肩をすくめてみせた。
「ほほう、とんでもなく偉いお貴族様が、わざわざ飲んだくれのおっさんに会いに来てくれたってわけか。そりゃあ光栄だねぇ。話が早くて助かる。さっさとここから出してくれ。そんで勇者様であるこのわしを、盛大にもてなしてくれるとありがたいんだがねぇ。げへへ」
男は下品な笑い声を上げる。
その笑い声は、薄暗い部屋に不気味に響き渡った。
シャルロットは、その様子を氷のような冷たい視線で見つめ返す。
男の軽薄な態度、下品な笑い声、全てが彼女の眉をひそめさせた。
「残念ながら、それは叶いませんわ。貴方の身の潔白が証明されるまでは、ここで大人しくしていらっしゃい」
「大人しくしろ、だって? どうしたものかのお。生憎、わしはあまり気が長い方ではない。さて、どこまで我慢できるかな……。まあ、まずは酒だ。酒を持ってこい。そうすれば、大人しくしてやってもいいぞ」
男は挑発的な視線をシャルロットに向ける。
シャルロットもまた、その視線を真っ直ぐに見返した。
薄暗い牢獄の静寂の中、男の言葉だけが妙に耳につく。
油ぎった顔、赤らんだ鼻、そして下卑た笑み。
その姿は、シャルロットが抱いていた勇者の像とはあまりにもかけ離れていた。
(この男が……勇者?)
シャルロットは内心で呟いた。
この無礼で下品な態度……やはり、この勇者を名乗る男は、本物ではないのだろう。
オルレアヌで召喚された偉大な勇者。
いずれ彼が世界を救ってくれると、シャルロットは心から信じている。
理由は不明だが、放浪の末に今はドルテナ要塞に身を置いていると聞く。
それでも、オルレアヌの危機には必ず駆けつけてくれると願っていた。
愛と正義の象徴、人類の守護者。
幼い頃から勇者の絵物語とともに育ってきたシャルロットにとって、勇者は希望の光そのものだった。
しかし、目の前の男は……。
「勇者と名乗るのは自由です」
シャルロットは冷たい声で言い放つ。
「ですが、私が知りたいのは貴方の素性。そして、この街で何をしようとしているのか、ということです」
「素性、ねぇ……」
男は顎を撫でながら、わざとらしく考え込む仕草を見せた。
その目は、シャルロットの全身を値踏みするように這いずり回る。
「そりゃあ、一言で言えば、通りすがりの勇者ってところかな。わしが愛してやまない、運命の赤い糸で結ばれた、それはもう可愛らしい人と仲良くなるための、栄えある第一ステップ。そのためにわざわざこんな僻地まで遠路はるばる来てやったんじゃ。感謝するがよいぞ」
「……愛しい人と仲良くなるため、ですか? この魔族との戦いの最中に、ですか?」
愛する人と仲良くなるために、この魔族と争っている最前線の地に?
シャルロットは男の言葉の意味が理解できなかった。
苛立ちを隠すように腕を組み、指先で軽く腕を叩く。
「まあ、確かに物騒なご時世ではあるがね。しかし、こんな時だからこそ、勇者の出番ってわけだ。魔王軍を蹴散らし、人々を救う。これぞ、勇者の務めってもんじゃないかの? お嬢ちゃん?」
男の大言壮語に、シャルロットはあからさまに呆れた表情を浮かべた。
その視線は、男の頭頂からつま先までを値踏みするように往復する。
禿げ上がった頭頂、大きく赤い鼻、酒で赤らんだ顔に浮かぶいかがわしい笑み、そして中年太りの腹。
地下牢のじめじめとした空気と薄暗い灯りの下で、男の姿は一層際立って見える。
どこからどう見ても、彼はシャルロットが幼い頃から夢見てきた勇者像とはかけ離れていた。
むしろ、裏で何か悪事を働いているのではないかと疑わせる風貌だ。
(これが……勇者、ですって? 笑わせないでちょうだい)
シャルロットは心の中で呟いた。
王国の危機に、もしかしたら本当に勇者が駆けつけてくれるかもしれない。
幼い頃から夢見ていた、白馬に跨り、人々の願いを叶える英雄が——そんな絵本のような、甘い期待を僅かに抱いていた。
しかし、目の前の男を見れば、その希望は脆くも崩れ去る。
音を立てて瓦解していく希望の欠片が、シャルロットの胸に重くのしかかった。
落胆の色は、もはや隠しようもなかった。
