火藍がゆらりと振り返る。その視線の先には立城が姿を現していた。刀を握り、火藍に向かって歩いて行く。どうやら立城が何らかの術をかけたことは判ったが、どうして立城は誓約の言葉を無視出来たのだろう。
「困った人だな、君も。人形と天空の城に行ったんじゃなかったの?」
くすくすと笑いながら立城が告げる。火藍は震える腕で鎌を支え、立城に対していた。だが見た目にもはっきりと火藍が不利なことは判る。優一郎は多輝と蒼に目配せをした。
優一郎の傍にいた多輝と蒼が同時に走る。だが次の瞬間、二つの光の矢が二人に向かって放たれた。紫の輝きが多輝の腹を、そして蒼の胸を貫いて二人を弾き飛ばす。立城に向かって走り出していた二人は矢に貫かれたまま、屋敷の壁まで吹っ飛んだ。
「邪魔だよ」
冷ややかに立城が告げる。その顔には嗤いが浮かんでいた。だがその嗤いが緩やかに別の表情に変わる。驚愕に目を見張った立城の目の前に、一際鮮やかな青い光が天から轟音を立てて降ってきた。
「間一髪セーフ!」
火藍と立城の間に降って来た光が一気に形を変える。刃がぼろぼろになった翠色の刀を手にした水輝が嗤う。その隣には奈月が静かに立っている。
「……みず……き……」
驚愕に目を見張った立城の口から掠れた声が漏れる。水輝は刀を立城に向けて、奈月に顎をしゃくった。奈月が踵を返して走り出す。奈月は火藍の横を過ぎ、唖然としている優一郎と要の横を通過した。玄関に倒れた葵に小声で詫び、屋敷の玄関を大きく開く。
「ここはおれに任せろ。お前らはとっとと行け」
背中越しに水輝の声が届く。真っ先に動いたのは火藍だった。手にした鎌を宝珠に戻し、胸に納めながら優一郎に駆け寄る。優一郎は促されるままに火藍について走った。要がその後に続く。途中、倒れた多輝と蒼を拾い、最後に玄関の手前で葵を拾ってから優一郎たちは一斉に屋敷に駆け込んだ。全員が入ったところで奈月が内側から扉を閉める。
ドア越しに遠く、水輝と立城の声が聞こえる。そのドアの前に立ち、奈月は静かに何事かを呟き始めた。
「天空の白き護りよ! 我等が集いし館を守護したもう」
奈月がそう言った瞬間、屋敷は強固な結界に包まれた。優一郎は息を飲んで奈月を見た。これまで、優一郎が見たものとはけた違いの強さの結界が周囲を取り囲んでいることが判る。それまで聞こえていた水輝と立城の声も聞こえなくなっている。結界というよりはこの屋敷内だけがまるで別の世界にでもなったかのような錯覚すらある。
ふと優一郎はその場に倒れている三人に目をやった。いつの間にか多輝と蒼を貫いていた紫の矢が消えている。二人の胸の微かな動きを見て優一郎はほっと胸をなで下ろした。どうやら衝撃に気を失ってはいるらしいが、死んではいないようだ。
火藍が腕に葵を抱え上げる。しばし腕の中の葵に目を落としてから、火藍は優一郎を見た。二階に上がる階段に火藍が顎をしゃくる。どうやらついて来いという意味らしい。でも、と何の気なしに呟いてから優一郎ははっと目を見張った。いつの間にか声が出せるようになっている。
「要さん、右乳首を右に一回転させて押し込んでください。斎姫の場所を探知するモードに切り替わります」
優一郎はそう言いながら要を見た。要が無言で頷き、胴着をはだける。さすがに人の目がたくさんあるからなのか、要は乳房を露にはせず、胸元に手をさしこんだ。
「判りましたわ。あちらです」
要が指差したのは火藍が先に優一郎を促した階段の上だった。その様子をじっと見ていた火藍がため息混じりに告げる。
「ついて来い。案内しよう」
そう言って火藍が歩き出す。優一郎は戸惑いの表情で立っていた要を促し、火藍に続いた。ドアのところに立ったまま、奈月が手を振る。どうやら結界を維持するために他の力は使えないようだ。確かにこのレベルの結界であれば、少し気を抜くだけでも砕けてしまうだろう。優一郎は奈月に頷いてから火藍を追った。
