おなってるって訳でもないし……ややこしいですね(汗)
痛む胸を押さえてひとしきり咳き込んでから順は目を開けた。咳き込んだ衝撃で目に涙が浮かぶ。毛布にくるまって順は身体を小さく丸めた。ただベッドに横になっているだけというのがこんなに退屈だとは思わなかった。強い痛みに苛まれつつも順はのんびりとそんなことを考えていた。
窓の外は薄暗い。空に分厚い雲が張り出しているため、昼間だというのに部屋の中はまるで夕刻のような暗さだ。雲を辛うじて抜けた僅かな日差しが時折、いっそう細くなる。風にじわじわと流れていく雲を眺めて順は小さく笑った。明るい日の光を遮る雲が、まるで今の自分の状態のように思えてならない。
わたしがいいというまで寝ていろ。そんな火藍の言に順は今のところは律儀に従っていた。火藍が向かったのは恐らく立城の元だろう。だが今の立城がそう簡単に火藍と会うとも思えない。結局、火藍は頼みを全て聞くよりも早く、順が何を考えているのかを理解したのだ。
枕の上に投げ出した順の手の中には一つの宝珠が納まっている。緋色の宝珠は火藍が順に手渡したものだ。無謀だよね。順はそう囁いてくすくすと笑った。火藍はどこまでも人が好いらしい。相変わらずなんだから。そう続けて順は軽く咳き込んだ。まただ。胸に走った鋭い痛みに順は眉を寄せて片目を閉じた。
優一郎から受ける痛みは日々、強くなっている。時には息が止まってしまうほどの痛みに襲われる。そんな時、順の意識は混濁する。そして意識の隙間で現実とは別の光景を垣間見る。順は目を閉じて胸を押さえた。片手に握った宝珠をそっと胸に抱きしめる。
あの頃、龍神たちは互いに傷つけあうことだけを目的に大きな戦いを繰り広げた。混乱する人々を余所に様々な力を炸裂させる。時にそれは大きな災害となって人々を襲った。順は瞼の裏に浮かんだ凄惨な光景を見つめながら細い息をついた。昔、老人が言っていた。龍神の戦いは長い時に渡って行われた。そして結局は首謀者である黒龍神が天の龍神に捕らえられたことで戦いは終結した。散った龍神の命は数え切れず、そして同時に龍神とは別の力ある存在も数多く死んだ。
囚われの身となった黒龍神がその後、どうしていたのかをはっきりと知る者はない。今でこそ冥界の王と呼ばれる黒龍神だが、当時は存在そのものが隠蔽されていた。
「……い……ったいなあ……」
口許に嗤いを浮かべながら順は掠れた声で囁いた。無意識ゆえにストレートな力が次々に身体に吸い込まれていく。そして飛び込んだ力は瞬く間に痛みとなって順を苛む。内側から切り裂かれる痛みを堪えながら順は微かに目を開けた。鈍く白い光が目に飛び込む。
短く浅い息をしながら順は虚ろな眼差しで宙を見た。辛うじて意識を保つ。手に宝珠を握っているからだろう。いつもより痛みは柔らかい。顔をしかめながら順は手をそっと毛布から出した。熱に浮かされたように宝珠の紅い色を見つめる。
翠はあの時、微笑んでいた。誓約者のことを語る翠の目がどうしても忘れられない。あれは多分、話しながら当時のことを懐かしんでいたのだろう。翠にしてみれば例え天輝を抱いても、禁忌をおかしたという気持ちはどこにもなかったのだ。
龍神にその命を散らされた誓約者たちは地に呪いをかけた。わたしたちは望んでそう生まれた訳ではなかったのに。どうして殺されなければならないのだ。その恨みや憎しみが地に向けられる。そして誓約者たちは呪いながら死んでいったのだ。
ただ一人を除いては。煌くように光が脳裏を過ぎる。順は思わず呻きながら息を殺した。灼けるような痛みが胸の奥に生まれる。そしてその力は実際に順の胸の奥を焼いた。全身から一気に汗が吹き出す。順は歯を食いしばって痛みを堪えた。
握った宝珠が自然と手から滑り落ちる。あ、と思う間もなく順は一気に灼熱の痛みに晒された。声にならない声を上げ、順は身体を仰け反らせた。衝撃に全身が痙攣する。
意識が闇に沈み、次に気付いた時、順の傍らには何者かが立っていた。ぼんやりとしながら順はのろのろと目を上げた。だが視界が歪んでいて誰が立っているのかが判らない。
床に転がった緋宝珠を誰かがつかむ。そして力なく横たわる順の手に宝珠が握らされる。順はそっと息を吐いてその手を引き寄せた。震える両手で宝珠を包む。すると徐々にではあるが、意識がはっきりし始めた。だが視界が安定した時にはもう、傍らにいた誰かはいなくなっていた。
窓の外は既に暗くなっている。部屋に満ちた闇に目を凝らす。順はのろのろと身体を起こした。汗でぐっしょり濡れたパジャマを何とか脱ぐ。呼び鈴を押すとほどなくメイドが一人現れる。着替えを用意するように告げるとメイドは頷いて部屋を出て行った。
ふと、視線を落とす。血で真っ赤に染まっている胸には何故か傷が見えない。表面的には完全に傷口が塞がっている。だがそれでもやはり、内部には熱のような痛みがある。苦笑してパジャマを床に放り出す。順は続いて下着を取った。
「うわー……。強引にやっくれて……。こんなに出したら死ぬかもじゃん」
下着の中は大量の精液でべったりと汚れている。順は情けない顔で汚れた下着を床に放り捨てた。どうやら体内を襲った熱を別の場所から放出させられたらしい。そのことは理解出来たが、釈然としないものを感じる。痛みに犯されていた順にそんな真似は出来ない。きっとさっきの誰かだな。そう呟いて順は半ばやけくそになりながら汚れた股間をタオルで拭った。入ってきたメイドに命じて身体を拭かせる。
風呂、入りたいなあ。そう呟きながら順はまたベッドの中に戻った。汚れた衣類を両手に抱えてメイドが部屋を出て行く。真新しいパジャマに身を包んだ順はそれを目だけで見送った。
順は手にずっと宝珠を握り締めていた。着替える間も、身体を拭かせている間もそれを離さなかった。そして順はベッドに横たわりながら宝珠を目の前に翳した。緋色の輝きを帯びた宝珠が順の目に映る。
取り込むだけで簡単に傷は消滅してしまうだろう。同時に順も灼かれる可能性はあるが、それは一時のことだ。体内に取り込んでしまえば緋宝珠は順の中にある別の宝珠の影響を受ける。そしてやがては大人しく順の中に納まるだろう。そのことは順にもよく判っていた。現に火藍がかつて持っていた他の宝珠の多くは順の中に未だに納まったままだ。
「取り返せばいいのにねぇ。全く、本当にお人好しだよ」
そう言いながら順は小さく笑った。そっと緋宝珠に唇を寄せる。宝珠に優しく口づけてから順は目を閉じた。
火藍は基本的にお人好しです。