ばらの花園が砂になって天に舞い上がる。その光景をぼんやりと都子は見守っていた。色とりどりの細かな砂がまるで何かに導かれるようにゆっくりと上昇する。都子の隣にいた斎姫はその光景に驚いたのか、目を見張って空を見上げている。だが都子は酷く冷静に砂を見送っていた。
そこは広い広い庭の一角だった。庭に咲き乱れていたばらがある時を境に静かにその姿を変化させる。色とりどりの花びらが、先端から滲むように姿を変え、砂に転じたところでゆっくりと天に昇っているのだ。
青かった空がとても美しい色に染めかえられる。都子はぼんやりと空を見上げて微かに笑った。
「いったい、何が起こっているんですか?」
恐る恐るといった態で斎姫が呟く。都子はそっと笑って斎姫を見た。空を見上げる斎姫はとても不安そうだ。
「わたくしの身体がもうすぐ消えるの」
そう告げて都子は静かにばらの花園に向かって歩き出した。慌てたように斎姫が都子を追う。
「消えるって! 都子さんが!?」
必死の面持ちで斎姫が言う。そんな斎姫は都子の目から見てもとても愛らしい。だがだからこそとても傷つきやすく見える。都子は苦笑してしばし足を止め、斎姫と並んだところで再び歩き出した。
「そう。わたくしの大元の身体」
意識だけの存在となった都子には龍宝珠はない。持っているのは大元の身体だけだ。そして都子の元の身体に遺された龍宝珠を順は摂取しているのだ。そのことを思いながら都子は空を仰いだ。
白いばら。赤いばら。黄色、ピンク、ブルー。中には紫色の花もあった。それらの花が一斉に砂と化しているのだ。
静かに歩み寄る。都子は花園の一番隅に咲いていた小さな紅色のばらに手を伸ばした。花はもう、中ほどまで砂と化して消えている。花を支えていた都子の指に小さな棘が刺さる。だが都子はそれでも花から手を離さなかった。
「都子さんは、都子さんはこれからどうなるの? まさか」
ここからも消えてしまうのではないのか。恐らく斎姫はそう続けようとしたのだろう。それを読んで都子は小さく笑った。
「ごめんなさいね。わたくし、あなたに力を提供出来そうにないわ」
囁くように言って都子はばらの一本を手折った。都子の手の中でばらは少しずつ砂になっていく。
「力なんていらないわ! ずっとここに、わたしの中にいればいいじゃない! 身体を共有すればいいのよ!」
斎姫が必死の面持ちで叫ぶ。それを見て都子は心の底から詫びたい気分になった。だがいま、ここで都子が詫びたところで斎姫を待ち受ける運命はきっと暖かいものにはならないだろう。
最初は単純に器が変わったのだと思っていた。だが斎姫の中で話を聞いているうちに都子はある可能性に辿り着いたのだ。恐らく、その考えは間違ってはいない。
「ありがとう、斎姫さん。わたくし、あなたがとても好きですわ」
にっこりと笑って都子は首を軽く傾げてみせた。嫌がるように首を振って斎姫が声を詰まらせる。肯定とも否定とも取れる都子の答えを、斎姫は斎姫なりに理解したのだ。そのことを知って都子はありがとう、ともう一度呟いた。
一つ。また一つと龍宝珠の気配が消えていく。一度も楽しい思い出はくれなかったけれど、都子は龍宝珠そのものを嫌ってはいなかった。ありがとう、と消えゆく宝珠に心の中で感謝の言葉を送る。
もしも何も知らないままで居られたら、歩く道は今とは違っていたかも知れない。都子も順も人として生まれていたなら、もっと優しい道を歩くことが出来ただろう。だがそれはあり得ない未来でしかない。
「斎姫さん。ひとつ、お願いがあるの」
今にも泣きそうな顔をしている斎姫に都子は笑顔で告げた。
「ひとつなんて言わないで! 何でも言って!」
都子の手を取り、斎姫が真剣な表情で答える。都子は笑顔のまま、静かに告げた。これはきっとわがままだ。そう判っていたが都子は素直に自分の意志に従うことにした。
「あなたがとても好きな人に、いつかその機会があったらちゃんと正直に言ってくださるかしら」
あなたが何者でもわたしは良かったのだと。そう続けて都子はにっこりと笑ってみせた。それまで真剣な顔をしていた斎姫の表情が困惑したものへと変化する。何を言われているのか理解出来ていないようだ。
「どういう……こと?」
戸惑いながら斎姫が呟く。判らなくてもいいの、と微笑んで都子は斎姫の目を覗き込んだ。知るべき時が来たら判るから。そう続ける。するとそれまで困惑気味に視線を落としていた斎姫が小さく頷いた。
そっと手を離す。都子は再び歩き出した。ばらの花園の中央へ足を運ぶ。花園の内側から見ると空に向かって砂が静かな渦を描いているのが見えた。鮮やかな色が空に描かれている。
本当は何者でもわたくしは良かったの。生まれや性別、種族なんてどうでも良かった。例え龍神のフェイクとしてでも自分を見てくれていると思えるだけで幸せだった。人形としてでもいい。傍に居られたらと願った。たった一度きりだったが、腕に抱かれてとても幸せだった。
都子の姿は次第に薄くなり始めていた。空を覆っていた砂が色とりどりの鮮やかなものから緑の茎の色へと変化する。
「待って! あなたは、あなたは伝えなくていいの!? もう一度、会わなくていいの!?」
都子の隣に慌てたように駆けて来た斎姫が叫ぶ。都子はそんな斎姫に微笑んでみせた。
「お兄さまはもう、決めてしまわれたの。わたくしが止める手立てはどこにもないわ」
そう答えて都子はスカートを指でつまみ、優雅に斎姫にお辞儀をした。
「ごきげんよう、斎姫さん」
告げた都子に斎姫がとりすがる。
「会ってみなきゃわからないじゃない! 伝えてみなければわからないじゃない! あっ……」
腕をつかもうとした斎姫の手が都子の身体をすり抜ける。都子は手折ったばらを挟み、両手を胸のところで組み合わせた。目を閉じて俯く。もう、都子の耳には何も聞こえなくなっていた。必死で叫ぶ斎姫の声も聞こえない。
愛しています。お兄さま。
その囁きを最後に都子の姿は跡形もなく消えた。
都子退場です。