曇天。
アステラの夜は蒸し暑い。
それは龍の弔いを終えた宴の催された今宵も同じで、酒の席による盛り上りで一層温度が上がっていた。
氷の入ったグラスはすぐに汗をかき、テーブルを濡らす。
受付嬢は空のジョッキや皿を持って、忙しなく酒場を駆け回っていた。
そんな中、端の席に座る女がひとり。
女──ジェナは指先から手首に伝う結露を拭いもせず、喉を焦がす液体を口に含む。
一緒に来ていた連れは同期に話しかけられてどこかへ行ってしまったし、頼んだ料理も残っているのは僅かだ。
他にも仲の良い人間がいないわけでは無いが、今日は騒がしい輪に入る気にはなれなかった。
過度な酔っ払いは煩わしいが、隣で酒を舐める相手は欲しい。
要は、人恋しいのだ。
宴の目的に対して不謹慎だと責める者も居ない。
自室のベッドに潜れば、酒の力もありすぐに眠くはなるだろう。
だが、この胸に影を落とす虚しさと、気がつくと太腿に力を入れてしまう疼きを放っておくのか。
勿論、自らを慰めることもできる。
それでも、今夜はどうしても誰かに傍に居てほしかった。相手をしてくれるなら、いっそ誰でも良いとさえ思った。
その時、ひとつ隣の席で飲んでいた若い男が立ち上がった。やや眠そうで頰は赤いが、足取りはしっかりとしている。
一方、席に残った赤髪の男はまだ飲み足りないようで「リフトから落ちるなよ」などと冗談を言って手を振った。
その装備とがっしりとした体格から、彼がハンターだと一目で分かる。もう一人も彼よりは華奢だが、同職だろう。
なんとなく目が離せず、ジェナは華奢な男が下の階へと消えていくまで一連の様子を眺めていた。
やがて視線を戻し、グラスを再び呷る。
すると、ふとこちらを見た男と目が合った。
彼は曖昧に微笑み、恥ずかしそうに頭を掻いた。
ジェナは自分のグラスを持つと、彼の方へと歩み寄った。
「どうも、お兄さん。隣いいかしら?」
「ああ、どうぞ」
そう言って彼は椅子を引いてくれた。
辺りも暗いため遠くからではわからなかったが、垂れた目尻が優しげだ。
紋章を見たところ、彼も自分と同じ五期団らしい。
「さっきの彼、もう帰っちゃうのね」
「あいつはあまり酒に強くないんだ」
「まあ。おかげであなたの隣が空いたわけだけれど」
口角を上げて見せると、彼も同意するように笑った。
「今日は一人でここに?」
「ううん、最初は友達がいたの。でも、どこかに行っちゃったわ」
ジェナがグラスを揺らすと、氷がからんと涼やかな音を立てる。
彼が勧めてくれたナッツを口に放り、奥歯で砕くと豊かな風味が広がった。酒の香りと相まって、舌と鼻を満足させてくれる。
ちらりと視線を向けると、彼もチーズを齧って酒を口に含んでいた。
せっかく隣に座ったのだからとジェナは話題を持ちかける。
「ねえ、あなたもハンターでしょう。どこの調査担当なの?」
「陸珊瑚の台地だ。相方はその下を調査したいらしいが」
その名前を聞き、甘い匂いの漂う陸の深海が浮かぶ。彼の言う『下』というのは瘴気の谷のことだろう。
「あら、編纂者の相方さんがいるのね。エリートじゃない」
世辞ではなく、素直な褒め言葉が口から滑り出た。
彼は苦笑いして首を横に振る。
「おれはそうでもないさ、あっちが優秀なだけだよ。さっきの奴がそうなんだがな」
「さっきの……って、彼もハンターじゃないの?」
腰に剥ぎ取りナイフを下げていたし、装いも確かにハンターのものだった筈だが。
「ああ、ハンターだよ。努力家なんだ」
「へぇ……そんな人もいるのね」
ジェナは目を丸くした。
若くしてどちらもこなす人間がいるとは。むしろ若いからこそできるのかもしれない。
互いにグラスを傾けると、今度は彼から口を開く。
「そういえば、名乗ってもいなかったな。おれは
「あたしはジェナ・オズモンド。大蟻塚の荒れ地担当だから、会うのは拠点くらいかもね」
ふたりは少し遅れた握手を交わした。
酒気を帯びているせいか、どちらの手も火照りを感じる。
