美少年ハーレムを作りたい!! ~モブおじだけど転生したらチート勇者でした。なので盗賊になって好き勝手に生きることにしました~ 作:とけそうだら
「権蔵さま……」
シャルロットの胸中で、感情の濁流が奔り出した。
振り下ろされようとしていた獣人の巨大な斧が、今まさに彼女の命を刈り取ろうと向けられた、まさにその寸前――その巨躯が陽光を背に現れたのだ。
絶望の淵に突き落とされた直後、突如として現れた希望の光。
それは、暗闇の中で一筋の月光を見つけた時のように、彼女の心を激しく揺さぶった。
(まさか……本当に、物語の中の勇者のように現れるなんて……!)
背後から差し込む朝日が権蔵の巨体を黄金に縁取る。
ズボンのベルトが「ギィィ」と悲鳴を上げ、腹の肉が波打つたびに、どこからともなく酒の匂いが漂ってくる。
それでもシャルロットの目には、古びた英雄譚に描かれた「黄昏の勇者」の挿絵と重なって見えた。
「……ちッ!」
三獣士は、まるで猛獣に睨まれた猫のように背を丸め、一斉に後ずさる。
権蔵の放つ異様な威圧感が、野生で生き抜いてきた彼らの本能に、危険を告げる警鐘を打ち鳴らしていた。
(私を……助けにきてくれたのですか?)
シャルロットがそう思った瞬間、権蔵は緩慢と、しかし確固たる足取りで、彼女の方へ歩み寄ってきた。
それは、囚われの姫を救い出すために現れた、白馬の騎士そのものだ。
(……本当に……もう、全て終わりだと思ったのに……)
安堵と感謝の涙が、シャルロットの瞳から星屑のように溢れ出した。
目の前の男が真の勇者なのか、ただの無謀な酔っ払いなのか、彼女にはまだわからない。
それでも、三獣士の巨躯を前に、微塵も臆することなく仁王立ちするその姿は、凡人の域を遥かに超えている。
その姿は、消えかけていた彼女の心に、かすかな希望の灯を再び灯し、瀕死の身体を辛うじて動かす力となった。
シャルロットは震える声で手を伸ばし、問いかける。
「あの……どうして……ここに来てくださったのですか……?」
その声はかすかに震え、まるで風に揺れる蜘蛛の糸のように儚く、それでいて必死に何かを掴もうとする意志が込められていた。
彼女の瞳には、一縷の希望が灯り、切実な願いが宿っている。
どうか、この手を取って、優しい声で「お前を助けに来たんだ」と言ってほしい――そう願っていた。
かつて物語で読んだ、強くて優しい勇者ロジェルのように。
彼はどんな絶体絶命の状況でも、決して諦めず、弱き者を救うために現れる。
その姿は、幼い頃からシャルロットの心に深く刻まれ、彼女にとっての「英雄」の象徴だった。
今、目の前に立つ権蔵の姿は、確かにロジェルとは違う。
酒臭く、だらしなく、どこか頼りない。
それでも、彼が現れた瞬間、三獣士が後ずさりしたのは事実だ。その威圧感は本物だった。
(もしかしたら……この人こそが、私を救ってくれる人なのかもしれない……)
その思いが頭を駆け抜けると同時に、シャルロットの心臓は高鳴り、鼓動が耳元で響き渡った。
まるで戦場の太鼓のように、その音は彼女の全身を震わせる。
震える指先が、権蔵の肌に触れそうになる――その瞬間、彼女の願いが通じるかどうか、全てがかかっていた。
ずん、ずん、ずん、ずん、ずん……
しかし、権蔵はシャルロットを一瞥することなく、まるで最初から視界に入っていないかのように素通りする。
「え……? なに……? 通り過ぎて……え?」
彼女の伸ばした手は、宙で所在なく彷徨う。
