※この作品はR-18です。

魂の座 二部 緋色の遺言   作:伊駒辰葉

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エピタイ通りの内容です。
エロシーンはありません。


優一郎の迷いと栄子の決断 1

 窓から入ってくる風に薄いカーテンがなびく。室内の空気を入れ替えてから優一郎は静かに窓を閉めた。鍵をかけて振り返る。栄子はカーディガンを羽織って本を読んでいた。

 

 身体の調子は表面的には何の問題もない。既に事故当時に受けた傷の大半は癒えている。だが栄子はまだ入院中だった。それもその筈だ。担当医である呉羽が退院の許可を出さないからだ。

 

「ありがとうございます、総一郎様」

 

 にっこりと笑って栄子が本を閉じる。いえ、と短く返事して優一郎はベッドの脇の椅子に戻った。栄子の肩からずれかけていたピンクのカーディガンを手を伸ばして引き上げる。まあ、と笑って栄子は軽く優一郎に会釈した。

 

 未だ、栄子は優一郎を総一郎と呼ぶ。要のことも友達くらいにしか思っていない。娘として認識できずにいるのだ。要も栄子の容態を気遣って未だに娘だと名乗っていないようだ。記憶が退行している、と一口に言っても症状は様々だろう。下手に刺激をして余計なショックを与えるのは得策ではない、と要は理解しているのだ。

 

 不思議なことに栄子は外傷が癒えても未だに退院できずにいることについて、不満は一切漏らさないという。元々、穏やかな性格をしていたからなのだろうか。

 

「今日の学校はどうでしたか? 私、生徒会長ですのにこんなことになっていて、生徒さんたちのスケジュールの確認すらままなりませんの」

「大丈夫です。要さんが代わりに取りまとめをやってくれていますから」

 

 そう言いながら優一郎は栄子を安心させるように微笑んだ。すると栄子がにっこりと笑ってそうですか、と告げる。栄子は頻繁に訪ねてくる要のことを無条件に信頼しているらしい。ほっと息を吐いて胸を押さえている。その仕草がなぜか由梨佳を思わせる。恐らく同じ、母親という立場だからだろう。事あるごとに栄子に由梨佳の姿が重なるのだ。その度に優一郎は頭を振って幻想を追い出さなければならなかった。

 

 いつ切り出そう。あれからずっと優一郎は思い悩んでいた。こうしている間にも栄子の身体は不気味な何かに侵されつづけている。呉羽も栄子の身体がいつ崩壊するかは判らないと言っていた。だからヒューマノイド化することを提示するのは合理的なのだ。それも判る。だが優一郎はずっと迷っていた。

 

「そういえば、総一郎様はあの方とご一緒ではないのですね」

 

 いつも一緒にいらっしゃるものだとばかり。そう付け足して栄子は寂しそうに笑った。優一郎は微かに眉を上げて感情を押し殺した。考えていることが見抜かれたのではないかと焦ったのだ。だが栄子にそんな様子はない。内心、ほっと息をつきながら優一郎は苦笑した。

 

「栄子さん、その……」

「あら。照れていらっしゃるの? 大丈夫ですのよ、正直に仰って。総一郎様はいつも心ここにあらずといった感じですもの」

 

 ころころと笑いながら栄子が口許に手をあてる。優一郎は困り果てた顔で頭をかいた。恐らく、栄子が言い示したのは由梨佳のことだ。総一郎の傍には高校生の頃から由梨佳がいたのだろう。栄子はそのことをからかい混じりに指摘したのだ。

 

 波が引くように栄子が笑いを納める。小さく息をついて栄子は膝の上の本をぱらぱらとめくった。

 

「……お優しいんですのね」

 

 ぽつりと呟くように栄子が告げる。え、と優一郎は伏せていた目を上げた。栄子は膝の上に目を落として微かに笑っている。

 

「気づいて……らっしゃいました?」

 

 本をめくる手がとまる。栄子は微笑んだまま、本の最後のページを見つめていた。優一郎はひょいと首を伸ばして栄子の手元を見た。目を見張って本と栄子を見比べる。

 

「私の好きな小説ですの。でも、この本は私の持っていたものよりはるかに新しいですわ」

 

 そこには本を出版した年月日が記されている。優一郎は言葉もなく浮かせていた腰を椅子に戻した。栄子が静かに本を閉じる。

 

「正直に仰って構いませんのよ。本当に。私も覚悟はできておりますから」

 

 そこにいるのは愛らしいだけの頼りない高校生ではない。毅然とした態度を持った大人だ。優一郎は真摯な面持ちで頷いて改めて栄子に向き直った。

 

「栄子さんすみません。これまで、嘘をついていました。今年は、栄子さんの記憶にある時代から既に二十年ほど経過しています」

 

 栄子は静かに頷いた。既にそのことは本の奥付にあった発行年月日を見て理解していたのだろう。優一郎も栄子の目を見つめたまましっかりと頷いた。

 

「僕の本当の名前は、吉良優一郎と申します。吉良総一郎と宇田川由梨佳の息子です」

「優一郎さん、ですか。そう……総一郎様はあの方と……」

 

 遠い眼差しになって栄子が悲しそうに笑む。だがすぐにその目が現実に戻ってくる。話の途中で腰を折るのはまずいと思ったのだろう。栄子の意識の切り替えの早さに優一郎は内心舌を巻いた。

 

「そして、要さん。あの方は栄子さんの娘です」

「まあ、要さんが……。何となく私に似ていらっしゃるとは思っていたのですが」

 

 にっこりと笑って栄子が頷く。自分が既婚者であること。そして母親であることを耳にしても栄子に動揺した様子はない。それどころか今までと同じように穏やかな表情をしている。

 

 これなら大丈夫かも知れない。それまで迷っていた優一郎の胸に安堵がこみ上げてきた。




栄子は頭は悪くないので……。
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