美少年ハーレムを作りたい!! ~モブおじだけど転生したらチート勇者でした。なので盗賊になって好き勝手に生きることにしました~ 作:とけそうだら
砦の内部は、人の手が最小限の加工を施したに過ぎない、荒々しい鉱道だった。
その天井は教会堂のように高く、道幅も荷馬車が余裕ですれ違えるほど広かったはずだが、今は何者かが穿った生々しい“地脈”が、臓腑のように脈打ちながら壁や床を侵食している。
巨大な生物の食道――誰もが同じイメージを抱いた。
壁という壁はぬらぬらと有機的に蠢き、甘く腐敗した芳香を放つ粘液を滲ませている。
足元はぬかるみ、一歩進むごとに水音に似た気味の悪い音を立てた。
かつて天井を支えていたであろう頑健な岩の支柱も、その粘液に蝕まれ、歪んだ飴細工のようにぐにゃりと垂れ下がっている。
肺が水で満たされるかのような重苦しい湿気が、一行の体力を容赦なく奪っていく。
「……気を付けろ。何かが息を潜めている」
ゼウバルモが、柄にかけた指に力を込め、一行に警告する。
「くんくん……なんじゃ、この鼻の奥までこびりつくような臭いは。硫黄か……いや、もっと安っぽい腐り方じゃな」
権蔵が獣のように鼻をひくつかせた。
「いいえ、違います。これは……」
『白き獅子』の療術師が、いち早く鼻と口を布で覆いながら、苦々しく呟く。
「……死臭です。それも、おびただしい数の」
療術師の一言が、パズルの最後のピースだった。
全員が息を呑み、そして理解する。
この洞窟を満たす不快な臭気と、壁や床にこびりついた乾ききっていない赤黒い染みの正体を。
それは間違いなく、人の血。
おびただしい数の犠牲者が流した、あまりにも生々しい痕跡。
「うげぇ……こいつは悪趣味極まりないのう。食い物の恨みよりたちが悪いわい」
「……許し難い蛮行ですわ。人の命を、何と心得ていますの……!」
権蔵は顔をしかめて吐き捨て、シャルロットも、絞り出すように呟いた。
ゼウバルモは床に落ちていた剣の残骸を検めると、静かに首を振った。
「死体は見当たらん。……だが間違いなく斥候たちが身に着けていたものだ。セミヨンは吸血鬼の魔族。奴は血の一滴まで啜り尽くす。遺体など残さん。奴の“遊戯”に付き合わされて、五体満足で生還した者はいない。……この砦に生存者は期待できん」
ゼウバルモの言葉は事実を告げているだけだが、その声には、奪われた命への静かな悼みの色が滲んでいた。
「だが感傷に浸るのは後だ。相手はあの四狂将軍の一角。我々の想像の及ばぬ罠を仕掛けてくるだろう」
一行は無言で頷き合い、再び慎重に歩を進める。
やがて、その足が一斉に止まった。
「――来るぞ」
ゼウバルモが半歩前に出る。
その一言が、スイッチだった。
『白き獅子』という名の、完璧に調整された殺戮機械が、一切の無駄なく起動する。
不動の盾と、破壊の拳。癒しの泉に、万象の理。
そして、戦場の律動を支配する楽師(バード)。
リュートの音色が、彼らの魂を一つの旋律へと編み上げていく。
最初に闇から飛び出したのは、岩に化けた黒蜥蜴。
刃と化した背骨をしならせ、ゼウバルモの喉笛めがけて必殺の跳躍を放つ。
だが、それより速く、雷が閃いた。
「鎖雷(チェインライトニング)!」
鼻を焼くオゾンの匂い!
魔法使いの杖から迸った雷の鎖が、獣の全身を絡め取り、その自由を刹那に奪う。
宙で硬直する、生きた的。
――その顎の下に、死を告げる白銀の一閃が滑り込んだ。
剣は引かない。
絶命した巨体を、そのまま肉の盾として構え直す。
完璧すぎるカウンターだ。
「左上、五! 潰せ!」
武闘家が吼える!