その手は、まるで何も掴めないまま、空気を掴むように虚しく動いた。
「おう……おう……おう……おう……おう……!」
困惑の色を隠せないシャルロットが見つめる中、酒瓶を右手に抱えた権蔵は重々しく、しかし着実に、三獣士の方へ歩み寄った。
その足跡は、まるで巨大な獣が通った跡のように、街の奥から続く破壊の道を生々しく物語っていた。
倒壊した建物、吹き飛ばされた兵士たちの無残な姿、そして、今もなお燻り続ける炎。
得体の知れない謎の男の出現に、三獣士は明らかに動揺し始めた。
先程までの圧倒的な強者の威圧は見る影もなく、代わりに、焦燥と困惑、そして隠しきれない畏怖の念が、彼らの顔に色濃く浮かび上がっている。
「おー、おぬしらかぁ! 街で暴れとる阿呆どもは!!」
権蔵は、酔っ払いが独り言を言うように、間の抜けた声で獣人たちに文句を言い始めた。
「なんだこの酔っ払いは。なぜ俺たちを前にしてびびんねーんだ……?」
バフォメットが、信じられないものを見る目で権蔵を見つめた。
その表情は、侮蔑と困惑が入り混じっていたが、その奥には、明確な警戒と、僅かな恐怖の色が潜んでいた。
「この肥満体の、劣化オークのような見た目の男が……? 我らの兵士を……? そんなはず……あり得ない……?」
オーグは冷静さを完全に失い、狼狽した様子で呟いた。
彼の知的な顔には、深い皺が刻まれ、脂汗が滲んでいる。
「ううううううう………………」
ヒポスに至っては、言葉を発することすらできず、ただただ、権蔵の姿を呆然と見上げているだけだった。
その大きな口からは、大量の涎がとめどなく流れ落ちていた。
そのような獣人たちの警戒を嘲笑うように権蔵は千鳥足で近づく。
獰猛で巨大な獣人と腹の出た酔いどれ中年男の対峙――そんな不釣り合いな構図が、街の廃墟に浮かび上がった。
「な、なんだてめぇ! 三獣士様にケンカ売ろうってのかよ!」
バフォメットの喉笛が震えた。
彼が担ぎ上げた戦斧は権蔵の身長を超える巨体で、刃にこびりついた血痕が鈍く光る。
「おーう!! 喧嘩だぁ!!」
突然の、地響きのような大声に、獣人たちの長い耳がぴくりと警戒するように反り返る。
そして酒臭い吐息が、三獣士の嗅覚を苛んだ。
権蔵が悲しそうに酔眼を伏せる。
「おぬしらよぉ……人様に迷惑をさんざんかけおって……」
その呟きに、オーグの目は泳ぎ、バフォメットの角がギシリと軋む。
朝日が権蔵の巨体を鈍色に染め、彼の影が三獣士を貪り食うように覆い尽くした。
影の中から、ヒポスの涎が滴り落ちる音が不気味に響く。
「暴れるなら……わしが寝てねえ時にしろっての!」
「はぁ……?」
権蔵の言葉の意味が理解できず、獣人たちは完全に思考停止に陥っている。
「え……ええっ!?」
そしてシャルロットの頭の中も、まるで嵐に巻き込まれたかのように混乱していた。
彼女の思考はぐるぐると渦を巻き、権蔵の言葉の意味を理解しようと必死にもがく。
しかし、その言葉はまるで謎の呪文のようで、彼女の心にすっと入ってこない。
(権蔵さまは、私を救いに……この街を救いに来てくださったのでは……?)
かすかな期待が胸の奥で灯火のように揺れていた。
しかし、権蔵の言葉は、その儚い光を容赦なく吹き消した。
彼はまるで、街の危機など知ったことかと言わんばかり。
いや、むしろ、至福の眠りを邪魔されたことに、底知れぬ怒りを滾らせているようにさえ見える。
(一体……何が……? もしかして……権蔵様の行動には何か深い意味が隠されて……?)
