帝国歴1185年、
アドラステア帝国皇帝、エーデルガルト率いる
人ならざる者が上に立つフォドラの理は打破され、身分と紋章に縋っていた既存の価値観を全てかなぐり捨てた新世界の実現は近いにも思われた。
しかし、千年にも渡る長い時の間にフォドラの裏で様々な惨事を起こしてきた『闇に蠢く者』たちは未だ健在。
彼等を征伐しなければ、フォドラに真の泰平は訪れない。
帝国は『闇に蠢く者』たちの暗躍に終止符を打つために最後の戦いに臨んだ。
それは決して歴史に残ることの無い戦争。
◇
全ての戦いが終わった後。
あなたは帝国を離れ、ガルグ=マク大修道院へと戻っていた。
ここは傭兵としての生き方しか知らなかったあなたが、生徒を導く教師としての道を知った特異点とも言える場所である。あなたを教師として見出した大司教レアとは袖を分かち、最後にはお互いで殺しあう関係にまでなってしまったが、それでも教師としての道を示してくれた事に対してはずっと感謝をしていた。
故に、あなたは教師としての生が始まったガルグ=マク大修道院に戻ってきた。
ここはかつて、セイロス聖教会に反旗を翻す
勿論、あなたは分かっていた。
簡潔に言えば、『卒業』である。
帝国貴族である生徒は位を継ぐために領地へと戻っていった。ペトラは故郷であるブリギット諸島へと帰国。ドロテアは歌劇団の復興の為に劇場へと戻っていった。エーデルガルトとヒューベルトは言わずもがな、帝国の統治に従事している。
生徒たちとは千年祭の時と同じように同窓会の約束を勿論しているが、今度はそれがいつになるかは分からない。
皆が皆、自分の進むべき道を見つけたのだ。
ガルグ=マク大修道院の中をあなたは征く。
その足並みはかつて、大修道院の地を走り回っていた時のように軽やかなものではない。
もう、この場所であなたは先生として生徒を導く事はできないだろう。
大修道院はフォドラの中心地にあるとはいえ、立地があまり良いとは言えず、そのうえ先の戦乱で城下町も壊滅的な被害を受けている。約五年もの間帝国軍が要地としていたため、市場がある程度賑わっていた時期もあったが、帝国が戦争に勝ってからは軍は帝国へと戻り、それに連なって商人も去っていった。
この大修道院は誰の手にも委ねられる事無く、朽ちていく以外の道は無いのだ。
あなたはその事に一抹の寂しさを感じていた。
あなたは寂しさを紛らわすように、大修道院に残った遺物の整理を行っていた。
大修道院の近辺はかつての軍の駐在地だっただけあって、人が少なくなっても治安は良く、盗みを働くような賊もいないが、それもいつまで続くか分からない。
あなたは何かに突き動かされるような感覚を覚えていた。
「先生」
ふと、あなたを呼ぶ声がした。
何度も聞きなれ、それでいてもう聞けなくなってしまったと思っていた言葉に対して、あなたは反射的に振り返る。
「先生、こちらにいらっしゃったのですね」
凛とした声が澄んだ夕闇の空へ響き渡った。
なぜここに、と声の主である彼女へ尋ねる。
「会いたかったから、という理由だけでは
少し困りげな顔をする彼女──イングリットへ、そんなことはないとあなたは返事をする。
天馬騎士として軍に参加していた彼女は軍の散開と共に、祖国である元ファーガス神聖王国の領地だったガラテアの地へと帰ったとあなたは聞いていた。
フォドラは帝国によって統一されたため、元あった王国の領土は帝国へと接収され、ガラテア領もまた消滅することとなる。だが、王国領の全てが直接帝国によって支配されるわけではない。北のファーガスと南のアドラステア。気候や地質の違いもあって、市政を行う者は依然として、ファーガス縁の者の方が良いという声も上がっていた。
ガラテア伯爵家令嬢のイングリットは帝国将として、大きく名をあげた。彼女の嘆願によっては、ガラテア領存続の可能性も大いにあるだろう。
