※この作品はR-18です。

美少年ハーレムを作りたい!! ~モブおじだけど転生したらチート勇者でした。なので盗賊になって好き勝手に生きることにしました~   作:とけそうだら

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第26話 宮中晩餐会

 夜の帳 (とばり)が下りた王都セルフィア。

 王宮では、煌びやかな宮中晩餐会が催されていた。

 大広間は黄金色の光に満ち、燭台と魔法灯が煌めき、水晶シャンデリアが揺れるたび、七色の光が貴族たちの衣装を彩る。  

 楽団の甘美な旋律に合わせ、貴婦人たちのドレスが華麗に揺れ動く。

 豪華絢爛、夢のような空間の中で——

 

「げぇへっへぇー! 盛大な宴じゃ! この勇者権蔵様にふさわしい!」

 中年勇者の権蔵は、銀のゴブレットを豪快に一気飲みし、既に顔を真っ赤に染めていた。

 頭頂部はシャンデリアの光を反射し、時折まばゆいほどの光を放つ。

 

「ご主人さま〜、それ何杯目ですか〜? このままだとまた調子に乗っちゃって、前みたいに服脱ぎだしちゃいますよ〜」

 

 赤毛のメイド服姿の少年・カイトが、口いっぱいにローストチキンを頬張りながら心配そうに声をかけた。

 それを聞いて権蔵は大声で笑う。

 

「なにを心配しておる、カイト! 宴というものは賑やかであってこそ本物じゃ! さあさあ、まだ酒が足りん! もっと注げ注げ!」

 

 カイトは「はーい♪」と、まるで日常の家事をこなすような気軽さで返事をしながら、権蔵の盃にワインをジョボジョボと注いだ。

 緋色の液体が盃から溢れ、純白のテーブルクロスに血のような染みを広げていく。

 宴会用の高級リネンに一滴でも汚れがつけば、それは平民十人分の一ヶ月の労賃に相当するとも言われていたが、そんなことは二人の頭にはまったく浮かんでいなかった。

 

「それよりご主人さま。ぼくたち、ちょっと浮いてません? みんな、ちらちらこっち見てますよぉ?」

 

 子ども特有の鋭い感受性で、カイトは空気の異変を察していた。

 本来なら、この夜の主役は北方のレシア地域奪還を成し遂げた勇者権蔵と王国騎士団のはずだった。

 オルレアヌ王国内の名だたる貴族たちが揃い、勝利の祝杯を挙げる特別な一夜。

 貴族たちの書斎の壁に飾られた家系図の重みと、権力という見えない鎖で繋がれた者たちの社交場。

 

 そこに突如として現れた「山賊風情の勇者」。

 その場違いな存在に、貴族たちは優雅な微笑みの下に戸惑いを隠していた。

 

 大広間の一角では、まるで権蔵を意図的に避けるかのように、騎士団の団長たちを中心に貴族の紳士淑女が華やかな一団を形成していた。

 彼らの間からは、シャンパンの泡のように軽やかな笑い声と祝福の言葉が溢れている。

 騎士たちの鎧は祝賀会のために特別に磨き上げられ、シャンデリアの光を受けて星のように煌めいていた。

 若き貴婦人たちは夢見るような眼差しで彼らを見つめ、年長の貴族たちは敬意を込めて杯を掲げる。

 

「レシア要塞の奪還、まことに見事な戦果でございました!」

「さすがは王国最強の騎士団! オルレアヌの矜持そのものですな!」

 

 喝采の嵐が宴の間を満たす中、貫禄ある一人の貴族——ラフィット伯爵が、一輪の花のように繊細な佇まいの娘を連れ、第四騎士団長ガストン・デュフォールへと歩み寄った。

 

「おお、これはデュフォール騎士団長! 先の戦でのご活躍、感銘を受けましたぞ! まさに獅子奮迅の働きであったと!」

 

 ラフィット伯爵はガストンの手を両手で握り、満面の笑みで称えた。

 

「は、はは……それほどでも……。騎士として当然の務めを果たしたまでであります!」

 

 普段の豪放磊落な彼にしては珍しく照れたように頭を掻くガストン。

 

「ご謙遜を! それで、こちらへ……紹介したい者がおりまして。我が娘、セレスティーヌにございます」

 

 伯爵が隣を示すと、これまで父の影に隠れていた令嬢が凛とした佇まいで一歩前に出た。

 

「第四騎士団長、レシア要塞奪還の功績、王国にとって誠に価値あるものですわね。セレスティーヌ・ド・ラフィット、我が家の名に恥じぬ者と心得ております。どうぞよろしくお願いいたしますわ」

 

 澄み切った氷のような声で、セレスティーヌは膝を軽く曲げ挨拶をした。

 その瞬間――。

 

「………………は、……はひ……っ!?」

 

 ガストンの顔がボンッ! と音を立てそうな勢いで真っ赤に染まった。

 普段びくともしない巨躯が、可憐な少女を前にしてカチコチに硬直している。

 

「あ、あの、その……! わ、わたくしめが、第四騎士団の団長を務めております、ガストン・デュフォールであります! セレスティーヌお嬢様は……花のように……いや、花も恥じらうほどに、お美し……」

 

 言葉は途切れ途切れになり、全く様にならない。

 セレスティーヌは高貴に眉を上げ、控えめな微笑みを浮かべた。

 

「お褒めの言葉、恐縮ですわ。ですが、騎士たるもの、もう少し堂々とした物言いをなさったほうが、貴方様の勇名にふさわしいのではありませんこと?」

 

 ガストンはさらに顔を赤くし、「う、うおお……」と意味不明な呻き声を上げ、完全に機能停止してしまった。

 

「ほう、ほう! これは面白い! デュフォール団長、娘を気に入ってくれたか! ならば話は早い! せっかくの良縁だ、ここでとんとん拍子に事を進めても構わんぞ? どうだね、団長?」

 