「あれれ? もしかしておじさんに惚れちゃったのかな? げへへ、火傷しちゃってもしらないよーん」
男は胸を張ってそう言ったが、その言葉にはどこか空虚な響きがあった。
シャルロットは、その言葉の裏にある何かを見抜こうと、さらに鋭い視線を送る。
「貴方の言葉を信じるには、あまりにも証拠が足りません。勇者と名乗る以上、それを証明できる何かがあるはずでしょう? 例えば、勇者の証と伝えられる聖剣を掲げるだとか。勇者には使命があり、神々から祝福された加護を得るといいます。それは外見的に分かる特徴を持っているのではなくて?」
勇者には、必ず聖剣が付き物——それは、子供でも知っているおとぎ話の常識だった。
今となっては、目の前の男が勇者かどうかを問うこと自体、愚かしい行為に思える。
それでも、シャルロットの胸の内にある正義感が、彼女を突き動かしていた。
シャルロットの指摘に、男は顔をしかめた。
「聖剣だぁ? 加護だぁ? そんなもん、あるわけねえだろ!」
「まともに口を利く気がなければ、貴方の話に価値はありません。このまま檻の中でずっと反省していなさい」
シャルロットは冷たく言い捨て、背を向けようとした。
「ちょ、ちょちょちょ! 待ってくれ! わかった、わかったから! 実は聖剣はな……まあ、色々とあってな。欲しがっていたやつにあげたんだよ」
「あげた、ですか? 勇者だけが扱えるという、あの聖剣をですか?」
シャルロットの心に、疑念が深く刻まれる。
オレレアヌで召喚された勇者には、王国から聖剣が授けられたはず。
それは単なる武器ではない。
勇者の象徴、力の源。その重要な証を、他人に与えるなどということがあり得るだろうか。
(ありえない……。勇者が聖剣を所持していないなんて。それはすなわち、この男が偽物の勇者である何よりの、決定的な証拠ですわ)
そして、より不穏な疑いが彼女の胸に浮かび上がった。
(この男……もしかして、最近噂の子供誘拐事件に関わっているのでは?)
王城では、『山賊勇者』による誘拐の噂が貴族の間で囁かれている。
しかし、シャルロットはその話を頑なに信じようとしなかった。
彼女にとって勇者とは、正義の化身。
そんな存在が、卑劣な犯罪に手を染めるはずがない——そう信じていた。
きっと何者かが、勇者の名を騙って犯罪をしているのだと確信している。
(真実を明らかにしなければ。本物の勇者様の名誉のために)
「あなた……」
シャルロットは男を見据えた。
「この街に来たのは、子供を誘拐するためではないでしょうね?」
「えっ!?」
男の表情が一瞬にして凍りついた。
そして、それまでの饒舌な態度が嘘のように、急に黙り込んでしまう。
「どうしたのですか、いきなり黙って」
「いや……わし、最近そればっかり言われ続けて、正直まいっておって……あ、いや、なんでもない!」
男は慌てて言葉を濁したが、その挙動不審な様子に、シャルロットは確信を深めた。
この男は明らかに何かを隠している。
正義を重んじる王国の騎士として、彼が住民に対して危害を加えようとしているのなら、見過ごすわけにはいかない。
「……貴方の話には、筋が通りません」
静かに、しかし揺るぎない意志を込めて、シャルロットは告げた。
「勇者を名乗るなら、それ相応の証を示すべきです。それができないということは……貴方は胡散臭い詐欺師だということ。そして見た目通りの気持ちの悪い犯罪者、それ以外の何者でもありません」
その瞬間、男の態度が劇的に変化した。
出会った頃の挑発的な笑みは消え失せ、代わりに今にも泣き出しそうな、惨めな表情が浮かび上がる。
「お嬢ちゃん……気持ち悪いってのは、あんまりだよ……」
震える声で男は呟く。
「わしって昔から女の子にそう言われ続けてな、結構深い心の傷になってるんだ……そんなこと言われると、あの頃の惨めな記憶が……あばばばば……」
男は大量の冷や汗を流しながら、白目をむいて全身を震わせ始めた。
その様子は、あまりにも生々しく、とても演技とは思えない。
(ええっ!? まさか……本当に傷ついているの?)