そのあたりの身辺整理で、祖国へ戻っていたと思っていたため、彼女がこの場に居る事にあなたは驚いた。
「戦いが終わってから、先生は誰にも行先を告げずにどこかへ行ってしまったと聞きました。先生が『先生』である時の事以上を私は知らないので、ここ大修道院しか思い浮かびませんでしたが、当てが外れなくて良かったです」
イングリットは満面の笑みを浮かべてそう言った。
その笑みを見て、彼女は軍の中でもよく笑う子だったとあなたは想起する。
主に食事の時ではあるが、好物を食べているときの彼女は見ているこっちも釣られてしまうほどそれはもう、嬉しそうに笑っていた覚えがある。
「ところで、先生は……こちらで何をなさっていたのでしょうか。もしかして、大修道院の修繕でしょうか?」
イングリットの問いに対して、あなたは違うと答えた。
「遺物の整理、というわけですね。私は大修道院の再建……その手筈の整えかもしれないと思っていましたが、やはり難しいのでしょうか」
あなたはこのガルグ=マク修道院の行く末を思い浮かべる。かつてセイロス教の総本山であったここを残すという選択肢は各所から反発を生む可能性が非常に高いだろう。人ならざる者が支配する時代は終わった。そう謳われる世で、ここを教育の場とするのは難しい話だ。
「かつての学び舎が廃れていってしまうのは物悲しいですが、しょうがないのでしょうね……」
取り壊される事も当然の如く検討されているだろう。良くて放置といった所かもしれない。
支配者が舞台から引きずり降ろされた際、その象徴は破壊される事が多い。王の銅像が民衆によって打ち倒される、そんな様子が描かれるほど、この大地は輪廻を繰り返してきた。
きっと、此処もそれに連なる未来になるのだろう、とあなたは思案する。
「……先生、私も整理を手伝わせて頂けないでしょうか? 一人よりも、二人でやったほうが効率的であると思うのですが……」
暗い雰囲気を吹き飛ばすかのように、イングリットはあなたに対して提案をした。
大修道院は非常に広く、整理すべき物もたくさん有ったので、彼女の申し出はあなたにとって非常にありがたかった。
よろしく頼む、とあなたはすぐに返事を返す。
「ふふ……決まりですね。それでは早速取り掛かりましょう」
大修道院での遺物の整理がある程度進んだ後、あなたが持っていたとある荷物に対してイングリットは目を付けた。
「先生……それは一体何なのでしょうか」
彼女の目線の先にあるのは、薔薇の絵が描かれた一枚の手紙だった。中には、なんとも言えない愛の呟きが連ねられている。
「こ……これは、恋文ですね……一体、誰に対して? も、もしかして先生宛てなんですか?!」
逸るイングリットに対してあなたは分からない、と答えた。恋文には一番肝心な宛名が書かれていないのである。
「恋文なのに宛てが分からない……って、そんな事があるのでしょうか? あっ、確かに書かれてないですね……」
大修道院の遺物。ここで言う遺物とは『遺品』も含まれる。かつて、士官学校に在住していた生徒達が整理する間もなく残していった物。持ち主が決して取りに戻る事はあり得ない、文字通りの遺品である。
ここにはそういった物が沢山あるのだ。
「遺品……? っ……そう、なんですね……」
イングリットは遺品、と聞いて暗い顔をした。彼女はすぐに遺品の持ち主に予想がついたのだろう。
「……誰の物か、分かりました」
手紙の送り主はイングリットの幼馴染であるシルヴァンである。短い付き合いで受け持つ教室も違ったが、嫌でも彼の女性に対する態度は悪い評判としてあなたの耳にも入っていた。落とし物として同じような品を一度彼に届けた事があるが、控えがまだ彼の部屋に残っていた。
「宛名の無い書置きの手紙……誰に贈っても恥ずかしい中身の無い手紙ね……」
イングリットはシルヴァンと長い付き合いで、彼の軽薄な言動にいつもほとほと手を焼かされていたという。
