美少年ハーレムを作りたい!! ~モブおじだけど転生したらチート勇者でした。なので盗賊になって好き勝手に生きることにしました~ 作:とけそうだら
「ぐわーはっはっはっは! そうだ、人間どもよ! 怯えろ! 逃げ惑え! 我ら三獣士の前に跪くがいい!」
バッファローの獣人バフォメッドの豪放な笑い声が空気を震わせ、街全体を地鳴りのように揺るがす。
城壁を守る兵士たちも、駆けつけた冒険者たちも、必死に抵抗を試みる。
だが、圧倒的な数と力の差を前に、その抵抗は砂上の楼閣のように崩れ去っていった。
ドグシャァン!
轟音と共に、カーンの街が誇る鉄壁の門が吹き飛び、粉々に砕け散る。
黒い獣の波が門を越え、一気に街中へと流れ込む。
人々の悲鳴があちこちで上がり、混乱が広がっていく。
「ふぅ……杞憂でしたかねぇ。難なく敵の防衛ラインを突破できましたが……まさかこれが罠、なんてことは……」
イボイノシシの獣人オーグが額の汗を拭う。
その声には安堵が滲むが、狡猾な魔族らしく、その目にはなおも警戒の色が残っている。
「がはははは! だからてめぇは心配性なんだよ、オーグ!」
バフォメッドが大笑いしながらバシバシとオーグの背中を叩く。
「罠だぁ? 計略だぁ? そんなもんクソくらえだ! 突っ込んで、ぶっ潰して、どかーんだ! こういう風になぁ!」
巨大な戦斧を振りかぶり、街を囲む分厚い石壁に叩きつける。
ドゴォンッ!
地を揺るがす鈍い衝撃音が轟き、その震動が壁全体を駆け巡る。
次の瞬間、堅牢を誇った石壁は悲鳴を上げ、巨大な亀裂が走り、耐えきれずに崩れ落ち、瓦礫の山を築いた。
「な! これだよ! 圧倒的なパワーがあれば細けー策なんかいらねぇんだよ!」
その破壊的な一撃は、街の混乱に油を注ぎ、逃げ惑う人々の悲鳴が悲痛な叫びとなって空を切り裂いた。
その声は、バフォメッドの征服欲を否が応でも煽り立てる。
「んあー、おら腹減って元気がなくなってきただぁ……はやくなにか食いもんほしいだよぉ……」
カバの獣人ヒポスが自身の太い指を咥え、腹の虫を盛大に鳴らしたその時――
ズドーン!
轟音と共に、ヒポスの巨体が爆発に包まれた。
巨大な土煙と黒煙が舞い上がる。
「よーし、やったか!?」
街の一際高い塔の上から、歓声が沸き起こる。
そこには、砲身から白い煙を上げる魔導砲と、興奮に沸き立つ砲兵たちの姿があった。
街に常備されている数少ない魔導砲の一撃は、小規模な城門や城壁ならば容易く破壊できるほどの威力を持つ。
それをまともに喰らっては、流石の三獣士といえども無事では済まないはずだ。
しかし、土煙が晴れる中から飛び出してきたヒポスは、先程と変わらぬ様子で分厚い舌なめずりをしていた。
「まさか無傷なのか!?」
兵士の驚愕の声が上がるなか、カバの獣人は目の前にそびえる背の高い建物に狙いを定めた。
「うぉぉぉら、もう我慢できねぇだぁ! いただきまぁあああす!」
「うわぁあああ、総員退避!!」
砲兵たちが悲鳴を上げ、慌てて塔から飛び降りる。
その刹那――
巨大な口を開けたヒポスが、まるでクッキーを齧るかのように、あっという間にその建物を噛み砕き始めた。
ガリガリガリ……ゴリゴリゴリ……!
破壊的な音を立てながら、ヒポスは建物を丸ごと飲み込んでいった。
瓦礫も装飾品も、抵抗を示す間もなく巨大な口の中に吸い込まれていく。
その食欲は、底を知らなかった。
「ヒポスさん! ああ、やれやれ……」
オーグが額に手を当て、深い溜息をついた。
呆れと諦めが入り混じった表情で、彼はゆっくりと口を開く。
「二人とも、そんな無計画では困りますよ。この街は、中央に攻め入るための重要な軍事拠点となるのです。建物はなるべく残してください。そして街の住人も、我らがために働く貴重な労働力なのですから、無駄にしないでくださいね?」
オーグが慇懃無礼な口調で窘めるのも束の間、別の建物の影から、鬨の声が轟いた。
屈強な戦士たちの咆哮。視線の先には、武器を構え、殺気立つ冒険者たちの姿。
総勢二十を超えるパーティが、三獣士を討ち取らんとばかりに突撃してきた。
「はぁー、困ります困ります困ります」
イボイノシシの獣人は整った眉を顰め、手に持つ無骨な長い木の棒を軽く構えた。
その瞬間、彼の姿が掻き消えた。
「え、いない!?」
冒険者たちの間から驚きの声が上がる。
直後、彼らは一斉に吹き飛ばされた。
まるで巨大な鉄槌で打ち据えられたかのように、全員が同時に空を舞い、背後の石壁に叩きつけられたのだ。
ゴォォォッ!