 貴族たちの間には、和やかな笑みと満足げな祝福の空気が満ちていた。

 まるで春の陽だまりのような温かさ。

 しかしその喧騒から隔絶されたように、宴の華やかな一角に設けられた権蔵の特別席だけが、ぽっかりと口を開けた異次元の入り口のように、静寂を湛えていた。

 

「貴族の姫と騎士の縁談か。なかなか見ものよのう。だがカイト、不思議なもんじゃな。なぜやつらはワシに挨拶に来んのだ? 獣王グリムフを打ち倒し、北方に平和をもたらしたのはこのわしなのに……」

 

「ほんと不思議ですよねー。パレードではあんなに人気者だったのに、今はまるで透明になった人みたいです」

 

 カイトはチキンの骨をテーブルに置きながら、困ったような表情で周囲を見回す。

 実は、華やかな衣装に身を包んだ貴族たちの間では、絹のように滑らかな囁き声が、高価な香水の香りと共に宴の片隅から片隅へと伝わっていた。

 

 「あれが噂の山賊勇者…あの風体では、とても伝説の勇者には見えませんわね」

 

 葡萄色のドレスを纏った貴婦人が扇で口元を隠しながら言うと、隣に立つ中年の侯爵が頷く。

 

「まったくだ。あんな野蛮人が本当に獣王グリムフを倒したとでも? 眉唾物の話だ。きっと騎士団が仕留めたものを横取りしたに違いない」

 

 別の貴族二人が低い声で加わる。

 

 「我が領地では奴の暴挙に幾度となく悩まされてきた。犯罪者がいきなり英雄だなどと、笑止千万な話だ」

 

 「全くの同感です。私の領地でも奴に貴重な労働力である奴隷を何人も連れ去られました。あのような無法者を放置すれば、魔王の脅威よりも先に国の秩序が崩壊してしまいますぞ」

 

 晩餐会には、王国のあらゆる領地から有力な貴族が参加していた。

 その顔ぶれは、まさにオルレアヌの権力地図そのものだった。

 

 その中には、権蔵が支配するドルテナ要塞があるドーレ領に隣接する貴族たちも少なからず含まれていた。

 彼らは権蔵の腹心であるグレイが率いる盗賊団『子羊の産声』の活動に長年頭を悩ませてきた被害者たちだった。

 

 盗賊団が「解放」と美名で呼ぶ行為によって、彼らは高価な馬を奪われ、代々伝わる財宝を略奪され、そして何より、領地経営に不可欠な労働力である奴隷たちを「解放」されるという被害を受けてきたのだ。

 

 だからこそ権蔵への悪評は、宝石のように煌めく大広間の至るところで密やかに交わされていた。

 しかし、それは決して公然と声高に叫ばれることはなく、あくまで上品に、華やかな笑顔の影に隠れながら、しかし確実に広まっていく毒のようだった。

 

「もしかして貴族の皆さん、ご主人さまのこと、怖がってるんじゃないですかねー?」

 

「怖がる? わしを? この薄毛頭がそんなに恐ろしく見えるとでも? 笑われることはあっても、怖がられるなんてあるまい」

 

 権蔵は自分の頭をポンポンと叩き、シャンデリアの光を反射させて見せた。

 

「そうですよね、ご主人さまったら丸々としたかわいい豚さんみたいに愛嬌あるのに、怖がられるなんておかしいですよねー♪」

 

 権蔵は一瞬考え込むような表情になったが、すぐに豪快な笑い声を上げた。

 

「かわいい豚さんだと? げへへ! さすがカイト、わしの魅力をよく理解しておるな。そうか、なるほどな。今のわしには人を引き寄せる愛嬌が足りんのか!」

 

 彼は立ち上がり、空になった盃を高々と掲げた。

 

「よし、ならば奴らにわしの人間的魅力を存分に見せつけてやろうではないか!」

 

 権蔵はにやりと笑うと、貴族たちの輪に向かって大股で歩き出した。

 彼の禿げ頭がシャンデリアの光を浴びて輝き、まるで彗星のような軌跡を描きながら、華やかな舞踏会の中心へと突き進んでいく。

 そして彼は周囲を見回し、両手を広げた。

 

「皆の衆、今宵はめでたい夜じゃ! さあさあ、遠慮などいらぬぞ! わしが、勇者の武勇伝を聞かせてやろう! 質問があればわしのスリーサイズから好みのタイプの少年まで何でも答えてやるぞ!」

 

 その瞬間、大広間全体が凍りついたように静まり返った。

 貴族たちの洗練された笑顔が、まるで魔法で固められたように硬直する。

 彼らの目に映るのは、宮廷作法も知らぬ野蛮人が、彼らの神聖な社交の場に土足で踏み込んでくる衝撃的な光景だった。

 

 しかし、その緊張した空気を一筋の光のように切り裂き、一人の貴人が凛とした足取りで権蔵のもとへと歩み寄ってきた。

 

「勇者権蔵様、ご挨拶申し上げます。この度の勇者様のご武勲、心より祝福申し上げます」

 

 権蔵の前に現れたのは、温和な微笑みを湛えた金髪の中年男性だった。

 彼の高い背丈と堂々とした佇まいからは、一目で高位の貴族であることが窺える。

 彼は権蔵に対して丁重に頭を下げ、その所作には生まれながらの気品と教養が自然と滲み出ていた。

 

「おや、ついに本物の貴族様がわしに声をかけてくださるとは! いやはや、わしはただの中年勇者でしかないんじゃから、そんなに堅苦しくせんでもええんじゃよ。皆、照れ屋さんなんじゃな。わしなど生まれは単なる庶民、本来なら貴族様方に頭を下げられるような身分ではないんじゃ。どうか気兼ねなくお話しくださいな! げはははっ!」

 

 その豪快な笑い声が大広間に響き渡ると、まるで魔法の呪文のように、周囲の会話が一瞬凍りついた。

 シャンデリアの光の下、貴族たちの表情が微妙に強張る。

 

「なんと……あれはディミトリ卿ではありませんか! オルレアヌ王国三大貴族の筆頭!」

「公爵閣下があんな粗野な男に自ら近づくとは……。何か深い意図があるに違いない……」

 