「よく見てみれば、他にも手紙があるじゃない……。しかも内容は全く同じって、アイツこんな事してたのね……」
そんな彼は帝国軍によるガルグ=マク侵攻の際、王国軍側に就いた。彼にしてみれば、同じく幼馴染であったディミトリを、王国を、裏切る理由など無かったのだろう。対してイングリットが就いたのは帝国側。その日、名実ともに幼馴染は敵同士となった。
そんな彼が記した軽薄な手紙は、もう二度と
故ディミトリ率いる王国軍と帝国軍が衝突した平原において、他でもない幼馴染である彼女の手によって討ち取られたのだから。
女性に対する軽薄さはついぞ治る事は無かったが、彼は王国への忠義を最後まで貫いた。
「ほんと、最低……でも、私は……」
あなたはイングリットに対して、後悔しているのかと問う。
それはたった
「……先生、取り乱してしまいました。今のは、忘れてください……。私は、今に至るまで後悔はしてません。自分の心を信じて、自分の信じる正義の為に戦ってきました。だから、後悔なんて、したことはありません」
彼女は毅然とした態度でそう答えた。幾度にも渡る問いの答えはあなたにとって明白な物だったが、今回ばかり彼女は少し違って見えた。
「迷いがあるように感じられ、ますか……? いえ、私はそのようには……」
帝国将だった頃はいつも気丈に振る舞い、立ちふさがる敵を高らかに屠ってきたイングリットからは、到底考えられないような弱さがそこにはあった。
彼女の翠の瞳の奥に後悔にも近い迷いの念を感じ取ったあなたは、確信を持って彼女に問う。
「そう、ですか。困りましたね……先生は、本当に……」
イングリットの心にもし迷いがあるのなら、たとえそれが決して解決できる物では無くても、放っておけなかったのだ。あなたは彼女の事をいつだって大切に思っている。
「そうやって……いつも私を……」
学び舎が無くなり、教師と生徒の結びつきが弱くなった今でも、それは変わらない。生徒自らが、自分の進んだ道が正しい物だったと信じれるように──そんな思いを元にあなたはずっと生徒を導いてきた。
「本当に、何でもお見通しなんですから……」
悩みがあるならできる限りの力を貸そう、とあなたはイングリットに対して助力を願い出た。
「……そうですね。先生、久しぶりにお茶会でも致しませんか? 私、そこでなら腹を割って話せると思います」
あなたは何やら積もる話が彼女にあると察する。
断る理由も無かったあなたは快く彼女の誘いにのることにした。
◇
「茶葉は私が予め持参してきました。先生のお好きなものです」
かつての自室であなたはイングリットとお茶会に興じていた。菓子も茶葉もあなたは持ってきてはいなかったが、どうやら彼女は用意がいいらしい。
「持ち合わせが有ってよかったです。……少し、多すぎますかね? や、別に全部私が食べるために持ち歩いているわけではなくて……」
バスケットの中で山盛りに積まれたお菓子を横目にあなたは笑っていた。
「……本当は話すつもりは毛頭無かったんですが、先生の考えを聞いて気持ちが変わりました。……先生は不思議なお方です。先生と一緒に居た時間はそれほど長くないのに、今まで出会ってきた誰よりも気が置けない……素敵な人で、私の心の堰もすっかり取り払われてしまいました」
イングリットはあなたに積もる話をあなたに打ち明けてくれる様子だった。あなたが先生として、生徒たちの悩みを聞くのは、何もこれが初めてというわけではない。格式は違えど、あなたは学級を越えて生徒の声に、相談にいつも乗ってきた。
そのたびに、あなたは生徒たちの信頼を得ていることに誇らしく思っていたものだった。
「先生は……あの日、私が王国を捨てて帝国に就いた時、疑問には思いませんでしたか?」
ソーサーとカップが触れ合い、ことりと音を立てたのを皮切りにイングリットは問い始めた。
