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「国王宛ての書簡を人に書かせてええもんなんかのう」
不意に第三者の声が真後ろで聞こえる。ラスティは口許を引きつらせて斧を振り上げたままの格好でぴたりと静止した。のんびりとした声に驚いたのか、奈月が焦ったようにこちらを向く。
「相変わらず横着もんじゃのう。嬢ちゃんが判らんけんゆうて、そんなことさせてええ思うとるんか」
呆れたように言いながら老人がひょいと手を伸ばしてラスティの後ろ頭を小突く。背伸びをした老人のことをラスティは嫌というほどよく知っていた。
「こんの……くそじじい」
呻くように言ってラスティはその場に斧を突き立てた。奈月は満面に笑みを浮かべて腰を上げる。
「逢坂さんっ」
無事に再会出来たことを純粋に喜んでいるのだろう。奈月の笑みに翳りはない。逢坂と呼ばれた老人もにこやかな笑みを浮かべて奈月に頷いてみせる。そんな二人の脇でただ一人、ラスティは不機嫌極まりない顔をしていた。ふん、と鼻を鳴らして踵を返す。どうせこの場にいてもろくなことにはならない。そう踏んで歩き出そうとしたラスティは、後ろから唐突にシャツをつかまれた。
「何しやがる!」
つんのめって転びかけたラスティは大声で喚きながら振り返った。すると逢坂が皺だらけの指を一本だけ顔の前に立てて軽く数回ほど舌打ちする。
「いかんのぅ。嬢ちゃんに嘘を吐いちゃ」
「誰も嘘なんて吐いてねえだろ!」
どうやら逢坂は少し前から二人のやり取りをどこかで見物していたらしい。嘘、と断じられたのは先ほどの奈月への返事だろう。そのことは判ったがラスティは素直に逢坂の言うことは認めなかった。もとより嘘を吐いているつもりなどなかったからだ。
「ったく、やっと出てきたかと思ったらろくなこと言いやがらねえな、じじい」
これ以上、ここに一緒にいれば逢坂はさらにとんでもないことを言いかねない。ラスティは早々に話を切り替えようと、あえて逢坂を責めた。だがそう切り返されることは最初から読んでいたのだろう。逢坂は少しも顔色を変えない。それどころかにやにやと人の悪い笑い方をしながら奈月に手招きをする。素直に近づいた奈月に逢坂は耳打ちした。
「照れとるんじゃよ、あいつは。本当はこの世界を誰よりも案じとるのに、それを嬢ちゃんに知られとうないんじゃと」
「聞こえてるぞ、じじい!」
耳打ちと言うには少々大きすぎる逢坂の声にラスティは即座に言い返した。だが奈月はふんふんと納得顔で頷いている。ラスティは片頬をひくつかせながら歯軋りをした。
「そうなんですか? まるで、他人事のようにおっしゃるから、わたし」
「そうなんじゃよ。この間もわしのところに泣きついて来てのぅ。もうちょっと待ってくれゆうて」
ほっほっほ、と笑いながら逢坂は楽しそうに奈月にそう話した。ラスティはシャツをつかむ逢坂の手を振り解いて二人に背を向けた。どうせあることないこと言い出すに違いない。そう思いながらラスティは二人から離れようとした。だが今度はラスティの左手を素早く何かがつかんで引き止める。振り向くといつの間にか逢坂がラスティの手をがっちりと握っていた。
「じじい!」
「いい機会じゃ。お前も人の素直さゆうもんに大人しく触れてみんかい」
にやりと口許を歪めて逢坂は奈月に目を向けた。奈月は感心したようにしきりに頷いている。
「何で俺が! 俺はただのアルバイトで」
「アルバイトの割には気配を辿られるような間抜け振りを発揮したようじゃが?」
きっちり仕事をこなしてから言え。言外に告げられてラスティは言葉に詰まった。そんな二人のやり取りを奈月は不思議そうに見ている。確かに逢坂の言う通り、奈月の目には翳りは全くない。
「あの、アルバイトって……?」
「ああ、嬢ちゃんにはまだ言うとらんかったか。わしがこいつを雇うておった訳なんじゃが」
言いながら逢坂はラスティを指差した。次に何を言われるかを悟り、ラスティはそっぽを向いた。
「思うた以上にこいつは腑抜けになっとってのぅ。バイト代はちぃとさっぴいとくかのぅ」
あっけらかんとラスティをこき下ろして逢坂は軽く飛び上がった。ひょいと伸ばした手がラスティの頭を目いっぱい叩く。ラスティは痛みに顔をしかめながら殴られた頭を押さえた。言われていることは尤もなだけに何も言い返せない。
「あの、ラスティさんはとても良くしてくださいました! だから……」
奈月が慌てたように逢坂に取りすがる。ほう、と呟いて逢坂は奈月に笑顔で頷いてみせた。逢坂の背丈は奈月より低く、そうしていると仲のいい孫とやり取りをしているようだ。だが逢坂の本性は孫と戯れることを好むような穏やかなものではない。そのことを熟知するラスティは二人のやり取りを微笑ましいものとは見られなかった。
「おい、じじい。あんたがここに来たってことは俺の仕事は終わったんだろ? とっとと報酬払って失せろ」
ラスティは声を荒らげて告げると逢坂に手を差し出した。逢坂は目を細めて突き出された手とラスティの顔を見比べる。
「不手際があったことは認める。その分はさっぴいてくれていい。だから早く払え」
「何でわし相手じゃとこうも冷たいのか……」
急に悲しそうに顔を歪めて逢坂は深々とため息をついた。力なく首を横に振るその姿は本当に無力な老人にしか見えない。さすがは長年この姿をしているだけのことはある。ラスティはそう内心で呟いてちらりと奈月を見た。
「あの、もしかして、わたしご迷惑だったですか?」
困惑気味に奈月が訊ねる。ラスティはいいや、と首を横に振った。奈月を個人としてみた場合、不快感は全くなかった。それどころか好感の持てる存在だとしか思えなかった。奈月の所有権を握る水輝とは随分と差がある。ラスティは端的にそのことを奈月に説明した。
「が、俺はあくまでも仕事としてあんたの傍にいただけだ。結局、俺の失敗のフォローをしたのはじじいだけどな」
苛立ちのこもった眼差しを逢坂に向けてラスティはそう告げた。結界を下方から攻められると想像していなかったため、油断した隙に奈月の気配を何者かに読まれたのだ。そのために逢坂は一度、あのアパートに戻って結界を修復した。外部からの侵攻だったために、やはり結界も外側から修復する必要があったのだ。
そのために逢坂はとある人物から僅かの間、目を離してしまった。結果的に奈月の身柄は保護できたが、逢坂の保護対象である存在は仲介者を経て攻撃されつつある。しかも巧みに攻撃であることを気付かせずに、だ。
「わたしのために……ご迷惑をおかけしました」
真面目な顔つきで奈月は頭を下げた。ラスティは意外な気分でそんな奈月を見た。自然と突き出していた腕が下がる。
「別に迷惑なんてこたなかったが? 面白かったし」
思ったままを告げると奈月が下げていた頭を上げて目を丸くしてみせる。それを見たラスティはああ、と内心で呟いた。誰にも汚されない純粋なこの反応を水輝は恐らく大切に思っているのだろう。多分、他には変えられないものなのだ。ラスティは苦笑して奈月に軽く手を振った。
「あんたはあんたのままでいるのが一番なんだろな。たぶん、あの世界がどう変わっても、あんただけは変わらない気がする」
後々でこの辺りの話はけっこー重要になってきますが……。
とーぶん先です(汗)