シャルロットは動揺を隠せない。
先ほどの言葉が過ぎたのではないかと、かすかな後悔が胸をよぎる。
しかし同時に、この男の底知れない不気味さに警戒心は強まっていた。
この急激な変貌は、本当にトラウマによるものなのか、それとも——。
「ご、ごめんなさい。少し言い過ぎましたかしら。傷つけるつもりは……」
戸惑いながら、シャルロットは謝罪の言葉を口にした。
「うう……こんなみじめで気持ち悪いわしに、謝ってくれるなんて……お嬢ちゃんは……なんて優しい子なんだ……!」
男は涙を拭う仕草をしながら、テーブルに置かれた背嚢を指差した。
「よし! それなら特別に、わしのことをわかってもらうために腕を振るうとしよう! ちょっとそこに置いてある、わしの荷物を返してくれんかね?」
「荷物、ですか?」
突然の態度の変化と、意外な申し出に、シャルロットは困惑の表情を浮かべる。
彼女は傍らの兵士に目配せした。
「中身は確認済みですか?」
「はい。鍋にナイフ、油に小麦粉、魔導コンロに下処理済みの獣肉、それと日用品が入っているだけでした」
兵士の報告に、シャルロットは眉を寄せた。
「ナイフ……ですか。それは返せませんわね」
「ああ、そりゃもう必要ないから捨ててくれても構わん! だから他のものだけ貸してくれんか。水も頼むよ」
それまでの萎縮した様子が嘘のように、男は急に活気づいた。
大仰な身振りを交えながら、声を弾ませる。
「なに、悪いことはせんって。ただお嬢ちゃんに、とびきりおいしい思いをさせてやろうってだけさ!」
「おいしい思い……ですか」
シャルロットは首を傾げながらも、この謎めいた男が何を始めるつもりなのか、わずかに興味をそそられた様子で身を乗り出す。
その仕草を見た兵士が、再び険しい表情で男を睨みつけた。
「しつこいぞ貴様! シャルロット様のお言葉が聞こえなかったのか! よし、ちょっと痛めつけて——」
兵士が男に掴みかかろうとした瞬間、シャルロットが静かに手を上げた。
「いいでしょう。それを返してあげなさい」
「ですが、シャルロット様! それはあまりにも——」
兵士は驚きを隠せない様子で反論しようとしたが、シャルロットは毅然とした態度で言い放つ。
「彼が不審な動きをすれば、この私が責任を持って対処します。返してあげなさい」
シャルロットの強い意志を感じ取った兵士は、それ以上何も言えなくなり、渋々といった様子で男の背嚢を手に取ると、牢の中の男に手渡した。
男は待ちかねたように背嚢を受け取り、中身を漁り始めた。
その手つきは、先程までのふざけた態度とは打って変わり、どこか真剣さを帯びていた。
「よしよし、まずは手洗いからじゃ」
男は石鹸を取り出すと、水で手を濡らして丁寧に洗い始めた。
(あれは……石鹸……?)