その踏み込みは、大地そのものを揺るがす必殺の――震脚。
衝撃波が壁を走り、襲い来る増援の甲殻を内側から破壊する。
蜘蛛の巣状の亀裂が走る、心地よい破壊音が連続で響いた。
まだ死んではいない。
だが、それで十分。
ゼウバルモが肉盾の中で剣を微かに捻ると、共振現象が発生。
亀裂の入った甲殻が一斉にガラス細工のように砕け散り、獣たちは無力な肉塊と化した!
「ふーむ、見事なもんじゃ。まるで熟練の職人芸じゃのう」
権蔵が、己の我流とは全く違う『武の理』に、素直な感嘆の声を漏らした。
「前方、二十先に“脈”の集束……次が来ます!」
旅芸人の警告と同時、前方の暗がりで巨大な肉塊が蠢いた。
黒い
壁から無数の牙を覗かせ、毒々しい舌を鞭のようにしならせる。
「正面、止めろ!」
ゼウバルモの号令一下、光の障壁が炸裂。
毒の舌を真正面から受け止める。
間髪入れず、治療師の聖印が障壁に聖なる薄膜を重ねがけし、致死の一撃を完全に無力化した。
「――穿て」
魔法使いの火矢が、障壁の縁を駆け上がる。
まるで意志を持つかのように軌道を変え、寸分の狂いもなく巨蛭の眼点を焼き尽くした。
肉の焼け爛れる音と、断末魔の絶叫。巨体は力なく崩れ落ちる。
「シャルちゃん、後ろじゃ!」
権蔵の声は、もはや引き金に過ぎない。
シャルロットの身体が水銀のように滑り、抜き放たれたレイピアの切っ先が背後の闇を正確に穿つ。
粘液に擬態していた第三の影――無数の触手が、音もなく両断されていた。
無駄のない踏み込み、微動だにしない体幹、完璧な残心。
それは戦いというより、死を振りまく、あまりにも美しい舞踊だった。
「見事」
ゼウバルモの短い称賛に、シャルロットは静かに頷いた。
「……闇に紛れる黒色ばかり。厄介ですわね」
「ああ。だが、それだけではない。どの個体も、異常なまでに統率が取れている。まるで一つの意志で動いているかのようだ」
シャルロットの言葉に、ゼウバルモが頷く。
道はやがて広間へ――旧鉱山砦の心臓部へと開けた。
天井は高く、岩の梁が朽ちた聖堂の天井画のように走り、その中央に古い玉座が鎮座している。
玉座の背後に刻まれた古王国の紋章は、黒い薔薇の蔓にも似た禍々しい意匠で無惨に塗り潰されていた。
そして、玉座に――“それ”は座っていた。
薄闇の中、影そのものがドレスを纏ったかのように、黒い布が周囲の光を拒絶している。
人影の輪郭は細く、傾けられた顔の影は、永遠の笑みを浮かべているかのようだ。
「ようこそおいでくださいました、『白き獅子』の皆様。そして――ああ、なんと素晴らしい! あなたこそが、因果の糸に手繰り寄せられし“勇者”様、なのですね?」
玉座の影は、まるで観劇の幕開けを告げる俳優のように、優雅に片手を広げた。
その声は、鼓膜にまとわりつく粘度の高い蜜のようだ。
「……ッ! 黒薔薇の花嫁、セミヨン……!」
憎悪に震える声でその名を呟き、シャルロットが抜き放った剣の切っ先が、玉座の主を正確に捉える。
白銀の刀身から立ち昇る闘気は、あらゆる不浄を焼き尽くす烈火の如し。
「おや、おや。そんなに殺生な眼差しを向けないでいただきたい。
「
ゼウバルモは巨大な盾を構え、その堅牢な陰で、指先に魔力を集中させる。
紡がれるのは、対魔障壁を構成する沈黙の呪言。
「ほう、“黒いミンミンセミ”とやらが、この天上天下唯我独尊、泣く子も黙る大勇者! 権蔵様のファン、とな! げっはっは! よかろう、この慈悲深きわし自らが、貴様の願い、聞き届けてやろうではないか!」
