「あぁ……せんせぇ……見ないで……」
イングリットは期待と羞恥が混ざり合ってドロドロに溶けた表情を、あなたに見られまいと必死に隠そうとする。しかし、押し倒され身体を押さえつけられていた彼女ができた抵抗は、僅かに顔を下に反らす事だけだった。あれだけの痴態を目の前で披露しておきながら、今更生娘の様に恥ずかしがる事も無いだろうにと、意地悪くあなたはイングリットに言う。
「せんせいは……非道いです、ね……っ」
あなたはイングリットの頬に手を当て、正面を向けさせようとした。すると紅潮し、惚けた顔が、爛々と揺らめく蝋燭の火で照らされて浮かび上がってくる。
「あぁ……」
イングリットはもはや晒された顔を隠す事は叶わないと悟ったのか、せめて恥じらいを紛らわせようと、あなたの手に縋り、頬擦りをしてきた。彼女の上気した頬は確かに熱く、手を通してその熱を共有しようと訴えかけてくる。愛おしそうにしながら行われるその動作は、男女間で最上の親愛を表す方法が、快楽を伴う生殖行為だけでは無い事を端的に表していた。
熱を持って抜け出た吐息が手をするりと撫でて、あなたはとてもこそばゆく感じた。
「んん……あむ……」
あなたがそんな感触を楽しんでいると、繰り返される頬擦りによって元の居場所を忘れた指が、図らずも口の中に入り込んでしまう。事故にも近いその現象に、イングリットは思わず動きを止めるが、すぐにこれも指導の一環なのだろうと自己解釈し、あなたの指を咥え始めた。
「んちゅ……あむっ……」
イングリットの舌が、あなたの指先から関節まで、じゅるじゅると音を立てて這い回る。唾液を絡みつける様にしゃぶり、それが済んだかと思えば、一際暖かい場所である舌の付け根に回して、その温もりを楽しんで貰おうと軽く揉む様に食んでくる。
「……ちゅる……んっ、はぁっ……」
それは無意味な行為だった。
日常生活において全くもって利を生み出さず、まず起こり得ないその手慰みは、万が一仮に発生したとしても、幼少期の生まれて間も無い頃の赤ん坊が、己の空腹を親に無意識に示す時ぐらいだろうか。自分以外の他人に指を舐めさせるなんて、機会があるかどうかそれ以前にあなたは考えた事すらも無かった。
「んむっ……ふぁ……」
明るく鮮やかな痺れで食欲を刺激する辛味や、とろりと練り上げられた砂糖が織りなす甘味といった、味蕾を刺激する様なものは何もない。味と言うのも憚られる無機質な存在が、ただそこにあるだけ。味覚だけではなく、触覚という面でも直接的な性感を与えてくれるわけではない。
そんな無意味な行為の筈なのに。
どうしてか、あなたは辞めさせる事はできなかった。
「じゅる……んっ、はぁ……」
わざとらしく見せつける様に、差し出された指を少しざらざらした舌上で丹念に舐め回される。熱い口内で一本ずつ包み込まれ、指の股を厭らしくちろちろと弄ばれる。はしたない顔をしながら行われるそれは、誰に教えられた訳でもないのに、あなたの情欲を的確に揺さぶってくる。身動きがまともに取れない状況で、数少ない反抗の手段としてそれを選んだのは、天性の素質の表れなのだろうか。彼女が隠し持つその才能を昇華させたらどれ程までに官能的か、とても末恐ろしい。
「んぁ、ぷはっ……」
咥えられていた指が吐き出された。ぬたつく指が、イングリットの口内で思う存分にしゃぶり尽くされていたという事実を、まるで戦利品かのように唾液を伴って誇示してくる。
「んぅ……」
イングリットの瞳は続きを待っていた。その行いはとても甘美な物だったが、内なる彼女の器を全て満たすには足りなかったのだろう。雌として従属する様な一連の振る舞いに裏打ちされたあなたの支配欲が、期待に応える為に揺り動かされる。
そこから先は早かった。
「……っ! んあぁっっッ!」