 貴族たちの囁きは小さな風のように部屋を巡ったが、権蔵の耳には届いていないようだった。

 彼の関心は目の前の高貴な人物にのみ向けられている。

 

「ふむ。それで、いかにも金持ちそうなそなたの名前は何というのじゃ?」

 

 中年貴族は微笑みを絶やさず、まるで宮廷の舞踏のように優雅に応じた。

 

「私はディミトリ・レステンクール。オルレアヌ王国公爵を拝命しております」

 

「ほう、いい名前じゃな。その名前からして由緒正しき名家かの?」

 

 権蔵は興味をそそられたように、貴族の顔を食い入るように見つめた。

 

「はい。レステンクール家は王国建国より連なる、千年の歴史を持つ名門中の名門でございます」

 

 ディミトリは親しみやすい笑顔で答えた。彼の言葉は温かみがあり穏やかでありながら、その背後には揺るぎない高貴な誇りが感じられた。

 

 そのとき、テーブルでケーキを頬張っていたカイトが、まるで雷に打たれたかのように顔を上げる。

 

「むぐっ……あ、れすてんくーる!?」

 

 彼は慌てて口の中の食べ物を飲み込み、瞳をパチクリと見開いた。

 

「ご主人様! このおじさん、もしかしてジュリアンくんのお父さんじゃないですか!?」

 

 ディミトリは優雅に微笑み、柔らかな声音で答える。

 

「はい、勇者様には北方遠征で我が子が大変お世話になったと伺っております」

 

 彼は深々と頭を下げると、親しみやすい表情で後方を振り返った。

 

「シャルロット、ジュリアン。こちらへおいで」

 

 彼の呼びかけに応じるように、宴の人波が魔法でも掛けられたように二つに割れる。

 そこから姿を現したのは、月光のように輝く金髪の麗しき女性と、薔薇の蕾のような美しい少年だった。

 

 シャルロットは深い緋色のドレスに身を包み、その姿は戦場の鎧姿とは別人のような優美さで権蔵を見つめている。

 権蔵が知る彼女の姿からは想像もつかないほどの優雅さだった。

 

 対照的に、ジュリアンは冷たい視線を権蔵に投げかけていた。

 その整った美しい顔には、隠しきれない拒絶の感情が浮かんでいる。

 

「権蔵様、改めてご挨拶を。レステンクール公爵家の長女、シャルロットでございます」

 

 シャルロットは、軽く会釈すると上品に微笑む。

 その姿は宝石のように輝いていた。

 

「うおっ! シャルちゃん、一体どうしたってんだ!? そんな貴族のお姫様みたいな格好して。見違えたぞい。あの鎧はどこへやった?」

 

 権蔵は目を丸くして彼女を見回す。

 シャルロットは小さく笑い、その声は銀の鈴のように響いた。

 

「ふふ。私だって普段は一人の女性ですもの。戦場と宮廷では装いを変えるのが作法というものでしょう?」

 

 彼女は頬を薄く染めながら答えた。

 一方、ジュリアンは黙したまま、美しい横顔を権蔵から背けている。

 その表情には言葉にならない苦悩が浮かんでいた。

 

「おおっと! ジュリアンくん、今日はまるで絵に描いたような貴公子じゃないか! この絹の手触り…金糸の輝き…げへへ、普段の鎧姿とはまた違った趣があるのう」

 

 権蔵の下卑た視線が、値踏みするようにジュリアンの全身を撫でる。

 大広間に立つジュリアンは、その言葉を無視してもなお、息を呑むほどの美しさを放っていた。

 夜空の色を映したような深い藍の上質な絹織物は、鍛え上げられた彼の体に寸分の隙なくフィットしている。

 襟元と袖口に施された緻密な金糸の刺繍が、シャンデリアの無数の光を吸い込んでは星屑のように煌めき、その立ち姿はまさに、千年の歴史を誇る名門レステンクールの嫡男にふさわしい、侵し難いほどの気品と威厳を湛えていた。

 

 しかし、その完璧に整った芸術品のような顔立ちは、権蔵の下品な賞賛を聞いた途端、真冬の湖面に氷が張るように、絶対零度の無表情へと凍りついた。

 

「――黙れ、下衆が」

 

 吐き捨てるような声は、短く、鋭い。

 

「私は生まれながらの貴族であり、騎士だ。貴様のような……素性も知れず、常に酒臭く、勇者の御威光を笠に着るだけの『偽物』に、なれなれしく声をかけられる謂れはない。それよりも、今宵のその態度は何だ? レシア要塞奪還の真の功労者は我ら騎士団であるにも関わらず、貴様はまるで主役のようにふんぞり返り、あまつさえ下卑た冗談で場を乱す。騎士たちの血と汗の結晶である勝利を、己の手柄のように語るな!」

 

 剃刀のように鋭く、氷のように冷たいジュリアンの毒舌。

 権蔵は思わず「うっ」と胸を押さえ、まるで心臓を矢で射抜かれたかのように大げさに後ずさった。

 

「い、痛い……痛いところを的確に抉ってくるのう、この美少年は……。じゃが、それはあくまで結果論じゃ! わしがあのグリちゃん――獣王グリムフを倒さなかったら、今頃レシア要塞どころか……」

 

「ふん、詭弁を弄するな。貴様が猛獣相手に珍妙な『戯れ』に興じている間、我ら騎士団の精鋭は、命を賭してレシア要塞に突入し、敵兵を掃討したのだ。その事実を捻曲げ、さも自分一人の武勇伝のように吹聴する……その厚顔無恥さには反吐が出る」

 

「ぐぬぬぬぬ……! 言わせておけば、このクソガキ……!」

 

 権蔵の額に青筋が浮かぶが、次の瞬間、彼は表情を一変させた。沸騰寸前だった怒りが、まるで悪戯を思いついたかのように、下卑た哄笑へと変わる。

 

「……げへっ……げはははははは! よかろう! さすがは大貴族の若様、言うことがいちいち癇に障るわい! じゃが、わしは度量の広い男じゃからのう! ちょっと、いや、かなりムカつくが、今日はめでたい祝宴の席じゃ。その無礼千万な物言い、この『勇者』権蔵様が、特別に許してやろうではないか!」