「お、おい……このおっさんは一体……?」
獣人たちは困惑し、互いに顔を見合わせる。
「おぬしらが街で暴れようが、わしには関係ない。好きにすればよい。じゃがのー……」
権蔵はゆっくりと、しかし確実に拳を握りしめる。
その拳は、見た目からは想像もつかないほどの重厚さを帯び、まるで内に巨大な魔力を封じ込めているかのような禍々しい気配を纏っていた。
戦いが始まりそうな緊迫した空気に、シャルロットは思わず息を呑んだ。
しかし、権蔵の次の言葉を聞いて、彼女は一気に拍子抜けしてしまった。
「わしはな、夢を見ておったんじゃ。それはもう、かわいらしい美少年たちとの、至福のティータイムじゃった。陽光が降り注ぐテラスで、小鳥のさえずりをBGMに、芳醇な紅茶の香りが鼻腔をくすぐり、『権蔵おじさま、この特製いちごタルトをあ~んしてあげるね♪』なんて、それはもう……天にも昇る心地じゃったのにのぉ……ちっきしょー! このわしの、薔薇色の夢を、無慈悲にも木っ端微塵に粉砕しおって……許せん! 断じて、許せんのじゃぁぁぁ!」
「んあ?? んあああ??」
その意味不明かつ危険極まりない妄想全開の言葉に、獣人たちの思考回路は完全にショート寸前だった。
彼らの脳内では、緊急回線切断が行われ、エラーメッセージがけたたましく点滅している。
そんな獣人たちを全く意に介さず、権蔵はふらふらと揺れながら、ニヤッと不敵な笑みを浮かべ、三人を見据えた。
「それにしても、おぬしら。『三獣士』などと、よくもまぁ恥ずかしげもなく名乗っておるのう。大した自信じゃ。まるでガキのごっこ遊びじゃねぇか……んっ?」
その言葉に、三人の獣人の眉がぴくりと動いた。
特に、普段は冷静沈着を装っているオーグの額に、青筋が浮かび上がっているのが見て取れる。
ヒポスに至っては、涎を垂らしながらも、その奥の小さな瞳に怒りの炎を宿していた。
「おい、おっさん……。それって……どういう意味だよ」
バフォメッドが、普段の野太い声とは裏腹に、氷点下まで冷え込んだ声で尋ねた。
その声音から、彼が今、どれほどの怒りを堪えているのかが、シャルロットにもひしひしと伝わってくる。
「ぷっ! げへへへへ、笑止千万でちゃんちゃらおかしいわ! 見ろ、この悲惨な面子! 発情期の暴れ牛に、口臭が凶器レベルのカバ、そして、ブヒブヒとけたたましく喚き散らす豚野郎! こんなん、辺境の寂れた移動動物園でも、閉園間際の在庫一掃セールで投げ売りされておるレベルじゃわい! いや、もっと酷い! 腐肉の詰め合わせ、いや、腐肉のバーゲンセール福袋セットと言った方が、まだマシかもしれん!」
権蔵は、これでもかとばかりに馬鹿にした笑い声を上げながら、獣人たちを指さし、さらに追い打ちをかけるように、彼らのことを貶し続ける。
「よーしよし、これは特別大サービスじゃ! 情けで、おぬしらにもっと、お似合いの、最高の二つ名を考えて、授けてやろう。ありがたく頂戴するが良い! 今日この日から、おぬしらの名は……『三大ドジッ獣(スリー・マヌケッツ)』じゃ!」
その言葉に、獣人たちは絶句する。
シャルロットは、絶望のあまり意識が遠ざかりそうになるのを必死に堪える。
(この方は……一体、何を仰っているのですか……?)