爆風のような轟音が周囲を包み込む。
巻き上がる砂塵が晴れると、そこには元の場所に佇むオーグの姿があった。
「はぁー、困りますよ。なるべく殺さずに、しかも手加減して勝つというのは、なかなか難しいものです」
オーグは倒れ伏す冒険者たちを一瞥し、小さく溜息をついた。
「ですが……戦とは、なぜこんなにも楽しいのでしょうかねぇ」
オーグは涼やかな顔で口の端を歪め、満足げに舌なめずりをした。
その瞳の奥には、獲物を求める獣のような、血に飢えた光が妖しく揺らめいている。
ドシン、ドシン!
三体の巨躯が地を踏みしめるたびに、大地が震え、周囲の建物が軋む音を立てる。
破壊の行進は容赦なく続き、バフォメッドは高らかに哄笑を上げた。
「ぐわはっはっは! これがサバンナの戦士、三獣士の力だ! さあ、もっと絶望しろ! もっと恐れろ! もっと――」
その時だった。
空気を切り裂くような鋭い声が響き渡る。
「お待ちなさい!」
その声は女性のものであった。
冷たさと力強さが入り混じったその調子は、混乱と破壊に包まれた街の中で、まるで一筋の刃のように響き渡る。
三獣士は足を止め、声の方へ振り返った。
その視線の先には、白銀の鎧を身にまとった一人の騎士――シャルロットが、燃えるような決意を瞳に宿し、彼らの前に立ちはだかっていた。
バフォメッドの声が低く唸りを上げる。
「ああん? いまいいところなんだから邪魔すんなっての。てめぇ、死にてぇのか?」
しかし、眼前に立つ金髪の騎士は一歩も退かなかった。
彼女は毅然とした態度で宣言する。
「私の名は、オルレアヌ王国第一騎士団団長、シャルロット・レステンクール! 今すぐにこの街から立ち去りなさい。さもなければ――後悔することになりますよ」
「シャルロット・レステンクール……白銀の戦乙女!」
オーグがその名を呟く。
驚愕が彼の声に混じり、彼の目はシャルロットに釘付けになった。
彼女の威圧感に、彼は一瞬ひるむ。
シャルロットは優雅に馬から降り、静かに地に立った。
彼女の動きはまるで舞踏のように美しく、剣の如く鋭い。
「ここまでです。これ以上、カーンの街に一歩たりとも踏み込ませることはできません」と
「ふん、小娘が、えらく偉そうだな……? てめぇ一人で、この俺様を止められると思ってんのか?」
バフォメッドが唇を歪め、魔斧から殺気を放つ。その殺気が周囲の空気を震わせる中、シャルロットは微笑む。
「一人で……ですか?」
その瞳に鋭い光を宿し、彼女は続ける。
「確かに、私は一人です。しかし、私の背後には、守るべき人々がいます。その人々のためなら、たとえ千の敵が立ちはだかろうとも、私は立ち向かいます」
彼女の言葉に獣人たちは沈黙し、その揺るぎない信念と覚悟が彼らに伝わった。
「ふん、戦乙女だかなんだか知らんが、言葉だけでは我らを止められんぞ。我らを止めたかったら力で向かってくることだ!」
バフォメッドの咆哮が空を切り裂く。
巨大な斧がシャルロット目がけて振り下ろされる。
彼女の聖剣ベルゲリューンが青白い光を発し、研ぎ澄まされた直感と経験が彼女を動かす。
「ここ!」
一閃、剣がバフォメッドの斧を受け流し、そのまま心臓へ致命の一撃を試みる。
決着かと思われたその瞬間、キイン!と鈍い金属音が響いた。
「なっ!?」
シャルロットの声が震える。
バフォメッドは牛の角でその必殺の一撃をいとも簡単に弾き返したのだ。
(冗談でしょう……?)