その感触がどことなく劣情的で、手を離した後もジェナはテーブルの下で拳を握り込んでいた。
相席を受け入れてくれた時点である程度好意的なことはわかるが、その先はどうか。
彼はあまり口数が多いほうではないらしく、こちらが喋って向こうが相槌を打つのが主だった。
その中でさりげなく手や腕に触れてみて、彼の目線の動きや表情を観察する。……今のところ、大丈夫そうだ。
最初から色事目的で近づいたとはいえ、自分とて尻軽に見られたくはない。確認はこれくらいで良いだろう。
先程からチラチラと向けられる視線は、既に熱を帯び始めている。
テーブルに置かれた彼の手。
ジェナは触れるか触れないかの距離で、その手につつつ、と指先を滑らせた。
すると息を飲む音が聞こえる。
「……場所を、変えないか」
重なった手はそのままに、彼が席を立つ。
成功だ。
ジェナは再び口角を上げ、微かに上気した頬で頷いた。
外からは、絶え間なく滝の音が聞こえる。
水飛沫こそ入ってこないものの、その音は幾分か暑さを和らげてくれるような気がした。
そんな中でもかき消されることなく耳の内まで響くのは、湿った吐息と粘着質な水音。
重なった唇と唇の間に酒まじりな空気の層ができるたび、艶かしいリップ音が鳴る。
彼に連れられるままに辿り着いたのは、居住区のうち滝の傍にある一室だった。
そこが彼の生活スペースなのだろう。整頓されてはいるものの、どこか温もりを感じる部屋だ。
「ん……っ」
彼の薄い唇を食むようにすると、お返しだと言わんばかりにこちらも食まれた。最後にぺろりと下唇を舐められる。
口紅が付きはしないかと思ったが、元々食事をしていたのだし、もうとうに落ちてしまっているだろう。
舌を伸ばして彼のそれに添わせると、彼はこちらの動きに合わせてくれた。
熱っぽく背に這わされていた手が、やがて肋を伝って胸へと伸びる。
だがその手は乳房を揉むことはせず、周りをなぞるように触れるのみ。
「……?」
怪訝に思ったジェナが彼を見ると、それまで閉じられていた瞼が開かれ、許可を乞うように群青の瞳がのぞく。
ジェナは先を急くようにその手を取り、微かに汗ばんだ自らの胸を掴ませた。
スムーズな事の運びから、彼が女を抱くのに慣れていることはすぐに判る。
それなのに、度々こちらを気遣う仕草や態度を見せるのが不思議だった。
これではまるで、大切な恋人を壊してしまわないように抱いている初夜のようだ。
こんなふうな触れ方をする男は、それこそジェナにとっては初めてだった。
それまでの相手は誰も彼も、ズボンを下ろして胸を揉みしだくことしか頭に無かったというのに。
とはいえ、ジェナが女らしく振る舞い始めたのはこちらへ渡ってからだけれども。
彼の大きな両の手のひらが、ジェナの胸を包み込む。ゆっくりと味わうように、けれどこちらが痛くないように加減をしながら。
人並みよりも大きいと自覚しているその乳房は、彼の手の内にあると小さく見えた。
下着越しに乳首をなぞられると、むず痒いような感覚が胸から背へと走る。
ボタンをひとつひとつ外され、襟に手を掛けられると胸元が露わになる。
ぴくりとジェナが肩を震わせると、彼はすぐに手を止めた。
その震えが男を誘う演技などではなく、心の奥底に潜む怯えからくるものだと分かっているかのように。
ハンターという職業上、肌に傷が多いのは仕方がない。実際、ジェナの肌を見て萎える男もいた。
けれど、ジェナの心を頑なに守っているのは、そのことに対してではなかった。
「……だい、じょうぶよ」
ジェナは囁き、自分も彼の首元のボタンに手を伸ばす。
だがその行動とは裏腹に、ジェナは彼の振る舞いにますます戸惑いを感じていた。
一夜の相手なのだから、もっと欲のまま好き勝手すればいいのに。何故ここまでこちらを気遣うのだろう。
彼は服を脱ぐとジェナに覆いかぶさり、再びキスをした。目の端に映った、臍や脛に生える体毛が男らしい。