シャルロットは驚きに目を見開いた。
清潔を保つために石鹸を使う。
それは近年、隣国のゲルマー帝国で研究が進められ、広まりつつある『衛生』の概念だ。
衛生的にすることで、疫病や食中毒の予防につながると教えられ、数年前から貴族の間でも徐々に取り入れられ始めているが、それでもごく一部に過ぎない。
ましてや、石鹸は高価なものであり、一般市民にはほとんど普及していない。
それを持ち歩いていること自体、尋常ではない。
(それに……料理の前に、わざわざ石鹸で手を洗う料理人など、聞いたことがない……)
シャルロットは、権蔵の行動に強い違和感を覚えた。
「あの、なぜ料理の前に石鹸で手を洗うのですか?」
「うん? そりゃあ、人に食わせるもんを作る時にわしの手が汚かったら、食べてもらう相手に気の毒じゃろ? 料理をする人間は常に衛生に気を配る。わしにとって当たり前のことじゃ」
男はなぜそのような常識的なことを聞くのかと言わんばかりに当然のように言った。
「よし。ちょっと待っておるがよい。すぐに唐揚げができるからの」
男は手慣れた様子で背嚢から鍋を取り出し、魔導コンロの上に置いた。
続けて油の入った瓶を取り出し、惜しげもなく鍋に注ぎ込む。
コンロのスイッチを押すと、たちまち魔力の込められた青白い炎が燃え上がった。
薄暗い地下室に、青白い光が揺らめく。
男はさらに、何やらどろっとした液体に漬け込まれた肉を取り出した。
見るからに新鮮な獣肉は、黒い液体にしっかりと浸っており、食欲をそそる、甘辛い匂いが薄暗い地下室に広がり始めた。
そして手際よく肉に粉をまぶしていく。
粉が肉全体に薄く、しかし均一に付着していく様は、まるで熟練の料理人の手捌きだ。
先程までの軽薄な態度からは想像もできないほど、真剣な表情をしている。
(嘘、これがさっきまで牢屋で酔っぱらって妄言を吐いていた男の顔なの? まるで別人……いや、別人どころじゃない。この手際……本当に同一人物なのですか?)
油が熱せられるパチパチという音と共に、香辛料と何かの香ばしい匂いが一層強くなってきた。
男は頃合いを見計らい、粉をまぶした肉を熱い油の中に投入していく。
ジュッという音と共に、肉の表面がきつね色に変わっていく。
(まあ、何とも奥深い香りですわね。お肉の焼ける香ばしさに加え、何やら焦がした蜜のような、甘く香ばしい香りがいたします。そして、ほんのりと酸味を含んだ、木の実のような香りが重なり合っているようですわね。一体、どのような調味料を使っているのかしら?)
やがて、地下室には食欲を刺激する香りが充満した。
それはまるで、秘密の調香師が創り出したような、複雑で魅惑的な旋律だった。
黒い液体の深い、まるで大地の恵みのような甘さが、肉の表面に絡みつき、焦げ目の香ばしさと交差する。
その甘さは、初夏の果実が太陽に照らされ熟れるような、豊かで甘美なものだ。
しかし、その中に隠れているのは、微かな酸味。まるで柑橘の皮がほんの少しだけ混ざったかのような、爽やかさを感じさせる酸っぱさが、甘さを引き立て、香りの奥深さを形成している。
この甘さと酸味のハーモニーが、空気中に広がり、部屋全体を包み込む。
鼻孔をくすぐるその香りは、どこか懐かしくも新鮮で、食欲を刺激するだけでなく、記憶の奥底から家族の食卓の情景を引きずり出してくる——。
その香ばしさと、揚げ物の香りが混ざり合い、兵士たちの中には唾を飲み込む者もいた。
シャルロット自身も、普段は食事に頓着しない方だが、この時ばかりはかすかに空腹を感じていた。
「ふむ、いい色になってきたな」
男はそう呟きながら、揚げ具合を確認するように肉をひっくり返していく。
均一に揚がった肉を、油から引き上げ、油を切るための網の上に置いていった。
ジュージューと音を立てる肉から、湯気が立ち上る。
「出来上がりましたの?」
シャルロットが問いかける。
「いや、まだ未完成じゃ」
男はニヤリと笑い、コンロの火をさらに強くした。
油が再び熱を帯び、チリチリと音を立て始めた。その中に、先ほど揚げた肉を再び投入する。
「もう一度揚げるのですか?」
「ここからが大事なひと手間なんじゃよ」
そしてさらに二分ほど油で揚げる。
二度揚げされた肉は、先ほどよりもさらに濃い狐色になり、表面は見るからにカリッとしていて、中からは肉汁が溢れ出てきそうだ。
男は油を切った唐揚げを、備え付けの皿に盛り付けていく。
こんがりと揚がったそれは、食欲をそそる黄金色に輝き、湯気と共に醤油と香辛料の食欲をそそる香りを放っていた。
その香りは、先程までの警戒心を忘れさせるほど魅力的だった。
「お嬢ちゃん、できたぞ。熱いうちに食うのが一番美味いんだ。ささ、がぶっとかぶりついてくれ」
男は一番大きくて、一番美味しそうな唐揚げをシャルロットに差し出した。
シャルロットは一瞬躊躇したが、男の自信に満ちた表情と、何よりも抗いがたい香りに誘われ、そっとそれを受け取った。
「……いただきます」
シャルロットは小さく呟き、意を決して熱々の唐揚げを一口かじった。
(これは……!)
