※この作品はR-18です。

祖国を裏切った女騎士と気の向くままに溶けあう話   作:アライ

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自分はFEHやって無いんですが、どうやらイングリットちゃんの投票イベがあるみたいなんで、応援がてら久しぶりに投稿してみました。

なお内容は非エロ


ひとり思う

 降り頻(しき)る雨の中、イングリットは天馬と共に暗く濁った空を翔けていた。

 闇に塗り潰されてしまった虚空は、唯の祈りでさえも天へと届けてくれる事は無い程に歪んでいる。しかし彼女はそれを意に介さず、ただ淡々と、それでいて優雅に、立ち塞がる敵を屠っていく。相対する王国の者達は皆、悪条件の環境での戦いに慣れていないのだろう、泥濘(ぬかる)んだ大地に脚を捕われて十分な白兵戦もままならない状態だった。

 

 大空を揺蕩う騎士だけは違う。

 天馬の美しく細微な翼は、水を容易に弾いてしまう。

 

 雨下でも晴天時と変わらない程の動力を生み出せる天馬騎士にとって、果てしなく広がるこの暗天の空は、僅かに視界が狭まる事はあれど、基本的には大きく有利に働く。

 王国の者達もそれは分かっているのだろう、王都より天馬騎士の精鋭を呼び込む手筈を整えていた。

 

 が、しかし。

 そんな普遍的な企みは、冷酷で陰険な皇帝の従者によって、時を必要とせず軽々と見抜かれてしまう。

 

 

 漆黒の空より鮮やかに飛来した者、ひとりの天馬騎士によって、増援の引き込みを行っていた白魔導兵はいとも容易く手に掛けられた──

 

 

 

 イングリットは、ひとり思う。

 短い間だったとは言え親交があった彼女からは確か、着飾る事に対しての知識を教えてもらったのだったか。香水だとか、化粧だとか、全く以て必要としていなかった──というのは強がりに過ぎず、女性の嗜みとして当たり前の様に身に付けていた彼女を、何処か別の世界に生きる人としてずっと憧れを持っていた。そんな彼女とどんな出来事から会話が始まり、どんな世話話から打ち解けたのか。イングリットは異常な程に冷静だった自身の頭を回して想起してみたが、その事を考えた途端、思考に靄が掛かった様な気分に陥った。

 

 継続して無機質な音が叩きつけられる中、物言わぬ亡骸がじっと遠くを覗いている。彼女がもしこちらへ気が付き、久方ぶりの掛け合いが有ったのならば、まず一番に髪型について聞かれるのだろうか。

 同じく五年前と大きく変貌した彼女に視線を落としながら、そんな他愛も無い事をイングリットは、ひとり思う。

 その有り得たかもしれない問い掛けの答えは、もう決して返される事は無い。

 

 イングリットは言葉に代え難い心情を優に断ち切り、戦の行く末を決定付ける駒と成って次なる一手を打つ為に大空へとまた翔けた。

 ただ機械的に。

 

 

 

 

 

 

 誰も彼もイングリットの敵では無かった。立ち塞がる巨大な猛撃を軽やかに躱し、槍を存分に振るいながら核となる紋章石を粉々に砕き、狂い雄叫びを上げる魔獣を地に落とす。そこかしこに横たわるこの魔獣達は、元は王国兵だった者だ。消え入りそうな程にあえかな一縷(いちる)の望みを胸に、この者達は自ら魔獣へと身を落とした。

 大した忠誠心だと、イングリットは思う。紋章石が紋章を持たない者に対してどの様に作用するか、教えられていない筈も無いだろうに、彼等は自ら進んでその命をただ一心に祖国へと捧げたのだ。

 まるで自分とは対極的だと、イングリットは思った。

 

 彼等は相当に追い詰められているのだろう、空を翔ける者の天敵である筈の弓兵でさえも紋章石を強く含み、魔獣へと姿を変える。

 確かに魔獣は強力だ。人の何倍も有るその巨躯はどんな重厚な鎧でさえも意味を成さないだろう。魔獣の強大さは衆知されており、常に危険に晒されているフォドラの大地では決して討伐要請が絶える事は無いと言われる程である。魔獣がその身に余る力を存分に振るう度に、民草は嘆きの地へと誘(いざな)われるのだ。

 

