地下二階に続くエレベーターに乗っても要は落ち着かないようだ。そわそわと周囲に視線を向けては慌てたように俯いてしまう。どうやら要は地下二階に設えられた実験場に入ることそのものに緊張しているらしい。
それも当然だ。何しろ優一郎はこれまで自ら手がけたヒューマノイドであっても、起動した状態では多輝以外の誰かをここに入れたことはない。
開いたエレベーターのドアから出て優一郎は真っ直ぐにキッチンのある部屋を目指した。要が不思議そうに周囲を見回している。どうやら緊張より好奇心が勝ったらしい。要の心情を正確に読んで優一郎はそっと笑みを浮かべた。
あの日、翠から送られてきたものを取り込んだ時から優一郎の感覚は妙に鋭くなっていた。最初は感覚が余りにも鋭敏過ぎて船酔いのような状態に陥ってしまった。が、思った以上に早く、その状態に身体が慣れた。どうやら翠はそれを見越してあんなものを送りつけてきたらしい。多輝はしばらく目を回していたが、具合が悪いところはなかった。翠は最初から多輝を仲介にして優一郎に力を送るつもりでいたのだ。
生のままの力を取り込めば優一郎はただでは済まなかっただろう。多輝の中で力の攻撃的な部分が殺ぎ落とされたからこそ、優一郎が受け入れることが可能になったのだ。
何のために、と最初は疑った。だが今では翠の意図も何となく理解出来る。あの八色の粉状のものは大元は龍神たちの死体から出来たものだ。本来、龍神は死んでも身体を残さない。が、稀に例外的に肉体を残して魂だけが死ぬ場合があるのだ。優一郎に送られたのはそのサンプルだった。
それまで優一郎は間近に立城の力と水輝の力、そして水色の風の力しか感じたことはない。多輝や絵美佳に至っては力を感じるような事態に陥ったことがないのだ。だがそれらのデータは優一郎が覚醒していない時に体内に取り込まれたため、優一郎自身の意志で引き出すことが出来なくなっていたのだ。
廊下を折れて進み続ける。ふと、優一郎は足を止めて振り返った。次第に遅れ始めていた要が慌てたように優一郎に駆け寄る。
サンプルを与えられたからといって、その通りに全ての技を揮うだけの力は優一郎は持ちあわせていない。だが優一郎にとって翠から送られてきたデータは絶対不可欠のものだった。相手の力を正確に読み取れなければ、優一郎の本来の力は例え全力で揮っても半減される。つまり、翠は最初から優一郎に誓約者の能力があると知っていたのだ。その上でその能力を最大限に活用できるよう、データを送りつけてきたのだ。
キッチンのドアを開けて優一郎は要を促した。流しの前で料理をしていた多輝が気配を感じたのか笑顔で振り返る。
「おっかえりー。今日の飯は……」
嬉しそうに告げた多輝が優一郎の手前に立っていた要を見止めて絶句する。要は要で目の当たりにした多輝の姿に驚愕していた。驚くのは無理もない。何しろ多輝は紺色のメイド服を身につけ、真っ白なエプロンをかけた格好で料理をしているのだ。
「うを!? 何で生徒会長がここにいるんだよ!」
先に我に返ったのは多輝だった。焦って言いながら菜ばしを挟んだ指で要を示す。要はだが多輝が叫んでも呆然としたままだ。優一郎は苦笑しながら要の脇を抜け、カウンターについた。そうしている間にも要の考えていることが優一郎の頭の中に流れてくる。それをしばし黙って読んでいた優一郎はやがて声を殺して笑い始めた。多輝が何だよ、と声を荒らげて優一郎を睨む。ごめん、と詫びつつも優一郎は口許を押さえて笑い続けていた。
要の視線が多輝の姿を頭の先からつま先まで這い回る。多輝は視線を感じたのか、何だよ、と今度は要に喚いた。恥ずかしさに頬を真っ赤に染めて多輝は要の視線から逃げるようにじりじりと横に移動していく。
しばらく多輝を観察していた要がおもむろに優一郎の方を向く。言われることは判っていたが、優一郎は要に何でしょうと問い掛けた。要はゆらりと右腕を上げてびっ、と親指を立てる。
「これはこれで!」
気合のこもった声で告げて要は再度、多輝に目を戻した。今度は大股で多輝に歩み寄っていく。多輝は怯えたような顔で慌ててその場から逃げ出そうとした。優一郎はくすくすと笑いながらさりげなく多輝の足元に軽い力を飛ばした。すると多輝がものの見事に力に足を取られて派手にこける。
「多輝、きちんとご挨拶するんだ」
笑い混じりに告げて優一郎は肘杖をついた。要の反応は正直、意外だったが驚くほどのことでもない。要は元々、多輝の造作を好いていたことは判っている。女になったからと言って多輝の容貌が大きく変わった訳ではない。
「あっ、挨拶って……うあ!」
床に転がっていた多輝が奇声を上げる。傍に寄った要が指で多輝の頬をつついたのだ。
「ふふふふふふふふふ。探しましたのよ、多輝様っ」
そう言いながら要は笑顔で多輝の頬を何度も指でつついた。多輝は要の態度が全く理解出来ないらしく、慌てふためいている。どうやら今の多輝は要の嗜虐心を煽るいい材料らしい。要は嬉しそうに笑いながら今度は多輝の胸をつつきにかかる。
ワンシーンがちょっと長かったのでエピソードを別にしました。