権蔵は満更でもない様子で胸を反らすと、警戒の「け」の字もなく、玉座へと大股で歩み寄っていく。
「お待ちください、権蔵様! 無防備に近づくなど、あまりに無謀です! 相手は魔王軍の将、どのような罠があるか……!」
激情に駆られ前に出ようとする彼女の肩を、ゼウバルモの腕が鋼の万力となって抑えつけた。
権蔵の無骨な指が、玉座の肘掛けに触れようとした、その刹那。
――ぴん、と細い糸が弾けるような微かな音が響いた。
次の瞬間、権蔵の眼前で黒い影が陽炎のように揺らめき、ふわり、と風船さながらに宙を舞う。
「ぬおっ!?」
権蔵は反射的に身を屈める。
黒いドレスの残像が彼の頭上を軽やかに飛び越え、そのまま教会の天井画に描かれた悪魔のように、逆さまに張り付いた。
蝙蝠じみた四肢を広げ、薄い翅を小刻みに震わせながら、耳障りな嘲笑を響かせる。
「ケケケケケ、ケヒャハハハハ!」
甲高い哄笑が玉座の間に木霊するのと同時、天井の影から金色の液体が放物線を描いた。
ぶしゃぁあああああ。
生温かく、粘りつく液体が、磨き上げられた権蔵の頭頂部へ、見事なアーチを描いて降り注いだ。
「……ぬ、ぬおおっ!? なんだこの生温さは! そして鼻が曲がるほどのこの悪臭は! ま、まさか……貴様、
「ケケケケケ! 騙されたな、間抜けめ! ミンミンミンミンミー! 妾こそはセミヨーン! さあ、ゴミども! ひれ伏すがいい!」
天井の影は腹を抱えて震え、けたたましい奇声で応える。
「……なるほど。吸血鬼の偽物か。悪趣味な」
ゼウバルモが白牙の切っ先をわずかに下げ、魔法使いが冷静に分析を続けた。
「黒いセミ型の魔物……データベースにない新種だ。だが、この魔力密度は尋常では……」
黒い布片を体表に貼り付けただけの、粗末な模倣品。
だが、その身に宿る俊敏さと悪意だけは、紛れもなく本物だ。
「おしっこくせぇえええええええ!! この匂い、わしの繊細な嗅覚には猛毒じゃ! 無理無理、我慢の限界じゃぁあああ! お、おぇええええええ!」
もはや勇者の威厳もへったくれもない。
権蔵は涙目でえずきながら、脱兎のごとく砦の入り口へと走り去ってしまった。
「ご、権蔵様っ!?」
シャルロットの驚愕の声が響くが、権蔵の背中はあっという間に闇に消える。
ある意味、戦場の最大の脅威が去った、その瞬間。
「来るぞ、集中しろ!」
ゼウバルモの号令一下、戦闘再開。
セミヨーンは壁や梁を忍者のように駆け巡り、縫い針のような前肢で波状攻撃を仕掛けてくる。
「ケケケ! お前たちノロマ! ノロマ!」
ゼウバルモが盾でいなし、武闘家がカウンターを狙い、魔法使いの雷が牽制する。
だが、敵は全ての攻撃をひらりひらりとかわし、嘲笑を止めない。
「――そこ!」
その中で、シャルロットの剣だけが敵を捉えた。
床を滑るように踏み込み、放たれた一閃がセミヨーンの足先を切り飛ばす。
黒い体液がびしゃりと飛んだ。
「ミーン! ミミミミミミミ!!」
偽物は逆上し、赤い毒の花粉を撒き散らす。
だが、それも治療師の浄化結界に阻まれ、意味をなさない。
「陣を締めろ。仕留めるのは、次の一撃」
ゼウバルモの落ち着き払った声が、パーティの士気を引き締める。
「はぁっ!」
武闘家が、大地が悲鳴を上げるほどの重い踏み込み――震脚を見舞う。
狙いはセミヨーン本人ではない。
その足場となっている、脆い岩壁。
「ミィ!? 足場が……!」
崩れ落ちる壁から逃れるため、セミヨーンが天井へと跳躍する。
