常磐は本当は金龍神の持つべき龍宝珠だ。だが金龍神が生きている間も、死しても常磐はずっと変わらず龍宝珠界に存在していた。八大の龍宝珠ゆえにその力は絶大だ。だからこそ、常磐はラスティと同様に老いることもない。
が、本来それは間違っている。ラスティを始めとする翠の持つ龍宝珠は、龍宝珠界にその身を置いていても決して老いることはない。他の龍宝珠がごく当り前に年を取るにも関わらず、だ。それは翠の龍宝珠が特別だからだ。
他の龍神は持ち得る全ての龍宝珠をなくせば、自動的に器を維持できなくなる。なのに翠は龍宝珠界に己の龍宝珠の全て置いているにも関わらず、あらゆる時代に健在しているのだ。
翠が何故あれほどまでに強大な力を有することが出来るのか。恐らく龍神たちはその理由を知らない。龍神たちの知る翠は最初から龍宝珠を持ってはいない。龍神たちのよく知るあれはただの陽炎に過ぎない。だがそれでも翠の力が強大だからこそ、陽炎はまるで実体かのように動いているのだ。
この世界と龍宝珠界の時の流れにはかなりの差があると言われている。こちらの一日が向こうの数日や数月ほどになったり、また逆もある。だがそれも当然だ。龍宝珠界は時の中を行ったり来たりしているのだ。つまり、この世界から見れば龍宝珠界の時は逆流していることもある、ということだ。だが龍宝珠界にとっては当り前に時が流れているに過ぎない。そして龍宝珠界の時の皺寄せは全てタイラードに集中される。だからあの国には時が存在しないのだ。
あの日を境に常磐は気づいてしまったのだ。ラスティとずっと共に居られないことに。そしてそのまま居ればいつか必ず時の皺寄せを受けて潰えてしまうことを。
時のない国の民は皺寄せを受けても逃がす方法を生まれながらにして得ている。それが成長の遅い身体であり、国そのものに注がれる光の少なさだ。だが常磐は違う。ラスティに合わせてただ力に任せて器に無理をさせているに過ぎないのだ。
歪みはいつか正される。例え巧みに隠していても、必ず日の光の元に曝け出される。それが歪みというものだ。ラスティは無言でベッドに眠る男を見た。穏やかな寝息を立てている男の髪はまるで炎を思わせる真紅だ。歪みを正された結果、男は新しい名を受け継いだのだ。
最初、ラスティは何故この男を翠が気にかけているのか判らなかった。しかもご丁寧にわざわざ時に沿って、だ。下手にそんな真似をすれば他の龍神に気づかれる恐れがある。力のある八大であればなおのこと、その存在の気配に気付く可能性は高い。
だが翠はそれでもこの男の傍に居続けた。それは何故か。答えは簡単だ。この男が龍宝珠界の鍵を握っているからだ。
この世界の鍵は間違いなく水輝だろう。危険すぎてその名を魔法に組み込むことはないが、水輝の性質は正式には鍵と言い表される。だが龍宝珠界の鍵を握っているのはこの男なのだ。
ずっとずっと未来、必ず男は龍宝珠界に何かをもたらす。それが何かは判らない。それが世界にとっていいことなのかどうかすら、今の段階では判断出来ない。が、それが決まっているからこそ翠はこの男を気にかけているのだ。
青の鍵、紅の断罪、黄金の扉、銀の翼、紫の錠、白い城壁、黒き門。
胸の中で呟く。ラスティはベッドの男を見つめる目を細めた。安らかに眠る男の顔を見ていると自然と怒りがわいてくる。この男さえいなければ、常磐はずっと穏やかなままで居られたのに。だがそれは八つ当たりだ。どのみち遅かれ早かれ、水輝は確実に動いた筈だ。だからない夢を願うのは筋違いだ。
ラスティは無意識のうちに俯いていた。手にした銀色の弓が震える。
奈月を壊してしまいたい衝動に駆られなかった訳じゃない。そうすれば水輝が止まることも判っていた。それに歪みを正す力も散ってしまうことも知っていた。
翠の混沌。有は無であり、無は有である。全ての事象は必然であり、また偶然である。翠の本来の性質はそれだ。だからこそ時を司ることが出来る。そして翠が強大な力を持つ所以がそこにある。
龍神たちはモノを生み出すことが出来ない。例外的に銀龍にのみは新しい命を作ることが許されてはいるが、それはまた別の話だ。銀龍が例え誰かと交わり、その果てに子供が出来たとしてもそれは銀龍自身が作り出す訳ではない。形として男女の間に命が出来たように見えるだけだ。結局のところ、例え命を司る銀龍と言えどモノを生み出すことは出来ないのだ。
が、翠は違う。翠は唯一、世界という名のモノを生み出すことが出来る。だがそれには莫大なエネルギーが必要になる。そのために翠は生まれた時からあれだけの強大な力を有しているのだ。
そしてまた、翠は同時に滅びを導くことも出来る。紫翠の魂が分かたれたあの時、その力の殆どは翠に受け継がれることになったのだ。だがその一方で翠という存在は純粋な力のみに集約されることになった。思惟や思想、その他の事柄は排除され、時の流れを読み、そして時に応じて力を放つ。そこにためらいは全く存在しない。何しろ翠には心がないのだ。
龍神たちは力で構成される。が、生物としての本能や感情も同時に持つことが出来る。だからこそ龍神と言えど間違いも犯す。そしてその罪は龍神自身が背負い、裁かれる。それは他の生物と同等だ。そして龍神の持ち物である龍宝珠にも同じことが言える。
だが翠にはそれがない。翠はある意味では龍宝珠界そのものなのだ。
龍宝珠界が出来たあの日の誓約は間違いなく生きている。永遠を約束した紫翠は今もなお生き続けているのだ。
永久の誓約、凍える魂、天かける雷、風の息吹。
ラスティは脳裏に過ぎった名をすぐに意識の底に沈めた。深々とため息をついて目元を手で覆う。例えいま、阻んだところで鍵が消えることはない。時も止まらない。どのみち同じ結果を見ることになるだけだ。
常磐は迷いの森と呼ばれる巨大な檻の中にいる。あの檻がある限り、常磐が老いることはない。ラスティが強引に施した魔法は今も健在だ。が、ずっと続くとは限らない。現にこの世界の龍神の長は空席のままだ。それは恐らく龍宝珠界にこれから起こるだろう混乱を意味している。
檻の中に居る限り、常磐が壊れることはない。だが万が一、檻が壊れれば。
このエピソードで「魂の座 緋色の遺言」は終わりです。
(あと二話くらい?)