宴のない期間であっても、夜の酒場は賑わっている。自身の成果だの報酬への愚痴だのを酒臭い息と共に吐き出しながら、各々が娯楽を味わっていた。
向かいに座る女は、幅広のカチューシャを少し上げ、その中に滲み出た汗を拭う。足首から下が湯に浸かっているためか、吹き曝しの集会所でもさほど寒さは感じなかった。
やがて女が立ち上がり、暑い暑いなどと言いながら足の水気を拭く。隣にいたハンター──ヴィオラは、気の良い先客に手を振り返した。
まだ酒の入っていない穏やかな笑い声が、階段を上がってくる。見れば、そのうちの一人は見知った顔だった。こちらに気づいた男は仲間と別れ、よう、と軽く手をあげる。
「あのお嬢さんとオトモはどうした」
「休暇をやったのさ。流石のわたしも、年頃の娘と家庭持ちをこき使うほど悪魔じゃないよ」
ヴィオラが冗談めかして言うと、男はおかしそうに首を振った。
「はは、どの口が言ってるんだか。あんたが功績を残せば残すほど、あの子らの仕事だって増えるだろうに」
「違いないね」
ヴィオラが手招きをして横にずれると、男はベルトを外して靴を脱ぎ始める。鼻をつく臭いが漂ってくることはなく、この男が案外まめに気を遣っていることに、笑ってしまいそうになる。こちらがそんな失礼なことを考えているなど露知らず、男は隣に腰掛けた。
「こんなタイミングで会ったのも何かの縁だ。推薦組、次の調査は俺と組んでみないか?」
「また始まった。懲りない男だね、あんたも」
飽きるほど聞いた誘い文句に、ヴィオラは顔を顰める。男は湯に足を浸しながら、にやりと口端を上げた。
「言っただろ。俺は俺のやり方で結果を出して、国の連中に一杯食わせてやりたいんだよ。その過程でトップクラスの実力者と組みたいと思うのは、何も不思議なことじゃない」
ヴィオラは両手を頭の後ろで組んだ。暫く同じ姿勢でいたせいか、背中から鈍い音がする。
「もしあんたの野心が可視化されたなら、首鳴竜が見上げるだろうさ」
「独特な褒め言葉を賜り光栄だな」
茶化した男に、ヴィオラは苦笑を浮かべた。
男のブロンドの体毛は、湯の中に入ってしまえば目立たない。それでも女と男の足では、やはり作りも強靭さも違うのだと思い知る。
「ところで、あんたが温泉まで来るのも珍しいじゃないの」
「俺が風呂に入ってないみたいな言い方をしないでくれ。報告書を出しに来たら、たまたまあんたを見掛けたもんでな」
「わたしに構ってる暇ないじゃないか。こんな所で油売ってないで、さっさと行って来なよ」
「あんたなぁ……俺、これでもここでは先輩だぜ?」
「良いじゃないの、同い年なんだから」
ヴィオラが悪びれもせずに笑うと、男はやれやれと前髪をかき上げた。
「そういえば、あんたを拠点で見るのも久しぶりだ。ずっと出ずっぱりだなんて、寂しいじゃないか」
「あら、熱烈だこと。護衛のハンターがついてなきゃ、学者衆が満足に出掛けられないだろう?」
「別に学者が居なくても、あんたは調査に行くだろうが」
「まあね」
ヴィオラは湯から足を上げると、爪先が水面ぎりぎりのところに吸い付かれる感触を愉しんだ。男はヴィオラに、呆れと何か温度のある感情が混ざった眼差しを向けた。やがて口元に笑みを浮かべる。
「まったく、あんたらしいよ。俺は、あんたのそういうところに好感が持てる」
「お褒めに預かり光栄ですわ、なんてね」
ヴィオラがふざけた調子で返すと、男の横顔がくしゃりと綻ぶ。ふと、亡き連れ合いの面影をそこに見たような気がして、目を見開いた。顔も声も、似ても似つかないというのに。
そんなヴィオラの視線に気付いたのか、男はこちらを見た。明かりがついていてもどこか薄暗い集会所では、彫りの深い男の瞳は光を吸収してしまう。目線を下にやると、厚い下唇が見えた。密かに唾を飲み、再び自分の足を見る。