――それこそが、ゼウバルモが描いた必殺の絵図だった。
「――甘い」
先回りしていたゼウバルモの白牙が、死角から滑り込む。
自ら死地へ飛び込んできた獲物の首の節の間に、刃はぬるりと吸い込まれた。
「ジィイイイイイイ!!」
断末魔が途切れる。
続けざまに放たれた魔法使いの火矢が、薄い翅を忌々しい音を立てて焼き焦がした。
ゼウバルモは巨体が崩れ落ちるのを一瞥すると、無造作な血振りで刃を清め、鞘に納める。
カチン、という硬質な音だけが、戦闘の終わりを告げていた。
「……所詮は擬態だけの雑魚か。手間をかけさせられたな」
ゼウバルモは、床に転がる醜悪な死骸を冷ややかに見下ろし、吐き捨てた。
その視線の先には、権蔵が消えていった通路の闇が重なる。
「……しかし、あの勇者はいったい何なのだ? 戦の途中で逃げ出すとは……やはり、所詮は山賊か」
「お待ちください、先生! 権蔵様は、決してそのような方では……!」
「買いかぶりすぎだ、シャルロット。あれはただの身勝手な男だろう。違うか?」
「違いますわ! あの方の本当の凄みは、単純な武勇や戦術などでは……もっと、もっと別のところに……!」
言葉が続かない。
もどかしさに、シャルロットはきつく唇を噛んだ。
どうすれば、あの人の本質を、この敬愛する師に伝えられるのだろう。
「シャルロット。奴をかばうな。お前の優しさは美徳だが、男を見る目がないのは欠点だぞ」
ゼウバルモが、まるで父親が娘を諭すように言った、まさにその時だった。
「――ミィィンミンミンミンミンッ!!」
空気を引き裂く不協和音。
その鋭い羽音に、シャルロットの瞳が緊張に見開かれた。
「……ッ!? まだいます!」
ひゅ、と闇が哭く。
梁の暗がりから、先ほどの未成熟な個体とは比較にならぬ速度で、黒い死の矢が放たれた。
羽化を完全に終えた成体。
その槍のように鋭い口器が、寸分の狂いもなくシャルロットの喉元へと迫る。
思考が追い付かない。
死が、黒い針となって喉笛に迫る。
純白の肌が、その凶刃に触れようとした、まさにその刹那。
「シャルロットッ!」
鋼の壁が、そこにあった。
シャルロットの悲鳴より速く、凶刃の軌道より速く、ゼウバルモの巨体が二人の間に滑り込んでいた。
突き出された左腕の籠手が、喉と口器の間で火花を散らす。
ガギンッ! と硬質な破壊音。
分厚い鋼鉄を紙のように貫き、金属が軋む悲鳴と共に、ゼウバルモの鮮血が闇に舞った。
「ゼウバルモ先生ッ!」
シャルロットの悲鳴と同時、仲間たちが動く。
だが、ゼウバルモは吼えず、乱れず、痛みに呻きもしない。
むしろ、貫かれた左腕でくちばしを掴み、万力のような握力でへし折らんばかりに捻り上げた。
外骨格の関節が軋み、体軸が崩れる。
「――貴様だけは、塵も残さん」
シャルロットを傷つけようとしたことへの、温度のない怒り。
右手に握られた白牙が、最短距離で閃く。
刃は脳を的確に貫き、抜き放つことなくさらに深く押し込まれる。
絶命の痙攣すら封じ、息の根を完全に断つための一撃。
セミヨーンは糸の切れた人形のように床へ崩れ落ち、薄い
一瞬の静寂の後、治療師が駆け寄り、砕けた籠手を慎重に外す。
穿たれた前腕に清浄の光が幾重にも重ねられ、傷口から溢れる血があり得ない速さで塞がっていく。
骨を砕くほどの激痛が走っているはずだが、ゼウバルモの表情は、まるで他人の腕を見ているかのように変わらない。
