エロシーンはありません。
カップを片手に持った優一郎はどこか遠い所を見つめていた。その顔にほんの僅かにだけいつもの優一郎とは違うものが浮かんでいるように見える。要はしばし状況を忘れて優一郎に見入っていた。
「ああ、一番重要な事を話すのを忘れていました。吉良瀬の当主。立城さんは龍神です」
気軽な口調で優一郎が言う。それを聞いた要は思わず口に含んでいた紅茶を吹き出しかけた。慌てて飲み込んだ拍子に気管に紅茶が入ってしまう。ハンカチを口許に当てて盛大に咳き込んでから要は顔を上げた。
「そっ、それは初耳ですわ」
他にどう言うことも出来ず、要はやっとの思いでそれだけを返した。すると優一郎がにっこりと笑ってそうですか、と告げる。要は片手を上げて優一郎を制してからしばし考えを巡らせた。
鮮烈なイメージが脳裏に蘇る。保美を壊した相手の力は紛れもなく人を超えていた。強大な力の前に、戦闘用の機体を持ったカレンですら破壊されてしまったのだ。龍神という存在の力を目の当たりにした要は、だからこそ彼らの得体の知れない力に対抗すべく、ヒューマノイド化を希望したのだ。
だがその問題の龍神という存在と吉良瀬の当主がどうしても頭の中で結びつかない。確かに吉良瀬と言えば国で木村と並ぶ財閥ではある。その権力は計り知れず、吉良瀬がくしゃみをすれば国そのものが風邪をひいて寝込んでしまうだろうとも言われている。
その当主が龍神? 要はしばし頭を抱えてからため息をついた。ここで考え込んでいても始まらない。優一郎が言うのなら間違いはないのだろう。そう結論付けて要は優一郎に話の続きを促した。
「龍神にもランクのようなものがあります。父の論文には龍神の中でも最も力の大きいものはビッグエイト、八大と呼ばれているとあります」
「はち……だい?」
龍神の中でも力の強大な者、八名が八大に名を連ねる。要は呆けた顔で優一郎が話すのを聞いた。
八大の力は他の龍神と比べて絶大だ。人間に例えるなら、よちよち歩きの幼児とオリンピックの陸上選手の走るスピードを比べるようなものだという。そして八大は数多の龍神を従えている。だが、八大と言えどもどんな龍神をも従えられる訳ではない。つまり、彼らは純然とした系統に分かれているのだ。
「ここを襲撃した相手を覚えていますよね? あれはまさに八大クラスの龍神です。火龍を統べるものだと思われます」
そう言って優一郎はカップを傾けた。要の手の中ではカップが揺れている。手が無意識のうちに震えているのだ。
火龍はその名の通り、火を司る。火を纏い、それを従え、あらゆる穢れを焼き尽くす。その力は系統名の火が示す通り高熱を伴い容赦がない。燃えるべきものを全て燃やし尽くすのが火龍の力だ。
八大に名を連ねる者だけではない。龍神と言われる存在には全て役割が与えられているようだ。それを聞くうちに要の震えはゆっくりと鎮まっていった。とんでもない力だということは判る。だがどうしても聞く話と現実に激しいギャップがあるのだ。
「龍神たちは本来、人間に介入することは禁止されています。人間の社会とは次元の違う場所で、彼らは世界を支えてきたのだと思われます」
そう言って優一郎がしばし沈黙する。なるほど、と一応は返したが要は今ひとつぴんとこなかった。そもそも世界とは何なのだろう。地球という星そのものを指すのだろうか。だがここでその質問は余りにも場違いな気がする。要は結局、ろくに優一郎に訊き返すことも出来ないまま、無言で頷いた。
「その原則が崩れつつある。父の論文にはそう書かれていました。現実問題として、僕達は龍神だと思われる相手から被害を受けています」
確かに言われた通り、龍神と思われる相手による害は被っている。先に優一郎が告げた火龍もそうだ。あの時、壊されたのはヒューマノイドである保美やカレンだけではなかった。この地下施設そのものを火龍は壊していっている。それを修復したのは当の火龍ではない。ごく当り前に人の社会を営んでいる清陵高校の生徒会であり、また生徒会が雇った建設業者だ。そして修復の際の設計を一手に引き受けたのは要の目の前にいる優一郎自身だった。
それだけではない。要の母、栄子にしてもその関係者と思われる者に害を及ぼされている。結果的に栄子は二度と家には帰らぬ人となってしまった。
考えるうちにどんどん要の顔は険しくなっていった。
「それはルール違反ではありませんの? ルールを破った龍神とやらは罰せられませんの? ……まあ、この場合、罰するのが誰かという問題もありますけれども」
「また父の論文を引用することになりますが……。ルール自体が変わりつつある。そう、父は分析しています」
そこまで言って優一郎は僅かに顔を歪めた。それを見た要はおや、と心の底で呟いた。聞いている話よりも優一郎の表情の方がよほど要には現実的だった。もしかして悔しいのかしら。そうは思ったが要はそれは言わずにおいた。
昔はルールがあったのです……。