打ち付けた怒張が、すんなりと中へ入り込んでいく。たった一回の交合だけですっかりその形を覚えてしまった密壺は、先の行為で何も描かれていないキャンバスの様に真っ白に充足されてしまっていた。そんなキャンバスに、あなたは上から新たに同じ色の絵の具を乱暴に塗りたくって、更なる自分の色に染め上げる為にその筆を振るう。
「やぁっ……! ひぅ、ああっ……!」
すぐにイングリットは嬌声を上げ始めた。酸素を必要として規則的に行われる呼吸に合わせて、彼女の胸が忙しそうに揺れる。あなたはその息吹の周期もまともに配慮せずに、ただ獣欲に促されるまま、双丘を鷲掴みにした。
「はふっ……?! ひぁっ……!」
ずっとおあずけにされていた物だった。馬乗りになって快楽に耽るイングリットから溢れでる、これ見よがしと軟体生物の様に柔らかく反発するその胸を、自らの手で揉みしだきたいと何度心の中で血涙を流した事か。
あなたはその雪辱を果たさんが為に、手の中で自由自在に変形するそれを存分に楽しんだ。ついでに、まだ何も出ないのにも気にせず、固くなった彼女の乳首から吸い出そうとしゃぶりつく。
「むぅ……せんせい……キスして、ください……」
そっちのけで胸の感触を楽しんでいたあなたを見たイングリットは、少し唇を曲げて拗ねた様な表情をしながら、あなたにおねだりをした。拒む理由も無く、惹かれるように唇を触れ合わせる。
「んぁ……はむっ……」
たった一日で幾度とも無く交わされた接吻だが、今行われたそれは、一方的に為されたものでは無かった。示し合わせたかの様に、何の淀みも無く、円滑に重ね合わせられてゆき、縦に横にと立体的に混じり合う面積を増やしていく。
勿論、快楽のままに腰を打ち付ける事も忘れない。
「はあっ……う、んんっ……! あぁ……っ!」
最奥を突く度にイングリットの膣が、よりその造形を精密に記憶する為に、様々な方向からひだというひだを使って型をとろうとする。吸い付いて離そうとしない膣肉を、抵抗して無理やり引き離そうとすると、それによって起こった衝動で彼女の身体は張り詰められた弦楽器の糸の様にピン、としなる。
「あぁう……っ! せ、せんせぇ……」
上半身と下半身、そのどちらもに絶え間なく齎される攻めによって、イングリットは息も絶え絶えになっていた。目尻に涙を溜めて、押し寄せる快感の波を必死に堪えようとする。あなたはその潤んだ涙を拭う事は決してしなかった。ぐちゃぐちゃに歪む彼女の顔に、その涙は余りにも調和しすぎていたから。
「はぁっ……! ん、ぁッ……!」
がくがくと震えるその身を何とかして落ち着けようと、イングリットはその身を更に密着させる。接触する肌の面積が更に増え、双丘が胸板によって押し潰された。背に回された手はそんな彼女の心情を表しているかの様に、跡が残ってしまうほどに強く爪を立てていた。彼女が快感から逃れようとしている何よりの証だと思うと、その痛みすらあなたは愛おしい。
「やぁ……っ! んんっ……! あっ、んぁッ! ふはぁ……!」
弾まない硬いベットの上に乗せられたイングリットの身体は、代わりとばかりに、柔らかく丸みを帯びた尻肉をバネにした。そのバネは上向きに跳ね、身を貫く剛直の抽送運動の手助けをする。
「せんせいっ……私、もう……っ!」
二回目となる感覚を前に、イングリットは限界を悟った。もはや、その湧き上がる鳴動が何なのか、知らぬ彼女では無い。
「ふふっ……先生も、いきそう、なんですねっ……?」
「せんせぇっ……お願いです……っ、わたしのなかをっ、せんせいので、無茶苦茶にっ……してぇっ」
子種をねだる甘い言葉を皮切りに、あなたは一番多くの精液を注ぎ込めるであろう最奥に腰を押し込み、彼女とキスをしながら一気に爆ぜた。
「んうっ?! ふぅぅぅぅぅうううんんんッッッ!!?」
まさか絶頂時に口を塞がれるとは思っていなかったイングリットは、くぐもった声をあげながら、それでいて両足で腰に絡みついて、最後の一滴まで搾り取ろうと射精を促してきた。