「……あんた、相手がいるんだろ。そいつがここの一員かどうかは知らないが」
静かな声だった。騒がしい集会所では、触れてしまいそうな距離に居なければ聞こえないほどの。男の視線が、自分の左手の指輪に向けられているのも、わかっていた。
「ああ」
「俺は、別の誰かを慕う女に手を出すほど、無粋じゃないさ」
男と視線は合わない。ヴィオラは、そっと溜め息を吐いた。
「……いるけれど、居ないのよ」
男の息を呑む音が聞こえた。この世界に身を置いているならば、誰もが経験し得る別れ。男も、その言葉が何を指しているのかを察したようだった。
「そうか」
ヴィオラは束の間黙っていたが、やがて自嘲するような笑みを浮かべる。
「別にあんたも、わたしと良い仲になりたい訳でもないんだろう?」
「……」
「わたしは、一体あと何年独りで星を数えなきゃならないんだい」
男は足を湯から上げると、縁に足指をかけて布で拭い始めた。体毛の下の白い肌が、あかく染まっている。
ヴィオラもそれに倣い、靴と一緒に置いておいた布に手を伸ばした。それまで湯の温度で馴染んでいたせいか、外気が冷たく感じる。たくし上げていたレギンスを戻し、靴を履き終える頃には、濡れた布に触れていた手も熱が奪われていた。
その時、誰かが派手に飲み物を溢したようで、騒がしさが増す。ヴィオラがそちらに気を取られている間に、男は席を外した。
ややあって戻って来た男は、書類の代わりに飲み物を二つ手に持っていた。ヴィオラは礼を言って受け取ると、その温かさに目を丸くした。手渡されたカップからは、湯気とともに蜂蜜の濃厚な香りが漂ってくる。自分には甘過ぎて、普段はあまり飲まないけれど、今は喉の奥を焼くような甘さと酒精の残滓が有り難く思えた。
ややあってクイ、と顎で示される。ヴィオラは頷いて、喧騒の中、男の隣を歩き始めた。
***
琥珀色の酒に、細かな雪が舞い込んでは溶けていく。屋根の下に入ると、最後の一粒がカップの縁でゆっくりと水滴になった。
ドアが閉まる音が、背後で聞こえる。思えば、オトモや相棒以外の誰かと二人きりになるなど、いつぶりだろうか。
男がランプを燈すと、周囲の木材が温かな橙色に染まった。壁が白土になっているせいか、圧迫感はあまり感じない。ヴィオラは雪と泥を落とした長靴を脱ぎ、男が出してくれた中履きに履き替える。
「狭いし散らかってて悪いが、上がってくれ」
レードルの入ったままの鍋に、干しっぱなしの洗濯物。存外家事もしているらしい。女を家に上げるというのに、ありのままの営みがあちこちに散らばっている。それさえも、今のヴィオラには心地よく感じた。
「生活感がある部屋だこと」
「正直に言われると、グサッとくるな」
「おや。褒めたつもりなんだけれど?」
男が暖炉の火をおこす後ろ姿は、どこか哀愁を帯びている。一人が暮らすには広過ぎる住み慣れた家よりも、男の体温を感じるこちらの方が懐かしさを覚えた。
ヴィオラは遠慮なくソファに腰掛ける。家主が空けていた為、まだ冷気の残滓でひやりとしていた。カップの底に残っていた蜂蜜酒も、すっかりぬるくなっている。
男が隣に掛けると、緩衝材がこちらの方まで沈んだ。先程の足湯と同じ位置だというのに、何故かこちらでは浮き足立ったような居心地の悪さを覚える。
ヴィオラは男を横目で見た。向こうもいつになく緊張しているようで、ぎごちない手つきで甘い酒を口に含んでいる。その表情が愛らしく思えて、ヴィオラは徐に手を伸ばし、男の髪をくるくると弄った。
「外じゃ分からなかったけれど、あんた綺麗な髪をしているんだね」