 

 権蔵は額に滲む脂汗を手の甲で拭いながら、これみよがしに鷹揚な笑みを浮かべた。

 

「……許す、だと? 馬鹿を言うな。貴様のその根拠のない自信と、人を人とも思わぬ傲慢さこそが、万人の不興を買うのだ。少しは周りを見てみろ。まるで穢れを見るかのような、あの冷たい視線を。それが、貴様がこの場でいかに嫌われ、浮いているかの動かぬ証拠だ」

 

「この……っ! 生意気なガキャがああああっ! わしが薄々気づいておったことを、そう真正面から……!」

 

 一瞬、本気で殴りかからんばかりの形相になった権蔵だったが、再びジュリアンの完璧な正装を、今度はねっとりとした視線で舐め回すように見つめると、すぐに口元に悪辣な笑みを浮かべた。

 

「まあ、ええわい。その減らず口も、今夜までじゃ。そのいかにもお貴族様然とした、上等な絹の服……ぜひとも、夜伽の『お仕え』で汚してもらおうかのう? 覚悟しておくがいいぞ。げへへへへ……」

 

「夜の……お仕え……?」

 

 権蔵の下卑た言葉の意味を解しかねて、シャルロットが純粋な疑問符を浮かべて小さく首を傾げる。

 その無垢な反応が、さらにジュリアンの怒りの導火線に火をつけた。

 

「あ゛ーーーーーっ!! お、お姉さまの前で、そのような下劣極まる戯言をっ! この破廉恥漢め! いい加減にしろぉおおお!」

 

 ジュリアンは耳まで真っ赤に染め、悲鳴に近い絶叫を上げた。

 その声に、周囲で様子を窺っていた貴族たちが、待ってましたとばかりに囁き始める。

 彼らの瞳には、下世話な好奇心と悪意がギラギラと燃えていた。

 

「『夜のお仕え』ですって……? まあ、下品な……」

「まさか、あの淫猥な噂は真実だったの?」

「レステンクール家の至宝、ジュリアン様までが、あの山賊上がりの慰み者になっていると……?」

「やはり……! これで確信したわ。近頃、幼い子供ばかりが姿を消すという事件……あの『山賊勇者』の仕業に違いない!」

 

 さざ波のように広がる悪意に満ちた囁きは、優雅な弦楽の調べに乗って、確実にジュリアンの耳へと届く。

 彼は薔薇の花びらのように頬を染めながらも、周囲の好奇の視線から逃れるように、一歩、また一歩と権蔵に詰め寄り、その耳元に氷の刃のような冷たい吐息を吹き込んだ。

 

「……権蔵。いい加減にしろ。ここは神聖なる王宮の社交場だ。そのような下卑た言葉を軽々しく口にするな。貴様はすでに『山賊勇者』という不名誉な渾名で、王国中に悪名を轟かせているのだぞ。最近頻発している子どもの失踪事件までもが、貴様の仕業だと、まことしやかに囁かれている始末だ。……その汚名を、少しでも返上したいと思うなら、もう少し言動を慎むがいい」

 

 そこまで一気に言い切ると、ジュリアンは僅かに声を潜める。

 その声音には、隠しきれない苛立ちと共に、ほんの僅かな――まるで彼自身も認めたくないかのような――戸惑いと、奇妙な気遣いが滲んでいた。

 

「……私は、これでも千年の歴史を誇るレステンクール公爵家の、正統なる跡継ぎなのだ。貴様が……貴様が、この場でせめて最低限の礼節を弁えるというのなら……私からも、父上や他の者たちに、その悪評について弁明してやらなくもない……」

 

 その言葉の裏には、彼の高慢なプライドと、目の前の粗野な男の行く末を――ほんの少しだけ――案じる気持ちが、奇妙な形で同居しているように聞こえた。

 不安を隠せないジュリアンの視線が、扇子を優雅に操る父の顔へと泳ぐ。

 

 ディミトリ・レステンクール公爵―――。

 

 常に穏やかな微笑をその端正な顔に浮かべる紳士。

 彼はかつて、オルレアヌ王国はおろか、大陸全土にその名を轟かせた屈指の魔法剣士だった。

 

 彼がまだ十代という若さの頃、数々の剣術大会で頂点を極め、その苛烈なまでの剣技と卓越した魔法の融合は、敵味方双方から畏怖されたという。

 今は爵位を継ぎ、領地で隠遁に近い生活を送っているが、時折その瞳の奥に宿る鋭い光は、往年の『剣鬼』の片鱗を覗かせる。

 そしてジュリアンは、その父の内に秘められた激情を、誰よりも恐れていた。

 

 ――下劣な言葉を投げかけ、あまつさえ息子を辱めようとした権蔵を、父上が許すはずがない。

 きっと、あの静かな怒りの炎で、この無礼者を焼き尽くすだろう。

 そうジュリアンは、半ば恐れながら確信していた。

 

 だが――。

 

 ディミトリは、まるでジュリアンの内心を見透かしたかのように、象牙の扇子をゆったりと広げ、その優美な曲線で紅玉のような唇を隠しながら、涼やかな声で言葉を紡いだ。

 

「ふふっ……。我が父、マキシムからも貴方の噂はかねがね。勇者様、この度の北方遠征では、愚息ジュリアンが数々の難局において貴殿より手ずから『ご指導』いただいたとのこと、心より感謝申し上げます。彼奴が真の騎士として、その未熟な魂を鍛え上げるまたとない機会を与えてくださったこと……我がレステンクール家にとって、千年の栄誉にも勝る喜びでございます」

 

「おうよ! 任せておけ! 昼間の鍛錬はもちろん、夜の『特別指導』も含めて、この権蔵様が骨の髄までみっちりと仕込んでやるからのう! げっはっはっは!」

 

 言葉と同時に、権蔵の熊のように太い腕が、ジュリアンの華奢な肩を、馴れ馴れしく、しかし有無を言わせぬ力でがしりと掴んだ。

 