どくり、どくりと熱い脈動が子宮に直接向けられる。二回目にも関わらず、それは永遠にも感じられる程長く続いた。
「ぷはぁっ……」
全ての精液が吐き出されたのを見届けたイングリットは、少し苦しそうな声をあげて、あなたへの拘束を解き、そのまま力無げにぐったりとベッドに倒れ込んだ。
◇
「うぅ……先生の人でなし……狼藉者……悪魔の走狗……」
事が終わり、暫くしてから復活したイングリットに開口一番、あなたは罵倒された。半泣きになりながら行われる彼女のそれは、親の仇を詰るかの様に辛辣だ。
「もう……窒息するかと思いました……!」
最後の絶頂時、あなたは気絶してしまいそうな程に強い快感をどうにかして受け流そうと、縋る様にイングリットに唇付けをした。しかし、余りにも強すぎたのだろう。
「他で息をしようとしても、強く吸われるものですから、呼吸ができなくて」
その行為が、全ての吐精が終わるまで続いたのだ。窒息の憂き目にあった彼女が怒るのも道理と言える。
「できなくて……あなたを……感じる余裕さえ、ありませんでした……」
イングリットとの最高に甘美なお茶会は、最後の最後であなたが選択肢を間違えた事によって、あえなく幕を下ろした。彼女の事を独り善がりだ、なんてどの口が言うのだろうかと、あなたは猛省した。
次は絶対に同じミスはしない、とあなたは彼女に強く誓う。
「はい、次は絶対気をつけて下さいね……って、次?!」
あなたの何気ない言葉に、何故かイングリットはあたふたとし始める。
「あの、その……先生……? そこは『先生、今までありがとうございます……。もう、二度とお会いすることもないでしょう……』みたいな感じで、私が流す所ではないでしょうか……?」
あなたはかつてどこかで、似たようなセリフを聞いた事がある気がしたが、イングリットが何を気に病んでいるのか、ようやく得心がいった。
一番大切な事を、あなたの方からまだ言っていなかったのだ。
あなたは行為中でさえ、ずっと言っていなかった『三文字』を、イングリットへ伝える事にした。
「……な、どうして……? どうして、今までの行為の中に……私が、あなたに好かれる要素があったと言うのです……?」
あなたが放った言葉は、イングリットを非常に当惑させた。どうやら彼女は、本気であなたの真意が分からないようだった。
「……それが情けや、同情心から来る想いならば、私は要りません……。私が本当に望むのは……」
分からなければ、分かってもらうまで努めるのみ。これは教師の本分に近い物である。
あなたは先程よりも更に情熱をもって、自らの心情を説いた。
これまでの過去をあなたは振り返る。あなたの感情は昔から薄かった。嬉しいだとか、悲しいだとか、そういう感情はこの地に生まれてから、一番求められた傭兵としての素質には全くもって必要の無いものだったからだ。剣を振るい、敵を殺す。ただそれだけを繰り返してきたあなたは、表情を全く変えずに敵を屠る剣鬼、『灰色の悪魔』と呼ばれるまでになっていた。
生徒たちと出会ってから、それはある程度改善されたものの、基本的な所は変わらなかった。自分を慕う生徒たちの思いが嘘偽りの無い真っすぐなものだったと分かっていても、どこか致命的な所が欠落して乖離していることに、交流をする度に何度も心の中で気が付かされていたのだから。あなたはいつだって生徒の事を大切に思っている。しかし、それとこれは話が別だ。
自身の中にぽっかりと空いた空虚な穴が埋まる事は決して無いのだろう。そう、あなたはずっと考えていた。
だが、それが間違いである事をあなたは知った。
イングリットとの蜜月の時はあなたにとって余りにも刺激的すぎたのだ。燃え尽きてしまうほどの熱をもって囁かれる愛が、恋い焦がれ内面から浸食するように塗り潰してくる肉欲が、なんて甘美なものなのか。最高で、それでいて最悪な形であなたは知ってしまったのだ。
