窓辺に座って本を読むのがあの男の日課だった。家に帰るといつも本を読んでいる男に呆れ、そんなに本が好きなら借りてやろうと言ってみた。すると男はいつもと変わらず、表情の読めない静かな顔をして頷いた。
王宮の地下に秘されている数多くの本を納めた書庫に赴いた。そこで適当に本を選んでは家に持ち帰ってみた。
「何で思い出すかな」
そう呟いてラスティは深々とため息をついた。一本の長い棒状のものを手にしたラスティを不思議そうに見ているのは奈月だ。他の二人もキッチンでは料理中だ。確か要と多輝と言ったか。ラスティは前掛けをつけて料理をする二人をちらりと見てから奈月に目を戻した。
「その棒はなんですか?」
麺棒じゃないですよね。そう続けた奈月にラスティは苦笑した。
「残念ながら調理器具じゃないな。えーと、あいつは?」
ここにいると思ったんだが、とラスティはキッチンをもう一度見回した。向こうで多輝が要に何やら言われて膨れ面をしているのが見える。が、水輝の姿はない。玄関には赤子を抱えた優一郎しかいなかった。
「水輝さん、ですか?」
持っていたしゃもじを手の中でもてあそびながら奈月が首を傾げる。どうやら水輝はあれからキッチンには来ていないらしい。まあ、いいやと笑ってラスティはキッチンを出た。
広々とした玄関には優一郎が一人で佇んでいる。ラスティは手にしていた荷物を肩に担ぎながら優一郎に近付いた。相変わらず優一郎は硬直したままだ。よしよし、とラスティは優一郎の頭を撫でてから目を落とした。
優一郎が抱えている赤子は落ちて来た時からずっと動いていない。目を閉じて身体を丸めている。全く身動きをしていないために下手をすると人形にすら見えてしまう。
「もうちょい待ってくれ」
答えられないと判っていても、ラスティは優一郎と赤子にそう言って歩き出した。赤いじゅうたんの張られた階段を上がる。さすがに屋敷の中に張り巡らされていたらしい結界は見る影もなくずたずたにされている。屋敷の主が目覚めたら修復するかも知れないが、守るべきものがなくなったいま、再び結界を作り上げる気になるかどうかは判らない。
まあ、ない方が俺としてはありがたいんだがな。そう心の中で呟いてラスティは二階の廊下を進んだ。一応は顔を見せとくか、と屋敷の主の部屋に先に向かう。
この世界と龍宝珠界は見えないところで繋がっている。個々が全く別々に存在しているなら、ラスティも今回の件には関わらなかっただろう。いや、恐らく話もこなかったはずだ。
大きな扉を静かに開ける。ラスティはドアの間から滑るようにして部屋に入った。広い部屋には机や椅子などが並んでいる。窓辺に揺れるカーテンを目に留め、ラスティは窓に寄った。この寒いのに、と呟いて、少しだけ開いていた窓を閉める。
ラスティが住む家の窓辺でいつも本を読んでいた男は常磐という。ラスティと初めて会ってからしばらくの間、常磐はずっとそうして本を読んでいた。食事を作る時と食べる時、寝る時以外はずっと窓辺の椅子に腰を下ろしていたような気がする。晴れの日も雨の日も、朝から晩までずっとだ。
やがて常磐はラスティの家にあった本を全て読んでしまった。森の中にあるラスティの家には異常なほどの本が置かれている。それはラスティを育てた老人の置き土産だ。だがラスティはそれらの本に一切、手をつけなかった。読まなくても内容は大体知っていたし、何よりそんな気にならなかったからだ。
結婚しようと言ったのは常磐だった。ラスティが王宮からこっそり持ち出した本を全て読み終わった時、常磐が急にそんなことを言い出したのだ。どうせ他に予定があるでもなし、一緒にいることには変わりないのだからとラスティは申し出を受けた。そしてラスティが思った通り、結婚したからと言って特に生活が変わることはなかった。
一つだけ変わったのは常磐が本を読まなくなったことくらいだろうか。それまで窓辺の椅子を陣取ってひたすらに本を読んでいた常磐は、ラスティと共に外を歩くようになった。元々、口数が少なかった常磐が自分から口を利くことは滅多になかった。何かを考えているような顔でラスティの横を歩く。ラスティはそんな常磐をさして気にすることもなく、日々を過ごしていた。
常磐の態度が急変したのはいつだっただろう。ラスティは思い出しながら振り返った。ベッドの周囲には服が脱ぎ散らかされている。無言でベッドに近づき、ラスティは床に落ちていたシャツを取り上げた。
胸と背中の部分に穴の開いたシャツを目の高さに持ち上げる。しばしシャツを眺めてからラスティはそっとそれを床に戻した。
この世界と龍宝珠界は繋がっている。この世界での出来事は全て龍宝珠界に映し出される。そして龍宝珠界の出来事もこの世界に反映される。もちろん全ての事象がすぐさま映る訳ではない。時には長い時間をかけて映っていくこともある。
ベッドには一人の男が眠っている。まるで何事もなかったかのような穏やかな寝顔を見つめ、ラスティはそっと息をついた。
ラスティ視点の段落でこの話は終わりです。
もうちょっと続きますのでお付き合い頂ければ……。