シャルロットは驚きに目を見開いた。
カリッという軽快な音と共に、熱い肉汁と、今まで嗅いだことのない、甘く香ばしい香りが口の中に広がる。
外側の衣は薄く、繊細な網目状になっており、口にした瞬間に心地よい音を立てて崩れ、中から熱気を帯びた肉汁が溢れ出した。
鶏肉は驚くほど柔らかく、噛むほどに肉本来の旨味が染み出してくる。
そして、その旨味を包み込むように、今まで嗅いだことのない、甘く香ばしい、どこか懐かしささえ感じる風味が広がる。
それは、焦がし蜜のような甘さと、木の実を炒ったような香ばしさが混ざり合った、複雑で奥深い味わいだった。
まさに、外はカリカリ、中はジューシー。これまで食べたどの揚げ物とも違う、まさに理想的な揚げ料理だった。
普段、戦場では食事にほとんど興味を示さない彼女が、ここまで素直に感動を表したのは初めてのことだった。
乾いたパンと硬い干し肉、あるいは味気ない携帯食糧。
それが彼女の日常だった。
しかし、目の前の料理は、彼女の食に対する価値観を覆すほどの衝撃を与えた。
警戒心はいつの間にか薄れ、純粋な驚きと喜びが彼女の表情を彩る。
頬はほんのりと赤く染まり、瞳は子供のように輝いている。
「どうじゃ? うまいだろう? これがわしの故郷の味、『唐揚げ』じゃ。醤油と生姜、ニンニクに肉を漬けたものに片栗粉をつけて揚げるだけで簡単に作れてしかもうまい、まさにお手軽絶品料理なんじゃぞ!」
男は得意げに胸を張った。
油でテカテカと光る顔は、まるで自慢の宝物を見せびらかす子供のようだ。
「シャルロットさま、なにかお体に不調などはございませんか?」
「心配無用です。それにしても、驚きましたわ。こんなにも深い味わいのお肉は初めてです」
彼女の言葉を聞いた兵士たちの喉が、ごくりと大きく鳴った。
香ばしい匂いが、彼らの飢えた胃袋を容赦なく刺激する。
彼らの視線は、シャルロットの手の中の唐揚げに釘付けになっていた。
「……おい、そこの男。我らにも、その肉をよこすのだ」
痺れを切らした一人の兵士が、命令口調で権蔵に迫った。
他の兵士たちも、同意するように男を見つめている。
「は? 人に物をねだる態度がなっておらんのう。それに、おぬしらには散々いじめられたからな。一つもやらんわ」
男は鼻で笑い、兵士たちをあしらった。
その態度に、兵士たちの顔色がみるみるうちに険しくなっていく。
今にも掴みかからんばかりの兵士もいて、一触即発の空気が漂い始めた。
その時、シャルロットが静かに、しかし凛とした声で語りかけた。
「失礼ですが、貴方様のお名前をお聞かせ願えますか?」
「権蔵じゃ。生まれてこの方ずっとこの名前、紛れもない本物の権蔵よ」
権蔵は誇らしげに胸を張り、鼻を鳴らす。
そのどこか間の抜けた様子に、シャルロットはふと微笑んだ。
「まあ、それは奇遇ですわね。オルレアヌが召喚した勇者も、確か権蔵というお名前でしたわ。権蔵様、どうかこの兵たちにも分けていただけませんか? 前線に立ってから、彼らは満足な食事も取れていないのです」
シャルロットの懇願に、権蔵は腕を組み、大袈裟に唸った。
「ふん。まあ、お姉ちゃんがそこまで言うなら特別じゃ。ほれ、どんどん作ってやるぁら遠慮なく食え! 今日は大サービスじゃ!」
権蔵がそう言うと、兵士たちの顔がパッと輝いた。
待ちかねたように、熱々の唐揚げを口に運ぶ。
カリッという軽快な音と共に、香ばしい匂いが一層強くなった。
一口食べた兵士たちの目は、次々と輝き出し、驚きの表情に変わっていく。
「こ、これは!」
「なんという味だ!」