「いやー、我ながら、このネーミングセンスも、さすがはわし! 神がかっとるわぁ~。お礼はいらんぞ? ……まぁ、そうじゃなぁ……上等な酒を差し入れてくれるってんなら、ほんのちょびっとだけ、その感謝の気持ち受け取ってやらんでもないがのう! ぐへへへ!」
権蔵は、ふにゃりとした指先を、まるで虫を払うかのように、バフォメットの胸にちょんと触れた。
その瞬間、バフォメットの脳髄にマグマが噴き出すような、煮えたぎる怒りの業火が、文字通り脳天を突き抜けるほどに猛烈な勢いで駆け巡る。
彼の全身の毛が逆立ち、口からは獣のような唸り声が漏れ出し、その目は完全に血走っていた。
「てめぇこの臭っせぇじじィィィ! どこのドブ川から這い上がってきた腐れ蛆虫が、誰に口をきいとんだごらぁあああああ!」
極太の血管が浮き出た巨腕から、怒りの咆哮と共に放たれたのは、権蔵の額を狙った渾身の横薙ぎの一撃――
否、もはやそれは一撃などという生易しいものではなく、城塞をも砕く、文字通り破城槌に匹敵するほどの破壊力を秘めた、怒りの奔流だった。
「きゃああっ!」
シャルロットの悲鳴が、街に木霊する。
怒りの鉄槌を受けた権蔵は、まるで風に舞う木の葉のように吹き飛ばされ、彼女の足元に力なく転がり込んでくる。
「権蔵さま! ご無事ですか!?」
冷や汗が額を伝うのを拭う間もなく、、シャルロットは動かない権蔵に這い寄った。
震える手が、その巨体にそっと、恐る恐る触れた。
「権蔵さま! 権蔵さま!」
必死の呼びかけにも、返事はなかった。
先ほどまで豪快に笑い、地を揺るがすような咆哮を上げていた男が、今はまるで抜け殻のようにぴくりとも動かない。
その生気を失ったあまりにも無防備な姿に、シャルロットの心臓は氷でできたナイフで突き刺されたように凍り付いた。
あの、鬼神の一撃としか言いようのない、凄まじい衝撃をまともに受けたのだ。
例え、数々の武勇伝を持つ伝説の勇者であったとしても、無傷で済むはずがない。
ましてや目の前の男は、どう見てもただの、腹の出た酒浸りの冴えない中年男なのだ。
「そんな……こんな結末になるなんて……」
それは、彼女の胸の奥底にかろうじて灯っていた、小さな希望の火を容赦なく吹き消す、漆黒の絶望の光景だった。
権蔵の巨躯が崩れ落ち、二度と動かない姿。鮮血に濡れた地面。虚空を見つめる、生気のない瞳。
それらは、彼女の心に、後悔と自責の念という名の重い楔を打ち込み、絶望という名の黒い絵の具で塗りつぶしていく。
その想像は、シャルロットの心臓を、冷たい鉄塊で文字通り握り潰されたように締め付け、全身を北極の氷の下に閉じ込められたように凍てつかせた。
呼吸は浅く、思考は停止し、意識さえも遠のいていく。
彼女はまるで、魂だけが抜け殻に残された、虚ろな人形のようだった。
「ううっ……うう……」
堪えきれなくなった涙が、大粒の雨となって頬を容赦なく濡らしていく。
彼女はただ、押し殺したような嗚咽を漏らしながら、冷たく、ずっしりと重い権蔵の身体を、まるで壊れ物を扱うように、そっと抱きしめていた。
(ああ……私は……なぜ……彼を止めなかったの……)
今更、自分の愚かな行動や軽率な判断を後悔しても、もう全てが遅い。
彼女は、取り返しのつかない、とんでもない過ちを犯してしまった。
取り返しのつかない、大切なものを失ってしまったのだ。
(せめて……せめて、私も……私も一緒に、あの世へ……)
シャルロットは、まるで最後の砦に縋り付くように、その巨体に祈るように、ぎゅっと、強く、強く抱きしめた。
その時、張り詰めた静寂を、微かに、しかし確かに打ち破る音が彼女の耳に届く。
それは、か細く、しかし確かな生命の息吹を伝えるような音だった。
「んー……ふがー……んごー……! すー……ぴー……んごー……!」
先ほどまでの激しい衝突が嘘だったかのように、権蔵は酒臭い寝息を立てていた。
まるで、昼下がりの縁側で日向ぼっこをしている猫のように、ぐっすりと眠りこけている。
それも、涎を垂らしながら。
「えぇっ!? ……寝てるだけ!? あ、あの一撃を受けて、無傷……どころか、ぐっすり眠ってるですの!?」
シャルロットの手に付いた、権蔵の血だと思っていた液体が、よく見るとただの安っぽい赤ワインだったことに気づいた瞬間、彼女の思考は完全に停止した。
目は完全に点になり、口はあんぐりと開いたまま固まっている。
常人ならば即死、おそらくは屈強な歴戦の勇者であっても重傷は免れないはずの一撃を受けて、この有様。
しかも、どう見ても鍛えているようには見えない、ただの腹の出た酔っ払いが。
(なんですの、この方は……? ただの酔っ払い……? 伝説の勇者……? ……それとも、得体の知れない何か別の……?)
