ここにはエロシーンはありません。
髪を指で漉き上げて口許に嗤いを刻む。壁に寄りかかった多輝は横目に二人のやり取りを黙って見ていた。机についた優一郎に切羽詰った顔で迫っているのは果穂だ。二人とも着ているのは同じ白衣なのに、どうして向き合っていると教師と児童という印象なのだろう。そんなことを考えながら多輝は腕組みをして黙って二人のやり取りを見物していた。
「いますぐに! だってわたしはねらわれているのよ!?」
木村というこの国の二大財閥の片方の研究施設で果穂は生まれた。いや、正確には研究の末にごく一般の人間の体内で息づいたと言うべきか。果穂は施設で幾度も重ねられた実験を基に仕組まれた、言わば人の手によって意図的に作り出された人を超えるモノ、の筈だった。過去形なのは果穂を作り出した者たちが諸手をあげて喜べるほどに実験が成功しなかったからだ。
先に作られた保美より実験は成功に近づいてはいた。研究者たちが狙った通りに果穂にはその年齢にそぐわぬ頭脳が与えられた。が、弊害として果穂はある一定以上には成長しないという身体を持つことになった。そして例え優れた頭脳を持っていても、それは研究者たちの狙い通りではなかったのだ。
研究者たちが望んだのは人を超える人。すなわち生半可に人より優れた能力を求めた訳ではない。それは言い方を変えれば人ならざる力を求めたと言ってもいいだろう。結局、果穂は失敗作と断じられて施設の手を離れることとなる。そして果穂や保美の両親は失敗作の子供には見向きもしなくなった。
何をそんなに切迫しているのだ。そう言いたそうに優一郎は目を丸くした。何事かを打ち込んでいた手を止め、キーボードに乗せたままの格好で静止している。多輝は横目にそんな優一郎を見てから果穂に目をやった。小さな白衣を着た背中が揺れている。震えているのだ。
多輝は果穂や保美から彼女たちの事情を直接に聞いた訳ではない。優一郎からも聞いたことはない。何故かは判らないがそれらの情報が自然と頭に入ってくるのだ。ふうん、と内心で呟いて多輝は額を押さえて軽く俯いた。意識しないままに口許に笑みが浮かぶ。
これが龍神の力というものなのだろう。そして恐らく自分には様々な思惟を読みやすいという特性があるのだ。そのことを自覚しながら多輝は流れてくる果穂の思惟を淡々と読み続けた。
幼い果穂に両親はいつも罵倒の言葉を浴びせた。出来そこない。失敗作。果穂をいたぶる言葉を数え切れないくらいに吐きつつ、両親たちは自分たちの悲劇に酔いしれていた。彼らは互いに好きあって一緒になったのではない。遺伝子的に最も相応しいだろうと研究所からの通達により、二人は夫婦として結ばれることになったのだ。互いに知り合いですらなかった二人の目的は名声と金。単純な理由だっただけに保美と果穂に対する二人の落胆振りは強かったようだ。
保美は幼い頃から身体が弱く、その殆どの時間を病院内で過ごしていた。そんな保美の許を両親が訪ねたことは一度もなかったという。だが保美はそれ故に両親の罵倒を浴びずに済んだのだ。
だが果穂は違う。保美の分をも合わせて両親は果穂を毎日のように苛めたようだ。そしてなまじ物分りの良かった果穂はそんな両親に文句の一つも返さなかった。そう、果穂は幼い頃から既に彼女の両親の頭脳をはるかに超える才能を持っていたのだ。たとえそれが失敗作だと詰られる結果になったとしても、果穂が優れた頭脳を持っていたことには違いはない。
日々、汚い言葉を浴びせる両親を果穂は最初からただの他人だと把握していたらしい。狂ったように果穂をいたぶる彼らに理屈を述べたところで通用などしない。果穂は黙って耐えることで出来るだけ自分への痛手を最小限に食い留めていたのだ。
やがて両親は苛めることにも飽きたのか、全寮制の中学校に放り込んで以来、果穂を省みることはなくなった。保美のことも果穂のことも忘れた彼らが今どうしているのかを子供である彼女たちも知らないようだ。事実、果穂からはそれ以上の情報は引き出せない。多輝は目を細めて静かに面を上げた。果穂は必死な顔で優一郎に詰め寄っている。
自分には長い時間が必要なのだ。果穂が先ほどから訴えているのはその一点だ。果穂は果穂なりに考え、木村という力に抗する術を手に入れようとしているのだ。だが一人の人間が一生のうちに出来ることには限界がある。だからこそ果穂は人よりも長い時間を欲しているのだろう。長く生きればそれだけ出来ることが増える、というのが果穂の言い分だった。
だが本当にそうだろうか。多輝はそれを聞きながら自然と顔を曇らせた。長い時間を生きれば確かに人より多くのことを見るかも知れない。けれどそれによって出来ることが増えるかどうかは判らない。そもそも果穂がやりたいと思っていることは一人の力で出来ることではない気がする。多輝は顎に指をあてがって黙考した。
長い時間を生きる龍神と呼ばれる生き物にも何をも成せない者はいる。富と名誉を欲したが故に早々に滅びた者もある。表面的には素晴らしい功績を上げたように見えても、その実、影で悪事を働いている者もいる。それを何事かを成したと考えるなら結果だけは出しているかも知れない。だがそれは恐らく果穂が望んでいるような結果ではないだろう。
とりま、エロシーンを書こうと思って書いた記憶が……。