シャルロットは自分の喉元にそっと触れ、傷ひとつないことを確認すると、震える声でその名を呼んだ。
「……先生、その、腕は……」
「かすり傷だ。気にするな」
低い声。
しかし、シャルロットに向けられる眼差しは、驚くほど優しい。
彼はゆっくりと歩み寄り、彼女の片手を取った。
強張っていた戦場の空気が、その一瞬だけ、ふっと柔らかな色を帯びる。
「それより、お前こそ無事か?」
「は、はい。私は……先生のおかげで……」
「そうか、良かった。……いいか、シャルロット。お前は、俺が守ると誓った、たった一人の姫なのだからな」
戦場にはあまりに似つかわしくない甘い言葉。
けれど不思議と、今のシャルロットにはそれが何よりも自然に、心に響いた。
まるで長年仕えた主君に忠誠を誓う騎士のように、ゼウバルモはシャルロットの手の甲に静かに唇を寄せる。
軽く、しかし揺るぎない意志を込めて。
「――っ!? 先生っ!?」
シャルロットの瞳が驚きに見開かれ、耳まで一気に熱が上る。
「昔も今も、お前は俺の大切な弟子だ。何があろうと、この俺が必ず守る」
彼女は慌てて身じろぎ、反射的に半歩だけ距離を取った。
「ゼウバルモ。今は任務中だ。自制を」
白き獅子の一人が、硬い声で諫める。
「分かっているさ。まったく、野暮な連中だ」
仲間たちの視線を受け流し、ゼウバルモは芝居がかった仕草でやれやれと手を振る。
シャルロットの心の揺らぎは、すぐに張り詰めた戦場の空気に吸い込まれていく。
けれど、手の甲に残された確かな熱だけは、まるで彼の意志が焼き付けられたかのように、いつまでも消えそうになかった。
その、蜜のように甘く、張り詰めていた空気を、土足で踏み荒らすような声が響き渡った。
「おーい! 戻ったぞ! 見ろ、この輝く頭を! あのクソみてぇな臭いは完全に落ちたわ! いやー、鼻が生き返ると飯も美味いじゃろうな!」
広間の入り口から、場の雰囲気をまったく意に介さない呑気な声が跳ねてくる。
権蔵だ。
濡れた頭頂部が明かりを反射してぴかぴかに光り、彼が使ったらしい柑橘系の香油の匂いが、砦に満ちる甘い腐臭をわずかに押しやっている。
「おろ? どうしたんじゃ、シャルちゃん。顔が真っ赤ではないか。もしや熱でもあるのかの?」
「な、なんでもありませんわっ!」
彼女はいつもの毅然とした調子を取り繕い、反射的に権蔵から一歩距離を取る。
いぶかしげな権蔵の視線が、シャルロットと、その隣に立つゼウバルモの間を行き来した。
「ふむ? なんじゃ、わしがおらぬ間に、何やら劇的なことでもあったのかえ?」
ゼウバルモは複雑な表情で権蔵に視線を返した。
彼は短く首を振ると、淡々と報告を始めた。
「セミヨーンを二体落とした。本体はいなかったが、これで任務は完了だ。撤収する」
「ぬぅ、わしの見せ場を奪いおって。……まあよい。あの地獄の悪臭に比べれば、手柄のひとつやふたつ、くれてやるわい」
権蔵は不満げに口を尖らせ、床に転がるセミヨーンの死骸を靴の先でつんつんと突いた。
「しかし、結局大した化け物はおらんかったのう。これならグレイたちのほうへ加勢に行ったほうが面白かったわい。性悪貴族をぎゃふんと言わせるのも、なかなか一興じゃからの」
「権蔵様。ここにいる私とゼウバルモ先生も、その貴族に数えられますのよ。少しは言葉を選んでいただかないと困りますわ」
シャルロットがやんわりと釘を刺すが、権蔵は「おっと、そうじゃったか!」と頭を掻き、豪快に笑い飛ばす。
「こりゃ失言失言! 悪気はないんじゃ、許せ許せ! げっはっは!」