彼女の思考は、巨大な混乱の渦に文字通り飲み込まれていく。
目の前の光景は、まるで現実離れしていて、信じがたい。
まるで、変な夢を見ているかのようだった。
(でも、今はそんなことを考えている場合じゃありませんわ!)
必死に意識を集中させ、気を確かに保とうとした。
戦いはまだ終わっていないのだから。
「権蔵さまっ! お願いです、起きてくださいましっ!」
シャルロットは、必死の思いで権蔵の巨体を揺さぶる。
力を込めて、何度も何度も、まるで、巨大な岩を動かそうとする蟻のように。
「むにゃむにゃ……ん?」
ようやく、権蔵は重たい瞼を持ち上げた。
酒臭い息を盛大に吐き出しながら、焦点の定まらない、ぼんやりとした目でシャルロットを見つめている。
「はて、誰じゃお嬢ちゃんは? ここはどこじゃ? それに、なんでわしの名を知っとるんじゃ?」
「まさか、私のことをお忘れですの? あれほど深いお話をさせていただいたのに……お友達になれたと思っていたのに……ひどいですわ!」
シャルロットの声には、呆れと僅かな怒りが混ざっていた。
まるで、大切な宝物を忘れてしまった子供のような、少し拗ねた口調だった。
一方、三獣士たちは、この信じがたい光景を目の当たりにして、完全に石像と化していた。
彼らの顔からは、先程までの怒り、そして威圧感は跡形もなく消え失せ、代わりに、深い困惑と、底知れない恐怖、そして「一体何が起こった?」という疑問が入り混じった、まるで異次元の狭間に迷い込んでしまったかのような表情が浮かんでいる。
「バ、バフォメッドさん......先ほどのは......その......手加減などはされました? 私も街の人間はなるべく殺さないようにとは言いましたが......?」
オーグが、まるで壊れた人形のようなぎこちない口調でバフォメッドに問いかけた。
「......バ、バカ言うなよ! 頭に血が上った俺が、手加減なんてできるわけねーよ! それにしてもあいつの頭硬ってぇえええな! こんなに手が痺れるのは生まれて初めてだぜ……」
バフォメッドは苛立たしげに自身の愛用する戦斧を確認する。
と、武器が悲鳴を上げるようにビキビキと音を立てる。
「げっ!? ウソだろマジで!? 俺様の愛斧『グランド・デストロイヤー』が......土くれみたいに.....!」
かつて城壁すら一刀両断にしたはずの戦斧が、無残にもバラバラに砕け散り、塵となって吹き抜ける風とともに飛んでいく。
「うぃー、おーそうじゃったそうじゃった。わしはおぬしらにお仕置きするためにここに来たんじゃった」
その時、権蔵がゆっくりと立ち上がった。
まるで、酔っ払いが夜の街を彷徨っているかのように、ふらふらと歩き出す。
しかし、その背後には、重苦しい空気が渦巻いていた。
まるで、嵐の前の静けさのように。
「三大ドジッ獣(スリー・マヌケッツ)どもを片付けてわしはまたゆるりと酒でも……おぅふ!?」
権蔵は突然、頭を抱えて前かがみになった。
その巨体がぐらりと傾き、まるで今にも倒れそうだ。
「ああ、やはり……ダメージがまだ残って……」
シャルロットは思わず口元を押さえた。
彼女の胸に、不安がよぎる。
あのバフォメットの一撃は、尋常ではない威力だった。
たとえ権蔵が平然を装っていても、ダメージは確実に蓄積しているに違いない。
「よくわかんねーけど、これってチャンスってやつだべ!」
ヒポスが涎を垂らしながら、大きな口を開けて権蔵に向かって突進した。
その目は、獲物を狙う獣のように獰猛で、光を宿している。
「こいつが、つ、強くても口に入れちまえば同じだべ! お尻が丸々太ってうまそうだ。いただきまぁーす!」
ヒポスは、迷うことなく権蔵の巨大な尻に噛みついた。
鈍い音が響き、布地が引き裂かれる音がする。
「決まりですね! ヒポスさんの噛む力はサバンナ随一。彼が口に入れたらもう離すことなどできませんし、それに彼の咬合力で砕けなかったものなど一つも―――」
オーグが、勝利を確信したように呟いた、まさにその瞬間―――
ブオォォォォォォォォォォォ!!