「初めて言われたぞ、そんなこと」
男は生娘のように身を固くしている。ヴィオラは気を良くして、さらに距離を詰めた。
「どこかの表現で月色、とか言ったかな。まるで
「それを言ったら、あんたの瞳だって」
男は、こちらに顔を向けた。暖炉の灯りが揺らめき、ふたつの瞳に映り込む。仲の良い同僚の顔は、鳴りを顰めていた。
「わたしの目かい? 初めて言われたね、そんなこと」
「真似しないでくれ」
男は薄く笑みを乗せ、顔が触れるくらいに近づいた。甘い蜂蜜と豊かな酒の香りの層を感じ、唇が重なる。乾燥して盛り上がった粘膜の感触は、唾液で次第に柔らかくなっていく。最後に誰かとキスをしたのは、いつだっただろうか。
閉じた瞼に、厚くなって割れた指先が触れる。柔らかい皮膚へと少しばかり引っかかる感触からは、懸命に傷つけまいとしているのが伝わってきた。血や獣の臭いの代わりに、インクや土の匂いのする指だった。
腹の下から這わせられる手を、受け入れる。その手は、ヴィオラの胸を包み込むように感触を確かめた。普段の男からは考えられない手つきに、思わず足の指を丸めてしまう。
下着越しでは、こちらが性感を得るまでは至らない。男の手も、物足りなさを感じているだろう。だが、直に触れれば抑えが効かなくなることは解っていた。
ヴィオラは、男の首へと腕を回す。深さや角度を変えながら、何度もキスをした。次第に鼻が慣れてきたのか、甘い香りは感じなくなる。その代わり、口内を満たす甘さは、唾液が舌に触れる度に増していくように感じた。
***
ドアが開く音がする。そちらに目をやり、ヴィオラはベッドに腰掛けたまま伸びをした。
「交尾が大体の生物の最終目標だっていうのに、人間ってのは呑気なもんだね。まったく」
そんな無駄口を叩いていると、男は「違いないな」と苦笑を浮かべた。濡れたタオルをテーブルに置くと、ヴィオラの隣へと腰掛ける。それから首筋へと顔を寄せ、息を吸って目を閉じた。
白いシーツに、毛先に水分の残る髪が散らばる。せめてタオルをと思ったけれど、同じように毛先を濡らした男は待ちきれないようだった。男の膝に圧が集中するたびに、ベッドがぎしりと軋む。先程と違い、新鮮なミントの香るキスに、ヴィオラは目を閉じた。
頭から湯を被った訳ではないため、水滴が滴ることはないが、それらが肌を擽るとひやりと冷たい。どちらも身体の一部だというのに、どんどん温度の差が開いていくのが生々しかった。
男の手が湿っているのは、湯上がり故か、別の理由か。髪を撫で、頬を包み、首筋を辿り。下着と素肌の間に手を入れ、悪戯をするかのように飾りに触れる。ヴィオラが反応を返すと、男は僅かに頬を上気させた。
下着をずらされ、ふたつの白い乳房が露わになった。傷だらけのハンターの身体でも、急所に近い部分は堅い装甲で守られている。横になれば平坦になってしまう程度の胸だが、男は熱い吐息を漏らしていた。
ヴィオラは男の背に手を回し、筋肉の造る凹凸をなぞる。人の肌でなければ得られない温度と感触は、脳を浮かれさせた。時折、腹や内腿に下着越しの硬い熱が触れると、自らの奥に眠る何かが揺り起こされそうな心地を覚える。いつしかヴィオラ自身も腰を浮かせ、その熱に自らの熱の根源を触れさせようとしていた。
首筋から腹へと、一粒一粒種を蒔くようにキスを落とされる。その肌が乾いてしまう前に、唇同士が柔らかく重なり合った。ふとした瞬間に垣間見えたグレーの瞳は熱を帯び、暖炉の光を屈折させている部分のみが輝いている。それが星のように思えて、ヴィオラは眠るように束の間瞼を閉じた。
男の手が胸を揉みしだき、その唇は再びヴィオラの肌を吸い始める。男の顔が胸元に来た時、ヴィオラは曲げた膝をさらに開いた。