「お、お父さまっ!?」

 

 ジュリアンは完全に思考が停止した。裏切られたような、絶望的な驚愕に、その整った顔が蒼白になる。大きく見開かれた空色の瞳が揺れ、言葉を失った唇がわななく震えている。

 

「まあ……。お父様も、遂に運命をお受け入れになられたのですね。我がレステンクール家の誇り高き世継ぎが、偉大なる権蔵様の従騎士としてお仕えする……ふふ、なんと栄誉に満ちた、輝かしい道筋でしょう」

 

 シャルロットはうっとりとした表情で微笑む。

 その言葉が、さらにジュリアンの心を打ちのめした。

 

「……うう……ち、違う……姉上、それは違うんです……そんな栄誉なんて……!」

 

 ジュリアンは力なくうなだれた。

 

 ディミトリは、そんな息子たちのやり取りを意に介する様子もなく、パチン、と小気味良い音を立てて扇子を閉じた。

 その仕草が、まるで一つの幕切れを告げる合図のように、会話の流れを断ち切った。

 

「……ところで、勇者様。些か興味深い噂を耳にしまして。――近々執り行われる謁見の日、エリオット陛下がご婚約を発表されるとか?」

 

「はあっ!? へ、陛下が、ご婚約ですって!?」

 

 鋭い叫び声が、静まりかけた大広間にナイフのように突き刺さった。

 声の主はもちろんジュリアンだ。

 そのあまりの剣幕に、色とりどりのドレスや豪奢な装飾品で着飾った貴族たちの間にさざ波のような動揺が走る。

 誰もが一瞬、グラスを持つ手や扇を動かす仕草を止め、好奇の視線を向けていた。

 

「ジュリアン、王宮では淑やかに」

 

 ディミトリから注意を受けると、ジュリアンははっとして、慌てて白魚のような指で自らの唇を押さえる。

 

「おお! エリオットきゅんのことか…! それはのう———」

 

 権蔵の顔が歓喜に輝き始めたその瞬間、カイトが肘で小脇をつつき、蜜蜂の羽音のような小声で囁いた。

 

「ご主人さま、その話はまだジュリアンくんには秘密にしておかないとダメですよ〜」

 

「――っ!?」

 

 カイトの一言で、権蔵の脳内に鳴り響いていた祝砲はピタリと止んだ。

 みるみるうちにその表情から血の気が引き、脂汗がじわりと滲む。

 

「あ、ああ、そうじゃったな……ゲフン、ゴホン! お、王様がご婚約とな? そりゃあ、まことにめでたいことじゃわい! うむ、わしもその日を心待ちにしておるところじゃよ……」

 

 しどろもどろな権蔵の言葉に、ディミトリの完璧に整えられた眉が、弓なりにしなる。

 その目は、獲物の僅かな動きも見逃さない狩人のように細められた。

 

「ほう……? この話はまだごく内密のもの。陛下と宰相閣下、そして数名の側近しか知り得ぬはずですが……実に不思議ですな。いったい勇者様は、どこでお聞きになられたので?」

 

 その言葉は静かだったが、権蔵の心臓を鷲掴みにするような圧があった。

 手にしたゴブレットの中で、深紅のワインが微かに揺らめく。

 その波紋は、水面下に潜む得体の知れない怪物の気配のように、不吉な予感を漂わせた。

 

「ん、んん? ああ、そうじゃ、聞いた聞いた! たしか……宰相の、ええと、ラソ……なんとか? とかいう、あの食えない感じのじーさんが、うっかり口を滑らせておったのを、たまたま小耳に挟んだだけじゃよ! あのじーさん、近頃ちと物忘れが激しいようじゃからのう、はっはっは!」

 

 必死にごまかそうとする権蔵の空々しい笑い声が響く。

 ディミトリは、その歯切れの悪い返答を値踏みするようにじっと見据えた。

 

「ラソリーニ卿から、ですか。ふむ……宰相閣下とは、随分とご懇意のようで?」

 

 ディミトリは、一度は疑念の色を浮かべたものの、すぐに平静を取り戻し、完璧な貴族の笑みを浮かべて言葉を続けた。

 

「無論、陛下の御心に適うご決定であれば、我々臣下が異を唱える術はございません。しかし、国王の婚姻は、このオルレアヌの未来そのものを左右する一大事。……ところで勇者様、その『お相手』がどなたかまでは、宰相閣下からお聞きになりましたか?」

 

「い、いやっ! わしは断じて何も聞いておらん! 絶対に知らんからなっ!」

 

 権蔵は、まるで尋問されているかのように慌てて否定した。

 その必死さが逆に怪しさを醸し出していることに、本人は気づいていない。

 これ以上の追及を拒むように、彼はぐっと口を真一文字に結んだ。

 

「左様ですか……。ならば、陛下の聖断を待つばかりですな」

 

 ディミトリの視線には、依然として探るような光が宿っていたが、彼はあっさりと矛を収めた。

 まるで、これ以上問い詰めるまでもない、とでも言うかのように。

 

「では、私は少々野暮用がございますので、これにて失礼を。――ああ、そうです」

 

 ディミトリは踵を返しかけたが、何かを思い出したように、ふと足を止めた。

 

「ん? まだ何かあるのか?」

 

 権蔵が訝しげに首を傾げると、ディミトリはゆっくりと振り返った。

 その唇が、先ほどまでの社交辞令とはまったく質の異なる、予想外の言葉を紡ぎ出す。

 

「率直に申し上げましょう、勇者様」

 

 一呼吸置き、彼は爆弾を投下した。

 

「我が娘、シャルロットを……ぜひ、貴方の妻としてお迎えいただけませんか?」

 

 しん、と大広間から音が消えた。

 

 まるで世界から空気が抜き取られたかのように、全ての音が停止する。

 楽団の演奏が止まり、貴族たちの囁き声も、グラスの触れ合う音も、何もかもが虚空に吸い込まれた。

 

 その絶対的な静寂を破ったのは、甲高い叫び声だった。

 

