しばし目を閉じ、黙考した後、優一郎は告げた。
「水輝さんのほうの調査を行いました。先方は完全に誓約を忘れ、遵守する努力を怠っています。既に誓約は解消されています」
「うわ、まじ!? ラッキー!」
嬉しそうに言って水輝がばんばんと優一郎の肩を叩く。
「奈月さんと紫さん、そして渚さんという方との誓約は有効です。その他の誓約は天の主が負うべきものでしょう」
ぴたりと水輝が手を止める。畳み掛けるように優一郎は続けた。
「あと、言うまでもないことですが、今のあなたの存在自体に関わる誓約であるあの誓約は有効というか、現在の世界はあの誓約をもとにまわっています」
出来れば口にしたくなかったのだが、優一郎は仕方なくそう告げた。遠回しな言い方でもしっかりと理解したのだろう。水輝が何か言いたそうに口を開いては噤む。それから水輝はふらりと優一郎から離れ、何事かをぶつぶつ言いながら床にしゃがみ込んだ。
「ラスティさん、とおっしゃいましたよね?」
こちらに向けられた背に哀愁を漂わせている水輝から目を逸らし、今度はラスティを見る。ラスティは優一郎の問いにああ、と頷いた。
「そもそも誓約の前提条件が無効であったわけですが」
「あ、何だ。そうなのか」
ぱっとラスティの顔が明るくなる。優一郎はそんなラスティを見つめながら続けた。
「錯誤に基く誓約は一般的に無効とされます。特に確信犯的に錯誤を狙って誓約した場合はかなりの割合で無効となります。ですが」
優一郎の言葉にラスティは気軽そうにうんうん、と何度も頷いている。優一郎は更に続けた。
「ラスティさんが仰っておられるケースについては、一度、先方の方とお会いされることをお勧めします」
「えっ!? 何で!」
即座にラスティが言い返す。相当に切羽詰っているのか、ラスティは真剣そのものの顔で優一郎を前後に揺さぶった。
「先方がまったく錯誤を問題としていらっしゃらないからです。改めて誓約を結び、遵守することを求めています」
静かに告げた優一郎の肩を握ったまま、ラスティが愕然と目を見張る。それってもしかしてへんた、と言ってからラスティはよろよろと優一郎から少し離れた。がっくりとその場に膝をつき、床に手を当ててぶつぶつと何事かを呟く。
優一郎はそれぞれに落ちこんでいる二人を交互に眺め、大きくため息をついた。なるほど、力があればあったでそれなりに大変なようだ。それに自分にはまだまだ知らないことがたくさんあるらしい。
「あのラスティさん。その方の件については、あなたにその意志が無いことを伝えれば問題ありません。ですけど」
はたと思い至って優一郎はラスティに声を投げかけた。ラスティが落ち込む格好のまま、肩越しに優一郎を見る。その目は何故かとても恨めしそうだ。
「その他の女性といくつか誓約を結んでおられるのですが、自覚していらっしゃいますか?」
「ああああああああああああああああああ」
優一郎が指摘した途端、情けない声を上げてラスティが再びがっくりとうなだれる。どうやら心当たりがあるらしい。いや、ラスティの場合はひょっとしたら出会う多くの女性と問題のようなケースに陥るのかも知れない。
「先方の多くは、ラスティさんの事を男性だと思っています。無意識的に行われたものもありますが故意に隠したと思われるものもあります」
そう続けながら優一郎は天井を仰いだ。吹き抜けの天井はとても高い。その天井に絵が描かれていることに優一郎は初めて気がついた。らしいのからしくないのか、玄関の天井いっぱいに描かれているのはたくさんの天使の絵だった。
「だって常磐が、常磐が、お前の反応はちょっと変だとか言うから、言うから、言うから……」
殆ど泣きそうな声でラスティがぶつぶつと言う。優一郎は目を戻して肩を竦めた。
「多くは先ほどの水輝さんの件のように無効化しています。ですが、何人か誓約を遵守しあなたを待っている方がいらっしゃいます」
「ああああああああああああああああああ」
先ほどよりも更に情けない声でラスティが言う。あれなのか、それともあれなのか、いや、あれに違いないとラスティがぼやく。
