静かな風に目を細めて都子は空を仰いだ。この夢に入ってから随分と時間が経っている気がするのに太陽は一向に傾こうとしない。不思議に思いながら都子は広い庭の中央にある噴水に近付いた。珍しそうに周囲を眺めながらついて歩いているのは斎姫だ。
日差しは穏やかで春を思わせる。都子はゆっくりとした足取りで小道を歩いた。時折、足を止めて咲いている花に目を向ける。
斎姫の意識が見せている夢はもしかしたら時間は経過しないものなのかも知れない。そう思いながら都子は近くに植わっていたつつじの傍にしゃがみ込んだ。きれいに花開いているつつじをしばし見つめる。
「斎姫さんはつつじはお好き?」
傍に歩み寄ってきた斎姫に都子は何気なく問い掛けた。斎姫がしばらくその辺りのつつじを見つめてからにっこりと笑う。その笑みに邪気らしいものは全くない。
「花ならなんでも好きです」
「そう」
笑顔で応えた斎姫に都子も笑みを返してみせた。それからもう一度、つつじに目を注ぐ。
木村の屋敷の庭にはたくさんのばらが植えられていた。その片隅、ほんのささやかなスペースに咲いていたのがつつじだった。きれいに手入れされたつつじを順はとても好いていたらしい。時折、庭に出てはつつじの傍でゆっくりと時間を過ごしていたように記憶している。
基本的には都子も花は種類を問わず、好いている。だがどうしてもそのつつじだけは好きになれなかった。順が好きなのだから、と懸命に好きになろうとしてみたのだがどうしても駄目だった。
つつじを眺める順の眼差しがとても悲しそうだったからかも知れない。都子は腰を上げて斎姫を促してからその場を離れた。斎姫が軽い足取りで都子の後に続く。
いま、順はどうしているだろう。斎姫とのんびり庭を歩きながら都子はそのことだけを考えた。恐らく斎姫もにこやかにはしているが別のことを考えているのだろう。時折、笑顔が曇る。
思えば長い日々を順と共に過ごした。幼い頃、順はいつも都子の傍にいた。あの頃、都子はそのことを少しも疑問に思わず、ただ日々を過ごしていた。隣に順がいるのが当然だと思っていた。
唐突に順が姿を消したのは都子が小学生の頃だった。思えばそれより少し前から順の様子はおかしかった。だが順は幼い都子には決して心のうちを話すことはなかった。都子は順がいつもより元気がないことを不思議には思ったが、特に気にもせずに毎日一緒に遊んでいた。
順が消えたあの日、都子は焦って外に探しに出ようとした。それを止めたのは両親だった。女の子が夜中に家を出てはいけません。当り前の言葉で都子を引き止め、両親は代わりに探すからと約束をしてくれた。
だが順は見つからなかった。少なくとも都子は両親の言葉を信じていた。だが本当は違っていた。両親たちは順を子供としてではなく、ただの実験動物とみなしていた。無能な実験動物と見下げていたからこそ、順が屋敷を飛び出しても止めなかったのだ。
それから都子の生活は一変した。それまで都子の隣に当り前にいた順の姿はない。都子は寂しさによく泣きべそをかいた。だがそれもやがて小学校を卒業する頃には落ち着き、都子は寂しさに泣くこともなくなった。
中学に上がった都子はある決意をする。順がいないなら木村を継ぐのはお前だと両親は言う。だが都子には全くその気がなかった。大体、どうして両親は順をいない者と決め付けるのだ。都子は両親に抵抗すべく、一人で生きる道を探そうとした。
そうこうしているうちに順はふらりと屋敷に戻ってきた。都子は驚くと同時にとても喜んだ。が、素直に喜んでいることを示すことは出来なかった。仮にも後継ぎである者が出奔するとはどういうことなのか、と厳しく順を問い詰めた。
都子のよく知る順はそこにはいなかった。相変わらず優しげな笑みを浮かべてはいたが、屋敷に戻ってきた順はかつての順とは異なっていた。だがそうはっきり都子が知ったのはずっと後のことだ。
自分達が風龍神を元にした実験体だと都子が知ったのは高校の頃だった。そしてそれを境に順は自分の知ることを少しずつ都子に打ち明けた。順は日々、龍神を狩るという生活を続けていたらしい。それが自分の生きる術なのだと順は都子に言った。
それでなきゃ生きられなくて。苦笑しながら告げられた順の言葉に都子は震撼した。冗談ではない。龍神の力は既に見た。あんなものに一人歯向かっていくなどどうかしている。それはまるで自殺行為だ。
都子は順に手を貸すことに決めた。自分の力が順の役に立つならどんなことにでも目を瞑っていられた。順の高い笑い声は未だに耳に残っている。木村が事実上、順と都子を遺して滅したあの日、順は天を嘲りながら血縁の者達に力を揮った。都子はその折、一人で部屋に閉じこもって耳を塞いでいた。だがどんなに耳を押さえていても順の声は頭の中に響いてくる。
部屋から出てもいいという許可を都子が得たのは全てが終わった後だった。オレ、当主になったから。そう言って笑う順に都子は何も言えなかった。
どうしてそんなに急いでいるの。何を欲しがっているの。それはお兄さまに本当に必要なものなの?
幾度となく疑問が心に浮かび、その度に都子は疑問そのものを心の奥底に沈めてきた。そんな都子に順はある日、相変わらずの口調で言ってのけた。
都子さあ、オレの人形にならない?
それがどんなことを意味するのか、当時の都子は知らない訳ではなかった。順の言葉は比喩などではない。そのまま言葉通りの意味を示していたのだ。
結果的に都子は戦う人形となり、龍神に抗する力として順に使われた。だがその間の都子の記憶はない。気付いたら今と同じように夢の中にいた。
夢から覚めた時、順は都子の帰還をとても喜んでくれた。と同時に別のものが都子に伝わってきた。順がそれを見せたのはほんの一瞬、だがその一瞬を都子は見逃さなかった。
それは明確な殺意だった。それが誰に向けられたものなのか、都子は初めて悟った。ハンターの頂点に立ち、仲間となった彼らに餌である宝珠を提供する。そうしながら日々研究を続け、いかにしてハンターが生きていくか、その道を模索している。一方で隙あらば龍神に襲い掛かり、首尾よく宝珠を得る。
だがそうしながらも順は恐らく誰も恨んでなどいない。あれだけ忌み嫌っている素振りを見せている立城に対してですら、本当は大した感情は抱いていないのかも知れない。
お願い、そんなに死に急がないで。何度、順に言おうとしただろう。だが都子がそう口にするチャンスを順はくれたことがない。
噴水の傍のベンチに腰を下ろして都子はそっとため息をついた。空はどこまでも青く広がっている。夢であることすら忘れそうなほどに穏やかな景色が二人を包んでいる。
「どうにかして、目覚めることはできないものかしら?」
ぽつりと斎姫が呟く。都子は苦笑してそうね、と合鎚を打った。
斎姫の身体は人とは全く異なり、機械で出来ているという。だがだからこそ外から働きかけてもらえればすぐに目覚めることは出来るだろう。が、今現在、斎姫の身体は恐らく順が保護している。順にその気がなければ目覚めることは無理だろう。
もっとも、目覚めてもわたしが意識を残していられるかどうかは判らないわね。
胸中でそう呟いて都子は心の底で斎姫に詫びた。
都子の昔の話をざっくりと説明です。
順の話が混ざっているのは仕様です。