エロシーンはありません。
「あの人は私のことを研究者仲間としか思っていない。研究者としての私しか、あの人は必要としていない」
続けた由梨佳の声は震えている。多輝はどう答えていいか判らず、ただしっかりと由梨佳を抱きしめた。もう言うな、と掠れた声で告げる。だがそれでも由梨佳は語ることをやめなかった。
「だから私は。あの人を騙して、自分自身を騙して、妻という地位を手に入れたの。そのほうが研究に都合がいいからって、そう言って」
今まで決して誰にも打ち明けたことなどないのだろう。由梨佳は震える声で詰まりながら告げた。多輝は目を閉じて由梨佳の置かれた立場を思った。それでも好きな人の傍にいられればいい。何をしても、どんなに周囲から謗られても、好きな人の傍にいたい。その気持ちが多輝には痛いほど良くわかった。
でももし、その相手が決して振り返ってくれなかったら。
「もう、いい。そんなに自分を責めるなよ」
抱きしめた由梨佳の身体が今まで以上に頼りなく感じられる。
「ううん。ずるい女だもの。妻という地位を得て、娘と息子を持って家庭を持っていい気になって」
「ずるくなんてないじゃないか。普通だろ、そんなの」
言いながら、多輝は苦しさに顔を歪めた。好きな人の傍にいたい。暖かな、幸せな家庭を築きたい。家族というものに縁がなかった多輝はその環境を想像することしか出来ない。だがそれはきっと、誰にも迷惑などかけない静かな夢なのではないか。
だがそう思う心のどこかで由梨佳の言うことにも一理あるのだと理解してしまう自分がいる。それが多輝は酷く嫌だった。
「でもそれは私だけが抱いてた幻想だったの。結局、私はただの機械人形でしかない。妻にも、母にもなれるはずなんかなかったのに」
悲しそうに呟いて由梨佳は力なく笑った。自分が眠っている間に何事かがあったのか。多輝は何も答えることが出来ず、ただ由梨佳を強く抱いた。壊れないように気をつけて抱きすくめる。
機械で出来た人形である自分たちには主人の存在が不可欠だ。だがそのマスターがもしも自分を省みてくれなかったら。恋愛感情に直結しているシステムが、マスターのそういう感情を読み取ってしまったら。そうしたら自分たちはどうなってしまうのだろう。
「娘に言われたわ。甘えるなって」
きっと困ったように笑っている。由梨佳の表情は見なくとも読み取れた。多輝は由梨佳の耳元で呻くように告げた。
「甘えたっていいじゃないか。夢見ても悪くないだろ? だっておれたちは選ぶことは出来ないんだ。生きることを、死ぬことを自分では選択できないんだぞ?」
それはヒューマノイドだけではない。誰にも同じ事が言える。そのことを多輝は言いながら理解していた。特別、ヒューマノイドだけに限られる話ではないのだ。だが他にどう言っていいか判らない。
「あの人は、それは望んでいないのよ。あの人が欲しいのは対等の存在。必死で演じ続けてきたけど、もう限界だと思ったの」
疲れたように言って由梨佳はそっと多輝の肩に手をあてた。ゆっくりとその身体を引き剥がす。多輝は痛ましさに目を細めて無言で由梨佳を見つめた。
「だから私、あの人に提案したの。もう、二人の子供も独立できたし、形式上の婚姻関係を解消しましょうって。そうしたら笑って了承してくれたわ」
「別れる……のか」
自分でも驚くほど多輝の声はかすれていた。じゃあ、由梨佳はどうなってしまうのだ。マスター登録は間違いなく由梨佳の主人である誰かが行っているのだろう。離婚する、ということはその登録内容も削除されてしまうということではないのか。それを思った多輝の顔は自然と青ざめた。
「ううん。違うわ」
あっさりと由梨佳は否定した。ほっと多輝が息をつこうとした瞬間、由梨佳は笑って続けた。
「もう昨日、書類は受理されたから」
多輝は愕然と目を見張って由梨佳を見つめた。にっこりと笑う由梨佳の頬には涙が伝っていた。
数分後、多輝は猛然と屋敷を駆け出した。蒼が止めるのを振り切り、立城の声を無視して街に走る。
「ぶち殺す!」
全ての原因になっているのは由梨佳でもその主人でもない。子供の優一郎や絵美佳でもない。全く関係ない場所にいるように見えて、その根源に関わっている者だ。多輝は一心不乱に水輝を探して街を目指した。
多輝、またブチキレですw