素肌のままのジェナの胸に触れると、彼は熱い吐息を漏らした。かたく閉じた胸の突起を柔く舐められ、ジェナは腰を跳ねさせる。
太腿を熱く湿ったものが掠め、彼が興奮していることを直に感じた。
彼の整った顔や首元が火照っている。それを見下ろすのは、どこか変な気分だった。
そのまま彼の手が胸から下へと這ってゆく。下着越しに性器を撫でられ、ジェナは息を漏らした。
はじめは全体を、次第に指先で敏感な部分だけを。陰核をくるくると回すように弄られたり弾かれたりして、強すぎも弱すぎもしない刺激にえもいわれぬ気分になっていく。
やがて一点の快感が強まると共に全身の筋肉に力が入り、膣の間にとろりとしたものが満ちた。
それが過ぎると、心の臓が急に強く鳴り出す。
「っ、ふぅ、あなた……巧いわね」
彼は曖昧に微笑むだけで、答えはしなかった。
やがてその指が下着の間へと滑り込む。茂みの中にあるぬらつく花弁を開き、膣へ触れる。
入り口を何度か擦って刺激すると、彼はジェナの反応を窺いながら、慎重に指を奥へと進めていった。
「痛く、ないか」
「ええ。平気よ…….っ」
異物感はあるけれど、痛みはない。
ジェナが慣れてきたことを悟ると彼は指を増やし、ゆっくりと膣を広げるように動かした。
ちらりと見やると、既に彼の中心も一目見てわかるほどに熱を孕んでいる。要求もしてこないし、どうやら口淫をする必要は無さそうだ。
それでもここまで余裕があるとは。
否、我慢をしているようだった。自分の為に? 何故。
ある程度慣らすと彼は指を抜き、ベッドの横にある小さな引き出しから何かを取り出した。
彼が下着に指をかけて下ろすと、ずっしりとした欲の塊が躍り出る。それは赤く充血しており、今すぐに女を貫きたいという意思が伝わってきた。
「そんなに、まじまじと見ないでくれ……」
「あ……っ、ごめんなさい」
耳と頬を染めた彼に、ジェナは慌てて目を逸らした。いくらなんでも、性器をじっと見詰められるのは恥ずかしいだろう。
彼は向きを確かめてから包装を開け、スキンをゆっくりと自身に被せる。
途中でそれが外れないか確かめると、彼はジェナの手をベッドに縫い止め、またキスをした。
(──彼は、何を思ってあたしを抱いているのかしら)
キスに応じながら、ジェナは思う。
欲の発散だけならば、こんなに丁重に解す必要はない。好きな女にでも重ねているのだろうか。
(初めてがこの人だったなら、どんなに……)
忘れたくても忘れられないあの人だって、こんなに大切に抱いてくれはしなかった。
それどころか、事が済むとさっさと村を出て行ってしまったのだから。
抱いた少女が身籠ったことさえ知らず、そのまま行方をくらましてしまった。あの人が生きているのかどうかすら今は分からない。
自分が母親になっていたことも、ジェナは子が流れた後に知った。始まって間もない月のものが幾月か止まり、煩わしいものがなくなった喜びと不安が半分だった頃に腹痛と出血が起きた。
だが当時は子ができたことも、子が流れたという意味すらもよく理解できていなかった。小さな村ではろくな性教育も行われず、そんなことを知る術は無かったからだ。
あの夜は、自分が何をされているのかも分からないまま、ひたすらあの人に嫌われる恐怖と痛みに耐えていた。
けれどジェナの我慢は、すべて無駄だったのだ。土足で踏みにじられたのだと気付いたのは、居場所を失った後だった。
(もしあのまま子どもが生まれていたとしても……きっと、あたしには育ててあげられなかった)
知らず知らずのうちに子を宿し、殺してしまっていた罪。
その事実は、大人になって意味を理解したジェナの心を冷たい霜で覆い尽くした。
しばらくは自分を下心のある目で見られることに吐き気を覚えるほどの怒りを抱え、男装に身を包んでいた。汚らわしい、こちらへ寄ったら殺してやると憎しみを込めた目で若者たちを見ていた。
