「面倒だなあ。おい、ちょっと持ってろ」
ラスティは言われるままに多輝の背後に回った。弓を床に置いてうろたえる多輝の肩を後ろからしっかりつかむ。
「これじゃちょっと不安定だな」
焦った多輝が止めろと言いながら振り返る。ラスティはしばし思案してから多輝の身体を腕ごと抱きすくめた。腕の中でびくりと多輝が身を竦める。流れてきた感情を読んだラスティは訝りに眉を寄せた。どうも多輝はまだなにが起こっているかを理解していないらしい。
「ちょ、ちょっと待て! なにすんだ!」
「はーい、行きますよー。ちょっと痛いけど我慢してくださいねー」
呑気に言いながら水輝が右腕をゆらりと後ろに振る。振り切ったところで水輝は一気に手を多輝の胸に突き入れた。多輝が目を見張って仰け反る。だがラスティが押さえているために身動きは殆ど出来ない。ラスティは多輝を力ずくで押さえながらちらりと目を上げた。水輝は咥え煙草のままでにやにやと笑っている。
「あ……ぐっ」
苦しそうに多輝が呻く。水輝は嗤いを浮かべたまま多輝の器の中を探っていた。水輝が多輝の中で手を動かすたびにラスティに感情が伝わってくる。多輝の感じている痛みまでが伝わり、ラスティは僅かに眉を寄せた。
「早くしろ。いてえだろ」
ぼそりと漏らすとラスティは上目遣いに水輝を睨んだ。おお、と笑って水輝が手を多輝の胸から引き抜く。どうやらわざと長引かせていたらしい。ラスティは仏頂面で多輝から手を離した。相変わらず悪趣味だ。そう胸の中で呟く。
「うわ! 使えねえ!」
水輝は握った多輝の宝珠に目を落とすなり声を張り上げた。つられてラスティも水輝の手元を見た。なるほど、確かにこれでは使えない。銀色の宝珠は本来の半分も輝いてはいない。
「あー……駄目だな、これは。少々の細工じゃもたないぞ」
そう言いながらラスティはちらりと多輝に目をやった。多輝は相当痛みが強かったのか、胸を押さえてその場にしゃがみ込んでいる。
結局、矢は水輝が作ることになった。多輝はしばらくの間、水輝を恨めしそうに見ていたが、やがてキッチンに戻って行った。入れ替わりに要が玄関に現れる。
「水輝様? 何かわたくしにご用がおありとか」
「ああ。あんたに弓を引いてもらいたくてな」
そう言いながら水輝は要に銀色の弓を差し出した。それを目にした要が驚いたように息を飲む。聞けばその弓は要の母親が持っていたものだという。どうやらこの屋敷の主が無断で要の家から持ち出したらしい。
「それはいいのですが、矢はどちらですの?」
「ああ、それは今作るから」
にっこりと要に笑みかけて水輝が頷く。抜け目のないやつ。ラスティはぼそりとそう呟いた。水輝はだがラスティの呟きは耳に入らなかったらしい。自分の胸に手をあてがって深く息を吸う。その直後、水輝は自分の胸に右手を突き入れた。
「水輝様!?」
慌てた声を上げる要をラスティは制した。水輝は身を屈めて腕を震わせている。だが水輝は多輝の時とは異なり、あっさりと銀宝珠を自分の胸から抜き取った。驚愕する要を余所に水輝が銀宝珠に力を流し込む。
空中に数本の矢が現れる。煌きを帯びた矢をつかみ、水輝はそれを要に差し出した。
「で、あれを射て欲しいんだけど」
笑顔で水輝が優一郎を指差す。すると要は奇声を上げた。
「何故、わたくしが優一郎さまを射らなければならないんですの!?」
「違う違う。あんたが狙うのは優一郎が抱えてる赤子だ」
ラスティはそう言って優一郎の腕に抱えられている赤子を指差した。要が恐る恐る優一郎に寄る。そこで初めて優一郎が身動き出来なくなっていることに気づいたらしい。焦った声を上げて優一郎に取りすがる。
「あー、無駄無駄。そのがき持ってる限り、優一郎は動けないって」
「優一郎はそいつに名前を与えなきゃ解放されねえだろ。んだからさっさと赤子を射れってば」
水輝とラスティは代わる代わるにそう言った。すると要が肩を怒らせて振り返る。次にくる叫びを予想して、ラスティは先にそっぽを向いた。
「そんな真似、わたくしに出来る訳がないでしょう!」
「その矢は特別製だから、当たっても死なないぞ?」
要の説得にはかなりの時間を要した。食事の用意が出来たと奈月が伝えに来た頃、ようやく要は頷いた。
「つまり、無心で射ればいいのですわね?」
「そ。銀の力は命だからな。余計な雑念が入らなければ大丈夫だ」
水輝が何度目かにそう保証すると要は指定された場所に移動した。優一郎から離れた場所に立つ。
銀の矢が走り、赤子に命中する。動けるようになった優一郎に新しい名前を与えられた直後、赤子はその場から姿を消した。背中に生えていた羽根の色が多少気になるが、大した問題ではないだろう。
少年が目覚め、皆で食事をとった後、ラスティはそれじゃあ、と挨拶した。
「あー。ひとついいことを教えてやる」
ラスティが跳ぼうとしていた時、水輝がのんびりと告げた。喋るのに合わせて水輝の口許で火のついた煙草が揺れる。水輝の後ろに隠れるようにして立っている少年にちらりと目をやり、ラスティは何だと訊ねた。
「あれは心がない訳じゃない。感情を持っていない訳でもない」
そう言って水輝がにやりと嗤う。ラスティは片方だけ眉を上げて口許を歪めた。相変わらずの地獄耳だ。水輝はこちらに気づかせぬよう、いつの間にか思考を読んでいたらしい。そのことに気づいたラスティは肩を竦めてみせた。
「何事にも例外は存在する。本来はそうあるべきものが実はそうではない、なーんて話はよくあることでな」
「知ってる」
ラスティは笑いながら水輝に頷いた。他の連中はきっとまるで意味が判らないのだろう。それぞれが不思議そうな顔をしている。そんな中で奈月だけが笑顔で水輝を見守っているのが酷く印象的だった。
あんたはあんたのままでいるのが一番なんだろな。たぶん、あの世界がどう変わっても、あんただけは変わらない気がする。
いつか奈月に言ったことを思い出す。これからもきっと奈月は変わらず水輝を見つめていくのだろう。そして水輝は前に向かってひたすら進んでいく。それがこの世界そのものが選択した道だ。そして翠はその世界を見守り続けるのだろう。
「また何か面白そうなことがあったら呼んでくれ。その時を楽しみにしてる」
ラスティは微笑みを残し、その場から姿を消した。
長々とお付き合いありがとうございました。
これで「魂の座 緋色の遺言」はお終いです。
最後にキャラ紹介などちょっとつけておきます。