彼女の必殺技が、まるで子供の遊びのように易々と避けられたことに驚愕する。
しかし戦いの中、相手の動作の隙を見逃さず、タイミングを計って石畳を滑るように後退した。
「おうおうおうおう! おれさまの一撃を防いで反転して攻撃たぁ……お嬢ちゃん、やるじゃねーか!?」
バフォメッドの表情は驚愕から獣じみた笑みへと変わる。
「おやバフォメットさん、今の一撃危なかったですね。危うく心臓に一刺しされて決着でしたが」とオーグが冷ややかな声で言う。
「うるせー、ちゃんと防いだだろうが!」とバフォメッドが鼻を鳴らす。
シャルロットは再び剣を構え、銀の甲冑が聖なる光を放つように光る。
「もう一度言います。この街から出ていきなさい」と彼女は再度宣言する。
その威厳ある声と圧倒的な気迫に、さすがの獣人たちも一瞬たじろいだ。
だが、それも束の間のことだった。
「……ぐわーはっははっは! 威勢のいいお嬢ちゃんだ! 気に入ったぜ。おもしれー、こいつはおもしれーわ!」
「ふむ。我ら三獣士の前で一歩もひるむこともないとは。さすがは戦乙女といったところですか」
「お、おら。次はおらとこいつを戦わせてくれよ。腹減らす運動にもってこいだべ」
三獣士の声が入り乱れる中、シャルロットは静かに己の体の状態を確認していた。
腕の筋肉が軋むような痛みを訴え、まるで千の針で突き刺されているかのような感覚が全身を覆う。
(もう一度、あれを受け流して攻撃するのは難しそうですわね……)
シャルロットのスキル『戦乙女の加護』――それは彼女自身が生まれ持っていた聖なる力。
彼女自身や彼女が指定した範囲の者たちの身体能力と魔力を強化する、この世に二つとない特殊なスキルだった。
その効果範囲は半径百メートル。
通常であれば、周囲の味方に加護を分け与えることで、戦場全体の戦力を底上げすることができる。
しかし、加護を他者に分け与えなければ、その力は全て彼女一人に集中する。
今のように、一対一の戦いにおいても、効果を発揮する一騎打ちにも有用なスキルである。
だが、先ほどの一撃で事態は一変した。
加護が全開であったにも関わらず、バフォメッドの攻撃を受け流しただけで、腕の筋肉は千切れんばかりの悲鳴を上げ、骨までもが軋んでいた。
もし加護の力で肉体強化をしていなければ、彼女の体はあっけなく両断されていただろう。
そんな彼女の暗い思考を遮るように、三獣士の声が響く。
「おいおい、抜け駆けはなしだろーが。ここはいつも通り、あれで決めるんじゃなかったか?」
「ええ、強敵を前に、この私も久しぶりにサバンナ戦士の血が滾ります。異論はありません」
「じゃあ、いくべ! せーの……じゃーんけーん……ぽん!」
「え……と……これは……どういうことですの?」
突然始まった三獣士のじゃんけん大会。
シャルロットは優雅な剣の構えを維持できず、思わず間抜けな声を漏らした。
(どうやら……このじゃんけんに勝った者が、私と一対一で戦う、ということでしょうか。もしそうなら……まだ、僅かながら勝機はあるかもしれません。ですが、もし三人同時に来られていたら……)
想像しただけで背筋が凍り付く。
グリムフ将軍の側近にして、精鋭中の精鋭たる三獣士。
彼らの個々の戦闘能力は、見立てではシャルロットと同等、あるいはそれ以上――。
これまで数々の戦いを潜り抜け、王国騎士団最強とまで謳われた彼女の自信は、脆くも砂上の楼閣のように崩れ去っていく。
己の実力は、井の中の蛙に過ぎなかったのかと、絶望的な思いが胸を締め付けた。
「あいこでしょー」
「おい、ふざけんなよ! なんで俺に勝たせねーんだ!」
「うーむ、私が勝たないと困ります。でもじゃんけんなんて、しょせん運ですからね」
「よーし、次五回目だどー。 じゃーんけーん……ぽん!」
そして、運命の五回目のじゃんけんの結果―――
「うそだべ! 五回目もあいこだとぉ!?」
「またグーかよ! お前ら脳みそまで筋肉かよ! 少しは違う手を考えろってんだ!」
「五回目でも決着はつきませんでしたか……なるほど。これは由々しき事態ですね」
シャルロットの目の前で繰り広げられる、異様な光景。
しかし、唐突に、彼らはじゃんけんを打ち切った。
そして、まるでこれから本格的な戦闘に臨む前の準備運動でもするかのように、悠然とストレッチを始めた。
「グ、グリムフさまが言ったんだべ……じゃんけんで五回あいこなら、そこでやめろって……」
「ちっ、しゃーねーなー。やめねーと、またグリムフの旦那にげんこつを食らうかんなー。あの拳、思い出すだけで、金玉が縮み上がっちまうぜ」
「全員一致団結して戦うことで決まりですな。ではお二人、いつものやつをやりましょう」
三獣士は一斉にシャルロットの方を振り返った。
その目に、先程までの間の抜けた空気は微塵も残っていない。
鋭い獣の眼光が、シャルロットを射抜く。
(嘘……そんな……まさか……)
シャルロットの背筋に、氷柱を押し当てられたような悪寒が走った。
「我ら三獣士! 一人は皆のために! 皆は一人のために!」
三人が互いの手に、力強く手を重ね、鬨の声を上げた。
その瞬間、彼らの威圧感が爆発的に高まり、三つの力が渦を巻くように絡み合い、巨大な奔流となってシャルロットに押し寄せる。
「さーて、三対一かぁ。こりゃあ、あっという間に終わっちまうかもしれねぇなぁ」
「困りますねぇ。しかし、相手は王国最強と名高い戦乙女。相手にとって多勢に無勢とはいえ、油断は禁物。追い詰められたネズミは猫を噛むと言いますし、ここは慎重に、確実に仕留めましょう」
「おらは早く終わらせて、食糧庫行くんだべー! 人間の食いもんのこと考えたらもう腹ペコになっちまっただよ!」
シャルロットの額から、冷たい汗が伝う。
先程までの冷静さは完全に消え失せ、代わりに底知れぬ恐怖が、彼女の心を支配していく。
「おーし、戦乙女さんよぉ。俺ら三獣士とあんた、どっちが強えのか力比べ、いこうじゃねーか!」
バフォメッドの地を揺るがす咆哮を合図に、三体の巨躯が一斉に構えを取る。
その凄まじい戦意の波動が大気を震わせた。
(私は……今からこれと戦うの?)