唾液を纏った舌で刺激されても、舐められていると感じるのみ。だが視覚からの情報は、自身の秘めた場所を暴かれているという事実を脳に直接響かせている。
上下の唇で挟まれると、乳首の奥までじんわりと甘い感覚が伝わり、やがて血が集まり硬く収縮していった。同時に、腹の奥が疼くような感覚が走る。男の指が片方の胸から離れたと気づいたのは、熱い手が擽るように腹を撫ぜていった時だった。
陰毛がかき分けられ、目で見ずとも、秘部に男の太い指が触れるのを感じる。まだ滑りは良いとは言えないけれど、男は慣れた手つきでヴィオラの中心を弄り始めた。雌が雄を受け入れるのは腹の中だというのに、何故ここが最も性感を受けるように造られているのだろうか。そんな雑念は、男の吐息に遮られた。
「推薦組……っ」
ここで呼ばれるとは思っていなかった呼称に、ヴィオラは雰囲気をも忘れて吹き出した。
「ちょっとやめとくれよ、ベッドの中で役職名なんて。あんた、わたしの名前知ってるだろう?」
男はムッとした表情を浮かべた。せっかくのムードを壊した本人にそんな顔をされても、とヴィオラは軽く男の肩を叩く。ややあって、男は遠慮がちに口を開いた。
「良いのか」
「ああ」
「……ヴァイオレット」
ヴィオラは僅かに目を見開く。男はおそらく、指輪の主に気を遣って、愛称でなく本名を呼んだのだろう。けれど。指輪の主がありし日の女を呼んでいたのも、愛称も何もない名前だった。
今は、あの人に重ねているわけではない。目の前の男と、この瞬間に感じている寂しさを埋める為に、セックスをしているのだから。ヴィオラは指を男の唇に当てた。
「違う、ヴィオラがいい」
ヴィオラの我儘に、男はまた先程と同じ顔をした。
「それじゃあ、他のやつと同じじゃないか」
「わたしが気に入っているのさ、この愛称を。はやく」
「分かったよ、ヴィオラ女王陛下」
「ふっ、何だいそれ。苦しゅうないわよ」
男の茶化しにヴィオラが乗ると、彼はおかしそうに喉を鳴らした。それから頬にキスをし、再び手を肌へと這わせる。
男の指では、自身で弄るよりも面積が広く力加減も少しだけ強い。だが、一夜の関係でもわざわざ手間をかけてくれているのだと思うと、むず痒いような快感へと変わっていく。ヴィオラが眉根を寄せて耐えているのを、男は喜ばしげに見つめていた。
ヴィオラも手を伸ばし、男の中心へと触れる。キスをしていた時から萌していたそこは、下着越しにも湿り気を感じた。手のひらでくるりと包み、上下に擦り、と刺激していく。そのうち布越しでもくっきりと輪郭が分かるくらいに、手の中で熱さと硬さを増していった。
膝の裏にあった摩擦抵抗が軽くなったかと思うと、脛から踝へと冷たい何かが伝い落ちる。それが汗だと気づくまで、時間を要した。
秘部に触れていた指から、ほのかに酸い匂いを感じ、ヴィオラは膣をぴくりと震わせた。女からのみ分泌されるその体液は、男を受け入れる準備が整いつつあることを示している。
男はレースの下着を脱がすと、慎重に指を入れた。粘液の分泌された膣の中は、若い頃ほど潤沢では無いけれど、ヴィオラが力を抜いてさえいれば容易にそれを受け入れる。何度か挿入を繰り返し、男は再び慎重に指を抜いた。
ヴィオラに覆い被さるようにしていた男は、上半身を逸らしてラックへと手を伸ばす。ややあって小さな包みを籠から取り出し、ヴィオラの足の間で封を開け始めた。
「果たしてわたし達に必要なのかしらね、それ」
ヴィオラが冗談混じりに言うと、男は呆れた顔をした。
「あんたなぁ……もし俺が病気持ってたらどうするんだよ。その逆も然りだぞ」
「あら、心当たりでも?」
「そんなわけないだろ。保険だよ、保険」