「ええええっ!?」

 

 次の瞬間、まるでダムが決壊したかのように、驚愕と混乱の声が大広間に満ち満ちた。

 宝石を散りばめたドレスや豪奢な軍服に身を包んだ貴族たちが、嵐に見舞われた花園のようにざわめき、互いに顔を見合わせ、信じられないといった表情でディミトリを見つめている。

 

「お、お父さまっ! ご冗談にもほどがあります! あ、あんな……下品で! だらしなくて! 酒臭い男と! 清らかで気高いお姉さまが結婚だなんて……! そ、そんな……そんな酷い運命を背負わせるなど、お姉さまに対してあまりにも……あまりにも惨すぎますっ!」

 

 ジュリアンの悲痛な叫びが、シャンデリアの光の中で震える。

 その美しい顔は怒りと絶望に歪み、今にも泣き出しそうだ。

 しかし、その激情に対し、父であるディミトリ公爵は、ただ静謐な月光を思わせる微笑みを浮かべたまま、微動だにしない。

 

「ジュリアン。これは決して冗談などではない。言葉を慎みたまえ。勇者様には、先の北方戦線でシャルロットの命を救っていただいた。これは天が我々レステンクール家と勇者様とを結びつけようとしておられる、紛れもない『ご縁』だ。……そう、私はこれを『運命』だと確信している」

 

 その言葉は、静かな水面に投じられた石のように、貴族たちの間に新たな波紋を広げた。

 絹ずれの音、扇を動かす音、そして抑えきれない囁き声が、毒蛇のように会場を這い回る。

 誰もがディミトリの真意を探ろうと、息を殺して成り行きを見守っていた。

 

 渦中の人物であるシャルロットは、突然の父の申し出に、アクアマリンのような瞳を驚きに見開いた。

 だが、その感情はすぐに長い金色の睫毛の影に隠され、彼女はただ俯いてしまう。

 夕焼け空のように頬を朱に染め、豊かな金髪で顔を隠すように――その姿は、拒絶というよりは、むしろ戸惑いと、そしてどこか……淡い、乙女のような期待すら感じさせた。

 

「なっ……!? わ、わしとシャルちゃんがけ、結婚じゃとぉ!? あ、ありえん! 絶対にありえんっ!!! 見てみい! わしはこんな腹の出た中年のおっさんじゃぞ!? それに、シャルちゃんとは親子ほども歳が離れとるんじゃ! そんな馬鹿な話があるか! おい、シャルちゃん! あんたも困っとるじゃろ!? はっきり言ってやれ! こんな太ったおっさん嫌じゃと!」

 

 権蔵は、まるで熱湯でも浴びせられたかのように飛び上がり、両手をぶんぶんと振り回した。

 だが、権蔵の必死の訴えとは裏腹に、シャルロットは沈黙を守り続けた。

 ただ、恥じらうように俯き、指先でドレスの裾を弄ぶばかり。

 

「……ご覧の通り。シャルロットも、まんざらではない様子」

 

 ディミトリは、まるで王手をかけた棋士のような、優雅で確信に満ちた笑みを浮かべた。

 

「この千載一遇の機会を逃せば、勇者様と我が家との縁は、二度と結ばれぬやもしれません。どうか……この娘の、純粋でひたむきな想いを、お汲み取りいただきたい」

 

「い、いや、じゃが、しかし……! わ、わしには愛するショタっ子たちが……それに、その……エ、エリオットきゅんとの結婚も……!」

 

 権蔵は完全に狼狽し、口走ってはならない話を、つい口にしてしまった。

 藁にもすがる思いで、彼は傍らに立つカイトの方を振り返る。

 

 しかし――。

 赤毛のメイド少年は、大きなケーキの欠片を口いっぱいに頬張ったまま、キラキラと目を輝かせている。

 まるで最高の見世物を楽しむかのように、この予想外すぎる展開に、ただただ興味津々といった様子で見守っているだけだった。

 

「お、おい、カイト! ちょっとはおぬしも助けんか!」

 

 権蔵が小声で悲鳴に近い声を上げると、カイトはもぐもぐとケーキを咀嚼しながら、無邪気に答えた。

 

「え~? だってご主人さまが女の人に好かれるのって初めてじゃないですか~♪ わー、なんかドキドキします! この後どうなるのかな? ぼく、早く続きが見たいですー!」

 

 少年は楽しそうに、さらに大きなケーキの欠片を手に取った。

 

「勇者様。今の戸惑いは当然でしょう。しかし、見据えるべきは未来です。シャルロットとの婚姻は、貴方の英雄としての功績に、レステンクールの歴史という重みを加えます。それは、王国内における勇者様の言葉が、より一層の影響力を持つようになるということ。……多くの視線が集まる貴方にとって、この縁組は、未来を確かなものとするための、重要な布石となるはずです」

 

 そう告げると、ディミトリは深々と一礼した。

 

 

「さて、私はこれにて。レステンクール領での所用が待っておりますので。……良いお返事を、心待ちにしておりますよ、勇者様」

 

 彼は最後に意味深な微笑みを残し、まるで何事もなかったかのように、優雅な足取りで広間の喧騒から消えていった。

 

 残された権蔵は、口をぽかんと開けたまま、その場に立ち尽くしていた。

数秒か、あるいは数分か。ようやく金縛りから解かれたように我に返った権蔵は、途方に暮れた表情で、隣に立つシャルロットを見つめる。

 

「しゃ、シャルちゃん……すまんのう、なんか話がとんでもない方向に……。あんたもえらい迷惑じゃろうし、わしにもそんな気はさらさらないんじゃから、気にせんでくれ」

 

「い、いえ……迷惑だなんて、滅相もございません……それに、北方で命を救っていただいたのは、紛れもない事実なのですから……。あの、権蔵様の方こそ、私のような、戦場で剣ばかり振るってきた、色気もなにもない娘を押し付けられる形になって、さぞ、ご迷惑なのでは……?」

 

