視界が開ける。優一郎は閉じていた瞼を上げ、真っ直ぐな視線を前に向けた。傍には要、多輝、蒼がいる。
優一郎たちは一瞬で木村の屋敷の庭に跳んでいた。優一郎が放った力が葵の転移術に働きかけ、張り巡らされた結界を跳び越えたのだ。花の咲き乱れた庭の向こう、大きな扉の前には葵が鎌を携えて佇んでいる。俯いている葵に向かい、優一郎は一歩だけ足を踏み出した。
「正面玄関からお邪魔するしかないかな」
そう呟いて優一郎はまじまじと葵を見た。確かに葵なのだとは思う。が、優一郎の前に立っている葵はかつて見た葵とはまるで別人に思える。血の滴る胸を押さえ、肩で息をしつつも葵の右手には鎌の柄がしっかりと握られている。
「他からは入れそうにないな。二重結界が張られている」
ぼそりと多輝が告げる。それを追うように蒼が言う。
「結界越しでは斎姫殿がどこにいらっしゃるか、判別出来ませんね」
目を細める蒼を振り返って優一郎は小さく頷いた。要は手にしていた荷を解きにかかっている。
「弓ですか?」
「ええ。遠距離攻撃にはこれが一番適しておりますでしょ」
包みを解いて要は弓に弦を張った。矢筒を背負って立ち上がる。その他の武器の入った袋を蒼が背負う。
「センサーの反応は?」
優一郎は静かに問い掛けた。要が胸に手をあてがって頷く。優一郎が目で促すと要は袴をたくし上げながら多輝に寄った。多輝が要の股間を覗き込んで告げる。
「おれとお前の分だけかな」
光の色を読んだ多輝が顔を上げる。要は袴を直して優一郎の脇についた。その反対側、優一郎の左隣に多輝が移動する。
「では館の中へ向かいましょう」
三人を促して優一郎は玄関に向かった。玄関まであと五メートル。そこまで近付いた時、それまでじっと立っていた葵が唐突に顔を上げた。空色の双眸が真っ直ぐに優一郎を見る。次の瞬間、葵の姿が優一郎の視界からかき消えた。
多輝が腕に優一郎を抱いて横に跳ぶ。同時に蒼が要を抱えて反対側に跳んだ。四人が立っていた場所を黒い鎌が薙ぐ。
「葵殿! 我は対話を求めんと通達したはずだ」
優一郎は声に力を乗せて叫んだ。地面を蹴って再び走ろうとしていた葵が一瞬だけ止まる。だがすぐに葵は鎌を握り直して優一郎に飛び掛った。
「こ、の! なめんな!」
鋭い気合の声を発して多輝が結界を展開する。多輝の生み出した紺色の結界が黒い刃を激しい音を立てて受け止める。ドーム状の結界に向かって手を掲げていた多輝が歯を食いしばる。鎌を両手に握った葵の手は震えている。凄まじい力で結界そのものを砕こうとしているのだ。
「く、そ……なんて重いんだ」
苦しそうに呟いて多輝が深く息を吸う。その間もずっと優一郎は間近にいる葵の様子を鋭く観察していた。
今の葵に思惟らしいものは感じない。流れてくるのはただ、闇だけだ。空色の目には意志らしいものはない。空を思わせる静かな色をしているだけだ。
不意に葵が鎌を引いて地面を蹴る。素早く駆けた葵は手にした鎌を横に揮った。隙をついて屋敷に入ろうとしていた要に一直線に鎌の刃が向かう。だが切っ先が触れるより早く、今度は蒼が要を庇って結界を展開した。
「なるほど。敵はここに非ずか」
間違いない。葵は誰かの力に操られているのだ。優一郎は葵に施された力の正体を読もうとした。
蒼の結界が弾ける。反動を利用して蒼は要を抱えて葵から飛び離れた。急に目標が消えたことにより、葵の身体がぐらつく。
不意に葵が笑い声を上げる。声高らかに笑いながら葵はゆっくりと振り返った。
「いんや。ここにいるよ」
鎌を担いで葵が告げる。優一郎は僅かに眉を上げて葵を見た。警戒しつつ蒼と要が優一郎の傍に近付く。多輝は近づいてきた蒼に何事かを耳打ちする。要は葵に狙いを定めて矢を番えた。
「葵さん。先ほどの攻撃はあなたの意思によるものですか?」
そう言いながら優一郎は葵に近付いた。
「そーだよ」
笑い混じりに葵が即答する。葵は右手に鎌を持ち直して胸を指差してみせた。血だらけのシャツをその指がつかむ。一気にシャツを破り、露にされた葵の胸には深い刀傷にも似た傷があった。血はそこからとめどなく流れているのだ。
「痛いの、段々わかんなくなってるんだよね。ラッキーというか何と言うか」
目の前に近付いてきた優一郎に葵が鎌を突き出す。黒宝珠が転じた鎌を見つめ、優一郎はぴたりと足を止めた。
「黒宝珠よ、汝に問う。汝を遺せしものは、汝の主の滅びを望むか?」
その瞬間、葵が手にしていた鎌が甲高い音を立てる。鳴動する鎌を見下ろす葵の目が嗤いの形に歪む。
「やだな、優一郎くん。それってキョーハク?」
そう言いながら葵は鳴動する鎌の柄を両手に握り直した。その途端、空色の光が葵の身体の中心に生まれ、一息に鎌に吸い込まれていく。それを境に鎌はぴたりと鳴るのをやめた。
「黒宝珠よ、我は汝の主の滅びを望まず。対話を望むものなり」
静かな眼差しで鎌を見据えたまま、優一郎は告げた。すると葵の顔に浮かんでいた笑みが消える。そんなのずっこいじゃん、と呟いて葵は握った鎌を一気に横に払った。優一郎は地面を蹴って鎌の刃を避けた。空振りした鎌が空気を鳴らす。だがそれで葵は止まらなかった。くるりとその場で身を反転させ、鎌を振り続ける。空気を裂いた鎌の長い柄が、優一郎が避けて飛んだ先を襲う。
「ばっか! 避けろよ!」
声が割り込んでくる。順の鎌の柄が優一郎に触れる寸前、多輝が横から間に滑り込んだ。割れるような音を立てて多輝の結界が柄を弾き返す。結界に守られた二人のすぐ傍を鋭い音が過ぎる。要が弓を引き、矢を射ったのだ。
体勢を崩した葵に真っ直ぐに矢が走る。だが葵は飛んできた矢を伸ばした左手の指の間に全て挟んで止めた。
「ダメダメ。そーんなのじゃオレは倒せないよん」
嘲笑を浮かべて言いながら葵は指の間に挟んだ矢を折って捨てた。地面に打ち捨てられた矢を葵が踏みにじる。
「葵さん。僕はあなたを倒すつもりなどありません」
そう言って優一郎は隣に立つ多輝の肩を叩いた。多輝が無言で結界を消す。優一郎は一歩、葵に近付いた。葵が笑って肩を竦める。
「そなの? だってオレを倒さなきゃ、斎姫ちゃん取り戻せないよ?」
再び鎌を両手に握り、葵が優一郎に向き直る。
「取り戻すまでもなく斎姫は僕のものです。葵さんの生死とは関連性はありません」
きっぱりと告げて優一郎は真っ直ぐに葵を見た。あらら、と情けない声で笑って葵が肩を竦める。優一郎は注意をして葵をずっと観察し続けた。だがどうしても葵の思惟が見えてこない。あるのはやはり、闇だけだ。
バトルシーンに入りました。