響鬼外伝の外伝!? かめんらいだぁふぶき ―僕っ娘師匠の裏の顔― 作:裕ーKI
今回はそのプロローグとなります。
こちらも洗濯物の裏に様より頂きましたアイデアを基に作成。今作は、人から変わりし鬼と天狗の因縁と、そこから繋がる懐柔のお話。
春画調を意識してみようと思い、普段より和の雰囲気を強調してみました(正直その手の知識が皆無だったのでメッチャ勉強した!)。
序幕:隷名染まりし番たち
その妖術は、他者の魂を捻じ曲げる力――。
名を与え、名を書き換え、自らの所有物へと変える力――。
真名を奪われし存在は、黒き痣の呪縛に支配され、自己さえも奪われる――。
〇
色濃き霧に包まれた、人里離れたとある山奥に打ち捨てられたように佇む、古びた武家屋敷。そこに連れてこられてから、既に二週間の時が経っていた。
度重なる調教の末、2人は全てを失った。
戦う力も、本来いるべき立場も。
互いに愛し合う心も、意思の自由も。
正義の誇りは枯れ果て、名前すらも書き替えられた。
2人に残されたのは、二週間前に突如として現れた、“天空からの襲撃者”が操る妖術によって心身に刻み込まれた、呪いの如き不本意なる忠誠心と、決して抗うことなどできぬ快楽への渇望。
そして、自分たちに屈辱的敗北を齎した、仇敵の単なる所有物と成り下がった事実。人間的尊厳を剥奪され、仇敵を“主”と拝跪し、その者の欲望を潤すためだけの、“生ける肉の器”へと堕とされたという、残酷な現実だけだった――。
かつての華やかさを忘れたように、陽に焼けて白茶けた襖が、シュルリと敷居を噛むような微かな悲鳴を上げて横に滑る。
乾いた和紙が震える音が、行燈の灯りに辛うじて照らされた、薄暗い座敷の静寂を削り取っていく。
「
冷たい廊下を湛える闇を背負うように、物静かに現れ畳を踏み締めたのは、純白の肌襦袢を身に纏った、茶色い巻き毛髪の女だった。
腹の前で両手の指を絡めて組みながら、端然とした佇まいで淡々と告げるその姿からは、以前のような活発さや明るさは全くと言っていいほど消え失せていた。
「ええ……わかっていますよ、
まるで和人形のように、背筋をまっすぐと伸ばした姿勢で鏡台の前に正座し、儀式めいた物静かさで唇に紅を差していたのは、中性的な面立ちをした、短い黒髪の女。
彼女は手にしていたルージュを天板に置くと、背後に佇む茶色い巻き毛髪の女――寵に向かって、冷ややかながらも陶酔を含んだ視線を鏡越しに投げ掛けた。
紅を差し終えた唇が、徐に艶やかな朱色の弧を描く。
それはかつての彼女が見せた清らかな慈愛の笑みなどではなく、主の好みに合わせて作り替えられた、従順な“器”としての空虚な微笑だった。
「あなたも準備はできているのでしょう……? 主さまがその柔肌にお付けになった枷の鎖が、先ほどから小さく鳴っているのでは……?」
絆の指摘に図星を突かれ、羞恥に促された寵の身体がピクンと小さく震える。
思わず握り締めた下半身の布地の下では、この後の主の抱擁を待ちきれぬと言わんばかりに、斎戒で清めたばかりの割れ目を密かに蜜で湿らせていた。
二週間前、主となった男に強制的に新たな名前を授けられた際、絆と寵の身体の至る箇所には、その証として、2人の魂を拘束する呪縛の鎖、或いは隷属の刻印とも言うべき、梵字にも似た黒い紋様の痣が浮かび上がっていた。
目の下の頬や胸元、上膊や内腿といった、白皙の肌のあちこちに禍々しく色づいている、漆黒の羅列。
それは主の意思が介在するたびに、もしくは心奪われた被術者が主に思いを馳せるたびに、痣の形に沿って内側から肌に熱を帯びさせ、神経を甘く逆撫でる。
その症状はあたかも、目に見えぬ鎖が肉に食い込み、ギリギリと魂を引き絞るような、抗い難い支配の感触だった。
「あッ……ん……え、ええ……、絆姐さま……。主さまの温もりが恋しくて恋しくて堪らず、興奮を抑えきることができずについ……」
「そうですか……。直情する癖は以前と変わりませんね……。ですが今の我々は、主さまにお仕えする身……。鬼だった頃の感覚のままでは困りますよ……?」
「ええ、それは勿論承知しておりますわ……」
「ならばよいのです……。では参りますよ、主さまの許へ……」
絆はそう言うと、鏡台の前から音もなく立ち上がり、襖の前で待機していた寵の方へとゆっくりと歩み始める。
鏡に映る2人の後姿には、気高き鬼としての情熱は最早微塵も宿ってはいなかった。
闇へと消えていく冷たい白磁の如きその背影は、まるで白い灰を被った熾火のような、救いようのない
「ところで、絆姐さまは存じていましたか……? 主さまがお考えになっている、私たち2人の最終的な処遇の話を……」
主が待つ御間へと続く細長い廊下をゆっくりと踏み締めていく中、不意に寵が、数歩先を歩く絆の背中に問いかけた。
絆は肩越しに寵を見ながら、その顔に怪訝な表情を滲ませる。
「最終的な処遇……? 主さまがわたしたちを捕らえて隷属にお加えになったのは、子孫を残すためではないのですか……?」
「実は先日、単独のご奉仕をさせて頂いていた際に、主さまの口から直々にお聞きになったのですが、それはあくまで、今後の布石の1つに過ぎないそうです……」