シャルロットの前に聳え立つのは、もはや絶望的な壁としか思えなかった。
だが、街の人々の、助けを求める悲痛な叫びが、シャルロットの背中を、否応なく突き動かす。
彼女は震える剣を握り締め、覚悟を決める。たとえ絶望的な状況であろうとも、彼女はここで退くわけにはいかない。
背後にある、愛する街と人々を守るために。
その時、シャルロットの脳裏に、牢獄で出会った男、権蔵の顔が鮮やかに蘇った。
酔っ払いにしか見えない中年男の飄々とした笑み、そして、シャルロットにかけられた勇気を奮い立たせる、まるで勇者のような言葉の数々。
(私の……信じる道……そして夢……)
シャルロットは深く息を吸い込んだ。
恐怖に震えていた心が、不思議と静まっていくのを感じた。
まるで、心の奥底に眠っていた何かが、ゆっくりと目覚めていくかのように。
彼女の瞳に、再び強い光が宿る。それは、絶望の中でも決して消えることのない、希望の光。燃え盛る炎のような、強い意志の光。
「……お相手、いたします」
シャルロットは静かに、しかし力強く宣言する。
その声は、先程までの動揺を微塵も感じさせない、凛としたものだった。
張り詰めた空気の中で、彼女の声だけが、確かな意志を帯びて響き渡る。
「ほう……なかなかの胆力だ。確実な死を前にして、まだその口が利けるとはな」
その言葉を聞いた三獣士の表情が、一瞬だけ驚きに染まった。しかしすぐに、獰猛な笑みに変わる。
バフォメッドが獰猛な笑みを浮かべる。
まるで獲物を前にした肉食獣のような、危険な笑み。
「ならばこっちも容赦はせんぞ! おらぁぁぁ、死ねぇえええええええ!!」
巨大な脚で地を蹴り、地響きと共に、巨体に見合わぬ速さで、まるで巨岩が転がってくるような迫力でシャルロットに突進してくる。
だが―――
シャルロットは、迫りくるバフォメットを無視する。
正確には、視界には捉えながらも、攻撃対象として選ばなかった。
彼女の視線は、バフォメットの背後にいる、もう一体の巨獣――ヒポスを捉えていた。
「んあああ?」
ヒポスが間抜けな声を上げる。まさか自分が狙われているとは思ってもいないのだろう。
彼の動きは、他の二体に比べれば明らかに鈍重だった。
「まずは、一番動きの鈍そうな獣人からですわ!」
まとめてかかられては、一瞬で押し潰される。
生き残るためには、確実に数を減らすしかない。
そのためには、一体ずつ確実に仕留める。それが、シャルロットが導き出した、唯一の活路だった。
そう判断したシャルロットは、猛走の勢いそのままに身体を捻り、遠心力と体重、そして研ぎ澄まされた剣技の全てを乗せた渾身の一撃を、ヒポスの腹に叩きつけた。
聖剣ベルゲリューンが、白銀の軌跡を描く。
「え……?」
シャルロットが確かに切り裂いた、と確信したはずの腹部から、剣が滑った。
まるで、油を塗った岩に刃を当てたかのように、手応えがない。
勢い余ったシャルロットは、体勢を大きく崩してしまう。
そして、シャルロットの細い脚が、ぬめりとした感触と共に、ヒポスの巨大な手にしっかりと掴まれてしまった。
「お、おらの体はよぉ。分厚いだけじゃなくて、体液でぬるぬるしてんだなぁ。だから剣だろうが弓だろうが魔法だろうが、ぜーんぶ防いじまうんだぁ」
ヒポスの巨大な口から、大量の涎が滝のように流れ出す。
その目は、シャルロットを値踏みするように見下ろしていた。
「お、おら、人間ってまだ食ったことねーんだよなぁ。おめーみたいな、めんこい人間の女って、どんな味すんのかなぁ。さっそく確かめてみるとすっかなぁ!」
ヒポスはシャルロットを軽々と上空に放り投げた。まるで、子供が玩具を弄ぶように。
そして、巨大な口を大きく開け、涎を垂らしながら、シャルロットの落下を待ち構えている。
「いただきまーす!!」
「くっ!?」
シャルロットは空中で辛うじて体勢を立て直し、聖剣ベルゲリューンを振りかぶった。
落下する勢いを最大限に利用し、ヒポスの巨大な牙に剣を叩きつける。
金属と骨が激しくぶつかり合い、甲高い金属音が周囲に響き渡った。
その衝撃で、シャルロットの身体は大きく跳ね飛ばされ、辛うじてヒポスの捕食圏から脱出する。
だが、それはほんの一瞬の猶予に過ぎなかった。
「逃がしませんよ」
背後から、氷のように冷たい声が聞こえた。
(いつの間に!?)