きっと、これから生きていく中でどんな女性と閨で睦言を語らっても、味気なくなってしまうだろう。『彼女』の囁く愛の言葉が脳裏に焼き付いているから――
きっと、これから生きていく中でどんな女性と交わっても、物足りなくなってしまうだろう。『彼女』の雪の様に白くて美しい肌が脳裏に焼き付いているから――
それほどまでにイングリットという存在は、あなたを根本から変えてしまう様な魔性の魅力をもっていた。もはやあなたは彼女の虜といっても過言ではない。
そんな話をあなたはイングリットに熱弁した。
要約すると、君の身体は最高だから手放したく無い、という意味になる。
最低だ。
「な、ななな……なんて不純な……」
あなたは、最初に襲ってきたほうがそれを言うのか、と
不毛な争いだ。
「……く、そうですね……」
なるほど、今のイングリットはまるで野生動物の様だとあなたは思う。一番身近にいて例え易いのは――そう、猫だろうか。
かつて大修道院でもよく見かけたこの生き物たちは、普段はすっかり人間に飼いならされていたが、繁殖期が来ると途端に豹変する。そんな中、オスの猫とメスの猫の熾烈な攻防戦は有名な話である。個体数が少ない分、メスは非常に慎重な性格をしていて、自分からオスの元に行く事は少ない。そんなわけで、オスは自分から求愛しに行かねばならないのだが、これまたメスは気難しく、あまりにがっつき過ぎるとメスが逃げて行ってしまう。これは猫だけに限らず、他の生物にも見受けられる光景だ。
求めなければ手に入らず、逆に強く求め過ぎれば離れて行ってしまう。
まるで今のイングリットはメス猫みたいだと、あなたは持論を述べた。
「……先生。なんか適当な事言ってませんか?」
イングリットはメス猫扱いされたのが心外だったのか、あなたを見る視線がだいぶ冷たくなった。
あなたは思わず、少しだけ悲しくなった。
「……はぁ。先生、変わりましたね。私の記憶の中では、こんな浮薄な事を言う人では無かった筈なのに」
溜息まじりの言葉にそちらこそとあなたは返す。
記憶の中では、イングリットがあなたに対して軽口を叩いた事は一度も無かった筈だ。
「誰のせいだと思ってるんですか……」
あなたは、自分もイングリットのせいで変わってしまったと答えた。この変化はとても嬉しいもので、決して後悔していない――そんな感謝の念も同時に込めて。
「……なんか、扱いが手馴れてるみたいでイヤですね……」
イングリットはあなたに軽蔑するような視線を送ってきた。
今の彼女からは、とても懐かしい雰囲気がする。まるで、士官学校時代に黒鷲の教室で新任教師として皆を導いていた時に、いつも感じていた雰囲気の様な。
一言で表せば、そう『めんどくさい』である。
「……は?」
黒鷲の生徒達は、それはもうめんどくさい奴らばっかりだった。
寝坊して遅刻したり、やたらと戦果の為に先行したり、引きこもって講義に出なかったり、修道院内で堂々と婚活を始めたりと、多すぎて羅列が難しくなるほど、皆が皆、自らの個性を遺憾なく発揮していた。
あなたが、新任教師となって初めて自覚した感情が、【つらい】という感情だったのは記憶に新しい。
今となっては皆可愛い生徒達だが、よくもまあ折れずにここまで来たものである。
「へぇ……先生は私を面倒臭い女だと仰るのですね」
イングリットの問いかけに対して、あなたはそうだと軽快に答えた。
めんどくささを数値化するとすれば、軍の名前をダサいと言われただけで一日中拗ねたままになってしまった『彼女』の少し手前くらいだろうか。
強く求めても簡単には応じてくれず、そのまま逃げて行ってしまう、そんなめんどくさい獣そのものである。
「そう、ですか……先生は、そういう人だったんですね」