権蔵の尻から、爆音と共に強烈な屁が炸裂する。
それは、腐った卵と硫黄を混ぜたような、想像を絶する悪臭だった。
「おげぇええええええ!! くせぇ! くせぇだぁああああ!!」
ヒポスは悲鳴を上げながら、地面を転げ回る。
涙と鼻水が混じり合い、涎が垂れ流されるその姿は、もはや悲惨の極みだ。
「ヒポスさんがっ!? バフォメットさん、助けに入りますよ!」
「っ!? おうよ!」
権蔵に追撃される危険を感じたオーグが、焦燥の色を浮かべながらバフォメッドに声をかけた。
同時に、自らも権蔵に向かって高速移動を開始する。
まずはバフォメットが、巨大な角を槍のように構え、権蔵の顔面を突こうとした、その時。
「おえぇえええええええ!!」
権蔵が、今度は大量の胃の内容物を、バフォメットの顔面に盛大にぶちまけた。
先程の屁の比ではない、強烈な吐瀉物の匂いが、周囲に充満する。
それは、未消化の肉や野菜などが無残に混ざった、見るもおぞましい光景だった。
「うぐあぁああああああ、くせぇええええええ!!」
バフォメッドは、悲鳴のような叫び声を上げながら、よろめきながら後ずさった。
顔面を覆う吐瀉物を、必死に拭おうとしている。
バフォメッドが大きくのけ反る中、オーグが背後から権蔵に、自慢の棍棒による渾身の一撃を加えようとした。
彼の棍棒は、唸りを上げ、風を切る音を立てて権蔵に迫る。
「その太った身体では、このスピードについてこれま……」
オーグがそう言い切る前に―――
「うぃーーーーーっ!」
権蔵が、振り返りざまに、太い腕を横薙ぎに振るった。
それは、まるで巨大な熊が爪を振り下ろすかのような、豪快で容赦のない一撃。
オーグの首筋に、その太い腕は寸分違わず、完璧に、そして容赦なく直撃した。
「うぼぁっ!?」
オーグは、悲鳴ともうめき声ともつかない奇声を発しながら、体を回転させながらひっくり返った。
頭を地面に激しく打ち付け、その衝撃で全身が痙攣するように震え、脚をバタバタと不規則に動かしている。
口からは泡が吹き出し、目は虚ろになり、焦点の合わない瞳は虚空をさまよっていた。
「おーし、吐いたら少し酔いが覚めてきたぞぉ。これでちっとは元気が出てきたわい」
赤いマントが、街に吹く風を受けてはためいた。
その隙間から、ヒポスに無残に引き裂かれたズボン越しに、中年のだらしない尻が露出する。
権蔵は、それに少しも気にも留めず、ぺちぺちと自身の尻を叩いた。
「これは……どういう戦いですの……」
シャルロットは、自分の目を何度も疑った。
いや、目を疑うどころか、この状況が現実なのかすら怪しく思えた。
オルレアヌの騎士団長として数々の戦場を駆け抜けてきた彼女だが、目の前で繰り広げられる光景は、もはや戦いと呼べるようなものですらなかった。
「うがーーーーーー! 目が! 目がぁああっ!」
「ぎゃああああっ! な、なんだべこの臭いいいいっ!?」
「うげげげげげげげ!」
バフォメット、ヒポス、オーグ。
一人で一軍に匹敵するほどの、威風堂々たるグリムフ配下の実力者たちが、今や地面を這いずり回りながら、苦悶の叫びを上げている。
彼らをここまで貶めたのは、先日まで牢屋で大の字で寝ていた、勇者を自称する男、権蔵であった。
「本当にすごいですわ……」