 しかしそんな余りある力も、上手く作用しなければ意味が無い。

 端的に言えば、鈍重過ぎた。

 大空を優雅に舞う天馬を、ただ一回でさえも魔獣は捉える事は出来ない。赤子の手を撚る様に、魔獣は容易く屠られる。これでは弱体化してると言っても過言では無いだろう。しかし魔獣達は何も省みる事も無く、大層な地響きと共に帝国軍へと立ち向かって来る。決して同士討ちする事も無く、ひたすらに敵を捉えながら。人としての形を擲ち化け物となった彼等は、敵味方問わずただ破壊を尽くすだけの存在になったのかと思ったが、どうやら掬って残る程の自我はあるのだろうか。

 

 

 イングリットは、ひとり思う。想う。

 ただひとり想いながら過去と決別する為に、黒色に彩られた虚空を征く。その道には命有る者は残らない。

 

 

 

「よう! 久しぶりだなあ!」

 

 そんな道の途中に、似合わない程に間延びした声が立ち塞がる。

 イングリットはその声に覚えがある。

 何も言わず、ただ冷淡に、視線を声のもとへ伸ばす。

 

「五年ぶりか! こうしてまた相見える事が出来るなんて、思ってもいなかったぜ!」

 

 鎧に身を包んだ一人の騎士が、馬上から冷たい空を見上げていた。長い間降り頻る雨に打たれていたのだろう、幾分紅い髪が形を揃えずにぐしゃぐしゃになってしまっている。

 ざあざあと音を立てて地を打ち付ける雨に負けない様に、大きな声を張りながら一人で勝手に喋っていた。

 

「いやあ、こうも雨の中に居ると髪のセットが崩れちゃうよなあ! 身だしなみにいつも気を使っている俺としては辛い時間だぜ!」

 

 黒騎士と形容しても良いだろう、漆黒の鎧を纏う男は、街で一人歩く中偶然旧友を見つけた時の様に、極めて軽快に言葉を発していた。王国将であろう者だったが、しかし後ろには率いていた筈の兵卒は一人として存在しなかった。

 

「でも、水も滴るイイ男って言葉がある通り、こういうのも悪くねえかもな!」

 

 恐らく皆、魔獣化したのだろうと、イングリットは推測する。もう後に控える残存兵力でさえも残っていないのかもしれない。

 さすれば、この者を倒せば道は開かれる。

 

「いや~困っちゃうなあ! どんな状況でも女の子にモテモテな色男ってのはなあ!」

 

 イングリットは槍を別の物に持ち替えると、何も答えずに滑空しながら振るった。ガラテア家に伝わる英雄の遺産であるそれは、一般的な騎士槍とは比べ物に成らない程に強靭で、人に振るわれる事が有ろうものなら、立ち塞がる者問わず全てを無惨なまでに貫き殺してしまう事だろう。

 

「おっと、危ねえ」

 

 しかし、その槍は届かない。すんでのところで躱されてしまう。

 どうやら簡単には行かない様だと、イングリットは小さく舌打ちをした。

 

「そういえば、聞きたい事があるんだが……フェリクスがどうなったか、知ってるか? アリアンロッドへ布陣してたハズだったんだが、帝国軍が占拠してから謎の光が天から降り注いで、それからというもの、跡形も無く崩壊しちまったらしくてね。伝令も来ないし、どうなってるんだか全く分からねえ」

 

 足場が悪い筈なのにも関わらず、卓越した軽やかな馬さばきだった。

 一撃目を外した影響は、どうやら相当に大きい様だとイングリットは思う。

 相手は飄々としている風を装っているものの、仇敵をしっかりとその目で捉え、警戒を決して怠っていない。

 

「ああその反応、やっぱり? いやあ、どうしようかなあ……」

 

 黒騎士の男は濡れた髪の毛をくしゃくしゃと掻くと、作り物めいた表情で、困った困ったと言い始めた。

 

「ガキの頃さあ、フェリクスと一緒に約束したんだよ。どんな事が待ち受けていようと、死ぬ時は必ず一緒だって。それなのにも関わらず、アイツ一人で先に死んじまうなんて……いやあ、なんて罪作りなヤツなんだろうか。イングリットだってそう思うだろ?」

 

 男の手に収められていた武器が爛々と光った。紋章を持つ者以外が一度扱えば、人の形が跡形も無くなる程に崩れ去ってしまうだろうもう一つの英雄の武器が、紋章の適合反応により、まるで何かの心臓の様に蠢いている。

 腐っても英雄の遺産使いかと、イングリットは大きく嘆息した。

 

「──おい、何か言えよ」

 