「い、いやいやいやいや! め、迷惑とか、そういう次元の話じゃなくてだな! シャルちゃんを助ける形になったのもあれは本当に、まーったくの偶然で! 人助けなんて大層もんじゃなく、ほれ、街角で気持ちよく酔い潰れて寝ておったわしを、無粋にも叩き起こした不届き千万な魔族どもに、ちいーっとばかし、お仕置きくれてやった! ただそれだけで……!」

 

 しどろもどろに弁解する権蔵。

 その時、ジュリアンの、魂からの叫びのような悲痛な声が、二人の間に鋭く割って入った。

 

「お姉さまっ、お願いです! こんな……こんな下品極まりない山賊風情と結婚するなどと、冗談でも絶対に口にしないでください! お父さまはいったい何を考えておられるのか……! こんな輩をレステンクール家に迎え入れたら、我が家の千年誇る名誉が地に落ちてしまいます!」

 

 言い終わるや否や、ジュリアンは権蔵に向き直り、その華奢だが鍛えられた体で権蔵の胸倉を掴まんばかりに詰め寄った。

 

「貴様っ! 二度とお姉さまに近づくな! シャルロット姉さまは、このオルレアヌ王国で最も気高く美しい『白銀の戦乙女』だぞ! お前のような下衆な男に汚されてたまるものか!」

 

「――ほう? レステンクール家の姫君にして、我らが誇る第一騎士団長に馴れ馴れしく言い寄るとは、随分といい度胸じゃねえか、山賊勇者とやら」

 

 先陣を切って低い声で言い放ったのは、筋骨隆々たる体躯を持つ第四騎士団長、ガストン・デュフォールだ。

 その瞳には、任務への熱意とは別の、純粋な怒りの炎が燃えている。

 

「おいおい、ちっと待て! わしは何もしておらんぞ! この巻き毛の小僧が勝手に突っかかってきておるだけじゃ! それに結婚の話は、ディミトリっていうおっさんが勝手に…!」

 

 権蔵は慌てて両手を振りながら後ずさった。

 

「黙んな! 言い訳は見苦しいよ!」

 

 ガストンに続き、今度は男勝りの鋭い声が飛んだ。肩を怒らせて権蔵を睨みつけるのは、第八騎士団長、ディアナ・ハンターだ。

 

「あんたみたいな得体の知れない男に、お嬢を近づけさせるわけにはいかないんだよ! 彼女はあたしたちの大事な仲間で、妹みたいなもんなんだ!」

 

 そこへ、冷徹な声がさらに追撃を加える。 

 声の主は、影のように音もなくディアナの隣に現れた第六騎士団長、ヴィクター・シドウだ。

 

「貴様に関する不穏な噂は、我々諜報部も把握している。若い少年を無理やり寝所に引きずり込む、敵対者の子供の奴隷を『解放』と称して連れ去る……そして、近頃王国各地で頻発している子供たちの連続失踪事件。貴様が関与している可能性も、我々は排除していない」

 

「なっ……!? そ、そんな噂は全くのでたらめじゃ! でっち上げに決まっておる! わしは勇者じゃぞ! いや、まあ確かにドルテナに来たいって子供は連れ帰っておるか……でも子供を助けることはあっても、無理やり攫うわけがなかろうが!」

 

「権蔵様の仰ることは本当です! 父上の申し出はあまりに突然で、私たちは何も…!」

 

 シャルロットが懸命に声を上げ、権蔵を庇おうと一歩前に出る。

 しかし、その肩をそっと抑えた者がいた。

 

「シャルロット様。お気持ちは分かりますが、今はどうかお下がりください。このような粗野な輩と関わることは、貴女のためになりません」

 

 静かで、しかし有無を言わせぬ響きを持つ声。

 氷のような美貌を持つ第七騎士団長、セバスチャン・セイクレッドだ。

 彼は普段の冷静さを保ちつつも、その瞳の奥には、シャルロットの身を案じる確かな色が宿っていた。

 

 騎士団長たちの加勢を得て、ジュリアンはさらに勢いづく。

 

「そうだ! 聞いたか、偽勇者! お姉さまも、騎士団長の方々も、皆お前を拒絶している! さっさとこの場から消え失せろ!」

 

「だーーーーっ! だから! 話を! 聞けと! 言っておろうがぁああ!!」

 

 権蔵の絶叫は、もはや誰の耳にも届かない。騎士団長たちの詰問、ジュリアンの罵声、貴族たちの囁き、そして権蔵自身の抗議の声が渾然一体となり、祝宴の場は凄まじい混沌の渦に飲み込まれようとしていた。

 

 その、まさにその時だった。

 

「きゃああああああああああああーーーーーーーーっ!!!」

 

 場違いなほど甲高く、恐怖に引きつった若い女性の悲鳴が、全ての喧騒を切り裂いて大広間に響き渡った。

 

 ハッと、その場にいた全員の視線が悲鳴の上がった方角――先ほどまで和やかな雰囲気に包まれていた、ガストン・デュフォールたちがいた輪へと向けられる。

 

 そこで人々が見たものは、信じられない光景だった。

 純白のドレスを纏った可憐な令嬢――セレスティーヌ・ド・ラフィットが、糸の切れた人形のようにぐったりと床に倒れ伏している。

 

「セ、セレスティーヌ嬢っ!?」

 

 一番近くにいたガストンが、血相を変えて駆け寄った。

 他の貴族たちが恐怖と混乱で立ち尽くす中、彼は巨大な体躯を屈め、震える手でそっとセレスティーヌの華奢な体を抱き起こす。

 

「お嬢様! しっかりなさってください! いったい何が……!?」

 

 ガストンの焦燥に満ちた声が響く。抱き起こされたセレスティーヌの顔は苦痛に歪み、か細い呼吸を繰り返していた。

 だが、異変はそれだけではなかった。

 

「……あ……あ……?」

 

 ガストンの腕の中で、セレスティーヌの若々しく薔薇色だった頬から、急速に血の気が引いていく。

 まるで花が萎れるように、瑞々しかった肌は見る間にハリを失い、乾燥し、くすんだ色へと変わっていく。

 