シャルロットが幼い頃から読み親しんだ英雄譚に出てくるような、剣と魔法が火花を散らす華麗な一騎打ちなど、そこには微塵も存在しなかった。
だが三獣士を赤子をあやすように、文字通り手玉に取る権蔵の圧倒的な強さを目の当たりにして、シャルロットはもはや彼をただの中年男だと思うことはできなかった。
「うーむ、しかし、どうにも元気が出んのぉ。これはもう一杯、いや二、三杯おかわりといこうか」
権蔵はそう呟くと、手に持った酒瓶をぐびぐびと煽った。
安酒特有の、鼻腔を刺激するアルコール臭が、戦場の血腥い臭いをかき消していく。
その光景は、戦場の緊迫感を完全に無視しており、ある意味で異様な光景だった。
その時、背後から二つの足音が近づいてきた。
一つは軽快な足取りで、まるで子犬が駆け回るよう。
もう一つは、地響きこそ上げないものの、地面を強く踏みしめる、怒りを押し殺したような重い足音だった。
シャルロットが振り返ると、そこにいたのは、鮮やかな赤い髪を跳ねさせたメイド服姿の人形のような少年。
そして金色の巻き毛を暴れる子馬の鬣のように揺らし、今にも泣き出しそうな、しかし蒼い瞳の奥に怒りの炎を宿した、見慣れた顔だった。
「ジュリアン!?」
シャルロットが思わず名前を呼ぶ。
間違いなく、彼女の愛しい弟、ジュリアンだった。
その顔は、普段の愛らしさとは裏腹に、鬼のような形相で歪んでいる。
「うおぉぉおおおおい! ごんぞぉおおおー!!」
権蔵が「ぷはぁ!ああ、やはり、寝覚めの一献は五臓六腑に染み渡るわい!」と、満足げに目を細めた、まさにその瞬間。
煮えたぎる怒りを込めたジュリアンの渾身の蹴りが、権蔵の股間に、文字通り、吸い込まれるように炸裂した。
「っっ!? おぼぁあああああ!?」
これまで、どんな攻撃を受けても涼しい顔を崩さなかった権蔵が、初めて、心底からの断末魔の悲鳴を上げた。
両手で股間を必死に抑え、悶絶しながら、まるで崩れ落ちる巨木のように、地面に膝をつく。
その顔は、脂汗と我慢汁と、うっすらと浮かんだ涙で、ぐちゃぐちゃになっており、見る影もない。
先程までの豪快さはどこへやら、今や、風前の灯火のような状態だった。
「貴様! 大切な仲間を置いて、勝手に、一体どこへ行っていたんだ! あれほど、口が酸っぱくなるほど、単独行動は慎めと言ったのに! また、ろくでもない、とんでもない、ありえないことをしでかしたんじゃないだろうな! 一体何を企んでいるんだ! 言ってみろ!」
ジュリアンは怒りのあまり、小刻みに震える手で、権蔵の胸倉を掴んで、これでもかとばかりに激しく揺さぶる。
権蔵は、完全に白目を剥き、完全に放心状態でされるがままになっている。
その様子は、まるで、打ち上げられた巨大な魚のようだ。
「あれれ? お姉さん、血がいっぱいで、酷い怪我ですね! これは大変です! とりあえず、応急処置をしときますね♪」
赤い髪のメイド少年は、シャルロットに近づくと、小さな手をかざした。
すると、シャルロットの傷が、まるで巻き戻し映像のようにみるみるうちに塞がっていく。
「これはまさか……ホーリーヒール!?」
シャルロットは、その光景に目を見開いた。
ホーリーヒールは、オルレアヌ王国でも数えるほどしか習得者がいない、超高難易度の上級回復魔法。
それを、こんな幼い少年が、いとも容易く使いこなしている。一体、何者なのだろうか?