 男の雰囲気が一変した。心情を表しているのか、爪が掌に強く食い込む程に英雄の遺産を握っている手に力が加えられているのが、イングリットにはよく分かった。

 

「はあ、ホントに色々変わっちまったなあ。昔は何かにつけて煩い奴だったが、今はうんともすんとも言葉を発しねえ。本当にお前はイングリットなのか? 別人じゃあないだろうな? 騎士の矜持がどうだの、主君への忠義がどうだの、色々言っていた筈なのにどうしてこんなにも変わっちまったのかねえ」

 

 イングリットはそれに対して何も言わない。何も答える事は無い。

 ただ虎視眈々と目の前に立ち塞がる敵を切り捨てる機会を狙うのみ。

 昔馴染みとの再会を以ってしても、彼女の心は決して揺れ動く事は無い。

 

「あっ。どうしてか俺、分かっちまったわ。なあ、イングリット。当てて見てもいいか?」

 

 イングリットが何かを思うまでも無く、その男の声が続けられた。

 

 

 

「先生だろ?」

 

 確信めいた声音と共に、男はそう言った。

 平静をずっと装っていたイングリットから、初めて動揺した様な呼気が漏れ出た。

 

「やっぱりそうなのかあ! 正解、正解っと!」

 

 男は降り頻る雨が顔をぐちゃぐちゃに濡らしているのも気にせず、高らかに空に向けて笑った。雨粒ですっかり冷えてしまった肌を労る事無く、ただひたすらに笑っている。

 

「いやあ……隠してるみたいだったが、愛の伝道師である俺からすれば、士官学校の頃からもうバレバレだったぜ? それはそうと、ちゃんと愛は伝えられたのか?」

 

 季節外れの冷たい風が背中を撫でた時の様な──そんな感覚がイングリットを襲った。

 

「先生も少し鈍感な所は有ったと思うけどさ……」

 

 男がけらけらと思い出し笑いをしながら後を続ける。 

 

「いや~……『私の為に毎日美味しいご飯を作ってくれないでしょうか』は流石にねえ……? いくらセンセが料理上手いからって」

 

 確かに口から紡ぎ出した事がある言葉を、その耳でしっかりと聞いたイングリットは、密かに青筋を立てた。

 

「案の定、伝わって無かったみたいで。今でも覚えてるぜ、先生の困り顔。教職が有るから毎日は無理だって」

 

 それも気にせず、男は後を連ねる。

 

「まあそりゃあ、人となりが先行しちゃうよなあ。だってお前食いしん坊だし。食い意地が張ってると思われても可笑しくは無いな。それであの後、代わりにと先生が釣り上げてきた大量の魚で、宴が開かれたんだっけ?」

 

 ただ過ぎ去ってしまった昔を懐かしむかの様に、過去の思い出話に花を咲かせている。 

 

「懐かしいなあ。あれだけ美味しい魚……いや、美味しい料理は貧しいファーガスじゃそうそう食えなかったからなあ。間接的にとはいえ、イングリットにも感謝しなきゃならねえな!」

「……わね」

「学級の垣根を越えて、皆で食べ明かしたあの頃。懐かしいねえ。途中から聖教会の人達も来たんだっけ。いやあ、アロイスさんの食べっぷりは凄かったなあ。で、イングリットは不服そうだったか。でも料理を目の前にしたらいつも通りに……」

「……っさいわね……」

「勘違いで終わっちまったけど、あれから後も同じ様な事続けてたのか? 正直あれじゃ、いつまでたっても伝わらないと思……」

 

「うるっ……さいわねぇ!」

 

 明確な殺意を持ちながら、それでいてどこか感情の赴くままに流されて。

 ただ冷酷に槍を馬上から振るっていた時とは違い、初めてその魔槍に彼女の意思が宿った。

 

「ぐ……っ?! がっ……」

 

 イングリットは天馬ごと男の懐に入り込み、真上へと大きな孤を描く様にルーンを振り上げた。首をそのまま刎ね上げるかの様に、イングリットは男の顎ごと真っ二つにしようとしたが、やはりすんでのところで回避される。

 しかし、今度は僅かながら槍先が掠った。

 

「思い出話、さえも……させて、くれないとはな……。……く、はぁっ……油断、したか……。だが……少し、趣味が……いや、中々に、悪いんじゃないか? なあ、イングリット」

 

 眉間に魔槍が確かに通ったのだろう、赤く滲んだ痛々しい傷が付いていた。

 男はそれを何とか震える手で抑えながら、元凶であるイングリットを冷たく睨みつける。

 