その問いかけに対して少し思案してから、確かにとあなたの脳内に疑問が浮かんだ。あの時、彼女は家を存続させるために帝国に就くと決めたと言っていた。
「ガラテア領の立地は王国と同盟領の間、それも奥側に位置します。帝国の領土とは遥かに離れているので、帝国の侵略から家を守るために帝国に味方したというのは、少し無理がある話だと思いませんか?」
当時のあなたは一傭兵だった経験を生かして、戦闘における生徒たちの素養を高めることに一躍買っていったが、それ以外はからっきしであった。フォドラのどこどこに、どの貴族がどこの領地を治めるか、なんて全くもって理解していなかった。明け透けに言えば、地理が得意では無かったのである。なので、当時のあなたは彼女の決断に対してそういうものなのか、と何も疑念を抱かなかった。
再開して間もなく、地理に疎い事に見かねたヒューベルトによって集中講義が行われ、あなたは何とか大貴族が治める領地くらいならば暗記できるようになったので安心である。
「今でこそ王国……いや、フォドラの裏で暗躍していた者たちの存在を知っているので、その選択は間違った物では無かったと私は確信を持てます。私があの時王国についていれば、たとえ戦争に勝ったとしても、真相は見えず、何も分からないうちに死んでいたかもしれません」
フォドラを日の当たらないところから支配してきた闇に蠢くものたち。帝国に関与していなければ、彼らの存在の一片は知ることができたとしても、全容を暴くことはできなかっただろう。そう、あなたは思っている。
「当時の私はそんな事、露ほども知りませんでした。当然、幼い頃から高潔な騎士を夢見ていた私は、何があろうと王国に生涯仕える、そう考えていたのです。もちろん、士官学校時代に青獅子の学級を離れて先生の学級に移ったのはただ単純に、己をより高める事ができる場所だと考えたからですよ?」
あなたはイングリットに贈り物をしていた時の事を思い出した。そういえば、燻製肉ばかり贈っていた気がする。あなたはおもわず思い出し笑いをした。
「せ、先生笑わないでください! 私、あれは大好きなんですから、その、喜ぶのもしょうがないでしょう! ……まったく、話を戻しますよ……。あの時、そんな私が祖国を捨て、家族を捨て、幼馴染も夢も、何もかも捨て去ったのは、ただ一つだけ譲れないものがあったからです」
ただ一つの譲れないものとはなにか、あなたはイングリットに尋ねた。
「分からないのですか……? もう……ドロテアが昔言っていた事は確かでしたね。それが先生の魅力でもあるのですが……」
なぜ、ここでドロテアが出てくるのだろうか、とあなたは考えた。
「いいのです、先生。これは私の独善で、自分勝手な思いの押し付けですから……」
イングリットは何故かそわそわしていた。まるで誕生日のお祝いを待つ子供のように隠しきれぬ悦びを秘めながら、それでいてどことなく艶めかしい──そんなアンバランスな笑みを浮かべながら。
ふと、あなたは自分の視界が覚束ない事に気がついた。
「ふふ……そろそろ効いてきました、かね? 先生は相当な健啖家なので正直、効くかどうか分からなかったのですが」
身体がとても熱くなり、未知の感覚に襲われる。
「私の家系は代々裏切り者の連なりでした。ガラテアは帝国より発った王国から同盟へと家を分け、それからまた王国へと寝返った。父の事は尊敬さえすれど、主君を転々とする我が家の謂れは私にとって、到底理解のできないものだったのです。だから、幼い頃の私は高潔な騎士を目指したのかもしれません」
反面教師というものですかね、とイングリットは可笑しげに言う。
「何事にも流されず、忠義を貫く。そんな清廉の騎士に。……ですが、私も結局の所、この身に流れる血に抗えなかったというわけです」
あなたの身体にイングリットの手が伸びてきた。
その手はあなたを先生として慕う生徒の手ではなく、一匹の獣として絡みつく。