だが自覚した後は、旅立った我が子への贖罪として、避妊をしながら激しく抱かれることを望んだ。行為が終わった後の虚しさは、ジェナの心を蝕んだけれど。
「……っ」
キスが終わらないうちに、彼の熱がぬるりと当てがわれる。
ジェナはそっとシーツを掴んだ。
(……この人が一夜の相手じゃなかったら、どれほど幸せだったのかしら)
どんなに傷ついても、またあの人が戻ってくるのではないかと心の何処かで期待していた自分が惨めだった。
新大陸へ足を踏み入れた時でさえ、あの人の後ろ姿を無意識に探していた。
此処へ来てずっと会っていないのだからいる筈もないというのに。
もし再会したとしても、きっとしあわせな結末など訪れないというのに。
今目の前にいる彼が、あの人だったなら。
(あ……)
どうしてか、涙が出てきた。
それを悟られないようにやや強引にキスをすると、彼は応じてくれた。
そして温かい手が頬へと伸ばされ、そっと目尻を拭われる。ジェナはハッと目を見開いた。
差し込む月明かりに照らされた群青が、こちらを気遣わしげに見つめていた。
あの人に似ても似つかない、温かな眼差し。
「無理を、していないか。つらいようなら、先には進まない」
ジェナは目を瞬かせる。
すると、瞼に押し出されて滴がふたつ溢れた。
「ふ……まさかバレてたなんて。あなた、人をよく見ているのね」
ジェナは少し強がって、敢えて皮肉めいたことを言う。
すると彼は静かに目を閉じた。
「……昔から、他人の顔色を窺う癖がある。まさか、こんなところで役に立つとは思わなかったが」
それが何を意味するのか、なんとなく分かるような気がした。
きっと彼も、愛に飢えている。満たされない何かがあるのだろう。
「あなたとは会ったばかりだし、事情は知らないわ。でも……あなたが優しいことは分かる」
「さあ、どうだろう。おれはただ、人が悲しむのを見たくないだけだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
そう答えた彼の瞳は、ひどく寂しげだった。口元の微笑みが、一層その様子を際立たせている。
ふと視線を移すと、痛々しい古傷が目に映った。
「……例えば、そうだな。この先何があっても、妻子はもたないことにしている。おれ自身の手で傷つけるくらいなら……独りで居たほうがましだ」
「……!」
彼の言葉で、想像が確信に変わった。
そしてジェナは気づく。
これは傷の舐め合いだ。
ふらりと会った相手と肉欲を満たしても、乾いた心は癒えない。
それでも、その瞬間の温もりを幸せと偽って、また寝具へと沈む。孤独を僅かでも紛らわせる為に。
だからこそ、彼は優しくしてくれるのだろう。自分がしてほしかったことを相手にして、束の間だけでも満たされる為に。
それは幼い日に与えられる慈しみからは形を変えたとしても、きっと本質は同じなのだ。
これは、ジェナ自身へ向けられた愛情ではない。
「そう……」
それが分かると、目の前の男の残酷さが迫ってくるような気がした。だが、彼を責めることはできない。
寝所へと誘ったのは、自分のほうなのだから。
だとすれば、ここで自分が行うべきはただ一つ。
ジェナは涙を拭い、自分から彼の秘部へと手を伸ばした。彼は少し目を見開いたが、やがて足を開いてされるがままにした。
少し萎えてしまっていたそれをスキン越しに扱き、再び熱を取り戻すのを促す。
「流れを止めてごめんなさい、あたしは大丈夫。……だから、先に進みましょ」
ジェナは微笑みかけた。
何か憑物が落ちたかのように、それでいて蠱惑的に。
彼は頷き、ジェナの足を開いて覆い被さった。
薄い膜ごしに、熱い性器同士がキスをする。
彼はゆっくりと腰を進めた。
「……っう、ふぅ……ッ」
「ッ、つらく、ないか……ッ?」
彼の問いに、ジェナは首を振って答える。
まったく辛くないかと言われれば、否定できない。