「兄上と全く同じ場所に……同じ風に、同じ様な傷を付けるなんて、な……」

 

 イングリットは過去を想起した。男の兄とは直接的では無いものの、何処かで相対した事がある。

 思考を巡らせれば、すぐに答えに辿り着いた。

 

 ──ああ。あれは、先生の学級の課題に協力した時の事だったか。

 

「全く、こんな色男に一生物の傷を付けてくれるなんて……どう責任とってくれるつもりなんだ? このままじゃ兄上と同じ様になっちまうんだが」

 

 イングリットは思う。

 

 昔から家同士の付き合いが有ったとは言え、男の兄とは面識がずっと無かった。

 存在は知っていたが、ずっと詳細は聞かされなかった。幼いながらも察したイングリットだったが、後になって理由を男から聞かされれば、確かな理解へと至った。

 兄は生まれながら、その身に紋章を持たなかったから家を廃嫡された。そんな事を男は語っていた。

 

 男の兄は盗み出した英雄の遺産──破裂の槍が持つ紋章石の効果に、紋章を持たない身故に耐えられず、魔獣へと姿を変えたのだ。

 その当時の出来事を、しっかりと己の目で捉えていた事をイングリットは思い出した。

 そんな破裂の槍は今、男の手の中に有る。

 

「……でも、完全に同じでは……ないんじゃない?」

「──ああ、そうだな」

 

 紋章石による魔獣化。男の兄と同じ様なものが、先程まではあちこちで発生していた。

 いや、それは今もなのだろうか。戦況を端から端まで見渡せる程に、空高く天馬を飛ばしていないイングリットには分からなかった。

 

「あなたは魔獣にならない……そうよね?」

「当たり前だ。俺にはゴーティエの紋章があるからな。兄上が望んで、渇望して」

 

 地を穿つ雨音がふっと消えた様な感じがイングリットにはあった。

 あくまで気の所為なのだろう、止む気配がない程に、未だ黒色の空は泣き続けている。

 

「その最期まで、手に入れられなかった忌まわしい紋章がね」

 

 男は──シルヴァンは破裂の槍を構えた。

 そして、かつての幼馴染だった天馬騎士を──イングリットを見据える。

 

 イングリットは思う。

 紋章を第一とし、数多もの悲劇を生み出して来たこの世を一度根本から叩き潰し、全てを塗り替えようとするのが、帝国の長たる皇帝の主義。しからば、紋章社会によって起こるべくして起きた家族の不和を、ずっと嘆いていたこの目の前の男が王国では無く、帝国側に就いていた可能性もあったのでは無いかと。

 そんな事を少しだけ考えて、すぐに深い谷底へと切り捨てた。

 

 主君へ終生まで忠義を誓うその姿は、いつの日か望んだ時の様に騎士然としていて、余りにも眩し過ぎたから。

 

「降りて来いよイングリット。今度は逃がさねえ」

「あら、抱きしめたりでもしてくれるのかしら?」

「そうしてやりたいのは山々だが、俺にも譲れない物があるんでね」

「奇遇ね、私もよ」

 

 イングリットが同じくして、上空でルーンを構える。

 高所、そして雨下。全てにおいて環境がイングリットの味方をしていたが、どちらも槍の達人。一度(ひとたび)間合いに入ればどちらが勝つかは分からない。

 ずっと無視して来た雨が、嫌な感触を伴って背中を撫でた様な気がした。

 

「まだ死にたくねえだろ、イングリット」

「ええ」

「そりゃそうだ、未だ満足に想いも伝えられてないみたいだからなあ?」

「ええそうね」

「だったら退いてくれねえかな。お前じゃ俺に勝てない」

 

 おおよそこの状況では、その退いてくれという言葉は冗談以外の何物でも無いのだろうと、脳の資源を余計な部分に回さずとも、イングリットの中ではすぐに結論付けられた。

 

 どちらも構えを解く事はしなかった。

 

「お断りよ。私には譲れない物があるの」

「全く、強情なのは昔から変わんねえなあ。……そういうとこ、結構好きだったんだぜ?」

 

 

 

 

 イングリットは笑った。

 とこしえの狂気を含みながら、笑った。

 

 それは目の前の敵に向けた物だったのか、それとも自分自身に向けた物だったのか。

 イングリットにも分からない。

 

 

 

 

 

「……はっ、笑っちゃうわね。あなたが最後に口説くのが私だなんて」

 