二階の廊下を過ぎ、火藍は黙ったまま屋敷の奥に進んだ。腕には葵を抱えたままだ。葵は完全に脱力している。どうやら衝撃が強すぎてこちらも気を失っているらしい。火藍に続いて進みながら優一郎は出来るだけ注意を払った。だが不思議なことに屋敷の中に人はいない。こんな広い屋敷であれば使用人くらいいてもおかしくないのに、誰一人として姿が見えないのだ。
やがて火藍は屋敷の奥、細い階段の前で足を止めた。優一郎に続いて要が足を止める。二人が並んだところで火藍は再び歩き始めた。一段ずつ、階段を昇っていく。優一郎はそれに続きながら何気なく壁に目をやった。生々しい血の跡が至る所に残っている。要はあちこちについた血の跡を目にするたび、恐怖に息を飲んでいる。どうやら要も絵美佳と同じく、ホラーは苦手のようだ。
三階の廊下は二階のそれに比べて狭い。火藍は無言のままで廊下を進む。優一郎と要も黙ってそれに従った。やがて大きな扉の前に辿り着く。火藍に目で示されるままに優一郎は扉を開いた。
広い部屋にベッドが据えられている。天蓋の中に眠る姿を見止めた優一郎は思わずベッドに駆け寄った。要が慌てたようについてくる。
「反応は? 斎姫は」
生きているのか。そう続けて優一郎は横たわる斎姫に手を伸ばした。斎姫の額に震える手を触れさせた瞬間、優一郎の脳裏に何かが飛来した。泣きたくなるような切ない気持ちが如実に伝わってくる。斎姫の意識を読んで優一郎はほっと胸に手を当てた。とりあえず斎姫は生きている。
優一郎は手早く斎姫の機体を調べた。特に新しく傷つけられている風はない。あの時、斎姫に潜り込んだ意識のつけた刀傷が一つ、あるだけだ。だが元々、この機体は動かせるようにはなっていない。パーツのあちこちが足りないし、システム等も切り離されたままなのだ。
「要さん、斎姫を運んでいただけますか?」
優一郎の横で心配そうに斎姫を見つめていた要が頷く。何も身につけていない斎姫にシーツを巻きつける。その後、要は腕にしっかりと斎姫を抱え上げた。
「用意は出来ましたわ。それでは参りましょう」
そう、要が優一郎に声をかける。要はどうやら優一郎の言葉を勘違いしたようだ。優一郎の言った運ぶというのが斎姫を運ぶ役という意味に聞こえたらしい。優一郎は黙って首を横に振った。するとそれまで平然としていた要が驚きに目を見張る。
「まっ、まさか、優一郎さま! ここに残られるとか仰るんじゃないでしょうね!?」
斎姫が救出できればもうここには用はない。要はそう思っていたのだろう。素っ頓狂な声で喚く。
「狙われているのは、この館の主と僕だけです。要さんは斎姫を連れて退去してください」
でも、と要が小声で告げる。優一郎はじっと要を見つめた。真剣な優一郎に圧される形で要が黙り込む。しばしの後、要は苦しんでいるかのように顔を歪めて告げた。
「……判りましたわ。確かにわたくしがいても足手まといでしょう」
出来れば優一郎の傍にいたいという要の思いは伝わってはきていた。が、要は冷静に状況を判断したのだろう。結局は優一郎に頷いてみせた。
怪我を負った多輝、蒼のいる玄関に引き返す。結界に包まれたこの場所から無防備に外に出るのは危険だ。だから怪我人ともども送ってやろう。そう、火藍が申し出てくれたのだ。
腕に抱えていた葵を別の部屋に寝かせた火藍が玄関に戻ってくる。その場に揃った三人に向かって火藍が手のひらをかざす。緋色の力が膨れたかと思った次の瞬間、あっという間に三人の姿が消えた。
「茜さん、ありがとうございます」
やっと本当の名を口にして優一郎は軽く頭を下げた。隣に立っていた火藍……茜がぴくりと眉を上げる。しばし沈黙してから茜は横目に奈月を見た。だが奈月はにこにことしている。
「話とやらは済んでいないのだろう?」
そう言って茜が歩き出す。優一郎は頷いて茜について歩いた。無言のまま、二人は葵の眠る部屋に入った。
ちょっと長かったのですが、切りが悪かったのでねじ込みました。