「本当にあの不審者が作ったものなのか?」
感嘆の声が響く中、皿の上の唐揚げはまたたく間に姿を消した。
兵士たちは、まるで子供のように目を輝かせ、もっともっとと権蔵にねだった。
シャルロットは、残った唐揚げをゆっくりと味わっていた。
カリッとした衣の食感、噛むほどに溢れ出す肉汁。醤油と生姜、ニンニクの香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、口の中には肉の旨味が広がっていく。
外はカリカリ、中はジューシー。まさに完璧な仕上がりだ。
今まで食べたどの肉料理よりも美味しいと言っても過言ではない。
戦場で疲弊した身体に、じんわりと力が湧いてくるようだ。
「まったく、わしの分まで食べ尽くしおって……。まあ、肉はまた狩りに行けば手に入るんだが、下ごしらえが面倒じゃ。下味つけて寝かせるのに一日かかるんだよなぁ……」
権蔵が残念そうに呟くその言葉に、シャルロットは眉をひそめる。
他の兵士たちも、何気なく権蔵の言葉に耳を傾けていた。
「森……ですか? もしかして、ここから西に進んだ先にある、『帰らずの深森』のことを言っているのですか?」
「名前は知らんが、まあこの街の西の方じゃな」
権蔵はこともなげに答える。
「わしが道に迷っておるときに、ちょうど鶏の身体に蛇の尻尾をした、手頃なモンスターがおったから狩ってやったんじゃ。それにしても、やはりうまい肉じゃったか。早く狩りに行きたいのう」
権蔵は遠い目をして、まるで昨日の出来事のように懐かしげに語った。
その言葉を聞いた瞬間、周囲の兵士たちから一斉に笑い声が湧き上がる。
「はは! 何を寝ぼけたことを! あの森は人どころか魔族さえ足を踏み入れるのを躊躇う危険地帯だぞ! お前のような太った中年が迷い込んでも、森の怪物どもの餌食になるのが関の山だ!」
「そうだそうだ! どうせ街の鶏小屋から盗んできたんだろう? 詐欺に窃盗とは、たちが悪すぎるぞ!」
兵士たちは権蔵を指差して嘲笑った。
権蔵が必死に真実だと訴えても、その必死な様子にますます笑いが起こる。
そんな中、シャルロットだけが静かに、しかし鋭い眼差しで権蔵を見つめていた。
「コカトリスの肉……ですか。まさか……」
コカトリス——その目に睨まれた者も、吐息を浴びた者も石と化すという、危険度Aランクの魔物。
鋭い爪は鋼鉄の鎧すら紙のように引き裂く。
熟練の冒険者パーティーですら命懸けの戦いを強いられ、ゴールドランク冒険者四人がかりでも容易には討伐できない相手だ。
そんな魔物を、道に迷った挙句に「手頃だから狩った」などと、さも当然のように語る。
常識で考えれば、あり得ない話だった。
絶品の唐揚げの余韻と、権蔵の荒唐無稽な話。
その落差に、シャルロットの緊張していた心がほんの少しだけ和らぐ。
だが同時に、彼の正体への疑念は一層深まっていた。
(この男の正体――何者なの?)
目の前にいる謎多き太った中年男。
権蔵と名乗るその男は、今も兵士たちと談笑しながら、額の脂汗を拭っている。
見るからに運動不足な体型で、街角の酒場でよく見かける常連客のような風情だ。
それなのに、この男はコカトリスを「手頃なモンスター」と評し、そして何より――あの驚くべき腕前で、誰もが舌を巻く唐揚げを作り上げた。
シャルロットは静かに目を細めた。
勇者を自称する犯罪者としては、あまりにも破格すぎる。
彼の作った料理の一品が、この牢獄に集う全ての者の心を、まるで春の陽気のように溶かしていったのだ。
(本当に悪人が、こんなにも心のこもった料理を作れるのかしら……?)