シャルロットが振り返るよりも早く、背中に激しい衝撃が走った。
「かはっ!?」
肺の中の空気が全て吐き出され、視界が真っ白になる。
意識が遠のき、まるで深い水底に沈んでいくような感覚に襲われた。
辛うじて、背中に受けた激痛から、オーグが振るった木の棒が直撃したのだと理解するまでに、ほんの数秒の時間を要した。
吹き飛ばされた身体は、まるで木の葉のように地面を転がり、やがて力なく停止する。
「がはっ……」
地面に伏せたシャルロットは、口から鮮血を吐き出した。
鎧の隙間から砂が入り込み、擦り傷が痛む。全身が鉛のように重く、思うように動かない。
「困りますねぇ。逃げられるとでも? このオーグから逃れられる獣人はそうそういませんよ。イボイノシシ族の俊足、舐めないでいただきたい」
オーグはブヒブヒと得意げに豚鼻を鳴らしながら、手に持つ無骨な木の棒を掌で軽く叩く。
「お嬢ちゃんよぉ、もう諦めな。どんなに足掻いても、乗り越えられねぇ強さの壁ってもんがあるんだよ。それが、おめーと俺たち三獣士ってことだ。がはははははは!!」
バフォメッドが、地に伏したシャルロットに向かってゆっくりと歩み寄る。
巨大な足が地面を踏みしめるたび、地響きのような振動が周囲に伝わり、砂煙がもうもうと舞い上がった。
その巨体はまさに動く山塊のようで、絶望的なまでの体格差が、シャルロットに重くのしかかる。
「諦めろ……ですって?」
シャルロットは全身に走る激痛に顔を歪めながらも、何とか立ち上がろうと、震える手足に力を込めた。
体中の骨が悲鳴を上げ、筋肉は引き攣り、まるで全身を無数の針で刺されているかのようだ。
それでも、彼女は諦めなかった。
「勝てないからって、守るべき相手がいる状況で勝負から逃げるなんて……私にはできませんわ!」
シャルロットは渾身の力を振り絞って、よろめきながらも立ち上がる。
足元はふらつき、今にも倒れそうだったが、その瞳には、決して消えることのない強い光が宿っていた。
それは、逆境に屈しない、不屈の闘志の輝き。
「あの人は……おっしゃいました……」
掠れた声で、シャルロットは言葉を紡ぎ始めた。
それは、まるで心の奥底から絞り出すような、切実な言葉だった。
「……己の信じる道を、最後まで貫け、と……たとえ、それが茨の道であろうとも、後悔だけはするな、と……」
権蔵の、あの飄々とした、それでいてどこか達観したような表情が、シャルロットの脳裏に鮮やかに蘇る。
牢獄の中で、過去の武勇伝を語る合間に、ふと見せた真剣な眼差し。
その言葉は、シャルロットの心に深く刻み込まれていた。
「……私は、この街を、人々を守ると誓ったのです。騎士として、人間として……この身が朽ち果てようとも、その誓いを違えるわけにはいきません!」
シャルロットの言葉に、バフォメットは一層大きな笑い声を上げた。
「がはははは! 面白い! 死にかけの小娘が、まだそんな戯言を! ならば、その覚悟ごとその肉体、この俺がへし折ってくれるわ!」
バフォメッドは再び巨大な戦斧を構え、地響きを立てながらシャルロットに迫ろうとした。
その巨体から放たれる威圧感は、風圧となってシャルロットの肌を粟立たせるほどだった。
しかし、その瞬間、シャルロットの紫紺の瞳が、眩いほどの白銀色に変化した。
それは、まるで磨き上げられた鏡のように、周囲の光を反射し、見る者の目を奪うほどだった。
同時に、彼女の纏う空気が一変し、神聖とも言えるほどの威圧感が周囲に拡散していく。
(なんだこの目は……!? それに、この威圧感は……一体……!?)