 

 

 その言葉を皮切りに、イングリットが天馬を鳴動させる。

 

 荘厳な嘶(いなな)きが、嵐吹き荒ぶタルティーンの野に高らかに響き渡った。

 イングリットの萌葱色の外套が荒天をふわりと型どって、大きく膨らむ。

 天を穿つかにも思われる程の鬨(とき)と共に、両者がぶつかった。

 

 大気が、空が、風が、渦巻いて荒れ狂う。

 様々な思いが巡り、ただ一つの終着点へと流離(さすら)った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はは……そもそも、前提、から……間違って……いた、のか……」

 

 シルヴァンの身を鈍く光る武具が貫いていた。

 神経が無くなったのか、血が滲む程に握っていた筈の破裂の槍が、呆気ない程に手をすり抜けて下へと落ちる。

 ぐちゃりと、泥濘(ぬかる)んだ大地へ堕ちる。

 

 その溜まりが果たして、天から降り注いだ物で出来たのか、それとも自身から溢れる紅い血で出来た物なのか。

 今となってはもう、分からない。

 

「馬鹿ね。天をも思いのままに裂いてしまうと言われる英雄の槍を、天馬騎士の私が真正面から受ける訳ないじゃない」

 

 イングリットが握っていた武器は槍では無かった。

 鋒(きっさき)が鋭く長く、それでいて銀色に鈍く光るそれは、弓。

 

 名工によって良く鍛えられたのであろう強靭なその弓は、いとも容易く黒色の鎧を貫いた。

 

「騎士の、果たし合い、みたいなのに……憧れてたのも……あったん……だが、なあ……」

「悪いわね。まだ死にたくないの」

「そこ、まで……変わっ……ていた、とは……な……」

 

 同じ土俵に立って戦うという事。以前のどこか固い所があるイングリットだったのならば、在っても可笑しくは無い事だったが、しかしもうイングリットは幼馴染が知るかつての彼女では無い。

 

 悪鬼羅刹とも形容される程、埋もれた亡骸を踏み越えて。

 嘆きも悔いも夢も、全て捨て去って。

 そうやって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ独り、思い続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はは……畜生。情けない……ったら、ありゃ……しない、な……お、れ……」

 

 やがて事切れた。

 主を失った馬が興奮し、乱暴に亡骸を振り落とす。

 そしてそのまま、暗い森の中へ走り去っていく姿を横目に、イングリットは再び槍を握り直す。

 

 その下には紅い花の様に染まってしまった大きな水面が一つ、在った。

 それは余りにも深く、暗い闇を持って広がっていた。強く荒れる嵐天の雨を以ってしても、洗い流す事は出来ないだろう。

 

 イングリットは水面に映った自身の姿を一瞥する。

 

 誰も知る事は能わない我が意が、其処には在った。

 

「……」

 

 イングリットは何も言わずに、再び天馬に乗りながら大空を翔ける。

 何処か遠い所で、白く輝く雷光が奔った様な気がした。

 

 まだ雨は止まない。

 

 

 イングリットは、ひとり思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後、ひとり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 イングリットは、ひとり思う。

 

 昨夜の行為は流石に羽目を外しすぎたのだろう、十分に睡眠を取った筈なのにも関わらず、身体のどこかに疲労が残っている様な気がした。

 しかし、今のイングリットにとっては、そんななんて事の無い疲れさえも愛おしい物だと感じてしまう。

 

 ふと何となく気になって、横へと視線を向ければ、確かにそこには大切な人が居た。

 すうすうと小さな寝息をたてながら、眠りの底へ沈んだままの人が居た。

 イングリットは悪戯心からちょっと頬を突付いてみたが、起きる気配は全くと言って良いほど無かった。

 思わず、イングリットは苦笑した。

 

 

 

 イングリットは、ひとり思う。

 

 やはりこれから生きていく中で、幼馴染である彼等の事を忘れてしまえる時は訪れないのだろう。この手に掛けたという事実は、余りにも大きすぎたのだ。

 それらはとても鮮明で、その感触でさえも、今なおしっかりと脳裏に焼き付いている。

 己が望む未来として拓いた先に、いつだって罪として伸し掛かってくる。

 

 謝る事も、償う事も、決して出来ない重い罪が、ずっと。

 

 

 

 

 だけれども。

 イングリットは一人、思うのを止めた。

 

 

「そろそろ起きて貰わないと……」

 

 

 

 イングリットはもう、独りでは無いのだから。

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