ヴィオラは笑った。そして、男に気づかれないように溜め息を吐く。男は、もし子どもができたら、とは言わなかった。お互いにもう自力で孕むような歳ではないからか、そもそもその思考もないのか。
仄暗い念を消すように長い髪をかき上げ、ヴィオラは再びベッドに身を委ねる。その間に、男は準備を終えたようだった。
男がヴィオラに向き直る。普段他愛無い会話を交わす同僚の姿と、血の巡った雄の象徴は、結びつけるのが難しかった。だが、熱の籠もった眼差しを向けられ、いよいよ一つになるのだと実感する。
男が問い、女は応えた。すると、熱の塊が恥丘の間へとあてがわれる。押し広げられる少しの痛みとともに、熱が隙間へと入ってくる。
男は腰の角度を変えながら、欲をゆっくりと埋めていった。胎に入ってしまえば、感じるのは圧迫感と僅かな感触のみ。ヴィオラはつくづく、この臓器は頑丈にできていると感心してしまう。
「ヴィオラ、動くぞ」
「ああ」
緩いストロークが始まる。互いの快・不快を確かめるような動きから、次第に温度が馴染んでいくのを互いの粘膜で感じていった。次第に、一定の速度へと上がっていく。
ヴィオラは、男を見下ろす。否、本当は見下ろされている側なのだけれど、敏感な性器を露わにして感じているのは男の方だから、こちらには余裕があった。白い肌を首元まで赤く染め、必死に腰を振っている様は愛おしかった。
腕を伸ばすと、男は応じてキスをしてくれる。甘ったるいやり取りに流石に照れが込み上げてきて、ヴィオラはすぐに唇を離した。外しかけた下着のホックが痛くて、自身の背へと手を回す。
男はヴィオラが外した下着を受け取ると、ベッドの傍にある椅子へと掛けてくれた。邪魔なものがなくなり、再び胸へと手が伸びてストロークが始まる。こちらへの気遣いもあるのに、欲に関しては分かりやすい男だ。普段の仕事では理知的な分、そのギャップが滑稽に感じる。
揺さぶられる度に、息が漏れた。それは男も同じであるようで、時折掠れた低い声を鼓膜が捉えた。雪が外の音を消してしまうこの場所では、自分達の立てるもの以外は、暖炉の火が弾ける音しか聞こえない。その中で、微かな喘ぎはよく響いた。
情事の時の声は、理性など無くて良い。獣のように、時に獣よりも獣らしくあれば良い。すべてを晒けだす恥はあれど、生命の営みの前にはそんなものは何の役にも立たない。
肌と肌がぶつかり合う音に、粘液が泡立って柔らかな肉の往来を助ける音。ひどく生々しいそれらは、シンプルだがこれ以上ないくらいに成熟した者達の興奮を掻き立てた。
"導きの青い星"などという大仰な渾名も、今は忘れていられる。吐息と共に男の口から紡がれる自分の愛称を聴いていると、ありのままの姿でいられるような気がしていた。
もしかすれば、この男は青い星と称される自分と肌を合わせることで、自身の野心を満たしているのかもしれない。だが、男の眼差しや肌に触れる温もりは、偽りのものではないように思えた。むしろ、誘いを持ち掛けた自分が情けなく感じてくるほどに。
男もヴィオラも、必要以上に自身のことは話さない。新大陸に生きる者としては、この程度の距離がちょうどよかった。過度に傷付かず、ぬるい幸福だけを吸うことができ、寒い夜をやり過ごせるのだから。
何度も体勢を変えては、互いの快楽を求める。この時間だけは、独りではないのだと。今この瞬間、目の前に自分と繋がっている他人が居るのだと。子を成さないようにするセックスにも、意味はあるのだと。それを確かめ合うように、何度も何度も。