シャルロットは、牢の奥で兵士たちと肩を組み大笑いする権蔵の姿を見つめ、思わず微かな笑みを漏らしてしまった。
しかし、その瞬間胸に湧き上がったのは、彼への興味――いや、好奇心とも言うべき感情だった。
(この男の正体を暴けば、長引く戦況を揺るがす何かが見つかるかもしれない……)
胸の内で静かに芽生えたその予感は、次第に確信へと変わりつつあった。
「……いいでしょう。本日の取り調べはここまでとしますわ」
シャルロットが静かに告げると、権蔵の顔がぱっと明るくなった。
「おおっ! 話が分かるお嬢ちゃんじゃないか!」
彼は勢いよく立ち上がり、嬉々とした声で続ける。
「よし、さっさとこの牢を開けてわしを出すがいい! それから、この無礼を詫びて極上の酒と肴でも用意してくれれば、まあ、許してやらんこともないぞ!」
まるで自分が客人であるかのような物言いに、シャルロットは呆れつつも、口元に柔らかな微笑みを浮かべた。
「いいえ。それは『今日の取り調べは終了』という意味ですわ。明日も、私が直接お相手いたしますから」
その言葉を聞いた瞬間、権蔵の表情から笑顔が一瞬で消えた。
「はぁ!? なんじゃと!? そりゃあねえだろ、お嬢ちゃん! わしは正真正銘の勇者だぞ! なんでこんな――くそっ、いっそのこと牢をぶち破って要塞へ――」
「……今、何か仰いましたか?」
シャルロットの声が冷たく響くと、権蔵はぎくりと肩をすくめた。
「い、いや、別に! ただ、今夜の食事はなんかなーって……それだけだ!」
意味深な視線を向けられると、彼は目をそらし、落ち着きなく鼻を鳴らした。
その様子は、まるで悪戯がばれた子供のようだった。
「ご心配なく。先ほどの美味しい料理へのお礼も兼ねて、今宵は特別に上等な酒を用意させますわ。ですから、大人しくしていてくださいね、"権蔵様"」
「酒……だと?」
権蔵の表情が一瞬で輝いた。
「げへへっ! 酒さえあれば、この陰気な牢屋だって極上のホテルみたいなもんよ! よし、今日のところはそれで勘弁してやる!」
シャルロットは軽く会釈すると、牢獄を後にした。
背後では権蔵が何やらぶつぶつと呟いていたが、彼女は気に留めなかった。
冷たかった牢獄の空気が、今はどこか柔らかさを帯び、背中をそっと撫でていく。
その感覚は、まるで重い鎧を脱ぎ捨てた後の、かすかな解放感に似ていた。
(この男……本当に不可解ね。ただの詐欺師にしては底が知れない。かといって、あの体型で勇者だなんて……)
シャルロットは歩きながら、権蔵についての考えを巡らせた。
彼の態度と言動のどれもが、どこか矛盾だらけだった。
軽薄さと図々しさの裏に、時折、何か深いものを隠しているようにも見える。
彼女の勘は「彼が危険人物ではない」と告げていた。
しかし同時に、彼が「本物の勇者だ」とも思えない。
その二つの感覚が、シャルロットの中でせめぎ合っていた。
本来なら、一介の不審者の取り調べなど、戦場の指揮官である自分が直接関与する必要のない案件だ。
それなのに――なぜか彼に対して抗いがたい興味を惹かれる。
それは、単なる好奇心から来るものなのだろうか、それとも……。
(こんなこと続けても意味がない、と頭では分かっているのに)
シャルロットは心の中で呟いた。
(私だって、いつも気を張り詰めて、必死に戦っている。故郷を、部下たちを守るために。だから、ほんの少しの間くらい、この重荷から解放されても、許されるはずだわ)
いつの間にか、権蔵とのやり取りは、血と硝煙に塗れた戦場の現実を忘れさせてくれる、束の間の清涼剤となっていた。
勇者を自称する謎の男との、他愛のない会話。
それは、重い決断の連続から彼女を解放してくれる、貴重な休息だった。
しかし、その安らぎは、まるで薄氷の上に立っているかのように脆く、儚い。
いつ足を踏み外してもおかしくない、危うい均衡の上で成り立っている、つかの間の休息。
そして、その休息を求める自分自身に、シャルロットは僅かな罪悪感を覚えていた。