これほどまでの質量を受け入れるのは、初めてだった。硬さはそうでもないが、とにかく直径も長さもある。
潤滑液を事前に塗っておいてくれたようだが、その滑りを借りても入り口はきつかった。
かなり丁寧にしてくれてはいるものの、ギチギチと無理やり広げられていく感覚は拭えない。
「……ッ、あ」
やっとのことで男根の一番太い部分が入ると、膣がひりひりとした。あとはもう、押し進めるだけだ。
彼が気持ちよさそうに息を吐く。熱でとろりと潤んだ瞳がセクシーだ。
「動いて、いいか?」
「もちろ……っん、ぁ、あ……っ」
相当堪えていたらしく、ジェナが答え終わる前に彼は腰を動かし始めた。
内臓ごと掻き混ぜられているような圧迫感。わざわざ狙わなくとも、気持ちいい部分も一緒に刺激される。
胎の中を堪能するようなゆっくりとしたストロークが心地よかった。
「ぁ、ふ……ッ、ん、ッはぁ……っ」
彼が腰を振るたびに、重力で平たくなった胸が揺れる。
目線を下にやると、彼の赤く染まった筋肉の流動が見えた。
この体勢を、男に征服されているようで好きだという女もいるが、ジェナはそうは思わない。
むしろ、女を蹂躙していると思い込んでいる男が必死に腰を振っている様を見るのは悦を感じる。
ジェナは彼に悟られないよう、僅かに口端を歪めた。自分も大概捻くれている。
やがて彼はジェナの太腿を抱え、少し角度を変えて突き始めた。
体位が変わると、与えられる快感もきつさも変わる。この姿勢では疲れる上にやや息がしづらい。
それを彼もわかっているのか、腰の下に丸めた毛布を敷いてくれた。悉く気の回る男だ。
「ぅ、ふ……ッ、ぁ、ぁ……」
「……ッ、ぁ、は、はッ……」
乾いた音と、微かな喘ぎと、荒い呼吸と。
それらは滝の音に紛れて消えていく。
居住区を通った人がいたとしても、ここで起きている秘め事には気づかないだろう。
尤も、新大陸で情事を咎める者などほとんど居ない。
性感染症の検査や治療も手厚く行われている。母体を守るための緊急避妊薬や、育ち切っていない子を堕ろす術も。
娯楽の少ないこの場所で、愉しみを得るため。燻った欲や感情を発散させるため。そして、人肌の温もりで心を慰めるため。
稀に避妊がうまくできておらず、結果的に命を宿すことはあれど、目的が子作りであることはまず無い。生命と責任の重さを知らず、欲のままに暴れるような子どもも居ない。
恋人が居たとしても婚姻関係を結ぶまでに至ることは少なく、家庭をつくることよりも己の好奇心を満たすことを優先させる。
誰か一人と添い遂げて子を育てる気概のある者は、大抵は現大陸へと帰ってゆく。
生物として身体が求める欲を満たし生きるため、仕事をする人間として己を保つため。愛人や暗宿での一夜は欠かすことができない。
ここは、そんな場所なのだ。
いずれ多くが結ばれて新たな命が生み出されるようになれば、今とはまったく違う場所になるのだろう。
だが熱に浮かされ溶けた頭では、深いことは考えていられない。
「ッは、はぁっ、ぁ……ッ、はっ……」
「……っあ、はぁ、あっ…ッ、ぁ、あ、あ…」
律動は徐々に早くなっていく。
揉みくちゃにされる快感と意識の中、ジェナは彼の広い背に腕を回した。
双方ともに汗でしとどに濡れ、身体は焼石のように熱い。
彼と肌を合わせている時間が、一瞬のようにも永遠のようにも思えた。
次第に彼の顔から余裕が消えていき、凛々しい眉は悩ましげに寄せられる。
その表情と胎の内を満たすものの熱さから、彼の限界が近いことを悟った。
彼が動くのを止めたタイミングでジェナはうつ伏せになり、枕を腕で抱えて頭を押し付ける。
彼はジェナの腰を掴むと、何度も激しく腰を打ち付けた。摩擦で膣が溶け落ちるのではないかとすら思う。
ふたつの乳房が、重みを伴って揺れるのが生々しかった。
この瞬間は、ヒトも獣も同じだ。
今だけは胸を焦がす悲しみも怒りも孤独も、すべて熱に消えてゆく。