バフォメッドは、その変化に一瞬動きを止めた。
本能が危険を告げている。
今まで感じたことのない、異質な力。
それは、彼のような強者でさえも、畏怖の念を抱かせるほどだった。
「それがどーしたっつーんだよぉ!!」
バフォメッドが振り下ろした戦斧は、大地を抉り、巨大なクレーターを作り出した。
土煙がもうもうと立ち込める。
しかし、その場にシャルロットの姿はどこにもない。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
そして、遅れてバフォメッドの腕から鮮血が噴き出した。
深々と刻まれた傷口から、赤い血がとめどなく流れ出す。
「な、なにぃいいいいい!? いつの間に……!? 一体何が……!?」
いつ斬られたのか、全く分からない。
バフォメットは自身の身に起こった事態を理解できず、深い混乱に陥っていた。
「あれぇ、なにやっとるだぁ。血ぃ、出とるどー」
ヒポスが、血を流すバフォメッドを心配そうに見下ろしていると、いつの間にか、彼の目の前にシャルロットが立っていた。
まるで、瞬間移動でもしたかのように。
「おほぉ、ごはんがまた来てくれたでねぇか!」
獲物を捉えた獣の目をして、涎を垂らしながら、シャルロットの腕を掴む。
「今度こそ、いただきまぁーーす!」
巨大な口を開け、シャルロットを頭から丸呑みにしようとした、まさにその時――
「あで?」
間抜けな声と共に、ヒポスの巨体が不自然に一回転し、顔面から地面に叩きつけられた。
轟音と地響きが周囲に響き渡る。
「いででででで……なにが起こっただぁ……あで? お、おらの指、指がぁああああ!!」
ヒポスの指は、ありえない方向にねじ曲がっていた。
見るも無残に骨折している。
何が起こったのか理解できないまま、ヒポスは激痛に悶え苦しんだ。
その直後、シャルロットは、信じられない速度で移動するオーグと、まるで並走しているかのように、隣に立っていた。
オーグでさえ、彼女の動きを目で追うのがやっとだ。
その速度は、風を切り裂く刃のようである。
「な、馬鹿な……速さで私と並ぶですとぉ!? そんなことがありえ……」
オーグの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
シャルロットが放った、流れるような上段蹴りが、彼の頭部に炸裂したのだ。
高速移動の勢いを乗せたその一撃は、凄まじい破壊力を生み出し、オーグの巨体を軽々と吹き飛ばした。
「がっ……!?」
オーグは成す術もなく地面を数回転がり、辛うじて起き上がったものの、意識は朦朧とし、膝をついて頭を左右に振っていた。
脳が激しく揺さぶられ、平衡感覚を失っているようだ。
「……ご心配なく。峰打ちですわ」
シャルロットはそう言って、優雅に微笑んだ。
その姿は、先程までの疲労困憊の様子からは想像もできないほど、凛として美しい。
静かに構えられた聖剣ベルゲリューンは、聖なる白い光を反射し、一層神々しく輝いている。
その場に居合わせた誰もが、彼女の変わり果てた戦いぶりに息を呑む。
それは、戦いというよりも、洗練された舞踊、あるいは神聖な儀式を見ているかのようだった。
研ぎ澄まされた剣技、無駄のない動き、そして、何よりも彼女から放たれる圧倒的な存在感は、見る者の心を奪い、畏怖の念を抱かせる。
「馬鹿な……こいつ、なぜ急に強くなったんだ……?」
バフォメッドは、信じられないものを見る目でシャルロットを見つめた。
先程までの傲慢な態度は影を潜め、代わりに、深い困惑と警戒の色がその顔に浮かんでいる。
(……一か八かの賭けでしたが、上手くいきましたわね)
シャルロットは静かに息を吐いた。
激しい運動で乱れた呼吸を整えている。
彼女がやったことは、ある意味単純なことだった。
『戦乙女の加護』の一点集中。
加護は、その効果範囲を広げるほど効果が薄くなり、逆に範囲を狭めるほど効果が高くなる、という特性を持つ能力付与のスキルだ。
シャルロットが試したのは、自身全体にかかっていた加護を、さらに肉体の個別の部位に一点集中するという、荒業だった。
それによって、加護を一点に集中させた部位――腕、脚、目、それぞれに、爆発的な強化をもたらすことが可能となったのだ。
腕力、脚力、動体視力、全てが常識を超えた領域にまで引き上げられた。
シャルロット自身、咄嗟に思いついたこの方法が、本当に上手くいくとは思っていなかった。
あまりにも危険な賭けだった。
しかし、彼女の天賦の才と、土壇場での機転が、不可能と思われたことを可能にしたのだ。
(でも、私の手足は……)
一点に集中させたことでかかる高負荷の加護によって、彼女の筋繊維は断裂寸前である。
骨も悲鳴を上げ、いつ砕け散ってもおかしくはない。まるで、綱渡りをしているかのような、極限状態だった。
だが、彼女はそれを表情に出さずに、毅然と振る舞った。
今は、その激痛を乗り越える精神力こそが、彼女の最大の武器でもあったからだ。
痛みと引き換えに得た力。
それは、まさに諸刃の剣である。
それからの戦いは、まさに死闘と呼ぶに相応しいものだった。
