エロシーンはありません。
あっ! 若干グロ注意かもです。
夜空に甲高い女の悲鳴が響く。だがそれは人間の耳に届く声ではなかった。しっかりとその声を聞きつけた多輝は身を翻して声の許に駆けた。夜の街ですれ違った酔っ払いが多輝の姿を見止めて口笛を吹く。
次第に周辺の人の気配が少なくなっていく。街の隅、ビルとビルの狭間からその声は聞こえていた。多輝は咄嗟に壁際に身を寄せて息を潜めた。
ようやく見つけた。多輝は握りこぶしを作って唇をかんだ。水輝の背中が辛うじて見える。水輝は誰か、多輝の知らない女に向かい合っていた。先ほどの悲鳴はその女が発したものだろう。
暗くてよく見えないな。多輝は懸命に目を凝らした。そうすると自然と視界が明るくなる。どうやら無意識のうちに力が働いたらしい。多輝は注意深くその力が水輝の方へと流れないようにした。
暗い視界が徐々に明るくなる。すると多輝の目に鮮やかな赤い色が飛び込んできた。地面に滴るそれは水輝が向かっている女が流している。血だ、と多輝は呟いて目を見張った。女が全身から血を流しているのだ。
「あーあ。手元が狂っちまった。お姉さんが動くからだよ」
嗤い混じりに告げて水輝がゆらりと身を起こす。口許に手を引き寄せ、水輝は自分の指に塗れた血を舐めている。それを見た多輝は思わず口を押さえた。ずるり、と音を立てて女が地面を這う。恐らく水輝から逃げようとしているのだろう。だが女が動く前に水輝はその足で女の背を乱暴に踏みつけた。
いったい……どうなってるんだ。多輝は吐き気を堪えながら息を詰めてその光景を見つめていた。地面に散っているのは血だけではない。潰れた人間の身体が転がっている。そしてそんな残骸に囲まれるようにして水輝は立っているのだ。
女は普通の人間には見えなかった。爪が長く伸び、目が爛々と赤く輝いている。水輝の足の下で暴れる女を見つめ、多輝は目を細めた。だがそんな異形でも龍神ではないらしい。特有の輝きはない。
「で? お姉さんはどうする? おれを食う? ……っていうか、もう駄目っぽいなあ、あんた。処女じゃないじゃん」
そう言うなり、水輝は手に輝きを生んだ。思わず多輝はビルの陰から飛び出そうとした。水輝に明確な殺意が感じられたからだ。
不意に何かが多輝の身体を拘束する。驚きに息を飲んだ多輝は鋭く振り返った。だが声を上げる前に口を何かが塞ぐ。
「動かないでください。これ以上近づけば、幾ら今の主でも気がつかれます」
耳元に囁かれて多輝は目を見張った。聞き覚えのある声だ。蒼が多輝を抱きしめているのだ。そのことに気付いた多輝は抵抗を止めた。安心したように息をついて蒼が多輝を解放する。
その瞬間、視界の片隅で青い光が膨れ上がった。はっとして振り返る。だがそこには既に水輝の姿はなかった。あれだけ散乱していた血や身体の切れ端もなくなっている。多輝は力なくその場にへたりこんだ。
「い、一体、どうなってるんだ? あいつ、人間を殺しまくってるのか?」
脱力した多輝を支えながら蒼が苦渋に顔を歪める。
「いいえ。主は人を殺している訳ではありません。……あれを人と呼ぶには余りにも問題がありますから」
「で、でも、死体が……」
まだ身体は震えている。多輝は乱暴な攻撃の矛先を龍神である水輝に向けることはあるが、人に対して破壊的な力を使おうとしたことはない。何故なら、その力に晒された人間はあっけなく死んでしまうことが目に見えているからだ。
「とにかくお屋敷に戻りましょう。ここは危険ですから」
有無を言わせず蒼が多輝の肩を抱いて歩き出す。多輝はつられて足を前に出した。歩きながらどうして蒼がこんなところにいるのだ、と気になり始める。どうやら蒼はずっと自分を探していたらしい。そのことに気付いて多輝は慌てて詫びた。
「ごっ、ごめん。おれのこと探してくれてたんだ?」
「はい。主の力に晒す訳には参りませんから」
すらりと答えて蒼は軽く多輝を引き寄せた。多輝のすぐ脇を誰かが通り抜けて行く。酔っ払いらしい。肩越しに見返って千鳥足を確認し、多輝は納得して頷いた。確かにこんな場所を女一人で歩いているのは危険だろう。人間ならば、の話だが。
蒼にタクシーに押し込まれ、多輝は立城の屋敷に戻った。真っ先に執務室に行くように蒼に言われる。どうやら蒼は立城の命も受けていたらしい。誰の使い魔だよ、と呟きつつ多輝は執務室に向かった。
「まずはおかえりと言っておこうか」
ドアを開けた途端に声が飛んで来る。執務室の机についたまま、立城は片手を上げた。だがその顔にはいつもの笑みはない。
「僕は止めたと思うけれど? それをわざわざ無視して水輝の後を付け回して、君は一体なにをするつもりだったの」
ドアに寄りかかったまま、多輝は答えなかった。憮然として腕組みをしたまま立城を睨む。立城が相当に怒っていることは思惟を読まなくても判る。だが多輝も怒り狂っていた。
多輝は割と無謀なのです……。