「リストアップして名簿と居住地を調べてお渡ししますから、安心してください。ただ、今後は誓約者としての自覚を持って行動することをお勧めします」
誓約者の誓約は他の者が交わすものとは拘束力が違いますから。そう付け足して優一郎は少し歩いてぽん、とラスティの肩を叩いた。だがラスティはがっくりとうなだれたまままだ何かを呟いている。もしかしたら聞こえていないのかな。そんなことを思いつつ優一郎はやれやれ、と息をついた。
ふと、天井を見上げる。優一郎はぼんやりと天使の絵を眺めた。だが見ているうちに奇妙なことに気付く。おかしい。確かにさっきと同じ絵のはずなのに、中心にいた赤ん坊らしい天使の姿が妙に大きくなっている気がするのだ。
優一郎が訝りに眉を寄せた瞬間、問題の天使は唐突に優一郎の目の前に降って来た。反射的に腕を伸ばして受け止める。
「あ」
水輝とラスティが同時に声を上げる。優一郎は深々とため息をついて腕の中を見下ろした。優一郎の腕に一人の赤ん坊が納まっている。絵だと思っていた天使の一人は実は本物の赤ん坊だったのだ。
落ち込んでいた水輝とラスティが腰を上げ、優一郎に近付く。どうしましょう、と訊ねようとして優一郎は目を見張った。まるで身体が動かない。目だけは辛うじて動かせるが、その他の部分がどんなに力を入れても動かせないのだ。
「あー、すっかり忘れてた。そうだったそうだった」
嫌に嬉しそうに水輝が言う。そうかと思うとラスティがにこにこと笑って頷く。
「そういえばさっき、面白いもん見つけてさ。ほら、あの失恋大王」
「あー! あいつか!」
何やら二人ともやけに楽しそうに言う。それどころじゃない、と優一郎は必死で目で二人に訴えようとした。だが二人は優一郎の視線に気づかないのか、やけに盛り上がっている。
「そういえばさー! あいつ、こないだも振られたらしいぞ!」
「うわ、それって連続記録更新じゃねえか? すげえ、ある意味凄すぎる」
感心したようにラスティが頷く。それを見た水輝がいやいや、と首を横に振る。
「そもそもあいつに一人も子供いないっての、問題だろう。命を司るっつー割に、その生産行動のチャンスすらないんだぞ」
生産行動。優一郎は胸中で呟いた。思い当たる人物はいる。二人が散々にこき下ろしている相手のことを思い描き、優一郎は気の毒にと息を吐いた。
唐突に二人がぴたりと同時に口を噤む。両脇から優一郎を挟み、水輝とラスティはにやにやと人の悪い笑みを浮かべた。何事かと訊き返したい。が、優一郎の必死の努力も空しく、身体は頑として動かせない。まるで石にでもなったような気分だ。
「大丈夫だって。ちょうど弓の得意そうなのいるしさ。心配しなくてもこんだけ的がでかけりゃ、外さねえだろ」
水輝がうんうんと頷きながら言う。どうでもいいが、何故水輝はずっと少年を担いでいるのだろう。裸のために尻が丸見えになっている。その少年の尻が、水輝が腰を屈めるたびに優一郎の頭に触れるのだ。正直、いい気分ではない。
「矢はそうだな。俺が準備するよか、あいつにやらせてみるか。ほら、脳みそつるつるそうなのいたじゃん」
脳みそつるつる……。ラスティの言い草に優一郎はため息をついた。言いたいことは判るが、それは余りにも直接的過ぎる表現ではないだろうか。どうせなら、まだ使いこなれていないとか、ちっとも磨耗していないとか、つついて苛めたくなるタイプとか、そういう穏やかな表現は出来ないものだろうか。
「おー! そりゃ、名案だ! じゃあ、早速呼んでくるか!」
「俺はじゃあ、弓の方取ってくる!」
二人が口々に言って顔を見合わせて、じゃ、と手を上げて別々の方向に向かって走り出す。広々とした玄関に残された優一郎は腕に赤ん坊を抱えたままじっと突っ立っていた。動きたいのはやまやまだが、動けないのだ。
もしかして、僕、八つ当たりされてる……?
佇んだまま、優一郎は去った二人のことを思って胸中でそう呟いた。
二人してorzですw