「では……主さまがわたしたちに真に望むこととは……?」
「主さまの最終目標……。それは……なんとも信じ難い話なのですが、どうやら次元を跨ぐほどの力を持った……伝説級の魔化魍というものが存在するらしく、それを手懐けて戦力に加え、怨敵たる猛士に復讐を果たすこと、なんだとか……。ですが、その伝説の魔化魍とやらは今現在、器となる肉体を持ち合わせておりません。なので主さまは、私たちのどちらかを、“器無き魔化魍”の受け皿にしようとお考えのようです……」
寵が語る主の野望とは、2人にとってのかつての居場所が滅ぼされ、2人にとってのかつての仲間たちの命が危機に晒され、2人にとって――かつては守護の対象だった人類の平和が脅かされる未来を示唆する内容だった。
それどころか、その手助けを自分たちのどちらかが行うかもしれないという、この上ない背徳の極致を意味していた。
にも拘らず、寵はその話を顔色一つ変えずに平然と述べていた。
「受け皿……? 依り代ということですか……。因みにその時、肉体を明け渡した者の自我や意識については……主さまは何か言っていましたか……?」
「少しだけ……。完全に消えるか、或いは“器無き魔化魍”の一部として統合されるか、そのどちらかだと……。いずれにせよ、私自身に迷いや恐れはありませんし、主さまがお望みとあれば喜んで決断を受け入れますが……。あのお方のお役に立つことこそが、今の私の幸福なのですから……。当然、絆姐さまもその点については同じ心境のはずでは……?」
寵の瞳には、既にかつての快活な光は微塵もなく、その黒々とした深淵の奥には、一切の疑念を持たぬほどの狂信だけが妖異に渦巻いていた。
その時、ふと足を止めた絆の口から、無意識に乾いた吐息が漏れる。
「幸福……。幸福……? これが……?」
かつての居場所を、仲間を、誇りを、その全てが灰燼に帰すための礎となる。本来ならばこれ以上ないほど悍ましいと思うべき、そんな未来を突きつけられ、絆の心の根底に封じ込められていた鬼としての道義が、微かな抵抗を試みようと胸を締め付けていた。
だがそれも、所詮は一瞬の揺らぎに過ぎなかった。
「あッ……あぅ……ッ」
その思考に蓋をするように、魂の悲鳴を遮るように、即座に身体中の梵字の痣が、ドクンと激しく脈動を引き起こした。
それは主の野望の悪意を知っても尚、その達成を願う寵の熱に当てられたからなのか。或いは、絆自身の肉体が、主の野望に貢献できることに対して、本能的な悦びを感じてしまった故なのか。
どちらにしろ、肌の上を這う黒き紋様の“鎖”が、ギリギリと理性を締め上げ、拒絶を仄めかした囁きを、甘い喘ぎの呼吸へと書き換えていった。
「絆姐さま……?」
立ち止まったまま沈黙し、小刻みに肩を震わせる絆の背中に、寵は不審がるように小首を傾ぐ。
「ええ……ええ……そう、ね――」
すると艶を帯びた絆の低音が、徐に寵の呼び掛けに応える。
「あなたの言う通りです、寵……。あのお方の望みが、わたしたちの望み……。たとえこの意識が、闇に溶けて消えようとも……」
脈動の衝撃に一瞬大きく見開いたものの、次第に生気を失い、再び虚ろに塗り潰された漆黒の瞳が、肩越しに寵の視線と交差する。
そう……。そうね……。そうだった……。
かつての居場所がどうなろうと、かつての仲間や罪なき人々の命がいくら朽ち果てようと、今となっては良心の呵責も罪の意識も感じない。感じるために必要な感情は、全て呪縛によって封じ込められているのだから。
ただ……それでも1つだけ……。
もし、気掛かりがあるとすれば、1つだけ――……。
心の呪縛がほつれかけた刹那の瞬間、辛うじて蘇った
だが、主を崇拝するだけの空虚な存在と成り果てたその身にとって、それは喉につっかえた小骨のような、漠然とした不快感や苛立ちにしかならなかった。
そんな厭わしさを振り払わんばかりに、絆は細めた目を真っ直ぐと廊下の最果てへと見据える。
「どうやら絆姐さまも私と同じで……、“鎖”の摩擦に耐えかねていたようですね……」
「ええ……そのようですね……。それだけ主さまの御力が強大だということです……。最早我々には……為す術がないほどに……。さあ、そんなことより……今はとにかく急ぎましょう……。主さまを待たせるわけにはいきませんよ……?」
「はい、絆姐さま……」
再び冷たい床板を踏み締め始めた絆と寵は、やがて澱んだ影に支配された回廊の半ばに、内側から漏れ出た光の輪郭を帯びた、一際異質な気配を纏った重厚な縁取りの襖を見出した。
引き寄せられるようにその襖の前で足を止める2人の愛奴。
歩を進めるにつれて高鳴り続けていた、内腿を駆け上がるような甘い疼きを指先の微かな震えへと変え、絆は黒漆の引手へと腕を伸ばす。
紙1枚隔てた先にあるのは、今の2人にとってはまさに聖域。絆と寵の熱い吐息が重なり、張り詰めた静寂が限界まで引き絞られる。
「失礼致します、我らが主――オオテングさま……」
早鐘を打つ胸の鼓動に急かされる気持ちを必死に抑え込みながら、絆は両手の指に掛けた引手をゆっくりと横に滑らせた。
もう、何度目かもわからない。
狂宴という名の情欲に満ち溢れし供物の儀が、今宵もこうして幕を開けようとしていた――。