両手に柄を握り締めて水輝は僅かに目を細めた。右手に紫の刀をぶら下げた立城は俯いている。その手が微かに震えているのを水輝は見逃さなかった。
「どうして……」
ぽつりと呟いて立城が乾いた声で小さく笑う。水輝は刀の切っ先を立城に向けたまま、唇を歪めた。片手で煙草を抜き、唇に咥えて火を灯す。
実際、全身に痛みはある。ここに一気に跳べれば問題はなかったのだが、そうもいかなかった。立城の使い魔たちを悉く払い、襲い掛かる全ての者を排除するうちに握る翠色の刀と同様、水輝の身体も傷ついていたのだ。
深く息を吸い、煙を吐き出す。
「どうして邪魔するかって? そりゃ、お前が阿呆な真似してるからだ」
そう水輝が答えると立城がぴくりと肩を震わせる。ゆっくりと顔を上げた立城の目には憎悪の光が宿っていた。意志を燃やしたその光だけでも大概の者は圧されて倒れてしまうだろう。立城はいま、本気で怒り狂っているのだ。
水輝はのんびりと煙草を咥え直した。屋敷には既に奈月の結界が張られている。ここで多少暴れたところで結界はびくともしないだろう。
「退け」
低い、鋭い声で立城が告げる。水輝は右手に刀を握り直して即座に切り返した。
「断る」
きっぱりと言い切った水輝の背後には木村の屋敷がある。立城はゆっくりと歩き出しながら射抜くような眼差しで水輝を見た。
「退かなければ、殺す」
そう告げて立城が一気に水輝の許に走る。水輝は立城とほぼ同時に地面を蹴った。最速で走って右手を振る。繰り出された刀を刀で受け止めた水輝は歯を食いしばって立城の刀を弾き返した。軽く飛び上がった立城が空中で身体を反転させ、再度、飛び掛ってくる。
立城が何故、優一郎の誓約を無視して力を使うことが出来たのか。答えは簡単だ。立城は最初から誓約に従う気はなかったのだ。誓約を破ればそれだけの罪が降って来るのが普通だ。が、今現在、立城に断罪の印は浮かんではいない。
かつて立城には弟がいた。双子の弟である真也と共に立城はこの世に誕生した。そして吉良瀬の伝承の通り、潰えた木龍が転生したのだ。
一人は神に。一人は鬼に。
生まれた時、立城の髪と瞳は紫色をしていた。そしてその頭には小さな角が二本生えていた。吉良瀬の人々はそんな立城を見て伝承に震撼した。伝承の通り、その容姿から立城は鬼と吉良瀬の者たちに決め付けられてしまったのだ。
一人は神。その伝承の通り、立城とは対照的に真也は神と誉めそやされる結果となった。下らない話だ。たかが容姿だけで人々は二人の役割を勝手に決めてしまったのだ。
ところが実際に木龍としての過去の記憶を携えていたのは立城の方だった。そして今現在、立城は木龍神として存在している。
だが、本当に人々の決め付けは間違っていたのだろうか。
記憶と頑強な肉体は立城に受け継がれた。龍神が持って生まれる龍宝珠は四つずつ、二人が分けて持って生まれてきた。真也には木龍としての記憶はまるでない。龍神という者の存在すら真也は当分のあいだ、知らずに生きていたのだ。
だが木龍神を示す、紫宝珠を持っていたのは真也だった。八色の宝珠はそれぞれが八大の力を示している。その中の紫宝珠を持つ意味を、また真也が実際に持っていたことを知る者は殆どいない。
逆手に握った刀で紫の切っ先を跳ね返す。水輝はぼろぼろになった翠色の刀を容赦なく立城に揮った。振り下ろした水輝の刀が立城の髪の先端だけを切り落とす。水輝の攻撃を避けた立城が再び地面を蹴る。
龍神に限らず、全ての生きる者には名前が存在する。特に力のある者は本来の名を隠すため、別の名を仮に名乗るケースが多い。八大の多くはそうしているし、当然、立城もそうだ。
そして真也にもまた、本来の名というものが存在したのだ。
「邪魔をするな!」
腹の底から叫んだ立城の力が真っ直ぐに水輝に向かって飛ぶ。水輝は素早くその力を避けた。だが真っ直ぐに飛んでいた紫の光の帯が、急激に方向転換し、水輝の背中に激突する。吹き飛んだ水輝は頭から地面に突っ込んだ。
立て続けに立城が力を生む。水輝は痛みを堪えて素早く身体を起こした。一気に襲い掛かってきた幾つもの紫の光を強引に刀で叩き落す。怒号を上げて走ってきた立城の刀をかわし、水輝は身体を捻って肘を突き出した。確かな手応えを感じた直後、今度は立城が吹っ飛ぶ。
神崎葵。それが真也の本当の名だ。そしてまた、本来、木龍神を継ぐべきだった存在の名もそれだ。だがその事実はずっとひた隠しにされてきた。水輝がそれを知ることが出来たのは、あの時、立城が水輝の性を完全に男に固定してしまった時だ。
舌打ちをして折れた煙草を吐き捨て、水輝はよろけながら立ち上がった立城の許に一直線に駆けた。気合の声と共に振り下ろした刀を立城が刀で受け止める。紫と翠の刃の間で激しい光が生まれる。だが水輝も立城もどちらも退かなかった。
木龍神の重ねた罪は全て、葵という本当の名の持ち主に加算される。今現在、どれだけ立城が木龍神として罪を重ねたとしても、償うのは立城の弟、真也なのだ。それ故に立城は誓約を無視しても断罪されることはない。現在進行形で立城の重ねる罪は真也の許に届いているのだ。
だが何故、立城は真也が苦しむであろう真似をしているのか。答えは一つだ。
「いいかげんにしろ!」
怒声を放って水輝は渾身の力で刀を振り切った。重ねていた立城の刀が水輝の刀に押され、弾かれる。
「紫翠がどうだとか! 安定がどうだとか! そんな理由でおれのことを好きにしやがって!」
刀を素早く逆手に握り替えて水輝は右手のこぶしを立城の顔面に叩き込んだ。殴られた拍子に立城がその場によろける。
「記憶に引きずられてるのはお前の方じゃないか!」
全ての罪を別の誰かに押し付ける。真也の苦しんでいるその原因を、別の誰かに全て押し付けてしまえばいい。そうすれば真也は苦しみから解放される。立城の狙いはそこにあるのだ。だから多少の罪には目を瞑り、事が成し遂げられる道を立城は選んだのだ。
「だから何だ!」
立城が叫び返す。
「それがどうしたって言うんだ! そんなこと、最初から」
叫びながら立城が一際大きな力を生み出す。水輝は両手に刀を握りなおし、膨れ上がる力に突進した。
「最初から決まってた! でも決めたのは僕じゃない! 決めたのは、君だろう!」
水輝は歯を食いしばって放たれた力を刀で受け止めた。例えどんなに強固だとしても、こんなものをまともに食らったらただで済むとは思えない。水輝は肩越しにちらりと屋敷を見返って、力に向き直った。
「君が、君が……」
掠れた声で告げて立城が一気に力を撃つ。
「君が僕にそう生きろって言ったんだ!」
バトルシーンに入ってきます。