「な……なんだ……?」

 

 誰かが呆然と呟いた。

 

 次の瞬間、セレスティーヌの目尻や口元に、細かな、しかし確かな皺が現れた。

 それはまるで、早送りで映像を見ているかのように、瞬く間に深く、深く刻まれていく。

 亜麻色の艶やかだった髪は、根本から急速に色を失い、白いものが混じり始める。

 ふっくらとしていた頬はこけ、まぶたは落ちくぼみ、その可憐な容貌は、ほんの数十秒のうちに、見る影もなく朽ち果てていった。

 

「……う、……そ……だろ……?」

 

 ガストンは、腕の中で急速に老化していく少女――いや、もはや老婆と呼ぶべき存在を抱きしめたまま、言葉を失い、ただただ愕然と目を見開いていた。

 彼の腕の中にいるのは、先ほどまで彼を魅了した可憐な乙女ではなく、皺だらけの皮膚に覆われた、見知らぬ六十代ほどの老婆だったのだ。

 

「セレスティーヌ……!? わ、私の娘に……何が起こったのだ!?」

 

 ラフィット伯爵の絶叫が響き渡る。

 

 周囲の貴族たちは、目の前で起こったありえない現象に、あるいは悲鳴を上げ、あるいは腰を抜かし、あるいは蒼白になって後ずさる。

 優雅だった宴の雰囲気は一変し、恐怖とパニックが伝染していく。

 

「……魔術か? それとも呪いか……?」

 

 ヴィクター・シドウが冷静に、しかし警戒を露わに呟く。

 セバスチャンとディアナも、驚愕の表情を隠せないまま、咄嗟に臨戦態勢を取ろうとしていた。

 

 この異常事態に、さすがの権蔵も、そしてカイトやジュリアンたちも、先ほどまでの口論など忘れ、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

「な、なんじゃ……今のは……? まるで、悪夢でも見とるようじゃ……」

 

 権蔵が呆然と呟いたその時、王宮の衛兵たちが騒ぎを聞きつけ、槍を構えて大広間へとなだれ込んできた。

 侍従たちが、恐怖で泣き叫ぶ貴婦人たちを落ち着かせようと駆け回る。

 

 やがて、宰相ラソリーニが厳しい表情で現れ、その場に響き渡る声で宣言した。

 

「――静粛に!! 皆の者、落ち着かれよ! この晩餐会は、これにて閉幕とする! 何者かによる邪悪な術が使われた可能性がある! 全員、衛兵の指示に従い、速やかに退場するように!」

 

 宰相の厳命により、祝賀の宴は、突如として最悪の形で終焉を迎えた。

 貴族たちは、恐怖と混乱、そして目の前で起こった悪夢のような出来事への疑念を抱えたまま、衛兵たちに誘導され、蜘蛛の子を散らすように会場を後にしていく。

 

「……わぁ……びっくりしましたねぇ……。あの綺麗なお姉さんが、いきなりシワシワのお婆さんになっちゃうなんて……。魔法って、怖いんですねぇ……」

 

 カイトは、騒然とする周囲とは裏腹に、まだ手に持っていたケーキの最後の一口を頬張りながら、大きな目をぱちくりさせていた。 

 その無邪気さが、かえって場の異常さを際立たせる。

 

「全くじゃ……。気味が悪いにもほどがあるわい……」

 

 権蔵も、先ほどの怒りや興奮はどこへやら、眉間に深い皺を寄せ、忌々しげに呟く。

 ふと視線を上げると、少し離れた場所で、蒼白な顔をしたジュリアンが、同じくショックを受けた表情のシャルロットを気遣うように支えているのが見えた。

 

 その時だった。

 まるで混乱という濁流の中を滑るように、一切の音を立てず、褐色の肌を持つ少年の姿が、権蔵たちの傍らに現れた。

 月の光を閉じ込めたかのような艶やかな銀髪は、うなじで一つに束ねられ、背に流れている。

 黒い皮布で覆われた瞳は、周囲の騒動など意に介さぬかのように冷徹で、それでいて深い知性を秘めていた。

 

「あ、だんちょー!」

 

 カイトがいち早く気づき、ぱっと顔を輝かせる。

 

「権蔵様、カイト。ご無事でしたか」

 

 グレイはまず二人の安否を確かめると、洗練された所作で僅かに頭を下げた。

 彼の声は、その儀礼正しい立ち振る舞いと同様、冷静さと節度を保ち続けている。

 

「遅くなり申し訳ありません。ようやく、例の『仕事』に目処がつきましたので」

 

「おお、グレイか! よく戻った! ご苦労じゃったな!」

 

 権蔵は、グレイの姿を見て、少しだけ安堵したような表情を見せた。

 

「それより、見たか? なんか、とんでもないことになっとるぞ! 若い女がいきなり婆さんに……」

 

「はい、騒ぎは耳にしております。魔法の仕業かは定かではありませんが、どうやら、私たちの想像を超えた厄介な事態が発生したようですね」

 

 グレイは、視線だけで素早く周囲の状況を把握すると、淡々と告げる。

 

「原因の究明は、王宮の者たちに任せるとして……権蔵様、ここは長居は無用かと」

 

「うむ、そうじゃな。宴も強制終了じゃ。気分も悪いし、部屋に戻って一杯やりながら、おぬしの『仕事』の報告でも聞かせてもらうとしようかの」

 

「かしこまりました」

 

 グレイが静かに頷くと、権蔵はカイトの手を取り、グレイに先導される形で、まだ人々が右往左往する大広間を後にした。

 去り際に、ジュリアンの鋭い視線が突き刺さったような気がしたが、権蔵はあえて振り返らなかった。

 

 嵐のような口論と、悪夢のような変貌劇(へんぼうげき)。

 オルレアヌ王国の宮中晩餐会は、深い混乱と恐怖、そして『若い令嬢が瞬時に老婆へと変貌した』という、濃密にして不気味な謎を残したまま、静かに、しかし確実に、王国の未来に暗い影を落とすであろう予感を漂わせて、その幕を閉じたのであった。

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