いい年をして何をしているのか、とヴィオラは内心で自身を嘲笑した。これでは、自分の半分も生きていない相棒の方がよほど大人かもしれない。あどけなさの残る顔を一瞬思い出し、すぐに記憶の中へと埋めた。眩しい彼女は、情事の際に持ち出して良いような存在ではない。
やがて、男の表情から余裕が消える。血液が海綿体を満たし、精嚢が子孫を残さんとしている。摩擦で感覚の鈍った胎でははっきりとは感じられないが、男の表情や息遣いからこの先のことを察していた。
ヴィオラは男の手を取り、指同士を絡め合わせた。男は手を握り返すと、一層腰の動きを早めた。
やがて唸りのような声が男の喉から漏れ、動きが鈍くなる代わりに腰が震えていく。男の絶頂を見届け、ヴィオラは全身の力を抜いてベッドに両手を投げ出した。
***
星々は夜の間と同じように瞬いているが、空の端が白み始めている。
ヴィオラは男に手を振り、帰路を辿る。少し歩くと、顔馴染み達が仕事に出かける姿が見えて、隠れる必要も無いのについ道の端へ寄ってしまった。
仕事ではなく、誰かと寝て朝帰りをしたのはいつぶりだろう。起こしてしまうことを気にせずに帰れることに関しては、自身のオトモアイルーが世帯を持ってくれたのは有り難かった。
玄関を開け、靴の汚れを落とすのも適当に家の中へ入る。明かりすら灯していなくても、ルームサービスも戻っている今は、誰にも咎められはしない。
防寒具を脱ぎ、部屋着に着替えると、ヴィオラは柔らかなベッドへと身を預けた。男の家で一眠りしてきたけれど、普段しない運動をしたせいか、妙に身体が怠い。
眠りに落ちる前に、ヴィオラは薄暗い部屋で指輪を見つめた。果たしてこれは浮気になるのだろうか。少しの罪悪感はあっても、男と寝たことに後悔はなかった。
(あんたのせいだからね、ミーシャ)
自身の行いを棚に上げ、心の中で恨み言を呟く。"自由になれ"などと言い残し、こんなものだけを寄越して、自身は簡単に逝ってしまうのだから。
連れ合いの顔が蘇ることはあれど、その声は次第に曖昧になっていった。これが怖かったから、あの日の自分は行動を起こそうとしたのだ。しかしそれも、苦い記憶だった。
この命が消えてしまう前に、このひとの生きた証を残したい。これまでの貯金があれば、女手一つでもなんとか育ててゆける。今すぐに行動を起こさねば。そんな耐え難い衝動が、ヴィオラを突き動かした。ベッドに横たわるばかりの痩せ細った身体に跨り、その細い手を握り自らの胸に触らせようとしたが、ミーシャの眼差しはやんわりと拒否を示していた。
正気を取り戻し、飛び退いた。自分はなんということをしてしまったのかと絶望する。だが、そんなヴィオラを呼び、その唇にキスをした。薬の匂いと、病んだ者特有のにおい。ああこのひとはもう長くないのだと、疑念が確信に変わってしまった瞬間だった。
考えてみれば、もうあの時のミーシャには精を放つ力どころか、血を沸かせる力すら無かっただろう。そんなこととにも思い至らないくらいには、ひたすらに自分勝手で無我夢中だった。
(こんなに時間が経ったのに、未だに忘れられないなんてね)
ヴィオラは自嘲する。別の男と寝た日くらい、忘れてしまいたいのに。連れ合いの記憶は、呪いでもあった。もはやこれが愛情なのかどうかも分からないほどに、色褪せてはいるが痕だけは刻み込まれている。
ヴィオラは横に首を振り、寝具で身を包む。今日も仕事があるのだから、それまでは身体を休めねば。雪の中を長時間歩くのは慣れたが、危険なモンスターばかりがいる、高低差のある場所を駆けるのはまた違う。
それはまるで、身体の中にある性の残り香を消すように。ヴィオラは伽藍とした部屋で独り、細く長く息を吐き出した。
いちばん好きです、野心あふれる四期団。
あの人から口説き台詞を聴きたいがために話しかけているまである。