イングリットのあなたを見る目は、もはやゴミを見るような目となっていた。こんな目をする女の子と少し前までは、気の向くままに求められ、お互いの身体を知り尽くすまでに溶け合っていたというのだから、人生とはどう傾くか分からない物だとあなたは思う。
「……はぁ。ふふ……何だかいいですね、こういうの」
深いため息を吐いた彼女は、どうしたわけか、あなたを見る目を緩め、強張っていた頬を元に戻した。いつも通りの様で、それでいてどこかが違う。そんな彼女が現れる。
「いつぶりでしょうか、こんな風に軽口を交わしあったのは……」
イングリットは懐かしむ様な言い草をした。それはとても、遥か昔を思い描いてる様な気がして──彼女は今、士官学校時代よりも前の出来事を想起しているのだろうかとあなたは思う。
「昔はよく、こんな風に幼馴染達と軽口を言い合いながら、ファーガスの野山を駆け回ったものです。私、シルヴァン、フェリクス、殿下。……そして、グレン。皆が一堂に会する事はそれほど多くはありませんでしたが、日が暮れるまで、一緒に遊び呆けていたものでした。あの時は何もかもが楽しくて……ずっと、この幸せが続くものだと信じて疑わなかったのです」
イングリットは顔に影を落とす。だが、よく見てみれば、その顔は無表情だった。蝋燭の光が照らせる範囲から彼女が身体を逸らしただけで、喜怒哀楽の表情、そのどれもが今の彼女からは読み取れない。
「ダスカーの悲劇、それが起こるまでは。私の婚約者であったグレン、あの人はその悲劇にて主を守り抜くという騎士の本懐を遂げ、戦死したのです」
士官学校時代、その人物の事をあなたはよく彼女から聞かされていた。主君に誠心誠意尽くすというフラルダリウス家の家訓を誠に体現した様なその人物は、王国に仕える騎士に成りたいというイングリットの夢に大きな影響を与えたという。
「あの日から皆変わってしまいました。当事者となった殿下は言わずもがな、実弟のフェリクス、そしてシルヴァンも。皆が、変わってしまった」
イングリットは、石窓の外に蒼く敷かれた夜空を眺めた。そこには、思いのままに満ちたりた月が佇んでいた。
イングリットはどうだったのかとあなたは問いかける。
彼女は曲がりなりにも許嫁だった筈なのに、どうにも反応が薄かった。
「私? 私ですか。正直な話をすると、あまり覚えていないのです。私はどうやら、自分が思っていた以上に賤しく、自己防衛が得意だった様で。恐らく、忘れるという事で精神の均衡を保ったのでしょう」
まんまるに満ちた月が、彼女の手にそのまま収まった。しかし、それはすぐにぐしゃりと握りつぶされる。
「時が経ちすぎた、というのもありますが、私はもうあの人の顔や人となりさえも思い出す事ができません。忘れてしまった人を偲べるほど、私は器用では無いのです」
あなたは帝国軍の一員となっていた頃に敵として相対した者達の事を考えた。殆どが預かり知らぬ者達だったが、中には別の学級だったとはいえ、かつての生徒達の姿もそこに在った。彼らの道は決して、あなたの道とは交わらぬもの。その結果がどうなるか、導き出されるのは簡単だ。
あなたの手にかけられ、散って行った者達。
それもまた、時が経てば──
「いずれ、私は『彼ら』の事も忘れてしまうのでしょう。殺したのは、他の誰でも無い私自身なのですから」
イングリットは幼馴染達の事を想起しても、過去を偲んでも──それでも、表情は変わらない。
きっと、彼女は五年前のあの日から、全ての覚悟が決まっていたのだ。
「ねぇ、先生」
ふいに使い古されていた蝋燭の火が消えた。一糸纏わぬ姿のイングリットが、月明かりによって蒼白く照らされる。
「私はあの日から、思わずにはいられない。初めから、先生が帝国ではなく王国を選んでくれていたら、祖国を捨てる必要も、夢を諦める必要も、友を殺す必要も、全て要らなかったと。自分勝手に、我が儘に、無遠慮な程に思わずにはいられない」
肩がぐい、と彼女の両手によって固定された。