三獣士の繰り出す、攻防一体となった完璧な連携攻撃を、シャルロットは紙一重でいなし、そして斬りつける。
白銀の戦乙女の剣閃が、戦場を白く染め上げる。
しかし、その刃は、三獣士の屈強な肉体を完全に切り裂くには至らない。
それでも、確実にダメージは蓄積しており、彼らの動きにも徐々に疲労の色が見え始めていた。
激しい戦いの爪痕は、周囲の風景を無残に変えていた。
大地は巨大な爪痕によって抉られ、無数の亀裂が走り、かつては鬱蒼としていた木々は、まるで巨大な獣に蹂躙されたかのように、無残に薙ぎ倒されていた。
辺り一面には、土と焦げ付いた肉の入り混じった、鼻を突くような異臭が立ち込めている。
そして、激しい攻防が続く中、突如として三獣士の動きが一斉に止まった。
まるで、何かに気づいたかのように。
三獣士は、先程までの傲岸不遜な態度から一変し、厳粛な面持ちでシャルロットを見つめていた。
彼らの目に、明確な暖かい色が宿っている。
それは、先程までの余裕とは全く異なる、真剣な眼差しだった。
「お嬢ちゃん、いや……勇敢なるオルレアヌの戦士、シャルロットよ」
バフォメッドの口調が、先程までの粗野なものから一変し、重々しい敬意を帯びたものへと変わった。
その変化は、他の二人の獣人にも伝播し、場の空気が引き締まる。
「今までの無礼な態度、心よりお詫び申し上げる。そして改めて、魔王国のサバンナ地域を代表する我ら三獣士。戦士の誇りにかけて、全身全霊を持ってあんたと戦わせていただく」
バフォメットの言葉に呼応するように、ヒポスとオーグも静かに頷いた。
三体の巨躯が、シャルロットを三角形に囲むように配置につく。
その巨体から放たれる威圧感は凄まじく、まるで三体の巨人がそびえ立っているかのようだった。
風圧すら感じるほどの威圧感は、常人であれば立っていることさえ困難だろう。
だが、シャルロットもまた、その威圧に臆することなく、静かに闘志を燃やしていた。
瞳の奥には、燃え盛る炎のような強い光が宿っている。
「いいでしょう! そのお相手、喜んで務めさせていただきますわ!」
シャルロットは静かに、しかし力強く応じた。
その声には、一切の迷いも、恐れもない。
「いくぜ、これがサバンナの熱い風だ!」
バフォメッドの掛け声とともに、三体の獣人が、中心に位置するシャルロット目掛けて同時に突進してきた。
それは、一点に集中する奔流のようだった。
「トライアド・バースト!!」
三獣士による、完璧な連携攻撃。
三方向からの同時攻撃は、シャルロットに逃げ場を与えない。
彼女は咄嗟に防御のために加護を集中する。
だが、三体の巨体から放たれる圧倒的な圧力は、想像を遥かに超えていた。
「きゃあああああああああ!」
シャルロットの華奢な身体に、凄まじい圧力が一気にかかった。
骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。
内臓が押し潰されるような感覚に、シャルロットは悲鳴を上げた。
そして、一瞬の静寂。嵐が過ぎ去った後のように、静けさが訪れる。
シャルロットは、全身から血を流しながらも、膝をつくことはなかった。
鎧は歪み、あちこちが破損している。
それでも、彼女は立っていた。
彼女の騎士としての誇り、そして、背後にある人々を守らねばならないという強い使命感が、彼女を支えていた。
「すげえな……オルレアヌの戦士、シャルロット。これで膝をつかねぇとはな……」
バフォメッドが、感嘆の息を漏らす。
「んだ。おら、今日おめーと戦えて、ほんとよかっただ」
ヒポスも、素直な言葉でシャルロットを称賛した。
その巨体からは想像できないほど、純粋な感情が伝わってくる。
「要塞にいらっしゃるグリムフ様にお願いして出陣した甲斐がありました。まさかオルレアヌに、これほどの戦士がいようとは……敬服いたします」
オーグもまた、静かにシャルロットに敬意を表した。
その言葉には、皮肉や嘲りは一切含まれていなかった。
「そんな……グリムフはもう……レシア要塞に戻って……」
シャルロットの脳裏に、レシア要塞へ向かった騎士団の仲間たちの姿が鮮明に浮かんだ。
焦燥と不安が入り混じった表情、決死の覚悟を秘めた瞳。
彼らはいずれ、獣王グリムフと対峙することになるだろう。
獣王グリムフは、この三獣士よりも、おそらく、いや間違いなく圧倒的に強い。
魔族の中でも別格の力を持つと聞く。
彼らに、グリムフに敵うはずがない。おそらく、あっという間に、無慈悲な獣王の餌食と化してしまうだろう。
その考えが、シャルロットの心を氷のように冷たく締め付けた。
仲間たちに、この危険を伝え、無謀な作戦を止めることができなかった後悔。
そして、今、この街を守ることさえできそうにないという絶望。
二つの後悔が、彼女の中で激しく渦巻き、まるで心臓を握り潰されるような痛みを引き起こした。
「ああ、もしかしてあんたの軍のやつら、レシア要塞に向かったのか? そりゃあ、グリムフの旦那相手だときついかもなぁ。ま、心配すんな。あんたの仲間の亡骸は、ちゃんと大地に埋めて弔ってやるからよ。ま、あんたと俺たち、誇り高き戦士のよしみってことでな」