子への購いなどと言っておきながら、何というざまだろう。膣や子宮を痛めつければ罰になるだなんて、ただの都合の良い妄想だ。
「……ッ……! ……っう、は、はぁっ……」
びくびくと胎の中のモノが震えると同時に、彼が顔をしかめて息を詰める。
一瞬こわばった後に、残滓を絞り出すように緩やかに腰を動かした。
彼の吐精とともに、行為は緩やかに終わりを迎えた。
心の臓はまだどくどくと脈打っている。
彼が腰を引くと、役目を終えて血の引いた性器がずるりと抜けた。
男根の根本にしがみついたスキンの先端は、溜まった精液が垂れ下がっている。彼はそれを外すと、根本をくるりと縛ってくず籠へと捨てた。
「……身体、大丈夫か」
息を整えながら、彼が尋ねる。
射精して勢いは落ち着いてしまっただろうに、やはりこれは彼の性格らしい。
ジェナは頷き、脱力して枕に顔を埋めた。
汗を流さねばとは思うものの、目蓋が重たい。今は、氷の入った冷たい水が飲みたかった。
なんとか彼が隣に入れるだけの隙間を空けると、ジェナはそのまま意識を手放した。
「ジェナ、ジェナ起きて」
「んぅ……?」
目蓋を開けると、リュカがこちらを覗き込んでいた。
身体が部屋ごと揺れる感覚、がやがやと賑やかな空間。ここは一体どこだろう。
ほっとしたようなリュカの顔を見ているうちに、急激に意識がはっきりとしてきた。
「……やだ、あたしったら。口開けてなかった?」
「えっと、いい寝顔だったよ!」
「嫌ああああ……」
いい笑顔で言わないでほしい。さぞかし酷い寝顔を晒していたのだろう。
ジェナは耳まで赤くなった。
「それより、もうセリエナに着くよ」
「あら、思ったより早いわね」
「寝てたからじゃない?」
「やかましいわ」
自分たちは、報告と増援のためにセリエナ行きの船に乗っていた。どうやらその途中で居眠りをしていたらしい。緊急事態が起きているから向かっているというのに、寝てしまうなんて恥ずかしい。
先刻、アステラへ飛来していたテオ・テスカトルが船を追ってセリエナ方面へと向かった。クシャルダオラとの応戦によって消耗してはいるものの、かの龍の力と執念ならば辿り着いてしまうだろう。
セリエナに着いたら即戦闘になる可能性も高いが、いま気を揉んでいても何も変わらない。周りの騒がしさは、不安を紛らわせるものでもあるようだ。
思い人の心配をしていた者も、敢えてそうしていると分かる声色で明るい話題を口にしていた。
ジェナは腕を組んで伸びをした。すると、ぱさりと肩に掛けられていた防寒具が落ちる。
おそらくリュカが掛けてくれたのだろう。まだ温かいそれを羽織ると、肌寒さが和らいだ。
(──それにしても)
随分と前の夢を見たものだ。これからセリエナに行くからだろうか。
あの頃はまだ両胸があったのだと、えもいわれぬ苦さが鳩尾に広がった。
性欲を満たすために寝るのに、片胸を無くした女を厭わない男など限られている。いつしか他人に裸体を見せることすら避けるようになっていた。
あれから、彼とは一度も寝ていない。胸を無くす前ですら、だ。
たまにすれ違って挨拶をしたり、仕事で一緒になったりすることはあれど、そこに甘い雰囲気が漂うことは無かった。
そして雪に閉ざされた地に前線拠点セリエナが建てられ、彼はそちらへと渡った。
船が揺れるたびに、木が軋む音がする。
ジェナはテーブルに肘をつき、目蓋を閉じて思いを馳せた。
彼は元気にしているだろうか。
雪降る土地で、今も冷たい孤独を閉ざした胸にしまっているのか。
それとも新たに大切なものができ、その孤独を癒し温めたのか。
どちらにせよ、自分には知る由もない話だ。
ただ、あの夜に仮初でも思いやりを示してくれた彼の笑顔が、少しでも増えていたらいいと思う。
そして、今も無事であればいい。
リュカがジャックと戯れている姿を見ながら、ジェナはそんなことを思った。
ちらちらと舞う粉雪が、窓へ落ちては溶けていく。
その刹那に意味を見出すか否か。
それは見た者の心次第なのだ。