「私にとって、先生は一番の人。なのに、先生はいつも、私の所から逃げる様に去ってしまう。幾多もの死骸が連なった先にある、それはとても遠い所に。ねぇ、どうして?」
無機質な瞳が引き絞られ、姿を捉えてくる。
「何度、愛を伝えようとしても、あなたは素知らぬ振りをして。五年ぶりに会っても、それは変わらなくて。諦めて、せめて最後の想い出だけでもと思って、独り善がりにあなたを貪ろうと思ったのに」
なのに、と彼女は繰り返す。
「なのに、どうして……どうしてッ! やった後、途端に好きだとか言ってくるんですかッ!!!」
イングリットはキレた。
「ちょっとしただけで、すぐ気が変わって、好きだなんて、どれだけ私があなたの事を想って、苦しんで、あなたが手に入らない事に絶望したのか分かってるんですか?! それなのに……それなのに! 何が『君の身体も好きだ』なんですか?! 巫山戯るのも大概にしてください!!」
イングリットはブチギレた。
「……ああ、でも兆候はありましたね。寝台の上で、やり方が分からず困っている私を、乗り気で指導している先生という兆候が……。なるほど、先生を落とすにはこの身体を使えば良かったのですね。正解を当てられて嬉しいです」
イングリットは早口になりながら、あなたを捲し立てた。彼女の言い分は尤もなので、あなたは何も言い返す事はできない。
「それに、事後の一番最初の感想がめんどくさいって、無神経過ぎませんか?! もうちょっと、その……良いのがありませんか?! 結構期待していたんですからね?!」
言葉攻めが全てあなたに突き刺さる。どうやらあなたは余りにもデリカシーが無さすぎた様だった。
「ああ、もう。イライラしてきました。先生、落ち着く為にもう一回致しませんか?」
イングリットは暴走していた。人間の本能を抑える理性は、体内周期で言うと深夜が一番少なくなってしまうらしい。だから理性が飛んでいる分、深夜の交合はお互い暴走して燃え上がるとか何とか。そんな事を名も知らぬ帝国兵との酒の席で聞いた事があるあなたは、確かにそのようだと経験の糧にした。
お誘いに関しては明かりとなる蝋燭が無くなってしまったので、あなたは断った。月明かりを使おうにも丁度雲がかかってしまい、暗すぎる。
「なんて間が悪い……。ですが、よくよく我が身を省みれば、ここが潮時かもしれませんね。今はただ、身を休めるとしますか」
イングリットは全て吐き出して疲れてしまったのか、倒れ込む様にしなだれ掛かってくる。やっと本来の用途に使われる事に歓喜したのか、硬い筈のベッドが嬉しそうに弾んだ感触がした。
縋り付いて、間もなく深い眠りへ誘われるであろうイングリットに、少しだけ気懸りが存在したあなたは、それを晴らす為に問いかける。
「なんでしょうか、先生。私はもう、疲れたのです」
倦怠期の夫婦の様な会話にあなたは思わず苦笑しながら、朝起きたら消えて居なくなったりしないかどうか──そんな事を彼女に聞いた。
「何を言ってるんですか、先生。突然谷底へ消えた事がある、あなたではあるまいし」
イングリットの言葉のキレが段々上がっている事を、あなたはその身をもって感じた。もう彼女を言い負かせる時は今後一切来ないかもしれないと、あなたはこれからが楽しみになった。
「『次』があるんですよね、先生。……ふふ、楽しみにしていますから、ね……」
イングリットはその言葉を最後に、あなたに身を寄せ、安らかな寝息をたて始めた。あなたはそれにつられて同じ眠りの地へ誘われる。
彼女の本心を、ずっと溜め込んできた事を、たった一日で数え切れない程にあなたは聞いてきた。しかし、今もまだ彼女が話していない事が、未だに解決していない問題が、山の様に存在している。それらを一つ一つ処理していかなければ、導いているとは言えないだろう。
だが、大丈夫だろうとあなたは思っている。
時間はまだ目一杯にあるのだから。
イングリットちゃんに軽口を叩かれたい