バフォメッドの言葉は、シャルロットの心をさらに深く抉った。
彼なりの、ある意味での優しさとも取れる言葉。
しかし、それはシャルロットにとって、残酷な現実を突きつける鋭い刃となった。
仲間たちの死を、まるで既定事実のように語る言葉は、彼女の希望を容赦なく打ち砕く。
(残酷なことをおっしゃいますわね……でも、魔族の中にも……誇り高くて、このような……ある意味、優しい心を持つ者もいるのですね……もし、私たちが生まれる場所が違っていたら……もし、出会う状況が違っていたら……互いに剣を交えることなく、杯を酌み交わし、友として、夜を徹して語り合えたかもしれませんね……)
そんな、叶うはずもない空想が、シャルロットの脳裏をよぎった。
しかし、すぐに現実へと引き戻される。
迫りくる死の影。彼女は静かに目を閉じ、覚悟を決めた。
(お父様、お母様、お祖父様、ジュリアン……ごめんなさい。私、もう……ここまでですわ……)
愛する家族の顔が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
温かい記憶が、冷たい絶望の中で、僅かな慰めとなった。
(勇者ロジェル……私、騎士として、勇者に恥じない立派な騎士でしたでしょうか……? そして、権蔵様……約束のお酒、ご馳走できなくて……本当に、申し訳ありません……唐揚げ……また……食べたかったですわ……)
尊敬する英雄、そして、牢獄で邂逅した不思議な男。
彼と交わした約束を、とうとう果たすことができなかったという後悔の念が、シャルロットの胸を締め付けた。
もし、もう少し時間があれば……もし、もう少し力があれば……。
そんな「もしも」が、彼女の心を容赦なく苛んだ。
しかし、それもまた、もうすぐ終わる。
彼女の意識は、まるで夕闇が空を覆い尽くしていくように、ゆっくりと、確実に暗闇へと沈んでいった。
その静寂を、轟音が切り裂いた。
ドカーン!!
街の一角から、突如として大地を揺るがすような爆発音が轟き渡ったのだ。
それまで静かに死を待っていたシャルロットの意識も、その衝撃で辛うじて繋ぎ止められた。
「なんだぁ? あれは……一体何が起こった!?」
バフォメッドは振り上げていた巨大な戦斧を一旦下ろし、爆発が起こった方向を睨みつける。
「あ、あではなんだぁ……?」
ヒポスが、丸い目をさらに大きく見開いた先に、爆発音と共に獣人の兵士たちが、まるで打ち上げ花火のように空高く舞い上がっていく光景があった。
それは、あまりにも非現実的な光景で、ヒポスは言葉を失っている。
「む……あれは、間違いなく我々の兵ではないですか。一体、何が起こっているというのですか……?」
オーグも、冷静さを失い、いつもの心配性らしい表情を浮かべた。
彼の鋭い眼光は、爆発が起こった方向をじっと見つめている。
何かが、尋常ではない何かが起こっている。
そう、彼の本能が告げていた。
すると、街の奥側、すなわち三獣士たちのいる方向に向かって、次々と爆発音が響き始めた。
同時に、上空に吹き飛ばされる兵士たちの姿が、まるで連鎖爆発のように続いている。
そして、爆発と獣人の兵士たちの飛散と共に、何かの巨大な存在が、こちらに向かって近づいてくるのが分かった。
それは、単なる爆発や衝撃だけでは説明できない、圧倒的な「何か」だった。
その近づくにつれて、地響きが増し、空気の震えが激しくなっていく。
それは、まるで嵐の到来を告げる前触れのようだった。
そして、その嵐の中心から、一人の男が現れた。
鮮やかな深紅のマントを風になびかせ、その肥満体型を揺らしながら、悠然と姿を現したのだ。
爆風と土煙をものともせず、まるで舞台役者のように、劇的な登場だった。
(まさか、あれは……?)
シャルロットは、信じられない光景を目の当たりにし、息を呑んだ。
厚く垂れ込めていた雲が、まるで舞台の幕が上がるかのようにゆっくりと流れ、その切れ間から一条の太陽の光が差し込んだ。
その神々しい光の逆光の中に、紛れもなく、あの男が立っていた。
紛れもない、あの姿。
「権蔵……さま……」
シャルロットは、思わずその名を小さく呟く。
それは、驚愕と安堵、そして僅かな希望が入り混じった、震えるような声だった。
彼女の目の前に颯爽と現れた男。それは、彼女が幼い頃から幾度となく読み返してきた英雄譚の中に登場する、勇者そのものと言っても過言ではない、劇的な現れ方だった。
風になびく深紅のマントは、まるで夕焼け空に燃え盛る炎のように激しく揺らめき、逆光に照らされたその見事に磨き上げられたかのような禿げ上がった頭部は、テカテカと光り輝き、不思議な神々しさすら帯びている。
その姿は、まさに絶望の淵に立たされ、最早これまでかと諦めかけていた彼女にとって、暗闇を切り裂く一筋の光明、まさに救世主の降臨と言える奇跡的な光景だった。
張り詰めていた糸がプツリと切れたように、シャルロットは安堵からか、あるいは力の糸が切れたか、ようやく、その膝を力なく地面についた。