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不意に立城が小さく笑う。え、と目を上げて優一郎は瞬きした。いつの間にか奈月の姿が消えている。あれ、と呟きながら優一郎は周囲を見回した。やはり奈月の姿はどこにもない。
「そういう考え方をされると訊き難くなるんだけれどね」
口許に指をあてがって声もなく笑いながら立城が告げる。何のことだろう、と優一郎は首を捻った。のんびりと茶を啜っていた立城が閉じていた目を片方だけ開ける。その顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。もしかして、と優一郎は微かに目を細めた。どうやら立城は意図的に奈月をこの実験室から追い払ったらしい。
「君に訊きたい事は色々とあるんだよ。でも、どこから切り出せばいいのか迷っていたんだ」
言いながら立城はカップを膝まで下ろした。優一郎は無言でそんな立城を見つめた。立城が迷うということがどうも信じられない。
「僕は蚊帳の外に置かれていて、状況にその場その場で対処するだけで何が何だかさっぱり判らないというのが正直な感想なんですが」
だから立城に訊かれるようなことは何もない。だからこそ立城が迷う理由などどこにもない。その意味をこめて優一郎は呟くように告げた。自戒の念も言葉にはこもっている。
立城は優一郎が予測したような反応はしなかった。意外そうに目を丸くして首を傾げている。どうやら本気で意外だと思っているらしい。え、と声に出している。だがそれを見た優一郎の方が驚きたいくらいだった。
「ああ、もしかして君は何も判らないままなのかな?」
優一郎が不服を込めて質問する前に立城がそう切り出した。出かかっていた言葉を飲み込んで優一郎は無言で頷いた。軽く呻いて立城が額に手をあてがう。
「何が君の目隠しになっているんだろうね。本当は判る筈なのに」
そう言って立城は小さく息をついた。それを聞いた優一郎の胸の奥に水輝の言葉が蘇る。木村の地に乗り込む前、水輝は立城と似たようなことを優一郎に告げた。優一郎は無意識に俯いた。カップを見つめる視線が自分でも気付かないうちに睨むようなそれへと転じる。
「知るべき時、タイミングというものが世の中にはあると思いますが? 知ろうとすれば判るという考えはただ人の僕には傲慢でしょう」
低く、呻くように答える。微かに空気が揺れ、立城が息をついたことが理解できる。優一郎はそれを感じ取っても顔を上げなかった。今、恐らく立城は困ったような、それでいて慈愛に満ちた深い眼差しをしているのだろう。見なくてもそのことは手に取るように判る。何故ならその表情は、優一郎が意図的に作り出せるもののうちの一つだからだ。
「なるほど、そう思うのは自由だね。じゃあ僕も今は訊かないことにしようか。どのみち」
嫌でも知ることになるのだから。途切れたせりふの先に続く言葉が頭の中にだけ響く。優一郎は歯噛みしたい気分で嫌々ながら顔を上げた。真っ先に目に留まったのは立城の苦笑だった。だがその表情はすぐに消えていく。
それから二人は幾つかの義務的な会話を交わした。話している間中、優一郎は胸に嫌な重いものを詰められた気がしていた。立城の穏やかな話し方すら苛立ちを感じる原因になる。そう感じてしまうのは、恐らくストレスが溜まっているからだろう。そのことも優一郎は自身で理解していた。
「そういえば、奈月さんの身体の設計をなさったのは立城さんですか?」
不快感を払拭したいという思いから優一郎は話題を転じた。それまで由梨佳の機体について話をしていた立城が不思議そうに優一郎を見つめる。だがすぐにその顔は納得したものへと変わった。
「ああ、彼女が気になる?」
からかうように訊かれる。優一郎は小さく笑って頷いた。
「ええ。設計面でももちろんですけど、あれだけの力を内包して、どうしてあそこまで安定していられるのか。かなり気になります」
それは単純に科学者としての興味だった。自分以外に高性能のヒューマノイドを作る者となると今までは総一郎しかいなかった。それ故に優一郎はかねてから奈月の機体には興味を抱いていたのだ。
僅かな間の後に立城がドアの方へと視線を向ける。タイミングをまるで測ったかのようにそこに奈月が現れる。手にしたポットにはおかわり分の紅茶が入っているらしい。恐る恐るといった様子で奈月がゆっくりと近づいてくる。
「彼女を作ったのは吉良博士……君のお父さんだよ」
立城のせりふを聞きつけたのか奈月がにっこりと笑ってみせる。立城がゆったりとした手つきで奈月の手からポットを取り上げる。空になっていた自分のカップに赤い茶が注がれる。だが優一郎はそれを見ていなかった。
はにかみながら椅子に腰掛ける奈月を優一郎は凝視していた。仕草の一つ一つをとっても、また、見た目ももちろん奈月は人にしか思えない。なのにその機体には驚くほどの力が内包され、しかもその力は決して暴走などすることなく使役されている。不具合など出たことはないのだろう。奈月の様子がおかしかったことはただの一度もない。