その悪びれない態度に、ゼウバルモのこめかみに青筋がぴくりと浮いた。
だが、彼はその苛立ちを表に出すことなく、努めて冷静な声で言った。
「安心するがいい、勇者殿。マヌローには俺の選りすぐりの部隊を回してある。貴殿は宿で、朗報を待っていればよい」
ゼウバルモは白牙を鞘に納め、その視線を再びシャルロットへと向ける。
「ではシャルロット。我々は一度街へ戻るとしよう」
「……はい。お供いたします」
「うむ。ではその前に……なあ、シャルちゃんよ」
「ひゃ、はいっ!?」
不意に権蔵に馴れ馴れしく肩をぽんと叩かれ、シャルロットは蛙のように飛び上がった。
「さっき、またわしのことを『権蔵様』と呼んでくれたな! よしよし、それでいいんじゃ!」
権蔵は犬の頭でも撫でるように、バンバンと遠慮なく彼女の肩を叩く。
「おぬしとの間にはまあ、色々あったが……この度量の広いわしは、もう気にしておらん! 今までのことは綺麗さっぱり水に流して、これからはもっと仲良くやっていこうではないか!」
(み、水に流す、ですって!? なぜ加害者側からそんな上から目線で……!? というか、そもそも王城での一件、わたくしはまだ一ミリたりとも許してはおりませんのに!)
シャルロットの脳内で、騎士としての矜持と、目の前の男への純粋な困惑が激しくぶつかり合う。
だが、権蔵のあまりに晴れやかな笑顔を前に、どう返事をすればいいのか分からない。
その口が開くより早く、地獄の底から響くような声が、二人の間に割り込んだ。
「――勇者殿。その不潔な手をどけろ」
いつの間に背後に立っていたのか。
ゼウバルモが、権蔵の手首を掴んで、ぴたりと動きを止めている。
「貴様がその手で何を洗い流してきたかは知らんが、馴れ馴れしいにも程がある。俺の弟子に気安く触れるな」
「なっ!? 失敬な! この輝く頭を見ても分からんか! セミのションベンなど綺麗さっぱり流したわ! これはシャルちゃんとわしの友情の証じゃ!」
「友情だと? 貴様のような偽物の勇者との間に育つものなど、友情ではなく寄生虫だ。その口を閉じろ、野盗が」
「ぬぬぬ……! シャルちゃん! この坊主頭が何か言ってきたら、いつでもこのわしに言うんじゃぞ! 今なら友達価格! タダでわしが守ってやるからのう!」
「誰が坊主頭だ! 貴様のようなつるっぱげよりは、遥かに思慮深いわ! それにシャルロットは俺が守る! 偽勇者の貴様の出る幕はない!」
「誰が偽勇者じゃこのロリコン野郎がァ! 師匠面しとるが、どうせおぬしはシャルちゃん相手によからぬ事を考えておる口じゃろ!」
「なっ……!? だ、誰がロリコンだ! 貴様こそ、美少年ばかり集めてハーレムを作っている倒錯者《ショタコン》ではないか!」
バチバチと、物理的に火花が見えそうなほどの視線が交錯する。
完全に蚊帳の外に置かれたシャルロットは、自分という存在をダシにして「ロリコン」「ショタコン」と罵り合う、あまりにもレベルの低い口喧嘩を前に、ただただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「……ふん、似た者同士がなにを憎み合うことがあろうか」
その世紀の泥仕合を一歩離れた場所から眺めていた魔法使いが、心底うんざりしたように呟いた。
彼の声はもちろん誰の耳にも届かない。
ただ、無残に転がった魔物の黒い瞳だけが、広間で繰り広げられる壮絶にどうでもいい口喧嘩を、虚な瞳で静かに見つめていた。