シャルロットは完治した体を確かめると、まだ権蔵を振り回すジュリアンの元へ、静かに、しかし威厳に満ちた足取りで近づいていった。
そして、その荒れる手を慈愛と威圧を兼ね備えた力で制した。
「およしなさい、ジュリアン」
その声は、真冬の氷柱のように冴え渡り、同時に刀剣のように鋭い。
先程まで獅子奮迅の形相だったジュリアンの顔から、みるみる血の気が失せていく。
まるで猛禽に睨まれた小鳥のように。
「お、お姉様……どうして……ここに……?」
ジュリアンは完全に萎縮し、尻尾を巻いた子犬さながらに震えながら、蚊の鳴くような声を絞り出した。
「あなたこそ、どうしてここにいるのですか? ジュリアン」
シャルロットの声は、普段の優しさを欠片も感じさせない、冷たいまでの静けさを湛えていた。
それは、叱責というよりも、詰問に近い響きだった。
「従騎士は全員、王城での待機を命じたはずですが? それとも、私の命令が聞こえなかったとでも?」
その氷のような視線に射抜かれ、ジュリアンはまるで水から上げられた魚のように、口をパクパクとさせるばかり。
額から流れ落ちる冷や汗が、首筋を伝って鎧の中に染み込んでいく。
「あ~、それはぼくが説明しますね!」
赤い髪の少年が、まるで花畑を飛び回る蝶のように、軽やかに二人の間に割り込んでくる。
「ジュリアンくんはなんとっ! ぼくたちが、この世界で一番大好きな勇者さまの、新しいお友達になっちゃったから一緒にいるんですよ~♪」
「勇者の、友達、ですって?」
シャルロットの眉が、わずかに持ち上がる。
その横で、ジュリアンが顔を真っ赤にしながら「カイト! 私はそんなんじゃない!」と抗議する。
「えへへへ、ジュリアンくん。そんなに照れなくてもいいんですよ?♪」
カイトと呼ばれた少年は両手を大きく広げ、まるで劇場の一座でも演じるかのように声を張り上げる。
「じゃあ、みんなに大発表します!! ここに倒れて地面とお話してるこの御方こそ! ドルテナの主にして、数々の伝説を持つ生ける英雄! 勇者・権蔵さま、その人なのであります!♪」
カイトが 大袈裟に指差した先には――なんとも情けないことに、いまだに股間を押さえてうずくまる中年男の姿があった。
その姿は英雄どころか、昨晩の二日酔いをこじらせた酒場の常連客そのものだ。
「権蔵様が……勇者?」
「あ、もしかしてお姉さん疑ってますか! うんうん、でもその気持ちはわかります! でもご主人さまはアレな見た目のせいでみんなからも『山賊勇者』って呼ばれてますけど、間違いなくホンモノの勇者ですよ! お酒が好きでとってもエッチな、とっても人間味あふれる、素敵な勇者さまなんです♪♪」
「山賊勇者……」
シャルロットの表情が、微妙に、まるで複雑な計算式を解こうとしているかのように、歪む。
記憶の断片が、彼女の頭の中で、パズルのピースのように、無理やり組み合わされようとしていた。
「あ~いたたたた。ジュリアンくん、いきなりご挨拶とは、なかなか豪快じゃあないか」
その時、権蔵がようやく意識を取り戻したのか、ゆっくりと立ち上がった。
股間の痛みがまだ残っているのだろう、時折顔を歪ませながらではあるが。
その同じタイミングで三匹の獣人たちが、ゆっくりと、しかし確かな足取りで立ち上がった。
「やはりこのお方こそ、オルレアヌで召喚された、本物の……勇者……」
シャルロットの心の中で、幾度となく読み返した英雄譚の一ページ一ページが、風に舞う木の葉のように、静かに散っていく。
彼女の呟きは、カーンの街に吹き荒れる風の音に攫われ、権蔵の耳には決して届かなかった。
男はズボンの後ろが破れ、無防備に晒された尻を太陽の色に染めながら、それでも不敵に立っていた。
その姿は、英雄譚に描かれる鎧を纏い、聖剣を掲げる勇者とは程遠い。
しかし、そこに確かに存在する「強さ」は、シャルロットの心を強く揺さぶった。
それは、勇ましさや正しさといった言葉では形容できない、もっと原始的で、本能に訴えかけるような、圧倒的な「何か」だった。
「げへへ、ジュリアンくんへのお仕置きは、そうじゃのう、後で、たっぷり、夜が明けるまで、みっちりとしてやるとするか……まずは目の前の、わしの安眠を妨げおった不届き者どもから先にお仕置きじゃのう」
権蔵はそう言いながら、再び酒瓶を口に運んだ。
その瞬間、三匹の獣人たちの顔に、恐怖と絶望が浮かび上がった。
シャルロットは、ただその光景を呆然と見つめるしかなかった。
彼女の心の中にあった「勇者」のイメージは、この瞬間、音を立てて崩れ落ち、全く新しい何かに塗り替えられていくのを感じていた。